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2016-10-15

日銀の新たな金融政策の枠組みについて

00:37 | 日銀の新たな金融政策の枠組みについてを含むブックマーク

日本銀行は9月20日・21日の金融政策決定会合において、これまでの金融緩和の「総括的な検証」を行い、それに基づいて新たな金融政策「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入しました。

この政策については、これまで日銀の金融緩和政策を支持し、執行部や審議委員にも多くの人が加わったリフレ派の間でも、賛否が分かれています。僕もこの政策についてはなかなか考えがまとまらず、これまでブログで取り上げられませんでした。ただ、いつまでもこの問題を取り上げないわけにもいかないので、これまでに考えたことを書いてみます。


今回の新たな政策は、以下のような内容です。

これらを踏まえ、日本銀行は、2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現するため、上記2つの政策枠組みを強化する形で、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入することを決定した。その主な内容は、第1に、長短金利の操作を行う「イールドカーブ・コントロール」、第2に、消費者物価上昇率の実績値が安定的に2%の「物価安定の目標」を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する「オーバーシュート型コミットメント」である。


(1)長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)

1. 金融市場調節方針(賛成7反対2)


金融市場調節方針は、長短金利の操作についての方針を示すこととする。次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針は、以下のとおりとする。今後、必要な場合、さらに金利を引き下げる。

短期金利:日本銀行当座預金のうち政策金利残高に▲0.1%のマイナス金利を適用する。

長期金利:10 年物国債金利が概ね現状程度(ゼロ%程度)で推移するよう、長期国債の買入れを行う。買入れ額については、概ね現状程度の買入れペース(保有残高の増加額年間約 80 兆円)をめどとしつつ、金利操作方針を実現するよう運営する。買入対象については、引き続き幅広い銘柄とし、平均残存期間の定めは廃止する。


2. 長短金利操作のための新型オペレーションの導入(賛成8反対1)

長短金利操作を円滑に行うため、以下の新しいオペレーション手段を導入する

(i)日本銀行が指定する利回りによる国債買入れ(指値オペ)

(ii)固定金利の資金供給オペレーションを行うことができる期間を 10 年に延長(現在は1年)


(2)資産買入れ方針(賛成7反対2)


長期国債以外の資産の買入れについては、以下のとおりとする。

? ETFおよびJ−REITについて、保有残高が、それぞれ年間約6兆円、年間約900億円に相当するペースで増加するよう買入れを行う。

? CP等、社債等について、それぞれ約 2.2 兆円、約 3.2 兆円の残高を維持する。


(3)オーバーシュート型コミットメント


日本銀行は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続する。

マネタリーベースの残高は、上記イールドカーブ・コントロールのもとで短期的には変動しうるが、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、拡大方針を継続する。この方針により、あと1年強で、マネタリーベースの対名目GDP比率は 100%(約 500 兆円)を超える見込みである(現在、日本は約 80%、米国・ユーロエリアは約 20%)。

今後とも、経済・物価・金融情勢を踏まえ、2%の「物価安定の目標」に向けたモメンタムを維持するため、必要な政策の調整を行う。


金融緩和強化のための新しい枠組み:「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 :日本銀行 Bank of Japan 金融緩和強化のための新しい枠組み:「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 :日本銀行 Bank of Japan 金融緩和強化のための新しい枠組み:「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 :日本銀行 Bank of Japan


この中で重要な点は以下の通りです。

  1. 長短金利操作(イールドカーブ・コントロール):短期金利はマイナス0.1%、10 年物国債金利が概ねゼロ%程度
  2. 長期国債の買い入れ額は現状の買入れペース(保有残高の増加額年間約 80 兆円)を目処とする
  3. オーバーシュート型コミットメント :2%のインフレ目標を多少超えても、安定的に持続するために必要な時点まで、金融緩和を継続


この中で、オーバーシュート型コミットメントは望ましい政策でしょう。2%のインフレ目標が安定するまで金融緩和を維持するという方針は、「インフレ率が2%を少しでも超えたら金融引き締めに転換するのでないかという懸念を払拭し、インフレ目標へのコミットメントを強めることになります。

ただし、イールドカーブ・コントロールの10 年物国債金利が概ねゼロ%程度という目標と、長期国債の買い入れ増加額は年間約 80 兆円を目処とするという方針は、現状では矛盾しています。*1


実際に、この方針が発表されてから、長期国債の買い入れは減額していますし、黒田総裁は国債買い入れを将来的に減額する可能性にも言及しています。これらのことから考えると、日銀は長期国債の買い入れ増加額を減らしても、10 年物国債金利が概ねゼロ%程度という目標を優先する方針なのでしょう。*2


日銀は30日、10月の国債買い入れを減額すると発表した。国債買い入れオペ(公開市場操作)の10月分の買い入れ方針で、10月初回の買い入れについて、残存期間「10年超」の買い入れ額を減額。30日午前のオペで26日の4300億円から4100億円に減らしていた「5年超10年以下」については4100億円を据え置くとした。月間では約2000億円程度の減額となる。日銀は21日の金融政策決定会合で長期金利を「ゼロ%程度」に誘導することを決めていたが、その後は長期金利がじりじりと低下していた。減額で金利低下を抑制する狙い。金利を調節する政策の運用が本格化する。


日銀、金利調節を本格化 国債買い入れ減額  :日本経済新聞 日銀、金利調節を本格化 国債買い入れ減額  :日本経済新聞 日銀、金利調節を本格化 国債買い入れ減額  :日本経済新聞

YCC*3については、多額の国債買い入れによって長期金利操作ができているとし、「新たな枠組みへのシフトによって、日銀のバランスシートの拡大がこれまでと大きく異なるものとなってしまうことはない」と説明。当面は国債保有額を年間80兆円増加させるペースで買い入れる考えに変化はない、との見解を示した。

一方でYCCが達成されている限り、将来的に買い入れ額を「かなり」減らすかもしれない、と指摘。長期金利(10年債利回り)がターゲットを下回れば買い入れペースを縮小する可能性があるとし、「資産買い入れ額が減少しても増加しても、イールドカーブ・コントロールを適切に維持していれば問題はない」と語った。


現時点で追加利下げ必要ない、国債買い入れ将来的に減額も=日銀総裁 | ロイター 現時点で追加利下げ必要ない、国債買い入れ将来的に減額も=日銀総裁 | ロイター 現時点で追加利下げ必要ない、国債買い入れ将来的に減額も=日銀総裁 | ロイター

このように、10 年物国債金利が概ねゼロ%程度という目標と、長期国債の買い入れ増加額は年間約 80 兆円を目処とするという方針が矛盾していることが、今回の枠組みに対する賛否が割れている理由なのでしょう。

このように賛否が割れているということは、今回の決定で日銀の金融政策への信頼が揺らぎ、日銀の説明が素直に信じられなくなっていることを示していると思います。日銀が信頼を取り戻すためにはこの矛盾をなくすことが必要でしょう。


そのための手段としては、以下のようなことが考えられます。

  1. 目標とするイールドカーブを引き下げ、10 年物国債金利の目標をマイナスとする。
  2. 国債以外の資産(例えば外債)を購入し、イールドカーブに影響しない金融緩和手段を実施する。
  3. 政府が国債を新たに発行することで、10 年物国債金利の目標をゼロにしたまま国債買い入れ額の増加を実現する。


このうちイールドカーブを引き下げは日銀だけで実施できる方法ですが、それをするならなぜ今回やらなかったのかという疑問が出てきます。10 年物国債金利の目標をゼロにしたのは、恐らく国債を保有する銀行の経営に配慮したのだと思います。日銀としても、自らの政策で銀行の経営が悪化したり破綻したりする事態は避けたいでしょう。そう考えると、日銀がイールドカーブを引き下げを実施する可能性は低いでしょう。


次に国債以外の資産購入ですが、資産が大量に流通しているものを購入することが望ましいと考えれば、最大の候補は米国債となるでしょう。日銀の外国債の購入は、為替介入を目的としない限り、法的にも問題はないようです。だから為替相場と関係なく購入するのであれば可能でしょう。

日銀が外債を購入することによって、まず市場へ円資金を供給することができる。加えて、外債を買う過程で円を下落させる効果がある。前者で現行の日銀の金融緩和政策にプラスに働き、後者で財務省が行う「為替介入」と同様の効果もある。

この為替介入であるが、財務省の権限ということになっているため、外債購入は「法律的に難しい」といわれることがある。しかし、あまり報道されていないことであるが、外債購入自体は日銀法上では「可能」ではある。日銀法40条1項では〈日銀は自ら、または国の代理人として、外貨債権の売買ができる〉となっている。

さらに、同条2項では〈為替相場の安定を目的とするものについては国の代理人として行う〉とある。つまり、日銀法上、日銀は自ら外貨債権の売買を行うことは可能だが、為替介入目的の場合は国(財務省)の代理人として行う必要がある。


