平安時代末期に成立したと見られる説話集である。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けている。編纂当時には存在したものが後に失われたのではなく、未編纂に終わり、当初から存在しなかったと考えられている。また、欠話・欠文も多く見られる。インド・中国・日本の三国の約1000余りの説話が収録されている。『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事から由来している。
服藤早苗「平安朝の母と子」中公新書 2411服藤早苗「平安朝の母と子」中公新書 ノーブランド品 Amazon 読了。 冒頭から、「有象無象に強姦されそうになった母親が、我が子を生贄して貞操を守ったことを巷で賞賛される(子は八つ裂きにされた)」という、大変にえぐいエピソードが紹介されていた本書だけれど、巻末に近づくにつれて、えぐさはますます炸裂し、読了後は胸が悪くなった。 えぐいエピソードの出典は、ほとんどが「今昔物語」だ。 若い頃にある程度読んで(怪しい意訳など作って遊んで)いたから、平安時代のグロさについてはそれなりに知ってはいたけども、服藤氏が引いていた説話のほとんどは未見だった。 住み込…
2024年8月28日-9月3日 ・ギ・ド・モーパッサン(永田千奈訳)『女の一生』 ・ウィリアム・シェイクスピア(安西徹雄訳)『マクベス』 ・ウィリアム・シェイクスピア(安西徹雄訳)『リア王』 ・作者未詳(蜂飼耳訳)『虫めづる姫君~堤中納言物語~』 ・鴨長明(蜂飼耳訳)『方丈記』 ・唯円、親鸞(川村湊訳)『歎異抄』 ・小池真理子『無伴奏』 ・佐藤文香編アンソロジー『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』 ・作者未詳(大岡玲訳)『今昔物語集』 ・アンドレ・ジッド(中条省平、中条志穂訳)『狭き門』 以下コメント・ネタバレあり
昔、源頼光が美濃守であったころの話。 XXという村で、夜のことである。 詰所にたくさんの侍が集まって話をしたりしていた。 そのうち、ある者が、こんな話を始めた。 「この国には、渡というところに、産女というお産に失敗して死んだ女の霊がいる。夜になって、そこを渡ろうとすると、産女が子供を泣かせて、「この子を抱っこしてください」と言ってくる。」 お調子者の別の者が、 「じゃあ、今からその心霊スポット、行ってみようぜ」 などと言う。 平季武、「俺なら、今すぐでもわたってやるよ」 他の仲間たちは、「いくら一騎当千の平さまでもそこは渡れないですよぉ」 と、これはけしかけているのだ。 平季武、「そんなの余裕…
薙刀の初見に関する続きです。前回は久安6年(1150年)~平治元年(1160年)に編纂された『本朝世記』の久安2年(1146年)3月9日の記事を引き、『世界大百科事典』のいう薙刀の初見を確認しました。今回は近藤好和氏の『弓矢と刀剣』にある以下の説を確認します。 ■近藤好和『弓矢と刀剣』(※1)・一方、中世を代表する長柄の武器である長刀は、不確実な例だが、十一世紀には見えている(『春記』長暦四年<一〇四〇>四月十一日条)。 不確実ではあるが『本朝世記』の例を文中の年代から数えても100年以上遡り得る薙刀の初見があるとのことです。では、早速その藤原資房の日記『春記』本文を見てみましょう。藤原定任と…
いまは世尊寺と呼ばれている桃園という藤原行成の屋敷がある。 まだ寺ではなかったころ、ここに西宮の左大臣、源高明が住んでいた。 寝殿の南東の母屋の柱に木の節穴が開いていた。 夜になると、2、3日おきにその節穴から小さい子供の手が出てきて、人を手招きする。 大臣はこれを聞いて、気持ち悪いなと思って、その穴の上に、お経を括り付けてみた。 正体不明の怨霊の仕業ならば仏経が効くはずだが、なんの効果もなく、手招きは続いた。 ある人が、試しに、実戦用の征矢を一本穴に入れてみた。すると征矢を抜かない限り手招きは止んだ。矢尻だけを穴に打ち込んだところ、怪異はやんだという。 原因不明の怨霊には、仏経が威力を持つべ…
