ローマ帝国の西半分(西ローマ帝国)は、400年代後半に体制崩壊しました。内乱やゲルマン人の侵入がその原因です。 ゲルマン人とは、ローマ帝国周辺の辺境に住む人びとの総称で、いくつもの部族を含みます。476年にゲルマン人傭兵隊長による反乱で、西ローマ帝国という国家は最終的に滅亡したとされます。 ただ、それ以前にもゲルマン人はローマ帝国に入り込んでいました。300年代までには多くのゲルマン人が農民として移住し、ローマ軍のかなりの部分もゲルマン人で占められていたのです。ローマ的な教養を身につけ、政府高官や軍の司令官になるゲルマン人もいました。 一方「反ゲルマン」の風潮も根強くありました。「所詮は野蛮人…