往復書簡006:クレオール

 ぼくを湿地帯に引きずり込んだなんて、とんでもない。どうか、お気づかいなく。なにしろ、ぼくは、「日本近代美術史」という、天使も踏むを危ぶむ泥濘地帯をフィールドとして研究をつづけてきたのですから。
そればかりではありません。「日本」と呼ばれるこの場所は、葦の生いしげる湿地すなわち「豊葦原瑞穂国[トヨアシハラミズホノクニ]」という美称を有しています。つまり、湿地帯の広がりとして、この列島は表象されてきたわけです。現在では、どこもかしこもコンクリートで覆われているものの、観念のレベルでは、ここは、いまもなお湿地帯のままです。すなわち前近代と近代と脱近代が複雑に結合しながら、明確なかたちを成すことなく思想や芸術の状況は推移しつづけています。
江戸時代以前から認められるこうした泥沼的思想風土は、明治以降に、いっそう顕著なものとなりました。近代化の手本と目されていた「西洋」と呼ばれる地域からもたらされる新しい概念を次々と受け容れることで、思想史が形成されてゆくようになったからです。ただし、「思想史」とはいいながら、ほんとうは「史」としての体裁を成すものではなく、スクラップ・アンド・ビルドの連続でした。「オーソリチーのなき国こそ楽しけれ」と言ったのは『白樺』時代の武者小路実篤ですが、オーソリティーなど成り立ちようのない状況が、明治以来連綿と続いて今日に至っているのが実情です。アイロニカルな見方をすれば、これこそまさに「近代」性と呼ぶべきかもしれないのですが、それはともかく、前近代的なものが叢生する列島の湿地帯では、概念にまつわる社会的了解を得ることなく、また、そのような事態を逆手にとるようにして、幾多の概念が次々とひとびとを魅了しつつ消費されていったのでした。
たとえば、三島由紀夫は、「美」という翻訳語の曖昧さを梃子に、韜晦とアイロニーを弄することで「美」の絶対化を目論みましたが、こうした翻訳語のはたらきを柳父章は「カセット効果」と呼んでいます。この場合、「カセット」というのは宝石箱のことです。つまり、柳父は、それじたいがうつくしく飾られた宝石箱は、そこに宝石が入っているいないにかかわらず、ひとを魅了するということ、つまり、概念が如何に曖昧であっても、言葉じたいが――西洋世界への憧憬を介して――魅力を放つ現象を「カセット効果」と呼んだのです。
こうした効果は、「自然」、「存在」、「神」など、さまざまな翻訳語に指摘することができます。そして、ぼくたちが、いま手にしている「表象」という概念も、そうした翻訳語のひとつにほかなりません。

 田村隆一がいうように詩の世界では「ウィスキーを水でわるように/言葉を意味でわるわけにはいかない」のだとすれば、詩的言語において「カセット効果」は本質的な事柄であるということができますし、ジャンバッティスタ・ヴィーコの徒たる歴史家としては言葉のレトリカルな魅惑を否定するわけにはいかないのですが、しかし、詩や小説や評論や歴史叙述にかんしてはともかく、教育の場面で「カセット効果」を用いることには注意深くありたいと、ぼくは思っています。あらゆる翻訳語には、この魔術的効果が自動的につきまとうのだとして、しかし、教育の場面では、それに頼るのではなく、むしろ、この効果を出来るかぎり抑えてかかることこそが大切なのではないか、そして、そのために原語に照らし、日本社会における用法も踏まえつつ、合理的なテクニカル・タームの用い方を伝える努力を惜しむべきではない・・・・ぼくは、そう考えるのです。
もちろん、翻訳語をもちいない講義がありえないわけではないのですが、かつて丸山真男が『日本の思想』で指摘したように、「ヨーロッパの思想もすでに「伝統化」している」ことを認めないわけにはいきません。つまり、「表象」概念にまつわる問題は、この列島における学問一般の問題でもあるわけです。もちろん、かつて長谷川如是閑がいみじくも指摘したように、独創的な研究においては「学問の自由」以上に「学問からの自由」が大切であるのだとしても、教育場面においては、マニエリスティクな学問の伝授がまず行われて然るべきだと思います。さもないと、「学問からの自由」の意義さえも曖昧化してしまうからです。
 「カセット効果」にものをいわせるのではなく、さりとて翻訳語をあなどり、打ち捨てるというのでもなく、忍耐強い姿勢で、それを思考の枠組として鍛えてゆくほかないのではないか。これが教師としてのぼくが、自身に課してきた構えです。もちろん、あなたが指摘するように、スコラスティクな語義の詮議は一種の自己韜晦でしかありえないとしても、大学において学ぶために必要なかぎりでの定義、いいかえればプラグマティックな定義は必要なのです。いわずもがなのことですが、老婆心ながら、ここに書き留めておきたいと思います。
「表象」という語は、いまだ一般性をもつにはほど遠く、したがって高校生にはなじみのない言葉です。「表象」論的発想から設立されたとおぼしき学科が、「表現学科」を名乗る例に出くわすことがあるのは、おそらく、そのせいでしょう。しかし、「表象」を「表現」と呼び変える発想は、たとえマーケティングのための方便であるとしても、首を傾げざるをえません。近代において、ほとんど芸術の同義語として用いられてきた「表現」概念を批判的に乗り越えるためにこそ「表象」の語が要請されたのだと考えるからです。「表現」というのはex-pressionつまり内面性を前提とする語感が強く、その意味で近代芸術の枠内にとどまるニュアンスが強い。だから、「表象」のもつ軽やかな自在感――内面であれ外面であれ「表わす」こと全般にかかわる広がりのある自在感から、あまりにもかけ離れているように、ぼくには感じられるのです。状況への妥協を排して「表象」という耳慣れない言葉を掲げたぼくたちの専攻は、教育と研究の双方にまたがる困難な課題を担ってゆかなければらならないわけですが、それは、魅力に富んだ困難であると、ぼくは感じています。
ここで教師としての構えを、ことさら強調したのは、職業倫理への拘泥でも職能教育の率先垂範などでもなく、職業にまつわる理想主義的な次元に思いを馳せるからです。すなわち、ボイスのいわゆる「社会彫刻」に――あるいは、ボイスに先立って『ドイツ・イデオロギー』のマルクスエンゲルスが、『ポエジ』のイジドール・デュカスが、そして「農民芸術概論綱要」の宮沢賢治が提示した、すべてのひとびとがアーティストでありうるような社会といううつくしいヴィジョンに、このことはかかわっていると、ぼくは考えるのです。自分自身の仕事の社会的意義を踏まえ、仕事をまっとうすることに悦びを見出すならば、如何なる職業もアートとして成り立つはずなのだ、と。かつてシモーヌ・ヴェイユは、労働者たちは生活が詩になることを必要としていると述べましたが、美術にかかわる教育は、このことを実践的に若いひとたちに伝えることのできる格好の手段であると、ぼくは思います。これは職能教育などより、ずっと大切なことです。
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 あなたは、ルイ=アルチュセールを引きながら、列車の譬えを用いています。走っている列車に飛び乗るというスリリングな魅力に富んだこの譬喩を、「芸術表象専攻」に強引に引きつけて読むならば、この葦原を走り始める列車は一系統だけではなく、すくなくともA、B二つの系統の列車が走り始めるはずだということを、いっておかなければなりません。
Aは理論系、Bは歴史系であり、しかも、それぞれの系は、複数の授業担当者によって運行されるために、場合によっては支線に入り込んでゆくような場合もあるかもしれません。葦原が湿地であることを思い合わせるならば、列車よりフォヴァークラフトの譬喩の方が便利かもしれませんが、とにかく、「芸術表象専攻」における学びの移動手段は、走る方向も速度も規模も、さまざまであるはずなのです。しかしながら、同じ葦原を走り抜けてゆくからには、それらは全く無関係というわけではありません。すくなくとも、これらの移動手段は「表象」という場を共有しているわけであり、そのことによって、「芸術表象専攻」という場の在り方や方向性を決定してゆくのだと、ぼくは考えています。
歴史と理論、そして教員個々人が、「芸術表象専攻」という場を介して関係し、そこで形成される合力によって専攻の大きな方向性が、そのつど決まってゆくということ、ただし、教師にせよ、学生にせよ、この大きな方向性に――ドミナントマジョリティーに――受動的に縛られるわけではなく、各人の目指す方向性が、専攻の方向性に絶えず働きかけうるような関係であること、このような関係態が、ぼくたちの専攻の在り方を決定してゆくのが望ましいと、ぼくは考えています。
「芸術表象専攻」に関する、このような思いは、エドゥアール・グリッサンに由来しています。マングローブの叢生する塩性湿地帯を抱えるカリブのマルチニーク、その中央部に位置するル・ラマンタンに育ったこのクレオールの思想家が、カリブ海に浮かぶ島々を想い浮かべつつ述べた「我々の集団テイアイデンティティは一つの合力[レズユルタント]である」という言葉から、ぼくは、上に書いたようなことを考え始めたのです。あなたも前便でグリッサンにふれていましたが、彼は『全−世界論』(恒川邦夫訳)のなかで、このように規定されたアイデンティティを「リゾームアイデンティティ」と呼び直したうえで、「すべての言語[ラング]に場を与えよう、まずは我々のクレオール語に、なぜならそれは一つの合力であり、予測不可能なものだから」として、次のように述べています。



