* 魂とは、善なる方向に向かっていこうとする意思
 魂とは何かについて、様ざまな諸説を学んできたが、
<魂とは、善なる方向に向かっていこうとする意思>の説の切口は新鮮。 
そこで思い出したのが、中村天風の言葉。 ソクラテスは、2500年前に、
魂の進化こそ人間の目的という。
  〜天風の哲学から〜
≪ カリアッパ師は遠くの空の彼方を見つめ、誰に言うともなく、つぶやいた。
【お前には人生観らしいものが何もない。その場、その場を生きているだけだと
言われても返す言葉もない。アメリカで医学とやらを勉強したらしいが、逆に
その知識が災いして、ちょっと咳をしても恐れ、不衛生だといっては神経をすり
減らし、オドオドばかりしてる。枝葉末節の学問ばかりして、一番肝心の、
『私は何をするために、この世に生まれてきたのか!』ということを考えてない。
本末転倒もいいところだ!それだったら、死でも仕方がないな。そこから立て
直さなければダメだな!】 カリアッパ師は言った。
【何をするためにお前は遣わされてきた!そのことを考えたことは あるのか!】
 これは、<私たちが生きている意味は宇宙の進化に 同調すること>であると。
教義の最終目的はアートマン(自分)がブラフマン(宇宙)に合 一すること。≫
▼ マルクス・アウレリウス、<人間の心で行う思考が、人生の一切を創る。>と、
 中村天風は、<私たち は自分が考えた通りのものになる。 そのすべてが、
この宇宙を動かしているのと同じエネルギーの力を得ている。> と、いう。
この宇宙の意思が魂ということ。善なる方向に向かおうとする意思こそ、
最も大切なことである。毎朝、仏前で、「この世の全ての人が、善くあります
ように!」と、祈ってはいるが、世人の例外があまりに多すぎて・・
〜これもまた、以下の内容に丁度よくつづく!「良い人」を止めると楽になる。
ハイデッガーのいう、「世人」相手でなく、己の良心に従えば、「ろくでなし、
結構」になる。「世人」の無知はよくない。善い方向(知識)を知らなくては。

・・・・・・
5170,人生相談という気晴らし! 〜②
2015年05月11日(月)
              『人生、しょせん気晴らし』中島義道
   * 「いい人」やめて、「ろくでない」になれ
 母親の痴呆症と5年半の間、付合ったこともあり、相談者の切実な気持ちが
手にとるように分かる。兄弟の微妙な関係もあって、そう簡単に事は進まない。
ただ「いい人」を止めてしまうことには大賛成だが、「いい人」は簡単に止め
ようがないもの。介護は、それなりの強さと覚悟が必要になる。「ろくでなし」
にも、覚悟が必要。 正常と非正常の間を彷徨う肉親との同居は重く疲れる。
≪ Q: 〜母親の介護で、自分自身が壊れてしまいそうです!〜
 私は四十五歳で、現在母親の介護をしております。母の介護をするために
仕事を辞め、現在無職です。私には、父、兄、弟がいるのですが、まったく
母の面倒をみようとしないので、男一人で母の介護をしております。
 その母も痴呆が進み、モノの判断ができなくなり、外でゴミを拾ったり、
真夜中に叫んだり、私もその対応に、やり場のない疲れが溜まっております。
もういっそのこと、私も介護を放棄し、母親に早く死んでほしい気さえします。
同時に私まで気がおかしくなりそうなのです。しかし、これまで母親に世話に
なったことを考えると、それも出来ません。このように思う私はやはり
「できていない」人間なのでしょうか?
A: 〜「いい人」をやめて、「ろくでなし」になりなさい!〜
 これも失礼ながら、いらいらする相談ですね。あなたは、私の嫌いな
「いい人」なんですね。これまた細かい事情はわからないのですが、真剣に
考えれば社会的にはいろいろ道は開けると思います。お母さんには息子が三人も
いるのですから、三人でお金を出し合って、介護士を雇う、老人ホームに預ける
等々。(お父さんはともかく)ご兄弟がそれに協力しないのなら、あなたが介護を
続ける代わりに、彼らにあなたの心的・肉体的負担相応のお金を請求してもいい
でしょう。お二人がそれさえ拒否するなら、その原因は二つ考えられます。
