Sam Peckinpah
監督、脚本家
1950年代、テレビ業界入りして、ドン・シーゲルと知り合う。シーゲルの『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』で脚本を手がけ、また出演もした。TVシリーズの『ライフルマン』等を手がけ、1961年に『荒野のガンマン』で劇場用長編デビュー。以後、アンチヒーローを描きながらも、そこから逆説的に独特のヒーロー論を展開した。気性が激しいことから、1960年代半ばはハリウッドから干されていたこともある。また、『片目のジャック』『ジョーズ』など降板させられた作品も多い。晩年は作品に恵まれず不遇でもあった。
スローモーションを多用するバイオレンスシーンが特徴で、『ワイルドバンチ』公開当時は「死の舞踏」と称され、センセーションを巻き起こした。手法としては、黒澤明の『七人の侍』やアンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『恐怖の報酬』にインスパイアされたと本人は言っている。