比叡山一帯を境内に持つ、天台宗の総本山。 788年に最澄が一乗止観院として創建し、823年延暦寺の寺号を賜った。 境内は東塔・西塔・横川の三地域に大きく分かれている。
国宝の根本中堂を中心とする地域。延暦寺発祥の地。
釈迦堂や常行堂・法華堂が並ぶ通称「にない堂」などが有名。
横川中堂を中心とする地域。横川中堂は1971年に再建されたもの。西塔から4キロほど離れている。
後白河法皇は、前々から、 三井寺の公顕《こうけん》僧正を師範として、 真言《しんごん》の秘法を学んでいられたが、 大日経《だいにちきょう》、金剛頂経《こんごうちょうきょう》、 蘇悉地経《そしつちきょう》の三部の伝授も済み、 九月四日、 三井寺で御灌頂《ごかんじょう》をお受けになることとなった。 これを聞いた山門の大衆はひどく憤慨して騒ぎが大きくなってきた。 「昔から、御灌頂ご受戒は当山で受けると決っているのに、 先例を破って、三井寺でやるのなら、三井寺を焼き払ってしまうぞ」 といっておどかした。 法皇は、山門を刺激しても無駄だからと、 三井寺での御灌頂は一応お取やめになったが、 元々そのおつも…
比叡山へ 行きの車中より 前日に買っておいたミスドのオールドファッションハニー+豆乳麦芽コーヒーの大好物コンビで朝ごはん 少し前から「比叡山に行きたいね」と家族で話していたけれど、最近まで山頂は雪が残っている様子だったので、暖かくなるのをずっと待っていた (我が家からは比叡山のてっぺんだけが遥か遠くに見える) 京都から滋賀への道はいつも混む この日も所々で混んで停滞したけれど、なんとか無事に比叡山ドライブウェイに到着 ここまで来れば、ほぼ車は走っていなかったので、のんびり窓からの景色を楽しめた 琵琶湖や!大津プリンスホテルやん!と言いながら写真を撮った(大津プリンスホテルには家族で1度だけ泊ま…
琵琶湖からの延暦寺
この明雲大僧正は、 久我大納言顕通《こがのだいなごんあきみち》の子で、 仁安《にんあん》元年座主となり、 当時天下第一と言われる程の智識と高徳を備えた人で、 上からも下からも、尊敬されていた人だったが、 ある時、陰陽師《おんようし》の安倍泰親《あべのやすちか》が、 「これ程、智識のある人にしては不思議だが、 明雲の名は、上に日月、下に雲と、 行末の思いやられるお名前だ」 といったことがあったが、今になってみると、 その言葉もある程度うなずけるものがある。 二十一日は、座主の京都追放の日であった。 執行役人に追い立てられながら、 座主は泣くなく京をあとにして、 一先ず、一切経谷にある草庵に入った…
安元《あんげん》三年三月五日、 藤原師長《もろなが》は太政大臣、 その後を重盛が襲って内大臣に任命された。 当然内大臣になるべき、 大納言 定房《さだふさ》を越えての栄進であった。 ところで話は二年程さかのぼって安元元年 加賀守《かがのかみ》に任ぜられた師高《もろたか》という男があった。 彼は例の西光の息子である。 この男、人を人とも思わぬ暴君で、 加賀国一円に暴政の限りをつくし、 悪評ふんぷんたるものがあった。 ところでこの弟の師経《もろつね》が、 又兄貴に輪をかけたような乱暴者で、 加賀の代官に任ぜられた時、 鵜川という山寺で、 僧侶がお湯を沸かして浴びていたのをみつけると、 あっというま…
永万《えいまん》元年の春頃から、 病みつき勝ちだった天皇の容態が急変し、 六月には、 大蔵大輔伊岐兼盛《おおくらのたいふいきのかねもり》の娘に生ませた 第一皇子に位を譲られた。 間もなく七月、二十三歳という若さで世を去った。 時に新天皇は二歳という幼な児であった。 天皇の葬儀の夜、一寸《ちょっと》した争い事が起った。 元々、天皇崩御の儀式として、奈良、京都の僧侶がお供をして、 墓所の廻りに額《がく》を打つ習慣があった。 それも順序が決っていて、 第一が、奈良東大寺《ならとうだいじ》、次が興福寺《こうふくじ》、 延暦寺《えんりゃくじ》という順で、代々守られてきたのである。 ところがこの日、何を思…
