* 年齢もあるが、気持ちは…
 大相撲も、千秋楽を待たずに鶴竜が優勝をした。予想外だったが、終わって
みればこんなもの。ファンの立場からいえば『白鵬が居なくとも、充実した場所』
というのが収穫だ。
『平成シゴロ(4・5・6年生まれ)』と勝手に命名したが、この辺りに有望な力士
が多い。他に思いついたのが、『平成のコロ(5・6)組』も。
その顔触れが幕内前半に出揃い始め、新旧入替りの時節になってきたようだ。
 それに焦った昭和モンゴル組が、起こした事件が、『貴ノ岩、殴打事件』。
コロ(5・6)チャン組に、いやに明かるい力士が多いと感じるのは若さのせいか。
天皇の御退位で年号が変わると、昭和生まれは、ますます肩身が狭くなりそう。
『花のサンパチ組』は、昭和38年生まれの力士らを指す。
  双羽黒光司(第60代横綱
  北勝海信芳(第61代横綱、現在の年寄八角
  小錦八十吉(現在はタレント)
  寺尾常史(現在の年寄錣山
  琴ヶ梅剛史(現在は相撲料理店経営)である。
この一群が十両から幕内上位に上がってくる頃に、多くの名場面が見られた。
相撲取りを大別に色分けすると、「外国勢」「大卒組」「中高卒、叩き上げ組」
に分けられ、これに年齢分別を横割りして「昭和組」と「平成組」も加えてよい。
――
 
 ラジオで、<「小春日和」を初春に使いそうだが、実は秋口の晴間に使う言葉>
と話していたが、その前日のブログで「小春日和の時節」と使ったばかりだった。
まあ、知らないことが実に多い。70歳を過ぎた頃から、日々、年齢の衰えを感じる。
とはいえ、SJの運動効果も実感している。酒さえ控えれば、体調は頗る良い。
ふと「介護年齢になった現在、何があっても受止める心の準備があるだろうか」
と思うことがある。
――

 昨日の早朝、長岡大橋から大手大橋の土手一周の自転車の初乗りをしてきた。
今年の走り初めである。 散歩からチャリ遊覧に切替えて10年目になる。まだ
寒さが残っているが… やはり気分は爽快だが、まだ日曜にしては人出は少ない。
早朝の、この文章作成時間は、これで一時間近く減少することになるが…。
精神面、肉体面で非常にプラス効果を直に実感できる。散歩を含めた早朝の運動、
40年間、続けているが、このお陰で何とか生命保持が出来ている。