世界の島の大部分は他の島々と列島を作っていることに注目しよう。カリブ海の島々もそうした島々である。それは行政的、制度的な秩序、〈連合国家〉をまず定義せよなどとは言わず、予備的なものを措定することにこだわらず、いたるところで、混交の仕事を始める。〈列島〉における我々の諸関係に関しては、大きなことを精神にとどめつつ、小さなことから始めよう。


 カリブ海の列島に属するハイチを襲った悲劇に向けて、世界の「合力」のベクトルが正確に向けられているか、自戒をこめて心慮せずにはいられない状況が続いていますが、ここは、文脈の流れに沿って「芸術表象専攻」に思い馳せつつ、そろそろ書簡を終わりにしなければなりません。グリッサンは、みずからが打ち出した「クレオール化」という概念について、次のように説明しています。



クレオール化は、複数の文化、あるいは、少なくとも複数の異なった文化の要素を世界のある場所で接触させ、合力の結果として、単なるそれらの要素の総和ないしは総合からはまったく予測できなかったような、新しい与件を産出することである。


クレオール」という語は、ご存じのように、いくつかの意味をもちますが、言語に関しては、植民地おいて宗主国と現地の言語が混成した言語のことを指します。グリッサンは、これを一挙に文化概念として押し広げてみせたわけであり、このようなクレオール化は、現在、さまざまな学問の分野においても見出されます。インター・ディシプリナリー(学際)と呼ばれる動きは、その典型的な例です。この動きは、複数の異なった学問の要素を接触させ、その合力の結果として、予測しがたい新しい知識を産み出していったのでした。
芸術表象研究もまた、このような学問の現在の在り方を踏まえています。もともと芸術学や美学や美術史と近い領域であるとはいいながら、ここには、他のさまざまな学問がかかわり、入りこみ、組み込まれて、多様な変化を産み出しつつあるのです。つまり、「芸術表象専攻」における芸術研究とは、いってみれば「美学」の、「芸術学」の、そしてまた「美術史学」のクレオールだといえるのではないでしょうか。つまり、ここは、芸術研究におけるカリブなのだ、と。
さあ、グリッサンのアドヴァイスに従って、身近な小さなことから始めましょう、大きなことを絶えず精神にとどめながら。

往復書簡005:背丈ほども伸びた草のなかで

北澤さん 珍しく、時間をおかずに返信します。

 ブリコラージュ、コーヒーカップ、そして動いているということ。どれも心に沁みました。本来そんな気持ちの悪い場所に、じめじめとした湿地帯に、足を踏み入れる必要などなかった人を、引きずり込んでしまったかのような後ろめたさを感じています。でも、ひょっとするともうずいぶん昔からそんな場所に魅力を感じなくなっているのかもしれない自分に対して、勇気を奮い起させてくれるような言葉を投げかけてもらって、いま一度、始末におえそうもない粘土質の軟弱地盤のなかで、泥にまみれつつ格闘するのもいいのかなというような気にさせられました。感謝しています。動いている、と、あえてヴィリリオの用語を避けたのは、失言を繰り返すわが国のノーベル物理学賞受賞者の高踏的な発言にも似た、ソーカルとブリクモンの、およそポストモダニズムの本質などわかるはずのないであろう指摘のなかで、けれどもラカンヴィリリオについては正しいかなと思わされたことで、昨年末の depositors meeting の参加ファイルとして作成した、影響を受けた人たちをアルファベット順に並べた奇妙なディクショナリ的アーカイヴから、"v"の項目を抹消し、ヴィリリオを葬ったこととも関係しています。ちょっと話はずれますが、あまりに古臭いテーマばかりと唖然とさせられる美術手帳の評論賞で、ソーカルの論文にも似た題名で kawara on を論じたアーティストの評論が入選し、けれども選者たちの誰一人としてソーカルのことに言及せず、しかも本来の名前を伏せて投稿したアーティストも、どうやら真剣にそのタイトルを着けたらしいと知ったとき、あまりの間抜けさに驚きました。評する側も、評されようとした側も、おおいなる無知に包まれていて、賞全体がパロディなのかとさえ訝りました。