一つは、あなたのご兄弟が「ろくでなし」だということ、もう一つは、あなたが
「いい人」という名の「困った人」だということ。「ろくでなし」と「いい人」
が共存すると、だいたいいまのあなたのような状況に陥ります。「ろくでなし」
は、「いい人」を骨の髄まで利用し続け、「いい人」は全身不満の塊になって
恨み続けるというわけです。一般に、人がある限度を超えて耐えるとき、碌な
結果を呼ばない。だから、なるべく避けたほうがいいのです。・・(略)
 あなたがお母さんを(間接的にでも)殺さないうちに、あるいはあなた自身が
「気がおかしく」ならないうちに、あなたは大変身する必要がある。つまり、
「いい人」をやめて、ご兄弟と同じように「ろくでなし」になることです。
そこで、私の提言はただ一つ。一度みんなを集めて、「俺だけおふくろの面倒を
見るのはおかしい!」と大声で叫んでみてはどうでしょう。「もう介護はやめる!」
ときっぱり宣言してはどうでしょう。つべこべ理由を言う必要はない。ことの
おかしさは、どんな「ろくでなし」にもわかるはずですから。一度、そういう
修羅場を経由しなければ、そしてみんなが全身ひりひりするほどの痛みを覚え
なくては、何も変わらない。もっとも、あなたがどうしてもそうしたくない、
そういう勇気がないというのなら、仕方ないですね。お母さんが死ぬまで、
あなたは介護を続けるしかないでしょう。お母さんを恨み、ご兄弟を憎み、
そして自分を責めて生きるしかないでしょう。≫
▼ 介護には、周囲の無理解がついて回る。「まだらボケ」が、その一つ。
 第三者が居るときには、緊張が入った正常状態に近いため、痴呆症の人との
同居経験がないと、「聞くと見ると大違い」と、勘違いをしてしまう。
で、「ろくでなし」と決め付けられる。 当人は今さら何をか!
私自身を振り返ると、見えてくるのが、「ろくでない」「いやなやつ」の影。
・・・・・・
4805,閑話小題 ー倒産よもやま話 ー⑥
2014年05月11日(日)
   * 当事者の隠れた心理とは
 其の辺の視線から度々、思うことは、当事者の心理まで解ってないこと。
ホテル建設の準備と立上げほど面白い仕事はないのでは? 実感として、その
トータルと、軌道にのせた時に、その金額分の元を既にとった実感がある。
これは事業創業と同じであるが。クルーズが好きで、趣味が興じて、その設計
から建設まで、造船会社と打ち合わせをし、造りあげた船が10年、20年後に
難破して命からがら助かったとする。その時、誰かが、「惜しかったですね!」
と言われた気持ち?が、こんなもの。「いや、これだけ楽しんだから、未練も
悔しさもない!海から引退する身にとって、下手に中古品で残っているより、
この方が危険な遊びより解放されて、むしろ良かった」が本音。 第三者は、
難破して命からがら救われた、姿しかみてない。しかし、当事者は、その辺り
が周辺の視線とは全く違う。これも、救命用具と救命舟を用意して、命からがら
助かった?からこそ、言えるのだが。 で、ボートしか乗ったことがない人ほど、
その時に勝手な揶揄をすることになるが、その面白さが、何ものにも代え難い
ことは知る由もない。人は、それぞれ、頑固な岩場の小さな洞窟内のことしか、
知りえない。それは、あくまで、大小の大きさの差でしかないが。
 私の身近な人の心理が、こんな心理もあった?ということを、自分が経験して
初めて知ったこと。両親の生き様の後ろ姿から、「人生には、何が起こるかも
しれない、だから、その時々の楽しみは、その時に、味わうことを、子供ながら
学んだ。それにしても、9割以上の何も考えない人たち、何をしているのだろう。
年金生活に入っても、収入の二割は漠然たる目先に不安のため、預金をして、
死期が迫ってから、この世に、したいことをし得なかった無念と、預金を残して
死んでいくのだから、恐れ入る。 で、「そのお金もない、したいこともない、
無念もない!で、どうした!」 これはこれで、おめでたいこと。これも、
目くそ鼻くそを笑う範疇でしかないが! 王陽明もあるが、論語もあるか?
 
