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RCaO1.0

2010-01-09

思いつきの備忘録

マンフレッド・タフーリの『ベネチア・・』が方法論的にアナール派に近いものとすると、世界システム論に親近性を持っているのはあながち不自然ではない。アンドリュー・リーチは、タフーリ初期の『建築の理論と歴史』はマルクス主義イデオロギー)批評から多くを借り受けている、としていた。マルクス主義批評から世界システム論へというのは、20世紀後半の典型的な軌跡の一つと言えるのではないか。リーチによればさらに、少年時代のタフーリはサルトルに影響されており、同じくリーチはサルトルの思想を第二次世界大戦の影が落ちたものとして位置付けていた。ジジェクもサルトルを「アキレスと亀」の比喩を用いながら1950年代の思想として位置付けていた。

ブローデルウォーラーステインやサッセンを初めて読んだ時は興奮したものだ。Generic City論というのも、The Global City論から派生してきているふしがある。


こちらと、こちらこちらこちらこちらに関連して。

2010-01-03

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2010-01-01

エドマンド・バークフランス革命についての省察I, II』水田洋+水田珠江訳、中公クラシックス2002-2003


古典です。文体は韜晦ですが原著の文体も韜晦なので、それが当然だろうと思います。原著が韜晦である場合、訳を読み易くしてしまうのは本書のような古典では原著にやはり失礼ではないか、と思うからです。同じ著者の『美と崇高・・』は読み易かった印象があるので、この韜晦な文体にはやはり意味があるのでしょう。原題はThe Reflections・・なので本当は「諸省察」とでもした方がいいのかもしれません。様々な側面から並列的にフランス革命について批判がくわえられていきます。

さて著者エドマンド・バークの『美と崇高・・』はイマニュエル・カントの『美と崇高・・』に影響を与えた本で、それが同じくカントの第三批判に繋がっていっていたのではないかと思います。この点では近代美学はバークに始まると言えるのではないか、とさえ思えてきます。そのバークの美学は本書に示される彼の考えと、やはり不可分のものではないのか、という気がしなくもありません。

著者は「保守主義者」と目されることが多いのですが、本人が本書において自らをそう規定したり呼んだりしている箇所はありません。当時のホイッグの思想家ではチャールズ・ジェームズ・フォックスがフランス革命に同調的で「リベラル」と目されますが、バークは「リベラル」にも「放縦(license)」にも価値を見出さず、しいて言えば「liberty(自由)」に価値を見出しています。フォックスとバークのこの相違は、バークはアイルランド人ゆえその立場が弱かったからである、という説明がなされることがあります。K.シドニー・ロビンソンが述べるように「フランス革命の暴力的平均化にもはや耐え切れなくなったエドマンド・バークは、社会的・政治的複合蓄積をシステム的に破壊するというまさにその点で、抽象的な政治理念を攻撃した。長年の友人であり、議会での同僚だったチャールズ・ジェームズ・フォックスから、この攻撃は彼を隔てることになる。フォックスはフランス革命を支持していたからである。それも臆病な英国人たちが何の手立ても防衛もしなかったときの話ではなく、ずっとたってからもそうだった。ホイッグの二人の政治家のあいだのこの鋭い違いは、混合(mixture)に対する異なるスケールでの彼らの支持に帰されるかもしれない。フォックスはより幅広く、より確信に満ちたスケールで、一方でホイッグの高官のなかでは新参者だったバークは、より狭く、よりびくびくしたスケールで混合(mixture)を支持していたというわけである。個別の現実の出来事がはっきりとした計画なしに蓄積していくというバークの考えは、ピクチャレスクな構成の理念に並行しているように見え得る」「フォックスの確信はシステム的な冷淡へと容易に転化していくものだが、バークのものは、必要でなければいかなる連続性をもたえず断ち切っていけるものだった。フォックスは個人的なレベルではいい友人である。しかし抽象原理へのそうした小スケールでの結合を、バークは喜んで犠牲にできたことを認めるなら、この対極的相違が見えてくるはずである」という、二人の相違がそこにあるかもしれません。

ところで本書の冒頭では、イギリスにおける二つの組織のうち保守的な「憲法協会」をほとんどとるに足らないものと看做し、他方における「革命協会」にバークは批判をくわえています。バークは「革命」を否定するわけではありません。バークにとってフランス革命とは言ってみれば「子供のどんちゃん騒ぎ」にすぎず、イギリス革命(1688年革命)こそが真の大人の革命であった、という彼の考えが冒頭において明確に示されています。

