* 旅は根こそぎ人生観を変えた
 何度も書いてきたが、51年前の21歳の「30日間・欧州旅行」が人生を変えた。
国内さえ殆ど旅行したことがない私が、年間20万人しか渡航してなかった当時に、
大金持ちの子女・子息たちとの豪遊旅行に参加したのだから…、当時の日常との
段差が如何ばかりか。それまでの人生と、その後の人生というほどの段差による
カルチャーショックがそこにあった。良かったのが、事前情報が皆無に近かったこと。 
名所名跡に出あいがしらの感銘がより大きくなっていた。その衝撃は、その後の
秘異郷旅行のライフワークに繫がっていた。 
 
 当時よく聞いた話が「カルチャーショックで気が変になる人が多々ある」こと。
今では情報化で現地の事前情報があるため少ないようだ。私も帰国後の数ヶ月は
自失茫然状態であった。それまでは、私なりの世界観、価値観を保って秩序を
守ってきたが、そのベースが根本から揺れ、それが新たな再生になっていた。
 老いる度に、私たちは小さな世界に閉じこめられ、その世界しか知らなかった
ことに気づき、慌てる。その後、数知れない衝撃を受ける度に、生き方、人生観
が根こそぎ変化していった。成るほど、「大変な人」と言われるのは至極当然。
私の限界の中の衝撃で、破壊と再生の「変化」を経験すれば、「変」が大きく
なる筈である。 とはいえ、その道のプロ、例えば、秘境の地への赴任とか、
添乗員から見たら、何をバカなことと笑われる半端なド素人でしかない。 
 
 一歩、旅行に向け踏出すと、非日常の世界になる。 新幹線から成田線
乗継いで、機内に入ると、非日常が、日常になり、これまでの普段生活の日常が
非日常に逆転する。黄色のミニ集団の一員として、こちらの正しいことは、旅先
では正しいとは限らない世界になる。世界は多様であり、それぞれが特殊であり、
また自分の世界も特殊であることに、気づかされる。それぞれの地域で、それ
ぞれの言葉を話し、様々な考え方をし、地産地消をしており、それぞれの文化
の中で生活をしている。その実体験が旅行の醍醐味になる。一回の旅行で、
ホテルや、観光先や、乗り物内で、様々な文化文明に触れ、感動や感激をする。
変わっていく旅先に順応しながら、自分も変わっていく。感動、感激の経験は自分
の感情を豊かにする。旅に出て、感動し、感激し、感涙する度に、違った自分に
変化していることに気づく。

一年前に入れた4KTVが内なる世界を変えた。『アクティブ・カウチポテト族』
と言うが、世界の秘異郷先を、実際の人間の視力より、遥かに鮮明に映し出す。
今では、YouTubeで4kの映像を見ることが可能になっている。数十年経っても、
これで追体験が可能になる。更にブログで、旅先からライブの生々しい写真と
映像と実感の言葉を見ることが出来る。 21世紀は、楽しみ方を知ってるものに
とって面白い時代だ。 これは何事でも言えることが…

・・・・・・
5835,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −5
2017年03月07日(火)     
     < 体感!グレートネイチャー!「奇跡のビッグウェーブを追え!
           〜アメリカ ハワイ〜」(BSプレミアム)2月25日21:00
  * ビックウェーブのド迫力
 映し出される映像の圧倒的迫力に魅入って自分に、「いい歳をして、何を
しているのか?」の内なる言葉は軽く打ち砕かれる。ムササビスーツを着て、
頭の先にビデオカメラを装着してムササビのように滑空する録画や、大津波
流される街の衝撃的映像を見るにつけ、魔物に憑かれたように冷静に見ている
自分に驚かされること屡々である。
 大空に展開されるオーロラや、アフリカのサバンナの野生動物の生死をかけて
生きる姿は、現地でないと分からない。 が、現在のデジタル技術は、それを
カバーするところがある。その一つが高さ20mのハワイの巨大サーフィン! 
色々な撮影手法で迫力ある波間の一瞬を映しだす。ハワイには、様ざまな要素
が重ねって神秘的な大波が打ち寄せる!
