先の投稿でも触れましたが、「本願成就だから有難い」「『教行信証』は本願成就を説かれたものである」という味わいがあるようです。 浄土真宗の教義解釈は、本願とその本願力が説かれているというのが主流です。また『教行信証』は、本願(第18願)を五願(第17願、第18願、第11願、第12願、第13願)に開示されたものであり、「本願成就を顕らかにされた」という説は過去にはあまり見当たりません。 本願が成就し完成している名号が「いま・ここ」の私に届き、ただ称える「南無阿弥陀仏」が「念仏の信心」と言い得ますので、その意味では「本願成就を説かれた」と言うことができるのかも知れません。ただし『大無量寿経』には本願…