日々の泡。

popholic diary

2025年5月31日~6月6日の話。

2025/5/31

8時起床。食パンを切らしていたので今日はご飯とみそ汁(インスタント)に炒り卵、レンジでチンするだけの焼き鮭の和朝食。たまにはいいね。朝から妻と妻の実家へ。耐震の為のリフォームすべく業者と打ち合わせとのことで同席する。古い平屋でそういえば20年ぐらい前に今は亡き義父といっしょに床板の張替えしたな。で妻はそのまま居残り諸々お手伝いなので一人ぶらぶらと駅前のスーパーに寄ってコロッケ買う。以前近所の商店街にあった店は残念ながら2年ほど前に閉店。そこだと注文してからおばちゃんが揚げてくれたので揚げたてを食べられたのだが。5個300円。今でも十分安いが前は200円で5個買えた。のんびり京阪石坂線に揺られ帰宅。インスタントラーメンと買ってきたコロッケの昼食。

今日は映画館にはいかず家で。アマプラで映画を一本。未見だったイ・チャンドン監督97年のデビュー作「グリーン・フィッシュ」を観る。兵役を終えたばかりのマクトン。帰省途中、汽車の中でチンピラに絡まれていた女性を助ける。彼女は組織のボス・テゴンの情婦エミ。再会した彼女の紹介でマクトンは組織の一員となるのだが…。生きる目的もなくただ刹那的に生きるマクトン。鬱々としてまるで出口のない生活の中でマクソンはゆっくりと落ちていく。それはエミもテゴンも同じだった。やるせなく果てしない諦観がマクトンを支配していく。「ペパーミントキャンディー」「オアシス」「シークレットサンシャイン」「ポエトリー」…とイ・チャンドン監督作はどれもどうしようもないやるせなさとそこに差し込む一筋の光が美しく心に残る名作ばかりだ。このデビュー作は粗さもありながらもやはりイ・チャンドンらしい眼差しがある。あと思ったのが初期北野映画との共通点だ。まさにそのやるせなさや突発的な暴力。どこか冷めていて自ら落ちていくような登場人物たち。音楽の入り方なども初期作、特に「その男、凶暴につき」を想起した。

おやつにドーナツとコーヒー。合うなー。ナイスコーヒー。最高の組み合わせ。部屋で日記を仕上げる。

TVで「博士ちゃん」サグラダ・ファミリアスペシャル。素晴らしい映像に釘付け。行ってみたいな。

2025/6/1

8時起床。今日はイベント仕事。家から車で15分ほどの場所なのでちょっとのんびり。10時集合で片付け終わって16時30分終了。ランチあんぱん一つだったので、施設内にあるバーガーキングでBBQワッパーJr。

しかしきつい仕事ってわけでもないのだけど外で一日動き回ってると夜には疲れがどっと来る。10時過ぎには寝る。

2025/6/2

昼休みの読書。瀧島祐介著「獄中で聴いたイエスタデイ」読了。1980年、コンサートのため来日したポール・マッカートニー大麻所持で逮捕。警視庁の留置所に収監されたポール。そのポールと時を同じくして留置所にいたのはフィリピン・マニラの拳銃密輸事件にからみ仲間一人を射殺、殺人罪ですでに逮捕されていた瀧島祐介だった。運動場で顔を合わせ、同じく収監されていた英語が堪能な政治犯を通訳に会話を交わす。そしてある夜、房の壁ごしに瀧島はこう叫ぶ「ポール ! イエスタデイ、プリーズ ! 」と。するとしばしの沈黙の後、指でカウントをとりおもむろにポールは「イエスタディ」を歌い始めるのだった。留置所にいた皆は大歓声。監視員も注意することも忘れ聴き入る。結果ポールは4曲をアカペラで歌ったのだった。そんな奇跡的な邂逅の後、瀧島は20年以上に及ぶ刑務所生活を経て出所。一度は極道に戻った瀧島だが、ポールにもう一度会いたい、「イエスタディ」をもう一度聞きたいという想いで足を洗い更生の道へ。そしてカタギになった瀧島のポールとの再会大作戦が始まるというノンフィクション。何が面白いってポールの略歴とともに瀧島の生い立ちから極道の道へ、そして拳銃密輸に絡んでの殺人、その詳細が語られる。殺人に至る心情からその手口までもがあまりに詳細に語られるもんだから恐れ入る。そして刑務所生活の描写がまた面白い。暴れたあげくに手足を縛られ独居房に放り込まれるところなどは経験者にしか書けないリアリティ。出所してからの難しさ、結局ヤクザに戻るしかない実情。そこから引退しカタギになる際の苦労。それに手を差し伸べるのが彼を取り調べたマル暴の刑事ってのもなんか人情ドラマ感がある。そしてポールに再会すべく、友人やポールファンの手引きでコンサート会場やホテルで出待ちする一連のミッション遂行の一部始終など。NETFLIXピエール瀧主演でドラマ化できそう。面白かった。

夜、「続・続・最後から二番目の恋」リアタイ。今日も素晴らしかったなー。「ダンスには間に合う」に絡めたくだりにグッとくる。自分も50半ば。サラリーマンとしての限界ももうとっくに見えている。それなりに出世もしたが本来自分がやりたかったことができているかと言われると…。組織の一員として向いてない仕事をこなし心を涸らしていく。果たして俺はダンスに間に合うのかなと思う。

YouTubeにUPされた小泉今日子中井貴一が歌う「ダンスには間に合う」MVも良き。キョンキョンを観ていると歳を重ねていくことも悪くないなと思える。

2025/6/4

TVerで「対岸の家事」最終回。人は人とのかかわりの中で人になっていくのだな。親、家族、友達etc。どれもがいい関係という訳ではない。親子であっても時には反発し合い、憎み合い、分かり合えない。でもその関係もまた動いていく。人は孤独なものだけど、やっぱり一人で生きていくのは辛い。特に友達は必要だな。自分は子供の頃から友達作りが苦手だった。小心で臆病、そのくせプライドが高く自分を見せることが出来なくて壁を作ってしまう。人が嫌いという訳じゃない。むしろ人には興味があるのだがどうにもうまくいかない。いったん仲良くなればそれなりの冗談も言えて楽しく過ごせるのだが、そこまでに時間がかかる。学生の頃は2学期まで友達ができないなんてこともざらだった。最終的にクラスに友達が一人もいないまま1年が過ぎたこともあった。大学のギター部でやっと自分らしくいられて決して多くはないがその時にできた友達は今も付き合いがある。とはいえ皆忙しくそれぞれの場所で働いているので年に数回会う程度になってしまった。下戸だけど時にはふと飲みたいと思う夜もある。そんな時に気楽にどうでもいい中身のない話ができる友達が今身近にいるかというといない。映画を観たり、本を読んだり、一人で楽しむ術はある。家族もいるし寂しいなどと言っては罰が当たる。でも時々。本当に時々、風が吹き抜ける時がある。

2025/6/5

昼休みの読書。寺尾紗穂さん編によるZIN「音楽のまわり」読了。伊賀航、ユザーン、折坂悠太、浜田真理子など音楽家たちが音楽以外のことを書いたエッセイ集。それぞれなんて事の無い、まさにちょっとしたことを書いているのだけどその文章はどこかそれぞれの音楽にも通じる。生真面目な文章、ユーモアたっぷりの文章、穏やかで優しい文章、こだわりを感じるマニアックな文章etcどれも昼休みの30分に読むにはちょうどよいエッセイで楽しく読めた。

2025/6/6

BS朝ドラ再放送「チョッちゃん佐藤慶演じる頑固親父がいい。ただわからず屋なだけじゃなく、その裏に娘や家族への想いがありつつ、家長としての威厳に自分自身が囚われて素直になれない。また由紀さおりが演じるちょっと呑気でおおらかな母親もいい。

夜、NHK+で松田聖子スペシャル。ガンガンにライトを照らされた松田聖子が過去の映像を紹介。NHKに残された80年代の松田聖子の映像の数々。まさに世代なのでどの曲も完全に頭の中に刻まれている。デビュー曲「裸足の季節」は洗顔フォームのCMソンググとして聴いた。当時「ズームイン!朝」の新人コーナーに出たのを覚えてるな。で「青い珊瑚礁」。ベストテン初登場で飛行機のタラップから降りてきた歌った姿は衝撃的だったな。爽やかで可憐で当時10歳の少年の心は一瞬にして掴まれたのだった。しかしまぁ松田聖子、特に80年代の楽曲は強い。圧倒的なクオリティで、今聴いても懐かしの歌謡曲という感じではなく、現役のポップソングとして勝負できる強さがある。80年代の松田聖子が歌う映像を観てると、なんというかその頃の記憶や時代の空気がパッと蘇る。40年前がまるで昨日のようにも感じられる。まるでタイムマシンだ。

歳をとると何を観ても何かを想い出す。

2025年5月24日~30日の話。

2025/5/24

8時起床。朝は久しぶりにフレンチトースト作って食べる。我ながら美味しい。「旅サラダ」でフリークライマー大場美和さんの韓国旅。港町である麗水、行ってみたいなぁ。そういえば長らく旅行してない。