日銀への大きな不満?為替介入を嫌がる財務省、その判断は間違いです(ドクターZ) | 現代ビジネス | 講談社 日銀への大きな不満?為替介入を嫌がる財務省、その判断は間違いです(ドクターZ) | 現代ビジネス | 講談社 日銀への大きな不満?為替介入を嫌がる財務省、その判断は間違いです(ドクターZ) | 現代ビジネス | 講談社


ただ、為替介入を目的としなくても、米国債購入を行うと結果として円安になるので、この点で米国が反対する可能性があります。

しかし一方で、最近各国で米国債が売られているという話もあります。

米国債市場の需要の源泉として、最も頼りになる存在の一つだった外国の中央銀行がこのところ、投資家にとって新たな不安要因になりつつある。

米連邦準備制度が保管している外国中銀の米国債保有残高によると、中国や日本などの中銀は3四半期連続で保有を縮小している。これは過去最長の圧縮。縮小ペースはここ3カ月で加速しており、米国債利回りも同時に上向きつつある。


(中略)


連邦準備制度の保管データは海外中銀の保有縮小が一度限りの現象ではないことを裏付けている。米財務省の統計でも、中国は7月に米国債保有を1兆2200億ドルと、約3年ぶりの低水準に減らしたことが示された。日本やサウジアラビアなども今年、米国債保有を減らしている。

米国債の大口保有者が売却する理由はさまざまだが、いずれも各国の経済的困難に関係する。中国では景気減速による資本流出を受け、中銀が人民元相場を防衛するために米国債を売却。海外勢の米国債保有で2位の日本は、長引くマイナス金利で邦銀のドル需要が高まる中、米国債を現金や米財務省短期証券(TB)と交換している。

サウジアラビアのような産油国は、原油安による財政赤字の穴埋めのため米国債を売却している。サウジの保有は6カ月連続で減少し、965億ドルと14年11月以来の低水準。ナショナルオーストラリア銀行(NAB)の市場調査責任者ピーター・ジョリー氏は、原油安で産油国の「貿易収支は著しく悪化している」と述べ、これらの国の「米国債購入ニーズが大きく減っている」という意味だと指摘した。

中銀の米国債需要は10年物米国債利回りを0.4ポイント押し下げていると試算するモデルもあるだけに、その需要減少は7月に過去最低の1.318%を付けた米国の借り入れコストがようやく上向きつつある理由の1つを示している。


米国債市場の最大の買い手が異例のペースで売り、相場の転換点示唆か - Bloomberg 米国債市場の最大の買い手が異例のペースで売り、相場の転換点示唆か - Bloomberg 米国債市場の最大の買い手が異例のペースで売り、相場の転換点示唆か - Bloomberg


この記事にあるように、最近は中国やサウジアラビアばかりではなく、日本も米国債を売却しています。米国債売却は金利上昇を招き、米国に取ってもマイナスですから、日銀の米国債購入をこの事態への対策として打ち出せば、米国の容認を得られる可能性もあるでしょう。


最後に政府による国債の可能性を考えてみます。これについては財政再建を(表向きには)主張している財務省が強硬に反対するでしょう。だから財務省も納得できるロジックを考えなければなりません。

これについて、高橋洋一氏が興味深い提案をしています。この度、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典氏が日本の研究環境の悪化と予算不足を改善するよう訴えていますが*4、これに対して高橋氏は、「基礎研究と教育の財源を、税ではなく国債で賄う」ことを主張しています。

1年前の本コラムでは、研究が社会の役に立つのかどうかわからないが、まず支援するという「パトロン的な支援」がこの国には必要であることを強調した。

通常の公的支援では、集めた税金を官僚の裁定や事業仕分けを行ったうえで研究費として配分する。彼らは「選択と集中」を目指すのだが、そう簡単にできるものではない。

基礎研究にかかる今後の公的支援を考えるには、まず、経済成長が必要である。と同時に、従来の「選択と集中」に代わる原則として「パトロン的支援」が必要だ。その具体的策として、儲かっている企業や個人が大学の基礎研究に寄付して、それを税額控除する政策があげられる。

本コラムでは、それをさらに強化する政策を考えたい。じつは、これは筆者が在籍していた財務省ではひそかに伝承されているものだ。おそらく、少なくない財務官僚が先輩から話を聞いたことがあるだろう。

結論からいうと、「基礎研究と教育の財源を、税ではなく国債で賄う」というものだ。

ちょっと信じがたいかもしれない。あれほどまでに国債を忌み嫌い、国債残高が1000兆円となっていることを「財政破綻になる」と煽る財務省が、実は基礎研究と教育は国債発行で賄うと内部ではひそかに話している……そんなことはあり得ないと思うのが普通だ。


(中略)


その財務省でも、「基礎研究と教育の財源は国債で」と言い伝えられてきた。そのロジックは実に簡明。だから、財務省としてもまともに言われたら反論できないのだ(こうした話は、財務省では「筋のいい話」という。基礎研究と教育は「筋のいい話」だ)。

基礎研究や教育のように、懐妊期間が長く、大規模で広範囲に行う必要のある投資は、民間部門に任せるのは無理があり、やはり公的部門が主導すべきである。

その場合、投資資金の財源は、将来に見返りがあることを考えると、税金ではなく国債が適切であるのだ。

「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす(An investment in knowledge always pays the best interest.)」というベンジャミン・フランクリンの名言もある。

特に、教育は将来の所得を増やすことを示す実証分析結果は数多い。例えば、高等教育は将来所得増、失業減などで、便益/費用は2.4程度。これは、現在の公共事業採択基準を軽くクリアしている。国債発行で教育を賄い、教育効果の出る将来世代に返してもらうと考えればいいのだ。


日本がノーベル賞常連国であり続けるには、この秘策を使うしかない!(郄橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) 日本がノーベル賞常連国であり続けるには、この秘策を使うしかない!(郄橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) 日本がノーベル賞常連国であり続けるには、この秘策を使うしかない!(郄橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)


このように急いで予算を回さないと日本の研究や教育がダメになり、しかもそれが日本の未来にとって効率の良い投資となるのであれば、国債発行の大義名分も立つでしょう。この記事の後半で高橋氏も指摘していますが、この国債を発行すれば、日銀は「イールドカーブ・コントロール」のためにそれを買うことになり、金融緩和も実現します。

同じように国債発行をすべき分野は、災害復興や、老朽化したインフラの整備や作り直しなど、いろいろ考えられるでしょう。このような分野で国債を発行すれば、それが「イールドカーブ・コントロール」によって金融緩和にもなるので、インフレ目標達成や景気対策にも大きな効果があるでしょう。

このような財政政策を行えば、10 年物国債金利と長期国債の買い入れ増加額の目標が矛盾することもなくなり、金融政策への信頼も回復すると思います。


日銀が今回発表した「総括的な検証」でも、インフレ目標を達成できなかった要因の一つとして消費増税が挙げられていました。消費増税はいわば「逆財政政策」というべきものですから、その是正を財政政策で行うことは筋が通っていると思います。日本には予算を回すべき分野が多く、金利が急騰するという懸念も今回の「イールドカーブ・コントロール」でなくなっているのですから、政府はもっと国債を発行すべきだと思います。

*1:この矛盾については、バーナンキ元FRB議長も指摘しています。The latest from the Bank of Japan | Brookings Institution」、日本語訳「2016-09-22_ベン・バーナンキ「日本銀行の最新発表」 - Google ドキュメント

*2:ただし、今回の決定でもインフレ目標達成を目指して金融緩和を続ける方針は維持されていますので、金融緩和の終了を目的として金融緩和の減額を行うテーパリングではありません。今回の日銀の措置がテーパリングだとする報道や意見もありますが、それは間違いだと言って良いでしょう。

*3:イールドカーブ・コントロール

*4エラー|NHK NEWS WEB 」、「大隅氏、基礎研究の危機訴え ノーベル賞金、若手支援に活用:朝日新聞デジタル」、「「日本発のノーベル賞は減っていく……」 科学界に不安が広がる理由:バズフィード・ジャパン

JancloJanclo 2016/10/16 14:09 日銀による資産の買い入れなら、米国債でなく、不動産でいいのでは?
中央銀行による外債購入の前例を作れば、将来民主党政権みたいな政権が出来たとき、悪用されるでしょ。(実際、民主党政権下では、外債購入は何度も出ていました。)

国民生活が困窮しているのだから、国民の雇用に向けて財政出動すべきですね。

教育は雇用効果も低いですし、学生にとっては、出口のほうが重要です。
だから、教育よりも企業のストック投資への減税拡大や、港湾や物流網の拡充など公共インフラの整備にもっと力点を置いてほしいですね。

財政投融資は、政府が実質ノーリスクでできる財政政策ですから、これを港湾整備や物流網にまで拡充すればいいんですがね。

BaatarismBaatarism 2016/10/16 23:26 >Jancloさん
株式や不動産については、以下のように証券化された形で、すでに買い入れを行っています。

>ETFおよびJ−REITについて、保有残高が、それぞれ年間約6兆円、年間約900億円に相当するペースで増加するよう買入れを行う。

ただ、あまり買い入れ額を大きくすると市場を歪めてしまう恐れがあるんですよね。
国が関与する国債ならまだしも、民間市場である株式や不動産をあまり動かすのは、できれば避けたいところです。

