キリスト教とは、基本が、”神を信じる者達が集うこと”であって、決して教会建物ではない。つまり建物自体に何の意味もない。そして、十字架というキリストの形を含めた像など重要ではない。 たとえば、そのキリスト像を足で踏みつけ壊したところで聖書的にも罪ではない。もちろん、牧師や神父の許可無く壊せば怒りを買うだろう。日本の歴史で踏み絵という昔のキリシタンの迫害があり、神を象った像などを信仰の証明に使ったが、もちろん踏んでも良い。 分かっているはずがなぜ踏まなかったか、偶像の問題ではない、キリストを信じていないと嘘をつきたくないからだ。プライドである。 私なら像を踏みつけて、難を逃れて嘘ついた罪を悔い改め…