  〜NHKの説明では〜    
≪・ハワイ・オアフ島ノースショア。真冬になると巨大波が押し寄せる海岸線。
 20mもの波はエメラルド色の分厚い壁。重低音を響かせて白砂のビーチで
砕け散る。取材班は熟練のサーファーとともに、巨大波を追跡。目の当たりに
したのは高さ15m、5階建てのビルに匹敵する巨大な波。キラキラと輝きながら
刻々と形を変え、まるで生きたガラス彫刻のようにうごめく。 
 波の先端が丸まって円柱型のトンネルが形作られる「パイプライン」。
その内側の世界を熟練サーファーに取り付けた小型カメラで写し取る。
・なぜノースショアには大きな波が到来するのか?ハワイ諸島の空と海を縦横
無尽に探索し、たどり着いたのはホットスポット型噴火によって点々と並んだ
ハワイ4島の絶妙な位置関係。日本の嵐に端を発した波が、巨大波となって
たどり着く奇跡的なメカニズムだった。今までのグレートネイチャーとは一線
を画す、清涼感あふれるエンターテインメント大作。巨大波が放つ圧倒的な
自然美をたっぷりと体感する。≫
――
▼ サーフィンに魅入られ移住してきた父親と息子。父がパイプラインの中を
 サーフィンする一瞬を撮影する。本人の頭にはカメラがある。その迫力ある
映像の世界は見ている者にも共同体験の錯覚をもたらす。去年あたりから、
メガネ型動画プレイヤー が家電店頭に並ぶようになったが、これが次世代の
バーチャルの世界? あと10年、生きたくなってきたが… 3年間に圧縮可能?
 もっとも、今どきのハリウッド映画の世界は、バーチャルそのもの。
「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅言葉が
あるが、毎週、異次元世界を見ているのに、今さら何を? 
 …で、次は「パンプローナの牛追い祭」 その次は、「リオのカーニバル
イグアスの滝」「グトルフォスの滝」「イスラエル巡礼の旅」。 …行って
見てないが、「メッカ巡礼」の集団礼拝が面白そう。 
  <行ったつもりの世界異境の旅>のテーマがコンセプト?
  ・・・・・・
4740,<つまずき>の事典 〜   ー8
2014年03月07日(金)
  * 「他人歓迎」       <つまずき>の事典>中村邦生編著
 既に亡くなったが、長年、連続テレビ映画の『ララミー牧場』の解説をし、
「さよなら、さよなら、またお会いしましょう」で終わる名調子の淀川長治
の言葉を紹介している。
☆ 『 映画は、ただ娯楽というだけじゃなくて、いつでも人間勉強させて
 くれるので、私は映画に命をかけました。ちょっと大げさですけど、映画
 への愛が今日の私を作りました。(中略)そして私は、映画から3つの
 言葉を学びました。「がんばれ、苦労、来い」。二番目は「他人歓迎」。
 “他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい、映画は、
 そう言っていました。もう一つは「私はいままで、嫌いな人に一人も会った
 ことがない」。映画を見ていて、こういう言葉が出てきた時に、私はメモ
 しました。家に帰ってから、それを身につけようとして、今日まで来て、
 どうやらどんな人とも仲良しになれる気持ちになりました。愛は、本当に、
 豊かな人生をもたらしてくれます。』  :淀川長治「美学入門」より
  〜ネット調べると、以下も、なかなか良い〜
☆『愛というものがあるからこそ、人間は美しく生きられる。
 愛のない人間は汚い。お金だけで行きている人間は汚い。
 アメリカの言葉にもあります。「金で買えるすべてのもの、それは悪魔
 でも買える。しかし・・金で買えないものを持っているのが、人間。」
 それは、愛ですね。愛は金では買えませんね。そういうことも映画から
 教えられました。』         :「大人の学校ー入学編」
☆『キザな言い方だが、講演するときもこのあと私はきっと死ぬのだと
 自分に言い聞かせることにしている。するとその講演に命をかける。
 二時間がまるで20分ぐらいの勢いでしゃべってしまう。講演の後は
