平安時代末期に成立したと見られる説話集である。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けている。編纂当時には存在したものが後に失われたのではなく、未編纂に終わり、当初から存在しなかったと考えられている。また、欠話・欠文も多く見られる。インド・中国・日本の三国の約1000余りの説話が収録されている。『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事から由来している。
昔、源頼光が美濃守であったころの話。 XXという村で、夜のことである。 詰所にたくさんの侍が集まって話をしたりしていた。 そのうち、ある者が、こんな話を始めた。 「この国には、渡というところに、産女というお産に失敗して死んだ女の霊がいる。夜になって、そこを渡ろうとすると、産女が子供を泣かせて、「この子を抱っこしてください」と言ってくる。」 お調子者の別の者が、 「じゃあ、今からその心霊スポット、行ってみようぜ」 などと言う。 平季武、「俺なら、今すぐでもわたってやるよ」 他の仲間たちは、「いくら一騎当千の平さまでもそこは渡れないですよぉ」 と、これはけしかけているのだ。 平季武、「そんなの余裕…
薙刀の初見に関する続きです。前回は久安6年(1150年)~平治元年(1160年)に編纂された『本朝世記』の久安2年(1146年)3月9日の記事を引き、『世界大百科事典』のいう薙刀の初見を確認しました。今回は近藤好和氏の『弓矢と刀剣』にある以下の説を確認します。 ■近藤好和『弓矢と刀剣』(※1)・一方、中世を代表する長柄の武器である長刀は、不確実な例だが、十一世紀には見えている(『春記』長暦四年<一〇四〇>四月十一日条)。 不確実ではあるが『本朝世記』の例を文中の年代から数えても100年以上遡り得る薙刀の初見があるとのことです。では、早速その藤原資房の日記『春記』本文を見てみましょう。藤原定任と…
いまは世尊寺と呼ばれている桃園という藤原行成の屋敷がある。 まだ寺ではなかったころ、ここに西宮の左大臣、源高明が住んでいた。 寝殿の南東の母屋の柱に木の節穴が開いていた。 夜になると、2、3日おきにその節穴から小さい子供の手が出てきて、人を手招きする。 大臣はこれを聞いて、気持ち悪いなと思って、その穴の上に、お経を括り付けてみた。 正体不明の怨霊の仕業ならば仏経が効くはずだが、なんの効果もなく、手招きは続いた。 ある人が、試しに、実戦用の征矢を一本穴に入れてみた。すると征矢を抜かない限り手招きは止んだ。矢尻だけを穴に打ち込んだところ、怪異はやんだという。 原因不明の怨霊には、仏経が威力を持つべ…
朱雀天皇の御代に、伊予掾藤原純友という人がいた。 筑前守良範の子である。 純友は、愛媛県で、多くのツワモノを集めて子分にしていた。 弓矢を持って船に乗って海に出ては西国から都に向かう船を襲っては、略奪と人殺しを繰り返していた。 だから旅人たちは、気を付けて船に乗らないようにしていた。 西の方の国々も放っておくわけにいかず、国司は朝廷に、文書を送った。 「伊予掾純友が悪行をしております。船に乗って海にいつも居て往来の船を襲い、人を殺し物を略奪します。これには国も個人も困っています。」 とある 朝廷もこれには驚き、名ばかり管理職の橘遠保というものに 「この純友を討伐してまいれ」 と命じた。 さて遠…
昔、袴垂というとんでもない大泥棒の親分がいた。 豪胆で、力強く、足は速く、腕が立ち、思慮があった。 天下無双であったので、あらゆる人のものを片っ端から奪って生業としていた。 冬のはじめの旧暦の10月ごろ、着るものが必要だったので ちょっと服を手に入れるかと考えて、 心当たりがあるところをあちこち回っていた。 深夜になって、月は朧だった。 大路を急ぐでもなく歩いている男がいた。足首のところがシュッとした指貫と思われる袴の股立ちを取って裾をたくし上げて、柔らかそうな絹の狩衣を着ている。 ゆったりと笛を吹きながら一人歩いてくる。 袴垂は、これを見て、 「カモじゃん」 と思って走りかかると、打倒して服…
亀の恩返し パート2 延喜天皇のころ、藤原高房の子で、山陰という中納言がいた。 子だくさんだったが、その中に一人顔立ちのとても良い男の子がいた。 山陰中納言は、この子をたいそうかわいがっていた。 継母がおり、この子をとてもかわいがるので、 中納言は喜ばしく思い、 専らこの継母に預けて育てるようにしていたという。 さて、山陰中納言が大宰府の長官に任命されて、九州に向かうことになった。 継母を篤く信頼していたのであるが、 実はこの継母「このガキをなんとか殺してやりたい」と強く思っていた。 玄界灘の鐘の岬のあたりについたとき、継母は行動に移した。 おしっこをさせるふりをして、海に突き落としたのだ。 …