朝から雨なので今日は近場で。歩いてユナイテッドシネマまで。関和亮監督「かくかくしかじか」を観る。漫画家を夢見る高校生の明子。美大受験の為に絵画教室に通うことに。そこで出会ったのはスパルタ絵画教師の日高だった。という漫画家・東村アキコの自伝的漫画が原作。原作は以前に読んでいて物語は間違いのない面白さ。さて全5巻に及ぶこの原作をどう2時間に落とし込むのか。がその心配は無用だった。原作者である東村アキコが脚本も手掛けておりすきっとポイントを押さえ刈り込まれた2時間。ただ「描く」こと「描き続ける」ことを罵詈雑言、体罰上等で徹底して教え込む先生。振り回され、疎ましく思いながらも先生の教えにより着実に力をつけ、深い信頼関係を結んでいく明子。まだ何者でもない若者が、導師となる大人と出会い、自分の道を見つけていく成長の物語。そしてその道を進むことで親離れ、巣立ち、つまりは別れが訪れる。大泉洋永野芽郁、ともに陽性のユーモアがあるので原作同様すかっと明るいコメディに見えるからこそその奥にある深い繋がりと惜別の想いが沁みる。

スーパーで叉焼の切り落としが安かったので買って、帰宅しチャーハンを久々に作る。味付けはちょっと濃すぎるかなぐらいがやっぱり美味しいんだな。

食後のコーヒー飲みながらアマプラでイ・ビョンホン監督「パラムパラムパラム」を観る。結婚8年目のミヨンと夫ボンス。隣に住むのはミヨンの兄ソックン夫婦。倦怠期を迎えている生真面目なボンスに遊び人の義兄ソックンが浮気指南。ソックンの浮気相手ジェニーと偶然出会ったボンス、急速に親密になる二人だったが…済州島を舞台に2組の夫婦と一人の女性が織りなす大人のセックスコメディ。軽妙洒脱、ジャズの劇伴もあってウディ・アレン映画の様相。済州島の空気感もあってかカラッとしていて浮気に次ぐ浮気という展開ながらなぜかどこかさわやかな印象まである。シン・ハギョンとイ・ソンミン、名優2人が軽ーく演じてるのもまた良し。なかなかこういう映画、邦画ではないなと思いながら。

夕方、仕事終わりに娘が寄ってくれた。近所に住んでいるとはいえ、別所帯になると会う機会はどうしても少なくなるのでたまに会えると嬉しい。いくつになっても娘は娘だ。夕食用に作った切り干し大根の煮物とか買っておいたお菓子とかついついいろいろ持たせてしまう。

夜はTVer玉袋筋太郎ゲスト、太田光との共演「デララバ」観つつ日記を仕上げる。

2025/5/25

朝から妻と実家へ。車中では東野幸治のホンモノラジオ。実家の近所に住む叔父宅に寄ってちょっとお手伝いして、墓参り。実家に戻りきつねうどんと母手製のおはぎ。美味しい。ひとしきり母のお喋りを聴いて、娘夫婦へのお土産とか持たされる。で次は妻の実家に寄ってちょっとお手伝いしてからの帰宅。

夜、TVerで「マルコポロリ」。ぼんちおさむ師匠とななまがり初瀬の絡み、焚きつける東野幸治。全員面白い。

ここんとこ読んでいた猿渡由紀著「ウディ・アレン追放」読了。ウディ・アレンミア・ファローの骨肉の争いを両者の視点で徹底的に追ったルポ。恋多き男と恋多き女。内縁状態にあり監督と女優として13作もの作品を残した2人。お互い適度な距離で関係も良好。だがミア・ファローの養女であった当時21歳のスンニとウディ・アレンが恋愛関係に陥るところからお互い潰し合いの泥沼へ。多くの俳優からその映画に出たいと熱望されるい名監督である一方、数々の女優と浮名を流し、41歳の時に17歳と付き合ったりと若い娘好きのドスケベ親父であるウディ・アレン。セレブリティ一家のお嬢様で10代で受有としてブレイク。大スター、フランク・シナトラとの結婚生活を経てウディ・アレン映画のミューズとして数々の名作に出演。私生活では10人以上の養子を迎え入れるミア・ファロー。ま、親子関係にはないとはいえ内縁の妻の養女とできちゃうウディが悪いわなぁと思う一方、報復ともとれるエキセントリックな法廷闘争に向かうミア・ファローもまた…。その果てにミア・ファローは当時7歳の養女ディランへのウディによる性的虐待を訴える。当然ウディは否定。こうなってくると双方の言い分はひたすら食い違い誹謗中傷罵詈雑言の嵐。ミアによる虐待を訴える養子たちもいて子供たちも真っ二つに分裂。#MeToo運動の中、ウディはハリウッドから追放状態に。ウディのディランへの性的虐待疑惑は裁判上は嫌疑なしの結果。ウディは確かに若い子好きだが、ペドフィリア傾向にはない。だがディランは今も訴え続けている。スンニとは後に結婚、現在まで30年以上に渡ってパートナーとして生活を共にしている。ウディ追放の旗手となったのはウディとミアの唯一の実子であるローナン・ファロー。このローナン・ファロー、ミアの前夫フランク・シナトラと瓜二つというのもまたややこしい。筆者である猿渡由紀も言う様にもはや真実は藪の中。ただ言えることは「家族の悲劇」であるということ。ウディ・アレン監督、ミア・ファロー主演の映画「カイロの紫のバラ」を観たのは大学生の頃だ。すっかり作品に魅了されそれ以来ウディ・アレン監督の新作と聞けば映画館に駆けつけた。もちろんこの骨肉の争いのことも知ってはいたが、まぁ深く知れば知るほど迷宮に入っていく。この複雑さと罪深さよ。

2025/5/26

「続・続・最後から二番目の恋」リアタイ。人は皆孤独で寂しい。大人になればなるほど、歳をとればとるほどに。自分がふと誰かのことを思い出すように、誰かが自分のことをふと思い出してくれたら嬉しい。そんなことを想うドラマだな

2025/5/27

今日は大阪営業。商談長引きランチもままならず。中途半端な時間にHolly'sCafeでトーストサンド。夕方の満員電車で大津まで。

radikoでスカート・澤部渡ムーンライダーズ稲垣吾郎に紹介する番組聴く。ナイスな選曲。ムーンライダーズほど人に勧めるのが難しいバンドはない。活動歴は長く多岐にわたり時代時代によってそのサウンドは大きく姿を変える。来年には50周年を迎える長寿バンドにしていまだ現役で音楽的実験を繰り広げる円熟と革新が混ざり合うバンド。ポップでありながらわかりやすくキャッチーとはならない。深く踏み入れば踏み入るほどにはまっていく面白さがある。若き才人である澤部氏がそんなバンドの伝道師になってくれていることが嬉しい。

「しあわせは食べて寝て待て」最終回。病気があり生活もままならない、そんな厳しい状況の中で、それでも生きていくためにという強く優しいドラマだった。

2025/5/28

水曜。週の真ん中、会議二本立てもあり肉体よりも精神が参る日。

TVerで「対岸の家事」。このドラマでは社会構造の歪みから生じる穴に落ちていく人たち、そしてその人たちへ手を差し伸べる人たちが描かれる。簡単に自己責任なんて言葉を使う人は、自分だけは何があっても穴に落ちることはないと思っているのだろうか。これは明日の我が身であり、未来の自分の姿でもあるのだ。ちょっとしたころで穴に落ち、闇に落ちる。本来はそんな人たちを救う為に公助がある。自分はそのために税金を納め続けている。少なくとも政治家やその仲間を潤わす為に納めてんじゃない。

2025/5/29

昼休みの読書で瀧島祐介著「獄中で聴いたイエスタディ」を読んでいる。1980年、コンサートの為に来日したポール・マッカートニー大麻所持で逮捕され東京留置所へ。そこに居合わせたのは殺人罪でパクられたヤクザ。その当人が書いたノンフィクション。で留置所の壁ごしに「ポール!イエスタディ、プリーズ!」と叫んだところ、おもむろにポールがアカペラでイエスタディを歌い出したというシーン。その場面を読んでいるとなんとラジオから「イエスタディ」が流れてきた!スピってる!あまりにもなタイミングだったんで驚いた。

2025/5/30

金曜。今週もよく働いた。週末はまた休日出勤があるので寄り道することもなく帰宅。夜はNHK+で「とと姉ちゃん」。当時観てたのだけど結構忘れているな。東京編。家族が母の実家から出て住み込みで働く弁当屋ピエール瀧平岩紙、浜野健太って濃いなぁ。

2025年5月17日~23日の話。

2025/5/17

8時起床。休前日はついつい布団の中で音楽聴いたりして夜更かし。まだ眠いが今日は忙しい。あいにくの雨だがさっそく京都まで。

移動中は角田龍平の「蛤御門のヘン」をradikoで聴きながら。ゲストは明石家さんま研究家のエムカクさん。4年ぶりの登場。魅惑の姜尚中ボイス、稀代の明石家さんま研究家の近況報告。30年以上にわたり明石家さんまの活動を追いかけ、ラジオでのトークなどを書き起こし、その人生をかけて明石家さんまの人生を詳細に記録する男。当たり前に語られる話も、よくよく考えたらどうかしている。演芸墓堀人こと放送作家の柳田さんとのコンビ決裂話も「どういうこと?」ではありつつ、研究家ならではの譲れないこだわり。おもしろいなー。プロレス浪漫回もそうだが、こんな風にただただ「好き」を追いかける人の話は面白いし、生きる力すらもらえる。コスパだとかタイパだとかなんでもかんでも金に結びつけ価値を図るなんてやっぱくだらねーし最低だよ。エムカクさんの高潔さたるや。最高!そしてエムカクさんの良さを完璧に引き出す角田さんも素晴らしい。

