今年の主だったニュースをランダムにあげると
 ・トランプ大統領就任と、無知蒙昧による混乱
 ・ラスベガスで史上最悪規模の銃乱射事件、死傷者500人以上 
 ・北朝鮮弾道ミサイル発射、日本上空を通過、Jアラート発令 
 ・金正男氏殺害事件
 ・天皇退位法案可決
 ・森友学園加計学園問題
 ・横綱日馬富士が弟子力士に暴行 傷害容疑で捜査 
 ・将棋 藤井4段が29連勝、最多連勝記録を30年ぶりに更新
 ・ノーベル文学賞に日系イギリス人のカズオ・イシグロ
何はともあれ、トランプ大統領と金総書記のブラックジョーク的掛け合いが
メインテーマの一年。要約すると「朝鮮戦争の可能性が現実味をました一年」。

☆ ・私の総括は、三番目の姉の連れそいが亡くなったこと。
 これで、私たち夫婦を含めた6組、12人のうち、4人が亡くなった。
 生存者8名の平均年齢が76歳。
 故人の死亡年齢の平均が75歳。(若くして亡くなった兄二人を除く)
つくづく思うのことは、激変の時代は、その変化を見届けた方がいい。
 
 ・去年の暮れ、寝室のTVの入替で信じられない映像世界を堪能できたこと。 
裸眼0・3の視力が、3〜5の眼鏡をつけて、デズニ―ワールドに入り込んだ
ような日々。世界が広く、明るく、鮮明に輝きだした。そこに数年かけて
録画したブルーレイ300本分と、ネット配分の映像が見放題。
 ・ このブログ(二つ分)のビュアーが350から500近く増えたこと。
 それだけ熱も入れたが、800人位が、週に4日位は見てくれている。
「鼻持ちのならない自画自賛のバカが!」だろうが… 
・今年も、あと3日。何はともあれ無事に過ごせたのが第一。健康寿命
平均年齢になるが… 何時、介護状態になっても不思議でない年齢でもある。
そこで御多分に漏れず「東京オリンピック」が大きな目安になる。それまで、
朝鮮戦争が無いことを祈る…が、どうだろう? 

・まだ本格的積雪の目安の1mまで積もってないが、この数日後辺りか。
健康面では、今年も無事だった。酒も食事も美味い。足腰は年々弱ってきて
いるが、普段の生活の支障はない。平坦の日が続いているが、決して、心の底
から休まることはないが、充実感はある。その中で世界は日々刻々、変化して
いく。好奇心がベースにあり日々が面白い。このブログを17年近く続けた効能か。

・・・・・・
4304, 野生の思考
2012年12月28日(金)
  * 「ありものの使いまわしで急場をしのぐ」
 この時代の激変の中で、企業は究極的サバイバルの様相になっている。
そこで求められるのが「野生の思考」である。野生の思考とは、ありものの使い
まわしで急場をしのぐこと。 それにみあったブリコラージュという言葉がある。
  ー そこでネットで調べてみると
 ≪ フランスの文化人類学者 レヴィ=ストロースは、著書 『野生の思考』
(1962年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の
用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、
「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、
「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降の
エンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを
近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。また彼は世界各地の
呪術や神話における思考の特徴的なパターンも「ブリコラージュ」と呼んだ。
たとえば神話体系は様々な神々や英雄が織り成しているものであるが、全体と
しては個々のエピソードの集まりであり、きれいに一続きにはなってなく神々の
系図も複雑になっている。これは、先行する民族や隣接する民族の神話を引用
したり、各地方の神話を一まとめにしながら神話が形成されてきたために、神話
体系が寄せ集めの状態(ブリコラージュされた状態)となっているからである。≫
▼ 人生の節目は、今までの生き方を根本から変える時節。
 そこで、崩壊した、それまでの材料の中から、再出発に必要なものを探し出し、
それをベースに一から創りかえる時になる。この情報化の世界で、新たな 
世界像を創りかえる節目に世界も、個々人も直面している。色々な材料を集め
違った意味を作るのは、文章の作成にもいえる。テーマを決めて、それに見合う
材料を集め、起承転結のカタチにパッチワークをしていく。そして時間を置いて、
 それに魂を吹き込む。そこに普遍的に通じる筋道が自ずと現れでてくる。
それは、カレーの材料を煮込むのと似ている。現在の日本が限界の極限に
入りつつある。これまでの在り物を掻き集め焦土の中から立ち直ることが
出来るだろうか? あの自民党の面々からみて非常に疑問!である。 
この時代、野生といえば「憲法改正核武装と」に自ずから行き着く。
・・・・・・
5036,ポジティブ・サイコロジー ー?
