詩の一形式。短いフレーズで、韻を踏む形式は「韻文詩」(verse)と呼ばれるが、一見通常の文章のように見えるのが「散文詩」(prose)である。 ここで注意したいのは、韻を踏んでいても詩とは呼べない文章もあるし、散文で書かれたテクストが詩そのもの、という場合もあることである。「詩」に心があるのなら、それを持ったテクストは詩と呼べるだろう。 有名な散文詩の作品では、フランスのボードレールの「パリの憂鬱」がある。けだし、梶井基次郎の一連の小説は散文詩と呼んで差し支えない。
死はただの現象だ寂しさはそれにただ付随するだけだ誰かがいなくなった穴その穴に誰も気づかなければ寂しがる人もいない本当に孤独な人ならば死はただの現象に過ぎず寂しさなどという感情は生じることはないけれどその人が孤独でなければ周りの人が勝手に寂しがるいなくなった穴に向かって嘆き悲しみときには怒りなんと滑稽だろう感情をぶつけてもその人は蘇ったりしないのに空虚な穴に向かって投げ込まれる感情受け止める相手のいない感情もし幽霊がいたならばまだ救われるのだろうか何も返ってこない虚しさ何も返ってこない寂しさ感情をぶつけたところで何も返ってこないのに この涙は一体どこに落とせばいいんだろう (ランキングに参加して…
正常に処理できません正常に処理できません空き容量が不足しています机の上は散らばっています床にまで散らばっています頭の中も散らばっています正常に処理できません思考容量が不足しています自分のことすら考えられない視界すら暗くなってきた意識をシャットダウンします (ランキングに参加しています。よければ応援お願いいたします。)
一九七〇〜一九八〇年代にショートショートが流行していたことは以前も書きました。各務三郎編の『世界ショートショート傑作選』(写真)も、その時代に刊行された海外のショートショート集です。 ショートショートの定義を巡る議論は、うんざりするほど繰り返し行なわれてきました。大きく「短いことだけが条件で、内容は自由」派と「短いのは勿論、内容にもこだわる」派のふたつに分かれるでしょうか。 日本では、SFやミステリーの分野でオチの効いたショートショートが人気を得たため、そういった作品をショートショートと呼ぶと誤解されてきたと、編者の各務三郎は書いています。 そのため、この叢書には「そうではない」ショートショー…
長田弘さんの詩集に、ドハマり中www 図書館で借りた『深呼吸の必要』は昭和59年に出版された詩集なのですが、 本に書庫マークのシールが貼れていました。 つまり借りる人が現在少なくて、普段は図書館の本棚に陳列されているのではなく、 書庫に保管されていて、私たちの目に触れない場所に置かれていたということ。 ここ何年前からかわかりませんが、昔は紙の図書カードが本に挟まれていて、 そこに借りた日と、返した日の日付がスタンプされる仕組みでした。 その本がいつ、何度借りられたかわかるようになっていた。 今は一人一人カードを持っていて、スタンプを押すような事務作業はなく、 カードを機械に通して、本のバーコー…
【※】本記事は文学フリマ京都7にて頒布したコピー本「吉川良太郎全短編レビュー(仮)」を一部改訂した再録です。(仮)がついているのは、ほんとうに全短編なのか、ちゃんと調べきった自信がなかったのと、深夜のテンションでつくったため、作業時間もすくなく、レビューというよりは簡単な作品紹介でしかない、という自覚が大いにあったためです。また、本記事の作成には谷林守さんのご協力をいただきました。 吉川良太郎(よしかわ・りょうたろう) 一九七六年、新潟市出身。中央大学大学院在学中の二〇〇一年、『ペロー・ザ・キャット全仕事』で第二回日本SF新人賞を受賞しデビュー。SF、ホラー小説などの執筆と並行して映像関係の仕…
