Hatena::ブログ(Diary)

人権問題私的資料集

2017-08-03 上杉聡氏(大阪市立大学)は枝葉すらも誤るという例

上杉聡氏(大阪市立大学)は枝葉すらも誤るという例

 「これでなっとく!部落の歴史」という著書は誤りだらけだが、枝葉すらも誤りだという例がある。

 部落は「門地」でなく「社会的身分」にという誤りである。P191に1946年の貴族院憲法改正案特別委員会での憲法担当大臣の答弁をその根拠としている。担当大臣が「貴族がこの社会的身分であると云うことは申しません。むしろ主たる関係門地と云う方に属すると思って居ます社会的身分と申しまするのは、結局社会的なる事情によって起こって居る一つの特性から来る身分であります、それは丁度人の上に貴族を考えるのと同じような意味於いて、反対の側に今日考えられて居るある人々の集団があるのではないか・・・」という答弁を根拠に、部落は社会的身分問題である結論づけているのである

 担当大臣は「部落問題社会的身分問題である結論づけていない。」のにもかかわらず、上杉氏は、それらしきことを言っているから、そうであると断定しているのである

 ちなみに、育鵬社公民教科書には、「部落問題門地問題である」と書かれている。

 門地というのを辞書で引けば、「門地というのは、家柄、系譜のよしあしによる家の位置づけ。その基準時代により異なるが,基本的には古代天皇貴族先祖がつながるものがよいとされ,姓を源平藤橘とするのはその代表。同一の家系では傍系よりも直系,新しい家よりも古い家がよいとされた。」というようなことが書かれている。

 社会的身分というのを辞書で引けば、「人が社会において一時的ではなく占めている地位で、自分の力ではそれから脱却できず、それについて事実上ある種の社会的評価が伴っているもの意味する。」と言うようなことが書かれている。

 部落問題は、家柄の問題かと言えば、???ということになるのは確かだ。

 では、社会的身分問題かと言えば、???ということになるのは確かだ。

 最高裁の判例で考えると明らかだ。

最大判昭和25年10月11日】

憲法一四条一項の解釈よりすれば、親子の関係は、同条項において差別待遇の理由としてかかぐる、社会的身分その他いずれの事由にも該当しない。

*親子関係社会的身分ではないとしている。

最大判昭和39年5月27日】

要旨

 町長が町条例に基づき、過員整理の目的で行なつた町職員に対する待命処分は、五五歳以上の高齢者であることを一応の基準としたうえ、その該当者につきさらに勤務成績等を考慮してなされたものであるときは、憲法第一四条第一項および地方公務員法第一三条に違反しない。

高齢であることは社会的身分ではないとしている。

東京高決平成5年6月23日】

要旨

嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の二分の一とする民法九〇〇条四号ただし書の規定は憲法一四条一項に違反する。

非嫡出子に対する差別社会的身分による差別にあたるとしている。

結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法の規定が、法の下の平等保障した憲法に違反するかが争われた2件の家事審判特別抗告審で、最高裁大法廷裁判長・竹崎博(ひろ)允(のぶ)長官)は平成25年9月4日、規定を「違憲」とする初判断を示した。14裁判官全員一致の結論

最判昭和30年8月18日 業務上横領】

要旨

刑法二五三条の業務上他人の物を占有するということは、犯罪者属性による刑法上の身分であるが、憲法一四条にいわゆる社会的身分と解することはできない。

犯罪者社会的身分ではない。

最大判昭和26年8月1日・常習賭博

要旨

刑法一八六条の賭博常習者は、憲法一四条にいわゆる「社会的身分」ではない。

最判昭和24年6月16日 傷害詐欺事件】

要旨

判決中に「被告人土木請負業関根組の最高幹部であつた」と判示したからといって、それは本人の経歴を示したものにすぎず、直ちに被告人に対してその社会的身分または門地によって差別的取扱いをしたものと解することはできない。