 汗でびっしょり。けれども不思議なことにこの方が疲れない。思いっきり
 やったという私だけの満足感が疲れを忘れさせる。』『人は必ず死ぬ。
 一日を十分生きなければ損だ   :格言[いつも人生最後だと思う]
☆『チャップリンは幼少時代ひどい苦労をなめた。貧しさのあまり頭が変に
 なった母とチャップリンは二人暮らしになった。父を5歳で失った時に
 母は発狂した。腹違いの9歳の兄はこの家から逃れて船のボーイになった。
 5歳のチャップリンは食べるものがなくなってマーケット裏に捨てられた
 残飯を拾ったこともあった。その苦労がのちのチャップリン喜劇の中で
 いかに生きて描かれているかがわかるのである。それにこの母が実は
 偉かったのである。気が鎮まって正気を戻すと、小さな我が子を枕辺に呼び
 「イエス様はお前が運命を全うすることをお望みなのだよ」と何度も諭した。
 つまり自殺をするなということである。それは小さな我が子に言うよりも
 苦しい自分に言って聞かせたのであろう。 そのチャップリンの苦労が
 のちに幸せの花を咲かせたのである。思えば神様は人間を豊かに幸せに
 するためにいつも苦労させるのだ。:格言[苦難のあとに幸せの花が咲く]
▼ チャップリンのコメディの基本となる「悲惨な生活の喜劇化」。
 彼の芸は道化師の芸からの頂きで、「サーカスのネタばらし=自分自身
のネタばらし」である。少年の頃から、お金を稼ぐため、大道やステージに
立って注目を集めるために道化師の芸を盗んだ。子供の頃の生活のための
知恵は、万人の心をうつ。『一日を十分生きていれば、どんな場面でも
乗越えることが可能である』が、それが一番難しい。 
『一日を充実させる』さえ心掛ければ、十分!

・・・・・・
5470,人生で最も大切な技術 ー28 フロー状態
2016年03月07日(月)
   * フロー状態を経験する
 金沢の衣料チェーに一年半ほど勤めていた時や、実家の衣料量販店で、
服に値札の糸通しをしていた時に、三十分も続けていると、奇妙な悟りの
ような奇妙な心持になる。これをフロー状態というらしい。〜その辺りより〜
≪ 誰にでも、一つの活動、実験または感情に猛烈に没入する、という経験が
あるだろう。クレアモント大学院心理学部のミハリ・チクセントミハイ教授の
提唱するフロー理論は、まさにそのことを論理化したものである。1960年代に
創造的なプロセスを研究していた同教授は、一つの事実に思い当たった。
 画家は、創造プロセスが順調なとき、作業に完全に没頭していて、完成まで
その状態に止まり、疲労も空腹も不快感も一切意識しない。作業が終わると、
突然に関心が消える。このとき画家は、「フロー状態」を経験しているのである。
その時間中は、自分のしていることへの没入のほうが、最終的な結果よりも
価値が高い。この現象に好奇心をそそられた教授は、活動の喜びが一番の
インセンティブとなる、画家、登山家、チェス名人、外科医、作家、肉体労働者
たちと数多くの面談を行った。同じ岸壁を十数回登ったロッククライマーに
とっては、頂上にたどり着くまでのプロセスが喜びであって、登頂はそれほど
重要でないのは明白である。特別の目的地もなしに、音楽を奏でながら、
またはトランプで一人ゲームを楽しみながら、ヨットで湾を巡洋するヨットマン
にとっても同じことが言える。このようなときに人は、「活動そのものに完全に
没頭している。エゴや時間を超越する感覚がある。どのような活動、動作、
思考も、前のものを引き継いでいる。それはジャズ演奏のようなものである。
自分の全存在が巻き込まれ、自分の技術を最大限に駆使する」。
 フロー論に近い状態まで心を没頭させること、ということを自ら発見した。
通訳で、講師が話している間は、心を完全に応えられる状態にしておく。
すなわち、心を一切の雑念が入り込まないように解放した白紙状態に保ち、
緊張を伴わないで注意を集中した状態にしておく。こうして耳に入る内容を
伝達する。それは、一杯になった水差しから別の水差しに中身を移し変えるのと
