ミラン・クンデラ(Milan Kundera)
1929年- チェコスロバキア ブルノ生まれ (男) 1952年、プラハの音楽芸術大学映画学部を卒業。 その後同大学で文学を教える。 その頃から詩、評論、短篇小説を発表し、1967年発表の『冗談』で一躍世界の注目を浴びる。 しかし、1968年の「プラハの春」以降教職を失い、すべての著作はチェコ国内で発禁となる。 1975年、フランスに移住。 1981年、フランスの市民権獲得。
今、目の前に小道具がある。「コンパニオン」と呼ばれる、パイプの煙草を押し付けたり、掻き出したり、パイプに付着した炭カーボンを削り取るのに使うのだが、その本体に次の文字が刻印されている。 MADE IN CZECH REPUBLIC 単に「チェコ共和国製」の意味なのだが、500円位の廉価で買えるのに、一本三役をこなしてくれるスグレモノなのだ。構造はシンプルなのに、格子状の文様が彫られていて(アールヌーヴォーとも異なる)、東ヨーロッパのエキゾチックな雰囲気がこの調度品から感じられる。末永く愛用したい逸品である。 そろそろ話題を文学に転じたい。管見ではあるが、チェコに生まれて、その後、世界文学を創造…
いろんな作家に影響を受け、いわゆるハマって来たけど、学生時代に大好きだったのはミラン・クンデラとドストエフスキーだった。ドストエフスキーは卒論のテーマにした。ミラン・クンデラは卒業してからも繰り返し読み、まだ読んでいるから、よっぽど好きなんだろう。思想として読むことも評論として読むことも出来るその作品は、でもやっぱり瑞々しい文体とおしゃれなストーリー展開で、芸術文学としての意味合いが僕にとっては強い。ハードカバーの背表紙のイラストがどの作品もこれまたおしゃれで、本棚に並ぶそれらの本は何だか画集みたいだ。 初めてミラン・クンデラの作品で読んだのは「存在の耐えられない軽さ」だった。映画化されたから…
昔、加藤周一という人の論評を読んでとても感動した覚えがある。小説でも映画でもなく、評論を読んで感動したのは、この時が初めてであった。「知の巨人」と呼ばれた人で、世間的には左派系の論客とされているようだが、右とか左とかの分類がいかに無意味であり、人間の知性はそんな分類を越えたところにあるということを、当時の自分は加藤周一の文章を読んで思い知らされたのだ。 中でも、かつてソ連軍がチェコのプラハを占領し、プラハの自由を脅かした事件について書かれた論評『言葉と戦車』が白眉であった。 破壊の象徴である「戦車」と自由の象徴である「言葉」を対比し、「圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉」の戦いに決着が付…
www.jiji.com 村上春樹がチノ・デルドゥカ世界文学賞を受賞したと言うおめでたいニュースが入ってきた。 イタリアの文化人の名前を冠した「チノ・デルドゥカ世界文学賞」は「現代のヒューマニズムのメッセージ」を表現する人に授与される賞のようだ。賞金は20万ユーロ(日本円で約2700万円)だ。これは、ノーベル文学賞に次いで高額らしい。
ヘンリー・ソロー 野生の学舎 作者:今福 龍太 みすず書房 Amazon 今年の冬、年明け頃から散歩を始めた。健康のため、そして長期休暇の暇つぶしが最初の動機だった。部屋にいてパソコンでネットしたり、酒を飲んだり、読書したりしていると気分がモヤモヤしてくる。外に出て家の周りを30分程度歩くだけでも気分転換になってモヤモヤも多少は晴れる。スッキリする。春になり暖かくなれば気軽に出歩けるし、近所の公園は桜の名所みたいなところなので写真を撮りに行くのもいい。ブルーワーカーゆえ体が疲れているときは例外だが、できるだけ休日は1時間程度歩くようにしている。ちょっと用があって外出した際も意識して徒歩による行…
1か月ほどまえからミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』をすこしずつ読んでいる。「究極の恋愛小説」とかいう惹句に鼻白むところがあって手にとらないままきた作品だけど、カーヴァーの評伝にエピグラフとして使われていた部分にピンとくるものがあって読んでみたらめちゃくちゃ変な小説で、好物の部類だった。あのひとのことを考えるたびに人生をやりなおしたい、と思ってしまうおれには読んでいて苦しいと感じられる部分もあるが、それだけではないように思う。小説を読むことでしか働かない頭のなかの部分があり、そこを働かせることは自分に必要なことだ、とも感じる。もっと早く読んで、あのひととこの小説について話したかったな、…