あと、時の政権によって中央銀行による外債購入が悪用されるという話については、中央銀行には金融政策の手段の独立性が保障されているので、政府が中央銀行に「あれを買え、これを売れ」などと指図することはできません。もっとも金融政策の目標(インフレターゲットなど)は政府と中央銀行が共有するので、独立性はありませんが。
ただ、国民生活のことを考えれば、外債よりも自国債の方が良いのは確かです。

最近は雇用も改善しているので、財政出動で学生の就職口を確保することの優先順位は低くなっていると思います。
ただ、高度な教育を受けた研究職の雇用はまだ改善していないので、研究への予算増額は彼らの雇用改善につながるでしょう。もともと能力があり、国からも高度な教育を受けた人材が不正規雇用で消耗しているのは、日本にとっても損失でしょう。
今の日本では、かつてのような公共事業だけではなく、このようなイノベーションにつながる投資も重要でしょう。

JancloJanclo 2016/10/17 12:52 Baatarismさん

J−REITで年間900億円買い入れていますが、REIT自体の規模が小さいため、緩和効果は限定的です。実際、法人企業統計でも土地の勘定はアベノミクスが始まった2013年を頭に下落傾向です。

FRBはMBSを80兆円近く購入したそうですが、資産デフレが深刻な日本でも、このレベルの資金投入が必要なのは明らかでしょう。

民間市場が歪むと言いますが、戦時中から歪むレベルで地方に米の買い上げや土建でバラマキした結果、国が豊かになってるんですから、別に私は躊躇する必要はないと思いますよ。

理工系の研究へ予算をあてるのはいいと思うのですが、別に大学偏重である必要はなく、企業へもっと手厚くしたほうが良いのではないでしょうか?
ポスドクを量産しても、企業での勤務経験が無ければ、人生設計の厳しさは改善しがたいでしょう。また、過去のノーベル賞受賞者には、ソニーや島津製作所といった民間企業出身者もいます。

2016-06-05

失敗した「社会保障と税の一体改革」

23:20 | 失敗した「社会保障と税の一体改革」を含むブックマーク

消費税の10%への増税問題は、安倍総理が増税を2019年10月まで2年半延期し、噂されていた解散総選挙・衆参ダブル選は行わないことで決着しました。前回の延期の時に、再度の延期はないと総理が表明していたため、安倍政権への批判が起こっていて、民進党など野党は「アベノミクスの失敗」と批判しています。

しかし、消費税増税の延期は本当に「アベノミクスの失敗」なのでしょうか?


そもそも、今回の消費税増税は、民主党の野田政権時代(2012年8月)に、民主、自民、公明の「三党合意」によって決まった「社会保障と税の一体改革」において、社会保障の財源を消費増税で確保するという方針の下に定められたものです。

その後、自民党では谷垣総裁が党内抗争で辞任に追い込まれ、安倍総裁が誕生しました。また、野田政権も2012年12月の総選挙で大敗し、自公連立の安倍政権が成立することになりました。安倍政権は金融政策、財政政策、成長政策を「三本の矢」とする「アベノミクス」を経済政策として採用しましたが、同時に三党合意を尊重し、野田政権時代に決まった「社会保障と税の一体改革」も引き継いで実施することになりました。つまり安倍政権の経済政策は「アベノミクス」と「社会保障と税の一体改革」の二本立てであり、消費税増税は「社会保障と税の一体改革」に属する政策だと言えるでしょう。

アベノミクス、中でも「第一の矢」である大規模な金融緩和は景気を回復させ、2013年度までは日本経済も良くなりました。これを見て安倍総理は消費税を予定通り増税しても大丈夫だと考え、2014年に消費税は8%に引き上げられました。


しかし、この時から景気は停滞しました。

消費税率を5%に戻せ - Baatarismの溜息通信 消費税率を5%に戻せ - Baatarismの溜息通信 消費税率を5%に戻せ - Baatarismの溜息通信

でも述べたとおり、それ以降家計消費は停滞したままです。

また、GDPも2014年4月以降停滞しています。

次に?現状認識である。第一に、GDPで見ると、安倍政権になってから2014年3月までは目を見張る成長をしていたが、2014年4月以降停滞している(下図)。GDPギャップは10兆円程度だ。


http://gendai.ismedia.jp/mwimgs/0/1/600/img_011fe838e486b502d61830be883f130f79004.jpg


消費増税延期は断固正しい!  そのメリットをどこよりも分かりやすく解説しよう GDP600兆円も財政再建も達成できる | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 消費増税延期は断固正しい!  そのメリットをどこよりも分かりやすく解説しよう GDP600兆円も財政再建も達成できる | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 消費増税延期は断固正しい!  そのメリットをどこよりも分かりやすく解説しよう GDP600兆円も財政再建も達成できる | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]


このような経済状況を考えれば、景気を悪化させないために再度消費税増税を延期するというのは、当然の決定でしょう。安倍政権を批判している野党ですら、消費税増税を予定通り実施しろとは言っていません。


大規模金融緩和が景気を改善したにも関わらず、8%への消費税増税がこれだけ景気のマイナスの影響を及ぼしたことを考えれば、そもそも「社会保障と税の一体改革」による消費税増税自体が間違った政策だったと言えるでしょう。ただし消費税増税はアベノミクスで定められた政策ではないので、これをもって「アベノミクスの失敗」とは言えません。もちろん安倍政権は「社会保障と税の一体改革」を受け継いで消費税を増税したので、現状の景気悪化は安倍政権の責任でもありますが、「社会保障と税の一体改革」を決めた野田政権や民主党も責任を逃れられません。消費税増税延期を「アベノミクスの失敗」だという野党の主張は、野田政権や民主党を免罪しようとする間違った主張だと思います。


ただ、このような消費税増税の延期を永遠に続けるわけにはいかないでしょう。そもそも「社会保障と税の一体改革」の社会保障の財源を消費増税で確保するという方針が間違っていたことが証明されたのですから、安倍政権は「社会保障と税の一体改革」を撤回し、消費税率を5%に戻すべきでしょう。ただ、社会保障の充実は必要ですから、その分は国債発行で賄うべきだと思います。幸い、今は国債金利も非常に低く、国債への需要は大きいですから、国債発行を増やしても日本経済には大きな影響はないでしょう。もしこの国債を日銀が量的緩和拡大で買い入れれば、事実上のヘリコプターマネー政策となって、日本経済を回復させることになるでしょう。

ただ、プライマリーバランスなど、財政再建は遅れることになります。これは「社会保障と税の一体改革」という間違った政策を採用した代償ですので、過ちを認めるしかないと思います。


そしてその後には、「社会保障と経済成長の一体改革」と言うべき、社会保障の財源を経済成長で確保する新たな政策を打ち立てるべきでしょう。この政策は「社会保障の財源を消費増税で確保する」というような単純な政策ではなく、経済成長目標(例えば名目GDP成長目標)、金融政策、財政政策、税制、社会保障が相互に影響を与え合う状況を前提とした、複雑で細かい政策となることでしょう。

このような政策を「社会保障と税の一体改革」を失敗させた財務省や、彼らの言いなりになって「消費税増税でも景気は落ち込まない、むしろ未来の財政への信任が高まり経済は成長する」と言った日本の御用経済学者に任せるわけにはいきませんから、政治家が世界的な経済学者のアドバイスを受けながら、作り上げる必要があると思います。すでに今回の消費税増税見送りで、安倍総理は世界的な経済学者のアドバイスを受けていますから、今後はその知見を新たな経済政策の立案に生かす仕組みを作っていって欲しいと思います。


「社会保障と税の一体改革」を受け継いで失敗を招いてしまった安倍政権は、今後はこのような経済政策を推進して、汚名返上を目指して欲しいと思います。

JancloJanclo 2016/06/07 23:18 社会保障費を国債で賄うべきとの考えを示されてますが、現行の法律では社会保障費は毎年の赤字国債でしか賄えません。
従って、将来金利が上がった時は、社会保障の削減に繋がるのではないでしょうか?

これは、何も新しい話ではなく、かつての革新自治体や徳川宗春が陥った事態でもあります。

この辺りはどのように考えておられますか?