コーヒーカップの話は続けなくてはだめですね。僕は、もちろん北澤さんがおっしゃるように、表象の定義にはあえて深入りしないように逃げてきたわけです。いやさらに言えば、芸術表象の英文表記にも見られるように、そう表象でなくてさえ構わないのです。つまりまさにここでも、表象することが問題になるわけです。表象と、表象すること。その問題です。つまりそうしてしまう人間の欲望と、背後にある政治、力学、まあそうしたすべての問題です。名前をつけるというのは、いまさら指摘するまでもないことですが、難しい問題です。分節化といってもいいでしょう。まさにそれは、そうするものの欲望をさらけ出さずにはおかないのです。自身その質問の意味を知っているがために、恥ずかしさに身をくねらせながら、ボイスにコヨーテの憑依について尋ねた人類学者が、芸術と人類学の架橋を欲望するとき、それはその内容以上に、興味深い対象となるわけです。これは真面目に言っているのですが、言葉の問題に深入りするよりは、もっと他にやることがあるはずなのです。豊かな世界を前にして、必要もない用語の探索や、その定義、使用法にかかりっきりになるのは、わかり安すぎて気恥ずかしくなるような現実逃避に他なりません。と、自分自身に言いきかせています。そうしたことよりも、僕が興味を抱いているのは、ブリオーが著作のなかで触れ、またそれ以前からある意味で実践について説明する最も魅力ある喩えでもあった、アルチュセールの動いている列車に乗るんだという表現に、どうしたらかなうことができるだろうかということです。科学のイデオロギーへの興味だけから、カンギレム-アルチュセールの方へ、近づこうとしているわけではないわけです。……ちょうど今朝、前夜の深酒がたたってか、予定よりも早く目覚めてしまい、しばらく妄想の世界に浸っていたのですが、変に堅苦しい出来の悪い文章を書き続けていくよりは、そちらのほうがましかなとも思うので、しばしその世界に現実逃避していくことにします。

僕たちは目の前の列車に飛び乗ります。僕たちと言いましたが、これは北澤さんと僕というわけではなく、老若男女取り混ぜた、なんとも不思議な一団です。いずれにせよそうした奇妙な一団が、えいやっとばかりに、動いている列車に向う見ずにも飛び乗るわけです。それは、どこかの駅のプラットフォームで、明確に行き先のわかっている列車に、指定席の番号を確認しながら、臆病な態度で乗り込もうとする間の抜けた旅行者とは決定的に異なる様子でそうするわけです。それでも列車のなかでは、やがて、いろいろなことがわかってくることになります。列車の前方から夕陽と思しき光が射し入って、車窓の風景をコントラストの強い、印象的なものに変えています。どうやら、列車は夕陽の方向に向かって走っているようです。西に向かっている? おそらくそうでしょう。でもまだ、その時代その土地で、あるいはその惑星で、太陽が西に沈むかどうかは確認しなくてはならないでしょう。あるいは、方角はまだ、東西南北の4つだけなのでしょうか? 聞いたこともないような名称の方角が、その土地では使われているのかもしれません。確認しなくてはならないことはまだまだたくさんあります。しかしそれでも、とりあえず確認しなくていいこともあります。つまり、列車は、いままさに赤く染まろうとしている太陽らしきものの方向に向かっているということです。あるいは、僕たちよりも前から列車に乗っていた乗客に声をかけてみるものも出てくるかもしれません。どこ行きなの? ○×△よ。別の乗客。×○△。また別。△×○。どれもはっきりしませんが、それでもどこか行く手にそう呼ばれる土地か町、あるいは村があるらしいということがわかってきます。まるでセガレンの記憶なき人々のように、あるいはタレルのブラインド・サイトに足を踏み入れたもののように、そう、ある文化がある土地を覆い尽くそうとしているのを静かに待つように、あるいは視覚細胞が暗順応するのを眠気と闘いながら待つように、けれどもそこで、おぼろげながら何ものかが姿を現そうとするのを時間をかけてゆっくりと待つのです。あるいは同じような例として、無謀にも何も知らずに遍路路に足を踏み出した、若き高群逸枝を想起してもいいのかもしれません。ああ、私のいく手はいずく。彼女の姿は、実践が、いかに向こう見ずで無謀な要素を抱えているかを知らせてくれます。あるいは、サンドラールの世界の果てにつれてっての老女、テレーズ、あるいは、マルケス眠れる美女の、90歳の誕生日によからぬことを考え、そのため焦がれるような恋に落ちていく男……。

いずれにしても、アルチュセールはそうした行動を実践の本質とみなしています。あるいはさらに、僕たちはアルチュセールの喩えをより真剣に受け取って、あるとき、意を決して動いている列車から曠野に身を投げ出したってかまわないはずです。僕たちはきっと、列車の汽笛が遠ざかるのを背後に聞きながら、身の丈ほどに育った葦のような植物をかき分けて、どこかに向かって進んでいくはずです。いや、こうした描写は何ともマッチョで、モダニスティックで嫌気がさしますね。少し修正しましょう。例えばこうです。少し開けたところで、小さな流れに草をむしって投げ入れながら、釣りをしたり、お茶を飲んだりするというのはどうでしょう。あるいは、一団の奇妙な一体感のなかで、愛が芽生え、抱き合うものだっているかもしれません。いずれにしても、僕たちはそこで野営することになるのでしょう。こうした比喩になったもの、北澤さんが当初、パオのような教室でキャラバンのように移動しながら授業するのもいいねと言っていたことと決して無関係ではないはずです。クリステヴァの自我のモデルに倣うまでもなく、僕たちは別にどこかを目指しているというわけではないのですが、けれども、常にどこかに向かう過程にある。……思えばつくづく不思議だ。こうしてわからない未来へ、一歩一歩踏み込んでいく私の運命の数奇さ。娘巡礼の心細さは、僕たちの一団の中にも忍び込んできます。

