英:reading diary
読書を通じた感想やメモを記録したもの。 本来は個人的な日記であったがWEBサイトやblogの出現によって表現活動の一部となっている。
松岡正剛氏による「千夜千冊」、らぶナベ@まろまろ氏による「まろまろ記」などが有名である。
つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com 名言(意訳):「超安全と高リスクの両端に張り、中間を避けよ」出典:『反脆弱性』 “ほどほど”はやさしく聞こえる。だが不確実性の世界で中リスクは、危険が見えにくい分だけ厄介だ。タレブのバーベルは、**90%を超安全(現金同等、確実な健習)に寄せ、残りの10%で実験(上限限定,下振れ限定,上振れ無限)**を回す考え方。私は時間の配分で試した。睡眠・運動・基礎仕事に9割、残り1割を“安く大振り”に使う。未知の分野の本、会ったことのない人、短いハイインテンシティの筋トレ、試作の公開。ここで重要なのは、下方の限度を先に決めることだ。金…
つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com 名言(意訳):「良いものを足すより、悪いものを引くほうが効く」出典:『反脆弱性』 足し算は目に見える。アプリ、サプリ、会議、資格。だが複雑系では、加点は容易に相互作用し、ノイズと副作用を増やす。タレブのVia Negativaは、**“足す勇気”より“引く胆力”**を勧める。私は週次レビューで「削除候補」を先に三つ書く。深夜の無目的スクロール、説明のための説明会議、締切直後の自己嫌悪。これらは“善意の顔”をして生産性を掠め取る。削るとき、私は「代替」を用意しないよう努める。穴を埋める反射が、すでに加点主義だからだ。空いた時間…
名言(意訳):「自分の利害を賭けずに発した助言は、助言ではない」出典:ナシーム・ニコラス・タレブ『身銭を切れ』 助言はしばしば“正しさ”より“コスト”で評価される。報いも罰も受けない立場からの語りは、失敗の摩擦を持たないから増殖する。タレブはここに「左右対称性」を問う。発言の矢が外れたとき、その反作用は誰に返るのか。コンサル、評論家、匿名のタイムライン、AIさえも例外ではない。身銭のない言葉は、風評の追い風に乗りやすく、停滞や撤回のブレーキを欠く。逆に、小さな身銭でも賭けると、発話は慎重になり、時間軸が伸び、再帰的に検証される。私は今週、受け取った3つの助言をメモし、発信者のステークを欄外に書…
全てを理解しようとするとメモ書きが必要な小説だった。文章は平易だけれども、関係性を掴むこと、背景を掴むことが結構難しかった。ただ、カタルシスはあって、読み終わったあとに幸せな気持ちになる。それは、おおよそすべての伊坂幸太郎作品に共通するものなのだろうと思われる(全部読んでないから何ともいえないが)。 歴史、SF、純文学、ミステリ的なあらゆる要素を組み合わせて、「荻島」という牡鹿半島沖の小島に連れていかれた「伊藤」が体験する奇妙な物語が展開される。 奇妙としか言いようがない設定である。鎖国的な状況のまま100年にわたって残されてきた「荻島」は、法律ではないプライベートなルールが島を支配していて、…
こんにちは、めめです。 10/31 (金) 不調さが続いている。でも今日はバイトなので、雨の中向かう。ハロウィンにとっては恵みの雨なのか、仮装している人はほとんど見ない。バイト先周辺には何人かいたが、イベント参加者や子どもなど仮装が許された人が決められた中で楽しんでいるだけだった。バイト先に一人、怖いなと思っている人がいる。恐喝や𠮟責の類の「怖い」ではなく、廃棄品などを一人でこそこそと食べていて、理性のコントロールが出来てない「怖い」である。廃棄品については結構問題になっていて、誰しもがルールを守っているし、そもそも美味しくもないものをむさぼり食べている姿が怖すぎる。極力一緒のシフトになりたく…
こんにちは!先日の3連休に風邪を引いてしまい、今週はあまり本が読めずでした。なので本日の記事では新たに読み始めたばかりの本の話を。 前回、仏教を調べるために読み始めた梅原猛の本の話をしました。そこから今度は、日本人の精神の根っこを探るためにこちらの本を読み始めました。 梅原 猛 著『日本の深層縄文・蝦夷文化を探る』 日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る/梅原 猛 | 集英社 ― SHUEISHA ― 日本人たらしめている精神とは、どこからやってきて、そしてどういったものなのか。その謎を解明していくことで、まずは自分の日本人としての立ち位置を固めることができ、そしてこれまで掴みどころのなかった西洋哲…
「存在」が便利すぎる。そう感じるのは、議論の終盤でこの一語が掲げられるたび、そこで追究の手が止まり、考えるべき諸条件や手続きや関係が霧散していくからだ。もちろん私は「存在論」を禁じたいのではない。むしろ基礎付けの試みとしての存在論は必要だ。ただ、基礎を口にした瞬間に作業が完了した気になる、その甘美な錯覚から距離を取りたい。ヒュームが「過去は未来を保証しない」と言ったとき、彼はわれわれの確信の足場がどれほど心もとないかを示した。同じことは「存在」にも当てはまる。なにかが「ある」と言い切るとき、私たちは何を、どう確かめ、どれだけの余白を黙認しているのか。そこを点検せずに「ある」を宣言すれば、それは…
2025年10月22-28日 ・奥田英朗『最悪』 ・奥田英朗『リバー』 ・吉田修一『逃亡小説集』 ・吉田修一『犯罪小説集』 ・奥田英朗『邪魔』上下 ・奥田英朗『無理』上下 ・吉田修一『ミス・サンシャイン』 以下コメント・ネタバレあり
この問いを前にするとき、私はまず言葉を入れ替えたくなる。福祉は「欠けた人を支える」ことではない。アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチに倣えば、福祉とは、人が「価値があると理由づけられる生」を実際に選べるように、〈できること〉と〈選べる場〉を共同で整える営みである。就労支援は、その営みがもっとも具体に問われる現場だ。だからこそ、ここから正義の輪郭を描き直してみたい。 まず、目的を置き換える必要がある。成果を「就いた/続いた」に一点化してしまうと、制度の都合に人を合わせる発想に回収されやすい。もちろん配置率も定着率も重要だが、それだけでは生の厚みは測れない。大事なのは「その人が価値をおく…
秋晴れの光はやさしいのに、画面の向こうはいつも急いでいる。タイムセールは秒を刻み、通知は呼吸を奪い、レコメンドはまだ名づけていない渇きを先回りして整列させる。いま必要なのは、世界を全否定する激しさではない。私たちの「判断の主権」を、せめて自分の手のひらに戻すための、しぶとい反復だ。アドルノが見抜いたのは、文化産業が欲望そのものを悪魔化するのではなく、速度と同一化の回路に編入する仕方だった。私たちが失っているのは道徳心ではなく、テンポを選び直す権利だ。だからまず、遅くする。遅延は怠慢ではない。急がせる設計に対する静かな不服従である。夜に決めることをやめ、翌朝に審理する。覚めた頭で、昨日の「これが…