◆ライシテ 最近、フランス現代史にかんしていくつか本を読んだのをきっかけに、フランスの政教分離(ライシテ)について興味を持ちました。 ・フランスは歴史的経緯により、国家・公的空間から宗教を排除する。 ・あらゆる宗教の平等を認め、信仰の自由を尊重する。 ・しかし、実際には「カト=ライシテ」とも呼ばれ、カトリックが「伝統」の扱いを受けて他の宗教よりも公的に優遇されている。 ・一方、イスラームはライシテの厳密な適用を受け、スカーフ/ヴェール問題などに発展している。 ・政教分離解釈は自治体や各地方裁判所によっても様々で、世論、有識者の見解も様々である。 ja.wikipedia.org ライシテから読…
ノーベル文学賞のすべて 都甲幸治 編著 「沢山本を読むぞ」と意気込み図書館に行ってみたが、何を読めばいいのか分からない。 一般教養と言われる名作でさえ実は読んだことがない。 そんな時に新入荷コーナーに置いてあったこの本に目が留まった。 毎年「今年の受賞者予想」がマスコミで取り上げられるが、これまでその選考、作家、作品に興味を持つことはなかった。 そもそも文学賞とはなんだ?世界一位の作家を決める大会?誰に決定権がある? 色々な疑問が浮かび読んでみることにした。 この本におけるノーベル文学賞自体についての説明は想像以上に少なかった。内容の大半を占めるのは作家の半生、代表作の紹介である。 しかしなが…
今日も早く起きた.ここ数日6時間睡眠が続いているがそれが負担になっているわけではない.筋肉に適度な負荷がかかっているのでその分で妙なホルモンが出ているのかもしれないしそうでもないのかもしれない.筋肉がつきすぎるのはうれしくないけれど,食事制限とセットにしたらそれでいい体になるのかもしれない.今までは食事のとりすぎだったかもしれないし,食事を減らすことによる精神への影響は,運動によるストレスの解消でバランスが取れるのかもしれない.三島由紀夫は40代周辺で筋トレに目覚めたように,筋トレは僕の生き方にべったりと張り付いているものなのかもしれない.適度な肉体労働はいい.実験は常に体を動かすものであるし…
『存在の耐えられない軽さ』 ミラン・クンデラ / 千野栄一訳 おもしろかった。食わず嫌いだったんだな。冒頭の「永劫回帰」、「ニーチェ」云々の言葉に敷居の高さを感じ読み進められなかった数年は何だったんだろう。あーもったいない。 裏表紙には「究極の恋愛小説」とあるが、そうかな? 私は「恋愛小説」説より作者クンデラの「哲学的小説」説を推したい。愛の重さと軽さ、人間の存在の重さと軽さ、心と身体のバランス、政治的軍事的出来事の重さ、そういったテーマについて思弁し、登場人物の言動に意味づけし読者に提示する、そんな小説のように思った。 だから、まるまる恋愛小説と思って読むとずっこける。まぁでも、トマーシュと…
文学の世界ではかなり権威のある賞であるらしいエルサレム賞というのがあり、2009年には村上春樹が受賞している。村上氏はそれでエルサレムに出かけ、受賞演説をした。しかし、ここではひと悶着があった。というのは、そのころイスラエルからのガザ地区への爆撃が行われており、そういう時期にエルサレムに赴くということは、イスラエルの行為を肯定することになるという意見が広範にあったからである。 しかし、ともかくも。村上氏はイスラエルにいって。受賞スピーチをした。 ここで取り上げたいのは、そのスピーチで村上氏が述べている、氏が小説を書く時に心に刻んでいるというモットーについてである。 「高く堅牢な壁と、そこにぶつ…