*最高裁の判例を見限り、非嫡出子社会的身分にあたることだけは確かである

2016-11-08 大阪府教委チャレンジテスト

大阪府教委チャレンジテストここが問題だ、どうすればよいか

*府立高校入試・・学力検査(450点)+内申書(450点)=900点満点で決まる。

*大阪府の内申点は5段階相対評価(5,4,3,2,1という評定がつく)。

相対評価というのは、全員100点満点の結果が出ても全員が5評価になるわけではなく、誰かが1評価になるというわけだ。

(現状では、この相対評価自体問題点がある。)

中学校3年時の各学校評価で内申点がつく。その内申点で内申書の点数が何点か決まる。

*内申点は各学校の相対評価でつくから、優秀校の生徒は不利である。劣等校の生徒は有利である。だったらチャレンジテストをやって、優秀校と劣等校を分別して、優秀校が不利にならないようにすれば良い。(これが府教委の理屈

*各学年でチャレンジテストをやる。中学3年時のチャレンジテストで各学校の平均点を比較して優秀校、劣等校を決定して、例えば優秀校のA中学校の内申平均点を4として、劣等校のB中学校の内申平均点を2とすれば、優秀校の生徒が入試に不利にならないようになる。(これが府教委の理屈

*その結果がどうなるか考えよう。

 A中学校B中学校も分かりやすいように生徒が3人だとしよう。

 チャレンジテスト結果

 A中学校(100点、100点、40点)平均点80点

 B中学校(100点、20点、0点)平均点40点

  このチャレンジテストの結果から

  A中学校の内申平均点を4としよう。(A中学校は優秀校とする)

    内申持ち点は 4×3=12 となる。

  B中学校の内申平均点を2としよう。(B中学校は劣等校とする)

内申持ち点は 2×3=6  となる。

 次に、この内申持ち点ををもとにして、それぞれの内申平均点になるように、各中学校3人の内申点をつけてみよう。内申点は(5,4,3,2,1)のどれかである

 A中学校 100点→5 100点→5 40点→2

 B中学校 100点→4 20点→1 0点→1

というのが、妥当な付け方だろう。

 結果は、劣等校と評価されたB中学校で100点をとった生徒は、内申点が5ではなくて、4になることが分かる。

中学校でどういうことが起こってくるのか。

 チャレンジテストの平均点を上げる競争が起こってくる。一番簡単な平均点の上げ方はというと、

 A中学校では、40点をとる生徒に欠席してもらう。すると、平均点は100点にアップする。当然内申平均点は5になる。内申持ち点は5×3=15にアップする。その結果は、

 A中学校 100点→5 100点→5 欠席した40点→5

というように、全員5にできる。

 B中学校も同様に、0点をとる生徒に欠席してもらうと、平均点は60点にアップする。当然内申平均点は3になる。内申持ち点は3×3=9にアップする。その結果は、

 B中学校 100点→5 20点→3 欠席した0点→1

というように3人のうち2人は内申点をアップすることができる。

 各中学校では、0点をとると予想される生徒に欠席してもらう働きが出てくるだろう。劣等校と評価されそうな中学から優秀校と評価されそうな中学校への越境入学、通学が増えるだろう。

*府教委よ、どうしてもチャレンジテストをやりたいのなら、こうしなさい!

 中1、中2は3月に、中3は1月にテストを行う。その結果は、生徒個人絶対評価として生徒個人の内申点とする。例えば、80点以上は5、20点以下は1というように。内申点は絶対評価とすればよいのだ。

 そもそも相対評価とするから問題が生じるのだ。入試テストの得点は絶対評価ではないか

 優秀校にも劣等生はいるだろうし、劣等校にも優等生はいるだろう。生徒個々人を絶対評価すればよいわけだ。


 

2016-10-04 「部落問題」に関する高校教科書記述の問題点に関して

「部落問題」に関する高校教科書記述問題点に関して

                亀谷義富

(1)はじめに

  以下の感想意見は、あくまで亀谷個人見解であって、特定団体組織とは無関係です。

 誤解をされる方、誤解をしようとされる方がおられますようなので、あらかじめ書いておきます

 ご意見などがありました、お寄せください。

 なお、すべての教科書、すべてのH28年版を検討したわけではありませんので、その点もご了解ください。

 小学校、中学校教科書に「部落問題」が出てくる。その内容の問題点は、かつて指摘したので繰り返さないが、50年前の現状認識に留まり、解消しつつあるという観点が欠落していることが最大の問題点である

