江戸幕府第五代将軍。生没年(1680-1709) 三代将軍家光の四男。母は京堀川の八百屋お玉(桂昌院)。長じて上州館林藩主となり、兄の四代将軍家綱に世嗣がなかったことから、その養子に迎えられ将軍となった。 「生類憐れみの令」と呼ばれる動物愛護のための諸法令を定めたことで知られる。
愛知県岡崎市に徳川将軍ゆかりの大樹寺があり、そこに生前の身長と同じ高さの位牌があるがその高さが124cmしかないことより、小児症であったといわれている。
七五三とは?その歴史と意味 「七五三」(しちごさん)は、日本の伝統的な行事で、子どもの成長を祝うために行われます。毎年11月15日に、3歳、5歳、7歳の節目を迎えた子どもたちを対象に、家族で神社にお参りし、無事に成長してきたことを感謝し、これからの健康と幸せを祈るのが七五三の習わしです。 七五三の起源は平安時代に遡るとされ、特に貴族の間で行われていた子どもの成長儀礼が基となっています。その後、江戸時代になると武家や一般の庶民にも広がり、現在のような形に定着しました。当時は、幼少期を無事に過ごすことが特に重要視されており、子どもの成長を祝う意味合いが強く感じられる行事でした。 11月15日に祝う…
【中古】貨幣の鬼 勘定奉行 荻原重秀 (講談社文庫 た 61-16)価格: 600 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 旗本の次男坊に生まれた荻原重秀は幕府勘定方に務め、太閤検地以来と言われる畿内の大規模な検地を実施して実績を上げた。感情の起伏が激しい将軍綱吉から財政にかかる諮問を受け、上司が満足に答えられない中、肚を据えて諮問に応え綱吉の信頼を得る。代官の不正を摘発して増収に務め、遂に綱吉は上司を放逐し、勘定組頭に取り立てられた。 しかし歳入は3代将軍家光時代をピークに金の産出が減少し、歳出は明暦の大火以降出費が続き、歳入が117万両に対し歳出は127万両と構造的な赤字体質となっていた。家康以…
大奥(綱吉時代)の相関図を作成しました。犬と女が大好きな将軍です。 ■目次 ■人物紹介(5)徳川綱吉桂昌院(お玉)(3)徳川家光鷹司信子伝阿久里安子牧野成貞柳沢吉保染子大典侍の局新助の方 ■年表■参考資料(ドラマ) ■使用素材について ■人物紹介 (5)徳川綱吉 犬公方、徳川5代目将軍。兄の死後に将軍継承した。あの忠臣蔵は綱吉の時代。犬と女が大好き。こんなに女好きでハーレム大奥に君臨していたのに、後継には恵まれなかった。生類憐れみの令や忠臣蔵の主役たちの処刑や改易などで、民や後世の日本人からも悪政を敷く馬鹿将軍だと嫌われたが、最近は先進的な平和政策だったのではないかとも再評価されつつある。 桂…
本日2月22日は猫の日です。 はい、まずは肉球サービスショット! 毎年2月22日にいろんな記事を書いてきましたが、そろそろネタ切れ……。 ニャンだと! お怒りですね。 何かネタはないか2月22日について色々調べてみました。 すると、当日についてはほとんど書き切ったので新しく書くべきことはなかったが、その前後については面白いことがわかりました。 まず、前日の2月21日は「漱石の日」とされております。 文部省が彼に文学博士の称号をおくろうと打診したところ「自分に肩書は必要ない」と言って断った日です。 猫小説で有名な漱石さん、かっこいい! こちらは一昨年書いた夏目漱石関連の記事です。 mishabl…
編笠十兵衛(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]価格: 660 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 旗本中根家の食客で、いつも浅い編笠を被った月森十兵衛。その血筋は名門柳生家でも「別働隊」としてその名を轟かせた柳生十兵衛三厳を祖父に持ち、剣の腕前も祖父譲り。そしてこの家系には、西の丸御留守居役を務める大身旗本の中根塀十郎正冬と共に「将軍家に落ち度あるときはこれを正す」という密命が、二代将軍秀忠の代から受け継がれていた。 時は元禄、五代将軍綱吉の治世。生類憐れみ令が出されて、犬を中心に動物を害する者は死罪や遠島の刑罰も下される時代。そんな中「犬斬り」を行なう曲者を十兵衛が役人から助ける。…
