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ウロボロスの回転 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-01-08

保忌

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高祖保高祖保、そうだつたかそうだつたかと、あの人は元気でいつた。高祖のバカヤロウと僕は口のなかでつぶやいた。何んでビルマなんかで死にやがつたと、お前もここへ来て一パイ吞めと、それで急に彦根城下町が好きになつた。

彦根城址にて高祖保を憶う〉


安藤真澄「詩人のノート」より

『コルボウ詩集 一九五三年版』 (コルボウ詩話会事務所、1953年)所収

2016-12-25

今年の10冊

古本10冊

水沼靖夫『惑星詩学社、1981年

“水の詩人”とでも言うべき水沼靖夫との出会いは今年一番の収穫だった。本書のほか、図書館蔵書でだが『漁夫』『近江抄』『工人』『遠心』『水夫』を読んだ。いつの日か初期の私家版詩集『水檻』・『四季の子守唄』も読めるだろうか。

水は優しいものだ。(「衣」より)

水も優しいものだ。(「色彩 Ⅰ」より)

私は水の在所について想ってきたようである。水のやさしい流れを歩いてきたようである。(「あとがき」より)

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武田豊詩集』関西書院、1980年

架蔵するのは2冊目だが、これは特別な1冊。武田豊が営んでいた「ラリルレロ書店」のあった長浜町家に36年間ずっとしまわれていたものなのだ。今秋、長浜を訪れた際に町家の大家さんからいただいた。

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中川逸司『落穂ひろい』不動工房、1991年

※装画・版画 高橋輝雄

詩の生涯の師として約四十年、親しくして頂いた武田豊、即ちラリルレロのおっさんの三回忌を過ぎて、やっと二冊目の詩集を編む決心がつきました。生前のおっさんからは、ある時期にまとめなければ、その詩集を足場にして更に深く詩は書けないとよく言われ、また知人友人からもすすめられたものでしたが、罪業逃げられず俗事生業に追われ、性来の呑気さも加わり、その足場も作れないまま三十有余年が経てしまいました。

私の同時代が何らかのかたちで戦争の体験から抜けだせないように、私の書いてきた詩を振り返りますと、どうしてもその体験の異常さや悲惨さから抜け出すことはできなかったようです。そんな影が原点にあって、戦後半世紀にもなろうとする現在もまだ、眼の前に若い時代の暗さがつきまとっているのです。

(「あとがき」より)

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『清水卓詩抄』高橋輝雄 編・刻、私家版、1981年

ひもじい地べたじゃないか

のっぺらぽうの杓子がころんどる

節太郎よ

雨漏りはさびしいね

米に

雨だれをうんとこさ

うけてよ

俺はそんなかに

金魚を入れたぞ

出目金

ふら金

びっちょれ金

節太郎よ

雨漏りはやっぱりさびしいね

金魚に黴が生へてよ


(「節太郎よ」)

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大森澄『宵待草』木犀書房、1970年

若さに憧れるとき

私は涙がこぼれる

ももう一度人生をやりなおすことを思うと

私は疲れを感ずる


(「やりなおしたくない人生」)

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堀内幸枝『紫の時間』書肆ユリイカ、1954年

彼岸花は青白い少女の胸に忽ち怪しい緋色の夢を流した。病的な少女はめらめら燃え立つ毒の夢を沢山食べて元気になつていつた。夕焼雲が山の傾斜に広がると一筋の道は火の海になつた。痩身な少女の体に俄かに幽鬼が籠り、瞳には赤い雲が撥ねて、赤い涙で沢山の詩を綴つた。

(「紅い花」より)

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山本信雄『木苺』椎の木社、1933年

小さな公園

海近い公園。


若い孟宗の茂みと

藤棚の下の二つの青いベンチ


ぶらんこと滑り板の遊戯道具

そしてあとはたゞ柔い砂ばかり。


(「十二月の公園」)