↓は水道橋博士によるエムカクさんの著書「明石家さんまヒストリー」の書評。その中に全文引用という形で当ブログで僕が書いた書評が入っている。これもまた星座だ。

kangaeruhito.jp

でMOVIX京都へ。まずはドゥーガル・ウィルソン監督「パディントン 消えた黄金郷の秘密」を観る。字幕版で。前作「パディントン2」は僕の2018年ベスト1映画。ポップでキュートでそれでいてしっかり社会を描いている大傑作。パディントンの育ての親であるルーシー叔母さんが元気がないという手紙が届きパディントンはブラウン一家とともに故郷のペルーへ。しかし老グマホームにいるはずのルーシー叔母さんは行方不明に。里帰りが一変、彼女を探す冒険の旅に!ってなことで舞台はロンドンからペルーに。パディントンシリーズならではのポップでキュートなルック、ユーモアはたっぷりと、そしてきっちりと練られて嫌味の無い伏線とその回収の数々。冒険活劇要素も加わり、気持ちよく楽しめるファミリー映画に。話のキーマンとなるアントニオ・バンデラスオリヴィア・コールマンもノリノリで芸達者ぶりをみせる。パディントンにブラウン一家、ドジもするけど彼らの行動は優しさや親切、隣人に対する思いやりがベースにある。説教臭かったり、偽善的であったりはまるでしない。ただのきれいごとではなく、そこを信じて映画が作られていることがわかる。シリーズを通じて描かれるのは他者を知り、相互に理解し、共に生きようということだ。ペルーからロンドンへ、“移民”としてやってきたパディントン。前作ではパディントンを排斥しようという人たちが登場し物語が展開された。前作から7年。現実の世界では各国で国粋主義が台頭し、SNSにはヘイトが蔓延し、まるで娯楽のように排斥運動が起こっている。今作ではパディントンの故郷ペルーが舞台。ブラウン一家はパディントンの故郷を知ることで、さらにパディントンのことを理解する。パディントンもまた自らのアイデンティティを再確認する。そのうえでパディントンは自分の「居場所」を自分自身で決めるのだ。人種や国籍を拠り所にするのではなく個人を尊重して人と人とがそれぞれの顔を見合わせて思いやることができれば。パディントンシリーズはとっても楽しい娯楽作だが、その根底にはっきりと友愛のメッセージが刻まれている。そこが嬉しいし沁みる。あと最後に「あの人」がカメオ出演。こういう遊びもまた嬉しいところ。憎いね。

さくっとモバイルオーダーして近くのバーガーキングで昼食。しかしさすが京都である。店内は外国人観光客でいっぱい。この雰囲気、海外旅行来たみたいで嫌いじゃない。自分はもう海外旅行することないだろうなと思うので。

でMOVIXに戻って本日2本目。「サブスタンス」観る。かっての人気女優エリザベス。50歳を迎え、唯一のレギュラー番組をクビになってしまう。より美しく若返り出来るという謎の再生医療「サブスタンス」に手を出す。そして文字通りエリザベスの背を破ってでてきたのは、もう一人の自分。若く生まれ変わったもう一人のエリザベスは自らスーと名乗りエリザベスに代りスターに昇りつめていく。1週間ごとに入れ替わらなければならないというルールでエリザベスとスーの2人で一人の生活が始まるが次第にスーはそのルールを破り始めてしまう…。

ナニコレ、めちゃくちゃ面白いんですけど!音楽、美術のヒリヒリとした感覚、どこか奇妙でありながら斬新かつ様々な映画的記憶を喚起させるルック、キレッキレの演出。最後まで目を離せない、映画的な面白さに満ちている。だがこうも思う。おっさんである自分がこの映画を笑いながら観ていいもんだろうか、楽しんでいいのだろうかとも。若さと美しさに憑りつかれ、追い詰められていくエリザベス。彼女を追い詰めるのはクソな男たちだ。トイレの後、手を洗わないような下品で下劣な量産型のクソ親父たち。肌をテカらせ、腹が出て、禿散らかしたおっさん達が女性たちを抑え込んで築いた社会システムの中で優位性を保ちにやけた顔で女性たちを若さや美しさで査定していく。おっさん天国とも呼べる世界で女性たちは理不尽で過酷な競争に追いやられる。散々傷ついたはずなのにエリザベスはスーになってもなおその競争の中に身を置く。量産型のおっさん達にエリザベス同様に消費されるだけなのに。彼女たちが辿り着く最終形態、そこからの過激な暴走は彼女たちの切実な叫びだ。クソな男たちに浴びせられる真赤な血は間違いなく僕の顔にもかかっている。拭いきれないルッキズムミソジニーが自分の中にも確かにある。今頃気づいて反省しても遅いかもしれない。はっきり言ってめちゃくちゃ面白く観たし、最後のシーンとかちょっと凄すぎて笑っちゃうぐらいだったのだが、考えれば考えるほど「面白映画」として消費するだけで本当にいいのか?と思ってしまう。映画に出てくる男たちは全員クソだった。そして自分もそのクソな男の一人なのだ。こうして感想を書いてる今もまだこの映画をどう受け止めるべきかまとまらないでいる。

しかし「パディントン」からの「サブスタンス」。高低差あり過ぎて耳キーンなるわ!

で地下鉄で二条城前まで。久々にライブハウス拾得へ。本日はGREEDY GREEN/西村哲也ライブ。まずは漬物ピラフで腹ごしらえ。旧知のけいすけさんやめんちかつさんと話しつつ開演を待つ。思えばブログ全盛時代2005~2008年頃には随分拾得に通った。けいすけさんやめんちかつさんはじめブログを通じて知り合った人たちも多い。それからもう20年近く経つ。今やこうしてブログ書いてる人も減った。僕も今でこそ復活したが一時期は全く更新していなかった。あの頃、音楽ブログで交流してた皆さん、今どうしてるのかな。どこかでこいつまだやってるよとこのブログ読んでくれてたら嬉しいのだけど。

で昔の様に梅酒のソーダ割を飲みながらいよいよライブ。まずは西村哲也。鶴来正基(ピアノ)、熊谷太輔(ドラム)とのトリオ編成で。とにかくここ拾得で西村さんのライブというだけで胸にジーンとくるものがある。まさにあの頃、通いまくっていた西村さんのライブ。ちょっと懐かしめのセットリスト、変わらぬ歌声、拾得に鳴り響く切れ味鋭いギター。そうこれこれ!という感じ。遊佐未森作品などでそのプレイをよく聴いていた鶴来正基のピアノも生で初めて聴けた。フリーキーかつ流麗なプレイが西村さんの楽曲に彩を添える。久々に全身に音を浴びた。続いて登場は福岡史朗率いるGREEDY GREEN。ギターは青山陽一福岡史朗さんや青山陽一さんのライブも随分通ったがGREEDY GREENとしてのライブは初。いやーかっこいい!なんつーかな、野良のロックというか街場のロックというか、生活と地続きにある音楽という感じ。漂白されていない、これぞロック、まさにライブという演奏だ。青山さんのキレがあってコクがあるギターも完全にバンドと一体化してうねるようなグルーヴを生み出している。拾得というハコとの相性もこれ以上ないほど。とにかくまぁ最高!ですわ。アンコールには西村さんも参加。今日一の爆音で会場を沸かす。

↓は2006年12月8日、西村哲也@拾得の感想を書いたブログ。もう18年も前なのか!

popholic.hatenablog.com

2025/5/18

8時起床。今日も寝不足気味。朝のうちに妻と買い物。今まで行っていた某スーパーから少し足伸ばして安売りのスーパーへ。庶民は苦労してんだよ。

焼きそばの昼食の後、ついつい昼寝。「マルコポロリ」を寝ぼけながら。それから自転車で図書館へ。3週で2冊のペースで借りては読むのサイクルを継続中。

帰宅しコーヒー飲みつつ日記。最近日記に追われ気味。土曜更新もままならず。夜になってやっと仕上がる。

2025/5/19

BS朝ドラ「チョッちゃん」。叔父の泰輔役が川谷拓三からいきなり前田吟に。当時、川谷拓三が大ケガして急遽交代。さすがにちょっとキャラ変わっちゃうな。

2025/5/20

仕事後に妻ともども保険会社さんと話。保険もいろいろ考えて入ったはずなんだけど10年、20年経つともうすっかり忘れてなにがなんだか。難しーなー。しかし働いて働いて真面目に税金払って、年取るにつれて将来不安になるってどーなってんの。こんな国に誰がした?いや、俺達か。いやいや俺一回も自民党に投票したことねーぞ。

2025/5/21

朝ドラ「あんぱん」。河合優美劇場だったなー。強すぎるでしょ。TVerで「続・続・最後から二番目の恋」。なんとか追いついた。自然に齢を重ねるキョンキョン最高。

2025/5/22

NHKつけたらMUSIC AWARD。細野さんのスピーチから。まぁちょこちょこ見ながらいろいろ思うとこもあり。まぁ自分も一応マスコミの端っこにいるけど、もはや完全にこの世界からは降りたという感じかな。結局メジャーレーベルの金かけたお祭りでしょなんて。いや、いいことだとは思ってますが、自分はもうそこにはいない。

