秀吉の軍師として活躍し、その天下取りに大きく貢献したとされる黒田官兵衛であるが、晩年になるとその能力を秀吉に警戒されて遠ざけられたと言われている。その官兵衛が関ヶ原の機に乗じて天下を狙っていたのではということが言われているが、その真偽や如何に。 // 秀吉に冷遇されていた晩年 まずはいきなり「お城クン」こと千田氏が、官兵衛が居城としていた中津城を訪問してテンション上がりまくっているのだが、この中津城は川沿いの平城であるが、この川が海につながっており、船を通じて物資や情報が集まるようになっている。官兵衛は早舟のルートを築いて上方の情報をわずか3日で入手していたという。この中津の地でジッと中央の動…