さあそんなとき、誰かがポケットから地図を取り出します。地図。自分の居場所と、これから向かう先、あるいはどこからやってきたのかを知るための手立て。地図は、ひょっとすると西洋近代の知性を象徴しているものかもしれません。アートでいえば美術史や芸術理論というところでしょうか。しかし、もう僕たちは、どちらの方向に向かっているのかわからないような列車に飛び乗り、どこか知らない場所でそこからも飛び降りてしまっています。特別な道標の類も見あたりません。残念ながら、その地図はまったく役に立たないのです。列車のなかで耳にした○×△も×○△も、そこには書き込まれていないようです。僕たちはそんな場所では、ファイヤアーベントが暴いた、科学者たちの素朴な行動を思い出してみるべきなのです。anything goes。何だってやってみればいいはずなんです。けれども、無用さを嘆くあまり、一団のなかの誰かが、その地図を破り捨てようとするのには注意しなくてはなりません。それはあまりにも浅はかな行動です。僕たちはなんとかそれを阻止しなくてはなりません。何だってやってみればいいわけですが、やみくもに草むらのなかをそれぞれに駆け出してしまえば、もう仲間とも会うことはかなわないでしょう。何だって、のなかには、もちろんその地図を利用したもろもろの行為も含まれているのです。そんな興味深いことを投げ出してしまうなんて! 多様なるものは減少している。セガレンの言葉が思い出されます。僕たちはその地図に描かれている内容を、別のかたちで読み取り、そして応用してみる、ということももちろん試してみるべきなのです。例えば、こんなことをしてみるのも悪くはないはずです。地図に描かれた丘と川の関係を、目の前の光景にあてはめてみる。あの丘の構造を考えれば、右手のほうに川が流れているかもしれない。あるいは、もしもすでに見知らぬ街に足を踏み入れていたのだとすれば、まったく異なる街の地図を引っ張り出して、大通りと駅の関係から駅と思しき方向を類推してみる。もちろん、思い描いたような結果、つまり川や駅にたどり着くということはほとんどないでしょう。けれども、こうした行為を自身の生活の一部に組み入れるということは、そんなに悪いことではないはずです。おそらく知性とは、その程度のものに過ぎないはずです。でも、だからこそそれは重要であり、素晴らしいのです。

僕は、こうした可能性を見つめている人間の地図の利用方法や、無用さを理解した上で、目の前の何ひとつ知らない光景のために、それまでとはまったく異なる方法で描かれる地図に興味を持っています。不確かなものを手掛かりとして築かれるものこそを見つめる必要は、セゼールやグリッサンの言葉を引くまでもなく、いままさに必要なことなのではないでしょうか。あるいはけれどもそこで、アルチュセールの言うように実践するということは、思想や芸術の世界にそれを応用するという時点で、もうすでに大いに逸脱していることを承知の上でいえば、昌益の直耕を思想や表現に応用してみるということにもなるでしょう。グリッサンらが依拠するドゥルーズから、まさに対極にも位置するかのようにも思える昌益につなげてみるのはあまりにも突飛かもしれませんが、いずれにしても昌益の能産性への期待と、ドゥルーズの堅牢な根拠からの解放、あるいはシャモワゾー、セゼール、グリッサンとは、あるいは今まさに背丈ほどにものびた草に囲まれて途方に暮れているあの勇気ある、もちろんそのくせ意気地なしのあの一団とは、そう遠い距離にはないはずなのです。あるいは僕たちはそこに、数多くの名前の霧のなかに自分自身を消散させようとしたペソアや、共同体の幻想をアーキペラゴの姿を通じて穏当なかたちで再建しようとしたカッチャーリ、適切にもソンタグがフリーズ・フレーム・バロックと呼んだフラグメントの集成に基づく独自の探究を行ったベンヤミンを加えてもいいのかもしれません。共通しているのは、ポストモダニズムがその重要性を主張し続け、けれどもそれを上手に具体化することに失敗したために、いまではすっかりと忘れ去られている、ひとつの姿勢なのです。確固たる根拠、全体を包摂する物語、それらの不在をどう生きるかということ。その問題と、しっかりと向き合う必要があるはずなのです。

僕たちの野営はいつまで続くのか。あるいはもちろん、野営のうちに生を終えるものもいるでしょう。いやおそらく、誰もがそうなるのかもしれません。そのようなものにすぎない結果に至るはずの限られた生のなかで、そう意識してみることこそが重要なのかもしれません。華々しくゴールを切る自我を夢見るのか、あるいは常に過程にあるという現実をしっかりと受けとめるべきなのか。もちろん、いたずらにポスト・コロニアリズムの思想を表面的に引用することは避けなくてはなりません。けれども、そこでの思想を、自らの慎ましさを思い出すために利用したり、あるいは不安定な現実を受け入れつつ、そこで生きていくために利用するというのであれば、おそらくそれは許されるはずです。アンティルを襲った過酷な自然災害を伝える報道が、必ず用いる最貧国という形容は、彼らの思想を利用すべきものたちの、ある種の驕りを示しています。ずいぶん話が遠くまで来てしまったような気がします。いずれにしても、近年最も広く読まれた美学書、ブリオーの関係性の美学の背後に、明らかにグリッサンの関係性の詩学が、つまりはドゥルーズリゾームが、そして多様性の美学、つまりセガレンの姿が見えてきます。そう、先の妄想にもう少しだけお付き合いいただけば、僕は、一団の傍らに馬に乗った一人の西洋人の姿を認めて近づいていったのです。セガレンによく似た柔和な顔立ちの彼に、僕はこう尋ねます。多様性はこれでもまだ減り続けていくのですか? 馬上の彼がどのように答えたかは覚えていません。こうした妄想に変な落ちをつけてしまえば、ニーチェの指摘の如く、悲劇であることもかなわなくなってしまいます。もっとも、ここでの妄想が悲劇で終わっては困るし、もちろん、そもそもどう考えても喜劇のほうが距離は近いわけですが、いずれにしても、僕たちはそこで、何かに手を伸ばしたり、どこかに歩を進めたり、大きく背伸びをしてみたり、することになるわけです。

能産性、それが多様性に向かえば、セガレンの危惧は回避できるかもしれません。しかもそのとき、これまでの方法もまた、多様性の一部を形成しているという、あたり前のことを忘れるべきではないでしょう。小心な僕は、これまで妄想のなかの主人公たちを不確かな一団と表現してきました。ひとりでの行動を、おそらくは怯えてのことでしょう。かつては一団だったとしても、おそらくすでにその一団は、どこかの時点でばらばらの方向に散ってしまっているに違いありません。妄想もまた、入れ子状になっているのです。けれども、身近にいると感じていた人物が実はそこには存在しないというのは確かに問題だとしても、遠く離れたどこか別の草むらに、同じように方向を見失って、さまざまな多様性を試みて行動している自分と同じような人間がいると想像してみる権利は残されているはずです。それはリンギスの共有せざるものの共同体にも似た、これまで無視されてきた意識です。リンギスの共同体論は、ここのところ僕には、ドゥボールのスペクタルの社会を肯定的に捉えなおすための手がかりのような気がして心から離れません。あるいは、グリッサンも、多様性、関係性に基づく全-世界の背後に、ドゥボール的な世界があることを指摘しています。さあ、いずれにしても少し長くなってしまいました。僕たちはおそらくこの往復書簡をもう少し無防備なかたちで継続しながら、また卑怯にもそれまでの主張を簡単に転換したり、行き暮れたり、諦念したりしてみるべきでしょう。少しばかり開けた野営地には、さまざまな方角から、草を掻き分けていろいろな人間がやってきます。疲れた身体を休めたら、リクリットのタイ風焼きそばを食べて、気分転換にクリスティン・ヒルの古着を手に入れてもいいでしょう。さあそして、またそれぞれの思った方角に、散っていくことにしましょう……。