インドに天狗がいた。 天狗とは仏法を妨げる者である。とされる。 今でいうと、屁理屈を捏ねまわして論破してあるく輩のようなものだろう。 もともとはこの語、天を行く流星の意味である。 ちょうど元の話が書かれたころ、意味が変遷した。 だから、この天狗が空を飛ぶのか、飛ばないのか、 迦楼羅のような姿なのか、鼻が長くて赤いのか、 性別がどうなのか、僧形なのか、童子なのか、今となってはわからない。 とにかく、仏道の妨げをする、この天狗、インドに住んでいた。 ある日天狗はインドから中国に行こうとしていた。 途中で海の水が、 「世界は変わる。生まれ滅びる。変化を超えて、静かな世界に入ろうぜ。」 (諸行無常 是…
宇治殿と呼ばれた藤原頼通が権勢を誇っていたころの話。 この時、まだ明尊僧正は、僧正ではなく一階級下の尼僧の管理官(僧都)だった。 三井寺の一番偉いお坊さんになる明尊僧正が、宿直でお祈りをしていた。 灯火を灯していないが、もう暗い。 急遽この僧正が夜のうちに三井寺に行って帰ってくる必要ができた。 理由は今となってはわからないが、この話をする上ではどうでもいい。 頼通は、馬小屋にいる落ち着きがある馬に鞍を置いて連れてきた。 居並ぶ侍たちに向かい 頼通「誰か、ついてくる者はいないか」 左衛門尉平致経「この致経が参ります」 頼通「いとよし」 頼通「この僧都は今夜三井寺に行って、そのまますぐに夜のうちに…
昔、清少納言の夫で橘則光という人がいた。 武士ではないが、肝の据わった賢い人で、力も強く、顔つきも良いので、一目置かれていた。 この人が若い時分、まだ前の天皇陛下の一条天皇の御代の話だ。 季節は旧暦の八月九日。深夜のことだ。 則光は、衛府の武官として詰めている大内裏から、宮中の宿直所にいる女のところに忍んで行った。 武装と言えば太刀だけを引っ提げ、お供の少年一人を連れて、詰所を出た。 大内裏の東、北から三番目の待賢門を出る。 大宮大路を南に下ると、大内裏の外郭の築地塀のあたりに何人か立っている気配がある。 せんべいの「ばかうけ」のような形の月齢9日の月が西の山際に今にも沈みそうだ。 こんな晩は…
お盆入りの日。台風近づく空模様のもと、ナツズイセンが咲いています。 夕方には、ご先祖様をお迎えしました。炎が揺らめいています。 穏やかでお静かなお盆をお過ごしいただければと思います。さて「法の水茎」のほうは、今月から「弘法大師空海のお話」として、とくに文学との関わりをテーマとしてみました。まずは『今昔物語集』に見える幼少期のお姿からです。お読みいただけましたら幸いです。 ※ ※ 「法の水茎」122(2022年8月号) 8月1日は「地獄の釜の蓋が開く日」。関東地方の一部では、この日を「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」と呼び、ご先祖様があの世から家々に向かって出立する日と言い伝えています。 とことは…
youtu.be Norah Jones, Questlove and Christian McBride - Why Am I Treated So Bad (Live)Why Am I Treated So Bad (feat. Christian McBride) [From “Norah Jones is Playing Along” Podcast] - Singleノラ・ジョーンズ & クエストラヴポップ¥255 LOW GUY the pullovers と 文藝天国 とても良き... 記事を意識すると書く事が無いとか思っちゃうんですよね。 日記なんだからいつも通りの一日でいいじ…
●歌は、「家ならば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ」である。 富山市下大久保 新宮公園隣り万葉歌碑(聖徳太子) 20230705撮影 ●歌碑は、富山市下大久保 新宮公園の隣にある。 ●歌をみていこう。 題詞は、「上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首 小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者 豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古」<上宮聖徳皇子(かみつみやのしやうとこのみこ)、竹原の井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)す時に、竜田山(たつたやま)の死人を見て悲傷(かな)しびて作らす歌一首 小墾田の宮に天の下知らしめすは豊御食炊屋姫天皇なり。諱は額田、謚は推古>である。 (注)竹原の井:大…