私はそういう時の為まで、外為特会などの剰余金は残しておくべきとの考えです。

BaatarismBaatarism 2016/06/08 22:54 >Jancloさん
もちろん、恒久的に赤字国債でまかなうことはできないので、これは一時的な措置として考えています。
長期的には経済成長による税収増と、経済が許容可能な程度の増税や歳出削減(消費税とは限りませんが)で社会保障をまかなうしかなく、そのためには経済成長が絶対に必要となります。「社会保障と税の一体改革」の間違いは、経済成長しなくても消費税率を上げれば社会保障費をまかなえると考えたことでしょう。

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2016-05-05

重商主義が生んだトランプという怪物

00:05 | 重商主義が生んだトランプという怪物を含むブックマーク

米大統領選の共和党予備選は、2位、3位だったクルーズ氏とケーシック氏が撤退を決め、ドナルド・トランプ氏が共和党候補者となることが確実になりました。すでに民主党の候補者となることが確実であるヒラリー・クリントン氏と、本選挙で次期大統領の座を争うことになります。

しかしすでに様々な報道で指摘されているように、このトランプ氏は非常に問題の多い政策を主張しています。メキシコからの不法入国者を防ぐために、国境にメキシコの費用で壁を建設させることや、イスラム教徒を完全に入国禁止することを主張しています。

また、日本や韓国、ドイツなどの同盟国に、米軍駐留経費を全額払うように主張しており、同盟国の反発を呼んでいます。

共和党の大統領候補になることが確実になったドナルド・トランプ氏。5月4日、日本に米軍が駐留し続けるならば、全費用を日本が払うべきだと断言した。トランプ大統領就任が現実味を帯びる中、その発言に世界の注目が集まる。

日本には5万人近くの米軍が駐留する。駐留経費に関して、日本は2016〜20年度に総額9465億円を負担することで合意しているが、これは労務費や光熱費など全体の一部に過ぎない。


現実味を帯びるトランプ大統領 米軍駐留費用「日本が全額支払うべき」と断言 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース 現実味を帯びるトランプ大統領 米軍駐留費用「日本が全額支払うべき」と断言 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース 現実味を帯びるトランプ大統領 米軍駐留費用「日本が全額支払うべき」と断言 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース


一方、対立する中国やロシアに対しては、関係の立て直しが必要だと言っています。

アメリカ大統領選挙に向けた共和党の候補者選びでトップを走るトランプ氏が外交政策について演説し、アメリカ軍が駐留する日本などの同盟国には経費の負担の増額を求めていく考えを改めて強調する一方で、ロシアと中国に対しては関係の立て直しが重要だと主張しました。

野党共和党の大統領候補を決める指名争いでトップを走る不動産王のトランプ氏は、27日、首都ワシントンでみずからの外交政策について演説しました。

この中で、トランプ氏は、オバマ政権の外交政策によってアメリカの経済力と軍事力が衰えたなどと主張したうえで、もし自分が大統領に選ばれればアメリカの国益を最優先に掲げるアメリカ第一主義の外交政策を打ち出すと発表しました。

そのうえで、アメリカ軍が駐留する日本やヨーロッパなどの同盟国に対しては、「防衛にかかる費用を支払わなければならない。支払わないなら、自分たちで防衛させなければいけない」と述べ、経費の負担の増額を求めていく考えを改めて強調しました。一方で、ロシアと中国については、大きな問題があるとしながらも、「敵対関係になってはならず、共通の利益を見いだすべきだ。ロシアとの関係改善は可能だし、中国との関係を立て直すことも重要だ」と述べ、両国との関係の立て直しが重要だと主張しました。


トランプ氏 日本に負担増求め中ロ関係立て直しを | NHKニュース トランプ氏 日本に負担増求め中ロ関係立て直しを | NHKニュース トランプ氏 日本に負担増求め中ロ関係立て直しを | NHKニュース


利害を共有する同盟国を増やし、共同で利害が対立する国と対抗するのが、安全保障の基本のはずなのですが、トランプ氏の方針はこれとは真逆の結果を招いてしまうでしょう。

さらに先に述べたメキシコとの対立も中南米諸国との対立に発展しかねないです。

そしてイスラム教徒の入国禁止は親米派のイスラム教国を敵に回してしまうでしょう。その結果、利益を得るのはアメリカの敵である、IS(イスラム国)のようなイスラム過激派です。

トランプ氏の方針はユーラシア大陸やその周辺の同盟国を離反させ、この大陸を対立している中国、ロシア、イスラム過激派に譲り渡す結果になりかねません。

これほど倒錯した安全保障政策はないと思うのですが、なぜトランプ氏はこのような政策を主張しているのでしょうか?


その疑問を解く鍵は、実はかつての日米貿易摩擦にあると思います。

トランプ氏の日本批判が、1980年代の日米貿易摩擦の時と同じであるという指摘があります。また、安全保障についても、1980年代から今のような日本批判を行っていたそうです。

実はアメリカの対日貿易赤字は近年減少しているのですが、トランプ氏はそのような都合の悪い事実には目を向けないようです。

米大統領選への出馬の意向を表明し、現在、共和党の候補者指名争いをリードするドナルド・トランプ氏は、選挙活動でしばしば日本批判を繰り広げている。氏によれば、日本はアメリカとの通商、また安保同盟において、不当に利益を得ているというのだ。通商問題での氏の日本への批判は、かつての日米貿易摩擦の時代のようだとの指摘がある。また氏は不均衡な安保同盟への不満を、1980年代からすでにアピールしていたという。その反面、トランプ氏には、昨今の中国の経済的、軍事的台頭によって、アジアにおける日米同盟の重要性が増しているとの認識は薄いようだ。一部米メディアや識者が、その点からトランプ氏の主張に反論を行っている。


トランプ氏の日本観は80年代のまま? 繰り返される日本批判、現地メディアが内容を論難 | ニュースフィア トランプ氏の日本観は80年代のまま? 繰り返される日本批判、現地メディアが内容を論難 | ニュースフィア トランプ氏の日本観は80年代のまま? 繰り返される日本批判、現地メディアが内容を論難 | ニュースフィア

 しかし政治リスク・アナリストのトバイアス・ハリス氏は、日本がアメリカを食い物にしているというトランプ氏の主張はまったくの間違いで、経済上の利害関係においては、今日の日米間にはこれまでにない歩み寄りが見られると述べる(USAトゥデイ紙)。米商務省によれば、2015年の対日貿易赤字は686億ドル(約7.9兆円)で10年前の897億ドル(約10.3兆円)よりほぼ3割も減少した。アメリカの対中貿易赤字、3660億ドル(約42兆円)と比較すれば、いかに小さいかが分かる。米国議会調査局の2014年の報告書では、この10年間で日米は貿易摩擦を減らすための努力をしてきており、両国の経済関係は、「力強くかつ互いに有益」と結論づけている。

「アメリカをもう一度偉大な国に」と叫び、雇用を取り戻すと約束するトランプ氏だが、米週刊紙Barron’s(電子版)によれば、2014年には日本の自動車会社は140万人の米国人を米国内の工場で雇用しており、年間850億ドル(約9.8兆円)以上の給与を支払っている。また、日本は1兆ドル(約115兆円)以上を米国債に投資しており、中国とともにアメリカの借入費用を下げていることも、同紙はトランプ氏が忘れている点だとしている。

 このような意見を聞けば、トランプ氏の日本悪玉論には説得力がなく、日米が貿易摩擦解消に向けて続けてきた努力を台無しにする主張だと言える。


トランプ氏の日本に関する誤った言説が及ぼす脅威 信じた大衆に合わせて他の候補者も… | ニュースフィア トランプ氏の日本に関する誤った言説が及ぼす脅威 信じた大衆に合わせて他の候補者も… | ニュースフィア トランプ氏の日本に関する誤った言説が及ぼす脅威 信じた大衆に合わせて他の候補者も… | ニュースフィア


このように「日本がアメリカを食い物にしている」という主張は、「重商主義」という古い思想に基づくものです。

貿易と国家の繁栄を結びつける思想は、イタリアの諸都市において15世紀には存在していた。フィレンツェ共和国の外交官でもあったニッコロ・マキャヴェッリの『リウィウス論』や『君主論』、イエズス会の司祭であるジョヴァンニ・ボッテーロ(英語版)が書いた『国家理性論』において、そうした思想が展開されている。16世紀以降になると、ヨーロッパ各国で、貿易での優位が国内の利益につながると考えられるようになった。

17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心、ナショナリズムである。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった。


重商主義 - Wikipedia 重商主義 - Wikipedia 重商主義 - Wikipedia


このように輸出を善、輸入を悪とし、貿易での優位によって貨幣を獲得することが国家の利益に繋がるという考え方は、日米貿易摩擦の時にアメリカが主張した考え方そのものです。トランプ氏の考え方は、この重商主義をそのまま受け継いでいると思います。

このような重商主義の考え方は、過去の経済学者によって何百年も批判されてきました。経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは重商主義を批判し、貨幣の獲得ではなく国民労働の生産力の増大のために貿易を行うべきだと主張しました。また、リカードは比較優位の概念を確立し、各国が自国が優位な産業に特化して貿易を行うことで、生産力が増大し、国際的に豊かな経済が実現できると主張しました。

現代でも経済学者の間には多くの意見の相違がありますが、重商主義が間違いであるという点については、ほとんど全ての経済学者の意見が一致するでしょう。

このように経済学の歴史は重商主義を批判、克服する歴史であったとも言えると思います。


しかし重商主義はどれだけ批判しても蘇り、日米貿易摩擦やトランプ氏の台頭のような現象を引き起こします。

このブログでも何度か紹介した経済学者、若田部昌澄氏は、やはりここで何度も紹介している松尾匡氏の論文を引用して、重商主義が人々を惹きつける理由を考察しています。

 こうした人間観はアダム・スミスにも共通する。『道徳感情論』の冒頭はこうだ。「いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの原理が含まれている」。ここでは、利己的であると同時に他人を気にする存在として人間が描かれている。