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『わが詩 わが旅 木下夕爾エッセイ集』内外印刷出版部、1985年

墓地を歩くのが好きになった。売春婦の出没したりするモオパッサンの短篇の中の墓地とちがって、田舎のそれは路傍に数本の樹木にかこまれたり、小高い丘の松籟の下にしずかにならんでいる。

——そういうところに立寄って見知らぬ人の墓石に手をおいたりする。

あたりは碑面をおおっている苔の花の散る音さえきこえるように森閑として、こんなところでは何かいい分別でも出そうにおもわれる。

(「夜ふけの客人」より)

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『夢のはて 澤渡恒作品集』デカド・クラブ、1952年

シネマハウスのなかの僕の胸に、薔薇のパラシュウトが青空を落ちるあの浮気なスピイドで開いてゆく。暗闇がすこしオイルくさくなり、モンドリアンの角からミルク色のペガサスがはしつてくる。僕は黒いマントをきた、少年という名前の少年であつた。

(「エクランの雲」より)

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『坂窗江詩集』私家版、2008年

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新刊10冊

矢部登『田端抄』龜鳴屋、2016年

http://kamenakuya.main.jp/%E7%94%B0%E7%AB%AF%E6%8A%84/

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戸田達雄『増補 私の過去帖』
私の過去帖

私の過去帖


大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド

黒沢義輝『日本のシュルレアリスムという思考野』

矢野静明『日本モダニズムの未帰還状態』

潮田登久子みすず書房旧社屋』
みすず書房旧社屋 (SERIE BIBLIOTHECA)

みすず書房旧社屋 (SERIE BIBLIOTHECA)


福田尚代『ひかり埃のきみ』
ひかり埃のきみ: 美術と回文

ひかり埃のきみ: 美術と回文


瀧克則『道隠し』
道隠し―瀧克則詩集

道隠し―瀧克則詩集


『暮尾淳詩集
暮尾淳詩集 (現代詩文庫)

暮尾淳詩集 (現代詩文庫)


鬼海弘雄『靴底の減りかた』
靴底の減りかた (単行本)

靴底の減りかた (単行本)

2016-09-25

『木苺』と『希臘十字』の会

昭和8年の今日、9月25日夜、高祖保『希臘十字』と山本信雄『木苺』の合同出版記念会が開かれたのだった。

『希臘十字』は8月25日に、『木苺』は9月1日に、椎の木社から刊行されたばかり。ともに処女詩集だった。*1

会場は、銀座明治製菓売店3階。同年2月に新装開店したモダンなビルディングで、売店のほか喫茶店や集会室も備えていた。この会以外にも「椎の木座談会」の会場に使われたりしているので、どうやら同人御用達だったようだ。銀座明治製菓売店のあった一画はいま、松屋銀座にとりこまれている。

写真は、在りし日の銀座明治製菓売店。*2

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参加者は、主賓二人のほか、阪本越郎、乾直恵、江間章子、楠田一郎、饒正太郎、片岡敏、山本清一、高荷圭雄、阿部保、山本酉之助、百田宗治、青柳瑞穂、田中冬二、村野四郎、大久保洋ら17名。下は第三次『椎の木』第2年11冊(昭和8年11月)に掲載された開催報告。

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伊藤信吉によると、山本信雄は大阪の相当裕福な家の生まれで、百田宗治が大阪で開いていた「詩の塾」に出入りしていた。*3 金沢一中時代は、同地の詩誌『翁行燈』(大正13年12月-昭和3年1月)の同人だった。竹中郁によると、卒業後は慶応に進んだが病を得て帰阪したという。*4 岩佐東一郎によると、大阪では「K銀行」に勤めていた。*5

高祖保は昭和2年に石川の詩人・室木豊春が主宰する詩誌『掌』(後に『てのひら』、大正15年8月-昭和3年1月)の同人になっており、石川詩壇に関係したこともあって、当時から山本信雄には注目していた。第三次『椎の木』第2年9冊(昭和8年9月)所収の「青い花を翳す…………」で高祖は、「山本信雄の存在は極めて私に懐古的な感情を輿へる。」と書いている。