大阪は明日雨模様のようなので、花粉が沢山飛んでるようですが、天気が良く、春の陽気なので比叡山へ登ってみることに。 京都河原町からバスに揺られること30分。 修学院から比叡山を目指す。 のんびりした街並みで落ち着く場所でした。 きらら坂碑から急坂登山がスタートし、少し登った場所から京都北部を眺める。 更に上に登り、途中からなだらかになったり急坂だったりを繰り返す。 それでも愛宕山や急坂続きの六甲山、摩耶山に比べればマシな気がする。 何度も休み休み登ったら90分くらいでロープウェイ駅へ到着。 2時間くらいかかるようなことが書いてあったのに予想外。 更に登り、ロープウェイの山頂駅の北側にはこんな開け…
最澄は822年に、空海は835年に遷化する。(なお空海は死んではおらず、生死の境を超えて永遠の瞑想に入っていることになっている。高野山奥之院にいる彼のもとに、1日2回食事と着替えが届けられる、という儀式が今も行われている。)この二大巨頭の死後、2つの教団はどのように発展していったのだろうか? まずは天台宗から。最澄の死後、彼の後継者たちは未完であった天台宗の教義の確立をせんとする。だが空海の真言宗との関係性は途絶え、これ以上の密教経典の借用は望めない。ならばいっそ、ということで改めて遣唐使の船に乗って、本場の密教を学び直しに行ったのである。倭寇の時代とは大違いで、当時の日本の航海技術は極めて低…
このブログでは、 比叡山延暦寺の歴史と自然の魅力が満載の 比叡山延暦寺についてご紹介します。 比叡山延暦寺は、 日本仏教の母山と呼ばれる天台宗の総本山で、 世界遺産にも登録されています。 しかし、 かつては織田信長によって焼き討ちされた 悲惨な過去を持つ場所でもあります。 そんな比叡山延暦寺は、 今では約2,000本のモミジやサクラなどが 美しい紅葉の名所となっており、 秋には多くの観光客が訪れます。 今回は、 比叡山延暦寺の見どころや 信長の焼き討ちの歴史、紅葉の時期や混雑状況、 駐車場やアクセス方法などを詳しくご紹介します。 また、 周辺の宿泊施設や 観光地もおすすめしますので、ぜひ参考に…
東塔・阿弥陀堂への階段 2010年12月30日 阿弥陀堂 東塔 昭和55年再興とありました
四国南部・土佐の一領主に過ぎなかった長宗我部元親は、1560年代後半からその領域を広げ、かつての天下人・阿波三好家との激戦をも制し、元亀元年(1573年)には讃岐を除く四国のほぼ全域を統一するに至った。 だがここで、畿内にて勢力を伸ばしつつあった尾張の大名・織田信長が台頭。 元親の義父にして新たな臣下となった篠原長房の有する摂津の領地を狙い、元亀三年(1575年)に長宗我部家へ宣戦布告してきたのである。 織田、そしてその同盟国・徳川の精強なる連合軍に対し、元親は西国の雄・毛利と結びこれに対抗。 決戦は摂津・神崎川近辺で繰り広げられ、両軍ともに凄惨なる犠牲を出しながらもこの戦いは長宗我部・毛利連…
『光明寺』は法然上人ゆかりの寺院!秋には紅葉の名所としても人気! 西山三山のひとつとしても知られる、浄土宗の総本山『光明寺』は紅葉の名所!混雑する京都市内とは異なり、ゆっくり紅葉を楽しめる穴場です! 筆者紹介 こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。 旅人サイファ実績 ・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No1 ・旅行お出かけメディア「RETRIP」パートナーライター ・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数 ・「にほんブログ村」国内旅行カテゴリPVランキング1位…