金剛女の草子 昔、中天竺の大王の名を臨汰大王と申し上げます。この王には一人の姫がおいでになります。その名を金剛女と申し上げます。この姫の美しくいらっしゃることは、まるで、晴れた空にひとひらの雲が浮かんでいる中から、十五夜の満月が顔を出したようとも、また、朝の雨に濡れた花のようとも言え、普通の人が思い及ばないほど、物に譬えようのない美しさでした。 ある時、東天竺、南天竺、西天竺、北天竺、この四天竺の大王たちが姫の評判をお聞きになって、心の中に姫を妃に迎えたいとお思いになりました。一方、臨汰大王の方でも、これほどに美しい姫を誰も妻にと望んでこないのは妙なことだとお思いになっているところでした。そこ…
美作国の神社も西半分が終わり、残すは東半分。その中心部津山周辺の四社を巡る最初は美作国一宮中山神社です。旧国幣中社らしく堂々たる神社でした。 目次 【御祭神】 【御由緒】 【中山神社への道】 【👨🦽車椅子使用の方のための情報】 【境内の様子】 【お詣りをおえて】 【御祭神】 鏡作神(かがみつくりのかみ) 相殿:天糠戸神(あめのぬかどのかみ) 石凝姥神(いしこりどめのかみ) 【御由緒】 中山神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 非常に詳しく書かれていますから上の岡山県神社庁中山神社ページをどうぞ。 【中山神社への道】 岡山県道394号から県道68号へ折れて北上します。2キロほど走ったら県道が緩や…
今日は彼岸の入り。朝からお墓参りの方もいらしています。名にし負う彼岸花も咲き始めました。 これから彼岸の中日に向けて、日に日に咲き出してくるのでしょう。お彼岸中、私のほうは棚経に歩きます。お盆中に伺えなかったお檀家さんのお宅をめぐります。どうぞよろしくお願いいたします。さて、今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。前回に続いて、空海と修円の験競べについて書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。 ※ ※ 「法の水茎」135(2023年9月号) 「暑さの果ても彼岸まで、寒さの果ても彼岸まで」という江戸時代の諺があります。8月から続いている残暑も、「果て」(区切り)のお彼岸を過ぎれば…
芥川龍之介(1892~1927年)の「羅生門」は、1915年、『帝国文学』誌上で発表されました。 しかし、作者の自信にも関わらず、この作品は発表時、ほとんど反響を得ることができませんでした。 芥川が文壇デヴューを果たすのは、翌年、「鼻」が師である夏目漱石に激賞されて以後のことになります。 以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。 (1)あらすじ (2)ノートA(事実関係) ①反響 ②失恋事件 ③「義仲論」 ④結論部 (3)ノートB(個人的解釈) (4)参考文献 (5)関連記事 (1)あらすじ ある日の暮方、一人の下人が、羅生門の下で雨が止むのを待っていた。 この二、三年、京都…
手嶋大侑さんの論文「平安・鎌倉時代における任官情報伝達文書とその公験的機能」(「年報中世史研究」48)を読みました。2度の口頭発表を経て書いたとのことで、要領よく整理されていて分かりやすい。 10~13世紀の任官情報はどのように伝達されたのか、伝達文書はどういう機能を果たしたのかを、『権記』『小右記』『朝野群載』『高山寺本古往来』『吾妻鏡』、また『今昔物語集』や『源平盛衰記』、さらに石清水文書に含まれる除目聞書などの例から考証しています。堅実な分析です。 10世紀以降、「除目の書」や「除書」は地方まで運ばれ、地方で暮らす人々はそれらの文書によって、自他に関する中央での任官情報を知ったらしい。そ…
過去、毛野(けの、けぬ)地域の上毛野(かみつけの)と呼ばれた「群馬」を取り上げた。今回は下毛野(しもつけの)と呼ばれた栃木県南部を取り上げる。栃木の古墳群、塚山古墳群を紹介する。次の流れで紹介していく。 ・宇都宮の古墳時代・塚山古墳群・塚山古墳・塚山西古墳・塚山南古墳・しもつけ風土記の丘資料館・下毛野公時(しもつけののきんとき) ■宇都宮の古墳時代宇都宮市内で最も古い古墳群は茂原古墳群(所在は茂原町)。3基の前方後円墳で構成される。↓は茂原大日塚古墳、全長35.8mの前方後方墳、4世紀初頃の築造と推定される goo.gl 5世紀には大型の前方後円墳が築造された。田川流域に笹塚古墳(東谷町)が、…
小野篁という人物は、仁明天皇の時代に遣唐副使となった。遣唐使の中でも遣唐大使の次に偉い。 2回渡航に失政して、3回目に遣唐大使の船が漏水したために、遣唐大使が篁の乗る第2船に乗っていくことになった。篁は、 「己の利得のために他人に損害を与えるようなやり方がまかり通るなら、面目なくて部下を率いることなどできないと言って船を降りた。そして「西道謡」という、遣唐使を風刺する詩を詠んだが、この詩には本来忌むべき表現を多用していたため、嵯峨天皇の逆鱗に触れて隠岐国に流罪になった。隠岐国に向かう道中で詠んだ「謫行吟」という詩は、詩に通じる者で吟じない者はないほど優れた詩だったという。嵯峨天皇は後に篁を許し…