杉田 敦

往復書簡004:ブリコラージュ

ずいぶんと応答が遅れてしまいました。失礼をお詫びします。ひとこと言い訳をさせていただけば、博士課程の院生たちの論文指導が大きな山場を迎えところに豊田市美術館の講演と集中講義の準備が重なって、てんてこまいの毎日でした。どうか、ご寛恕ください。

この10月にクロード・レヴィ=ストロースが天寿をまっとうしました。2008年11月に100歳の誕生日を迎えたのを機に、改めてその業績を見直す機運が盛り上がっていたところでした。ぼくも著作を書庫から探し出してきて机に積み上げ、昔の傍線を頼りに、ところどころ読み返したりしていたのですが、そのなかで、つい先日読み返した『野生の思考』第一章「具体の科学」は、ぼくらの専攻の行き方を考えるうえで何がしか資するところがあるように思われ、つい読みふけってしまいました。すくなくとも、前便におけるあなたの指摘――美術史や美学、あるいは既成の制作技術を不変の枠組として取り扱う構えを捨て去ることによって、これらの枠組の潜在的可能性や未知の魅力を現勢化しうるのではないかという指摘をめぐって考えるためのさまざまなヒントを、「具体の科学」は含んでいるように思われます。

 ただし、急いで断っておかなければなりませんが、レヴィ=ストロースに言及するのは、決して「芸術人類学」にあやかろうなどというつもりからではなく、むしろ、死没をめぐるジャーナリスティクな話題性に寄りかかって、ぼくらの専攻について考えをめぐらせてみようという魂胆です。まずは、名訳の誉れ高い大橋保夫訳を引用することから始めたいと思います。



美術家は科学者と器用人[ブリコルール]の両面をもっている。職人的手段を用いて彼はある物体[オブジェ]を作り上げるが、それは同時に認識の対象[オブジェ]でもある。
 

たとえば日曜大工においてしばしば行われるように、出来合いの事物やその断片を他の目的のために転用するような製作行為を、フランス語では、ご存じのように「ブリコラージュbricolage」(器用仕事)と呼ぶわけですが、レヴィ=ストロースは神話的(呪術的)思考を「知的なブリコラージュ」と見なし、これを、概念装置の整備された科学的思考に対置しています。すなわち、彼は科学と神話的(呪術的)思考を「認識の二様式」として捉えるのですが、いま引いた一節にあるように、美術がこれら「認識の二様式」のあいだに位置づけられるのは、レヴィ=ストロースによると、科学的思考が依拠する不変の関係態としての構造と、神話的呪術的思考が前提とする偶然的な物事(事物+出来事)との「精妙にバランスのとれた綜合」を美術が行うからです。彼は、その例としてフランソワ・クルーエという16世紀フランスの宮廷画家の《エリザベート・ドートリッシュの肖像》を挙げて、おおよそ次のようなことを述べています。シャルル9世王妃エリザベートのレースの襟飾は、その編み方において構造を体現しつつ、しかも、一過的な出来事性を――肖像はやや左寄り前方からの光を受けています――帯びているというのです。レヴィ=ストロースのパラディグム(範例関係)に沿って捉え返せば、この肖像画は、出来事という偶然の相を、構造の必然に基づいて描いているとい言い換えることもできます。 

「具体の科学」という文章は、いってみれば著者自身による「知のブリコラージュ」の実践といったおもむきがあり、それゆえ説明が込み入っていて分かりにくいところがあるのですが、ぼくなりにまとめていえば、以上のように説明することができるように思います。

絵画を神話的(呪術的)思考と科学的思考の中間に位置づけることで「認識のオブジェ」として捉える発想は、アレクサンダー・G・バウムガルテン以来の感性的認識をめぐる議論や、チャールズ・P・スノーの「二つの文化」論に、文化人類学の立場から新しい光を投げ掛けていて、とても興味深く思われます(科学論のエキスパートでもあるあなたへの書簡で「科学」に言及するのは何とも面はゆい!)。しかし、それ以上に興味をそそるのは、レヴィ=ストロースが、先に引いた自身のことばにかんして、「美術作品とはすべて構造と出来事の統合によって成り立つとするのははたして正しいか?」と自問し、神話的思考と科学的思考の中間に位置づけられるのは、西洋近代美術にすぎないと自答していることです。

 自分に対してこう答えたのち、彼は、美術を三つのジャンルに――西洋の美術、応用美術(工芸、工業美術、民芸)、そして神話的思考に対応する未開美術の三種に分けてみせるのですが、このいささか杓子定規な分類に先立つ節において、彼は、神話的思考の事例としてアウトサイダー・アートシュルレアリスムに言及しています。つまり、それらを、未開美術と同じくブリコラージュに拠るアートとみなしているわけですが、この見方は、アウトサイダー・アートシュルレアリスムにかぎらず、おしなべてアヴァンギャルド系現代美術に適用できるのではないかと、ぼくには思われます。たとえば、次のような幾つかの文章を読むとき、ぼくは、現代美術における制作手法やコンセプトワークの在り方を思い浮かべずにはいられないのです。以下、大橋訳によって当該箇所をブリコレbricolerしてみることにします。


ブリコルールbricoleur(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人のことをいう。ところで、神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。

器用人[ブリコルール]は多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。(中略)そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。

神話的思索の諸要素はつねに知覚と概念との中間に位置する。
 
神話的思考も類推と比較をかさねて作業をする。ただし、器用仕事[ブリコラージュ]の場合と同じように、その創作はつねに構成要素の新しい配列に帰する。つまり、材料の集合の中にあってもでき上がりの配置においても、その要素自体の性質はかわらない。(中略)同じ材料を使って行なうこのたゆまぬ再構成の作業の中では、前には目的であったものがつねにつぎには手段の役にまわされる(以下略)。
 
神話的思考の特性は、工作面での器用仕事[ブリコラージュ]と同様、構造体をつくるのに他の構造体を直接に用いるのではなくて、いろいろな出来事の残片や破片、英語でodds and ends、フランス語でdes bribes et des morceauxと呼ぶものを用いることである。(中略)神話的思考は器用人[ブリコルール]であって、出来事、いやむしろ出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げる(中略)。すなわち、所記が能記に、能記が所記にかわるのである。


思いつくままに例を挙げれば、たとえばヨーゼフ・ボイス――つい先頃、水戸芸術館で、1984年に来日した際の8日間にスポットを当てた展覧会が開かれて話題を呼んだボイスのしごとの多くは、まさにブリコラージュの手法を用いたオブジェです。また、ダイアナ妃が亡くなったパリのサルペトリエール病院のサン・ルイ教会堂に無数の椅子を高々と積み上げた川俣正の《椅子の回廊》は「そのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかする」手法で成り立っていました。カバコフやピーター・フィッシュリ+ダヴィッド・ヴァイスのインスタレーションも、高松次郎コンセプチュアル・アートも、あるいはアルテ・ポーヴェラやもの派にしても――それを神話的思考と結びつけて捉えるかどうかはともかく――すくなくとも「つねに構成要素の新しい配列に帰する」ブリコラージュの実践であったことは確かです。それから、『野生の思考』が書かれた数年後、1960年代の末に南仏で始まったシュポール/シュルファスの実験絵画も、絵画という「出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げる」という点で一種のブリコラージュと呼んで大過ないでしょう。