・・・・・
4438, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー8
2013年05月11日(土)
    ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
 * ルート7 リラクゼーションと東洋的思想からのアプローチ(思想の道)
「いい湯だな」と「悟り」は同じこと。両者とも「リラックスの極致=悟り
ということ。 笑いは緊張とリラックス(弛緩)の間に生まれ出る。喜劇や
お笑い番組の束の間に悟りがあるのか? お笑い芸人が果たして悟りをひらいて
いるのか? という疑問が出てくる。しかし「深いリラックス」が、悟りと
笑いにある。早朝のミニサイクリングで信濃川の土手を音楽を聴きながら、
深呼吸をしている時の気持ちは悟りの心境。深くリラックスをしてないと、
自分が壊れてしまう恐れもある。逆に悟りに近い心境は自ずから
リラックスの状況を求める。
 −その辺りを抜粋ー
≪ 先ほどの達人の境地や禅僧の姿はこれに通じるものがある。自分を磨く
ことによって至ることのできる境地。 これに対し、リラックスの境地は、
「世界を貫く原理原則を知った」状態とは異なるように思えるかもしれない。
しかし、そうだろうか。リラックスの境地は、我欲や悩みやその根源である
身体の不自由さから解放された境地だ。心が無であること、あるいは、幻想で
あることを、体で理解した境地だ。「ああ、世界での幸福なあり方とはこう
いうものか」と体で理解した境地だ。そう考えれば、リラックスの境地は、
「世界を貫く原理原則を知った」ことと等価ではないだろうか。「体で理解」
する点が、禅宗の「不立文字」とも関係している。先ほど述べたように、
禅宗では、悟りの境地は言葉では言い表せないものだと考える。右で述べた、
体で理解した境地とは、まさにこのことだ。 頭で理解したのではない。
体で理解したのだ。体で、世界を貫く原理原則がわかった、と実感したのだ。
よって、リラックスの境地は禅宗の悟りの境地と同じものだ、と体で理解
しさえすれば、同じものなのだ。ただ、古代仏教では、禅宗とは違って、
悟りの境地を論理として理解しようと考える。これはどう捉えるべきなのか。
僕はここにも矛盾はないと考える。矛盾か矛盾でないか、自己か他者か、
実在か幻想か、論理か感性か、頭か体か、という対立図式を超えるのが
仏教哲学の論理だ。・・・ 〜(略)湯船につかって「あ〜あ、きもちいい〜」
と思う瞬間。これは大金持ちでも、貧乏人でも同じ。育ちも実績も関係ない。
欲も悩みもない。何も考えない。ただ、「あ〜あ、きもちいい〜」に集中
している。実は、あっけないことに、これが「リラックスの極限」=「悟り」。 
あらゆる欲を超越し、過去も未来も超越し、静かで満ち足りていて、心の
安らぎと平和を享受している。悟りや涅槃の定義にぴったり一致する。
 そうはいっても、リラックスの境地と悟りが同じとは ーしかも、
よりによって、風呂の「あ〜あ、きもちいい〜」と悟りを同一視するとはー 
あまりに突飛で不謹慎な考えだ。そう思われる方も少なくないかもしれない。
が、そんなことはない。期せずして、あるチベット仏教アメリカ人僧侶は、
悟りとは深いリラックスだと述べていた。≫
▼ 起業を決意してから45年間。三つのブラックスワンで、この結末。
 オセロで、白石が全て黒に変わったようなもの。しかし、人生にとって
ベストと数ヵ月後に気づいた。50歳の節目時に、「還暦までに、それまでの
人生を圧縮して生きる」と決意して、その通り実行してきた。しかし、
まだ何かが足りなかった。そこで気づいたのが、悟りが全く足りなったこと!
・・・・・・・
4064, 思想とは
2012年05月11日(金)                   
  * その人の思想とは一つの行為である    
           ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
 ≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
   心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
   ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
   今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
   他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
   掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
   子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
   それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たもの
   でなければ、けっして心に達するものではない。(ゲーテファウスト」)
  そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう
  人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。この人物には思想が
  ある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、
  そのように生きる、その生き方の言葉や行動にあらわれたもの、という
  ことになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値する。
  そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
 ≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、
  思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
  口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では
  支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、そんなふうに
  言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、
  というのである。なぜなら、ひとは自分がしんから正しいと考えたこと
  (それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの
  全存在を賭けてそれを言うのであり、それが周囲に認められ、あるいは
  否認されることで、己というものを知るのだから。≫
▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、
 書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、その場で文章化
して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッター
チャンスを待つが、その間、頭の中で、その場の光景の実感を文章化している。
写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。思想とは、
