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淀川長治

(映画)
よどがわながはる

映画評論家

故人。

1909年生まれ。兵庫県出身。

「映像の世紀」と言われる20世紀を映画と共に歩み、映画の魅力を多くの人々に伝え続けた名評論家である。

神戸市で芸者置き屋を営む両親のもとに生まれた長治は、旧制中学を卒業後、1928年に映画雑誌「映画世界」を発行する映画世界社に入社。

1932年にはユナイテッド・アーチスツ日本支社宣伝部に勤務する*1

その後は東宝宣伝部を経て、戦後となった1948年、「映画之友」編集長を務める。またこの年、「東京映画友の会」を主宰。永六輔和田誠といった著名人も大勢参加するようになり、「淀川学校」の異名を取るほど大きく成長した。ちなみに、淀川氏が亡くなられた現在でもその活動は続いている。

のちにフリーとなり、TV、ラジオ、雑誌連載などの文筆活動などを行う。

中でも、1966年から始まるテレビ朝日系長寿番組「日曜洋画劇場」の解説者として、番組開始から死の前日までの32年の間、独特の語り口でファンを魅了し続けた。特に「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」という独特のフレーズは、タレントや子供たちにも真似をされ、一躍お茶の間の人気者となった。

一生涯独身を貫いたが、それは「結婚をしていないと映画の中の男の気持ち、女の気持ちの両方がわかる」という、映画が本当に好きであることからの選択であったと言われている*2

1998年11月11日午後8時7分、腹部大動脈瘤破裂が原因による心不全で死去。享年89歳。*3

「名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である」などの言葉を残している。

1986年、第4回川喜多賞受賞。

著書・関連書籍など

*1:この時、神戸に立ち寄ったチャップリンに会い、インタビューを行う。

*2:著書によって原因は異なるので、その真偽は不明である。

*3:親友であった黒澤明が亡くなった、およそ2ヶ月後のことであった。

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