2014年12月28日(日)
    『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * 深く味わうこと
 私たちは、ネガティブの出来事を経験した後で、その気持ちに様ざまな方法で
「対処」しようとする。その出来事を変えようとするか、自分自身を変えることで、
悪影響を軽減させようとする。上手くいかないことは、自分が問題なのか、適正が
悪いと考えて転職するか、それを甘んじて受けて、家庭に気持ちを移すか。
瞑想、神への祈りか、麻薬、酒か、その人によって不幸劣位を避ける対処法がある。 
逆に、幸福優位であるためには喜びを深く味わえばよい。喜びに対する意識および、
その意識を維持するための意図的な試みが、『味わうこと』である。
 私の趣味に、『秘境・異郷ツアー』がある。まず、面白そうなところを探す
楽しみを味わい。実際に、そこでの感動の瞬間味わい。その後、写真を見たりして
思い出として味わう。更にTVなどの現地レポート番組で味わう。それらの
味わいの中で、幸福優位を強化していく。感激、感動、感謝の場面や、よい事、
嬉しい出来事に出会ったとき、立ち止まってそのことに注意してみることが重要。
準備期間を含めて40数年の事業人生を過ごせたことと、秘境ツアーを多く経験
出来たことと、家庭生活を平穏?に過ごせたことが、が人生の大きなである。
 49回の秘境を中心にしたツアーは、幸いなことに、7割以上を家内と同じ経験を
共有できたため、TVで毎日、どこかの行き先を放映していることもあって、
会話の3割?が旅行経験の内容である。重要なことは、誰かとの共有体験と、
写真、文章化などで記憶を構築しておくこと。これは、知覚が研ぎ澄まされる。 
こういう記憶の再生は、幸福優位の重要要素になる。
 最近まで、一度見たTVドラマや映画を再び観ることはなかったが、最近は、
良かったと記憶しているものは率先して観るようになった。分かっていても、
一度目より面白く感じるのである。 余白の老後は、過っての経験を再び、味わう
ためにあるのでは。 「ピーク・エンドの法則法」がある。
《 アメリカの行動経済学者・ダニエル・カーネマンによって提唱 された理論で、
「あらゆる経験の快苦は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合い で決まる》
というもの。これからすると、事業や仕事も含めた人生のエンド(死に際)が
重要となる。その時に、人生を深く味わってきたか否かが問題になる。
 挫折と、節目こそ人生を味わいの醍醐味が隠されている。深く味わうには
噛締めること、それも何度も。そこで、すじ肉こそ、噛締めるほど味わいが出る。
・・・・・・
4669. 閑話小題 ー今年の総括 ーその3
2013年12月28日(土)
   * 今年のシネマ、53回
 去年の12月27日の随想日記に「今年のシネマ、36回」があったが、
今年は53回。週一回で、52回プラス一回になる。何はあれ週一回は行く
ルールを生活習慣に入れておくのも良い。数回、休みんだり週二回行ったり
したが。週一は無理?となら月一度から始める手もある。時間が無い? 
時間は作るもの。お金?同年代なら月4千円。居酒屋一回分も何とか? 