2025/5/23

久々仕事で大阪に。昼はグランフロントでカオマンガイ。いつもランチに悩み過ぎて結局食べられないなんてことも多いのだが、しっかり電車内で調べといたので今日はスムーズに。営業諸々、歩き回ってあっという間に1万歩。大した仕事はしてないが体力の限界。帰りの電車で寝落ち。

radikoで「爆笑問題カーボーイ」。太田さんがビバリー昼ズ木曜の清水ミチコ&ナイツの3人を3バカトリオと称してそのラジオでの会話がいかにおかしかったかを執拗に説明するのが面白い。太田さんどんだけラジオ好きなんだ。

TVerで「町中華で飲ろうぜ」太田光ゲスト回観る。玉袋筋太郎×太田光。照れくさそうに、でも嬉しそうに話す二人。共に同時代を生き、犬猿の仲と言われながら、でも根底では繋がっている。恩讐の彼方で互いに認め合い、語り合う二人にグッとくる。

2025年5月10日~16日の話。

2025/5/10

8時起床。この前姫路で買ってきたアーモンドバターをたっぷり塗ったトーストの朝食。朝からマンションの防災訓練。消防士さんによる消火器の使い方指導など30分ほど。終わってしばし日記など。NHK+で横尾忠則のドキュメンタリーを観る。ただただ描き続ける。描き続けることでどんどんとイメージは沸き立ちとどまることを知らない。同級生たちと撮った一枚の写真からいくつもいくつもの絵が生まれ来る「連画」シリーズ。その創作のスピードと熱量たるや。横尾さんの絵には考える前に直接脳に飛び込んでくるような力がある。過去何度か展覧会に行って、絵の圧倒的な力の前に放心状態になり、その場から動けなくるような体験をした。記憶のさらに奥、使ってない脳の一部に届いてくるような。久しぶりに展覧会観に行きたくなった。

散歩がてらOh!Meまで。スーツやコートをクリーニングに出して、フードコートでインドカレーの昼食。しかしここのフードコートも店が半分閉まり随分寂しくなった。でそのままユナイテッドシネマで映画を一本。エレン・クラス監督「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」を観る。モデルから写真家に転身。報道カメラマンとなり数々の写真を残したリー・ミラー。映画「シビル・ウォー」のモデルにもなった人物だ。第二次世界大戦の最中、カメラマンとして前線に赴き写し伝えようとしたことは。命を顧みず、戦場に飛び込みカメラを構える。戦争のグロテスクさを、そして戦争によって失われゆく命を彼女は捉える。正義感や使命感、それよりももっともっと切実な何かがそこにある。理不尽な暴力にさらされ、破壊された街、傷ついた人々への鎮魂歌。そしてそこに写っているのはもう一人の自分。彼女自身の中にある傷ついた魂をも写し、こんなにも残酷な現実がこの世界にはあるのだと訴える。誠実で切実な映画であった。

帰宅し、おやつに善哉を食べる。男には無性にあんこが食べたくなる、そんな時がある。小豆しか勝たん。

夜はアマプラで玉田真也監督「そばかす」を観る。30歳、実家暮らしの蘇畑佳純が主人公。周りからは「恋愛」や「結婚」について聞かれ、挙句には母に騙されるようにお見合いさせられる。だが彼女は「恋愛」の感情がわからない。恋愛として異性を好きになることがないのだ。そんな彼女の個性を誰も理解できないでいる。いかに日常の中で「恋愛」が重要視されているか。若い女性なら特にそうだろう。「恋愛」や「結婚」が呪いの様に付きまとう。その同調圧力の強さたるや。だがそこに違和感を抱き、居心地の悪さを感じる人達も間違いなくいる。映画は多くの場面で「見えない存在」として扱われてしまう「彼女の存在」を描く。私は確かにここにいるという彼女の切実な叫び声を拾い上げる。

自分が「知らない」だけ、自分が「理解できない」だけで、それは「無い」と切り捨てることの横暴さ。無知や無理解はむしろ恥ずべきことであり、それを振りかざし抑圧して回るなんて馬鹿げた行為だと思う。しかし無自覚にあるいは意図的にそんな振る舞いをする人間のいかに多いことか。

2025/5/11

8時起床。今日もアーモンドバタートーストの朝食。で市民会館の中の会議室にてマンションの理事会。滞りなく終わって湖岸を散歩して帰宅。

妻と京都まで。まずはポルタで昼食。とりあえず空いてる店にテキトーに入ってしまった。味は…今一つ。気を取り直して京都劇場へ。「リンス・リピート -そして、再び繰り返す-」観劇。ドミニカ・フェロー作、オフ・ブロードウェイで話題になった作品だとか。物語は大学生の娘レイチェルが家に帰ってきたところから始まる。彼女は深刻な摂食障害の果て施設で治療中。今後また以前のような生活に戻れるかを試すために4ヶ月ぶりに家族のもとに戻ってきたのだ。明るく振舞うレイチェル。弁護士としてキャリアを築く母・ジョーン、優しい父・ピーターも彼女の帰還を喜ぶ。だが、ともに過ごす中で彼女のみならず家族の問題が浮かび上がってくる。「食べる」ということからそれぞれの抑圧が見えてくる。苦労してキャリアを築いたジョーンは知らず知らずの間にレイチェルを追い詰めていく。ジョーンもまたキャリアを築く中で様々なマチズモに追い詰められてきた。ピーターもまたジョーンを追い詰める者の一人であった。その綻びや歪みが「食べる」という行為に現れる。レイチェルに正しい食事をとらせようとするジョーンの食事は、コーヒーとサラダだけ。セラピスト・ブレンダとの会話の中、レイチェルはそんな母の問題に一人気づく。レイチェルとジョーンの姿は合わせ鏡の様であり、二人の関係はいつしか逆転していく。母娘を演じるのは寺島しのぶと吉柳咲良。緊張感のある二人の芝居にグイッと引き込まれた。

で京都まで出てるので妻とイオン京都などに寄ってぶらぶらと買い物し帰宅。

2025/5/13

TVerでついに「続・続・最後から二番目の恋」観始める。前作、前々作ともに観てないのでさすがにわからないかなーと躊躇してたのだが、キョンキョン中井貴一が歌う主題歌、思い出野郎Aチームの名曲「ダンスには間に合う」カバーがあまりに最高なので。この二人のデュエットアルバム作ってほしいな。ピチカートの「東京の合唱」とか歌って欲しい。

2025/5/14

昼休みの読書。戸部田誠(てれびのスキマ)著「芸能界誕生」読了。1958年に開催された「日劇エスタンカーニバル」。そこに集った面々。舞台を主導したのは「渡辺プロダクション」の渡邊美佐、出演者としてステージに立ったのは後に「ホリプロ」を立ち上げる堀威夫、スパイダーズを経て「田辺エージェンシー」を立ち上げる田邊昭知、「サンミュージック」を設立する相澤秀禎などなど。現在の「芸能界」を形成する主だった芸能事務所の創始者たちがそこにいたのだった。ってなところからまさに日本の芸能界、その黎明期を描く。ジャズ~ロカビリー~GSと音楽の変遷とともにそこに関わる面々が離合を繰り返しながら芸能界が作られていく。エンタメの熱狂に焚きつけられ育っていくのだ。それぞれの事情、あちらこちらで芽吹く小さな火種を俯瞰でとらえてみるとそれらが不思議と嚙み合いやがて大きな渦となる。雨の一粒一粒が川となり海に繋がるような壮大な物語になっていくのだ。まさに大河ドラマクドカン脚本でやってほしいぐらい。

でそんな風に出来上がっていった芸能界は巨大な怪物となり、奇しくも今まさに駆逐されようとしている。このまま倒れ去るのか、それとも自ら生まれ変われるのかが問われている。物語は続いている。

2025/5/15

星野源の新作「Gen」聴く。どんな考察も寄せ付けない、孤独なアルバム。簡単に傑作と持ち上げることすら許さないような圧倒的な孤独がある。今や人気、実力ともど真ん中のトップにいる星野源。特にここ数年は嫌も応もなく大衆を背負う役目を負わされていると思う。あえてそこを背負おうという時もあったろう、だが今作ではそれもまた吹っ切ってる感じ。大衆を背負うことへの困惑や戸惑いや諦めの果て、知らねーよと吹っ切り、ただただ自分の内に耳を傾け音楽だけを考えて作った凄味がある。それは孤独であり孤高。そしてそれは大衆を背負うよりもっと大きなところに向かっているのだと思う。内側に奥深く入っていけばいくほど、魂の根源に近づけば近づくほど、より深く多くの人々の魂に響くのだろう。なんてな。そんなおっさんのくだらない考察なんか追いつかないほど先に彼は行っている。この前観た横尾忠則のドキュメンタリーを思い出した。

そういえば元々このブログは音楽ブログだった。最近はすっかり音楽の話は書いてないな。聴いてないわけじゃないのだけど。

なのでもう一枚。スカートの新作「スペシャル」が素晴らしい。アレンジ、演奏の充実、なにより一曲一曲、曲が強い!なんつーかなードラムの軽やかな気持ち良さとかエッジが効いて晴れやかに華やかに突き抜けていくギターとか、うわーこれこれ、この感じ。俺が好きなポップミュージックってこれ!最高!的な。

2025/5/16

BS朝ドラ再放送「チョッちゃん」。杉本哲太レオナルド熊のグッとくる見せ場。銀蠅一家VS田端グループ!