同じ作業である。出発点と講義の脈絡だけを記憶しておけばいいのである。
こうすれば続々と耳に入る詳細も、概して、骨を折らずにこなせる。
 心が注意集中状態でしかもリラックスしているので、長々した複雑な講義でも、
極めて忠実に再構築することができるのである。雑念や外的な出来事が翻訳の
フローを断絶する場合、魔力は消え、本筋に戻るのが難しくなる。
この事態に陥ったときは、いくつかの詳細が記憶から漏れる。数秒間、
心が真っ白になる。フロー状態を正しく経験するには、メモは取らないほうが
いいだろう。すべてがとんとん拍子に運ぶとき、スムーズな流れが穏やかな
喜びを醸しだしてくれる。自意識とは、自分自身の観察であるが、それが
事実上不在になり、疲労を忘れ、時間の経過は、遠くからは見えない川の流れ
のように、知覚することがなくなる。チクセントミハイ教授によれば、アイロン
掛けとか組立てラインなどの最も平凡で単調な作業中にフロー状態を経験する
こともある。ただし、経験するかしないかは、時間の経験の仕方にかかっている。
フロー状態を経験しない場合、事実上どの活動も、耐え難いとまでは言わない
までも、退屈でうんざりしてくる。同教授は、フロー状態に入りやすいタイプと
そうでないタイプがあることも発見している。≫
▼ 早朝の、この文章の仕上げで、気持ちを集中させ、完成までの2~3時間は、
アッという間に過ぎ去っていく。この時も、一種のフロー状態。この程度の
文章に、ネタさがしと、下書きを入れると3時間を要している。何でまた?
というが、そのフロー経験そのものが良いから続いている。少しでも、嫌と、
思ったら到底続くものでない。フロー状態だから、前年の同月同日の内容に、
不思議な偶然として繋がるのだろう。
・・・・・・
5105,社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔
2015年03月07日(土)
       「毛沢東の大飢饉〜史上最も悲惨で破壊的人災」
                   フランク・ディケーター(著)
  * 毛沢東の大飢饉
 もう四半世紀前の1989年になるが、北京経由の桂林へのツアーで、
現地人ガイドが桂林で何気なく発した言葉に驚愕をした。
文化大革命の時、それぞれの村に死体が山のように積まれていた。
私の村でも、積まれているのを見た。桂林では、あそこ!」と、指をさす。 
 現地で生々しい虐殺の話を聞くのは初めて。日本では、聞けない話。
旅行当時、北京の天安門広場近くには通勤途上の人民服の人が乗る自転車で
溢れていた。 資本主義的近代化?に向かう一歩手前の中国の姿だった。
  〜アマゾンの案内より〜
<15年以内にイギリスを追い越す」と宣言した毛沢東が始めた「大躍進」
政策は、人肉食すら発生した人類史上まれに見る大飢饉と産業・インフラ
・環境の大破壊をもたらした。香港大学教授が中国各地の公文書館を精査。
同館所蔵の未公開資料と体験者の証言から「大躍進」期の死者数を4500万
(大半が餓死。うち250万人が拷問死、裁判なしの処刑死)にのぼると算出。
中国共産党最大のタブーの全貌を明らかにし、北京が震撼した衝撃の書!>
  =投稿者の内容より=
≪ もし地獄というものが、あるとすればこの時期(1958〜1962)
 の中華人民共和国の姿であろう。この大躍進の前に、小躍進という大災害
があり、主としてスターリンのソホーズ・コルホーズを、中共がまねをして、
同じような飢餓と腐敗を味わったのであるが、たくみに、フルシュチョフと
張り合う形で、イギリスの鉄鋼生産量を追い抜くという、ばかげた、いや、
恐ろしい計画が、毛沢東がその権力維持の為に、発動される。それが大躍進
という地獄。共産主義国家において、しかも独裁者のもとでは、一度動き出した、
この地獄のプランは止められない。止めようとする者は地獄に落とされる。
およそ、考えられる地獄の様相はすべて盛り込まれている。単に餓鬼地獄だけで
なく、暴力、強姦毒殺、自殺のような他殺、親殺し、子殺し、人身売買、人肉や