バークの思想については色々なところで論じられているのでここではあまり述べず、美学的な視点からいくつか備忘録的に抜書きを。

「人間の本性はこみ入っているし、社会のものごとは、可能なかぎり最大の複雑さもっている。だから、権力の単純な配置や方向づけは、どんなものでも、人間の本質にも人間の関係することがらの性質にも適合しえない。あるあたらしい政治制度において、装置の単純さがめざされ、ほこられるのをきくとき、私はただちに、その製作者たちが、自分のしごとについてまったく無知であるか、自分の義務についてまったく怠慢であるのだときめてしまう。単純な政府は、いくらよくいうとしても、根本的に欠陥がある。社会をただひとつの観点からながめようとするなら、これらすべての単純な政治様式は、かぎりなく魅力的である。じっさいに、それらのおのおのは、もっと複雑なものがそのすべての複雑な目的を達成するよりも、はるかに完全に、その単純な目的にこたえるのである。しかしながら、全体が不完全に不規則にこたえられるほうが、若干の部分はひじょうに正確に充足されながら、他の諸部分はまったく無視されるかもしれないよりも、あるいは、重視された部分への過多な配慮のために、他の諸部分が実質的に害をうけるよりも、いいのである」(I-112頁)。

「フランスの建築家(ここでいう建築家は国家建築家(State Architectsのことか、引用者)たちは、かれが見出したものはなんでも、たんなる屑としてはきすててしまい、そして装飾専門の庭師のように、あらゆるものを正確に水平にしたうえで、地方と全国の立法部全体を、三つの異なった種類の基礎にもとづかせることを提案する。三種類とは、ひとつは幾何学的、ひとつは算術的、第三は財政的なものであり、その第一をかれらは領土の基礎とよび、第二を人口の基礎、第三を納税の基礎とよぶ。これらの目的の第一のものを達成するために、かれらは、その国を83の、18リーグ平方の正方形に分割した)(II-60頁)。


2009-12-31

「アブストラクト・シュルレアリスム

パリにおいて絵画と建築が最も接近した1925年頃、レジェやオザンファン、そしてル・コルビュジエ自身の絵画は、形や色彩が複雑で多様なものへと回帰することですでに温和なものとなり始めていた。しかしながらまさに1920年代中期において、カンディンスキーとクレーの作品を除くほとんどの抽象芸術が根拠としていた合理主義的前提を、文学を主としたシュルレアリスムの新しい諸理論が截然と拒絶したのだった。のちに有名となるシュルレアリスムの一派はフロイト的な「夢絵画」という名においてかつての具象絵画の技術を、すぐさまそして十全に精密化することで復活させた。こうした絵画は建築家にとっては直接的絵画表現という点で19世紀芸術以上に語ることはない。だが純粋に機械的で行動主義的観点から20世紀の普遍的芸術統合を見ていた全ての者たちには、これは大きな衝撃を与えた。

建築家にとってより重要なものは「アブストラクト・シュルレアリスム」と呼ばれるものだった。アルプとミロの作品では自由曲線が直截な表象こそないものの自然な有機体を示しており、これがフランス・ピュリスム風あるいはオランダまたはドイツ抽象芸術風の、簡潔な幾何学曲線群や直線群に取って代わっている。こうした作品にある多様性の評価は1930年代のモダンな建築において機械のような謹厳さを緩和するのに重要な役割を疑いなく演じた。この関係は1920年代初頭の絵画と建築のあいだにあったものほど直接的ではないが、しかしフィンランドのアールトの作品や、ブラジルの一群のモダンな建築家の平面に特徴的な自由でなおかつ非・機械的な曲線はこの種の抽象芸術と確かに関係していた。画家の(ロベルト)ブーレ=マルクスによる庭園デザインはブラジルにおける最良の新しい建物のほとんどに効果的にしっくりしており、そしてもちろんアルプのレリーフやミロの絵画のように「心理的」というわけではない。これらはしかしながら、18世紀におけるプッサンやクロードの古典的風景画と英国庭園の関係のように、非・機械的絵画を庭園へと直接的に翻案しているようにも見える。

