表に出てないけれど、対応したことが実は結構あって、今日そのことに関連するお話をして気づいた。私本当によくやりすぎ、と思った。なんだかやりきれない気持ちにもなってしまった。 対応をしてきたことによって得られた情報量もかなりエグく、表に出てないことも把握してることが多いので、その分、人間不信になりそうな瞬間も多々あった。なぜ「ごめんなさい」ができない存在が多いのだろう、「ごめんなさい」をせず、引き続き保守的にまわり、誰かを傷つけることを選び続けるのだろうと悲しく思った。 だから私は社会運動をするうえでは、「友達」を使わないのだと気がついた。お互いがお互いに何かをしないように、何かをしたとき、指摘で…