権威(人を服従、強制させる力)に価値をおき、それに対して自己卑下や盲目的服従をする態度のこと。また逆に人にそれを要求する態度のこと。心理学的には、権威や伝統、社会的に価値のあるとされているものを無批判に承認し、これに服従、依存し、融通が利かないパーソナリティを指す。
権威主義的性格の強い人間は金、地位、名誉を求め、それらに弱い傾向にある。
当たり前のことだが、騙される方より騙す方が悪いだが、今の世は騙される方が悪いとされているかのようで騙されない工夫とか知恵を自己責任で持つようにされている犯罪発生率は容易に想像がつくように経済(的な困窮)と相関関係がある困窮してると不満が鬱積するやがて、それだけでは済まずに簡単にお金が入る方法を倫理感などお構い無しに考えてそれを実践するこれは世界中で見られる出来事のようだでもちょいと立ち止まって考えてみると日本の場合は少し変だと思えることがあるそれは鬱積した不満をどこにぶつけるか?という相手が違ってやしないかと思えるのだ不満は現在の社会を実質的に仕切っている政府に向かうのが普通と思われるアメリカ…
他アカウントブログにて、「日本の21世紀前後のバックラッシュは、前後半に分けられる」と指摘した。 以前、当ブログでも、「維新の近年史」に興味があると述べたことがあった。 それらは、敢えて(知的に?)「追う価値があるのか」ということに、一応結論を出しておきたい。 結論から言うと、「価値はない」となる。終わり。 といいたいところだが、一応理由付けを明確にしておきたい。 理由も割と明確で、「権威主義とポピュリズムの先が見えた」から、と整理してよい。 自民一強が崩れ、「多党制」への移行トレンドは明確化した一方で、「他党」が「代替選択肢」になったとは言い難い状況である以上、今後も当面は、「自民+α」の連…
今日は思い立って、とある「戦争犯罪」系歴史展示を観に行っていた。 嫌な気分になるかと思ったがそうでもなく、むしろ結構面白かった。 国際色豊かな独特の展示で、いろいろなことを考える契機ともなった。 先般の参院選では、参政党が躍進し、「遂に日本でも極右政党が伸長」と注目されるに至っている。 自分は実は、あまりその現象自体にはさほどの関心は持っていないのだが… 自分が気付いたのは、日本の政治社会の「バックラッシュ(反動)」には、大きく分けて「1990s後半~」と「2010s後半~(安倍自民以降)」の「前後半」に区分できないか、ということだったのである。 なぜこのような独特のことに気づいたのか。 自分…
はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と十三 「イキスギルト ミギモ ヒダリモ ツナガル?」 「circle(サークル)、cerchio(チェルキオ)、kreis(クライス)」 ん? 「円、輪っか」 んん? 「だから、行き過ぎると、グルッと回って右も左も繋がっちまう」 右も左も、繋がる? 「しかも、お互いに、行き過ぎた点を、愚かであった点を、真摯に反省し、謙虚に握手、みたいな、そんな感じ。では、ない」 んんん? 「むしろ、最悪の形の握手」 最悪の形の、握手? 「もちろんアプローチは違うだろうけれど、おそらく、右も左も、最初は、ピーポーたち一人ひとりの幸せを第一に考えていたはずだ。しかし、どうし…
民主主義を装う権威主義 - 世界化する選挙独裁とその論理 (叢書21世紀の国際環境と日本 008) 作者:東島 雅昌 千倉書房 Amazon 何らかのレベルで公正と言えない選挙を行うことで「民主主義を装う権威主義」と呼ぶべき体制の国家が増えている中、独裁者がどのような戦術で権威主義体制下の選挙を乗り切ろうとしているのか、あるいはそれに失敗した場合にどんなことが起こりうるのかを計量分析も踏まえて論じた本です。 権威主義体制下の選挙には、体制の強さを誇示したり、支持状況に関する情報を得たり、(選挙への参加・不参加を通じて)野党を分断したりといったメリットがある半面、圧勝できないと自分の弱さを曝け出…
前回、私は「なぜアメリカがダライ・ラマの後継者選びに関与してくるのか?」という疑問から調べ始め、「これはただの宗教問題ではなく、ナラティブの心理戦なんだ」と気づいたところまでを書いた。 でも、アメリカや中国の大国同士の動きに目が行きがちだけれど、そもそもチベットの人たち自身はどう感じているのだろう?という問いが、あとからじわじわと湧いてきた。 そこで今回は、チベットの側の視点に立って、この問題を見てみようと思う。 1. ダライ・ラマは「生き仏」──精神の支柱としての存在 ダライ・ラマは、単なる政治指導者ではない。チベット仏教徒にとっては輪廻転生を繰り返す“生き仏”であり、精神的なアイデンティテ…
ダライ・ラマ14世が、今年90歳を迎えた。 そのニュースと一緒に流れてきたのが、アメリカ国務省の声明だった。 「チベットの人々が、干渉なく宗教指導者を選び、崇拝する自由を支援する」 ……と。 正直、最初にこのニュースを見たとき、こう思った。 「え、なんでここでアメリカが出てくるの?」 中国とチベットの対立が長年続いているのは知っていた。 チベットの人たちが中国政府に弾圧されているとか、 ダライ・ラマが転生して少年に生まれ変わるとか、 でも中国政府がそれを許さないとか——。 そういう話は、なんとなく聞いたことがあった。 でも「アメリカ政府が声明を出す」っていうのは、正直、どうしてそこまで?という…
G7サミットがカナダで始まります。イスラエルとイランの交戦が始まり中東情勢の沈静化を求める共同声明の採択ができるかが焦点になるそうです。 G7、中東沈静化求め共同声明か カナダでサミット開幕へ | 共同通信 イランによる核兵器保有を認めず、イランとイスラエルに外交的解決を求める共同声明になるのではないかといわれているようです。トランプさんも、イスラエルとイランは停戦で合意すべきだと述べ、各方面に働きかけて実現させると強調しています。しかし、サミットの場では、米国と文言の調整が難航する恐れもあるといいます。さてどうなるのでしょうか。 「自由」、「民主主義」、「人権」といった基本的な価値を共有して…
ソ連などの社会主義体制が崩壊した「冷戦終結」の頃(1990年代初頭)のこと。西欧やアメリカの体制を典型とする「リベラルな民主主義」の優位性を主張する「歴史の終わり」論が、話題になったことがあります。 フランシス・フクヤマ(1952~)というアメリカの思想家が打ち出したもので、簡単にいうと、つぎのような主張です。 リベラルな民主主義こそが究極の政治体制であり、ほかの体制はそれよりも不完全で重大な欠陥があったことが、冷戦終結で明らかになった。なにしろ、共産主義というリベラルな民主主義の最大の強敵が敗北したのだから。 これはイデオロギーの進歩の歴史において、重要なコンセンサス(最終的な答え)が成立し…
21世紀の現代、世界は一時「民主主義の第6次ウェーブ」を迎えているとも言われました。これは、2000年代以降のデジタル技術の浸透やグローバル化の進展により、新たな市民参加の形が生まれ、民主主義が再構成される兆しを指していました(Papacharissi 2010, 2015)。しかし同時に、Levitsky and Ziblattが”How Democracies Die”(2018)で論じたように、民主的制度は暴力的な転覆よりも制度内部から浸食され脆弱化しつつあり、Diamondが「民主主義の退潮(democratic recession)」と形容する流れの中で、ポピュリズムや権威主義への揺…