詩の一形式。短いフレーズで、韻を踏む形式は「韻文詩」(verse)と呼ばれるが、一見通常の文章のように見えるのが「散文詩」(prose)である。 ここで注意したいのは、韻を踏んでいても詩とは呼べない文章もあるし、散文で書かれたテクストが詩そのもの、という場合もあることである。「詩」に心があるのなら、それを持ったテクストは詩と呼べるだろう。 有名な散文詩の作品では、フランスのボードレールの「パリの憂鬱」がある。けだし、梶井基次郎の一連の小説は散文詩と呼んで差し支えない。
アメリカのブラック・フライデー(2013年11月)で、開店と同時に店内に駆け込む買い物客。ウィキメディア・コモンズより。 ユダヤ商人たちだって売ったことのないものを販売中。貴人も凶悪犯も味わったことのないものを販売中。大衆の呪われた溺愛も、大衆の非道な純愛も、いまだかつて知らなかったものを販売中。歴史も科学も認めなかったものを販売中。復元された「声」売ります。合唱および合奏の、全エネルギーとその即時の適用との、友愛に満ちた覚醒を販売中。われわれの諸感覚を解放する無二のチャンス。あらゆる人種、あらゆる社会、あらゆる性別、あらゆる系統から逸脱した、値段のつけようもない「人体」を販売中。ひと足ごとに…
2014年の「プリンシェスダーグ(王子の日)」に披露されたオランダの「黄金の馬車」。ウィキメディア・コモンズより。 ひと吹きの呼気が、壁に華々しい穴を開け――くさった屋根の旋回を狂わせ――家庭の境界を四散させ――数々の十字窓の上に影を重ね。蔓(つる)をつたって、ガーゴイルに片足をかけながら――俺はこの四輪馬車へと乗り込んだ。窓の凸面、でっぱったドア、でこぼこの椅子、廃物に近い古物(こぶつ)だ。誰一人として知る者もないわが睡眠の「霊柩車」、わが阿呆さ加減の「牧童の家」、馬車は草に埋もれた大通りの上をカーブする。右の窓の上部に欠損があり、月の蒼ざめた影やら、木々の葉っぱやら、女のおっぱいやらがぐる…
YouTube投稿リンクです✎ youtube.com
最近、曲に短い散文詩を添えることを始めました。きっかけは、ある作家さんの活動を見ていたことです。音楽だけでなく、物語や絵も含めて一つの世界を作っている姿を見て、自分も曲の"奥"にある景色を、言葉でも残してみたくなりました。最初に書いたのは、8/7にリリースする「Yoiyami」という曲のための詩です。 昼と夜のあわいに滲む、深い青。 宵闇は、人のように表情を変える。 ひとり、その色の中で、静かに整う。ジャケットの写真は、2年ほど前に東京にコンサートを見に行く道中で撮ったものです。歩きながら見上げた空の色が印象的で、その時の感覚から、この曲を作りながら感じていた"静かに自分と向き合う時間"を言葉…
『江戸の風と紫の残影』 苔 む す 静 寂 賑やかな門前仲町の盛り場をふらりと離れて、裏筋へ迷い込んでみれば、おやおや、なんとも墨絵のように静まり返った場所へ行き着いてしまいやした。 ここにあるのは、主を失くして久しい古い廃寺でございます。水無月の長雨をたっぷりと吸い込んだその境内の石段、いや、古びた階には、見渡す限り一面に、美しく瑞々しい青苔がむしておりやした。まるで極上のビロードを敷き詰めたかのように、どこまでも深く、どこまでも鮮やかに緑が広がっている。江戸のせわしない日常の音はここまでは届かず、ただ、しんとした静寂だけが、濃い緑のなかにぽつりと取り残されているようでございます。 今宵のあ…
『江戸の風と紫の残影』 風 薫 る さっきまでの激しい雨が嘘のようにあがって、水無月の空がにわかに明るくなってまいりやした。 ここ、深川の裏路地は、雨水に洗われたばかりの石畳が、鈍い銀色にしっとりと濡れて光っておりやした。軒下からぽつり、ぽつりと落ちる雨垂れの音が、まるで心地よいお囃子の拍子のように路地に響いている。雨上がりの湿り気を帯びた土の匂いと、どこからか漂う若い青葉の香りが混じり合って、吹き抜ける風がなんとも清々しく胸に染み渡るのでございます。 今宵のあっしの装いは、雨上がりの鬱陶しさを吹き飛ばすような、涼やかな趣向を凝らしてみました。初夏の水を思わせる、目の粗い薄水色の明石縮の着物に…
はじめに 読み手を選ぶオリジナルエッセイ 二次創作 ネタポス 散文詩 小説 はじめに ここのところ時勢の変化も大きくて、公開でどこまで書くか、ということを日々意識するようになりました。 息苦しさを感じながらも、それでもいくつか場所を分散させて、表現の場を確保することは、これから先も持続的に創作活動をしていく上でももはや欠かせなくなっています。 私自身は、年初のとあるニュースをきっかけに、某所で公開していた二次創作物を全て引き揚げて、非公開で創作を続けることを決めました。 結果的にその時決断しておいて良かったなと感じているので、以下にどのような形で非公開・半分非公開で創作をしているか書いてみよう…
『江戸の風と紫の残影』 深 川 堀 暮れ六つの鐘が、遠くでぼうっと響き渡る。 今日という一日が、ゆっくりと大川の向こうへ溶けていく時間でござんす。 ここ、深川堀の水面は、夕闇を映してどこか寂しげな濃紺に染まり始めておりやした。 川面を渡る風には、ほんのりと潮の匂いが混じっていなさる。 ……この湿り気を帯びた風を頬に受けると、ああ、あっしの閨に帰ってきたんだねぇと、胸の奥がすうっと落ち着くのでございます。 今宵のあっしの装いは、ちっとばかり初夏の涼を先取りしてみやした。 濃い紫紺の絽の着物に、すっきりと合わせたのは博多織の献上帯。白地に一本、きりりと通った一本独鈷の縞が、いなせでござんす。 そこ…
主人が書いた、落語風の散文詩が凄過ぎるんです。 天才過ぎるんです。 すごいなぁと心から思いました。 言葉と言葉、文章と文章の繋がりや、組み合わせ方、 言葉の使い方、表現方法、感覚、物事に対する感じ方、 さまざまな面が私の心を脳を揺すりました。 なんだか、触発されました。 やはり、主人の散文詩は最高だなと思いました。 言葉の爆弾の様でもあるし、刺激的だなとも思いました。 最初の、はじまりも印象的なはじまりだし。 最初から、もう、主人の散文詩の中へ引き込まれて行きます。 その後は、もう主人ワールドですね。 言葉の端端に主人の言葉、文章に対する、並々ならぬ覚悟、気合いが感じられました。 こだわりとい…
アルマン・ゴーチェ「三人の尼僧」。コルネットをかぶっている。ちなみにコルネットは白いのが当たり前で、ブルーのコルネットなんか実在しないと思います。ウィキメディア・コモンズより。 わが修道女(シスター)、ルイーズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムへ。――「北海」を向いたブルーの尼僧帽(コルネット)。――漂流する遭難者たちのために、祈りを。わが修道女(シスター)、レオニー・オーボア・ダッシュビーへ。願わくは――うるさい夏草、くさい草――母子(ぼし)の解熱(げねつ)のために、祈りを。ルルへ。――悪魔め。――君は「女友だち」時代、学業怠慢少女時代から、礼拝堂(オラトワール)通いは欠かさなかった。――男たちの…