真実、良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、
自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。読書日記より、書くネタが
なく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと
言われるゆえんである。
   ・・・・・・・
3698, 自己を見つめる −19
2011年05月11日(水)
              「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 人生は、難しい。老いの時期に、それまで生きてきた過程で問題処理を
誤って置き去りにしてきた過去が吹き出てくる。これは万人に言えることだが、
肉体の衰弱と、精神の衰弱が、それに加速させていく。特に、現在、これまでの
家制度が崩壊、老後は、親子が支えあうシステムは消えようとしている。その中に
あって、自分(の世界)を長年かけて作っておくしかない。しかし、
「こんなはずではなかった、まさか!」が、人生である。 
誰の身にも形を変えて、突然現れ出る。 
  * 老いについて ー�    ーP272
【 こうして不動の英知を得た、落ち着いた老年は、死を覚悟しながら、
自分なりの人生のまとめを試み、知恵を磨いて、認識を深め、 哲学的知性を
研ぎ澄ます恰好の時期となる。キケロが言ったように、無分別は青春につきもの
であり、反対に、分別こそは、老熟に伴ってようやく熟成する。およそ、知性を
錬磨して、労作や仕事に励む老年には、老化は寄りつかないのである。老年に
なって恵まれた晴耕雨読の田園生活こそは、人間に幸福をもたらす。自然のなか
で草木を慈しみ、書籍を読んで知性を鍛える田園生活は、人間に精神の安らぎを
叶えさせる。あらかじめ美徳善行の想い出を蓄えることに努力を傾注して、
精神的に満ち足りた円熟した老年にとっては、こうして、時きたってこの世を
去るのは望ましいことである。自然の摂理に従い、生命に定められた限界に
従って、従容と死に赴くのは、人の使命だからである。セネカの説いたように
自然の定めに従い、それに即して自己を形成することが、何よりも大切であろう。
心身を健全に保ち、見識を蓄え、運命の贈り物は活用しながら、しかしその奴隷
にはならずに、乱されない自由な心と剛毅な精神において、不屈の力をもって、
公正に生き、道義を守り、克己心強く、高潔に、そして調和をもって優美に、
善行に励むことのうちに、人生態度の基本が据え置かれねばならないと、
セネカは捉えた。 人間は、老境においてこそ、いよいよ、こうした人間の
あり方に熟慮を傾けて、人生の実りを念頭に置きながら、自己自身に相応しい
生き方の拡充努め、最期の時に、備えなければならないであろう。】
▼ 長生きはしたいが、老醜は曝したくない。この溝が老年の大問題になる。
 他人のドブ沼は垣間見ることはできても、自分になると!「生まれ活き、老い、
その結果、長く生きている分、多くの病を経験し、死んでいく。これが人生。」
そう、綺麗には人生を終わることはできようがない。事業も同じ。綺麗に引きたい
は妄想。これからが、本番、長い日々が待っている。 清く、正しく、美しい
人生もあるのだろうが?これほど詰まらない人生もないだろう。それは私の偏見?
 ・・・・・・・
3333, 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
2010年05月11日(火)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著)  ー6
* 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
 ここで小選挙区制度の欠陥を大前はシビアに指摘をしている 
  ーそれをダイジェストに、まとめてみたー
≪ 2005年9月に「郵政選挙」で自民党は歴史的大勝を果たし、2007年
7月では「年金選挙」で自民党は大敗し、民主党が大勝した。そして去年の9月
には衆院選挙でも、自民党は惨敗をきした。2005年の郵政選挙は、
郵政民営化に」賛成か、反対かの二者択一の選挙であった。年金選挙は、国民
民主党に勝たせたいという訳でなく、年金の不祥事に自民党に「ノー」を突き
つけた選挙。これも二者択一の選挙であった。 この二つの選挙で言えるのは、
争点が単純化できれば選挙は勝てることを証明した。さらに言えば、「国民は複雑
なことは考えられない。単純なことしか通用しない」ことが、二つの選挙で証明
されてしまった。その時点で、郵政3事業はその歴史的役割を終え廃止すべき
だった。 道路公団も整理・廃止すべきものであった。小泉元首相は、歴史にも
逆らったことをやり国民のためのものでなかった。 改革と称し、その政策を
ほぼ官僚に丸投げし、つぶすべきである道路公団や郵政を生きながらえさせた
のだから、ほとんど詐欺。しかし国民詐欺行為を国民は認識していない。現在の
日本国民は「〇」と「×」の標識の間を漂流しているに過ぎない。標識の間を
漂流しながら、本当の答えは求めていないし、求める方法も知らない。さらに、
求めるための正しい質問もしていない。これが日本国民の「知の衰退」の実態。≫
▼ 現在の民主党政権の政策を国民が支持したのではない。 あくまで、自民党
 の長期政権にノーを突きつけただけ。しかし連立の社民党民主党内の隠れ
社会党の輩が、この時とばかりに時代遅れの社会主義政策を本気にやりだした
から、とんでもない事態になっている。 これこそ、○×の標識の間を政策が
国民と共に漂流している姿である。それでは自民党に政権を戻せば、間違いなく
土建屋的利権を復活してくることは目に見えている。国家衰退は、全てが
マイナスに働く。 どう立て直すのか、当分の間は迷走するしかないのか。
 ・・・・・・・・
2958,人はどうしてオヤジになるか? ー4
2009年05月11日(月)  
  * 時たま見かける恐ろしいオナゴ
アフリカ旅行で、イスラエル旅行で、そしてetcで見かけた「離れオバサン」。
「離れ○○」の離れとは、アフリカで恐れられている水牛である。群れから少し
離れて一匹で居る「離れ水牛」で、人間やジープを見ると見境なく襲ってくる
凶暴な奴。現地人が一番、恐れている水牛。一人参加か、時に二人参加だが、
その場合は一人は小使いのように隷従している。とにかく唯我独尊我。
自分のペースを他の人に強要し、自分の旅行自慢をするが、他人の話は一切
聞こうとしない。もし従わない場合は喧嘩腰で攻撃してくる。その恐ろしいこと。
兎に角、その毒は強烈である。独身のため夫婦・親子連れは目の仇になる。 
アンハッピーだから癒しに来るのだろうが・・ 独りの強さ弱さを知り尽くして
いるから、どうもこうもならない。「ヌーの河渡り」のツアーに参加した時には、
何と三人もいたが、常連で徒党を組んでいた。親分肌の50代後半の独身オバサン
は、毒の塊。10年は経つが、今でも忘れることができない。老いた母親がいて
婚期を逸したと他のオバサンが教えてくれたが。アフリカ専門ツアーの代理店に
申込みをした時に、受付の女性が「何か歯に挟まったイワクがありそうな雰囲気」
(えっ参加するの!)の意味を、アフリカのサファリカーの密室で初めて知った。 
面白い旅行には何かにマイナスがある。旅行をしていると、その人の人生の一端
をみることになる。 不幸な状態?は、その本人が作り出した我慢のなせる業。
人生を60年以上生きてきて思うことは、如何なる場合でも貧してはならないこと。 
    (字数制限のためカット 2015年5月11日)