やっと金曜。最近はもう管理職としての苦悩がえぐい。やめとこうこの話は。

気分を変えるべく、帰りにネットカフェに寄っていささか立ち読みするには厳しい雑誌の吉田豪インタビューをまとめ読み。まずは井上富雄インタビュー。ルースターズ~ブルー・トニックを経て、様々なアーティストをサポートする凄腕ベーシスト。そのベースプレイが収められたアルバムを何枚も聴いているし、ライブでもその雄姿は幾度となく観ているが、インタビュー読むのは初めて。高校生で加入したルースターズの裏側から早すぎたバンド、ブルートニックでの苦悩。生々しいお金の話まで。読み応えあり。

でもう一個は桜金造インタビュー前・後編。ハンダース崩壊後、アゴ勇と組んだアゴ&キンゾーを観たのは「お笑いスター誕生」でだった。いやもう腹筋ちぎれるかというぐらい笑い転げた記憶がある。意味なんかまるでなくてただただ勢いとスピード、くだらないだけのコントだった。でまぁやはりその芸風同様ヤバすぎる話ばかりの昭和感あふれるインタビュー。俳優として注目されるきっかけとなった「竜二」出演の男気エピソードや週刊誌をにぎわしたショーケンとの確執。体調が思わしくなく自宅で行われたインタビューとは思えないほど言いたい放題。面白いなー。

2025年5月3日~9日の話。

2025/5/3

GW。だがいつもの土曜日と同じく朝から映画館へ。まずはMOVIX京都でスコット・ベック、ブライアン・ウッズ監督「異端者の家」を観る。シスター・パクストンとシスター・バーンズは家々を訪問し布教活動を行っている。ある日訪れた森の奥の一軒家。そこに暮らすのは気さくな老紳士リード。大雨に見舞われ、妻もいるからと家の中に招かれた2人。早速布教活動を始める2人だがリードにことごとく論破され…。気さくな老紳士だと思っていたら、とてつもなくやっかいなマウント親父でした。チクショーッ!ってなお話。ヒュー・グラントが嬉々として演じるネチネチ説教親父が若い女子二人を相手にくどくどネチネチと精神的に追い詰めていく。親父が喋れば喋るほど嫌悪感が増し、気まずさ恐怖に。そして恐怖が加速していく。精神的にも、肉体的にも追い詰められていく二人の心境。それを思えば身の毛もよだつ。だが、見れば見るほど自分はネチネチ親父側。こうなってはいけないと思いつつ、こうなっていた場面があるのでは…と想いを巡らす。教訓、おっさんはもう若者に近づくな。しかしながらリードの手口はまさに宗教のシステムそのものなのである。極限まで追い込み、信じ込ませ、支配する。映画の根底に流れる恐怖は、行き過ぎた信仰の果ての恐怖なのでは。そういえば東野幸治が「神は一切信じへんけど、“神のシステム”を考えた奴は凄いなと思うわ、ガッハッハ」なんて話をしてたな。リメイク時には東野幸治主演で!

で急ぎ足でアップリンク京都まで。上映5分前に到着して本日2本目はステファニー・デイ・ジュースト監督「ロザリー」を観る。田舎町でカフェを営むアベルと結婚したロザリー。だが彼女には秘密があった。生まれつき多毛症の彼女はそれを隠して嫁いできたのだった。そして夜、身体中に生えた毛を見て彼女を拒否するアベル。それでもカフェを手伝い共に暮らすことを選んだロザリー。ある日、髭を伸ばした姿を客に見せることでカフェを繁盛させることを思いつく。その思いつきは大当たりしカフェは人気に。最初は嫌悪感を抱いていたアデルだったが、ロザリーの自然体でまっすぐな生き方に惹かれ始める。ありのままの自分で生きていこうとするロザリー。最初のうちは物珍しさもあり多くの人が集まってくるも世間の目は冷淡だ。一度「敵」認定してしまうと異物として排斥しようとする。彼女には何の非もなく、ただそう生まれてきただけなのに、災いの元だと集団から石を投げられる。まるで今の世界、SNSに溢れる言説そのものじゃないか。絶望と希望が重なるラスト。その結論がどちらに転ぶかは僕たちの手にゆだねられているのだ。

行き帰りにradikoで聴いていたのは「爆笑問題カーボーイ」。オープニングは玉袋筋太郎との共演話。「トラック野郎」で盛り上がり、玉ちゃんの勧めた若山富三郎版「子連れ狼」をしっかりチェックしまた盛り上がる。恩讐の彼方で語り合い笑い合う二人の漫才師の話。太田さんが実に嬉しそうに話していて聴いていても楽しい。

2025/5/4

日曜。8時起床。妻と買い物。少し足を延ばして新しく出来たスーパーまで。総菜なども買って妻の実家に寄って義母と一緒にご飯。

帰宅しコーヒー飲みつつ午後の配信映画。アマプラでカルロタ・ペレダ監督「PIGGY」を観る。スペインの田舎町。肉屋の娘サラはクラスメイトから容姿をからかわれイジメられている。ある日、一人プールに出かけたサラはまたしてもクラスメイト達に酷いイジメにあう。だがその帰り道、サラは血まみれになり男に車で連れ去られるクラスメイト達を目撃する。そこから始まるサラの葛藤。腹の中にためてきた怒りややりきれなさ、復讐心と良心の呵責。まさに血の滲む葛藤の果て、犯人である謎の男、捕らえられたイジメっこたち、そして自分自身と対峙し、最後はまるで韓国ノワールか!というほどにハードボイルドな結末。

夜は娘夫婦といっしょに家焼肉。いつもは妻と二人の食卓。今日は倍の4人での食卓。幸せなことだ。

YouTube吉田豪の「豪の部屋」土屋昌巳ゲスト回観る。面白かった!とにかく土屋昌巳トークが絶品。ミック・ジャガーポール・マッカートニーマイケル・ジャクソンといった世界的スターから、沢田研二坂本龍一キョンキョン、モッズにブランキージェットシティ、はてはピーター、研ナオコまで。悪口や暴露じゃなく全てのエピソードがそれぞれの人間味溢れるほっこり笑えるいい話ばかり。これはひとえに土屋昌巳その人の人柄の良さが引き寄せたエピソードに他ならない。一風堂すみれセプテンバーラブ」が大ヒットしたのは僕が小学生の頃。妖艶な化粧をし低い位置にギターを抱えクールに歌う土屋昌巳は小学生から見たらなんともミステリアスだった。やがて音楽に興味を持つようになり世界的に活躍する凄腕ミュージシャンという印象に。「夕焼けニャンニャン」の司会になった時は驚いたな。それからすでに40年近く。決して偉ぶらず、でも媚びることもない。お喋り上手でサービス精神旺盛、気高さと穏やかさが同居。今も現役で若々しい氏の長い歴史の中にある珠玉のエピソードの数々が人柄の良さを物語る。まさか2025年にまた氏の印象が大きく変わるとは。最高だったなー。


www.youtube.com

考えたらその周辺ミュージシャンはよく聴いていたけど一風堂は聞いてこなかったなと思いサブスクでアルバムを1枚づつ聴く。パンク・ニューウェーブの先鋭さと緻密さが同居しててかっこいい!

2025/5/5

6時過ぎ起床。早起き。妻と二人で新快速に乗って姫路まで。大学時代からの友人夫婦が主催する「猫」イベントのお手伝いに。大津~姫路は新快速で1時間45分。乗り換えなしでいけるので時間は少しかかるが楽だ。天気も良く駅前の商店街を歩くだけでも観光気分。屋内で10時から17時ぐらいまでのお手伝い。昼は屋上で姫路城見ながらお弁当。友人夫婦とも会えたしイベントも楽しくよきGW。帰りは電車でぐっすり。

2025/5/6

GW最終日。8時起床。朝ドラ観て、録画していた「ETV特集フェイクとリアル 川口 クルド人 真相」を観る。いかに「クルド人差別」が作られ拡散されていったかを追う。意図的に仕掛けられた差別。実体のないデマがインプレ稼ぎに利用され「いいね」と引き換えにヘイトがまき散らかされる。そこにあるのは「クルド人問題」ではなく差別者である「日本人問題」だ。この番組を巡るSNSでの過剰な反応。偏向報道を叫ぶ人たちの中で実際にクルド人と接点を持つ人は何人いるのだろうか。彼らの憎悪はどこから生まれてきたのか。差別を拠り所に生きるその心の闇こそが問題だ。

配信で映画を一本。キム・ビョンウ監督「PMC ザ・バンカー」を観る。韓国と北朝鮮軍事境界線の地下要塞。極秘任務を担う傭兵エイハブだが、組織に裏切られ絶体絶命に。同じく絶体絶命に追い込まれた北朝鮮の医師ユンと共闘し脱出を試みる。ってな話なんだが、最初の状況説明をササッと終わらせほぼ全編がクライマックス。巨大な地下要塞での攻防、エイハブとユンは同じ場所にいるわけではなくモニター画面を通じお互いを監視、フォローしあうという状況に。一難去ってまた一難というひたすらクライマックス映画でアイデアと迫力が凄い。最終的に空中に放り出されて、どこまでやるの!?状態に。ハ・ジョンウ&故イ・ソンギュンによるやりすぎクライマックス映画であった。

