主に、戦争や平和、安全保障などの現実について無関心であったり、現実から乖離した理想論などが生み出す状況、行動、考えなどを罵倒・嘲笑する際に用いられる。
平和ボケとみなされる思想については、何をボケ、現実的とみなすかは人それぞれであり、自身の理想をボケとみなすことは基本的にないため、具体的にどのような思想が平和ボケかについて定まったものは無い。極端な例では、諸外国の良心にのみ期待した平和主義と、軍国主義的な強硬派は、どちらも平和ボケと呼ばれる場合がある。一見正反対のことを言っているようでも、実際にはどちらも長く続く平和が生んだ現実離れした思想であることは共通しているのである。
しかし、平和ボケという言葉を最も頻繁に向けられるのは、戦争や平和、安全保障などへの無関心に対してである。そもそも、平和ボケと言う言葉が頻繁に使われるようになったのは湾岸戦争の頃で、当時はまだ日本周辺の安全保障が話題になることは少なく、平和ボケと言う言葉が向けられたのは世界の平和に貢献しようとしない、日本以外の平和に関心を持たない一国平和主義に対してであった。また、それとは別に、平和教育推進の目標に平和ボケした人々に「戦争の悲惨な現実」を認識させることが掲げられることもあった。戦争や平和、安全保障への無関心を「平和ボケ」とみなすことは共通していても、ボケから覚めて見るべき現実像はやはりそれぞれなのである。
太平洋戦争の敗戦から半世紀以上を経て、その間戦争から遠ざかっている日本においては、ある意味「平和が常態」であって、戦争や軍事についての国際的な常識や知識が欠如している面があるのは事実であるが、それを良いとするか悪いとするかは、人によって様々であろう。
なお、平和ボケという言葉は、戦争や紛争関連だけでなく、企業や個人レベルの危機管理に係わる意味で用いらることも多い。また、必ずしも否定的な意味で使われるわけでも無く、日本の治安の良さに慣れているための無用心なさまを肯定的に表現するために用いられることなどもある。