これまでの話で、執着を氷に、手放した心を水に例えました。この「手放す」という行為が、煩悩を悟りに「転じる」ことだとすれば、それはどうやって起こるのでしょうか。 また、日本の仏教には浄土真宗の「阿弥陀仏に任せる」という考え方もあります。これは禅の「手放す」と似ているようで、どこか違う気もします。シリーズ最終回は、この「手放す」ことの核心と、他の教えとの関係について探ります。 1. 「手放す」ことが「転じる」ことに繋がるか? まさしく、その通りです。煩悩即菩提を氷と水に例えるなら、「手放す」ことこそが、氷を水へと「転じる」ための具体的な作用と言えます。 氷(煩悩):執着という「冷やす力」が、心を固…