芭蕉科。 学名 Musa basjoo Musa : バショウ属 basjoo : バショウ(日本名)
芭蕉布の原料。
謡曲「芭蕉」では芭蕉の木の精霊が登場。 ふるくから日本の意匠のモチーフに用いられる。
関連語 :植物
→バショウ
松尾芭蕉のこと。
好むと好まざるにかかわらず、人はこの世に産まれ出る。 赤子の時は舐めるように育てられ、その後も大切に育まれる。 日本は特に、子どもに優しく甘い伝統がある。 しかし長ずるに及んで、だんだんとこの世の世知辛さを感じるようになる。 バカげた受験戦争の結果で、その後の人生はほぼ決まってしまう。 ここでつまずいたものは、親に疎んじられるようになる者さえいる。 社会に出ても利益追求のつまらぬ競争を強いられ、自分を消耗させる。 首相自身が破ることを公言しているのだから、ワークライフバランスなんて嘘だ。 身を粉にして働き続けても家も建たず、老後に食べていけるか分からない世の中だ。 そんな人生の中で、皆が皆では…
先日、三重県の伊賀上野を訪れました。 25年ぶりでしょうか。 小さい頃は、毎年、訪れていましたが、子供ですから、歴史や文化には全く眼が行きませんでした。 ところが、気がついてみれば、ガラクタ古物をいじくり回す毎日、古い城下町を見る眼も変わっているかも知れません(^^; 伊賀鉄道忍者市駅(関西本線伊賀上野駅は中心部から少し離れています)。 忍者バス。外が見えるのか? 古い町並み。 伊賀上野は、空襲で焼けていません。 これって、個人のお宅!? 県立上野高校のキャンバスには、明治の建物がさん然と輝いています。 さて、いよいよ、観光の中心地、上野公園へ。 芭蕉を讃えて造られた俳聖殿。 次は、芭蕉翁記念…
白髪三千丈 縁愁似箇長 不知明鏡裏 何処得秋霜 (白髪三千丈 愁ひに縁りて箇の以く長し 知らず明鏡の裏 何れの処にか秋霜を得たる) (『秋浦歌』李白) ある大学の研究室の夕暮れ 国文学者のF先生とお茶を飲みながらはなしていた・・・ F「・・・いずれの ところにか しゅうしょうをえたる・・・ってことですよ」 私「ああ・・あの有名な白髪三千丈・・ってこの詩だったんですか・・・ 三千丈って何センチくらいなんですかねぇ・・・」 F「え・・・・? ははは・・数学的には9千メートルってことなんですがね・・・ 本来の意味は・・憂いがかさなって毛がまっしろになった っていう比喩なんですよ・・・」 私「へぇぇ~…
※前々回のブログにおいて、北国街道のシリーズを1回飛ばしていたことを今日になって気づいた次第。所用で外出していたために、携帯からの操作となって誤送信をしたようです。読者の皆様には大変申し訳なく思っています。と、いう訳で、飛ばしてしまった北国街道79を今回アップさせて頂きます。どうかご容赦を。 奥の細道 市振は、松尾芭蕉の『おくのほそ道』でも有名なところです。その訳は、本文中で一章が設けられ、宿で一夜を明かした時の出来事が生々しく綴られているからだと思います。 「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔(ひとまへだて)て面(お…
風さそふ花よりもなほ 我はまた 春の名残りをいかにとやせむ ご存じ『忠臣蔵』前半の山場。浅野内匠頭の辞世である。放物線の頂点にまで咲き切った桜花が、吹くか吹かぬかのかすかな風にもはらはらと散り初める繊細さ、危うさ、はかなさを詠んだとされる。どうにも云い表しようのない残念無念の胸中を、見事に映し出した歌とされ、この芝居になくてはならぬ細部として踏襲されてきた。 が、今私に関心があるのは「花よりもなほ」である。「はかなし」の枕詞と称んでもよろしいほどに、もはや定型化した形容だ。 『古今和歌集』巻十六哀傷歌の巻には、こうある。 花よりも人こそあだになりにけり いづれを先に恋ひむとか見し 「あだ」は「…
きれいな葉っぱだけじゃなく、このぼさぼさ状態も、季語として「破れ芭蕉」とあると、しっくりきます。言葉のマジック。 破れ蓮(やれはす、やれはちす)もです。 日中でも散歩ができるようになりました。
♫ 雲にのりたい やわらかな雲に のぞみが風のように 消えたから・・・ どうしてみんな恋しているんでしょ・・・ 雲にのりたい やわらかな雲に 知らない街角をみたいから・・・♪ (『雲にのりたい』黛ジュン 作詞:大石良蔵・なかにし礼 作曲:鈴木邦彦) ある大学の昼休み、学内放送で曲がながれていた・・・ 研究室で国文学者のF先生と・・ F「あれまぁ・・・秋雲の歌ですねぇ・・・」 私「え・・・? あきぐも・・なんて ことば・・あるんですか?」 F「いぇぇ~~・・ありませんがね・・・ 雲に乗るなんて・・・ 夏や冬なんかの厳しい気候のときには 乗りたくないでしょ・・・ なにかやわらかい日差しの差す秋の雲…
萩原朔太郎が古今東西の詩人について、特徴をよく捉えた印象を書いている。松尾芭蕉(俳人も広い意味で詩人とした)は「人生の求道者、ロマンチックな旅行家」であり、アメリカのウォルト・ホイットマン(1819—1892)は「一種の社会的志士」という見方だ。夏目漱石によって日本に紹介されたホイットマンは、平等主義の詩人だった。2人の歩くことをテーマにした句と詩を読み返し、朔太郎の分析を反芻した。
川のそばを走っていたら姉が見つけた木。 姉「バナナにしか見えないけど、これバナナじゃない?」私「さぁ…」 謎でいっぱいなのですが、姉も私も植物に詳しくない…というより、全然知らないといった方がいいかも。🤣その後、ネットで調べた結果、「芭蕉」に違いない!ということになりました。 芭蕉といっても、バナナにも「実芭蕉」の呼び名があるそうだし、その他の違いを比較してもまだ迷いましたが、最終的に「芭蕉に」違いないと判断した理由は 「こんなところにバナナなんてなさそう」 という思い込みから。😅 にほんブログ村 いつも応援ありがとうございます。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。…
旅装ー西行か芭蕉かー 旅にやみ 夢は枯野を かけめぐる 願わくばはなのもとにて春しなん その望月のきさらぎのころ 関心は死(death)と臨終(dying)のこと。 ランキング参加中イラスト ランキング参加中読書