見た全てが80点以上で合格点で、90点以上なら、大いに満足である。 
見続けると楽しむコツが分かってくる。心を純白にして自分からシネマの物語に
世界に入ること。 そのための映画館である。
 年末年始に何が良いか?と聞かれたら、宇宙衛星モノ「ゼロ・グラビティ」。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のキュアロン監督が、宇宙空間に
投げ出されてしまった宇宙飛行士たちの極限的状況を最新VFXと3D技術を駆使
して描いたSFもの」。
 今年の53本のシネマのうち、印象に残ったものは『レ・ミゼラブル
『ライフ・オフ・パイ』『アルゴ』『ジャンゴ』『探偵はバーにいる』
『ローンレンジャー』『ホワイトハウス・ダウン』『スティーブ・ジョブス
キャプテン・フィリップス』『ゼロ・グラビティ』等々。百点満点はないが、
90〜95点。 こうして振返ると実に面白い。昨日は迷った挙句に
ハンガー・ゲーム』にしたが、ネットのシネマ評が芳しくない割に面白かった。
私は90点。去年37回、今年53回といえば、かなりのシネマファンだろう。
暇なだけだが・・この中で一つを選ぶのは無理。『レ・ミゼラブル』『ジャンゴ』
ホワイトハウス・ダウン』だが、『ゼロ・グラビティ』も捨てがたい。
この数年では、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』『2020』
アバター』が100点。 来週は『永遠の0』か。
・・・・・・
3929, 聯合艦隊司令長官 山本五十六
2011年12月28日(水)
 思い立って、「聯合艦隊司令長官山本五十六」を見てきた。
出身が長岡で、私の実家が戦前、元帥の自宅近くにあり、父親が度々伺って
書画などを書いて貰ったなどの話を聞いていた。実際に我が家には、二ぷくの
書画があり、私が受け継いでいる。最後は記念館に寄贈するか、子供に引き継ぐ
ことになる。既に亡くなったが、私が建てたビルの建設会社社長が元部下で、
熱狂的なファンだった。人を惹きつける人間的魅力があったようだ。
 ハワイ奇襲も、実際はアメリカに筒抜けで失敗だったことや、ミッドウェー惨敗
の内幕などを淡々と映し出していた。そのため、それほど暗い気持ちにはならない。 
家にある書を何度か眺めているが、豪胆な人物の書は心打つものがある。 
先日、日本橋で大学時代の同級会があったが、隣に座った男が元帥の大ファン。 
会社の転勤で三条市にいたおり、山本五十六の家を訪ねたことがあり、東京での
試写会に二度も見たという。それを聞けば、見にいかないわけにはいかない。 
 この重い?人物と海戦を、あっさりと映画にするとは驚きである。 
地元の人なら是非、見ておいて方がよい。「大勝利の報道で神様に祭り上げられ
ましたね」の冷かしに「神だったら、この戦はやりませんよ」という言葉が印象的。
 軍神というより、人間・山本五十六そのものを、浮かび上がらせていた。 
本人にとって敗戦の屈辱を味わう前に亡くなったのが良かったのか、悪かったのか。 
日本がアメリカによって、第二次大戦に誘導された節があるが、65年以上
経った現在も、軍事も、経済も、実質的占領下にある。その責任者の一人である
ことは歴然とした事実。それにしても、演じていた別所に山本五十六が乗移った
ように感じたのは私だけでないはず。珍しく観客が多かった。
それも80歳以上が・・・
・・・・・・
5766,「やさしさ」という技術
2016年12月28日(水)
        ー「やさしさ」という技術ーステファン・アインホルン(著),
   * 「やさしさ学」講座
 人間、究極に追いつめられると、やさしくなるのは実体験で身に浸みてて解る。
著者は、やさしさを善良という。その善良さは、「技術」で身につけることが
可能というが、どうだろう? 知性、教養?とも言いきれない。これは意識的に
磨き続けることが可能な技術… 「恒産あって恒心あり」で、物・心とも余裕が
なければならないか、追いつめられドン底にいればこそ、沸き上ってくる。
「やさしさ」こそ、正面に据えて考えてみる必要性がある。。
  〜amazonの内容紹介〜
≪ 人口900万人のスウェーデンで驚異の30万部突破!
 これが、北欧で社会現象となった世界初の「やさしさ学」講義。
なぜ、見返りを求めない行為があなたの得になるのか?