サッポロ一番塩ラーメンの昼食。美味しいし、たまに食べたいと思うのだけど、食べ終わるとちょっと後悔する。塩分過多で胃もたれ少々。

午後はのんびり読書。昼休みに読み続けていた牧村康正+山田哲久「宇宙戦艦ヤマトをつくった男 西崎義展の狂気」読了。2010年、小笠原で船上から海に転落し一人の男が死んだ。その男は西崎義展。昭和の大ヒットアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーとしてかって時代の寵児となった男だ。だがその死には他殺説までもが流れた。80億の借金を抱え破産。覚せい剤所持に加え銃火器所持で服役。3年前に出所し、資金をかき集め製作した「宇宙戦艦ヤマト復活編」は大コケ。とにかく悪名高い稀代のプロデューサーであった。そんな西崎義展の栄光と挫折、まさに狂気の人生を描くノンフィクション。口八丁手八丁、詐欺まがいの錬金術、恫喝・恐喝当たり前、パワハラ&セクハラ、金に汚く平気で人は裏切るし、金の力で愛人を何人もはべらす。だが自分で金を集め金をつぎ込み大博打に打って出る胆力を持ち、徹底的に作品作りにこだわり、凄まじいまでの剛腕ぶりで実際に「宇宙戦艦ヤマト」を特大級の大ヒット作にして日本アニメ史に残る名作に押し上げるのだ。まぁそのジェットコースターな狂気の人生、離れて観ている分には面白い!としか言いようがない。だけど絶対実人生では関わり合いたくない。彼のヤバさに気づき徹底して距離を取った手塚治虫、関わったが故、裁判にまでもつれ込んだ松本零士、そのほか巻き込まれ翻弄され、潰された人、裏切られた人、最後まで付き合った人などなど様々な人たちの証言から浮き上がってくるのは「宇宙戦艦ヤマト」への異常な熱量と愛情。全人生をかけヤマトと一体化したんだな。まぁでも上司にしたくない男第一位だな、こりゃ。しかしいまだにヤマトの新作が作られてるのも凄い。原作には西崎の名前、製作総指揮を担うのは本の中にも登場し、西崎と養子縁組までしてヤマトの権利を引き継いだ人物。うわーってな感じ。

夕方。妻と買い物がてら散歩。大津に新しくできた和菓子のたねやの店ラーゴを覗く。ちょいお高めの焼き立てカステラを買って帰宅。

夜はNHKドラマ「しあわせは食べて寝て待て」。最近はうすぼんやりと「生活」について考える。サラリーマンを30年以上続けてきて、もういいかなという気持ちにはなっている。とはいえ生きていく上でサラリーは必要だし。だけど1日の大半を会社で過ごしてるとこれって誰の「生活」なの?とも思ってしまう。生活に中に仕事があるというより仕事の隙間に生活が押し込まれているような。おっと、いかんいかん。根がネガティブ。根ガティブなもんですぐこうなる。

2025/5/7

休み明け。大阪営業。電車に揺られウトウト。調子なんて出ねぇよという感じ。

2025/5/8

朝ドラ「あんぱん」。河合優実劇場。豪ちゃんと蘭子の一連のシーン。表情、所作に目が釘付け。ようやく思いが通じ、悲しみを喜びが追い越していく。だがその先には切なさがある。手を髪にやる仕草は、二人の恋心を初めて表現した運動会のシーンでの動きの反復。以前から言い続けているが河合優実は声や表情はもちろん身体の動きが素晴らしい。指先、首筋、背中…身体で表現できる稀有な俳優だと思う。

TVerで「対岸の家事」。人生はビュッフェ。何を選び何を選ばないか。選んだ人生、選ばなかった人生、それぞれの想いが交差する。染み入る回だった。

人生には様々な選択がある。自分のような薄口の人生にもそれなりに選択はあった。だが、自分で選んだとはあまり思ってなくて、人生の側に自分が選ばれてるんだと思っている。今自分がここにいるのはこの人生が数ある人の中から俺を選んだからだ。なんて。

2025/5/9

金曜。今週は3日しか働いてないがなぜか疲労はたまっている。午後には雨が降り出す。寄り道することもなくまっすぐに帰宅。

NHK+で再放送の朝ドラ。今週からは高畑充希主演の「とと姉ちゃん」。ついこの前のという気もするがそれでも9年前の作品。2000年以降はもう最近だからな。

2025年4月26日~5月2日の話。

2025/4/26

7時半起床。玉子のホットサンドを作って朝食。朝から京都へ。まずは京都シネマでグレッグ・クウェダー監督「シンシン/SING SING」を観る。舞台はNYの「シンシン刑務所」。ここでは収監者更生プログラムとして<舞台演劇>が行われている。無実の罪で収監されているディヴァインGは演劇グループに属し日々仲間たちと演劇に取り組んでいる。ある日刑務所一のワルと言われるディヴァイン・アイがメンバーに加わることになり…。男たちは「演じる」という中で、自分と向き合わざるを得なくなる。自分をさらけ出し、感情を炙り出し演じるのだ。虚勢を張り、弱さを見せることなく生きてきた男たちだが演劇を通じて自分の弱さを知り、互いに連携することの大切さを知る。乱暴者だったディヴァイン・アイはそんな中でディヴァインGと互いが互いをケアするような友情を育んでいく。シンシン刑務所では実際に演劇による更生プログラムがありディヴァイン・アイことクラレンス・マクリンを演じるのはこの更生プログラム出身の本人である。ほかにも多くの俳優が本人役で出演。刑務所という閉ざされた中で、罪を背負った彼らが痛みや弱さと向き合い自分をさらけ出し演じることで観客を楽しませそれがまた彼らの中にも跳ね返ってくる。その姿に胸打たれる。しみじみと良き映画でした。

昼は烏丸地下のお初のお店で鶏南蛮定食。タルタルたっぷりで美味しかった。天気も良く過ごしやすい季節だ。MOVIX京都までぶらぶらと歩いて移動。

本日二本目は大九明子監督「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」を観る。小西は冴えない大学生。大学での唯一の友達はちょっと変わり者の山根だけ。ある日授業が終わると誰よりも早く教室を出ていくお団子頭の女子に目を奪われる。ある雨の日そのお団子頭の女子、桜田さんと偶然出会い思い切って声をかける小西。そこから二人は意気投合し急速に距離を縮めるのだが…。ヒロインを演じるのは今を時めく河合優実。前半はちょっと普通からはみ出してしまう二人のボーイミーツガール物の様相。2人が近づいていく様が微笑ましく愛らしい。ヒロイン河合優実のキュートな魅力が炸裂。しかしまぁ河合優実がそれで終わるはずがない。この映画ではまさに河合優実のA面とB面を堪能できる。その切り替えポイントとなるのが小西のバイト仲間であるさっちゃん。演じるのは若き名優・伊東蒼。密かに小西に恋心を抱いていたさっちゃんが桜田さんとの関係に浮かれる小西に向かっての長い長い長台詞。このシーンがとにかく圧巻。抑えていた想いがその長い長い台詞となってエモーショナルに伝わる。「さっちゃん」というキャラクターがここで一気にすべての観客の心をとらえる。日本映画史に残る名シーンと言っていいし、このシーンだけでもこの映画を観る価値がある。伊東蒼に助演女優賞をと誰もが思うだろう。でこのシーンを境に物語がツイストする。ボーイミーツガール物から大袈裟に言えば生きる意味、命の話になっていく。さっちゃんの長い長い長台詞に呼応するように後半では桜田さんの長い長い長台詞が用意される。さっちゃの長台詞がほぼ引きのカメラで捉えられていたのと対照的に桜田さんの長台詞はアップで捉えられる。ホン・サンスばりのズームも入ってカメラは彼女の表情にぐっと近づいていく。ここでの河合優実も素晴らしい。集中力と求心力、彼女の表情、言葉から目が離せなくなる。カメラは小西の目であり心だ。その残酷な距離感が切ない。だが小西がさっちゃんの言葉を想い返す時、そこに現れるのはぐっとズームで近づいたさっちゃんの表情なのだ。この先も多くの人の心に残り、愛されるであろう映画。おすすめです!

京阪電車にのって帰宅。コーヒー飲みつつ日記を書く。

夜、TVerで「津田篤宏と文学」観る。ダイアン津田と50人が太宰治人間失格」を読み切り感想を語り合う。これは面白かった。本を読んで感想を言い合うだけなのだが、読む人の年代、生きてきた環境や経験によってとらえ方が違い、その違いが対立する訳じゃなく互いの理解に繋がる。「違う」ということは本来対立や分断の為にあるのではなく、互いを知り、わかりあう為にあるのだと思う。本を介して人と人が語り合う面白さ、楽しさを発見できる番組であった。

2025/4/27

今日は買い物ディ。電器店から始まり安売りスーパー、ホームセンターにニトリユニクロ、ドラッグストアと妻といろいろ回る。回った割にたいしたものは買わず。

帰宅しNETFLIX樋口真嗣監督「新幹線大爆破」を観る。75年の東映映画「新幹線大爆破」のリメイクというわけではなく、50年後の続編というかまぁ「シン・幹線大爆破」ということですか。新幹線に仕掛けられた爆弾。スピードが100キロ以下になると爆発するという爆弾とともに激走する新幹線。はたして乗客の命は…。JR全面協力の下、ハラハラドキドキの特撮で見せる。が、なんといいますか人間ドラマが…薄い。新幹線に乗り合わせたスキャンダルからの復活を目論む女性政治家、ひたすらうさんくさい人気ユーチューバーなど何かありそうで…結局特に何もない。成長が感じられないのだ。そして犯人がまた…。アイデアとしては面白いはずなんだけど、描き切れないまま歯切れ悪く何となくの感じで。車掌を演じる草彅剛と犯人が対峙するシーン。一番の見せ場。ぐっと怒りの表情の草彅くん。緊張感が高まり、からの…なんでそーなるのっ!?さっぱり二人の心理がわからず、顔芸と何となく解決した感じの雰囲気だけで乗り切る。新幹線をなんとか止めないように路線図と時計を手に職員たちが奮闘するお仕事シーンは良かったのだが…。ま、以上です。キャップ。

2025/4/28

月曜。でも明日は休みだ。真面目に働き特に何するでもなくまっすぐ帰宅。

2025/4/29

休日。9時起床。特に予定は無し!