とまれ、ここに名を挙げた作者たちは、油彩やテンペラや膠彩、あるいは粘土や大理石や木材などにまつわるメティエに依存することなく、「ありあわせ」の事物の配列や在り方を変えるアレンジメントによって、あらたな構造を作り出すことを試みている点で器用人[ブリコルール]の名にあたいすると思われるのです。

以上を、那覇のホテルで、クリスマス・イヴの前日までに書いたのですが、イヴは沖縄県立芸術大学の知己の方々と院生諸君と南米料理で素敵な夜を過ごし、7年もののラム酒で沈没。翌日の朝早くに起きて、さて次節に取りかかろうとPCを立ち上げたところで、暴風雨のために飛行機が遅延しそうだという情報が入ったため、2 便ほど早い飛行機に乗ろうと、そそくさとホテルを後にしたのでした。事なく帰京することはできたものの、待ち構えていた仕事に忙殺され、ようやく今日になって、改めてこれを書き始めるための落ち着いた時間を得ることができました。今は大晦日の夜更けです。しんしんと冷える静かな夜で、除夜の鐘も未だ聞こえてきません。

ブリコラージュという手法は、アヴァンギャルド系現代美術にかかわる言説にも見出されます。その典型例が批評です。つねに現在への批判的コメントを求められる批評家は「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人」であらざるをえず、また、批評的言説は、それが、とりもなおさず状況へ向けての言語行為――現実に動きを作り出してゆく実践――だという点で「呪術的」であるということができるからです。

 研究分野に関していえば、カルチュラル・スタディーズが思い浮かびます。カルチュラル・スタディーズでは、新たな共同性への帰属意識を形成するガジェットを「ブリコラージュ」と呼んだりしますが、その研究手法自体が、レヴィ=ストロースの意味でのブリコラージュによって――つまり領域横断的に――成り立っていることは、よく知られているところです。

 カルチュラル・スタディーズばかりではありません。かつてジャック・デリダは、レヴィ=ストロースに言及しつつ、すべての言説は基本的にブリコラージュなのだと指摘したことがありますが、「学問」と称されるものも、つまるところ言説としてなり立つ以上、ブリコラージュ的在り方をまぬかれません。カルチュラル・スタディーズというのは、その最も明示的な事例にすぎないのです。美術史学も、芸術学も、つねにすでにそのような在り方を黙示つづけてきたということができます。ですからニュー・ヒストリーや、ニュー・アート・ヒストリーは、史学や美術史学が、みずからの成り立ちを際だったかたちであきらかにしてみせただけのことであり、べつだんどこにも新しいところなどないのです。そして、同様のことは、美術というジャンルを形成する伝統的な技法−材料――油彩画や膠彩画や彫塑のメティエについても指摘できるのにちがいありません。

 ぼくらが専攻に名を掲げた「表象」も、ブリコラージュ的といえます。あなたは、これまで、この言葉に明確な定義を与えることを避けてきたように、ぼくにはみえるのですが、そして、ぼくもまた、あなたと構えを同じくしてきたつもりなのですが、ぼくが、そうしたのは「表象」概念のブリコラージュ的な成り立ちと、ブリコレ的なはたらきとを大切にしたいと思ったからにほかなりません。representation という欧語を介してこの語が帯びる多義性――描写すること、再現すること、代表すること、上演すること、説明すること、想像すること…etc.――が、この語のブリコラージュ的在り方を端的に物語っています(ちなみにいえば、ジャン=リュック・ナンシーは、re-は反復の接頭辞ではなく、強意の接頭辞であり、したがってrepresentationは強められた現前化であるとさえいっています)。

 「表象」というブリコラージュ的な言葉で、ブリコラージュ的なアートを捉え返してゆくこと――ウロボロスの蛇のような、あるいは、遊園地のコーヒーカップに乗って、他のカップと撃ち合いを演ずるようなスリルに富んだ試みを、ぼくらは、大学という場で展開してゆこうとしている・・・・・そうですよね、杉田さん。

ドラスティックな変化が望めないからこそ「多少大げさな変化を想定し、しばらくのあいだそこであれこれと夢想してみるのも悪いことではない」というあなたの意見を、ぼくは、次のように捉え返したいと思います。現にあるこの世界とは異なるもうひとつの世界を――あるいは、その可能性の萌芽を――現にあるこの世界において見出し、それが、あたかも既に実現しているかの如くに敢えて振る舞うこと、つまり、めざされる世界を生きてみること。権力奪取によるドラスティックな全面的変革ではなく、さりとて単に夢見るにとどまるのでもなく、いまここで個々に変化への行動を起こすこと。こうした読み取り(曲解?)において、ぼくは、あなたの意見に同意したいと思います。

 一種の予示的政治[プレフィギュラティヴ・ポリティクス]ともいうべきこのような発想は、たとえばジョン・レノンとヨーコ・オノがヴェトナム戦争終末期に発したWAR IS OVERというメッセージや、「見たいと思う世界の変化に、あなた自身が成りなさい」というマハトマ・ガンディーの主張に通ずるところがあり、また見方によっては――あなたは眉をひそめるかもしれませんが――アドルノら西欧マルクス主義者たちにみられる「現代社会にひそむユートピアとしての潜勢力への固執」(マーティン・ジェイ)とも相通ずるところがあるように思うのですが、しかし、アドルノらの重苦しい哲学的伝統とも、植民地体制下のガンディーのカリスマ性とも、ジョン・レノンのスター性とも無縁な日本の美術大学というこの場所で、それを、どのようにして実現してゆくか?それは如何にして可能なのか?