なぜ、「高い収入」や「名声」を求める人ほど幸福度がダウンするのか?
なぜ、多くの動物が「思いやり」や「やさしさ」を持っているのか?
 ノーベル賞の選考委員会を擁する世界トップ医大・カロリンスカ医科大学
「学生が選ぶ最優秀教授」にかがやいた名医が、わかりやすく、感動的に語る!
「死ぬ前に後悔しない人生」を確実に手に入れるための名講義。
◎やさしさは誰でも身につけることができる「技術」である
◎「高収入」「名声」を求める人ほど幸福度が低い
◎銀メダル選手より銅メダル選手のほうが満足度が高い
◎他人に目をかけられることは心身の健康に不可欠
◎他人を褒める人ほど出世する
◎衝突は百害あって一利なし
◎やさしさは個人にとっても社会にとっても大きな「得」をもたらす
 <「おはずかしい話ですが、私は生涯、 人類の行く末について考えてきた
 というのに、結局は“もう少し人にやさしくしなさい"という言葉よりも
 ましな助言を人に与えられないことがわかったのです」
       ―オルダス・ハクスリー(イギリスの哲学者・小説家)>
「お金持ちになる方法や、頭がよくなる方法、創造力や仕事のスキルを高める
方法について書かれた本はすでにたくさんある。だが、やさしさの技術を磨き、
よいことをして成功する方法について書かれているのは、本書以外にはないと思う。
一般的な通念では、やさしさとは「生まれもった資質・性格」であって、個人
の意思でコントロールできるものではない。だが本書を読んでもらえればわかる
とおり、これは正しくない。一部は親から受け継ぐものだが、やさしさという
のは、誰でも意識的に身につけることができ、しかも一生磨き続けることができる
「技術」なのだ。そしてこの技術こそが、人生で成功を収めるために、そして
この世界をより住みやすい場所に変えるために、もっとも重要な要素なのである。
さらに私が伝えたいのは、私たちは自己犠牲的な博愛主義者になる必要はなく、
利己的な動機から他人によい行いをしてもまったく問題はないということだ。
やさしさは、まちがいなくあなたの得になる。こう聞いて憤慨なさる方も
いらっしゃるかもしれないが、本書を読み終えるころには、みなさんにも納得
してもらえると私は信じている」   ――「はじめに」より ≫
―――
▼<もっとも持ちたいと思う資質は何か?と質問すると「知性」「創造力」
「仕事のスキル」「ユーモア」「裕福さ」(素材といえないかもしれない)… 
そして「善良さ」だ。すると、「九割以上の人が「善良さ」を選ぶのだ。 
この数字が如実に示しているように、人は莫大な富や卓越した知性よりも、
善良さのほうが大事と考えているのだ。」(p.014)
 私に「やさしさ」が最もあったのは、25・6歳の「金沢時代」。千葉の新興
住宅地の真ん中の商店街に千葉住宅供給公社の売出した格安商業地を確保。
売出し条件として二年半以内に建物を建てる条件があった。創業の初陣に最適
な材料だった。まだ時間の余裕があったので、金沢の当時、躍進していた、
「衣料量販チェーン」に伝手を頼って入社。しかし、預りの身もあって周囲の
目は冷たく甘さを徹底的に破壊された真暗闇の底。いずれ辞めていく、所詮は
よそ者には異常に厳しい空気があった。それ故に身近な人には、やさしくなる。 
 20歳代は一年一年が、大きな岐路に立たされ、迷いの真っ只中。そこで、
求めるのが読書の中で出会う様ざまな魂。それは極限の精神状態でこそ、
触れ合うことが出来る。とはいえ、合理的に身につけることが出来れば…
 意図的に目をそらしてきた、一番大切なことかもしれない。
・・・・・・
5401,自分史の書き方  ー?
