だからこそ私はまず塾生諸君に「学問」をする下地を作れと申すのです。 学問をすることとは、一つの「ものの見方」を学び、なおかつ自分と違う主義主張を持った他者の視点や見方が存在することを知るということなのです。現在わが国ではそうした「学問」の価値が蔑ろにされる傾向が著しく、儲かるためのガクモンにばかり注力したがるアホな政治家が得意げに「議論なきギロン」を繰り広げています。 学問が糾弾するところは、まさにこうした近視眼的な利得にばかりとらわれた「今が良ければそれでよい」という腐りきった考えであり、この国の将来をより一層空疎なものへと向かわせようとするなさけないオトナ達なのです。 と、いけない、いけな…