 高校教科書であるが、日本史現代社会政治・経済と3種類の教科書が「部落問題」に関わっている。一言で言えば、日本史はそれなりに歴史研究の成果が反映されており、「部落問題」と肥大化、特化させず、歴史認識の中で「部落問題」にふれるというならそれなりに有意義であるが、明治以降記述には問題点が多く、不適切記述も多い。。

 そして、現代社会政治経済教科書たるや、50年前の現状認識であり、お粗末の一言に尽きる。具体例をあげながら見ていきたい。

(2)日本史教科書から

1、江戸時代

山川、日A303、H24B5)9P

 領民たちは、大名年貢労役をおさめたが、武士から安全保護してもらう、いちだん低い身分と見下されていた。村に住むもの百姓、町に住むものを町人と呼んだ。その下には被差別身分もあった。武士領民にも、それぞれ髪の形・服装言葉が異なっていた。一目、一言でそれぞれの身分がわかるような社会であった。

*要点を的確にまとめている。

(東書、日A308、H28B5)10P

 江戸時代には、武士百姓・町人(商人と職人)がそれぞれの職能によって区分され、居住地も区別された。死牛馬の処理や皮革製造などに従事させられたえたとよばれる身分の人々や、芸能や番人などで生活した非人と呼ばれる人々もいて、差別対象となった。

生業夫役との区別説明がない。

清水、日A310,H28B5)15P

 城下町には武士だけでなく、手工業者や商人も集められ、農村部の百姓身分とは区別されて、町人身分とさせた。江戸時代の身分制が「士農工商」といわれるのはこのためであるが、実際には百姓の次・三男などが都市へ奉公に出たり、豪農豪商が御用金を納めて苗字帯刀を許されるなど、比較的柔軟な側面もあり、そのことが民間社会の活力にもなっていた。また、百姓・町人身分の下にえた・非人といわれる賤民身分がおかれ、埋葬・葬送業務や死んだ牛馬の処理(皮革製造業)あるいは最下級官吏として警察・刑吏などの業務従事したため、百姓・町人から差別されることになった。

生業夫役との区別説明がない。

清水、日B306,H25B5)110P

 江戸幕府は、安定した支配体制を維持するために秀吉以来の兵農分離政策をすすめた。そこで人々の社会的地位や商業は固定的となり、身分として世襲されるようになった。人々の身分基本的武士と農民、町人に区分されたが、他にも様々な社会集団があった。武士武家、侍)は政治や軍事の面でさまざまな特権を持つ支配身分であった。全人口の1割にも満たない存在であったが、苗字を名のったり、2本の刀を携帯できる(帯刀特権を持っていた。武士にも将軍を頂点に大名旗本御家人、さらに足軽までと幅ひろい格差があり、家柄によってさらに処遇に差がつけられた。人口武士より少ないが、天皇家公家なども支配階級であった。

 被支配身分としては、全人口の8割以上を占めて農業・漁業・林業などに従事していた百姓大工や鍛冶などの手工業である職人商業を営む商人などがあった。百姓には、村役人・本百姓を中心に水呑百姓があり、名子・被官・譜代などとよばれる隷属農民がいた。また、職人には親方弟子、商人にも番頭手代丁稚といった徒弟制度があり、上下の身分関係が強かった。

 これらの身分の下に、長吏(えた・かわた)や非人とよばれた人々がいた。彼らは、零細な農業、死んだ牛馬の解体作業、皮革製品や履き物の製造、地域の警備・見回り、刑罰執行業務などの仕事従事した。また、旦那場という独自職場をもっていた。罪を犯した者が非人とされる場合があったが、もとの身分にもどることもできた。えた・非人は条件の悪い居住地を強いられ、職業結婚などでさまざまな規制差別を受けた。ほかの身分と見た目で区別させるために、服装や髪形にも制限がくわえられた。

 このほか、僧侶や、儒者医者修験者陰陽師などの宗教者、芸能者など多様な集団形成していた。

賤民身分けが職業結婚などでさまざまな規制差別を受け、ほかの身分と見た目で区別させるために、服装や髪形にも制限がくわえられていたかのごとく誤解させる内容となっている。

