明石へ移って来た初めの落ち着かぬ心が少しなおってから、 源氏は京へ手紙を書いた。 「こんなことになろうとは知らずに来て、ここで死ぬ運命だった」 などと言って、 悲しんでいた京の使いが須磨にまだいたのを呼んで、 過分な物を報酬に与えた上で、 京でするいろいろの用が命ぜられた。 頼みつけの祈りの僧たちや寺々へはこの間からのことが言いやられ、 新たな祈りが依頼されたのである。 私人には入道の宮へだけ、 稀有《けう》にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを 源氏はお知らせした。 二条の院の憐《あわ》れな手紙の返事は一気には書かれずに、 一章を書いては泣き一章を書いては涙を拭《ふ》きして書いている様子…