安和元年10月26日(968年11月29日)〜寛弘5年2月8日(1008年3月17日) 第65代天皇。諱は師貞。冷泉天皇の第一皇子で母は摂政太政大臣の藤原伊尹の娘の女御懐子。在位は永観2年10月10日(984年11月5日)から寛和2年6月23日(986年7月31日)まで。かつては華山天皇とも表記されていた。
長徳2年(996)1月16日、藤原伊周、隆家兄弟が花山法皇に矢を射かける事件が起きた。花山院闘乱事件じゃ。これにより中関白家の伊周と隆家は失脚したのじゃが(長徳の変)、今回はこの事件について詳しくみていこう。 花山天皇
その頃 内裏《だいり》の主上から、 鳥羽殿にある法皇の許に、 ひそかにお便りがあった。 「かような世になりましては、 天皇の位にあっても何の意味がありましょうか? むしろ宇多法皇、花山法皇の例にもならい、 出家して山林流浪の行者にでもなろうかと思います」 法皇はこれに対して直ぐお返事をおつかわしになった。 「余りそのようにはお考えにならない方がよろしいでしょう。貴方がそうやって御位に即いていられるのも、 私にとっては一つの頼みなので、 おっしゃるように出家でもなさってしまわれたら、 誰を頼りにしたらよいでしょうか? とにかくこの私が、 どうにかなるのを見送ってからのことになすって下さい」 主上…
雨水 第五候 2/24〜2/28 霞始靆 かすみはじめてたなびく 霞がたなびき始める時期 紅梅に先達の経響きたり 今回、西国三十三所巡礼バスツアーは 京都市内にあるお寺 番外・16・17・18・19番札所を巡りました (12・13・14・15番は来来月の予定) 最初に向かったのは 京都市山科区にある 番外札所 元慶寺(がんけいじ) 本尊は薬師瑠璃光如来 868年(貞観10)遍昭僧正(六歌仙の1人)創建 大河ドラマ「光の君へ」で 本郷奏多さんが演じている 花山天皇が出家されたお寺です 第65代花山天皇は寛和2年(986年) 孫の懐仁親王を天皇に即位させたい 右大臣藤原兼家と道兼父子の策略により …
女院は今年の春の初めから ずっと病気をしておいでになって、 三月には御重体にもおなりになったので、 行幸などもあった。 陛下の院にお別れになったころは御幼年で、 何事も深くはお感じにならなかったのであるが、 今度の御大病については 非常にお悲しみになるふうであったから、 女院もまたお悲しかった。 「今年はきっと私の死ぬ年ということを 知っていましたけれど、 初めはたいした病気でもございませんでしたから、 賢明に死を予感して言うらしく 他に見られるのもいかがと思いまして 功徳《くどく》のことのほうも 例年以上なことは遠慮してしませんでした。 参内いたしましてね、 故院《こいん》のお話なども お聞…
花山天皇(かざんてんのう) 花山天皇(かざんてんのう) 冷泉天皇の第一子で日本の第65代天皇。冷泉天皇が発狂したため、2歳で皇太子になり、17歳で即位。退位後、花山法王となる。<どんな人>彼は絵画・建築・和歌など多岐にわたる才能があり、その発想も豊で、和歌においては在位中に『拾遺和歌集』を親撰し『拾遺抄』を増補したともいわれ巡礼しながら多くの和歌を作っている。 その反面、即位式で「王冠が重いから脱ぐぞ」と言って脱ぎ捨てたり、高御座に女官を招き入れたり女性のスキャダルも多く逸話がある。<最愛の妻を亡くす>忯子とは文のやり取りをしていく中で忯子に興味を持ち、同じ境遇の分かり合える部分があったのか次…
月と日を掌《てのひら》の中に得たような喜びをして、 入道が源氏を大事がるのはもっともなことである。 おのずから風景の明媚《めいび》な土地に、 林泉の美が巧みに加えられた庭が座敷の周囲にあった。 入り江の水の姿の趣などは 想像力の乏しい画家には描けないであろうと思われた。 須磨の家に比べるとここは非常に明るくて朗らかであった。 座敷の中の設備にも華奢《かしゃ》が尽くされてあった。 生活ぶりは都の大貴族と少しも変わっていないのである。 それよりもまだ派手《はで》なところが見えないでもない。 【源氏物語 13帖 明石(あかし)】 連日のように続く、豪風雨。 源氏一行は眠れぬ日々を過ごしていた。 ある…
🌸🎼とどまる哀しみ🌸 music byミルアージュ 夜がふけてから東宮はお帰りになった。 還啓に供奉《ぐぶ》する公卿の多さは 行幸にも劣らぬものだった。 御秘蔵子の東宮のお帰りになったのちの院の御心は 最もお悲しかった。 皇太后もおいでになるはずであったが、 中宮がずっと院に添っておいでになる点が御不満で、 躊躇《ちゅうちょ》あそばされたうちに院は崩御になった。 御仁慈の深い君にお別れして どんなに多数の人が悲しんだかしれない。 院の御位《みくらい》にお変わりあそばしただけで、 政治はすべて思召しどおりに行なわれていたのであるから、 今の帝はまだお若くて外戚の大臣が人格者でもなかったから、 そ…
「それではもうお出かけなさいませ。 時雨《しぐれ》があとからあとから 追っかけて来るようですから、 せめて暮れないうちにおいでになるがよい」 と大臣は勧めた。 源氏が座敷の中を見まわすと 几帳《きちょう》の後ろとか、 襖子《からかみ》の向こうとか、 ずっと見える所に女房の三十人ほどが 幾つものかたまりを作っていた。 濃い喪服も淡鈍《うすにび》色も 混じっているのである。 皆心細そうにめいったふうであるのを 源氏は哀れに思った。 「御愛子もここにいられるのだから、 今後この邸《やしき》へお立ち寄りになることも 決してないわけでないと 私どもはみずから慰めておりますが、 単純な女たちは、 今日限り…
🌊曽禰好忠(46番)新古今集 恋・1071 由良の戸を わたる舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋のみちかな🌼 〜由良川の(流れが速い)河口の瀬戸を渡る船頭が、 楫(かじ)をなくして、 行く先も決まらぬまま漂っているように わたしの恋のなりゆきも どのようになるかわからないよ。 💠 曽禰好忠 💠 そねのよしただ (生没年不詳、10世紀後半の人) 花山天皇時代の歌人。 斬新な歌で知られている。 💠聴く古典文学📚少納言チャンネルは、聴く古典として動画を作っております。ぜひチャンネル登録お願いします🌷 [独特の世界観が魅力] 帯留め 帯どめ モネ 雲 木 少年 犬 絵本のワンシーン ファンシー 可愛…
< 和歌をいかに巧みに操れるかが身分的実権を得るコツ モテるコツ > 「一億総株主化」とかおっしゃられてもねえ、どういう生活ベースからそういう発想が出てくるんでしょうか。昔からそうなんですけど、エライ人たちって、生活感覚、一般からかなり浮いてますよね。 持てる者と持たざる者って言ってしまえばそれまでのことかもしれませんが、最近の日本、お役人さんたちの乱れっぷりっていうのも、なかなかな感じになっていますしね。日本の何かが、どこかが、壊れてしまっているのかもです。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); コロナ禍での飲食店利用自粛期間に…