アメリカではいまや店舗やレストランやインテリアにおいて、アルプやミロの自由曲線は概してモダンな建築の謹厳さを軽減するために広く用いられている。(遅れて誤用されていると、実際考える向きもあろう)。だが彼らの芸術には、モダンな建築家たちが徐々に理解してきた深い理論的正当性もまたあるのである。

ちょうど1920年代初頭の抽象芸術が自然を排除したように、初期モダン建築は自然からの人間の自立を強調したように見える。自然はもちろん、すぐさま報復した。この時代の絵画が額縁に入れられ、ガラスを嵌められ、純粋数学形態によるプラトン主義的宇宙の自律性のビジョンをいまだ現前している一方、1920年代において白や原色の抽象面でデザインされたモダンな建築の漆喰塗の表面は、ひびが入り、退色が始まると、その視覚効果が基礎を置いていた数学的正確さをすぐさま失っていった。アルプによるいくつかのレリーフでの自然素材の利用や、ミロの絵画に特徴的な明らかに偶然につけられたしみや背景の斑点の利用は、表面素材へのまた異なるアプローチをモダンな建築家に示すのに寄与してきた。

ライトはその精神形成を19世紀に行った者だが、建物はつねに風景のなかにあり、時間と気候の自然現象に身を委ねていることにいつも自覚的だった。それゆえ建築素材はその有機的生命を自然界に持ち、単なる色彩の抽象分野として扱われるべきでないことを、彼は知悉していた。その作品が時間のなかで優雅に成熟するものとすれば、建築家はこの有機的生命を理解し、尊重しなければならない。もともとの表面の完璧さが崩れると悲観されるように見えるかもしれないモダンな建築は、かくして時間とともに備わる風格を獲得し、みすぼらしくはならないことをむしろ希望できる。

他の画家たちはこう叫ぶ。「表面を大事にせよ。そうすれば全てを保てる」。だが建築においては表面におけるモンドリアン風の性質は、何度塗りなおされようとも視覚的に保てるものではなかろう。塗装の繰り返しによる皮膜はエッジを曖昧にし、表面をでこぼこにしてしまうからである。それゆえ塗料自体は単なる色彩の層ではなく、素材と見做されねばならない。

建築における多様な肌理をもった素材の使用への回帰、表面における視覚上の真正さを失うことなく風雪に耐え得る素材への回帰は、近代的な写真家たちが行っていた肌理の抽象性の探求に疑いなく負っている。様式上の形態を直写しようとはせずに、あるいは大スケールでの抽象性の効果を模倣しようとさえせずに、素材の特定の質を注視しながら過去の建築を再・吟味するという今日ますます大きくなりつつある傾向は、表面その他を処理するのに手作りと機械処理の職人術に独特な質を、建築家が調整するのに役立っている。事実、「流線型」デザイン派の工業デザイナーたちに偏愛されている機械仕上げの精確さとは、確からしい技術による製品全てに当てはまるものではなく、ほんの一側面に過ぎないことが徐々に認識され始めている。それはこうした仕上げを簡単にもたらす特定の道具や方法の結果にすぎず、こうした道具や方法はモダンな工業デザイン技術の数あるもののほんの一部分であるにすぎない。より洗練された機能主義はそれゆえ、かつての理論家による工業的な機械美学をすでに大幅に改めてきているのである。」


アルフレッド・バー『絵画から建築へ』(部分/拙訳)

2009-12-30

“No Man's Land”というのはもともと戦争用語で、友軍の前線と相手の前線のあいだにできる空白地帯のことを指していたのではなかったか。第一次大戦に関する文献ではこれは頻出する。

http://en.wikipedia.org/wiki/No_Man’s_Land

必ずしもこの意味で用いなければならないというわけではないのかもしれないが。


ところで少し前に防衛省/自衛隊を見学させていただいたのだが、迷彩服を着た女性隊員が多かったのにはいささか驚いた。アマゾン(a-mazon)とは文字通りには「乳房のない」という意味だそうだ。MazonとMaisonは何か関係があるのだろうか。


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2009-12-22

下のPVを見ていて。

車なしの道路とか道路なしの車は基本的に無いことを考えれば、土建産業と自動車産業は持ちつ持たれつの部分があります。

こちらでも書きましたが、ニューヨークやパリのように街路を歩いて楽しいと思える(こういう都市をpedestrian cityという)ことは、東京の歩道の場合、まぁあまり無いと思います。「歩行者産業」がないからでしょうか。