2015年12月28日(月
         『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 人生を4つの軸で表現 〜山本和孝さんの年表
 小学校時代の恩師の西澤元正先生の『私の履歴書』が、手元にある。
以前、新潟駅前で経営していたホテルに泊まっていただき、古町を飲み
歩いた時の御礼の手紙に同封された8頁の小冊子。時系列の箇条書で、
時代ごとの主な出来事を加えた見事な履歴書である。これで、大筋の
先生の人生を垣間見ることが出来た。ここでは、年表にして分類すれば、
より明快になると導いている。これはこれで、シンプルでよい。
 〜その辺りから抜粋し、考えていく〜 
≪ 具体例を今度は自分史年表とともに紹介する。
 最初の例は、Yさん(当時62歳)法政大学を 1969年に卒業する前に、
林周二『流通革命』の影響を受け、流通業に身を投じた。
東光ストア(現在の東急ストア)に入社。企画調査部人事・雑貨部長など歴任。
湘南店長を経由して、取締役までつとめた。子会社の東光ドラッグの社長を
2年間つとめたところで退任。96ページの図に示すように、山本さんの年表
4つの軸から成り立っている。
・「その年毎の主な出来事」と
・「よのなかのヒト・コト」が、社会一般の出来事。
・「半径5m以内の人達」が、家族、先生、友人など個人的に深い
  関係にあった人々との間に起きた出来事。
・「私ごとですが」が、個人史のメモである。
このうちで「半径5M以内の人達」というのは、山本さん独特のカテゴリー
だが、面白いコンセプトだと思う。人間にはそれぞれの文化によって特有の
(あるいはその個人によって特有の)、「他者を許容できる近接距離」という
のがあって、その距離内に他者が近づこうとすると、思わず身を引いて、相手
との距離をその距離以上に保とうとするものである。反対に必要以上にその
距離をとろうとすると、人づきあい悪い、よそよそしい人間と見られたりする。
この距離感覚は、個々人によって、また生まれ育った文化によって、著しく
ちがうもので、それをテーマとして書かれた、文化人類学上有名な学術書
(エドワード・ホール『かくれた次元』みすず書房)もある。日本人は、挨拶を
するにしても、直接の肉体的接触を避けて、ちょっと離れて頭を下げあう程度
にするのが普通で、欧米人のように、互いに抱きついてバグしあったり、
頬ずりしあったり、接吻しあったりなどはしないのが普通だ。
 そういう文化圏において、5メートル以内というのは、どういう距離感かと
いうと、「顔認識、表情認識、ことばによるコミュニケーションが簡単に成立
する空間」といえるだろう。 幼稚園、小学校などでの「小教室的コミュニ
ケーション」が成立する空間といってもいいかもしれない。人間関係でいえば、
家族ないしは、「家族的親しみをもって接しあえる相手との共有空間」といった
感覚だろうか。第3章で詳しく述べる「人間関係クラスターマップ」を作るとき、
各時代で自分といちばん親しくしていた人間をまとめて入れておくべき
「最近接クラスター」の人々といってもいいかもしれない。どう名前を付ける
にせよ、どんな人にも、いつでも何でもしゃべりあえる仲の人がいるものだが、
そういう仲の人との共有空間といっていいだろう。山本さんの年表は、自分で
描いたイラストと、各種画像資料を駆使してのコラージュがなかなかうまく
できていて、簡略ながら、全体がよく見渡せて楽しめる年表になっている。≫
▼ 当時、私も林周二『流通革命』と、渥美俊一のシリーズ本の、
流通革命への道』を読んで、流通業に身を投じた一人。知っていたら当時
の流通業の現状を知っていたら間違いなく避けていたが、無知の強さか、
愚かさか?「面白かった!」とは、あと講釈でこそ言えること。
「お陰で幅広く玉石混合の社会を知ることになった」としか言いようが
ない世界。当時の流通業は、「未開の暗黒の大陸」「激流の世界」と言われ、
百貨店や、専門店が格上で、スーパーなど最低の業種と見られていた。
その激務は今から考えても想像を超えていて、思い出すのも憚れるほど。
 4分類の一つの「半径5M以内の人達」の切り口、「家族的親しみをもって
接しあえる相手との共有空間」の設定が面白い!