洛陽三十三所観音霊場で今日最後に廻る札所と成ります、紫式部の邸宅跡に建立されたのが天台宗分派の天台圓浄宗盧山寺です。 門の前で周囲確認すると、何処から見ても紫式部由縁のあるお寺さんですよ!と猛アピールして居ます。 門を潜ると観光客がちらほらと見受けられ、更に拝観口まで入り込むと修学旅行でガイドに付き添われて説明を受けて居る数名の高校生等を垣間見ました。 今回は、拝観せずに如意輪観音菩薩を祀って居る拝殿(瑠璃光殿)での参拝を済ませ、拝観口横に有る御札授与所にて洛陽三十三所観音霊場納経帖を差し出して記帳して頂きました。 下の御朱印は、比叡山延暦寺で購入した御朱印帖にわざわざ御納経帖と揮毫して頂きま…
有馬温泉 次の札所は、加東市にある第25番目の播州清水寺。先の札所の中山寺から、50kmほど北東に位置しています。寺院の名にもある通り、兵庫県の瀬戸内側、播磨(はりま)の国に属してはいるものの、丹波の国にほど近い、山地の中に境内を構えています。 有名な有馬温泉は、この2つの札所の中間地点。道筋はやや外れますが、これも旅の妙味です。中山寺の参拝後、温泉で一夜を過ごし、翌日に、播州清水寺へと向かうことになりました。 彼の豊臣秀吉も、愛してやまなかった有馬の湯。黄金に輝く金の湯と透明感あふれる銀の湯の癒しの効果は絶大です。京阪神の大都会に程近い、六甲の奥に佇む温泉地。何度でも訪れてみたいところです。…
飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。 本日もリスボンの、老いてますます学ぶ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。 僕は神様の存在は固く信じていますが、 特定の教えに拘るつもりはありません。 神様という超越的なご存在に対して我々人間が何かを申し上げることは、 できないし、するべきではないと思っています。 それでも仏教の教えには惹かれる部分が少なくありません。 もっとも仏教が宗教かどうかということについては、 異論もありそうです。 少なくとも実在の仏陀であったゴータマ・シッダルタの説いた教えは、 広い意味での哲学といってもよいように思います。 ですが…
短歌大会とのめぐりあい 2024年2月下旬。地域の文芸活動について調べていたところ、中尊寺で例年短歌大会が開催されていることを知った。今回の選者は東直子先生。これは応募しなくては! 応募要項に関して確認しておきたい点があったため、詳細を伺うため中尊寺に電話を…かなり身構えたものの事務局の担当の方が暖かく対応してくださり、初の歌会を中尊寺で飾れることに。わくわく。応募は近詠一首(自由題)とのことから、何首か詠んでいたうち夫からの印象も参考として提出しました。 平泉へは思い立てばすぐに行ける距離ではあるものの、数年振りの参拝を兼ねてじっくりと旅のムードに浸ることとして…年度末を越えていこう。 きき…
2024、4、29 Day3 朝食後は高野山繋がりで比叡山延暦寺へ 高野山は真言宗、延暦寺は天台宗… 私は全く知識なしだったので 引き続き彼が詳しく説明してくれました。 まずはケーブルカーで八瀬から比叡山へ 次にロープウェイで比叡山山頂へ そこからはバス🚌 桜が綺麗です🌸 根本中堂は改修中でしたが その工事の様子を見ることができて これも貴重な経験でした! 大講堂の近くに「開運の鐘」があって 彼と順番についてみました。 重厚な音色! 運が開けるそうです😊 御朱印 それにしても 高野山も比叡山も こんな寂しい山奥に 多くの人が こもって 修行したのですね… 日本人って 改めて 我慢強い人種なんだ…