さて、バイク(自転車)は、交通の道具として曖昧にされているように見えます。日本の都市には起伏に富んだ都市も多く、ハイブリッド電動自転車にあった都市というのもあるかもしれません。ついでに言えば1980年代以降、路面電車は廃止の傾向にありましたが、近年はLRT(Light Rail Transit)も着目されつつあります。

いっそパナソニックあたりが何かそういう製品を開発し、どこかの地方都市を買収してモデル都市でも造れば、面白いのでは。

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2009-12-21

渡部英彦氏の東京女子医大日本心臓血圧研究所研究棟を拝見する。学習院の方は創立百周年記念館で、こちらは校門に位置して大学の看板的施設。業界用語でいう「エース登場」というやつか。


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シビルエンジニアリングを取り入れたデザインは1960年代の建築にしばしば見られるが、実際に目の前にすると迫力がある。以前お聞きしたお話では本体を空中に浮かすのに片側2点ピン接合、反対側をローラーによる伸縮吸収機構という不静定構造で当初計画していたが、結局静定構造にしたということだったように思う。その結構点をぎりぎりにまでよせ、そこからテーパーをかけているので緊張感がある。この構造で得られた地上部分はエントランスおよび駐車スペースとして使われている。


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「橋脚」部分。エアコン室外機はもちろん後に付けられたのだろう。よりによってこんなところに付けなくてもと思うのだが、それを差し引いても見応えがある。


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長軸方向から見る。力学的かつ記念的な現場打コンクリートの扱い。


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下に入って見る。ガーダー(大梁)部分はRC打放しで他は目地をとって吹付けタイル仕上げ。ガーダーのハンチはアールをとってそれをデザインにしている。これはテーパーの微妙な角度と相俟ってよく効いている。


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エントランス部分。中に入ることはできなかったが階段のデザインは見える。サッシやドアは竣工時のものがそのまま使われていた。当時としてはまだ珍しかったであろうアルミのサッシだが、その後に規格化されていったものに比べると、見付寸法やプロポーションが格段にいい。


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後ろにまわったところ。逆光で空中のボリューム感が把握できる。ジャン・プルーヴェを彷彿させるキレのあるデザイン。うまい。


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地下パーキングへの入口。自動車の回転半径をそのままデザインに用い、RCの洗い出し仕上げで重量感を強調。

2009-12-19

渡部英彦氏の学習院創立百周年記念会館(1978)を拝見する。


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ファサードは校門から回り込んだところにあり、椎の大木がこの南面の日射制御用に植栽され、その影をファサードに落としているのは特徴的である。川崎清の栃木県立美術館でのアプローチやすずかけの扱いが思い出される。

躯体は現場打ちコンクリート、外皮はPCコンクリートで造られているが、ルイ・カーンの建築をはじめ、この構法はこの時代の建築にしばしば見られる。マリオンとルーバーを兼ねたPC部材の構成が独特の表情を与える。


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入口を入っての受付。堅木によるカウンター甲板の断面が特徴的。入口から90度まわって見えるホワイエはゆるく2段持ち上げられ、またプロセニアウムのように切り取られることで劇場への期待感を持たされる。ホワイエとの相違を強調するため、天井高は低く抑えられている。レッドカーペット。天井はそれに対応するようにうすい赤紫。


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ホワイエ。鈍角、ニッチ、スリット、ギャラリー、バルコニーによる構成。鈍角はまた階上の小ホールの輪郭をそのままモチーフとして用いたもので、この部分に人溜りが出来易くするもの。


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階段室ピクチュアウィンドウ。


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2階ラウンジ。いわずと知れたイームズ・シェルチェア。


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2階ギャラリー形式のホワイエ。鈍角フォールディング。


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ホワイエ見下ろし。WCH(double ceiling height)。


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階段室。平面形は鋭角を用いている。アルバーロ・シザのポルト大学建築学部を思い出す。手摺笠木は視覚的な締めだけでなく堅木SOP塗装とすることで、同じ白でもコンクリート部分と微妙に質感が異なるものとなっている。そこからデタッチして同じく堅木UC塗装の45φハンドレールが木の質感を与える。


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ファサードを南面させそこにスリットをとることで、日中は自然光が日時計のように動いていく。