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube

 もうじき、伊勢志摩サミットが開催される。オバマの最後のイベントに
なるが、何か、し残したことが、あまりに多い大統領になってしまった。
ノーベル平和賞』を受けてしまったのも、大きく足を引っ張ったようだ。

 あれよあれよという間に、泡沫候補だった男が、共和党代表になってしまった。
多くの脛に傷が、これから問題視されるだろうが、どうだろう?万一、大統領に
なったら? それだけ、オバマに問題があったのだろう。
クリントンより、マシ」という理由でなる可能性を大きくはらんでいるから、
安易に、していられないのが日本である。 
 「天気晴朗なれど、波高し」 そのものになってきた。
 



・・・・・・・
2958,人はどうしてオヤジになるか? ー4
2009年05月11日(月)  
  * 時たま見かける恐ろしいオナゴ
アフリカ旅行で、イスラエル旅行で、そしてetcで見かけた「離れオバサン」。
「離れ○○」の離れとは、アフリカで恐れられている水牛である。群れから少し
離れて一匹で居る「離れ水牛」で、人間やジープを見ると見境なく襲ってくる
凶暴な奴。現地人が一番、恐れている水牛。一人参加か、時に二人参加だが、
その場合は一人は小使いのように隷従している。とにかく唯我独尊我。
自分のペースを他の人に強要し、自分の旅行自慢をするが、他人の話は一切
聞こうとしない。もし従わない場合は喧嘩腰で攻撃してくる。その恐ろしいこと。
兎に角、その毒は強烈である。独身のため夫婦・親子連れは目の仇になる。 
アンハッピーだから癒しに来るのだろうが・・ 独りの強さ弱さを知り尽くして
いるから、どうもこうもならない。「ヌーの河渡り」のツアーに参加した時には、
何と三人もいたが、常連で徒党を組んでいた。親分肌の50代後半の独身オバサン
は、毒の塊。10年は経つが、今でも忘れることができない。老いた母親がいて
婚期を逸したと他のオバサンが教えてくれたが。アフリカ専門ツアーの代理店に
申込みをした時に、受付の女性が「何か歯に挟まったイワクがありそうな雰囲気」
(えっ参加するの!)の意味を、アフリカのサファリカーの密室で初めて知った。 
面白い旅行には何かにマイナスがある。旅行をしていると、その人の人生の一端
をみることになる。 不幸な状態?は、その本人が作り出した我慢のなせる業。
人生を60年以上生きてきて思うことは、如何なる場合でも貧してはならないこと。 
    (字数制限のためカット 2015年5月11日)

 ・・・・・・・
3333, 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
2010年05月11日(火)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著)  ー6
* 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
 ここで小選挙区制度の欠陥を大前はシビアに指摘をしている 
  ーそれをダイジェストに、まとめてみたー
≪ 2005年9月に「郵政選挙」で自民党は歴史的大勝を果たし、2007年
7月では「年金選挙」で自民党は大敗し、民主党が大勝した。そして去年の9月
には衆院選挙でも、自民党は惨敗をきした。2005年の郵政選挙は、
郵政民営化に」賛成か、反対かの二者択一の選挙であった。年金選挙は、国民
民主党に勝たせたいという訳でなく、年金の不祥事に自民党に「ノー」を突き
つけた選挙。これも二者択一の選挙であった。 この二つの選挙で言えるのは、
争点が単純化できれば選挙は勝てることを証明した。さらに言えば、「国民は複雑
なことは考えられない。単純なことしか通用しない」ことが、二つの選挙で証明
されてしまった。その時点で、郵政3事業はその歴史的役割を終え廃止すべき
だった。 道路公団も整理・廃止すべきものであった。小泉元首相は、歴史にも
逆らったことをやり国民のためのものでなかった。 改革と称し、その政策を
ほぼ官僚に丸投げし、つぶすべきである道路公団や郵政を生きながらえさせた
のだから、ほとんど詐欺。しかし国民詐欺行為を国民は認識していない。現在の
日本国民は「〇」と「×」の標識の間を漂流しているに過ぎない。標識の間を
漂流しながら、本当の答えは求めていないし、求める方法も知らない。さらに、
求めるための正しい質問もしていない。これが日本国民の「知の衰退」の実態。≫
▼ 現在の民主党政権の政策を国民が支持したのではない。 あくまで、自民党
 の長期政権にノーを突きつけただけ。しかし連立の社民党民主党内の隠れ
社会党の輩が、この時とばかりに時代遅れの社会主義政策を本気にやりだした
から、とんでもない事態になっている。 これこそ、○×の標識の間を政策が
国民と共に漂流している姿である。それでは自民党に政権を戻せば、間違いなく
土建屋的利権を復活してくることは目に見えている。国家衰退は、全てが
マイナスに働く。 どう立て直すのか、当分の間は迷走するしかないのか。

・・・・・・
2958,人はどうしてオヤジになるか? ー4
2009年05月11日(月)  
  * 時たま見かける恐ろしいオナゴ
アフリカ旅行で、イスラエル旅行で、そしてetcで見かけた「離れオバサン」。
「離れ○○」の離れとは、アフリカで恐れられている水牛である。群れから少し
離れて一匹で居る「離れ水牛」で、人間やジープを見ると見境なく襲ってくる
凶暴な奴。現地人が一番、恐れている水牛。一人参加か、時に二人参加だが、
その場合は一人は小使いのように隷従している。とにかく唯我独尊我。
自分のペースを他の人に強要し、自分の旅行自慢をするが、他人の話は一切
聞こうとしない。もし従わない場合は喧嘩腰で攻撃してくる。その恐ろしいこと。
兎に角、その毒は強烈である。独身のため夫婦・親子連れは目の仇になる。 
アンハッピーだから癒しに来るのだろうが・・ 独りの強さ弱さを知り尽くして
いるから、どうもこうもならない。「ヌーの河渡り」のツアーに参加した時には、
何と三人もいたが、常連で徒党を組んでいた。親分肌の50代後半の独身オバサン
は、毒の塊。10年は経つが、今でも忘れることができない。老いた母親がいて
婚期を逸したと他のオバサンが教えてくれたが。アフリカ専門ツアーの代理店に
申込みをした時に、受付の女性が「何か歯に挟まったイワクがありそうな雰囲気」
(えっ参加するの!)の意味を、アフリカのサファリカーの密室で初めて知った。 
面白い旅行には何かにマイナスがある。旅行をしていると、その人の人生の一端
をみることになる。 不幸な状態?は、その本人が作り出した我慢のなせる業。
人生を60年以上生きてきて思うことは、如何なる場合でも貧してはならないこと。 
    (字数制限のためカット 2015年5月11日)