護国寺御朱印 参拝日:令和5年(2023年)2月22日 仁王門 不老門 護国寺大仏 仁王像 観音堂(本堂) 多宝塔 薬師堂 霊 廟 拝観時間 アクセス 東京メトロ有楽町線護国寺駅を上がるとすぐ目の前に仁王門が目に入る。 仁王門 仁王門 正面:金剛力士像 背面:二天像 八脚門、切妻造りで丹塗。元禄期造堂の本堂、薬師堂や大師堂などから成る、徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、重要な表門である。建立は、元禄10年(1697)造営の観音堂(本堂)よりやや時代が後と考えられ、正面(南側)の両脇に金剛力士像。(右側は阿形あ・ぎょう像・左側は吽形うん・ぎょう像)、背面(北側)の両脇には二天像(右側は増長天・…
三井物産は日本最初の総合商社だ。 海外への進出も、当然とりわけ早かった。 明治十二年にはもう、英国首府はロンドンに支店を開いてのけている。 大久保利通が紀尾井坂にて暗殺された翌年だ。まずまず老舗といっていい。その歴史あるロンドン支局に、これまた永年、奉職してきた小使がいた。 (Wikipediaより、三井物産ビル) 現地採用の英国人で、十九世紀の白色人種がみずから求めて黄色人種の下働きになりにゆくということは、それ自体がもう異変であった。よほどの奇人か、選り好みする余裕というのをまったく持たない下層民かのどちらかだろう。 彼の場合は、後者であった。 といって、評価は悪くない。 よく気が利くし、…
昨年中はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 ・・・・・・・・・ さて、新年ですので、できることなら幸先が良さそうな明るい写真をアップしたい。 初日の出を撮りに行こうと思ったのですが、この寒さの中、メリケンパークや神戸空港で日の出待ちをすると五十肩が痛みそうなので諦めました。 過去に撮った写真の中から、お正月っぽいものはないかと探してみると春日大社の釣灯籠が出てきました。 魔を払う力があり不老長寿を象徴する色「朱色」の柱と灯籠の「金色」は、吉兆が感じられる色の対比。まさに正月の色。 春日大社の回廊には、室町時代から現代までに寄進された釣灯籠が1000基ほど吊り下げられてい…
犬公方綱吉の真実 前代未聞の大馬鹿政策を打ち出した無能な暴君という評価が長かった徳川綱吉であるが、近年になって彼はそれまでの殺伐とした社会を改めて、今日の福祉の概念まで取り入れようとした先進的な名君という評価も現れてきている。とは言うものの、現実には生類憐れみの令は社会に混乱をもたらし、多くの問題もあったのも事実である。その綱吉の考えや生涯に迫ろうというのが今回。 綱吉像、何となく頑固で神経質な印象を受ける もっとも綱吉に対する肯定的な見方は最近はあちこちで言われており、テレビでも扱われていたりする。 綱吉の健康問題を絡めて分析したのがこれ tv.ksagi.work ダイジェスト的に紹介して…
やや古い時代の中公新書「ケンペルと徳川綱吉」読みました 。ケンペルと徳川綱吉: ドイツ人医師と将軍との交流 (中公新書 1168)作者:ベアトリス・M. ボダルト・ベイリー中央公論新社Amazon ケンペルはオランダから、鎖国時代の日本、出島にやってきて、江戸参府もした人間のひとり。 基本的に商売に徹してたというオランダ人たちだが、やはり未踏の地をひとつずつ潰していくことを世界的な流行としていたこの時代。世界に門戸を閉ざしたこの不思議な、しかし間違いなく高度な文明を持つ地域を観察し報告しそれで世に名前を残そうと言う冒険的知識人たちは何人かいた。商館長でもあったチチングや、植物学者ツンベリー、言…