2009-12-17

小林美香『写真を〈読む〉視点』、青弓社、2005


「あたし関西系なんです」と言って、いきなり大阪弁で語り出す写真研究者の小林美香氏の著作。劈頭では写真史の論じ方がひととおり述べられ、また技術史でも表現史でも用法史でも写真家列伝でもなく、写真の見方見せ方の条件を「読む」視点を示すこと、あるいはそのような写真史を描くことが本書の主題であると、まず述べられる。このあたりはもちろん建築史にも、美術史にも通底する。

その写真を「読む」フレームとして提出されるのは、子供、性、広告/ジェンダー、戦争、紙面、美術館、現代美術・・とこう書くと最近の定番メニューが揃っているようにも、見えなくもないのかもしれない。個人的な印象のいくつか。

子供・・というと、フィリップ・アリエスの古典的著作『子供の誕生』があり、また古典的マルクス主義の視点からであれば、19世紀におけるブルジョワ家族の形成と家族写真や子供の写真について、正面から論じたかもしれない。ここでは19世紀における家族写真(やおそらく家族の変容)とダゲレオタイプやカルト・ド・ヴィジットの関係、および20世紀プロパガンダにおける子供の扱われ方とフォトジャーナリズムやドキュメンタリーの関係が、述べられていく。

さて、広告を「読む」ことはロラン・バルトの1957年の『神話作用』以降、1990年代のジャン・ボードリヤールの一連の著作を経て今日にいたるまで繰り返されてきたし、また避けて通れないものであるかもしれない。近年ではジェンダー論がこれに重ねられる。商品や消費や広告はジェンダーという観点から見れば、もちろん中立ではない。アメリカの若い建築史研究者の書いたペーパーに、19世紀ビクトリア時代における住宅の変容と生産(労働)と消費の関係をジェンダーの観点から論じたものが何年か前にあったが、こうした視点は住宅史や都市史においてもまだ論が尽くされていないと思われる。ところで本書107頁では(広告写真の)モデルの身体の断片化や「もの」化が論じられているが、古典的マルクス主義であれば、これらは疎外化(alienation)、物象化(reification)、商品化(commodification)といった鍵概念の議論に相応するだろう。

戦争とプロパガンダの問題というと、映画についてのポール・ヴィリリオの一連の著作が思い出される。ここでは写真に焦点をあて、ロバート・キャパの『LIFE』での写真に始まり、ハーバート・バイヤー+エドワード・スタイケンによるMOMAの展覧会『勝利への道』までをあげながら、戦場ジャーナリズムと小型カメラの発明の関係からもっぱら述べられている。

紙面・・では、パソコンのモニター上の「画像」と写真集(ポートフォリオ)という紙媒体上の写真の相違から論が起こされる。写真集では余白やサイズ、紙面構成、シークエンス、テクストが介在する。これらについて、ハリー・キャラハン、ラルフ・ギブソンウィリアム・クラインユージン・スミスという4人の写真家の作品集において、それぞれ分析されていく。「紙面での写真の構成方法の違いは、見開きや余白という印刷物に備わる要素の扱い方に結び付くものであると同時に、読者が本を手に取ってページを繰りながら写真を見たり文章を読みとったりするという身体的な行為にも結び付いている」(163-164頁)といったことは、今後ますます増えていく「画像」との基本的な相違のひとつであろう。

本書の後ろ近くで述べられるヴィンテージ写真をはじめとした美術館写真の議論は、他の分野でも述べられてきた美術館やギャラリーの議論とも、もちろん通底している。

ソシュールの謂いを転倒させて「言語学記号学の基礎である」とかつて述べたのはロラン・バルトで、視覚と(言語の介在する)視覚性を分けたのはラカン派であったように思う。ついでに述べると、写真についてはベンヤミンのような先行者もいる。今日の視覚をめぐる議論の一端はこうした議論の延長上にあると思われる。つまり本書のタイトルにもあるように、写真の分析は「見る」ことではなく「読む」ことにあろう。冒頭でも示唆させていただいたが、これらフレームは建築史(や美術史)とももちろん共通している。


よろしければこちらこちらこちらこちらこちらも、どうぞ。


写真を“読む”視点 (写真叢書)

写真を“読む”視点 (写真叢書)

2009-12-16

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どちらも道路法でいう「道路」。道路の維持管理にはまぁコストが伴なうということか。

上の写真でブルーシートが掛けられているのは、崖崩れによるガードレールの滑落部分への対応。道路の右側は土砂崩れによる路肩の埋没。

下の写真はガードレールの同じく崖崩れによる滑落。