泥、糞尿を食べる人、食べさせられる人、あらゆる冷酷のかたち、あらゆる
サデズムの形態で現実におこなわれる。発狂、逃亡、集団死、強盗、暴力
あらゆる悪徳、腐敗、無恥、がどのようにどこでおこなわれたかを、綿密に
書いていく。墓場から死体を掘り出し、あるいは飢餓で死んだ死体を肥料に
してまく。この歴史を国民に教えることはタブー。このような地獄のうえに、
その誤りを指摘する劉少奇を粛清するために、毛沢東は第一次文化大革命
第二次文化大革命へと権力維持装置をフル回転させるわけだが、ここで
日本でも教養人にファンの多い周恩来などは、自分の命を守る方に
うごいていたこと忘れてはならない。身近な人が、身近な人に襲い掛かり、
子供といわず、婦女子、老人をたたき殺す、その異常死の数4500万人
ともいわれた大躍進の地獄は、人々の心から、忘却されてない。≫
▼ これに文化大革命を加えると、7〜8千万人が死んだというから、
 人口の一割に当たる。もし日本だったら一千万人が犠牲である。
1958〜1962年なら私が中学校の頃、隣国では、こういう惨劇が!

つれづれに

イメージ 1

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  今日のYoutube

 今日も天候は穏やかである。
近所の屋根の雪も、殆ど消え、庭の積雪も三分の一ほどになった。

 以下の、5年前の随想日記にアベノミックスの批判が書いてあった。
思い切った金融緩和にもかかわらず、インフレにはなってない。
その上に、安倍首相が継続して政権を維持している奇怪さ? 何でしょうか?


・・・・・・・
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4373, アフォノミックス
2013年03月07日(木)

   * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して、「アフォノミックス」とは、よくいったものだ。
 経済評論家の浜規子が先日、アベノミクスの内容を問われ、「アフォノミックスそのもの。
死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようなもの。気持ちが悪い。今さら経済成長など
おかしい!」と切り捨てていた。 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに
対して、「日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、当を
得たりと納得をした。
この事態を招いた戦犯の主犯格の安部と麻生が、首相、副首相とは漫画の世界。殆どの人が、
それを知っているから恐ろしい。7月末の参院選までのミニバブルかあと二年が限界とみてよい。
それでも見渡す限り阿部しか見当たらないのが現実である。一度、チャラにになるなら、
早めに息の根を止めるのも仕方がないのか。この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。 円安も効いて、あの元気にみえていた経済も崩壊過程。 
輸出依存度を見ると、日本 14% 、中国26%、アメリカ10%に対し、韓国は50%。 
日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。
欧州危機と中国の経済停滞の影響を直撃し、急激に悪化している。
世界的動乱になると、国力がある方が有利。資源があり、海軍と空軍が断然強いアメリカが
当分は世界をリードする。体力を疲弊してしまった日本は、当分、アメリカの属国として
生きていくしかなく、TPPの参加など当然のこと。
明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、今回も、アメリカに屈した開国になる。アメリカにとって、