『最新! 秘密結社の謎』 世界の裏側で暗躍する組織の実態を暴く 知的発見探検隊 イーストプレス 2011年7月15日 <エコロジーを実践しカッパとの共生をはかる「下総カッパ団」> ・下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ。大の相撲好きだった伝兵衛が印旛沼で出会ったカッパのシンサクと偶然相撲をとって勝ったことで、意気投合。カッパと人間の共生を目的として旗揚げされた。設立当初は、うなぎ釣りや川相撲、水泳などの各種の催事を開き会員数は増え続け、最盛期には300名もの会員数を誇ったという。 <ナチスを生みだした秘密結社トゥーレ協会…
一条真也です。『現代怪談考』吉田悠軌著(晶文社)を読みました。この手の本には目がないわたしですが、本書は説得力に富んだ久々の名著でした。著者は、怪談研究家。1980年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、ライター・ 編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の研究をライフワークに。テレビ番組「クレイジージ ャーニー」では日本の禁足地を案内するほか各メディアで活動中。 著書に『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)、『オカルト探 偵ヨシダの実話怪談』シリーズ1~4巻(岩崎書店)、『怖いうわさ ぼくらの都市伝説』シリーズ1~5巻(教育画劇)、『恐怖実話 …
『明治妖怪ニュース』 湯本豪一 柏書房 2001/6 (※文章は読みやすいように、元の本文を修正しました。) <二度の神隠し> 【愛知県/沢井町発】 実直な下駄職人が、表を掃除している間に消えた。心配していると、夜になってひょっこり帰ってきた。 ◎天狗の所為かと其近辺にて噂さとりどりなる怪しの話、当市沢井町の下駄職加藤虎治郎方雇人にて広井154番戸の水野きやう二男、竹七(17)は至って実直に勤め居ると、去月17日午前10時ごろ、外方掃除中姿の見えなくなりしに、若や逃走したのかと実家へも人を馳て諸方探すも知れず。心配して居ると同夜10時ごろ茫然帰宅したるに、先づ歓びて取調べると、掃除中白衣を着た…
植えたわけでもないのに夏水仙(ナツズイセン)が咲き出しました。 雨上がりの雫に濡れています。花が咲く時期に葉が無いことから「裸百合」とも呼ばれるそうです。 今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。今までの空海伝とは一風変わった、法力によって生栗を茹(ゆ)で栗にした話について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。 ※ ※ 「法の水茎」134(2023年8月号) 「記録的大雨」に「記録的猛暑」。この夏も全国的に異常気象が続いています。被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧を心よりお祈りいたします。 「蚤の四月、蚊の五月、六月蝉の泣き別れ、盆は七月十五日…
『宇宙人との対話』 地球で生きる宇宙人の告白 大川隆法 幸福の科学出版 2010/6/14 <レプタリアン(マゼラン星雲ゼータ星人)との対話> ・レプタリアンは、爬虫類のような姿をした宇宙人。レプタリアンにも複数種類があって、地球上でも覇を競っているとされる。 <レプタリアンは地球の進化と競争を進めている> ・確かに、この世的には、悲惨なことが起きたり、流血が起きたりするように見えることもありますけれども、我々は、別の言葉で言えば「進化の神」なんです。 <グレイはサイボーグで、我々の探査機械> <アングロサクソン系の中心的な考えは、レプタリアンの思想> <レプタリアンには天国・地獄はなく、霊界…
(2023/8/19) 『スターファミリーと出逢う 完全ナビBOOK』 ETガイドと交流すると宇宙的人生がはじまる! ETコンタクティ グレゴリー・サリバン ビオ・マガジン 2022/8/20 ・ETガイドとは、あなたをサポートし、導いてくれる銀河のファミリーたちのこと。アセンションを迎えるこの時期だからこそ、スターシードのあなたとの再会を彼らも待ち望んでいます! ・これまでにJCETIとして、CE-5のイベントは計500回以上行い、5千人以上が実際にETコンタクトを体験することになりました。また、野外におけるCE-8のワークだけでなく、室内においてETガイドとつながる「高次元テーブルワーク」…