 スミスは、他人を気にする存在である人間には、他人の感情や行為を評価する作用が備わっているとする。それが「同感(sympathy)」である。ここからスミスは社会秩序の基礎である正義がいかに生まれるかを描く。人々は他人に見られ、他人を見ることで「胸中の公平な観察者」を形成し、他人の感情や行為が適切かどうかを判断し、ひるがえって自分の行為を判断する。正義や義務の一般的規則の基礎にはこうした心理的作用があるとスミスは考えた。


 しかし、人々の同感能力には差がある。自分に近しい人と、遠い人に対して同感する力は変わる。また、「胸中の公平な観察者」の人は正義と義務の感覚を有するにもかかわらずそれを守ることができず、他人の世間的な評価に負けたり、あるいは「胸中の公平な観察者」の助言を無視して自己欺瞞に陥ったりする「弱い」存在でもある。


 こうしたスミスの考え方は、最近では行動経済学者から高く評価されている。行動経済学流にいえば、スミスの出発点は、バイアスを持つ存在としての人間であるとみなせる。また、「同感」と「胸中の公平な観察者」は、脳科学者にとっても新鮮な刺激を与えてくれるものと映るという。


 ところで松尾匡立命館大学教授は、反経済学的発想の典型的構造を3つにまとめている。

(1)操作可能性命題:世の中は、力の強さに応じて、意識的に操作可能である。

(2)利害のゼロサム命題:トクをする者の裏には必ず損をする者がいる。

(3)優越性基準命題:厚生の絶対水準よりも、他者と比較して優越していることが重要である。


 対して経済学的発想は、次のように特徴づけられる。

(1)自律運動命題:経済秩序は人間の意識から離れて自律運動した結果である。これを人間が意識的に操作しようとしたら、しばしばその意図に反した結果がもたらされる。

(2)パレート改善命題:取引によって誰もがトクをすることができる。

(3)厚生の独立性命題:他社と比べた厚生の優劣よりも、厚生の絶対水準の方が重要である。


 こう整理すると、スミスの行ったことは「要するに重商主義の『反経済学の発想』に対して『経済学の発想』をぶつけているのだ」ということもよくわかる。


 前回述べたように重商主義の基礎には近代国家がある。そしてそれを支える感情は愛国心、ナショナリズムである。重商主義は徹底的に自国と他国を比較し、その間に敵対関係を想定するものであった。スミスは、祖国愛を否定するわけではない。自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり、必要でもある。しかし、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を見過ごすこともなかった。「我々の愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄や拡大を、もっとも悪意に満ちた妬みや、羨望をもって眺めようとする気分にさせることが少なくない」。スミスの同時代には、イングランドとフランスとの対立には激しいものがあった。


 ただ、反経済学的発想は、行動経済学で説明可能だ。そして同感を基礎に置くスミスもそれに近いことを理解していたと思われる。誰もが子供の頃いじめっ子にいじめられたり喧嘩をしたり、社会人となっても世間で苦労をして、力の強い者と弱い者の違いを骨身にしみる。他人を気にするように他国を気にするのが人間であり、妬みや敵意もそこから生じる。重商主義の「わかりやすさ」の中には、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与していると考えられる。


書斎の窓 | 有斐閣 連載 経済学史の窓から 第6回 ヒューム、スミスは行動経済学の先駆者か? 早稲田大学政治経済学術院教授 若田部昌澄〔Wakatabe Masazumi〕 書斎の窓 | 有斐閣 連載 経済学史の窓から 第6回 ヒューム、スミスは行動経済学の先駆者か? 早稲田大学政治経済学術院教授 若田部昌澄〔Wakatabe Masazumi〕 書斎の窓 | 有斐閣 連載 経済学史の窓から 第6回 ヒューム、スミスは行動経済学の先駆者か? 早稲田大学政治経済学術院教授 若田部昌澄〔Wakatabe Masazumi〕

このように愛国心、ナショナリズムと「反経済学的発想」が結びついたところに重商主義が生まれ、それは人間が持つ各種のバイアスによって支えられているという考え方は、僕もその通りだと思います。

トランプ氏もまた「反経済学的発想」が考え方の基礎になっているのでしょう。だから自分の意見を否定する事実を否定して、重商主義的な考え方に固執するのでしょう。


トランプ氏の場合、特に「利害のゼロサム命題:トクをする者の裏には必ず損をする者がいる」という考え方が強いと思います。貿易も安全保障上の同盟も、「パレート改善命題:取引によって誰もがトクをすることができる」という考え方によって行なわれているものですが、トランプ氏はそのような考え方を否定して、「日本がトクをするなら、アメリカは損をしているに違いない」と考えているのでしょう。(これは相手が韓国やドイツでも同じことです)

だから日本などの同盟国を「アメリカからカネを盗む泥棒」と考え、それをやめさせるために同盟国に厳しい姿勢になるのでしょう。


一方、中国、ロシア、イスラム過激派のような対立国については、少なくとも安全保障面では利害のゼロサム命題が成り立っています。だからトランプ氏が大統領になっても外交関係には何の変化もなく、むしろアメリカと同盟国の関係悪化から利益を得ることになります。

このようにトランプ氏が「反経済学的発想」、特に「利害のゼロサム命題」に固執していることが、トランプ氏の外交政策を倒錯したものにしていると思います。


ただ、トランプ氏がこれだけ支持を受けているということは、アメリカ国民の中でも「反経済学的発想」が広がっているのでしょう。その理由は、貧富の差の拡大や中間層の没落により、これまでの経済政策が支持を失い、それに伴い「経済学的発想」も支持を失っているためでしょう。「反経済学的発想」は人間が持つ各種のバイアスによって「わかりやすい」思想になっているので、このような状況は「反経済学的発想」が広まりやすいのだと思います。トランプ現象もその反映なのでしょう。

しかし、その「反経済学的発想」に基づく政策は、明らかにアメリカや同盟国の国益を損ねます。その理由を理解するためには「パレート改善命題」を始めとする「経済学的発想」を理解する必要があります。


従って、かつてアダム・スミスやリカードが重商主義を批判したように、世界中の経済学者や、「経済学的発想」を理解する人たちは、「反経済学的発想」の表れであるトランプの台頭を批判すべきだと思います。

世界を「反経済学的発想」が支配する時代に戻してはいけません。もしトランプ氏が大統領になったら、その政策を徹底的に批判して、その問題点を暴いていくべきでしょう。

経済学という思想は、何度も蘇るゾンビのような「反経済学的発想」を、封じ込める戦いを繰り返す宿命なのでしょう。

janclojanclo 2016/05/06 14:00 Baatarismさん

>経済学の歴史は重商主義を批判、克服する歴史

しかし、近代経済学の祖であるケインズは下記のように述べているらしいですが。

>著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したという指摘がある

ケインズは経済学的発想を理解していないのでしょうか?


>輸出を善、輸入を悪とし、貿易での優位によって貨幣を獲得することが国家の利益に繋がる

しかし、国際的な取引(食料や原料取引)の現場では、ドル決済がほとんどなのですから、貿易でドルを獲得するのは、国家の利益に繋がりますよね?
ただ、そもそもアメリカはドルの発行主体なのですから、貨幣ならいくらでも発行できるわけですが。

トランプの経済感覚がぶっ飛んでいるのは同意ですが、行き過ぎた自由貿易やリベラル政策のせいで、米国の「古き弱者(女性や黒人、同性愛者などのマイノリティーではない、稼得能力の低い労働者)」が苦しめられているのは事実で、反経済学的発想だから、と言って無視していいものとは思えないですよ。

BaatarismBaatarism 2016/05/06 22:40 >jancloさん
同じコメントが2回投稿されていたので、1つを削除しました。

リカードの比較優位の考え方では、各国は比較優位な産業に特化するわけですが、現実には労働者や産業の移行がすんなり進むわけではなく、職を簡単に変われない人も出てくるでしょう。
ケインズ以前の世界では、そのような移行に伴う弊害が大きかったと思います。同じことは、現代のグローバル化でも言えるでしょう。(ちなみに第一次世界大戦前の世界でも、世界的な経済統合が進みグローバル化が進行していたと言われています)
そのような状況では、痛みを伴う産業の移行よりも自由貿易への反対の声が支持されやすいのでしょう。
ケインズの指摘も、そのような時代的背景の元で行われたものだと思います。彼は世界大戦と大恐慌でグローバル化が崩壊して、社会主義やファシズムが台頭する時代をリアルタイムで見ていた人で、「一般理論」もそんな時代に書かれた本ですから。

本来、自由貿易の推進は、それによって不利益を被る人や産業への移行支援とセットで行われるべきものでしょう。残念ながら後者の施策が欠けていたことが、自由貿易への反発を強めたのだと思います。