どれも世界戦略の一つでしかない。韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する
前線基地。中国も北朝鮮を庭先の番犬で飼っている。ここにロシアが絡んでくると、1930年代から
太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流の安部と麻生の出番というのも分から
ないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」である。
 ・・・・・・
3999, 宇宙は本当にひとつなのか ー4
2012年03月07日(水)
  * 暗黒エネルギー
  ー 次に宇宙の全エネルギーの73%を占める暗黒エネルギーについてー
【 暗黒エネルギーは暗黒物質と並んで、宇宙を作るものの中で正体がわかっていないものです。
正体不明のエネルギーなので、 暗黒エネルギーといっている。暗黒物質のほうは10年以内に
その正体が明らかになるのではないかと期待が持てるようになってきたが、宇宙の全エネルギーの
73%を占めると考えられている暗黒エネルギーは、まだ糸口がつかめていない。
 今のところ、私たちは暗黒エネルギーを見ることも感じることも出来ない。
しかし、宇宙のエネルギーの約四分の三を 占めているものが、どこか一部の場所に偏って
存在するとは考えられないので、私たちの周りに既に存在することになる。
 暗黒物質も、暗黒エネルギーも、それが分かっていないのに、物質とエネルギーとに分けて
いるのはなぜか。一番の違いは、宇宙が大きくなると暗黒物質は普通の物質と同じように薄まる
のに対し、暗黒エネルギーは薄まらない。暗黒エネルギーを発見するきっかけは非常に遠くの
宇宙で起きた超新星爆発。 超新星の観測から宇宙は常に膨張し、その膨張速度は速くなって
いることが分かった。宇宙には、目に見える星や銀河などより、目でみることの出来ない暗黒物質
のほうが多く存在する。ところが、宇宙が広がっていけば、その分薄まっていきます。
そうなると、宇宙のなかの エネルギー密度が低くなり、宇宙の膨張速度は遅くなると、
物理学者は考えていた。ところが、観測結果はそうでなかった。 宇宙が大きくなるにつれて、
どこからからエネルギーが湧き出てくる。何故そうなるのか。それは宇宙が大きくなっても
 薄まらない何かがある。それを暗黒エネルギーと名づけた。】
【 宇宙の体積が大きくなっても、膨張速度は速くなっている。宇宙が広がるたびに増え続ける
エネルギーが必要で、そのため 考えられたのが暗黒エネルギーだ。有力な仮説は、真空も粒子は
反粒子が出来ては消えてを繰り返してエネルギーを持っている説。この説により真空エネルギー
を計算すると120桁も大きな値になり宇宙は引き裂かれてしまうことになる。そこで、素粒子
点でなく、小さなひもだという超ひも理論が登場し、宇宙は1次元の時間、目にできる3次元、
小さな異次元が6次元(カラビ・ヤウ多様体)の 10次元ということになる。超ひも理論は重力を
含む力の統一が出来る可能性がある。超ひも理論特異点を持つブラックホールが熱を持つ
という問題に解を与えた。アインシュタインの重力理論はまちがっていて、宇宙は加速膨張しない
とする人たちがいる。彼らは超ひも理論の一つにより泡宇宙となるとの提案をしている。】
▼ 「宇宙の体積が大きくなっても、膨張速度は速くなっている。宇宙が広がるたびに増え続け
るエネルギーが必要で、そのため考えられたのが暗黒エネルギー。 有力な仮説は、真空も粒子は
反粒子が出来ては消えてを繰り返してエネルギーを持っている」という説が分かりやすい。
真空の中にエネルギーがあるというと、仏教の「空即是色」が思い浮かぶ。 この本をキッカケ
にし、 「宇宙オタク」のブログを幾つか見たが面白い。 広大な宇宙に興味を持つと、
シャバの世事に囚われている自分が見えてくる。。
 ・・・・・・・
3633, 「中東革命」の行方 -2
2011年03月07日(月)
 * 新たな独裁の可能性にマスコミは甘すぎる?