●ぼくにとって天沢退二郎は、まずは『光車よ、まわれ!』や「オレンジ党」シリーズの作家として、そしてまた、アンリ・ボスコの翻訳者としてとても大きな存在だ。シリーズ一作目の『オレンジ党と黒い釜』を初めて読んだのは小学校五年生(1978年)だが、完結編『オレンジ党 最後の歌』を読めた時にはもう46歳になっていた。 furuyatoshihiro.hatenablog.com ●地図萌えも天沢退二郎から。一枚目は『光車よ、まわれ!』の地図、二枚目は『オレンジ党と黒い釜』の地図。 ちなみに、次の画像はアーサー・ランサムの地図(『スカラブ号の夏休み』)。 ●面白いのか面白くないのかよくわからない、なんとも…
思いがけず、友人から2023年の皇族カレンダーを戴きました。 なかなか手に入るものでもないので、ありがたく頂戴し、さっそく デスクの上の書棚に‥。皇族の方々の凛とした佇まい、姿勢の美しさに、 自ずと身が引き締まります(*^^*) カレンダーを見て、と言うか上皇后美智子さまの醸し出すオーラ、 奥ゆかしさに心惹かれ、ふと一冊の本のことを思い出しました。 神谷美恵子訳『ハリール・ジブラーンの詩』(角川文庫)という詩集を ご存知でしょうか。レバノン出身のハリール・ジブラーン著『預言者』 から、何編かを抜粋した訳詩集です。 ジブラーンはレバノン出身の詩人として活躍した人ですが、その作品は 世界30ヶ国語…
ここ十日位、ずっと、散文詩を書きたいなんて思っていました。 そして今日、ノートに筆を走らせました。 いえ、あくまでも、ゆっくりと書いたのです。 走らせるなんてものじゃなくて、 一字一字、いつもより力を入れて、 真っ赤な、パーカーのボールペンで書きました。 政治や社会への絶望を、このままにしないで、 せめて、心の中を掃除するようなつもりで、 理不尽を、理不尽のまま、おしとどめないで、 散文詩にしようと、 そんなことを考えて、ぼちぼち、書いていきます。
眠る。食べる。排泄する。そして、セックスも含めたあなたの日常のすべてが、私のオーガズムを組み立てる。そのことを糧にして私もまた、日常を生きている。 山田詠美「ダミアン」より パリを舞台とした写真小説集。小説というよりも、どちらかというと散文詩的な内容。モデルとなっているのはパリのゲイのカップルたち。詠美がパリに行った時に知り合った写真家の小林丸人氏によるモノクロの写真はどれも官能的でありながらも、静かだ。それに呼応するかのように書かれた詠美の文章もまたエッジが効いていて面白い。 【DATA】山田詠美「ダミアン」幻冬舎文庫『巴里製皮膚菓子』M5レフィル<方眼摩天楼>2nd Track 9 Rou…
正月にガルシア=マルケスの「エレンディラ」を読み直したら、相変わらず面白く、その流れでラテンアメリカの小説をあれやこれやと買い込んでしまった。今は順番に読んでいる。 昨年も、年末年始にガルシア=マルケスを読んで、ラテンアメリカ小説ブームがおれのなかで始まった。確か、半年ほど、ラテンアメリカの小説ばかり読んでいたのではなかったか。 この1月に読んだ本について順番に紹介していきたい。 ペドロ・パラモ (岩波文庫) 作者:フアン・ルルフォ 岩波書店 Amazon 解説によれば、1980年に行われたスペイン語圏の作家や批評家たちへのアンケートで、ラテンアメリカ文学の最良の作品として、ガルシア=マルケス…
キム・チュイ『小川』(彩流社、2012) キム・チュイ『小川』 ベトナム系カナダ人の自伝的小説。アジア系の北米の作家は多数存在する。その中に、本書のような女性の作家も少なくない。だが、本書のような味わいをもった作品はめずらしい。その点がおそらく評価されて、2018年度の「ニューアカデミー文学賞」にノミネートされたのだ。2018年度はノーベル文学賞が諸般の事情で授賞されないことになり、代わりに設けられた文学賞が「ニューアカデミー文学賞」だ。それの候補作になったというのは本当だろうかと多くの読者は思うのではないか。それくらい地味でぱっとしない印象がある。*しかし、途中からじわじわと、題名の「小川」…
こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。 今回はアレクサンドル・ソルジェニーツィンの英語版Wikipediaの翻訳をします。翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれませんが、大目に見てください。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。 学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
ホイッスラー「白のシンフォニー第3番」。ウィキメディア・コモンズより。 「お嬢さん、実のところ、あなたは僕をつくづく疲れさせる。あなたの溜息のつき方ときたら、まるで60歳の落穂拾いのお婆さんか、酒場(キャバレー)の出入口で残飯をあさっている年老いた女乞食よりも深刻な悩みを抱えているかのようだ。「もしその溜息が深い改悛の情から来ているのなら、あなたはそれで名を上げるかも知れない。だがあなたの場合、それはただ満ち足りた暮らしと閑暇の過剰とを示しているに過ぎない。のみならず、あなたは無意味なセリフを絶えずペラペラとまくし立てる。『私を愛して。私には愛が必要なの。優しく口説いて。強く抱きしめて』待った…
フランツ・ディデリック・ボエ(Frants Diderik Bøe)「白夜の海鳥」。ウィキメディア・コモンズより。 人生は一つの病院で、全患者が病床を交換することばかり考えている。暖炉の前で苦しみたいと願う者もいれば、窓辺で治るはずだと信ずる者もいる。俺も自分が不在の場所でこそ、常に元気でいられるような気がする。引っ越しは、俺がわが魂と絶えず議論を交わしている一つの問題である。「教えておくれ、俺の凍えた魂よ。リスボンに移り住んではどうだろう。あそこは温暖に違いないから、お前も蜥蜴(とかげ)みたいに回復することだろう。あの街は水辺にある。聞いた話では、それは大理石で建てられた街で、住民はあらゆる…
ここにちいさな傷があって ぼくとっても気になるので ひっぱってちぎってあげた かいぬし痛かったみたいだけど ぼくとてもしつこくしてみたんだ ぷぷぷ ピリカです お花の雑誌みていたら かみかみできるような気がして ぼくこつこつくちばしあててるところ だめです 笑わないでください ぼくけっこう真剣なんだから 猛禽類は上空の彼方からでも 地面でのたくるミミズやバッタが見えるという 小鳥もちいさなちいさなつぶつぶや 果実の色合いなんかを 見分けていると思う ピリカはひとり餌の練習のころ 本の句読点をつついていたことがあった ピリカも散文詩より 行分け詩を好むんだなって うれしくなっちゃったのをおぼえて…
私はあなたの草原の息吹が大好きです。井戸の蜃気楼と家の蜃気楼。大熱に翼を乗せて。草原にたたずむタンチョウ鶴。ポロフツィ* もギリシャ人も みんなここにいた。大草原のバンドゥーラ大草原のバンドゥーラ、琥珀色の甲板ハイダマクの断崖の音階とともに。雷が鳴り響くのはどこか下の方だ。私はあなたのステップを愛しています。 あなたのすべてが好きです。レッドブックのような孤独な私空の最後のクレーン ✍🏻 リナ・コステンコ (https://t.me/l_v_kostenko) Люблю твій степ і подих твого степу.Міраж кринички і міраж осель.По…
昔はもっと詩を読んでいたような気がするけれど、最近はめっきり詩を読む頻度が減ってしまった。 「詩」を学べば学ぶほど難しいな、と感じるときもあって、それで読むものが小説に偏ってしまったりしている。でも、そもそも詩歌とは、もっともっと日常の中にあるものなのかもしれない、と思ったのは、高原英理さんの新刊『詩歌探偵フラヌール』を読み終わった時でした。 もう、ですね。 めちゃくちゃ面白かったんです。 だいたいタイトルが「詩歌」×「探偵」×「フラヌール」っていう組み合わせだけでアガりますよね。読んでいる間も、ワクワクしてしまう。 遊歩(フラヌール)は、目的なく街をさまよい、一歩ひいた視線で観察する、という…