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

  今日ぐらい寒いと、早朝の起床はキツイが何とかパソコン前に座る。
 都道に、寒さと時間を忘れる… 




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3188, 3D映画の初体験の感想とは?
2009年12月27日(日)
 昨日の朝9時から、シネマで「アバター」を観てきた。
「3D=立体のシネマとは、どんなものか」の実感の感想を書いてみる。メガネに上に重ねたこともあり、
初めの30分は馴染めなかったが、馴れてくるにしたがい異空間に引き込まれいた。「映画の画面と、
自分の顔の間に映像空間ができた」というのが、未体験の人に説明するに分かりやすいだろう。
映画そのものが、画面から映像が飛び出して見える演出が計算されてつくられていて、自分が映画の空間の中に
入りこんでしまった感覚になり、緊迫感が数倍になってしまう。 ストーリーがなかなか面白く、想像を絶する
画面が次から次へと展開していく。 20世紀では考えも及ばない映画である。「2012」も、同じだったが、
自分がどっぷりと異空間に取り込まれてしまうのである。21世紀のバーチャルもここまできたかと感じいった。
所詮は、生きていること自体、夢・幻のバーチャルでしかないが・・・。
私がみたのは字幕版だったが、3Dに関しては字幕が見えずらい。 吹き替え版がお勧めである。これを
みても何とも感じない人もいるだろう。戦後、何も無いところから時系列で時代の変化をみてきたので、
こういうものに敏感になるのだろう。
今世紀に入ってから次から次へと、これまでとは違う世界がつきだされる。21世紀に生きているのである。
9・11テロ、9・15の金融危機、ブログの飛躍的普及、携帯電話の進化、アメリカの黒人大統領の誕生、
中国の経済発展。 日本では、自民党の壊滅など、思いもよらない現象が起きている。
この3D映画も、その一つである。 ドラッガーが40年前に「断絶の時代」がやってくる言っていた。
ソ連の崩壊、中国の文化革命、インターネットなどの情報革命、それと100年?数百年に一度の恐慌と、
怒涛のごとく日常にも押し寄せてくる。 この3D映画も、その一つだろう。面白いが、恐ろしい時代である。
 ーところで、家内は3Dが思っていたより大したことがなかった、という。 私とは受けとめ方が違う。
  私は、意識的に立体空間に入ろうと勤めていたのと、初めの30分の違和感に引きずられたからだろう。

 ・・・・・・・・
2823, 年初来、世界の株価は半減!
 2008年12月27日(土)
年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日、経済欄)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。これに国債や住宅ローンや
サブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、その損失は計り知れない。
 まずは、その記事である。 
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 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)の下落になっている。 9月半ば からの
金融危機と景気後退の深刻化で、世界の株式市場の株価が08年の1年間でほぼ半減する見通し。年初から
11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、市場からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった
 新興国の急落ぶりが激しい。 年間の下落率は02年の19.6%を超え、95年以来で最大で、対象の国
すべてがマイナスとなるのも初めて。  なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに
71.30%、インドが67.98%、中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。高い経済成長率で
投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が資金を一斉に引き揚げ始め、株価の大暴落。ちなみに、
ドイツ・フランス・ドイツは5~60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、アイルランドが69.86%)、
 ベルギー(同68.78%)で、調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の下落という。
 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から株価が低迷していた分、
 新興国と比べると下落率が小さいようだが、数年スパンでは同じと見ることもできる。
 来年も不安定な相場が続くだろう」とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
 ---
 これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて下落していたし、米国は一年前から
下落していた。その上に輸出立国のモデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃を受けることになる。これから
5年間は倒産の嵐になるのは必然。まずは、失業率が数年後に10~20%になる。これは数軒に一軒の家庭
に失業者が出ることになる。目先はカンフル剤的な資金投入で平穏を保つが、一時的なこと。かなり厳しい
管理体制になるだろう。
 ・アメリカから離れ、中国と組んでアジアのブロック圏をつくるか、
 ・これまで通りアメリカの隷属国家として、太平洋経済圏で生きるか、、
 ・アメリカも中国からも等しい距離をとり、真の独立国家を目指すか、である。
  この場合、憲法を変えて、原爆保持を宣言する。 現在の日本は、?の選択しか能力は無いだろうが・・・

