社会運動は孤独の場だとおもう。すくなくとも、わたしにとっては。孤独は孤独で、そこにポジティブやネガティブをつけるかどうかは、また別の自由な選択肢のようにもおもう。 わたしにとっての社会運動、孤独の場は、ポジティブか、ネガティブか、ときかれたら、おそらくきっとこたえられないとおもう。どちらもあるから。 わたしの身体の特性からか、マーチやスタンディングデモは、参加者として参加すると、より一層「孤独」が際立つ。この感覚はおそらく共感はされにくいだろう。 想像してみてほしい。大勢いる場所のなかでぽつんとひとり、わたしは音がない空間を経験している。だれかがコールをしていても、ドラムを叩いていても、わたし…