山川、日B307、H25B5変形)169P

 江戸時代は身分秩序が重んじられ、個人がなんらかの集団所属し、職能に応じた身分に編成された。支配身分武士と被支配身分百姓・町人が、基本的身分であった。武士将軍を頂点にした主従関係で結ばれる大名旗本藩士からなり、軍役を負担し、政治と軍事を独占して統治を行い、苗字帯刀や切捨御免などの特権をもっていた。天皇公家、上層の僧侶神職らも領地を与えられ、支配身分の一員であった。

 百姓は村の住民で、脳論・漁業などに従事し、陣夫役などの夫役負担した。町人は家持の商人・手工業者らを中心とする町の住民で、伝馬役などの人足役を負担した。手工業者は、その職能に応じた技術労働の役を負担職人と呼ばれた。このほかに、一般僧侶神職修験者などの宗教者、また芸能者など、基本的身分に収まり切らないさまざまな職業による区分があった。儒学者たちは、こうした身分に上下の序列をつけ、「士農工商」と呼んだ。

 その最下部にえた・非人などの被差別民がいた。えたは、戦国時代から近世初期にはかわたと呼ばれていたが、しだいにえたの蔑称が用いられ、17世紀末には服忌令や生類憐れみの令も出て、賤視する差別意識が定着した。彼らは村で農業従事しつつ、死牛馬の解体処理、皮革業・履物業などを営んだ。幕府や藩は、皮革の上納と行刑役・牢番をつとめさせた。繰り返される飢饉や刑罰により新たな非人が増加し、乞食や芸能稼ぎをするとともに、行刑役や村・町の番人などをつとめた。えた・非人は、居住場所衣服結婚など、生活全般にわたる社会的差別を受けた。

*えたと非人との生業夫役の違いが分からない。被差別民という方も適切ではない。被差別民けが社会的差別を受けているという理解になる記述不適切だ。

山川、日B309、H28A5)186P

 近世の村や都市社会の周辺部分には、一般僧侶神職をはじめ修験者陰陽師などの宗教者、儒者医者などの知識人、人形遣い・役者・講釈師などの芸能者、日用と呼ばれる肉体労働者など、小さな身分集団が多様に存在した。そうした中で、下位の身分とされたのが、かわた(長吏)や非人などである。かわたは城下町のすぐ近くに集められ(かわた町村)、百姓とは別の村や集落をつくり、農業や、皮革の製造・わら細工などの手工業従事した。中には、遠隔地と皮革を取引する問屋経営する者もいた。しかし、幕府や大名支配のもとで、死牛馬の処理や行刑役などを強いられ、「えた」などの蔑称で呼ばれた。

 非人は、村や町から排除された乞食を指す。しかし、飢饉・貧困や刑罰により新たに非人となる者も多く、村や町の番人を務めたり、芸能・掃除物乞いなどにたずさわった。かわた・非人は、居住地や衣服髪型などの点で他の身分区別され、賤視の対象とされた。

 これらの諸身分は、武士の家、百姓の家、町人の家。職人の仲間など、団体集団ごとに組織された。そして、一人ひとりの個人は家に所属し、家や家が所属する集団を通じて、それぞれの身分位置づけられた。

研究成果が反映された丁寧な説明である

2,明治時代

山川、日A311,H28A5)37P

 まず身分制については、大名公家華族武士士族、農工商を平民あらため、1871(明治4年)には、それまでえた・非人とされたいた人びとを、いわゆる身分解放令によって平民同様とした。平民には苗字を赦し、異なる身分間の結婚や、職業選択居住の変更などを自由にした(四民平等)。

*四民平等の中味は新身分制度であることを説明している。

山川、日B309,H28A5)265P

 新政府は、四民平等のたてまえや外国への体裁や民間からの建議などもあって、1871年(明治4年)8月、今後は、賤民身分職業平民と同様に取り扱う、いわゆる解放令を布告した。政府が解放令を出したことの意義は大きかったが、それに見合う十分な施策は行われなかった。そのため結婚就職などでの社会的差別は続いた。また、従来は彼らに許されていた特定職種営業独占権がなくなり、逆に兵役教育義務が加わったので、これらの人々の生活はかえって苦しくなった。