・・・・・・
5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない
2015年03月26日(木)
  * つれづれに 〜ボンヤリしながら
はてな」のブログのアクセスが3月3日から、何故か5倍の1500に
増加した。不自然なので一時的と思っていたが、なかなか減らない。ところが、
数日前の連休から、以前の300前後に戻ってしまった。突然、増えた理由も、
減った理由も分からない。300でも多いと思っていたが、1500になった、
アクセスが20日近く減少しないので少し自信を持ちかけていたが・・
 内容からしたら、300でも、出来過ぎだが。14年近く、毎日2〜3時間
かけて、一日一文を書いてきたが、気がつけば、5000以上。自分のデータ
ベースを公開し、自己コントロールするため、どうしても、他者の目線を意識
をしてしまうが、こうともしないと5千日も続けられなかったことも確か!
 ところで、一昨日の早朝、一時間ほど早く起きて机に向かったため、ブログ
のアップも、一時間早く終わった。そこで、意識的にボンヤリとしてみた。
目の前の書棚の本や、図書館で借りてきた本を次々と流し読みをしたりしたが、
この何をするでもない時間が良い。午前中のネットサーフィンでも、この間
(ま)でするが・・  
  * オープン戦の原・巨人が変? 
 明日からプロ野球の開幕だが、パ・リーグは、ソフトバンクオリックス
セ・リーグは広島と巨人の前評判がよい。しかし、どうも巨人の原監督の
監督としての賞味期間が切れているのは確か。巨人というブランドの監督の
消耗度はただ事ではないはず。もう無理である。新監督は、江川か、桑田辺り
がベストと考えられるが、どうだろう! それにしても、あの戦力、他チーム
を圧倒している。それを賞味期限を終えた監督で勝てないゲームを観るのも、
味わいがあることも確か。三年期限で、江川監督、桑田ヘッドコーチにし、
その後、江川が退くシナリオ。何故か、誰も言わないのは何故だろう!
原に実績があるため? 
・・・・・・
4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
2014年03月26日(水)
              ーひと言でいいのですー吉川直美編
  * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外
に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る
に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験
する方が、しないで済んだ人より幸運? 悲哀さえ、知らず終えていくのも人生。 
 大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」の声が心底から
生じてくる  ーその辺りから!ー
《【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生の
 あらゆる分野で教えられる。挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し
合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばした
人はきぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが参加されていました。 
ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも
愛され、早くから神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに
心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、修道院長に
命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、
寄り添い寄り添われ、やがて十分泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り
戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。「私には人の
痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、
 最後の最後に、味わいの無い自分の人生に愕然。秘境旅行の参加者には、
そういった風な人が人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の
先生が、定年時に私に深刻に話したのは、このことだった。「定年になった
現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、
そこには自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま
生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。その怒りを周囲の挫折や悲哀
に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血
洗おうとする哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をした! 
自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。そのことを自覚できないのも
人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!
・・・・・・
5854,『私の「戦後70年談話」』〜 ?「満州ソ連軍の侵攻をうけて」
2017年03月26日(日)                                 
           『私の「戦後70年談話」』(2015、岩波書店
 北朝鮮の瀬戸際戦略、温厚なオバマには効果があっても、強硬派のトランプ
には逆効果に働き、情勢は悪化を辿ることになる。北の瀬戸際戦略は、中国に
とってはプラス効果。日本・韓国対北朝鮮の緊迫は、アメリカと中国のパペット
(指人形)そのもの。戦って消耗しようが、大国の指先のことでしかない。
第二次大戦の戦争被害者の戦中派からすれば、今の世相に底知れない危なさを
感じているのだろう。東北大震災の2万人の被害ではなく、日本人が300万人が
殺され、東南アジアで1000万人以上の被害者を出した戦争である。その最大の
被害者が戦中派。
  *「満州ソ連軍の侵攻をうけて」宝田明(俳優)1934年生
              (宝田明満州で敗戦をむかえた)
…(中略)まして国民だって当時洗脳されて浮かれていたとはいえ、
父や息子たちが戦争にとられて死んで帰ってくれば、お国のために死んで
よかったなんて人はいない、みんな心の中では泣いていたわけです。
…(中略)戦争なんて一握りの政治家が決定すれば、開始できてしまう。
国家の運命何て一握りの人間の誤った判断で変えられてしまうのです。
…(中略) 
 たかだか数人の内閣で集団的自衛権の行使容認を閣議決定したり、
今や海外で戦争をする国へと変わりつつあり憲法改正の動きも進んでいる。 
戦争を知らない政治家たちが、こういう決断をしてよいのか、と思わずには
いられないですね。
…(中略)どんなに国が大きくなっても、戦争を好む国というのは、
最終的には滅びます。人間が起こす大罪は戦争を起こすことです。
――
  * 「戦争を知らない大人たちへ」山田太一(脚本家、小説家)1934年生
(山田氏は、東京浅草で育ち、空襲ののち、立ち退きを命じられ、伊豆に移り
住む。そこで母がまもなく亡くなり、兄2人も戦時中と戦後まもなく亡くなる。)
…(略)戦争は始まってしまうと、どうにもならない。否応なしに殺しても
心が痛まない敵をつくり、こっちも殺されるから憎しみがこみ上げて、殺し殺され
になってしまう。戦後70年、日本が戦争をしなかったのは実にすばらしいことだ
と思う。幾多の偶然や力学が加わったにしてもこわれやすい宝物を手にして来た
ようなものだと思う。荒っぽく扱ってはいけない。政治家はどんな手を使っても
戦争は避けるべきで、その時はあれこれひどいこともいわれるかもしれないが、
時がたてばきっとよき選択とされると思う。それでも避けられない戦争はきっと
あるだろう。その日を総力をあげて先のばし先のばしする知恵のあるプライドの
日本でありたいと思う。
――
▼ 両親が明治生まれで、大正、昭和を生き、7人の兄と姉は戦中派。敗戦の
 半年後に生まれた私は団塊の世代の狭間で、非常に恵まれたスポットにあった。
父親が常々言っていたのは、『戦争体験は生きるか死ぬかの人生最大の試練。』
戦後70年の日本は、奇跡的経済成長の中で平和を享受してきたが、これも何時
壊れても不思議ではない。地震列島・日本も活動期に入ってしまった。
なにやしら、中国・北朝鮮と日米韓の情勢も雲行きが怪しくなってきている。
世界は歴史から学ぶ能力がないとは聞いていたが、どうも、本当らしい。
・・・・・・
5489,人生で最も大切な技術 ー34 瞑想の実践 
2016年03月26日(土)
      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 瞑想の実践 ー?