・・・・・・・
2594, 最高の人生の見つけかた
2008年05月11日(日)

   昨日、「最高の人生の見つけ方」という映画を観てきた。
  期待した通りの内容で、「それ以上でも以下でもない」というのが感想。
  死を宣告された末期がんの最後の死に様を軽妙に扱っているところが良い。
ーまずは、その内容を主観的にまとめるとー
 ーー
ガン末期の病室で知り合った70歳位の二人が、人生の最後の‘やりたいことリスト’
を紙に書いているうちに、意気投合して、それに基づき、残りの人生を生き生き
と駆け抜けるストーリーである。
一人は
 ・哲学的、思索的でクイズ番組が大好き人間。
 ・頭が良いが、妻が妊娠した為にやむなく学者志望を諦めて自動車
整備工になった人。
 ・妻一筋。浮気など無縁で、自分より家族を優先する。
いま一人は
 ・理論より行動の実践型で、仕事が趣味で一代で千億円という財産を作った。
 ・プレイボーイ。結婚も3回したが、今はひとり。何より自分優先。
この対極にいる2人が同じ境遇で病院の同室に入ったことから物語は始る。
そして、その対極のある二人が、互い補完をしあって人生の最後を過ごす。
原題は「棺おけリスト」。 棺おけに入る前に、やりたいことを書き出す。
真面目な前者のリストの一部は「荘厳な景色を見る。赤の他人に親切にする。 
涙が出るほど笑う」大金持ちのリストは「スカイダイビングをする。 
ライオン狩りをする。世界一の美女にキスをする」などなど。
 ーー
最近は、かなり際どいドキュメントがあるので、より軽いタッチの内容にホッとした。
「棺おけリスト」という言葉がよい。20歳前後に作っておいたほうが良いだろうが、
差し迫らないと直視しないことである。哲学は、その根本問題から問いを立てている。
社会的な成功や達成など、「やりたいことリスト」の達成から見れば些細なこと
でしかない、という事実を軽く表現しているところが良い。 それは人生の余白を
埋めるリストでもある。死は、この137憶光年の宇宙空間の外にでること。 
本人にとっては消え去る、なぞというほど甘くはない。
生まれる前のことなどと気休めを考えても仕方が無い。同じようなことだが?
私の墓には 「死んでしまえば、それまでよ」
と書くつもりである??  父親の口癖だった言葉だ。
まあ、このHPも墓のようなものだが。

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2007年05月11日(金)
2229, 人生張っています ー2
 (σ・з・)σオハYO!!
            『人生張ってます』?読書日記
 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い!
   ーー
 さすがの中村うさぎも、毒気を抜かれて「まだまだ、うさぎは青かった」と。
「私はそれなりに地雷を踏んできたなと思っていたが、世の中には私の
踏んでない地雷がいっぱいあるものだと、勉強になりました」と脱帽。
30歳前後位で、女はみんな迷ったり模索するじゃないですか。
その時に暴走しちゃったらするんだと思うんですね。私の買い物も
そうかもしれない。5人の場合も折り合いがついてないのかもしれないが、
「私はこっちの道を行くと決めた」というのがあって。
こんな人にはなってはいけない。「あなたはあなたなりの道が用意されて
いるわけで、それはあなた自身が決めないといけないんだ」ってこと。
誰かから決めてもらって押し上げてもらって押し上げられた人は誰もいない。
ある程度のところで決断して、捨てるものは捨て、受け入れるところは
受け入れて、自分の売りとか生きていくキャラの方向性を決めないと。
「これが私なんだ、こんな私はどうよ?」という腹のすわり方は、読者も
見習ってほしい。私のそういう瞬間は、第一次、第二次があるとして、
第一次は離婚でしょうね。あの旦那をわたしの人生から簀巻きにして
放り出したところで、これでいいやと思ったんです。
それから浪費癖ですね。開き直ったんです。「浪費作家・中村うさぎ
という名が売れるとは、想像もしてなかった。ドン底にはまった時に、
そのドン底がネタになるんですね。ネタにしようとやっているわけではない。   
 ーー
解)以上であるが、冷静かつ真面目に彼女等と自分を見据えている。
それよりも、すざましいウンコ話をパソコンに打っている自分が面白い?
秘境旅行は、一度の旅行に一通りの人生のトラブルが圧縮して立ちふさがる。
その一つが『デモノ・ハレモノところきらわず』である。食事と飲み物と、
時差の関係で、何時何処で、もようしてくるかわからない。今まで、
一度も失敗が無かった方が奇跡である位、何度も危機一髪の事態に陥る。
そんなことを恐れていたら、秘境旅行などできやしない。何とかなる
ものである? だから、このエゲツナイ話が身に沁みるのである。
書き写すかどうか迷ったが、今さらである。
読まない方が良いですよ!と 言いながら・・・
こういう話は、タブーなのだろうが、この本は誰もが嬉々として
話しているところが怖い!ところだ。
ー内容は、明日のお楽しみ?に!
三人分の対談者の内容を書き写してある!≧ω≦)ノ~~~βyё♪

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2006年05月11日(木)
1864, グーグル Google -4         
              ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
       ー読書日記ー
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー3