・・・・・・・・・・
2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団
             ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。
中越十日町市の元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。
(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺の話を聞いていた)
当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。それが、応援団の暴行で学生が自殺。
その凄惨な内容が露見した。「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐めである。
学生時代に国士舘の応援団の虐めを山手線で目撃した友人の話が聞いたことがある。蝉と先輩らしき男がいうと、
下級生が手すりに掴まりミーンミーンと鳴いたとか、荷物置き場に上がり鶯の真似をさせられたとか公衆の面前で
暴力団まがいだったといいう。先年に亡くなった新潟の『夕陽コンサート』を立ち上げた男も応援団だったが・・・
応援団といえば、いつも校庭で屯していて別世界に閉じこもっているグループという印象が残っている。
また、その男はそうだった。地元の長岡高校に入ったとき、数ヶ月間、新入生は放課後、校歌の練習でしごかれる。
大声と丸めた新聞紙で殴りつけ恫喝をしながら、校歌を幾かつ憶えさせられたが、今でも恐怖と嫌悪感が残っている。 
プライドと伝統を植えつけるのに必要か?と、半分肯定、半分否定ではあるが・・・
大学では体育会系で一番ガラが悪く、暴力団紛いというのが応援団の印象であり、今回の問題は起こるべくして
起きた問題。下半身に熱湯をかけるなどがビデオに残されていたというから、解散は当然である。
それでも大相撲部屋から見れば甘いだろうが・・彼方此方のスポーツなど行事に一番前で見る機会が多いから
上級生になれば、良いだろうが、馬鹿製造集団でもある。馬鹿になることも必要だが、小馬鹿はこまる。
ーマイナーな話なので、可愛い話を一つ加えよう。近くの土手を散歩をしていたところ、小学校の運動会をしていた。
例年になく元気の良い紅白の応援団の声が聞える。よくみたら先輩と思しき中学生の応援団が数名ずつ、紅白に分かれ、
指揮をとっていた。さすがに低学年は別グループだったが、気合を中学生に入れられた小学生の姿が何とも初々しい。
                          ((´_`○)ノ ノヾィ♪         
・・・・・・・・
2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い -3
      (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
 ----
この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。
ここでは何度も取りあげてきたが、「タクシーの運転手の悲鳴」である。
飲み会の帰りに数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、
ほぼ同じ返事が返ってくる。<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで8万位稼いで、
子供1~2人で何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入ってくるからね~」である。
ホテルの前にタクシーが並んでいるので、その時々の景気状況や彼らの身近の話が入ってくる。
全国的に「固定給のベースが廃止され、完全歩合給制」が全国的に普及始めてきたという。新潟市も来年
四月から完全歩合制になるという。4年前に規制緩和を受けて、タクシー業界に多くの新規参入があった。
そのため業者間競争が激しくなり、各社一斉に増車をして収益確保に入り、各社には成果主義が導入された。
その一環が完全歩合給である。平均年収が300万弱と、全産業のそれより150万円も低い現状にある上に、
今度は最低賃金も保証されないのだという。運転手もお客という獲物を他の車より先に捉えるセンスが
要求される。そのセンスのあるとなしでは、収入が全く違ってくる。
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(字数の関係でカット、08年12月27日)
              ーつづく        ホンジャ(*^ワ^*)i
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2005年12月27日(火)
1729, 流通再編成
               (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
 これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
 これで国内でイオンと二大流通グループを構成することになる。アメリカのセブンイレブン本社も
 買収しているから、世界の流通として質からみても遜色ない流通グループになる。   ~~旦_(-ω-`。)
 イオン・グループはホームセンターやドラッグストアー、SMのマックスバリューや、デベロッパーのイオン
モールなど郊外型の小売業業態を多く持っており、セブン&アイにない一般消費者に向けて低価格を目指している。
 反面、駅前型GMS型の店舗のおおいセブン&アイは、その業態変更に大きなエネルギーを裂かなくてはならない
ハンデがある。果して、この統合がプラスかマイナスかは評価は違ってくる。 私の評価は、イオン有利と判断
するが、西武百貨店の購入金額が2000億は安い買物?ではある。百貨店では、まともな商品戦略を持って
いるのは「伊勢丹」だけというから、ヨーカ堂のシステムが入れば勝ち組に入る可能性もある。
 見ている分には面白いが、当事者は血みどろだろう。
                        (。・ω・)ノ ジャ! 