この会で高祖は田中冬二と初めて対面し*6、以後親交を深めてゆくのだった。

上掲の開催報告によると、この合同出版記念会は「椎の木」同人の山本信雄と山村酉之助が大阪から上京してくることになったため急遽開催される運びとなったようだが、合同という形は偶然ではなかったようだ。というのは、『木苺』と『希臘十字』は、『椎の木』誌上ではまるで双子詩集のように扱われていたから。第2年7冊(昭和8年7月)から11冊(昭和8年11月)まで、このふたつの詩集は必ず並べて広告されていた。第2年11冊(昭和8年11月)は、諸家から寄せられた『木苺』と『希臘十字』の評をまとめて掲載している。

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少しく抜き書きしておこうか。

『希臘十字』評

概して言へば、華麗な希臘的なイメーヂと幽かな静觀的なイメーヂとの混合、といふよりも静觀的な觀念が希臘的な明るい形式と新しい逆説の形式とでカモフラーヂしてゐるといつた方が正しいでせう。

実際、『希臘十字』は甲殻類のやうに、生純でどちらかといへば陰氣な軟體が、嚴しくて硬い甲羅を脊負つてゐるやうです。そしてそれが居る時間と世界によつて、脊中の模様や色彩を變へます。一つの僞體と其のまどわし。その上に現れる幻想の虹の美しさ。

村野四郎「『希臘十字』への書翰」より


この樂園を無事に通過し得るものが幾人あるだらうか。私はこの天空を三度通過した。最初はその藏書癖に驚歎し、次いでその天成的な批評精神を見、最後にそれらの基準をなす感性の落ちつきを感じた。

内田忠「古典島回顧—高祖保觀」より


静謐の中の氣韻。〈希臘十字〉の書名は、それ自身高祖君のプロフイルに外ならない。立派に完成されたスタイル、Kalokagathia等の作品は全く明日の詩壇を教示してゐる。そこで僕の注言は高祖君の理智のテレスコオプがあまりに冴え過ぎてゐることにある。

井上多喜三郎「『希臘十字』の高祖君」より


百田君の装幀もここに至つては全く堂に入りしものと近頃感服いたし候。唯惜しむらくは針がねとぢでなければ猶よろしくそのうへ慾を申上候へば天をもう七分位きり下を五分位きり候はば型のうへにて更に好ましく感ぜられ申候。(中略)此の書は名の如く實に近頃小生にとつてはうれしく拜讀いたされ申候。その高貴なる詩的雰圍氣のかほりのゆたかさは近頃の詩集に於いてはむしろ珍らしきものと被存候。

長谷川巳之吉「著者への尺牘」より


近頃私が讀みました中で、いや日本でも有數の詩集だらうと實は讀後久しぶりでうれしい昂奮を感じた次第でございます。正直に申上げますと御高著は私の藝術と所謂「同文系」の匂濃く私本當は少々、いや大分嫉妬を感じた程です。

城左門「著者への尺牘」より


大層綺麗な御本で私もなんだか拜見してゐるうちに自分でも一冊出して見たいやうな心持ちになりました。さうしてもつと新しい詩を勉強して新しい詩がよく判るやうになりたいと存じました。

吉村鐵太郎「著者への尺牘」より


『木苺』評

この詩集は、侘しさ、傷心と云つたやうな内氣な日本の美しき感情を多く有してゐる。

(中略)

