大正時代に京都は舞鶴で生まれた、大型でしかも肉厚で種が少なく、唐辛子なのに甘い口あたりであることから「万願寺甘とう」と呼ばれ、地元でも美味しいと評判になった。しかし育て方が超難しくて、万願寺地区の限られた農家でのみ、自家野菜として栽培されるだけだったが‥‥‥。 ところが地域の方々のご努力で、継木栽培の台木の設定による工夫が功を奏し、産地の努力が実った形となった。現在では夏の京野菜として全国への出荷も可能となったし、少々交雑種となって全国でも育てられるようになった。一つ言えることは、万願寺甘とうはシンプルに焼くだけが美味しい。 自然から生まれたと言われる、伏見唐辛子と真逆の生い立ちを持っているの…