天正6年(1578年)、日向国の高城川原(たかじょうがわら、宮崎県児湯郡木城町)で大友宗麟(おおともそうりん、大友義鎮、よししげ)と島津義久(しまづよしひさ)が激突した。結果は、島津勢が大勝する。大友勢は敗走し、追撃を受けて耳川(みみかわ、宮崎県日向市を流れる)付近で多数の戦死者を出した。 戦国時代の九州の趨勢を決めた大合戦である。「高城川の戦い」「高城川合戦」または「耳川の戦い」と呼ばれている。なお、高城川というのは現在の小丸川(おまるがわ)のこと。かつては「高城」の近くを流れることにちなんで「高城川」と呼ばれていた。 rekishikomugae.net 『完訳フロイス日本史7 宗麟の改宗…