青いやさしいへりとりの頁の一枚一枚は果物皿のやうだ。

この詩人の語彙は水々しい葡萄の粒のやうにそろつてゐる。

これは決して容易のことではない。

この詩人の清冷性(セレニテ)である

田中冬二「Raspberry Soda water」より


山本君のやうな稟質の人では、私はその少年時代のおどおどした繊細さが好きである。それが驚異や歡喜、悲哀となつて平板な景色のなかからでも私らに手を伸ばす。

竹中郁「木苺 その他」より


近頃の若い人々の作品に見る衒氣、翻譯的口調や思想、形式論などが微塵も窺はれないといふことは私にとつてむしろ意外なほどの大きな喜びでありました。しかもこの間色的な平易さと明るさと慰安、これこそは正しく私の求める近代人の魂の所産だと私は高調して止まないものです。

深尾須磨子「『木苺』の著者に」

次号の第2年12冊(昭和8年12月)には、山本酉之助が「『木苺』と『希臘十字』」を寄せ、「今後に於ける二君のトラヴアイユは私達の期待以上のものとなつて、私達をして顔色なからしめるであらう。」とエールを送った。なおこの号の後記には、2冊とも売切れ、残部なしと記されている。『木苺』は120部、『希臘十字』は70部の刊行だった。

さて、この2冊は椎の木社の本ということで、百田宗治が装幀を手がけている。2冊を比べてみると、それぞれの詩風を意識しながら、対となるべく造本がなされているように感じる。

「静觀的な觀念が希臘的な明るい形式と新しい逆説の形式とでカモフラーヂしてゐる」(村野四郎)『希臘十字』は、血のような赤を基調とし、「理智のテレスコオプ」(井上多喜三郎)を思わせる縦長の判型*7。表紙に騎士像を配す。

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本文の囲み罫には右まんじ(卐)があしらわれている。まんじは太陽や光のシンボルであり、キリスト教世界においては十字架より古い宗教的シンボルだった。*8

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一方、「内氣な日本の美しき感情」(田中冬二)や「間色的な平易さと明るさと慰安」(深尾須磨子)を湛えた『木苺』は、淡い緑を基調とする桝形本。

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表紙の紗綾形がはらむ卍は『希臘十字』の囲み罫に通じる。

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扉の前におかれた挿絵に西洋の楽士(?)が。これも『希臘十字』の騎士と対をなすように思われる。

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『木苺』でも本文に囲み罫「青いやさしいへりとり」(田中冬二)が使われている。上掲の評で田中冬二はこれを見て「果物皿のやうだ」と形容したのだった。

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わが家の『木苺』は、今年6月の終わりに石神井書林の目録より入手したもの。

今宵、80有余年ぶりに、たったひとりの“『木苺』と『希臘十字』の会”を催すこととしよう。

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*1:森開社・小野夕馥氏のブログ〈螺旋の器〉の記事「山本信雄と百田宗治」(2009年11月3日)によると、山本は大正13年11月に『叙情小曲集』という謄写版詩集を私家版35部限定で出しているので、厳密には第2詩集である。