*十分な施策が行われたら問題は起きなかったという説明である。十分な施策の中味は何かということは説明されていない。営業独占権を保障し、兵役教育義務をかさなければ良かったのかということにもなる。

(実教、日A305、H25AB)18P

 1869年、政府は、新たに華族公家大名)、士族武士)、平民(農工商)の身分を制定し、平民苗字華族士族平民間の結婚自由職業、居所の自由などを認める政策をすすめ(四民平等)、江戸時代の身分制廃止されました。また、身分解放令が出され、えた・非人などもその差別呼称廃止され、平民に組みこまれましたが、社会的差別はその後も続きました。

身分解放令という言い方は適切でない。

(東書、日A308,H28B5)44P

 また、1871(明治4年)には、それまで身分外の身分とされたいたえた・非人の称を廃止し、身分職業ともに平民同様だという布告を出した(賤称廃止令)。

*賤称廃止令という言い方が適切である

清水、日B306、H25B5)156P

 さらに、1871年には賤民廃止令(身分解放令)をだして、かわた(えた)・非人の身分職業平民と同様に取り扱うこととした。しかし、実際には、彼らに対する社会的経済的差別は残された。

*なぜ、残されたのかという説明がない。

3、大正時代

(東書、日A308、H28B5)100P

 また「四民平等」とされた近代社会にあっても、長年にわたり多くの差別に苦しめられてきた被差別部落の人々は、みずからの力で解放に向けて立ち上がり、1922年全国水平社を結成した。(全国水平社宣言とポスターあり)

特殊部落民という表現が書かれた水平社宣言を載せるのは時代錯誤不適切

(実教、日A309、H28B5)99P

 また、被差別部落の人々は、同情に頼ることなく自分たちの力で差別から解放を勝ちとるために。全国水平社を創立した。(全国水平社宣言と説明荊冠旗説明あり)

特殊部落民という差別語を使うことを是認するような説明は止めるべきである

清水、日A310、H28B5)108P

 明治維新における身分解放令のあとも、社会的差別に苦し続けてきた被差別部落の人びとによる、平等を求める動きは活発化し、1922年には、全国から集まった3000人の被差別部落民自分たち自身の行動で平等を実現し、差別に対して闘うことを決議して、全国水平社を結成した。水平社の運動は全国に広がり、1年後には全国に支部が結成された。(荊冠旗あり)

被差別部落民という人びとが存在していたことを前提にした不適切説明である

山川、日B309、H28A5)331P

 被差別部落の住民に対する社会的差別を、政府の融和政策に頼ることなく自主的撤廃しようとする運動も、西光万吉らを中心にこの時期に本格化し、1922(大正11)年、全国水平社が結成された。

*この程度の簡略な説明で十分である

第一、日A312、H28B5)112P

 1871(明治4年)にいわゆる「解放令」が出されたのちも、差別に苦しめられてきた被差別部落の人々は、自分たちの力で差別撤廃しようと、1922(大正11)年に全国水平社を結成した。その後各地に水平社の支部がつくられ、部落解放運動が展開された。(水平社宣言、後半部分だけ、と説明がある)

*水平社宣言を載せるのなら後半部分だけで良い。

4,昭和時代

山川、日B309,H28A5)401P

 この時期には、部落差別などにみられる人権問題も深刻となった。全国水平社を継承して、1946(昭和21)年に部落解放全国委員会が結成され、1955(昭和30)年に部落解放同盟と改称した。しかし、部落差別の解消は立ち遅れ、1965(昭和40)年の生活環境の改善社会福祉の充実を内容とする同和対策審議会の答申にもとづいて、1969(昭和44)年には同和対策特別措置法が施行された。(注に地対財特法施行までの出来事がふれられている)

*部落解放同盟という1運動団体だけを取り上げ、地対財特法が2002年に終了したことにふれられておらず、いまだに同和対策事業が続けられているという誤解を与える記述になっている。