2016-04-01

モンティ・パイソン化するアメリカ政治

| 00:06 | モンティ・パイソン化するアメリカ政治を含むブックマーク

[ワシントン 1日] アメリカの共和党と民主党の主流派は、ドナルド・トランプ氏が大統領に就任すれば、アメリカのみならず世界の安全保障にとっても大きな脅威となるため、どのような手段を取ってでも阻止する必要があることで意見が一致し、トランプのようなバカの大統領就任を阻止するため、両党が合併して「賢者党」(Sensible Party)を設立し、統一候補としてヒラリー・クリントン氏を擁立することで合意した。

これに対してトランプ氏は、「共和党と民主党のエスタブリッシュメントが賢者づらして国民の意思を無視しようとしている。奴らが俺たちをバカというのならばそれでも良い。奴らこそが合衆国を外国に売り渡して衰退させた張本人なのだから。我々は奴らに対抗するため「バカ党」を設立しよう。合衆国には反知性主義の伝統がある。バカこそがこの国の多数派だ。」と演説し、「バカ党」(Silly Party)の設立を宣言した。

さらにクルーズ氏が「バカならばトランプには負けない」と「すごいバカ党」、サンダース氏が「我々はあれほどバカではない」と「ちょっとバカ党」を設立するなど、アメリカ政治はモンティ・パイソンのコントのような状況になりつつある。

これに対して、アメリカの主要紙は相次いで「国民の賢明な判断を望む」という内容の社説を掲載し、「賢者党」への支持を明確にした。一方、インターネットでは「バカ党」の支持者が「賢者党」をバカにする書き込みが溢れている。


モンティ・パイソン化するアメリカ政治 - Finansilly Times


この記事で取り上げられている「モンティ・パイソンのコント」とは、このサイトでも取り上げられている「選挙速報スペシャル」のことでしょう。


映画・ロック地獄サバイバル法: 空飛ぶモンティ・パイソン 第2シリーズ第6話


しかし、アメリカ政治をモンティ・パイソンに例えるとは、ブラック・ジョークですね。もはや誰もがバカみたいに見えてしまいますw

財務官僚が国会前で反アベデモ

| 00:06 | 財務官僚が国会前で反アベデモを含むブックマーク

[1日 東京] アベ総理は「現在の日本経済低迷の原因は2014年に実施した消費税増税であり、そのマイナスの影響はリーマンショックに匹敵する。したがって、日本経済復活のため、10%への消費増税を凍結するともに、2014年の増税も撤回して消費税を5%に減税する」と発表した。

この発表について国民からは歓迎の声が相次ぎ、日経平均は2万円を突破、円相場も1ドル120円台の円安となっている。

一方、この発表に憤慨した財務省の官僚たちは、職務を放棄して国会前に集結し、「アベ政治を許さない」「あべしね」などと書かれたプラカードを掲げて国会前広場を占拠している。

このデモに駆けつけた野党民縮党のオカダ代表とノダ前総理は、「消費税を5%に減税したら、アベ政権は国民の支持を得て憲法を改悪してしまう。憲法を守るために消費税を10%に増税して、アベ政権を打倒しなければならない」と演説し、財務官僚たちの歓声を浴びていた。

また、反アベ派のハマ教授は「アホノミクスを止めなければならない」と叫び、周りの財務官僚も「アホノミクス!アホノミクス!」と連呼していた。

本紙記者の情報源である財務官僚は「消費税増税が実現するまで、このまま国会前を占拠し続ける。このストライキで、本当にこの国を動かしているのは財務官僚であることを、アベ総理に思い知らせてやる」と語っていた。


財務官僚が国会前で反アベデモ - 日本敬財新聞


日本経済の現状を考えれば、消費税増税など言語道断であり、むしろ減税が必要なのですが、増税を支持しなければ出世できない財務官僚にとっては、そんなことはどうでも良いのでしょう。

アベ政権に反対する人たちも、財務省の詭弁には惑わされないようにしてほしいものです。

ZOZOZOZO 2016/11/24 19:06 減税エイプリルフールが本当になってくれるといいですね・・・
景気無視して消費税上げ過ぎなんだよなぁ・・・

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20160401

2016-03-19

腐敗や緊縮はなぜ起こるのか

01:32 | 腐敗や緊縮はなぜ起こるのかを含むブックマーク

最近、僕が読んだ本の中に、ジェイン・ジェイコブズの「市場の倫理 統治の倫理」があります。元々は、僕がこのブログでも取り上げたことがある山岸俊男氏や松尾匡氏の著書で内容が取り上げられていたので興味を持ったのですが、たまたま最近復刊されたこともあって読み始めたところ、夢中になってしまいました。

この本では、古今東西の様々な道徳律を2つのタイプに分類して、それぞれを「市場の倫理」と「統治の倫理」と呼んでいます。

市場の倫理 統治の倫理

  • 暴力を締め出せ
  • 自発的に合意せよ
  • 正直たれ
  • 他人や外国人とも気やすく協力せよ
  • 競争せよ
  • 契約尊重
  • 創意工夫の発揮
  • 新奇・発明を取り入れよ
  • 効率を高めよ
  • 快適さと便利さの向上
  • 目的のために異説を唱えよ
  • 生産的目的に投資せよ
  • 勤勉なれ
  • 節倹たれ
  • 楽観せよ

  • 取引を避けよ
  • 勇敢であれ
  • 規律遵守
  • 伝統堅持
  • 位階尊重
  • 忠実たれ
  • 復讐せよ
  • 目的のためには欺け
  • 余暇を豊かに使え
  • 見栄を張れ
  • 気前よく施せ
  • 排他的であれ
  • 剛毅たれ
  • 運命甘受
  • 名誉を尊べ

「市場の倫理」は商業や生産、科学に関係する職業に見られるもので、「統治の倫理」は政府や軍隊、宗教、独占企業などに見られものです。さらに言えば、「市場の倫理」は取引(trading)に関する道徳、「統治の倫理」は占取(taking)に関する道徳です。


先に述べた山岸俊男氏は、この「統治の倫理」と「市場の倫理」を、「安心社会」(閉じたメンバーの中で相互監視することで、お互いを信頼することなく安定した人間関係を築き、安心を得られる社会)と「信頼社会」(開かれたメンバーの中で信頼出来る相手を見極めることで人間関係を築く、信頼に基づいた社会)に対応させています。

また、山岸俊男氏も松尾匡氏も、「統治の論理」を日本の伝統的な「武士道」、「市場の倫理」を日本の伝統的な「商人道」に対応するものとして、日本社会を「武士道」が重んじられる社会から「商人道」が重んじられる社会へ変えていくべきだと論じています。日本はまだまだ「安心社会」や「武士道」、つまり「統治の倫理」に基づいた「ムラ社会」が根強く残っていますが、経済発展や市場経済の浸透にともなって「ムラ社会」が解体されるにつれて、これまでの倫理が通用しなくなっているので、「安心社会・武士道・統治の倫理」から「信頼社会・商人道・市場の倫理」への移行という観点で、ジェイコブズの考え方が受け入れられやすいのでしょう。


ただ、ジェイコブズの本を読むと、彼女は「統治の倫理」と「市場の倫理」は人類社会が最初から持っている2つの倫理体系であり、この2つの倫理体系を混ぜ合わせることで倫理的破綻が生じることを問題視しています。欧米では昔から2つの道徳体系が両立しているため、「移行」という観点はあまりないのでしょう。

このような倫理体系の混合による倫理破綻の例としては、犯罪組織(ジェイコブズはシチリア系のマフィアを取り上げてますが、日本で言えばヤクザが典型的でしょう)、旧ソ連などの共産主義国、不良債権となった発展途上国への融資、アフリカの狩猟採集部族であったイク族を定住させて農業をさせようとした結果、腐敗し略奪を行う集団になってしまったこと、アメリカの投資銀行が行ったLBO(買い入れによる買い占め)による企業の敵対的買収、アメリカ軍産複合体などが取り上げられています。

このような倫理混合による破綻を防ぐために、歴史的には統治に関わる階級と商業に関わる階級を分けることが行われてきました。日本の江戸時代の「士農工商」もその一例でしょう。ただ、日本の江戸時代は一般的なイメージよりも階級間の人の移動は大きかったのですが。

統治階級は「取引を避けよ」の倫理を守って商業活動に関わらず、商業階級は下級階級とされて統治には関われませんでした。ただ、統治階級は治安を維持し交易を暴力から守ることで商業階級を保護し、商業階級は金銭面で支援することで統治階級を助けました。そのようにして、2つの倫理体系は並存していたのです。

ただ、近代社会では身分制は否定されていますので、このような方法をとることはできません。そのため、人々は「統治の倫理」と「市場の倫理」の両方に従う必要があるわけですが、倫理の混合を防ぐために、その時の状況によってどちらの倫理体系を選択するか、自覚して自分のモードを切り替えることが重要であるという結論となっています。


ただし、この本は原書が1992年、日本語版が1998年に発売された本であり、著者のジェイコブズも2006年に亡くなっています。そのため、それ以降に起こった事件については取り上げられていません。