朝からNETFLIXヨン・サンホ監督「啓示」を観る。使命の国教会のソン牧師は信仰心に厚い真面目な牧師。ある雨の日、教会に訪れた怪しげな男、クォン・ヤンレに入信を進めるが偶然彼の足に犯罪者監視用の電子足輪が取り付けられていることに気付く。その夜、妻から息子が帰宅していないことを知らされたソン牧師はヤンレを疑い、彼の足取りを追う。そしてヤンレと接触、乱闘の末ヤンレは崖から転落してしまう。だが息子は友達の家に居たということがわかりソン牧師はその場から逃げるように立ち去る後。そして翌日、刑事が教会を訪れる。信者である少女が昨日から行方不明だというのだ。捜査を担当するのはイ・ヨニ刑事。彼女の妹はかってクォン・ヤンレによって拉致監禁され、その後自殺に追いやられていた。ソン牧師、クォン・ヤンレ、そしてイ・ヨニ刑事。少女拉致事件を追う中で3人の運命が絡み合っていく。自分の見たいものを観、自分の信じたいものを信じる。信仰とは何か、そして信仰の行く末はを問う。自身の行いは全て神の御心だとして暴走していくソン牧師。対してヤンレへの復讐心を抱えたヨニ刑事だったがヤンレもまた幼少期長きにわたり父からの虐待を受けていたことを理解し、暴力の連鎖を断ち切ろうとする。神の名のもとに暴力が暴力を呼び、止まることのない暴力の連鎖が罪のない人々の命を奪う。信仰というシステムが内包する矛盾をサスペンスフルなドラマとして描き出す。濃厚で見応えあり!

で妻と久々に外出ランチ。地元のカレー屋「KWC」でスパイスカレー。彩鮮やかでスパイシーで複雑な味わいが美味しい!大満足。

続いては庭木の剪定。夏が来る前に多少でもやっとかないと。夏場の植物の成長ぶりは脅威でもあるのだ。で令和ロマンのYouTubeを観る。今や吉本所属ってちょっとマイナスイメージなんじゃないか。令和ロマンなんかは吉本である方が違和感あるような。BSで俳優・近藤正臣のドキュメンタリーを観る。小学校の同級生で長きにわたり苦楽を共にした愛妻を看取り郡上八幡で猫と暮らす近藤正臣。80を越えて自身の老いを受け入れ日々を生きる。その姿をカメラは捉える。自分もそう遠くない未来「老いる」。できることは減り、できないことが増えていく。正直考えると気が滅入るし、なるべく考えたくない。こんな風に受け入れていくことができるだろうか。

NHK+で「カムカムエブリバディ」ラスト2回を観る。えがった、えがった。ちょっとやり過ぎなぐらいに親子三代の物語を周辺の人々も巻き込みながらきれいに回収。幸せなだけのラストで気持ち良く完。あー癒しの時間が終わっちゃったなー。

2025/5/1

5月。もう5月。早い。夜、猫のクロが風邪気味ということで妻と病院へ。なんだかんだでもう20年一緒に暮らしている老猫だ。思慮深く、決して自分からは寄ってこないクロ。お尻をトントン叩いてもらうのが好きで、その時は大きな声で鳴いて呼びつける。長生きしてほしい。

2025/5/2

仕事帰りにマーベルの新作、ジェイク・シュライアー監督「サンダーボルツ*」観る。主人公となるのはアベンジャーズのメンバーだったブラック・ウィドウの妹、凄腕暗殺者のエレーナ。闇の仕事の繰り返しで空虚な気分に襲われるエレーナ。足を洗うべく最後の仕事に出向くとそこには自分と同じ闇仕事の請負人たちが。権力者から用無しとして消し去られるべく集められたはぐれ者軍団。偶然その場に居合わせた謎の男ボブとともに生き残るために共闘することに…。マーベル版スーサイドスクワッド、裏アベンジャーズの始まり。予告編から痛快やさぐれアクションかと思いきや、その要素もありつつもグッと泣けるヒューマンドラマだった。彼らが戦うのは自分自身の中にある闇でありトラウマ。戦いの中で自分の中にある痛みや弱さと向き合い、互いにケアしあう関係を築いていく負け犬たちのワンスアゲインな物語。ちょっと「シンシン/SING SING」にも通じるものがあるな。最強の敵は自分の中にいる、だが最高の神も自分の中にいるはずというテーマにグッときた。エレーナを演じるフローレンス・ピューはやっぱり良い。不良性のある、あの面構えが最高。さぁ次は「ファンタスティック4」。予告を観る限りその美術の徹底ぶりもあって期待大。若干のマーベル疲れがあったのだけど「サンダーボルツ*」で気持ちが復調、「ファンタスティック4」も楽しみ過ぎる。

NHK+で「ファミリーヒストリー佐藤浩市の回を観る。父・三國連太郎の数奇かつ強烈な人生。それを見つめる佐藤浩市。さらに続いていく息子・寛一郎への想い。親子だからこその複雑な愛憎。裏カムカムエブリバディというか濃厚で面白かった。

観ながらやはり父のことを思い出す。亡くなってもう17年か。思えば僕と父は深い関係とまでは言えなかった。ぶつかりあうというよりお互いどこか気を遣うような関係だったのではないだろうか。父は真面目な堅物ではあったけど、それなりにユーモアもあって何かを無理強いされたり押さえつけられたりということはなかった。僕もおとなしく自分の世界に引きこもるタイプだったから反発しあうこともなかった。比較的に早く結婚したこともあって客観的に父のことは見ていた。で客観的に見れば見るほど父は尊敬に値する大人だった。数少ない尊敬できる大人が父であったとはとても幸せなことだと思う。父親を早くに亡くし、父親という存在がよくわからないと言っていたことを父が亡くなってから知った。だけど十分、父としての役割を果たしてくれた。父が亡くなった後、父のPCには母への感謝の言葉などいくつかの文書が残っていた。僕のことを「頑固で偏屈」と書いていてちょっと笑った。よくわかってくれている。時々、父は今の自分と同じ年ぐらいの時、どんなことを考え生きていたのかなと思う。今となっては一度ぐらい二人きりで酒でも飲んでおいたら良かったな。インタビュアーとなって彼の人生を、何を想い何を考え生きてきたのかをじっくりと聞いておきたかった。

2025年4月19日~25日の話。

2025/4/19

8時起床。やっと休み。まずは散髪へ。商店街の散髪屋が土日休みになっちゃったので、京阪電車で同じチェーンの石山店まで。若干出遅れ1時間待ち。ここんとこ同じおっちゃんに刈ってもらってたので安定していたのだが、新しい人で丁寧ではあるのだが仕上がりはやっぱりちょっと違う。言葉ではうまく伝わらないので散髪したての自撮り写真を見せてオーダーするのだが…。ウドちゃんというかほぼコボちゃんみたいになってしまった。まぁいい。髪は伸びるからね。

で次の予定は映画。思いの外、散髪に時間がかかったので駅まで久々に走る。なんとか飛び乗って京都まで。アップリンク京都でカン・スンヨン監督「1980僕たちの光州事件」を観る。舞台は1980年5月、光州。店主で料理人の祖父、長男の嫁である母が切り盛りする中華店で暮らすチョルスは隣の美容院の娘ヨンヒに恋する小学生。彼らは善良でありふれた市民だ。だがそんなありふれた幸せな一家を悲劇が襲う。軍事政権下で市民に銃が向けられた「光州事件」。この歴史的悲劇に飲み込まれた市井の人々を描く。チョルスの父は活動家、ヨンヒの父は軍人。昨日まで笑いあっていた隣人同士が、政治によって意図的に作られた分断に引き裂かれていく。それでも手を取り合いたいという人々や何も知らない子供たちまでもが巻き込まれ飲み込まれていく。「ソウルの春」「タクシー運転手」「1987ある闘いの真実」と軍事政権下での負の歴史を描いてきた韓国映画。今作は先の作品群と比べると小さな作品だ。政治とは無縁の小さな町に暮らす人々のありふれた日常が描かれる。それは自分たちも生きる日常の姿だ。ゆえにそのありふれた日常が理不尽に血で染められていく様はあまりにも恐ろしい。映画は最後に理不尽な暴力で小さな幸せを踏みにじった、その元凶となったかっての権力者を映し出し断罪する。日本同様韓国もまた分断が拡がっている。危うく歴史を繰り返そうとしている。そんな中で決して繰り返してはいけない、この歴史を忘れてはいけないという強い意志と決死の覚悟を感じた。

