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坂本九

(音楽)
さかもときゅう

九ちゃん」の愛称で親しまれた国民的人気歌手。本名:大島九(おおしま・ひさし)。
1941年12月10日生まれ。神奈川県川崎市川崎区出身。坂本家9人兄弟の末っ子として生まれる。*1幼少期を母の実家がある茨城県笠間市で過ごす。
高校時代、ジャズ喫茶で歌っていた所を所属事務所のマネージャーに見出され、1960年「悲しき六十才」でレコードデビュー。「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」など、数々のヒット曲を飛ばす。1985年8月12日、日航機墜落事故で死去。享年43歳。棺の番号は333だった。
妻は女優の柏木由紀子さん。歌手の大島花子さん、女優の舞坂ゆき子さんは実の娘である。

主なヒット曲

  • 上を向いて歩こう」(1961年)
  • 「悲しき60才」(1960年)
  • 「九ちゃんのズンタタッタ」(1961年)
  • 「カレンダーガール」(ニール・セダカのヒット曲、1961年)
  • 「明日があるさ」(1963年)
  • 「東京五輪音頭」(競作、1963年)
  • 「幸せなら手をたたこう」(1964年)
  • 見上げてごらん夜の星を」(1963年)
  • 「ともだち」(1966年)
  • 「涙くんさよなら」(1965年)
  • 「レット・キス(ジェンカ)」(1966年)
  • 「世界の国からこんにちは」(競作)
  • 「さよなら さよなら」
  • 「若者たち」

特筆事項

昭和36年10月に東芝レコード(現・東芝EMI)より発売された「上を向いて歩こう」は、当時のNHKの人気バラエティ番組「夢で逢いましょう」で今月の歌としてオンエアされるや、爆発的大ヒットを記録。同年末のNHK「紅白歌合戦」に初出場を果たす。*2昭和38年には米国キャピトルレコードより「スキヤキ・ソング」の名前で発売。ビルボード、キャッシュ・ボックスの各誌で第1位を獲得し、日本初の世界的ミリオン・セラーソングとなった。以後今日に至るまで全世界で1000万枚以上もの驚異的な売り上げを記録し、数多くの有名シンガーによってカヴァーされるなど、今もなお根強い人気を誇る名曲となっている。
「明日があるさ」は、2000年にウルフルズが『ジョージアで行きましょう編』としてカヴァーしたことがきっかけで爆発的ヒット。2001年の新語・流行語大賞のトップテンに入賞し社会現象にもなった。さらに、2002年には第74回選抜高等学校野球大会入場行進曲の曲として選出された。

*1:小学生の時に両親が離婚してからは母方の姓を名乗る。

*2:以後、昭和47年まで12回連続出場。昭和43年と44年には白組司会者も務めた。

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