英:reading diary
読書を通じた感想やメモを記録したもの。 本来は個人的な日記であったがWEBサイトやblogの出現によって表現活動の一部となっている。
松岡正剛氏による「千夜千冊」、らぶナベ@まろまろ氏による「まろまろ記」などが有名である。
舞台は現代の都市、東京都港区。SNSが日常生活の一部となった時代。その中でも、特に注目を集めるアカウントがあった。「@教養の探求者」――フォロワー数は数十万人を超え、哲学や文学、歴史などの知識を深く掘り下げる投稿で知られていた。 しかし、その内容は表面的であり、知識の断片を引用するだけで、深い理解や独自の視点が欠けていた。フォロワーたちはその投稿に感銘を受け、リツイートやいいねを押すことで、自らの教養を示すかのように振る舞っていた。 そのアカウントの主、カール・シュトラウス(仮名)は、日々「教養は大事です」と繰り返しながらも、自らの言葉に深みを持たせることなく、ただ知識を披露することに満足して…
吉田修一さんの『国宝』が映画化されたそうです。 いつもとは少しトーンが異なりますが、小生、一つ読書感想文を書いてみようと思います。 吉田修一さんの本は、結構読んだつもりで、『悪人』くらいまではたぶん読んだんだと思いますけど、それ以降は読んでおりませんでした。『国宝』は、そんな中、久しぶりの吉田修一さんの作品となりました。 以下、ネタバレもございます。お気をつけて。 * 長崎の有力な任侠一家・立花組の御曹司として生まれた喜久雄。 しかし、強引な権力奪取をよく思わない対立組織・宮地組との抗争で、喜久雄の父・権五郎は刺されて亡くなってしまいます。 父の死を嘆く喜久雄は、立花組を継ごうと背中に刺青を入…
前回までのあらすじ: 休日の午前9時、ショーペンハウアーはドトールコーヒーショップに向かう。店内は混雑しており、注文までに時間がかかる。1時間、2時間と待つも、ようやく注文の順番が来る。しかし、席を取っていなかったことに気づき、再び席を探し始める。席を確保し、再度注文の行列に並ぶ。ようやく注文を終え、支払いの段階でキャッシュレス限定店であることが判明。アプリのインストールや会員登録に手間取る。ようやく支払いを終え、席に戻ると、他の客に席を取られてしまう。再び席を探し、ようやく確保するが、閉店の時間が迫っていた。結局コーヒーは注文できなかった。 ・・・ 「お客様、次回のご利用のために、アンケート…
こんにちは、めめです。 6/6(金) 頭痛は治まったけれどくしゃみと鼻水が強くなっている。イマイチな体調の中、マジかよということがおき大横転(このスラングを使ってみたかった)。ひたすら鼻をかんで過ごし、なんとか帰宅したけれどそこから微熱が出て、一週間を乗り切った疲労がここで出たかという感じだ。明日は予定があって変更不可能なので、どうにか次に目が覚めたときは体調が落ち着いていることを祈って寝た。寝たと言っても見事に不眠期なので、ちょこちょこ目を覚ましながら、おでこに手を当てて熱が下がっているぞと言い聞かせる夜を過ごした。 6/7(土) なんとか体調が回復し、熱も下がっていたのでABCへ。節約のた…
アルトゥル・ショーペンハウアーは、重く分厚い空気が支配する書斎に座っていた。外は曇天。窓から差し込む光は鈍く、まるで人生そのものが無意味であると語りかけてくるようだった。 「人生は苦悩であり、生きることは死ぬことに近づく行為でしかない……」そう呟きながら、彼は『意志と表象としての世界』の改訂作業に取りかかっていた。 ところが、その瞬間だった。 突然、彼の頭の中で何かが「パチン」と音を立てた。脳内の深部に眠っていた何かが目を覚ましたのだ。 「……わいわいわいわいわっしょい、わっしょい!? な、なんだこれはッ!!」 ショーペンハウアーは突如として立ち上がり、デスクを倒し、原稿用紙を舞い上げた。『厭…
1838年の冬、ドイツ・フランクフルト。灰色の空が低く垂れ込め、街路の石畳には湿った霧が漂っていた。街の片隅にある小さな講堂の扉が開かれ、集まった聴衆のざわめきが静まると、壇上にひとりの男が姿を現した。 アルトゥール・ショーペンハウアー。彼が手にしていたのは、つい先日刊行されたばかりの新著『読書について』だった。彼はその本を掲げると、静かな声で語り始めた。 「皆さん、読書とは何でしょうか? 他人の思考をなぞることに過ぎません。私たちは他人の掘った溝に水を流すようなものです。しかし、その水がどこへ流れるか、どのように流れるかは、私たち自身の思考によって決まるのです。」 聴衆はその言葉に耳を傾け、…
読書 2025年6月12日、フランクフルトの一角にある小さな会議室。その場に集まったのは、哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーが開くという記者会見を取材すべく集まった数人の記者たちだった。会場の空気は、普段のものとは異なり、どこか緊張感に包まれていた。 定刻になると、会場の扉が静かに開かれ、ショーペンハウアーが姿を現した。その表情はいつもの冷徹なものではなく、どこか疲れた様子が伺えた。彼はゆっくりと席に着き、記者たちを一瞥した後、静かに口を開いた。 「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。今日は、私が長年抱いていた思いを、皆さんにお伝えしたく、この場を設けました。 記者たちは一斉にメモ…
2025年6月11日東京都品川区のとある企業の労務管理部門。その部門で働くのは、哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー。彼は、現代の労務管理の業務に追われる日々を送っていた。 午前9時:労働条件通知書の入力「またか…」彼はため息をつきながら、パソコンの画面に目を落とす。新たに採用された社員の労働条件通知書を入力しなければならない。その内容は、雇用契約の期間、就業場所、業務内容、賃金の決定方法、退職に関する事項など、多岐にわたる。一つ一つを正確に入力し、確認しなければならない。その作業は、彼の哲学的な世界観と相容れないものだった。 午前9時25分:労働条件通知書の入力「またか…」彼はため息をつきな…
2025年5月28日-6月3日 ・伊舎堂仁『トントングラム』 ・吉本隆明『定本 言語にとって美とはなにか』Ⅰ ・オルダス・ハクスリー(黒原敏行訳)『すばらしい新世界』 ・中澤系『中澤系歌集:uta0001.txt 新刻版』 以下コメント・ネタバレあり
数ヶ月後、完成した楽曲を演奏する機会を得たショーペンハウアーは、聴衆の前でピアノの鍵盤に指を置いた。彼の演奏は、彼の哲学と同様に、無意識の世界と人間の欲望の葛藤を表現していた。演奏が終わると、聴衆は深い感動を覚え、彼の哲学に対する理解が深まったと感じた。しかし、ショーペンハウアーはその瞬間に、音楽が言葉と同じように限界を持つことを痛感した。彼は「音楽は無言の言葉であり、言葉は音楽の影である」と感じ、言葉と音楽の関係について再考するようになった。ある日、フランクフルトの街角で一人の若者と出会ったショーペンハウアーは、彼が自分の哲学に深い興味を持ち、対話を望んでいることを知った。彼は若者との対話を…