日本→建国記念の日(2月11日)
中国→国慶節
日本では2月11日。これは戦前の紀元節を1966年に復活させたものである。
戦前の紀元節とは、明治5年(1872年)、神話に基づいて神武天皇の即位日を祝日に定めたもので、その後1930年以降の国家神道(天皇は日本建国の神の子孫である現人神である、など)の強調の流れの中で、次第に天皇神格化の象徴的な日となっていった。
戦後、天皇の神格の否定・政教分離を意図するGHQの神道指令に伴い、この祝日は廃止された。しかし1951年のサンフランシスコ講和条約直後から、神社本庁や遺族会などを中心に復活の動きが始まった。にもかかわらず天皇神格化の象徴的なこの日を建国記念日にすることは抵抗が多く、国会では1958年から1964年まで6回にわたって法案の提出と廃案が繰り返された。1966年「建国記念の日となる日を定める政令」成立。
昭和23年2月11日、極東国際軍事裁判で東条英機をはじめとするA級戦犯に死刑が求刑された。
死刑執行日や開廷日などの日付とあわせ、意図的にこの日に設定されたとの推測もある。