そんな中、グーグルがサン・マイクロシステムズと提携した。この提携が注目
されたのは、サンが「オープンオフィス」という無料のオフィスソフトを開発して
いたからだ。マイクロソフトと対抗し続けてきたサンは6年もかけて、これを
開発続けており、完成度もナカナカのものだったが、一般の普及には失敗していた。
マイクロソフトの牙城を突きくずすことはできなかったのである。
マイクロソフトが3^5万したものが、無料でも突き崩せないということは、
いかにマイクロソフト社の市場制覇力が強いかだ。しかしサンがグーグルと
手を組むとなると話は違ってくる。その強力なAjaxをつかってオープンソフト
を改造すれば、そしてネット上で気楽に使えるようになれば良い・・
と、人々は期待した。しかし実際の発表の場では、その話は出なかった。
ここにきてマイクロソフトも、危なくなってきたのである。
マイクロソフトはウィンドウズにオフィスソフト付けてを高値で売って、
膨大の利益を上げてきた。それに対してグーグルは、すべてのサービスを
無料で提供し、マイクロを駆逐しようと躍起になっている。

ー「グーグルネット計画」ー
グーグルは2005年10月に、米サンフランシスコ全域に無料の無線インターネット
接続を提供する計画を発表をした。家庭やオフィスで使われている無線ランの
アンテナをくまなく張り巡らし、市内だったら簡単にインターネットに接続
できるようにしてしまう計画である。日米どこでも、通常インターネットに
接続しようと思ったら、接続業者と契約をして、月づき数千円の利用料金を
支払う必要がある。これが全て無料になり、しかも無線を使うことによって
住宅に回線を引き込む工事も要らなくなるのだから、この発表は驚きである。
さらに、このプランはサンフランシスコだけでなく、全米に張り巡らせる計画
があるという。こうなると、これまでの有料でインターネットを接続を提供して
きたブロバイダや電話会社、ケーブルネットワーク会社などに、誰も金を
払わなくなるということだ。これはアメリカの通信業界を、根底から破壊
してしまう可能性がある。グーグルの狙っている広告ビジネスの戦略は、
全国を張り巡らせる中継アンテナにある。どの利用者がどの中継アンテナを
使ってインターネットを使っているかは、グーグルからみれば把握可能である。
その対象に、絞った地域密着的な広告が可能なる。
例えば、あなたが神楽坂に住んでいるとしよう。あなたが仮にグーグルネットを
利用して、新宿区神楽坂6丁目の電柱から半径数百メートルの範囲に住んでいる
ことをグーグルは把握する。また接続サービスを契約する際に、さまざまな個人
情報を登録するから、あなたが年収600万のビジネスマンで、妻と小学生の子供が
二人いることも知っている。趣味がドライブと映画鑑賞であることも知っている。
 一方グーグルは、ありとあらゆる広告主を集めて、それらの広告主の広告を
配信している。その中にもちろん自動車メーカーや化粧品会社、果ては近くの
スーパーマーケットや、個人の商店や信金なども広告主として契約している。
これらが普及していけば、折り込み広告が消滅していくだろう。
折り込み広告が将来的に駆逐されることになれば、
新聞社の存在の基盤が揺るぎかねない。  ーつづく  ヾ(^ω^*) バイ
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2005年05月11日(水)
1499, 人生の敗北者とはどんな人か??1

「人生の敗北者とはどんな人か?」という項目が,ある本にあった。
読んでいてドキッとする内容で、誰かに?ピッタリ当てはまるから恐ろしい。
知人の?0?は当てはまる?(但し、このHPを見ている人にはいないが?
)しかし他人事ではない、自分の影の一部分でもある。自分の中にも?0?か、
存在している。 だから面白い内容なのだが。
  ーその一部を抜粋してみるー
人生という戦いのなかで敗北をつづけている人たちは、とても容易に他人の
誤った行いを攻撃します。彼らは、周囲の人たちのずるい行いや裏切りが
なかったら、自分は素晴らしい成功を収めていたはずだ、大金持ちになって
いたはずだ、大きな名声を収めていたはずだ、などと考えて、それを自分のみ
ならず、他人にも信じさせようとして、ヤッキニなっています。
彼らは、自分がどんなに騙されてきたか、利用されてきたか、評判を落とされて
きたかということを、いつも口にしています。彼らに言わせると、彼らは純粋
無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽうで、彼ら以外のほとんどの人間は、
不誠実な悪人たちです。彼らは言います。「もし僕が、他の人たちと同じ
ように身勝手であったならば、どんなに繁栄し、どんなに大きな名誉を手に
入れたことか。僕の人生が思い通りに行かないのは僕が善良すぎたからだ」
人生の敗北者とは、人間の本質を宇宙の善性に対する信頼を完全に失っている
人たちです。彼らは、他人を見るときは悪いものを見るための目しかもちません。
いっぽう、彼らが自分のなかに見るのは、苦悩する清らかさのみです。
彼らは、自分のなかで悪いものを見る意思は全くありません。彼らにとって、
悪いのは常に他人なのです。彼らの心の中で、卑劣な悪魔を人生の統治者の
地位に祭りあげ、外側の世界でくり広げられている「身勝手な奪い合い」に
ばかり目が奪われています。その世界では、善はつねに押しつぶされて、
悪ばかりが勝利を収めているのです。彼らは、彼ら自身のおろかな行為や無知、
弱さなどには全く目を向けません。その運命を決定付けている不正義のみです。
このような、心の誤った性癖を、根こそぎ、捨て去ってしまうように努め
なくてはなりません。彼らこそ、不誠実さや、身勝手こそが、成功する為の
最高の武器と信じているのです。「悪のほうが善よりパワフルであり、
悪人の方が、より素晴らしい人生を歩むことができる」などと信じているのです。
そういう人間こそ、悪の要素と関わり続けているのです。多くの人たちが悪、
無秩序、不正義を見ている場所で、善、秩序、正義を見ることができません。
                       つづく
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2004年05月11日(火)
1134, 「空間歩行」