 ぼくは、これを探るために、べつだん創見ともいえない現代美術=ブリコラージュ論を敢えて展開してみたのですが、工業社会においてホビーもしくは暇つぶしとみなされてきた器用仕事[ブリコラージュ]を、スター性やカリスマ性や近代的理性に拮抗しつつ、現にある世界を乗り越えてゆく手段としてまっとうに復権させるには、速度体制[ドロモクラシー]下の市場社会に組み込まれてしまった――あるいは、そうした市場社会を内に組み込んでしまった――芸術の社会的経済的政治的在り方に対する予示的政治[プレフィギュラティヴ・ポリティクス]の実践が――たとえば「贈与」にかんするそれが――必要条件となるであろうことは、まずまちがいないところだと思います。

公開往復書簡というのは、舞台上での囁きのような難しさがありますね。だから、あなたがとっくにご承知のはずの事柄を、ながながと解説するような書き方になってしまいました。どうかご諒解ください。

 こんどは、あなたに倣って、ささやきが、そのままささやきでありうるような素敵な手紙を書いてみたいものです。あるいは、速度体制[ドロモクラシー]を振り切る軽快な速度術[ドロモロジー]を以て単刀直入な手紙を差し上げるべきなのかもしれません。しかし、この拙文をざっと読み返してみて思うに、そのためには、なによりもまず、ぼく自身がガンディーの教えを実践する必要がありそうです。

 どうか、よいお年をお迎えください・・・・・と書いて時計をみると、もう2010年代に突入していました。この新しいディケイドも、どうかよろしくお付き合いください。 

 では、ちかいうちに、また大学で。


北澤 憲昭

往復書簡003:ギー・ドゥボール

北澤さん

大変遅い返信になってしまいました。お許しください。遅れた言い訳をあれこれ書き綴るのも無粋なので、海(つまりそれは海岸って言うこと?)に行っていたからかなあとでもしておきましょうか。

 さて、ぼくたちはいま芸術表象という新しい専攻のアイデンティティづくり、またその現実的運用に四苦八苦しているわけですが、実際にいろいろと動いてみると実感としてさまざまな思いが沸き起こってきました。今日はそんな想いを少し吐露させてもらおうかと思います。ぼくはこのところ、「実践的な言説」という言い回しに多少酔っているところがあって、いろいろ見失っているみたいです。従来からの枠組みが、まったく色褪せて見えているのはこうした自失の状態であるからに違いありません。ぼくたちは(すみません、ぼくはとするべきでしょうね)、結局、ドラスティックに何事かを変えるなどということは到底できるはずもないはずです。けれどもだとすれば、いやだからこそ、多少大げさな変化を想定し、しばらくのあいだそこであれこれと夢想してみるのも悪いことではないはずです。ドキッとされたかもしれません。言葉足らずでしたが、従来からの枠組みというとき、決してそれはストレートに美術史や美学、あるいは旧来からの表現形式における制作技術などを指しているわけではありません。そうしたカテゴリーを存在するものと決め込み、そこに問題を押し込めてしまうことは、ときに本質を見誤らせることにもなります。何が言いたいのかというと、そうした枠組みのなかにも、いろいろな魅力、可能性が秘められているはずなのに、それらを既定で不変なものとして扱うことによって、それまで以上に閉じた、硬直したものにしてしまうことはないかということを言いたいのです。つまり、既定の枠組みというのは、カテゴリーそのものではなく、個々のカテゴリーのなかでその事態とどう向き合っているかという向き合い方とでも言えばよいのでしょうか(少なくとも、だとすれば「枠組み」という表現は不適切ですね)。もちろん、いまさらなのです。ぼくがのんびりしているあいだに、すでにいろいろな人たちが指摘してきたことを、滑稽にもいまになって気づいたために声高にがなりたてているにすぎないのです。ギー・ドゥポールのスペクタル性は、いつのころから知性のなかにも蔓延し、観衆だけを拡大再生産してきました。アートにおいてもそれは同様だったのでしょう。けれどもぼくは、アートにかかわるというのは、むしろそういう状況にあっても、時に血を流して傷つき、よだれを流して軽蔑され、間の抜けた指摘をして無視されるということをし続けながら、プラスマイナス双方の評価を受け、そして責任を負う実践主体であるべきなのではないかと思うわけです。

 あーあ、何かまたしても酔いが嵩じてきたようです。いずれにしても、こうして北澤さんといろいろ議論しながら、これまでにない専攻のあり方を模索するという作業は楽しいものです。北澤さんがいつも口にはしないものの、アイコンタクトでぼくに与え続けている「情況をかき回せ!」という指令に、どれだけ、そしていつまで応え続けられるかはわかりません。けれども、少なくともいましばらく、その努力を怠らないようにしようと考えています。

多摩川にて、夜風に吹かれながら

杉田 敦

往復書簡002:東京から

季節の移りゆきは、都会にいても感じられます。先日、相模大野の居酒屋で口にした生ビールの金属臭に夏の終わりを直感しました。蝉たちの「死の舞踏(ダンス・マカーブル)」も山場を越え、アスファルトのうえに無残な亡骸をさらしています。秋のおとずれは、風にも雲にもあきらかです。庭には彼岸花も咲き始めました。
 あなたへの応答を、こんなふうに季節のことから書き始めたのは、妻有の「初秋の空」が、あなたに与えた感動の木霊にほかならないのですが、しかし、それにしても、なぜ、ぼくたちは、夏の終わりが秋の始まりでもあるという年々繰り返される当たり前のことに感慨を覚え、ときには新鮮な驚きさえ感じるのでしょうか。
 この感慨や驚きは、どうやら越境の意識にかかわっているようです。国境であれ、分水嶺であれ、大河であれ、年越しであれ、時代の変わり目であっても、境界を越えることは、しばしばスリリングな感覚を伴います。死後の四九日間が特別な期間とされるのも、生から死への越境にかかわる事柄です。こうした越境の感覚が季節の移り変わりにおいても、きっと、はたらいているのです。
 しかし、夏と秋の境界の見極めは、そう簡単ではありません。もう秋なのかという思いもつかのま、昨日のように真夏日が舞い戻ってきたりする。もう秋なのかという思いと、まだ夏なのかという思いのどこに境界を設ければよいのか。これは難しい問題です。死と生の境界も、脳死問題にみられるように一筋縄ではいきません。境界を線で表そうとすると、なかなかうまくいかない。曖昧な部分が残る。
 思うに、境界というのは――「四十九日」の例が端的に示しているように――線よりゾーン(地帯)として捉えるべきなのかもしれません。ゾーンというのは、いいかえれば境界が両義性によって成り立つということです。季節についていえば、「もう」と「まだ」という相反する二つの意味を含む両義性ですが、一般化すれば、境界設定の作業が、切断であると同時に結合でもあるということに由来する両義性です。境界を設けるということは、一体的に捉えられてきたものの一部を、何らかの相違点に着目して区分けすること、つまりは、一体的なものに亀裂を生じさせ、何か異なるものどうしの関係態として捉え返すことでもあるわけです。たとえば、夏の終わりに秋のはじめを見出し、あるいは秋のはじめに夏の終わりを見出すように。

