石橋湛山

(社会)
いしばしたんざん

政治家。1884-1973。
戦前は『東洋経済新報』で小日本主義をとなえていたジャーナリスト。
戦後、大蔵大臣、通産大臣などを歴任。GHQの財閥解体方針には反対した。
2.1ゼネスト阻止にも動いた。
だが、GHQの方針を遠慮なく批判したことで公職追放にもあったことがある。

1956年、自民党総裁選で、決選投票で「二・三位連合」を組むことにより岸信介を激戦の末に制し、総理大臣に就任するも病気により65日で退陣した。

元総理として、中国の周恩来首相・毛沢東主席との会談を行ったことでもしられる。

また戦後も改憲、徴兵制復活、朝鮮戦争への派兵、憲法に義務規定を多く盛り込むことなどを主張する一方、前述のように親中共派としての一面もあり、今日に至ってもその思想と矛盾した政治行動に対する評価が相半ばする人物でもある。

早稲田大学卒。僧侶の資格も持ち、「湛山」は得度名。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