(東書、日A308,H28B5)154P

 戦後の社会混乱のなかで、国民の生活を守るためのさまざまな活動が広がり、労働組合や農民組合、部落解放団体女性解放団体住民団体組織された。

*この程度のあっさりとした記述で十分である

第一、日A312,H28B5)157P

 また、日本農民組合や、全国水平社の精神を受け継いだ部落解放全国委員会(のちに部落解放同盟に発展)が結成された。(注に特別措置法が制定されたことが書かれている)

*部落解放同盟だけを取り上げ、同和対策事業が続けられているとの誤解を与える。

(3)現代社会教科書から

(東書、現社313,H28B5)66P

しかし、実際にはわたしたちの周囲には、多くの差別問題がある。植民地支配に由来する在日韓国・朝鮮人問題など、在日外国人に対する社会的差別はその一つである被差別部落出身者への差別アイヌ民族に対する差別、男女間の不平等障がい者への差別偏見などをなくすことも大きな課題であり、平等権の実現に向け、不断努力必要である。(注に、水平社宣言)

時代錯誤の注、被差別部落出身者というのが存在することを前提としたとんでもない記述である

(実教、現社314,H28A5)118P

部落差別問題同和問題)は、封建的身分制のもとでいやしい身分とされ、職業・住居・結婚等あらゆる生活面で差別的取り扱いを埋めてきた人々が、いまなお同じような差別を受け続けているという問題である。こうした部落差別撤廃を求める運動は、1922年の「全国水平社」結成以来大衆運動として続けられてきた。国の対策としては、1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、地域改善対策特別措置法(1982年)を経て、地域改善対策特定事業財政特別措置法(1987年)へと受け継がれてきた。

*50年前の現状認識、今も措置法が続いているかのごとき説明運動や行政による問題解決の成果の説明がないのは致命的である

(実教、現社315、H28B5)83P

 被差別部落の問題もまだ解決されていない、被差別部落の人びとは、1922年に「全国水平社」を結成し、差別撤廃を求める運動を続けてきた。政府も1965年に同和対策審議会答申を発表し、差別解消をめざしてきたが、こんにちでも商業居住結婚などさまざまな面で差別が見られる。

*50年前の現状認識。「被差別部落はどこにあるのか?○○さんは被差別部落の人か?」と生徒から聞かれたら、どう説明するつもりだ。「今は、もう無いと 」教えなくてどうするのだ。

清水現社316,H28B5)104,105P

 現代の社会においても。人種差別、民族差別男女差別、部落差別障がい者に対する差別、病者に対する差別、そして「いじめ」など、不法・不当な差別偏見排除などが残っている。(注に同対審答申の一部が載せらている)

*1965年当時の現状認識現在現状認識として教えようとする内容である

清水現社317,H28A5)107P

 歴史的形成された身分制度にもとづく部落差別問題もある。全国水平社の結成(1922年)にはじまる部落解放運動の発展とともに、第二次世界大戦後は、同和対策審議会答申(1965年)などにもとづく施策が進められた。だがこんにちでも、差別全面的に解消されたとはいえず、その解決が国民的課題として急がれる。*清水版の教科書は、どれもこれも50年前の大昔の教科書だといわざるを得ない内容。

帝国現社318,H28B5)72P

部落差別も残っており、全国水平社が始めた部落解放運動は今も続いている。

*極めてあっさりとした記述

(数研、現社319,H28A5)109P

政府は、差別の解消に向けて次のような取り組みを進めてきた。同和対策審議会答申(1965年)に基づく一連の同和対策事業・・・(注に答申引用して部落差別説明をしている)

*50年前の答申レベルの現状認識

第一現社322,H28B5)58P

特に被差別部落の人びとの、職業選択自由教育の機会均等が保障される権利居住および移転の自由結婚自由などの市民権利侵害されいる。この問題の早急な解決は国の責務であり、国民一人ひとりの課題でもある。(注に全国水平社宣言が載せられ、日本初の人権宣言だという説明がある)

*約100年前の現状認識を生徒に教えている。

(4)政治・経済教科書から

第一政経309,H28A5)40P

被差別部落の人びとは、職業選択自由教育を受ける権利居住及び移転の自由婚姻のじゆうなどの市民権利侵害されている。この問題解決は国の責務であり、国民一人ひとりの課題である。(資料として、全国水平社宣言の抜粋、同対審答申(抄)が載せられている)*現代社会教科書と同じで、100年前の現状認識