境界の両義性は、ジャンルの境界についてもいえます。いまから20年前、ぼくは、美術と美術ならざるものの境界が、どのようにして形成されていったのかということについて、明治時代のこの国を舞台に一冊の本を書き上げました。『眼の神殿――「美術」受容史ノート』という本ですが、長らく売り切れ絶版状態だったこの本を、「決定版」のかたちに仕立て直して復刻しようという話がもちあがり、この夏は、ずっとそのしごとにかかりきりでした。あなたへの応答が、こんなにも遅くなったのは、ぼくの筆無精のせいばかりではなく、じつは、この仕事の追い込みの時期にあたっていたせいでもあるのです。
 ところで、20年前に、この本を書きながら、ぼくが、繰り返し思ったのは、ゾーンであるはずの境界を、一本の線に還元してしまおうとする言葉の暴力性でした。この思いは、20年後のいまも何ら変わりありません。
 批評critiqueが、語源的に「分離」を意味するということは、ほんらい批評が境界を設けるしごとであることを示しています。これは、世間一般の常識にもかなっています。一般に批評家の役割は、作品の善し悪しを弁別し、悪しき作品をしりぞけることにあると考えられているからです。しかも、善し悪しの境界は、しばしば一本の線として表象されがちです。ところが、実際のところ、批評的判定は曖昧なグレー・ゾーンを残すものであり、したがって、単純に無価値なものを切り捨てるということもありえないのではないか。つまり、批評は、切断と結合の双方にかかわる複雑な作業として行われるべきなのではないか。こういう発想を、ぼくは『眼の神殿』以来もちつづけてきたのです。
 もちろん、批評は作品の善し悪しにかかずらうのみではありません。作品の解釈や、作品を生み出す時代状況、歴史的コンテキスト、さらには作品のコンセプトに関しても弁別的な思考を展開します。そして、このような弁別において、批評は、切断するだけではなく、あらためて関係をつくりだす(見出す)という、みずからの在り方を明瞭に示してみせるのではないでしょうか。
 あなたは、越後妻有トリエンナーレのようすを伝える前便のくだりで、アントニー・ゴームリーと塩田千春が、それぞれ、古民家の内部に蜘蛛の巣のように線材をはりめぐらすしごとをしていることにふれながら、「僕は片方の印象が残っているうちに、もうひとつも見ることができるように巡りました」と書いています。これについて、あなたは「ひねくれた態度」と、ちょっと自嘲めかして書いているのですが、ゴームリーと塩田のインスタレーションのあいだに関係の糸を張り巡らせるあなたの行動に、ぼくは批評における結合と切断の微妙な関係を、そして、批評家としてのスリリングで上質なセンスを感じ取ります。妻有の「特殊な環境」を敢えて忘れることから、今回のトリエンナーレに参加したというスタンスにも、同様の批評センスが感じられます。「方法としての忘却」ともいうべき、このようなアプローチは、切断によって新たな結合を作り出そうとする企てであると思われるからです。

今日は衆議院総選挙の当日です。国民が、自分たちを代表する政治家を選ぶ代議制民主主義representative democracyの山場です。この復信が、あなたの眼にふれるころには、すでに開票が終わっているはずですが、その結果がどうあれ、こういう場面にさえも「表象」representationという言葉が潜んでいることに、ぼくは興味を引かれずにはいられません。representationの翻訳語である「表象」は、原語を介して、ぼくらの関心を芸術の外部へと差し向けずにはおかないのです。
 美術から政治にまでかかわる幅広い意味をもつこの言葉は、従来、「芸術」や「美術」という言葉で括られてきた事象を、その境界ゾーンから捉え返すうえで、とても重要なはたらきをします。ということは、つまり「表象」という言葉が批評性を含んでいるということにほかなりません。「表象」のこうしたはたらきを、批評家としての互いの経験に基づいて――スタイルや発想の違いを踏まえつつ――ゆっくりと焙り出してゆくようなやりとりができるならば、この往復書簡は、「芸術表象専攻」の今後にとって、きっと意義深いものになるだろうと思います。
 来月5日の早朝に、ハイウェイを北西に進路をとって、一路、妻有へ向かいます。都市から山村へと、逃げ水のような境界を越えて。
 現地でお会いできるのを楽しみにしています。(8月30日)
北澤 憲昭

往復書簡001:越後妻有から

僕はいま、越後妻有に滞在しています。浦田地区という妻有のなかでも豪雪地帯に建つ空き家を改修して、展示とディスカッションなどを行う“critics coast (批評家の海岸)”というプロジェクトを行うためです。今年は、梅雨が長引いたこともあり、7月末からずっと雨が続き、束の間、晴れたていたと思ったら、もうどことなく風は秋の冷たさをしのばせています。
 さて、僕たちは来年度から芸術表象という新しいコースを始めるわけですが、これまで日本の美大教育のなかでもユニークな試みではあるものの、それを上手に伝えることは非常に難しく、そのためこうして往復書簡的なものを行おうということになったわけです。おそらく、役割としては、暴走気味の僕を北澤さんが上手にたしなめつつ、僕たちの共有するものの姿を明確化していくということではないかと思います。ただ、とは言っても漠然とした話や、あからさまな宣伝をしていても意味はないので、そのつどタイムリーな話題に触れながら、話を進めていけたらと思っています。
 ということで、まずは僕がいまいる場所について話をしていこうと思います。越後妻有アートトリエンナーレ大地の芸術祭は今年で4回目を迎えます。国内の国際展の中では成功例の筆頭でもあり、何よりもその形態のユニークさは他に類をみないものです。芸術表象で授業を担当していただく北川フラムさんのディレクションによるものですが、今回それに参加させていただくにあたり、僕は少しひねくれた態度をとることにしました。越後妻有というと、どうしてもその特殊な環境がまず念頭に浮かびます。世界的にも珍しい豪雪地帯であること、厳しい環境を利用して生まれた棚田という造形美、隔絶された地域に生まれた独特の風習、文化、……。そして、不幸にしてその地を襲った大地震。こうしたそれぞれの要素は、その地に住む人にとってはまさにリアルな事柄で、これまで参加するアーティストは、まず、そうしたものに対する理解を深めるところからスタートしてきました。しかし今回、僕はあえてそのことを忘れるところからスタートできないかと考えたのです。「考えたのです」といっても、しっかりと明確なものがあるわけではありません。ということもあり、期間中、毎週土曜日夕方、空き家の庭に作ったウッドデッキでディスカッションを行うことにしました。このプロジェクトにおけるこうした姿勢は、僕が芸術表象について抱いている考えともきっと大きくは矛盾しないはずです。けれども、話はあえて乱暴に飛んでいきます。今回の参加アーティストの目玉として、アントニー・ゴームリーさんと塩田千春さんがいます。どちらも古民家の中に蜘蛛の巣的な糸状のものが張り巡らされています。僕は片方の印象が残っているうちに、もうひとつも見ることができるように巡りました。そのときの印象も、今回のひねくれた態度を説明してくれそうです。

さて、酷いことに僕の第1回目はここで唐突に終わってしまいます。このままこの話題にお付き合いいただいても結構ですし、何事もなかったかのように、北澤さんの韓国でのお話に移られてもかまいません。妻有の初秋の空と光は涙が出るほどきれいです。本当に泣いちゃいますよ。

杉田 敦