・学生時代、「合気道」に二年間近く熱くなったことがあった。
住んでいたところが合気道の本部に近かったこともあり、本部に一年通った。
創業者の植芝盛平の姿も何度か道場で見たことがあった。
合気道でも柔道でも、基本は受身である。転びかたや受身を徹底的に教えられる。
「転びかたは、起きることを意味する」のだ。ボクシングも、殴り方よりまず
防御などの受け方を叩きこまれる。負け方ということを知らないと、恐れが
先立ってしまう。戦前の日本の姿がそれであった。負けは勝ちの背後になくては
ならないのだ。武蔵は自分の弱さ限界をしっていた、勝つことより負けない
ことを考えて戦略をたてて闘った。勝負師はそれを知っている。
話は変わるが、柔道の三船十段の「空間歩行」というのが意味深である。
ー土や畳の上を歩くから倒される。ならば、土や畳の上を足で歩かず、
腰で歩けばよい。重心が腰にあるから、足で払われても倒れない。
相手の足と自分の腰が同じところに意識があるから当然倒れないのである。 
つまり、「空間歩行」である。
ー物理的な空間でなく意識的な空間をいっている。ここから更に、相手の
倒し方に話になるが、内容が濃くなる。「私は足で歩かないから、体を持ち
上げられて足が地から離れても、どうされても、腰が体を支配しているから
何ともない。つまり倒れるということは頭が下がるということです。
だから相手を倒すにも地面へ投げることばかり考えないで上へあげる。
その結果は落ちる・倒れるということになるのです」ー相手を倒そうとする
のではなく、自分の腰と相手の足と同位置まで相手の重心を上げておいて、
その次に落とすと相手が倒れる。ここまで考えるのに、一日かかったが。

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2003年05月11日(日)
767, 不動産屋と喩え

 不動産屋は情報産業そのものである。暴力団も情報産業の典型と聞いた
ことがある。強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、
このテーマとは関係ないが。財産の大きい部分を占める不動産の移動を
手伝いをするサービス業であり、住居の貸して借り手を紹介するサービス業
でもある。この不動産業業者に特性がそれぞれある。 野球のバッターに
喩えると解りやすい。ホームランバッタ?、ヒットバッター、バンドバッター、
ピンチヒッターとかそれぞれが専門化されている。
その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。
・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いか4~5億の
手数料が入る。しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を
待つしかない。
・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。
 一年で100件の仲介をしても、8万平均でも800万10年でも8千万でしかない。
 それも色いろな苦情もアフターフォローで必要になってくる。
・住宅の売買手数料は2塁打というところか。街の不動産屋は奥さんが
 ヒットとバンド専門で、旦那が長打を狙う。彼等は意識しようがしまいが、
 その情報で飯を食べている。彼らの中にはトンビという役割役もある。
 自分のテリトリーの中を暇に任せて回って餌ー情報を捜す。お客の中には
 餌だけをとって逃げる奴もいる。
しかし不動産屋仲間ですぐに情報が流れ情報は一切流れなくなる。
さっき述べたが、それぞれ自分の得意技を持っていて、情報という餌を捜し回る。
株屋と組んで、株をやりたそうだとかの情報を仕入れると、株屋にその情報を流す。
その見返りに確実に利益の取れる転換社債の売買で利益を得る。調子がよくって、
ボケたふうにとぼけて近づき一番の情報を取る。以前の保険屋の世界に似ている。
漁業にも喩える事ができる。近海漁業、遠海漁業。一本刷りに川釣り、海釣り
男女の互いの獲得の方法論と同じ。

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2002年05月11日(土
結婚と離婚ー2 ?夫婦というもの

お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、さらに互いの舅姑や
小姑という人間関係が絡んでくる。それを考えると結婚が上手くいく確立が
50?というのも肯ける。その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いて
いかないと、どうにもならない状態に陥ってしまう。
夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。
これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。そもそも出発点にお互いに
惹かれるのは、自分のない部分を相手に求めるからだ。上手くいっている
うちはいいが、歯車が狂うと逆に全く性格の不一致になってしまう。
家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。「すまい」は鳥の巣から
語源が来ているという。そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。
最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。
40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか? 人生の悲鳴が聞こえて
きそうだ。人類最大の課題である。

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2001年05月11日(金)
連休あけの顧客動向

連休あけの出だしはその期の売上ー景気動向を図る意味でおおきい目安。
悪い!先行き不安の出だしである。どうなっているのだろう?今期と来期
は競馬とサッカーで一応目安はたつているが、それにしても今週は悪い。
ここで各会社が益々経費節減を徹底してきたのだろう。新幹線も今週は
ひっそりしていた。ここで大型倒産が出るだろうと思っていたが
出なかったのも無気味だ。