五条通は幹線道路で国道1号線でもある。けれども五条通が現在のように広い通りになったのは戦時中のことで、(もちろん応仁の乱ではない💧)空襲による延焼を防ぐため建物の強制疎開があったからで、五条通は航空機の滑走路として使われるはずだったとも言われる。 であって往時は五条通は平安京では「六条坊門小路」であった。もとの五条通は今の松原通で(ややこしい(>_<))、六条坊門が五条通になったのは秀吉の時代、 「秀吉が建立した方広寺大仏殿への参拝のため、五条大橋を六条坊門に移設したためこの通りが五条通となり、元の五条大路は松原通と呼ばれるようになった。」(Wikipediaより) そんなわけで今の五条通は秀…