三条河原町まで歩いて移動し、久々「なか卯」で親子丼の昼食。安定の味。だが体調が悪かったのか、あるいは歳か、卵がちょっとくどく感じた。

で本日2本目。リュ・スンワン監督「ベテラン 凶悪犯罪捜査班」観る。前作「ベテラン」から10年。熱血ベテラン刑事ドチョルと凶悪犯罪捜査班の面々の活躍を描く映画の続編。我らがファン・ジョンミン兄貴演じるドチョル刑事が帰ってきた!前作では巨大財閥のクソ御曹司という巨悪に立ち向かう捜査班たちを描いたド直球、勧善懲悪のアクションエンタメであったが、今作はまた一味違う。法では裁かれなかった悪人たちをターゲットとした連続殺人事件が発生。世論は私刑を下す犯人をヒーロー視しもてはやす。新人刑事ソヌを加えて謎の犯人に迫っていく。軽快なオープニングシーケンス、いなたくも最高な音楽、さらに進化した泥臭く痛みを感じるアクション。だが前作の様にスカッとは行かない。なぜなら彼らが追う「悪」は彼らの中にもある「正義」が暴走したものでもあるからだ。犯人を追う中でドチョルもまた自身の「正義」と対峙せざるを得なくなる。葛藤しながらもベテラン刑事としての矜持、そして真の「正義」を見出していくドチョル。10年前と比べ社会はより複雑に、いやより単純に狂っている。嘘やでたらめがまかり通り単純化された対立構造が社会を分断する。真実は置いていかれ、空虚な空中戦が繰り広げられる。弱者に寄り添う姿勢を持ち続けるリュ・スンワン監督がそんな社会の中でドチョルならどう生きるかをしっかりと見せてくれる。サイドストーリーとして描かれるのはドチョルと息子との関係。自身のマチズモに気付かされ、彼もまたアップデートを余儀なくされる。痛快でテンポよくユーモアたっぷりという前作のノリも保ちつつ、さらに思慮深い「ベテラン」になっていた。

そしてエンドロール後に置かれた展開。あの犯人の背景は?という最後に残ったモヤモヤは「次」への伏線だったのか!

京阪電車に乗って帰宅。

夜は日記を仕上げ、本を読む。この2週間ずっと昼休みの読んでた島﨑今日子著「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」を読了。物心がついたころからジュリーは大スターだった。「勝手にしやがれ」「カサブランカダンディ」「TOKIO」…まだ低学年の小学生だったがテレビに映るジュリーの眩いばかりの輝きははっきりわかったし特別な人と思っていた。70年代中盤から80年代初頭、まさに黄金期の楽曲は完全に頭の中にインストールされている。中学生になって音楽に興味を持ちだした頃、ジュリーはスターであることに変わりはなかったけどメガヒットを出す歌手ではなくなっていた。だけど佐野元春大沢誉志幸が曲を提供していたこともあってその流れで興味を持って聴いていた。エキゾティクスがバックバンドを務めていた時代。大沢さん作曲の「おまえにチェックイン」とか今聴いても最高。84年の新田一郎作曲のシングル「渡り鳥はぐれ鳥」は当時異常に好きだった。遡ってこの曲の原曲が入った新田一郎のアルバムも買ったぐらい。この曲が入ったアルバム「NON POLICY」もよく聴いた。後に吉川晃司がカバーする佐野元春作曲の「すべてはこの夜に」とかいい曲なんだ。でこの本は内田裕也に見出されタイガースとしてデビュー。まさに大衆に身を投げ出し、ジュリーを演じきった沢田研二の軌跡を丁寧に追う。漢気と性別を超えた妖艶さと色気。スターであることを自覚しながら謙虚な姿勢で大衆の要望を受け止めさらにその先を魅せる。そんなジュリーに魅せられた男たち-内田裕也久世光彦ショーケンとの関係もまた面白い。また彼の音楽を支えた加瀬邦彦大野克夫、木崎賢治、吉田健といった人たちの証言も興味深い。誰しもが歌手・沢田研二の歌に魅入られその魅力を最大限に引き出そうとす全力を傾ける。それをさせるのもまたスターの才能なのである。改めて沢田研二の偉大なる足跡を辿るいい機会になった。でspotifyで連日沢田研二のアルバムを聴いている。伊藤銀次がアレンジを務めた「GS.I LOVE YOU」や佐野元春大沢誉志幸、NOBODYなどが作曲で参加する「A WONDERFUL TIME」、白井良明アレンジの「MIS CAST」、89年作でサエキけんぞう作詞、奥井香作曲による名曲「ポラロイドGIRL」収録の「彼は眠れない」など名盤多数。

2025/4/20

8時起床。近所で滋賀国スポ盛り上げイベントの一環でディズニーのパレードがあるとかで妻と観に行く。ディズニーランドはなぜか香港ディズニーランドに20年ぐらい前に行ったきりという門外漢なんだけど。さすがに凄い賑わい。すっかり心が汚れたおっさんなので、これどこが請け負っていくらの金が動いてるんだろうと考えたりしつつ。

昼は前に作って冷凍しといたミートソースでパスタ。

アマプラで映画を一本。パク・チワン監督「ひかり探して」を観る。台風の夜、遺書を残し離島の絶壁に身を投げた少女。大荒れの海で死体は上がらず、自殺として処理するために復職したばかりの刑事ヒョンスが島にやってくる。ヒョンスは少女が父が犯した事件の重要参考人として島で保護されている身だったことを知り自殺の真相を探り始める。少女が暮らした部屋の大家であり、彼女を最後に目撃した言葉が話せない女性など彼女と関わった人たちとの交流の中で、少女が抱えた孤独や絶望を知り、自身の境遇と重ね深く事件に入り込んでいく。謎解きミステリであるが、メインテーマは女性たちの連携だ。ヒョンス、少女、言葉が話せない女性。過酷な現実、残酷な世界に押しつぶされそうになりながらも必死に生きようとする者たちが互いに手を差し伸べあう。少女の孤独に想いを馳せるヒョンス。それぞれの想いや行動が緩やかにつながりやがて光となって少女を照らす。

大河「べらぼう」。安田顕の凄味すら感じる心に残る名演。

2025/4/22

月曜。NHK+でNHKスペシャルオンラインカジノ “人間操作”の正体」観る。まさにドラッグ。人間を破壊する仕組み。芸人を見せしめにするより先に国がしっかり規制しろよとも思う。ギャンブルはやらない。やったらはまってしまいそうで怖いというのもあるし、根がネガティブなので絶対負けるもんだと思ってるから。株や投資、国が推奨するNISAすらギャンブルだと思ってる。カジノあかん!オフラインカジノを作ろうとしてるどこぞのならず者政治屋軍団も大嫌い。

2025/4/23

NHK+で「しあわせは食べて寝て待て」。すっかりNHK女優という感じの土居志央梨投入。主演の桜井ユキともども「虎に翼」組の活躍は嬉しい。「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を初めて知った。Mr.ネガティブと呼ばれる私だが、案外呑気に生きていられるのはこうして日記を書いていることが大きいのかも。この日記こそ私のネガティブ・ケイパビリティと言える。

2025/4/24

図書館への返却期限が明日なので今週急いで読んでいた武田砂鉄著「マチズモを削り取れ」読了。50代男性である自分は圧倒的に有利で優位な位置にいる。それに慣れないように、そこに居座らないようにという意識は特にここ数年強く持っている。だが、それでも自分は圧倒的に有利で優位だ。街を歩くときも、電車に乗る時も、会社にいる時も、家庭にいる時も。子供の頃から体育会系ではなかった。幼少期は身体も弱く、それ以上に気も弱かったし、体育は苦手。家で一人絵を描いたり漫画を読んだりすることが好きで「男らしさ」は自分とは縁遠くその「男らしく」なさはコンプレックスでもあったように思う。でも甘んじてきた。有利さや優位性を当たり前のように享受してきたと50年の人生を振り返ればそう言わざるを得ない。マチズモの無さをコンプレックスにしながら知らず知らずのうちに自分の中にマチズモを育ててきたのだ。時代は進み、マチズモは削られてきたかというと、今ははっきりとむしろ復権しつつあると言えるのではないか。アメリカの大統領をああだし、マチズモの果てに断罪された芸人やタレントを擁護する声はより邪悪かつ強大なマチズモをまとっている。「マチズモを削り取れ」それは有利で優位な位置に甘んじてきた自分たちこそが声を大にして言わなければならない。

2025/4/25

今日は朝からバタついている。遅い昼食は会社の近所の「びっくりドンキー」。10年ぶりぐらいに食べたが俺の胃がびっくりした。いつまでも味覚が子供なのでついついハンバーグとか食べがちなんだけど、身体はすっかり大人。味覚は子供、胃腸は大人。迷探偵コンナンでましたけど!とか言いつつ若干の胃もたれを感じ店を後に。

会社帰りに図書館に駆け込み返却とともにまた2冊借りる。今年は3週で2冊ペースで本を読み進めている。その内、目も悪くなっていくし本もいつまで読めるかわからないからね。

夜は今週分の「カムカムエブリバディ」をまとめて。いよいよラストスパート。半年に及ぶ親子3代の物語が一つの大きな物語として繋がっていく。半年見続けた者へのご褒美のような1週間であった。残すところあと2話で最終回。くーっ。