ただ、この本を読んでいると、最近の事例についても、倫理混合による問題をいくつか指摘することができます。


まず思いつくのは中国の腐敗でしょう。習近平政権になって積極的な腐敗の摘発が進められていますが、そのために失脚した共産党幹部の中には、1兆円を超える不正蓄財をしていた者も何人かいました。政治家や官僚の腐敗は世界中のどの国でもありますが、これだけの規模の腐敗は中国くらいでしょう。また、中国は政府のトップから個人レベルに至るまで、あらゆるレベルに腐敗が及んでいます。

このような中国の腐敗は、ジェイコブズが取り上げていた共産主義国の腐敗と基本的には同じものですが、市場経済導入によって経済規模が拡大し、それと同時に共産党支配による「統治の倫理」と、市場経済導入による「市場の倫理」の混合が果てしなく進んだ結果、10億を超える人口を抱える国家と社会全体が腐敗してしまったのだと思います。

具体的に言えば「統治の倫理」の「取引を避けよ」が無視されて、共産党のトップから末端役人までが自分の利益のために、自分の職務権限を「取引」に使ってしまったため、汚職がまん延したのでしょう。さらに中国の多くの企業は国営企業なので、そこも汚職に巻き込まれ、さらにそこと取引していた民間企業や外国企業、個人にまで汚職が広がったのだと思います。

もちろん民主主義国にも腐敗はあります。最近だと上から下まで不正経理が蔓延していた東芝や、環境規制をごまかすために、テスト中だけ規制をパスするようなソフトウエアをディーゼル自動車に組み込んでいたフォルクスワーゲンが代表的な例でしょう。ただ、民主主義国の場合、社会全体、国家全体が腐敗してしまうことはなく、どこかで不正が露見して歯止めがかかります。

習近平は汚職追放を政権の最大の課題にして、強権を振るって汚職摘発を行っていますが、このような見方から考えれば、共産党支配を終わらせて民主的な政治制度を確立するか、市場経済を統制して経済発展を諦めるか、そのどちらかしか中国を腐敗から救う道はないことになります。共産党が自らの支配を終わらせることはないでしょうから、このまま汚職追放を続けていけば、いずれは経済衰退しか道がないことがはっきりすると思います。


次に思いつく事例は、リーマンショックを招いたアメリカ金融業界の腐敗です。ジェイコブズの本ではLBOを取り上げていましたが、2000年代に入ると、これまで住宅ローンを組めなかった貧しい人々にローンを組ませ、多数のローンをリスクに応じて分割したり、別々のローンを組み合わせたりして、リスクが少なくて利回りが良く見える金融商品に仕立て上げて、大量に販売する手法が編み出されました。これが「サブプライムローン」です。

この方法は住宅価格が上昇しているうちは、ローンの借り換えで支払いができるため破綻しなかったのですが、住宅価格が下落するとローンを払えない人々が続出し、家を差し押さえても十分な担保にならないため、金融商品の購入者に約束した利息を払えなくなりました。さらに多くのローンがバラバラにされたり混ぜ合わされたりしていたため、どのサブプライムローン商品がどれだけ損失を出しているのかすら分からなくなり、これらのローンを大量に抱えてた金融機関の経営危機に発展しました。この危機はFRBなど各国の中央銀行が金融機関の救済と大規模な金融緩和を行ったため、世界大恐慌再来の寸前で食い止められたのですが、それでも破綻を食い止められなかった金融機関が出たことや(リーマンショックの語源となったリーマンブラザーズがその代表です)、日本のように大規模な金融緩和を躊躇して大不況に陥った国が出たこともあって、今なお世界経済に大きな傷跡を残しています。


このように、「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合は、世界有数の大国が丸ごと腐敗したり、世界大恐慌を引き起こしかねない原因となってるのです。ジェイコブズが存命なら、間違いなくこれらの問題を論じていたでしょう。


ここまで述べてきた腐敗の問題は、ジェイコブズの本を読んだことのある方なら納得してもらえると思います。ただ、僕はこの本を読んでいるうちに、もう一つ「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合による大きな問題が発生しているのではないかと思うようになりました。

それは「緊縮」です。


現在、日本では消費税増税を予定通り行うか、延期もしくは凍結するかが大きな政治的問題となっていますが、今は国債金利も低く、急速なインフレや円安の危険もなく、むしろデフレや円高が懸念され続けています。世界的にも経済成長の低下が大きな問題になっていて、これまで行われてきた大規模な金融政策だけではなく、各国が財政政策も行うという合意が、先日のG20でもなされています。客観的に見れば、今、増税を行う理由はないでしょう。

しかし、それでも財務省をはじめとして消費税増税に固執する官僚、政治家、マスコミ、経済学者は少なくありません。

ジェイコブズの本を読んでいて、彼らが消費税増税に固執する理由、さらには世界的に「緊縮主義」が広がっている理由も、「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合にあるのではないかと思うようになりました。

「市場の倫理」に「節倹たれ」という項目があります。分かりやすく言えば「節約せよ」ということでしょう。「緊縮主義」を信奉する人々は、この倫理を無自覚のうちに「統治の倫理」と混ぜ合わせてしまっているのではないでしょうか。

政治家や官僚は統治者であり、「統治の倫理」に従わなければなりません。彼らに経済政策を助言する経済学者やエコノミストも、その時は「統治の倫理」に従うべきでしょう。

しかし「節倹たれ」は「市場の倫理」ですから、これを「統治の倫理」と混ぜ合わせることは倫理的破綻を生じさせます。そのような倫理的破綻が最も分りやすい形で生じたのは、実は東日本大震災のときだったと思います。


東日本大震災から5年がたった。3月11日のテレビではこれまでの5年を振り返った放送が多かった。筆者は5年前の3月11日は大阪にいたので、大震災はほとんど体感しなかったが、東京の家では本箱、コンピュータが倒れて大変だった。当日は新幹線が動かなかったので大阪に一泊して、翌朝早くに東京に帰ってきた。

大震災の状況は大いに気になったが、その過程で、当時の菅政権が野党の自民党・谷垣禎一総裁と組んで「復興増税を企んでいる」という情報が入ってきた。

これは経済学を学んだ人なら、すぐ間違いとわかる政策だ。課税の平準化理論というものがあり、例えば百年の一度の災害であれば、100年債を発行して、毎年100分の一ずつ負担するのが正しい政策である。その当時、大震災という重大事に何を考えているのかと大いに憤った記憶がある。

そこで大震災直後、2011年3月14日付けの本コラムで「「震災増税」ではなく、「寄付金税額控除」、「復興国債の日銀直接引受」で本当の被災地復興支援を 菅・谷垣『臨時増税』検討に異議あり」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2254)を書いた。正直言えば、大震災直後の人命救助が重要なときに、復興モノを書くのはためらったが、時の菅政権のあまりの非常識に怒ったわけだ。

このときの増税勢力は勢いがよかった。大震災で、多くの人が被災者を助けたいという「善意」を悪用して、復興増税は結果として行われた。

経済学者も情けなかった。そのとき、経済セオリーを主張する者はほとんどおらず、逆にセオリー無視の復興増税を推進した人たちのリスト http://www3.grips.ac.jp/~t-ito/j_fukkou2011_list.htm)は以下の通りだ。


http://gendai.ismedia.jp/mwimgs/2/5/600/img_25cf709652c63fe37be515c8f87fefca350530.jpg


一流と言われる学者たちでもこの有様なので、社会からの信頼を大いに落としただろう。

大震災直後の増税勢力は、1ヶ月後の4月14日、復興会議の五百旗頭真(いおきべまこと)議長の挨拶のなかに「増税」を盛り込ませている(2011年4月18日付け本コラム「あらためていう。「震災増税」で日本は二度死ぬ 本当の国民負担は増税ではない」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2463)。

5年たった現在、そのことがどう評価されているのか。今年3月12日に放映されたNHKスペシャル『“26兆円” 復興はどこまで進んだか』は興味深かった(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160312)。インタビューに応じた五百旗頭氏が、開口一番「復興増税がよかった」といったのだ。これにはかなり驚いた。


増税勢力は東日本大震災を「利用」した 〜あんな非常識なやり方を忘れてはいけない  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 増税勢力は東日本大震災を「利用」した 〜あんな非常識なやり方を忘れてはいけない  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 増税勢力は東日本大震災を「利用」した 〜あんな非常識なやり方を忘れてはいけない  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]


この時のことは僕も覚えています。東日本大震災が起こり、福島第一原発が大事故を起こして、2万人近い死者・行方不明者が出て、何十万もの人々が避難生活を余儀なくされ、東京でも電力や物資の不足に苦しんでいる時期に、事態に責任を持つ政治家や、一流と思われていた経済学者やメディアが、被災者そっちのけで増税を唱えだしたのですから。

これこそまさに「倫理的破綻」だと思います


この時、復興増税を唱えた勢力が、今もなお消費税増税に固執しています。あれだけの大災害でも増税を唱えた人たちですから、日本経済や世界経済がどうなろうと増税を進めるのが当たり前という考えなのでしょう。前回の記事でも書きましたが、すでに前回の消費税増税が日本の消費を止めてしまったことは、はっきりしているというのに。