奈良博の「空海・密教のルーツとマンダラ世界」展では智証大師・円珍に関連した文書典籍のうち梵夾が展示されていた。第二章の「密教の源流̶陸と海のシルクロード」の入り口すぐ、一番最初の展示物であった。第一章が奈良博東新館を使ったマンダラ世界の再現であったので、実質的にルーツを探る最初の章で、のっけから国宝の展示となっていた。 日本に本格的な密教をもたらしたのは弘法大師・空海である。この空海に影響を受けて、密教を学ぶべく大陸に渡って学んだしっかりとした裏付けがとれる文書として残っているのが智証大師関係文書典籍である。2023年5月24日にユネスコの「世界の記憶」に登録されたのは記憶に新しく、1200年…
令和6年度 愛知県公立入試 社会解答 答えをタップすると解説へ。 1(1) できごと:エ場所:C 二つともできて1点。 1(2) オ 1(3) ウ 2(1) A:ウB:b 二つともできて1点。) 2(2) ア 2(3) ウ 2(4) ア 3(1) エ 3(2) イ 3(3) ①:イ②:b 二つともできて1点。 3(4) 津波:イ火山災害:ア 二つともできて2点。 4(1) カ 4(2) a:ウc:イ 二つともできて1点。 4(3) オ 5(1) ①:イ②:カ 二つともできて1点。 5(2) エ 5(3) ア 5(4) ア 6(1) オ 6(2) エ 6(3) エ 1(1) 東大寺の大仏は,聖武…
小野氏の本拠点。滋賀県大津市小野『小野篁神社』、左奥が天足彦押人命を祀る『小野神社』。 2024,4,27 結論から言うと、武蔵一宮小野神社を起点としてまたとんでもないレイラインを見つけてしまった。 ガクブルの真実、今回の記事はその前編となります(´(ェ)`) 事件は、日本足彦国押人命(6代孝安天皇)を調べていたところから始まる…。前記事で、小野神社が蘇我大伴系統と深い縁があると睨んできた…。では小野神社に影響を残した小野氏族とは何処から出てきたのだろうか?。今回は…、なんで祖家の影響力の強いはずの神社に、いきなり小野氏族の祖神を祀る事になったのか?、その経緯が焦点となる。 (´(ェ)`) ~…
ここ数年、ひとつの問題に答えを見出すべく悩み続けています。 とある寺院を訪れたときのこと。本堂でお参りをしていたら、隣に親子連れがいらっしゃいました。お父さんは神仏に真面目に向き合うことを息子に教えようと、厳しい口調で言いました。「礼して、もう一回礼して、ほら、二回するんだ。はい、パンパンして、最後にもう一回礼して、こらっ、ちゃんと礼して」という具合に。息子は途中でふざけようとしましたが、父親の真剣さが伝わり、ギクシャクしながらも教え通りにしていました。間違った知識が親から子に受け継がれていく瞬間、私は何も言えませんでした。 この「お寺でパンパン問題」は、何もこの時だけでなく、あちらこちらで見…
引っ越し日の週に長旅を決行した。つまり、旅が終わった翌日が引っ越しという過酷スケジュール。もっと緩やかな計画を立てることはできないものかね、と反省しすぐに忘れてこれを繰り返すのである。 今回の旅は関西へ!初日は目的地である滋賀県の琵琶湖を目指して朝の5時に出発。いつもより早い外出に、モーイは戸惑いながらも尻尾をブンブン振っている。「へへへ、今日は普通の散歩じゃないんだぜ、楽しみにしておくんなまし〜」と飼い主共も浮つき散らかしてモーイに話かける。 【今日の飼い主はなんだがご機嫌だな〜】 旅初日特有のアドレナリンがドバドバ出てるので、琵琶湖までの6時間の運転はあっという間であった。湖の畔にある公園…
坂本城址公園に出没した経緯について 坂本城址公園の駐車場とトイレについて 坂本城址公園の満開の桜と琵琶湖の景色レビュー! 坂本城址の石垣について 坂本城址公園の明智光秀像について まとめ 坂本城址公園に出没した経緯について 先日、大阪で行われる登山大会に参加したのですが、神奈川県に住む私にとっては、中々出没できるエリアでないので、他の山にも登れたらな~っと考えていました。 すると奈良在住の登山仲間と打ち合わせした結果、大会の前日に琵琶湖の直ぐ近くに鎮座する比叡山へ出没する事になりました! 比叡山と聞くと「延暦寺の焼き討ち」を妄想してしまう私なもので、折角、行くならば・・・となり、近くの坂本城址…