ずっと思っていることがあるんだけど、デモの場所で声を出すことができる、 声でアピールすることができる存在は、結構特権を持っているということ。 わたしみたいな声を使えない、使わない存在は、だれかの力を借りなければ、 アピールすらできないし、存在を認識も認知もしてもらえないこと。名前も存在も。 この格差はとんでもなく大きい。 実際、私がひとりでスタンディングデモに立ったところで、だれも私のことを認識しないだろうし、認知もしないだろう。気づかれもしないだろう。 カメラにも収められにくいだろう。 そして、私の努力や、やったことは、声が使える存在や、聴者などの特権を持つ存在に回収という名前の横取りをされ…