芭蕉科。 学名 Musa basjoo Musa : バショウ属 basjoo : バショウ(日本名)
芭蕉布の原料。
謡曲「芭蕉」では芭蕉の木の精霊が登場。 ふるくから日本の意匠のモチーフに用いられる。
関連語 :植物
→バショウ
松尾芭蕉のこと。
芭蕉の風景 -奥の細道 平泉-三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて高館の下にて、大河に落入。康衡等が旧跡は衣が関を隔て南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり。城春にして草青みたりと笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。夏草や兵どもが夢の跡卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良 兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜…
先日、「平家物語」も読破しているという日本文学に造詣の深い方(仮にAさんと呼ぶ)との会話の中で、芭蕉が滋賀の近江にゆかりが深いこと、その墓はJR膳所駅にほど近い大津市内の義仲寺にあることが話題になった。特に、なぜ木曽義仲の墓の横に葬られたかったのか不思議だということになった。その中で、「平家物語」には木曽義仲だけが美男であったと書かれている、とAさんから紹介があった。そこで思い出したのが嵐山光三郎著「芭蕉紀行」(新潮文庫平成16年)。そこには芭蕉とその愛弟子との衆道関係があからさまに書かれていた。「そういうことなのか!」 そこで、上記「芭蕉紀行」と同著者の「芭蕉悪党」(新潮社2006年)を参照…
み ス 行そ マ くら ホ 春旅 ひ や__と____で__ _____ おくの細道初句、行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 の本歌取りを意識しました 自分の足で歩いて旅にでる時代は、旅先で息絶えることもあり 今生の別れのような感覚だったのでしょう 今や、技術の進歩によりバーチャルな旅行もできてしまいます スマホひとつで旅券もホテルも食事も手配できてしまいます
本記事の位置づけ 先人の批評を無批判に踏襲しない 5/19追記 近代秀歌の補足 正岡子規の補足 高村光太郎 芥川龍之介の詩歌 詩の創作 科学と詩 媒体・メディアへの着目 国学における俳人 謡 本記事の位置づけ 光村図書の教科書サイト 中学校 国語 | 光村図書出版 の中3国語教科書のところ 教材別資料一覧・関連リンク 3年 | 中学校 国語 | 光村図書出版 には、短歌・俳句の関連サイトのリンクが多数ある。 また、本ブログでも、芭蕉に言及した。 古典 芭蕉1 - sazaesansazaesan’s diary 国語教育 芭蕉 補足(4/12にも追記) - sazaesansazaesan’s…
吉野山の西行庵周辺の桜風景 奈良 吉野 吉野山 桜 西行庵 奈良の吉野山へ 桜 西行庵 2025年4月16日(水)宿のある橿原神宮前駅(9:46発)から、特急で近鉄吉野駅(10:26着)へ。当初は、ロープウェイで下千本まで行き、後は西行庵のある奥千本まで歩いて行くことも考えていました。ところが、体調を崩しなおかつ腰の痛みを覚えたので、バスを利用することにしました。吉野駅に着くと、バス乗り場がありバスが待機していました。この時期、臨時のバスが増発しているようです。3台目の大型バスにすぐに乗れました。このバスは、駅と中千本までの間を往復しているそうです。中千本に着くとバス停から階段を登っていきます…
夕方から畑へ。今日は木に絡まったツルを取った。 before after ※beforeとafterは違う木です 無理をしないようにと思っていたのに、暑い中、2時間の作業で頭痛が。急いで水道で顔を洗った。冷たくて気持ち良い! そしてお水を飲んだ。冷たくて美味しい! ただの水道水なのに。畑も(一部だけど)キレイになったし、作業して良かったな。 草むらに座り、体力が復活してきたので、今度は草刈り。そしたら、草の中から芭蕉の赤ちゃんが! 他に3本くらい出ていた。何だか嬉しい。 枯れた芭蕉と芭蕉の新芽 どれが新芽か分かりにくくてスミマセン そして今日のお花 芭蕉の花と実 ちっちゃいバナナがたくさんつい…
岡本かの子は、晩年に仏教に傾倒し文章を残しています。彼女の仏教人生読本という本に引用されている和歌を紹介します。歌人の目から見た秀作ですので、和歌の勉強に良いと思います。その三です。 和歌の現代語訳と解釈9. 古歌* 年ごとに咲くや吉野の桜花 樹を割りて見よ花の在所ありかを* 現代語訳: 毎年咲く吉野の桜の花よ。その木を割って見てごらん、花の咲く場所がどこにあるのかを。* 解釈: 美しい桜の花は毎年咲くけれど、その美しさの本質はどこにあるのか、という問いかけの歌です。たとえ木を割ってみても、具体的な「花の在所」を見つけることはできません。美しさや生命の本質を知るのは難しいことを示しています。仏…
芭蕉の風景 - 奥の細道 千住 -千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそゝく。行春や鳥啼魚の目は泪是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。 ★このブログの全記事の中から 厳選おすすめ記事 です。(下記リンク)
裏道の墓地の前にある句碑。刻まれた文字はうっすらだが、隣に行政が設置した立て看板がありその文字を探してなぞると読み取れる。松尾芭蕉の句のようだ。 そもそも俳句には縁もない私だけど以前から気になっていたのは「はせ越」という名。「はせこし」という地域もこの近辺にもあるし読み方もわからなかった。「少し調べ初めてみると芭蕉の俳号のようで、どうやら「はせを」と読むらしい。 松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(月日不明)[注釈 1] - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)[1][2])は、江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。幼名は金作[3]。通称は甚七郎、甚四郎…
芭蕉の風景 - 奥の細道 深川 -芭蕉の「奥の細道」の旅を辿って、今まで何か所か巡ってきました。その時の風景写真をブログに残しておくことを思い立ちました。まず初めは、仏頂禅師に参禅した芭蕉ゆかりの臨川寺や芭蕉庵のあった深川周辺の風景です。芭蕉は、延宝8年(1680)に深川に移り住んだそうです。 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。」 芭蕉ゆかりの寺「臨川寺」「延宝8年(1680)深川に移り住んだ松尾芭蕉は二歳年上の仏頂禅師の人柄に感服し、足繁く参禅するようになりました。芭蕉庵と呼ばれた草庵が、臨川庵とほん…