朱雀天皇の御代に、伊予掾藤原純友という人がいた。 筑前守良範の子である。 純友は、愛媛県で、多くのツワモノを集めて子分にしていた。 弓矢を持って船に乗って海に出ては西国から都に向かう船を襲っては、略奪と人殺しを繰り返していた。 だから旅人たちは、気を付けて船に乗らないようにしていた。 西の方の国々も放っておくわけにいかず、国司は朝廷に、文書を送った。 「伊予掾純友が悪行をしております。船に乗って海にいつも居て往来の船を襲い、人を殺し物を略奪します。これには国も個人も困っています。」 とある 朝廷もこれには驚き、名ばかり管理職の橘遠保というものに 「この純友を討伐してまいれ」 と命じた。 さて遠…
昔、袴垂というとんでもない大泥棒の親分がいた。 豪胆で、力強く、足は速く、腕が立ち、思慮があった。 天下無双であったので、あらゆる人のものを片っ端から奪って生業としていた。 冬のはじめの旧暦の10月ごろ、着るものが必要だったので ちょっと服を手に入れるかと考えて、 心当たりがあるところをあちこち回っていた。 深夜になって、月は朧だった。 大路を急ぐでもなく歩いている男がいた。足首のところがシュッとした指貫と思われる袴の股立ちを取って裾をたくし上げて、柔らかそうな絹の狩衣を着ている。 ゆったりと笛を吹きながら一人歩いてくる。 袴垂は、これを見て、 「カモじゃん」 と思って走りかかると、打倒して服…
亀の恩返し パート2 延喜天皇のころ、藤原高房の子で、山陰という中納言がいた。 子だくさんだったが、その中に一人顔立ちのとても良い男の子がいた。 山陰中納言は、この子をたいそうかわいがっていた。 継母がおり、この子をとてもかわいがるので、 中納言は喜ばしく思い、 専らこの継母に預けて育てるようにしていたという。 さて、山陰中納言が大宰府の長官に任命されて、九州に向かうことになった。 継母を篤く信頼していたのであるが、 実はこの継母「このガキをなんとか殺してやりたい」と強く思っていた。 玄界灘の鐘の岬のあたりについたとき、継母は行動に移した。 おしっこをさせるふりをして、海に突き落としたのだ。 …
インドに天狗がいた。 天狗とは仏法を妨げる者である。とされる。 今でいうと、屁理屈を捏ねまわして論破してあるく輩のようなものだろう。 もともとはこの語、天を行く流星の意味である。 ちょうど元の話が書かれたころ、意味が変遷した。 だから、この天狗が空を飛ぶのか、飛ばないのか、 迦楼羅のような姿なのか、鼻が長くて赤いのか、 性別がどうなのか、僧形なのか、童子なのか、今となってはわからない。 とにかく、仏道の妨げをする、この天狗、インドに住んでいた。 ある日天狗はインドから中国に行こうとしていた。 途中で海の水が、 「世界は変わる。生まれ滅びる。変化を超えて、静かな世界に入ろうぜ。」 (諸行無常 是…
宇治殿と呼ばれた藤原頼通が権勢を誇っていたころの話。 この時、まだ明尊僧正は、僧正ではなく一階級下の尼僧の管理官(僧都)だった。 三井寺の一番偉いお坊さんになる明尊僧正が、宿直でお祈りをしていた。 灯火を灯していないが、もう暗い。 急遽この僧正が夜のうちに三井寺に行って帰ってくる必要ができた。 理由は今となってはわからないが、この話をする上ではどうでもいい。 頼通は、馬小屋にいる落ち着きがある馬に鞍を置いて連れてきた。 居並ぶ侍たちに向かい 頼通「誰か、ついてくる者はいないか」 左衛門尉平致経「この致経が参ります」 頼通「いとよし」 頼通「この僧都は今夜三井寺に行って、そのまますぐに夜のうちに…