辺見じゅんのノンフィクション小説。
昭和十六年十月、極秘のうちに誕生した、不沈戦艦「大和」の予行運転が初めて行われた。同十二月、太平洋戦争突入。そして戦況が悪化した昭和二十年四月六日、「大和」は三千三百三十三名の男たちを乗せ、沖縄への特攻に出撃した。日本国と運命を供にした「大和」の過酷な戦いと男たちの人生を、丹念に、生々しい迫力をもって描く、鎮魂の書。新田次郎文学賞受賞作。
Amazon.co.jpより
DVDのレンタル及び販売は8月4日の予定。DVDは通常版と特別限定版の発売が予定されている。
<沖縄の海に散花した男たちの物語>
「男たちの大和」のDVDを観た。物語は戦艦大和の生涯を通じて、その乗組員と家族の想いを描いた作品である。
大和は当時、世界最大の超弩級戦艦であった。その圧倒的な破壊力で米国艦隊を撃滅する事を期待されていた。しかしミッドウェー、レイテ沖海戦など連合艦隊の旗艦として参戦するもたいした戦果を挙げる事はできなかった。海戦の主役が、艦隊同士の砲撃戦から、空母を基幹とした航空機決戦に代わってしまったからである。
そして日本の戦局はいよいよ厳しくなってきた。日本は一時、インドネシアを含む東アジア全体を占領したものの、圧倒的な物量に勝るアメリカにじりじりと押し返され始めた。更には絶対防衛圏とされるサイパンもついに陥落。とうとう昭和20年4月にはいよいよ沖縄本島まで米国軍は迫ってきた。その数、艦船1500隻、航空機1700機・・・
その時、大和は最後の出撃命令が下る。「天一号作戦」が発令された。作戦の内容は、片道分の燃料を積んで特攻、自ら浅瀬に乗り上げて、敵の上陸部隊を砲撃し撃滅するというものだった。航空機の援護もなしに出撃するこの作戦自体、無謀なものである事は誰もが分かっていた。それでも大和は出撃した。一億総特攻のさきがけとして・・・
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http://d.hatena.ne.jp/stelmos/20060821