チェコ文化を担ってきたのは平民階級だそうです。15世紀から17世紀にかけての宗教戦争に敗れてカトリックの支配を受けたチェコでは、プロテスタント系の聖職者・貴族・上級市民が一掃されてしまい、農民と下層市民しか残らなかったとのこと。そして近代においてはナチズムとスターリニズムの両方の支配を受けて、またもや多数の文化の担い手を失ってしまったのです。「プラハの春」が潰された後に、ミラン・クンデラらの作家が国外に亡命したことは象徴的です。 本書は、不条理世界で苦しむ平民の主人公がかろうじて正気を保つ物語です。東西冷戦のさなかである1976年に、このような前衛的な作品が書かれたことは奇跡的に思えますが、や…
存在の耐えられない軽さ (集英社文庫) 作者:ミラン・クンデラ 集英社 Amazon 1968年に冷戦下のチェコスロバキアで起こった民主化運動「プラハの春」を題材とした小説。恋愛小説ってことになってるけど、政治思想、宗教、哲学等が混ぜ合わさったかなり骨のある本です。映画化もされているらしいですね(観てませんが) チェコスロバキア生まれの著者ミラン・クンデラ自身も民主化運動に積極的に関わった一人だそうです。結局プラハの春はソ連軍の武力行使により鎮圧され、反政府分子であるクンデラは人気作家であるにもかかわらず著作は自国では発禁処分となり、国籍も剝奪され、フランスに亡命せざるを得ませんでした(後にフ…
久しぶりにまともにベッドで眠ることができたいい夜だった.一応7時のアラームを止めたことは覚えているけれど,それから1時間くらい二度寝したと思ったら既に10時を回っていた.気候も春に近づいていて,暖かくなってきたことが関係しているのかもしれない.昨日の一日は割と孤独を感じていたようで,しょっちゅう散歩したり談話室に本を読みに行ったりしていた.結局昨日は誰かと会話をしたのかといわれるとすこぶる怪しい.Lineの中で言葉を交わしたり,Twitterの文章を読んでいるとそれだけで会話をしていたような気分になってくる.それに散歩をしながら頭の中で言葉をくみ上げていたら,それで十分会話が成立している気がす…
私にとってセミリタイアというのは、本編のストーリーを進めるのを放棄してミニゲームやアイテム集めに熱中するような感じだなと最近思う 全クリを諦めている だがゲームそのものから抜け出せるわけでもない たまに本編の方が顔を出してきて憂鬱な気分にもなる このような遊びを見出す能力が衰えたら、あるいは単純に飽きてしまったら、本編を進めることになるのだろう そのときには本編の方はもう詰んでいるかもしれないけれど かなり前に読んだミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」の主人公についての語りを思い出した 彼(主人公)は仕事や結婚が本質だと思いこんで励んでいるが、実は彼という人間にとって人生の本質は部屋で一…
津野海太郎 - Wikipedia 筑摩書房 歩くひとりもの / カバーデザイン 南伸坊 1993年単行本刊。1998年ちくま文庫。電子化未。この本を読む限りでは、コンピュータの知識摂取に貪欲に見えるのですが、それはパソコン通信の時代?だったからか。1991年のバブル期にパソウコン通信があったか知りませんが。その後、書籍の電子化に対し、どういう考えになられたのかは知らない。本人要因でなく、ちくま事情からの電子化未かもしれません。 1991年から1992年まで「思想の科学」に連載したコラムが初出。「なかじきり」と冠した箸休め的コラム(箸休めの箸休め?)が三つ入っていて、これは著者が友人と出してい…
世界文学上に今なお燦然とその輝きを放ち続ける巨匠レフ・トルストイの作品『アンナ・カレーニナ』は、現代でも名前はおそらく多くの方が聞いたことがあると思う。 そしてこの物語が、主人公アンナ・カレーニナが、熱狂的な恋愛の末、鉄道自殺を遂げる……という話であることも、知っている人が多いだろう。 しかし、『アンナ・カレーニナ』という物語が、細部ではどのような話であるのかという点については知らない人が多いのではないだろうか。この小説は新潮文庫と岩波文庫では上中下巻、光文社古典新訳文庫では全4巻と非常に長い小説であるということもあり、私もなかなか読み始める気になれないでいたが、このたび読了した。 概して言え…
「存在の耐えられない軽さ」 ミラン・クンデラ 著(千野栄一 訳) タイトルはどこかで聞いたことがありました。 内容は、私にとって非常に難しかったので、理解できていない部分が多々あります。