 スポーツジムのヨガに参加して、まる4年になる。ヨガは瞑想に合間にする、
足腰の鍛錬や呼吸法で、その目的は瞑想。当初の二年間は週2回、後半の2年間
は週4回、所要時間は45分。その最後の5分の「死者のポーズ」。大の字になり、
全身の力を抜いて、宇宙と一体化したイメージで横たわる。
 自宅で横になった半睡眠の状態との違いは、瞑想は、それらの一環で、
集団の一人として参加すること。夜半寝ている時に、この状況を頭に描くと、
似た感覚に簡単になれる。 ヨガは、生気を溢れさせてくれる。 
≪ * 瞑想を始めてみよう!
 自分を取り巻く環境がどうであれ、生気溢れた状態にさせる可能性は誰の
心の中にも必ず存在する。それは、愛情豊かな親切心、思いやり、心の平安
を体得する可能性のことで、あらゆる人の心に秘められたものである。
天然に転がる金塊と同じで、掘り当てられ、磨かれ、現実のものにされない
限り、価値が高まらない。こうした可能性を引き出し、強化育成することに
より、精神的な健全状態が一段と定着化するだろう。可能性を放りっぱなしに
していても強まることは期待できない。それは一種の技術とし習得しなければ
ならない。手始めとして、自分の心に習熟することから始めること。それこそ
が瞑想修行の第一歩なのである。まず、バランスのとれた無理のない姿勢で
静かに座ろう。座布団の上で足を交差させた蓮華座が無理なら、椅子に座って
も構わない。どちらの場合も、常に緊張のない程度に自然に背筋を伸ばした
姿勢をとることが大切である。手は膝または腿の上に置き、目は自然に前方に
置き、呼吸は自然にまかせる。心の中に、思考が浮かんでは消えるのを見つめ
ていよう。最初は、思考が消えるどころか、滝のように心の中に乱入してくる
かもしれない。その場合は、思考を停止させたり、逆に、焚きつけたりせずに、
浮かんでは消えていく様子をただ眺めているだけでいい。作業の終わりには、
次第に静寂になった心によってもたらされる温かみと喜びをしばらく味おう。≫
▼ 学生時代に座禅を知り、野狐禅としても、静かに座り、心の底から湧出る
 雑念を見つめる、もう一人の自分の影を見ていた。それが魂なのか、自分を
見つめる第二、第三の自分なのか? それは、誰も持っているはずだが・・ 
フッと思いたち、般若心経を呟いて没我の状態を瞑想と、どこが違うのか?  
・・・・・・
4392, 暴走老人!  −2
2013年03月26日(火)                
  * 待つことをめぐる考察 ー時間編  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば
「待つこと」で大半は占められている。列車を待つ、車内で目的地に着くのを
待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち
合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチでネットサーフィンやゲームを
していればば、別に喫茶店でなくてもよい。それは待つ喜びも失われたこと。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。
現在、そんな気持ちになることなど殆どない。主体的な待つのは良いが、
相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代はムダな時間を排除するのが
求められる。そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなり
つつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。そして定年や人員
カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られ
がちになる。それに苛立ちと焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した
発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨が
きて、試験があり、やっと夏休み、・・と長い日課が延々と続いた。それが、
今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されて
ないのに、思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために
生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。そこではマイナスの
フラッシュバックが次々と出てくる。 私たちは自分の時間割を帯グラフで
割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の
書き上げとアップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。
8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、帯グラフに従って一日を
こなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、
マシーンが介在する。どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人に
とって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、iPod、
パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及を
始めたので解消してきた。 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の
前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと
私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。それが本来の姿ではなかろうか。
生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つ
ことも大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。
「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
・・・・・・
4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、
   閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が10億だったので返済額20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、
   勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな
   右下がり、2001年の9・11テロから4年かけて売り上げが
   三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック
   以来、二年半で半減。11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 
   東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。破綻の直接原因は
   9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 
   東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、
   ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%
   の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)役員は、役員就任時に一度、
   退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 
   それも、半年後に売却。( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れる
   と思ってなく、慌てていた」。自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけた
   ビルは、売り出すと同時に即売。設計の中に売却前提で計画してあるため。
▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。三つの経済・自然災害
 が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、借金をしてする事業ではない。
そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネス
のあり方が変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになった。 
結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
 