*2:『明治製糖株式会社三十年史』明治製糖株式会社東京事務所、昭和11年

*3:伊藤信吉『金沢詩人たち』ベップ出版、1988年、47頁

*4竹中郁「木苺 その他」第三次『椎の木』第2年11冊、昭和8年11月 所収

*5岩佐東一郎「『春燕集』の人」『書痴半代記』ウェッジ文庫、2009年、166頁

*6:和田利夫『郷愁の詩人 田中冬二』筑摩書房1991年、214頁

*7:椎の木社の文芸誌『尺牘』と同じ判型

*8:中垣顕實『卍とハーケンクロイツ現代書館、2013年

2016-01-08

保忌

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すでにあなたはいない

私の手にのこったのは

瀟洒な詩集「雪」

書翰一束


すでにあなたはいない

貴公子然とした風貌の主

典雅きわまりなき教養の主


すでにあなたはいない

天性の詩人

温情の君子

若き詩徒の慈父


すでにあなたはいない

――古風な温泉宿

ひぐらしの聲

マダム・シゴオニュの扇――


すでにあなたはいない

端然机に坐して合掌する

ああ 師 高祖保


長田和雄「ああ 師 高祖保」(『詩集 相貌』三友社、1950年

※『詩集 相貌』は長田氏の処女詩集。「あとがき」によると、著者はかつて文藝雑誌に詩を投稿していた文学少年で、早大入学後、高祖保に親炙し田園調布の自宅にも足しげく通ったという。学徒出陣を経て復員後、高祖の戦病死を知り激しいショックを受ける。詩と訣別することでその苦痛から逃れようとしたがままならず、「詩の鬼にこづかれながら、はてなき道をさまよっている」。本書冒頭に「師 高祖保の霊に捧ぐ」と献辞。上掲「ああ 師 高祖保」は序詩として巻頭を飾っている。

2015-12-31

高祖保没後70年に

2015年は、戦後70年にして詩人・高祖保没後70年という、記念すべき年であった。(高祖は1945年1月8日ビルマにて戦病死)

詩人に関する今年の主なイベントをまとめておく。


『高祖保集 詩歌句篇』の出版

書簡集・評伝・随筆集と、出版により詩人顕彰を続けてこられた金沢の龜鳴屋より、ついに詩歌句集が上梓された。

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編者は高祖保研究の第一人者・外村彰先生(呉工業高等専門学校教授)なので、現在一般に入手できる高祖の詩作品のなかでは、最も信頼できるテクストとなっている。作中の特殊な旧字まで再現するという凝りよう。

詩人の死により未刊詩集となった『独楽』については、従来の岩谷書店版や現代詩文庫版の選集所収のものとは異なり、残された定稿からの復元版である。生前の詩人の意図が可能な限り反映された形で現代に甦った。

また、詩のみならず短歌俳句も数多く収録されており、高祖保のポエジイを俯瞰できる一冊となっている。

一般の書店には並ばないが、版元から直接購入できる。高祖保の作品に興味を持ったら、まず本書を入手すべし。

龜鳴屋HP http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/


記念講演会(9月13日)

高祖保生誕の地・牛窓に近い瀬戸内市中央公民館にて、外村彰先生による講演会が開催された。

講演の前には、高祖が作詞した童謡「蜜柑の実」、および高祖の詩から合唱曲に仕立てられた「ふらここ」の演奏が、西大寺混声合唱団により披露された。

また会場には、高祖保が愛用した品々(ペン立て・インク壺・ペーパーナイフ・灰皿)や自筆原稿、金沢入営時代の日誌も展示された。

当日は詩人のご長男・宮部修氏も来場されており、私などはお会いできて感無量であった。

講演会の録画が公開されている。高祖保について興味を持ったら、まずこちらを視聴すべし。

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蜜柑の実」ふたたび

高祖保が作詞した童謡「蜜柑の実」(作曲・橋本国彦)は、昭和19年11月28日の昼に一度放送されたきりで、NHKにも音源は残っていない。

牛窓の私設資料館「なかなか庵」を拠点に高祖の顕彰活動を続けておられる清須浩光さんは、残された楽譜と歌詞を手掛かりに、自ら団長を務める西大寺混声合唱団の歌声で現代に甦らせておられる。(上記録画でも聴ける。牛窓および「なかなか庵」訪問記は、こちら

だが今年、オリジナルの放送の記憶を受け継ぐ方が現れたという情報を、清須さんからいただいた。

12月13日放送のNHK小さな旅*1に出演されたその女性は、蜜柑の一房々々を家族に喩えたこの歌を、戦中母上がよく泣きながら口ずさんでいたのを聴いて今でも覚えておられた。戦中の思い出とともに歌われたそのメロディーは、清須さんの合唱団楽譜をもとに再現されたバージョンとほとんど変わらないものだった。

戦争の記憶とともに高祖の歌が人の心に生き続けてきたことには複雑なものを覚える。ともあれ、NHKから再びこのようなかたちで放送されたのは奇跡的で、感慨深い。

戦後70年、高祖保没後70年の掉尾を飾る出来事だった。