 ー 次の視点も、なかなか考えさせられる ー
≪ 1月から2月に掛けてチュニジア、エジプトで次々と起こった民主革命について、筆者に
思い浮かぶのがこのトックヴィルの洞察だ。この革命に対するマスコミの反応は一言でいえば
慎重な楽観主義である。 通常、国際ニュースについて、国内と海外の新聞の間に切り込みの
鋭さの違いがあり、立場にも若干異なる点が見られるのだが、今回の場合、内外格差も国内
格差もほとんどない。おそらくアメリ国務省でさえ事態を掌握できないほど急速に出来事が
展開したためなのだろう(なぜ、出来事の展開がかくも急速だったのかという点について、
各紙はアラブ世界へのインターネットの普及を原因として指摘する)。
 チュニジア、エジプトの国民が腐敗した独裁体制と平和裡に決別し、民主化を実現した
という「美談」にも関わらず、内外のマスコミが手放しでこの出来事を賞賛できない理由は、
言うまでもなく「イラン革命」の経験である。民主化は結構だが、それが結局、強硬な
イスラム思想に立った新たな独裁体制につながったら困ると認識されているわけである。
トックヴィルの洞察が重要なのはまさにこの点だ。結局、新たな独裁制に行き着くのか、
イスラム原理主義が中東に浸透する結果になるのか、それを占う大きな要因は、今後、
民主主義への体制移行期においてどれだけアナーキーが深刻になるかである。
今回のチュニジア、エジプトでの民主革命では、この点に若干希望が持てる。
なぜなら、流血を伴うことなく実現されたからである。暴力によって生まれた新体制は、
その維持のためにも暴力を必要とする。同時にその暴力に反発する国民の暴力を誘発する。
今回はそれを避けられるかもしれない。もっともエジプトの場合、軍による移行体制という
現状からして、民主革命はまだ序の口である。もし今後、軍が強圧的な態度に出て、国民
の反発が強まった場合、次の衝突では流血が起こる。アメリカを中心とする西側諸国は、
軍を監視して移行期をスムーズに進展させる責任を持つ。≫
▼ イスラム教が、何で民主化というのか? 彼らの民主主義は独裁打倒ということで、
欧米の民主主義とは違う。要は、他の文明圏との経済格差がTVなどで露出されたこともある。
特に恵まれてない若者層に不満が浸透している。 独裁者たちの国家の私物化も露骨。
同じことは欧米でもあるが、それぞれの階層の中で飼いならされ満足しているのだから
今さら・・
・・・・・・・
3268, 哲学者は神について、どのように語ったか ー4
 2010年03月07日(日)
  * キルケゴールの「宗教的実存」
 キルケゴールは、「個人の生は3つの段階を経て深化する」と主張した。
1、美的実存:  美しいものを求めて、そのときそのときの享楽を求める生き方である。 
  ドンファン的生き方。
2、倫理的実存: よいことをし、社会的の規律を守り、習慣などに従い、全てに
  道徳的な生き方。
3、宗教的実存: 神である絶対者との関係の中で生きることにより、真の人生を
  手に入れることができる生き方。この宗教的な生き方も、二つに分けた。
  「宗教性A]と「宗教性B]である。「宗教性A」は、自力救済を試み、自分の
  主体や理性によって自分を支配しようとする。しかし、それはキエルケゴールに
  よると罪になる。 支配するのは神である。
(字数の関係でカット 12年03月7日)
 ・・・・・・
2893, 年寄りの持病自慢は、老人の猥談だと!
2009年03月07日(土)
50歳半ば頃から同級会では、年金か成人病の自慢のしあいか、誰かの死の話が中心になる。
青春時代に自分の体つきや身なりを気にしたり、性体験を陰で話したり、猥談を話したく
なる時期があるが、それと同じく、自分の「体調」や「病気体験」について語りはじめる
老人の「健康談議」を「老人の猥談」というらしい。 五十歳代半ばの下半身の衰えは
男の共通の話題。 その次は癌体験か糖尿病か心臓病などの成人病の披露のしあい。
(字数の関係でカット 12年03月7日)
・・・・・・・・・
2529, 山田風太郎アフォリズム
 2008年03月07日(金)
彼の本が好きで、何冊か図書館で借りて読んできた。暗い中に何ともいえない温みがあり、
2年に一度は彼の本を読んでいる。また亡くなる前に朝日新聞に『あと千回の晩飯』が
連載したことがあった。なかなか文に鬼気迫る内容だったことを憶えている。
先日も『人間魔界図鑑』を借りて読んだが、著作群の中からの警句やアフォリズムなどを
一冊にまとめたもので読みやすい。手元に置いておきたい本と判断し、アマゾンの中古本
を注文することにした。以下の文章は 「人生(時間)のセイムスケール」というHPの
中の山田風太郎アフォリズムなどを抜粋コピーしたもの。
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしい
  ことであったかを」
★「生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」
★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」
(字数の関係でカット 09年03月7日)
 ・・・・・・・・・
2007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子       (~Q~;)  おはよう
~~ サム!