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2004年12月27日(月)
 1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院で手術をした時、
隣のベッドの人の話もM資金に似た話を父にしていた。「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
以前、潰れかかったミニゼネコンの社長から「M資金のルートがあるが、興味があるか?」と、
聞かれたことがあった。 のっけから相手にしてなかったので、相手は直ぐ諦めたが。
「検索」でM資金で検索して調べてみたら、面白い内容が次々と出てきた。
往年の二枚目俳優の田宮二郎も、騙され自殺をしていたことを初めて知った。
「M資金」は第二次大戦後に、日本に占領行政を行ったGHQ(連合国軍総司令部)の経済科学局長だった
マッカートの秘密資金と言われ、その頭文字からM資金といわれている。戦後の巨額詐欺事件で何度も登場
戦後50年以上に渡って現在も進行中の古典的詐欺である。「ある秘密資金があり、それを将来有望な貴社に
金利で融資したい。しかしその資金を運用する為には様々な事前工作の必要があるので、
その工作資金を支払っていただけないか?」といった類の詐欺話である。
50年以上にわたって被害が後を絶たないのは何故なのか?それは「ホントにM資金ってのがあるらしい…」
(字数の関係でカット、09年12月27日
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2003年12月27日(土)
997,「 私の死亡記事」-2
 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。そこで書きだしたが、そうは
書けないものだ。あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである宇宙から地球を見つめ、
地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、そして自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の
視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期の為、
いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を
五年近く従事する。実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて客室主体の「シングル専門ホテル」
を開業する。35歳の年であった。一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。その後、70室の客室
を500室まで新潟駅前で増やす。そのプロセスでリースバックを思いつくがバブルの時代に買い取り方式に
拘りすぎたようである。現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。  享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。
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2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆
という点である」そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。 よくこれだけの有名人が
真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を
当の本人が書くのだから。どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。生前の業績に対しては
意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
 -私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
 ただし身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2002年12月27日(金)
 623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく画面がきれいだ。明るくクッキリしている
のが良い。画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。会社のパソコンの入れ替えを利用して
2年に一度変えている。年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。今回もかなり迷ったあげく
画面の良さを優先した。それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。当たりであった。
画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも遠からじという感じがする。
あと二年経ったらもっと凄い内容になっているのは間違いがないだろう。
恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信できるのが売り出されるという。
5~6分のものを3本まで可能といっていた。 面白い時代だ!
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2001年12月27日(木)
 282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。必ずいるはずだと。山田太郎とか、
小林恵子とか言う名前の人は何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。
初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、それはおかしいと思い止めた。 
その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。
本人もびっくりしていた。 堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。
社長の名が堀井だった。鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男。
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ある時間の断片
12月27日  1968年
12時に起床する。 午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。
彼らに理想などあるものだろうか。この溝はもう埋められない。
-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。国会議員なら、もっと程度が??
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ーある時間の断片
12月26日  1968年
 11時起床。 午後から卒論のまとめ。ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだ。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。行くべき方向も見つけた。自分の長所も欠点も把握した。
そして自信もついた。これからはジャスコに入社、先ずはその中で組織にチャレンジをすることになる。
そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくてはならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
 両親を見てみるがよい。戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。私もここで社会に旅たつときが来た。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。その為には逆に自分の中に生きなくては
ならない。武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。私の中のそれを探し出して
いかなくてはならない。石川にしろ、外山にしろ、河村にしろ、それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。
もちろん自分にもそれに負けないものがあるはずである。 最近、「何故何故」という問いかけが、自分に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか。
 纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。  少し考えすぎだ。