天皇ではなく摂政、関白らが政治の実権を握っている政治方式。摂政、関白ともに藤原氏以外のものが就いた時期もあるが、摂関政治と言えば平安時代に藤原氏が行っていたものを指すことが多い。
この時代では、摂政と言えば幼少の天皇を補佐する役、関白は成人後の天皇を補佐する役である。
藤原良房が清和天皇の代に初めて摂政に就いたことから始まった。後、摂政藤原基経が陽成天皇を廃位に追い込むと、基経は初めて光孝天皇の令外官関白に就いた。
以降、藤原氏の内紛が続き、その途中で両統迭立を引き起こしてしまう。が、藤原道長の代になると30年に渡って政権を掌握し、その子・藤原頼通に至っては50年も政権を握り続けた。
しかし藤原教通が関白に就いた後冷泉天皇が子を残さずに崩御してしまい、後三条天皇が即位すると実権を失いまた兄・頼通との内紛から天皇を抑えきれず、ついに藤原氏の摂関政治は終焉を迎える。