3月の日経新聞の「私の履歴書」は、「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。
まだ6回目だが、なかなか面白い。 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに
出ていたが、甘っ7たるい声が印象的であった。その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」
を開いた。もう二十年前のことになるが、TVでその「ねむの木学園」を放映した。
その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。ピカソのような絵だが、
絵から純粋な子供の心が直に伝わってきたからである。役者をやめた後からも、人生の
舞台の「役割り」を正直に生きている人である。「人生を思いのまま生きている人がいる!」
というのが当時の感想であった。「私の履歴書」の一日目に書いてあった、学園を開設する
にあたっての、愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。
1.愚痴はこぼさないこと。2.お金がないと言わないこと。3.君を信じてくる子のため、
やめてはいけません。その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。 三回目の、彼女
の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。
 ーそこを抜粋してみるー
私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。
並んで描きながら私は母に聞きました。
「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は「まりちゃん、人の絵をうまい
などと思っていけません。人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」と少し厳しい口調で
言いました。「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなくなって
しまったの。あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」大きくなったら
絵描きさんになりたい。私の初めての夢でした。しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。
絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。その人がとても気持ちよさそうに
見えたので、感じたままに描いたら 腕が背よりも長くなりました。先生は「真面目に描きなさい」
といいました。「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言った
ことは ありません。「うれしいわ」と言っています。だって「上手ね」と言ったら子供は
それで安心をして満足してしまいます。
▼ 書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。「ねむの木学園」の
 知恵足らすの子供がピアノ演奏をしたが、鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれた。
感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた記憶がある。今月は、毎朝彼女の魂と出会う
ことができる!
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2006年03月07日(火)
1799, 風太郎の死ぬ話   (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ   -読書日記
山田風太郎の「死」に関する本を読むと、色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。
そして読み終わって「死」が軽く思えてくるから不思議である。また「死」を考えることは
「生」を考えることになるのに気がつく。死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。
これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。暗いと言われるが、お経を読んでいる
ようで逆に安らぎを感じる。私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。「・・・いろいろ
あったが、死んでみれりゃ~、なんてことった。はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」
である。 この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。
・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。
あるゆる欲望を満喫し、大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も関心も共鳴を買わない
という点で、芸術的に失敗作である。
フィリップ・アリエスの「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」を取り上げ、
これによって著者の風太郎が「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」
というアフォリズムを作ったという。
・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』  神仏『無い』」「また臨終の人間
『いま神仏が無いといったのは誰だ?』 答え無し。ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
 ▼ ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる!
 死といえば宗教学者であり東京大学教授だった岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く
響いてくる。 十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。 
父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。
 ーその一部を紹介してみるー
もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、 癌というような思いも
かけない病気のために、生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前にたたされたのである。
天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、死後の世界は、暗闇ではない。 
一つの実体である。しかも、輝かしい世界である。しかし、私にとっては、それは、真黒の
暗闇であった。私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。
そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。それは死というものは、実体
ではないということである。死を実体と考えるのは人間の錯覚である。死というものは、
そのものが実体ではなくて、 実体である生命がない場所であるというだけのことである。
そういうことが、理解されてきた。生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。
物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。
光がないというだけのことである。 
(字数の関係でカット 11年03月7日)
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2005年03月07日(月)
1434, 滝の話
1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョン
を見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが
見えてくる。
   ー以下字数の関係でカットー
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2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー -2
 主観を込めて「面白い順」に書いてみる。
・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。
 フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。
 味は高級専門店にまけないという。
   (字数制限のためカット 2,010年3月7日)
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2003年03月07日(金)
702, 心と魂
以前に社内報の事業百訓で、 「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたこ
とがあった。
 ーホームページH09/05-見聞皆師
先日、ある本を読んでいたら、パソコンのハードデスクを「魂」、
ソフトを「心」に喩えていた。
  ーその概要は以下に書き写すー
 魂と心は厳密に言うと違います
・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、
・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。
(字数制限のためカット 2,010年3月7日)