 東書、実教、清水山川、などの教科書も、現代社会教科書と同様の記述であり、問題点も同じである

(5)私なりの結論

 高校日本史現代社会政治経済 などの教科書あらためて読んでみたが、山川の江戸時代の身分制記述は教える価値はある。それ以外の教科書は、教える価値がない。教えない方がましであるという、結論になる。 教科書検定制度に関しては、あれこれ問題点があり、検定制度がないのが最良だと考えている。しかし、検定制度がある現状からいえば、教科書検定に携わっている学者役人は、部落問題に関して教科書をきちんと読んだらどうだ、まじめに検定せんかいな、といわざるを得ない。

2016-08-27 「同和問題が解決した時とは?」と高校生の子どもに尋ねられたら?

同和問題解決した時とは?」と高校生子どもに尋ねられたら?

 自分子ども高校生だとしよう。子どもから尋ねられたら、どう答えるだろうか、と考えてみた。

 たぶん次のような会話になるだろう。

属人主義の答え方

(親)あなたクラスメイトに、自分のご先祖様が、武士だったからと言って、偉そうにしている人はいる?

(子)そんなクラスメイトは、いないなあ。

(親)あなたクラスメイトに、自分のご先祖様が、賤民だったと言って、卑下している人はいる?

(子)そんなクラスメイトは、いないなあ。

(親)あなたクラスメイトに、ご先祖様の身分理由にして、友だちつきあいをしない人はいる?

(子)そんなクラスメイトはいないなあ。

(親)あなたクラスでは、同和問題はもう解決していると思うよ。

属地主義の答え方

(親)あなたクラスメイトに、自分が生まれた所や、住んでいる所が、例えば高級住宅地だと言って、偉そうにしている人はいる?

(子)そんなことを言う人は、嫌われて友達ができないなあ。そんなクラスメイトはいないなあ。

(親)あなたクラスメイトに、自分が生まれた所や、住んでいる所が、例えば公営住宅だと言って、卑下している人はいる?

(子)そんなことを卑下しているようでは、友達はできないなあ。そんなクラスメイトはいないなあ。

(親)あなたクラスメイトに、生まれた所や、住んでいる所を理由にして、友だちつきあいをしない人はいる?

(子)そんなクラスメイトはいないなあ。

(親)あなたクラスでは、同和問題はもう解決していると思うよ。

2016-08-02 部落問題に関する基本判例から

部落問題に関する基本判例から

1,矢田事件、民事、大阪地裁1970年判決

原告らの思想信条内心の自由を侵すものであり、教育本質に反し、裁量範囲を著しく逸脱した裁量権の乱用というものであって、本件各処分違法であることは明らかである。」として

損害賠償額、原告2名には各165万円、6名には135万円。

2,八鹿高校事件

 刑事事件 1,2審最高裁とも有罪判決

 民事事件 

 1982年 兵庫県に5700万円支払いで和解

 1990年 神戸地裁豊岡支部判決

 「原告らの側に非難さるべき落ち度は全く認められない」として、解放同盟幹部らに慰謝料3000万円。

3,大阪市中央公会堂使用取り消し事件損害賠償

 大阪地裁1975年判決

「部落解放を実現する理論やその方法は唯一無二ではある得ないし、他の批判を許さぬものではない」として、

 損害請求額全額認容。

4,大阪浪速窓口一本化事件

 大阪高裁1979年判決

「部落解放同盟等の判断で、同和関係個人給付が受けられないとすれば、本件給付行政を民間団体に委ねるだけでなく、大阪市固有の判断権を放棄するに等しい」として、

 大阪市の同和行政を違法無効とした。

5,埼玉県加須市長選挙無効事件

現職市長の同和施策批判して、『同和施策是か非か』と相手候補選挙ポスターに記載したところ、解放同盟差別だとして批判し、市選管が選挙ポスターに紙を貼って見えなくした。」

 東京高裁1976年2月判決 選挙無効判決

 最高裁1976年9月判決

選挙自由公正を害する、このポスターの文言は、歴史的社会的理由による差別待遇を温存助長するおそれはない」として、選挙無効判決

Connection: close