なぜ、彼らがここまで増税に固執するのか、これまで色々考えてきましたし、このブログでもそのような考えを書いてきましたが、単なる個人的、組織的利害だけで本当にあれほどの固執が生まれるのかが、心に引っかかっていました。彼らが何らかの倫理的な正当性を持っていて、しかも実はそれが本当は間違っていると考えなければ、あのような間違いは説明できないでしょう。


先ほど述べた「節倹たれ」は、「市場の倫理」の中では間違いなく正しいものです。ただし「統治の倫理」に持ち込んではいけないものです。それを行ってしまったから、大災害の最中に「節倹」を実施して増税を行うことになってしまったのでしょう。

大災害の時は、「統治の倫理」の「気前よく施せ」が何よりも求められることでしょう。その正反対である「節倹たれ」を「統治の論理」と混ぜ合わせてしまったことが、あのような倫理的破綻の原因だと思います。

そのような間違いを犯し続けている勢力が、財務省を中心として、日本の政官財マスコミ、さらには経済学者まで広く及んでいます。現代の日本は、まさに「緊縮主義」という名の倫理的破綻に首まで浸かっているのです。人々を苦しめた日本の長期デフレ不況「失われた20年」もそのような倫理的破綻の結果として起こったものでしょう。


さらに恐ろしいのは、そのような「緊縮主義」という名の倫理的破綻に落ちいっているのは日本だけはないということです。ギリシャは長年経済危機に陥ってますが、昨年誕生した左派政権がきっかけで経済危機が深刻化した時、アメリカやIMFは債務減免を求めました。しかし、ドイツはそれに抵抗して、債務の減免を認めませんでした。*1このようなドイツの「緊縮主義」には、多くのEU加盟国も反発していますが、欧州最大の経済大国であるドイツには表立って逆らえません。

その後、欧州では難民の流入が深刻な問題になっていますが、その最大の入り口は他ならぬギリシャです。経済危機に陥っているギリシャには、難民の通過を抑える力はありません。本来ならば、難民問題の解決策として、ギリシャへの経済支援が再考されるべきなのですが、そのような話は全く出てこず、EUはトルコの民主化勢力弾圧を見逃して、トルコに難民問題への協力を求めています。

このような状況になっている原因も、ドイツの「緊縮主義」という名の倫理的破綻なのでしょう。おかげでEU内の移動の自由を保証したシェンゲン協定は有名無実となり、各国では極右勢力が台頭し、EUの理念も危機に陥っているのですが。


このように「緊縮」も「腐敗」と同様に、世界に大きな影響を及ぼす問題だと思います。そしてこの2つがどちらも「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合による倫理的破綻として分析できることは、倫理体系の自覚的選択というジェイコブズが指摘した解決策が、非常に重要であることを示していると思います。

ただ、「腐敗」はこれまでも倫理的に大きな問題だと考えられていましたが、「緊縮」はそこまで大きな問題だとはみなされていませんでした。しかしこの2つが同じ原因を持つ問題であり、どちらも世界的に大きな問題を引き起こしていることを考えると、「緊縮」も「腐敗」と同じくらい、倫理的に大きな問題だと言えるのではないでしょうか。


3/21 補足

改めて文章を読み返してみて、説明不足だったところがあったので、ここで補足します。

まず、リーマンショックを招いたアメリカ金融業界の腐敗について、どのような倫理の混合が起こったのかについてです。本来、金融業界は「市場の倫理」に従うべきですが、そこに「統治の倫理」の「目的のためには欺け」が入り込んだのでしょう。具体的には「企業の利益のためには顧客を欺け」ということで、その「倫理」に基づいて「金融工学」がリスクを過小に見せることに悪用され(つまり、こんなことに「新奇・発明を取り入れよ」や「創意工夫の発揮」が使われて)、最終的には倫理の混合による破綻がリーマンショックという形で起こったのだと思います。

次に「節倹たれ」を「統治の倫理」と組み合わせた「緊縮主義」についてです。「節倹たれ」は「市場の倫理」においては「生産的目的に投資せよ」と結びつき、節約したお金は投資されるようになります。このような貯蓄の再投資が生産性向上につながり、長期的には経済を成長させる原動力となります。

しかし、「節倹たれ」が「統治の倫理」と結びついた場合、それだけでは再投資されることはありません。「統治の倫理」は占取(taking)に関する道徳ですから、国民から取った税金をひたすら貯め込むことになり、経済は停滞することになります。「財政再建」も財政赤字を減らすことですから、「国民から取った税金をひたすら貯め込む」のと同じ効果をもたらすでしょう。

ただ、実際には「統治の倫理」に「生産的目的に投資せよ」を組み合わせることもあります。「国有企業」がその典型例ですが、これは資本主義の中に部分的に社会主義を作るようなものなので、旧共産圏と同じような失敗をもたらすでしょう。実際にこれを行うと、「統治の倫理」の様々な項目に影響されて、結果的に「生産的目的」以外のところに投資されることになります。今、その悪影響が最も目立っているのは、やはり中国でしょう。あの国は非生産的な公共投資が大量に行われましたから。そのような投資は財政を悪化させるだけで、長期的な経済成長にはつながりません。

*1:もちろん、ギリシャ問題については、統一通貨ユーロによって各国が独自の金融政策を行えないことも大きな原因なのですが、それを和らげるためには、ユーロ圏内部で国境を超えた財政移転を行う必要があります。具体的にはこのような財政移転はドイツからギリシャへ行う必要があるのですが、ドイツはこれにも猛反対しています。

amakanataamakanata 2016/03/21 13:16 とても面白い論考で、知的興奮を掻き立てられました。

記事の趣旨とは異なりますが、個人の倫理もまた、両者を混同すると過ちを犯すのかも知れない、などと考えたり、私自身の価値観が、商人道と武士道を混同してきたために、生きづらく感じてきたのではないか、などと考える材料にもなりました。ご紹介いただき、ありがとうございます。本を早速購入いたしました。

ところで、記事の中で、欧米では武士道と商人道が並立してきたが、日本ではそうではなかった、という趣旨のことが書かれていらっしゃいますが、これはどうかな? と思いました。

明治政府がコテコテの統治を重んじた政権のために、武士道のみが日本文化の華ともてはやされてきましたが、江戸の日本の庶民には、「心学」という名の商人道が大変普及しております。最盛期には全国に180カ所の学舎があったといいます。武士よりも町人の数が多かったことを考えますと、心学の日本全体への影響は大きく、両者の道徳は日本でも並立、拮抗していたと考えて良いのではないかと思うのですが、いかがでしょう? 心学について、ジェイコブズ氏の日本人研究家たちは、何か言及していないのでしょうか?

BaatarismBaatarism 2016/03/21 23:39 >amakanataさん
早速本を購入いただいたそうで、ありがとうございます。
この本については、僕の考えにこだわることなく、本を読んで自分が気づいたことを大切にした方が良いと思います。

ジェイコブズの本には、江戸時代に日本で商業が発展して商人が富を蓄積したことは書かれていますが、「心学」に相当する倫理についての記載はなかったと思います。ただ、ジェイコブズはこの本を書くときに綿密な調査を行っていたようなので、「心学」についても知っていた可能性はありますね。

あと、江戸時代に武士道と商人道が両立していたのは、両者の身分が分かれていたことが大きな要因だったと思います。
これは僕の推測なのですが、明治維新後に両者の身分がなくなった後、日本では武士道による統治の論理が主流になり、武士階級以外にも及んでしまったのではないかと思います。当時は欧米列強による植民地化を防ぐことが最優先課題だったことと、旧武士階級が政治家、官僚、軍人だけではなく、産業界やメディアにも進出して大きな力を及ぼしたことが、その理由だと思います。

塩沢由典塩沢由典 2016/04/02 01:25 ジェイン・ジェイコブズは、20世紀の都市計画思想を転換させた批評家としても知られています。じぶんたちの街を歩きながら、ジェイコブズの思想を考えなおそうという「ジェインズ・ウォーク」が彼女の誕生日の5月4日を中心に世界各地で取り組まれています。ジェインズ・ウォークは日本でも3年前から始まり、すこしすず広がりを見せています。ジェインズ・ウォーク@自由が丘2016は、今年2回目になります。詳しくはWEBページをごらんください。

とくにことしは、ジェイコブズ生誕100周年ということで、日本でもいくつもの企画が進んでいます。

BaatarismBaatarism 2016/04/02 11:50 >塩沢由典さん

ジェイン・ジェイコブズはもともと都市論を論じていた人ですね。
塩沢さんのWebページでは自由が丘と田園調布の違いが取り上げられていますが、実は僕の出身地は大阪府吹田市の千里ニュータウンの近くで、ニュータウンの外と中とで町並みや活気が一変することがずっと気になっていました。(ニュータウンの中は町並みは綺麗だが、活気がない)こういう視点もジェイコブズの問題意識に通じるのでしょう。