 

 

つれづれに

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   今日のYoutube

 
 昨日から、例年より一週間か10日程早く、早朝のポタリング(チャリ散歩)に入った。
慣れるに一週間ほどかかるが、問題は腰。SJのヨガやエアロの御蔭でかなり良くなったが。
一時間のチャリは、腰に負担がかかる。その影響が連休明けに出てくる。


・・・・・・
3287, 人みな骨になるならば ー5
2010年03月26日(金)

 * ザインとゾルレン   
 ー まずは(P- 68)の「ザインとゾルレン」の一部分を抜粋する。 
・ザインはドイツ語で、「在る」とか「である」のことだから、抽象名詞として使うと
「そこに客観的に在るだけのもの」という意味になる。それが良いことか悪いことかを問わず、
 現実にあるんだもの、しょうがない、といったニュアンスの言葉。
「存在」と訳されるが、「現実」や「実態」と訳したほうがよいことも多い。
ゾルレンというのは、英語では助動詞に相当する。「べきである」「そうあらねばならない」
 といった意味で、抽象名詞としては「当為」と訳される。当為は訓読みすれば「まさになすべし」
 と読み下す。「そうあらねばならない性」、ひいては「本来はそうであるべき様態」のことである。
たとえば、当時の旧制高等学校生なら「親父が死んだので、ゾルレンとしてはすぐ故郷に帰へって家業
を継ぐべきだが、ザインとしてはここでこうして破帽のまま君たちと安酒を酌み交わしているわけさ」と
いった使い方をした。
 このように、ザインはゾルレンとともに用いられるのがほとんどだから、ザインというのは単に
現状というだけでなくゾルレンと対比される「ていたらく性」を帯びる。 本当はゾルレンである
べきなのに、現状はザインなのよ、といったところ。前節で挙げた唯骨論によると骸骨こそがザイン
の象徴である。 そんなものが、われわれの体内に鎮座しているというのは必ずしも歓迎すべきこと
ではない。若い美男美女であれば、なおさらのことである。だれしも一皮剥けば骸骨が現れることは
簡単に証明できる。 ただ最近は手術場を除いて、生きている人間にそんな残酷なことをあまり
しなくなっただけのことである。
ゾルレンとしては、万物の霊長にして神の似姿である。そんな人間の中心が骸骨にすぎないという
のは直視するにしのびがたい。いくらなんでも骸骨はあんまりだ。人間の中心には霊魂やクンダリニー
が宿っているべきである。 しかし、それはあくまでもゾルレンなのであって、あいにくとザイン
としてはやはり愛想のないことにおぞましくも骸骨しか存在していない。
ここで悟るべきである。ゾルレンというのは願望や想像、あるいは強制にしかすぎず、実証も提示
もできないものであることを。ゾルレンは信じることが出来ない対象であることを。これに対して
ザインは見ることも触ることもできるものである。
 ~~
 ザインが唯骨論の骨の存在で、ゾルレンは神の似相である、というのは言いえて妙である。
ゾルレンは願望や想像、あるいは強制に過ぎないと言うのも刺激的である。こうあるべきという
のも幻像の最たるもの。等々、著者の虚無の論も肯けるというより、優しく聞こえてくる。 
それも経験と年齢を重ねたためである。 閑吟抄の、チロリ チロリ チンチロリの
「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の虚無とは類似をしている。 
成すべき、などの建前より、今生の世は夢 と割り切り、狂ったように生きることこそ、
虚無を突きぬけた言葉である。。 
何をしても、成るようにしかならないのだから、目の前を精一杯、何かに打ち込むしかな
いということ。それも、捨て身で。それが狂うということ。 この二つを冷徹な目で、己に
対してみつめることだ。それが骨になったものの視線である。

 ・・・・・・・・・
2912,金を使うなら頭を使え!
2009年03月26日(木)
 榊原英資vs岩井克人の対談「金を使うなら頭を使え! 」
               ー新潮45ー09年2月号
 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。
既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということ
になる。
一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックス
なども倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入を
せざるを得なくなる。ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家
デフォルトしかないことになる。
 ーまずは要点を抜粋してみるー
榊原は、
・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、
 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。
アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した
 現在 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。
金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>
 金融危機の拡大というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。
・そろそろ日本は「買うシステム」を整理する時期に来ている。
 円高を志向して強い円は悲観すべきでないという考えにならなければならない。岩井は、
・1930年代の大恐慌と違うのは、ー各国の政府と中央政銀行が巨額な支援を行っている
 ことと ー各国中央銀行同士が国際協調を行っていることである。
 半面に、グローバル化のために、そのスピードが速くて各国が対応の遅れが出る
 可能性があることである。最無担保商品に対する保険の債権=CDSを持っているのが
 97パーセントが金融機関で、互いにリスクを持ち合っていた。それは落語の「花見酒」
 の世界で、宴たけなわで、いきなり去年の9月にリーマンが倒産。それにより、リスクが
 補償されていたはずの債権が突如にリスクが跳ね上がり、その価値が無くなってしまった。
 それが60兆ドル=6000兆円というから、世界のGDPのほぼ同じになってしまった。
・80年前の大恐慌と違うのは、もう一つ、社会主義の崩壊である。その時は社会主義
 夢を託した。その結果、国家社会主義とかいう妙な思想が台頭してしまった。
 ナチ、ファシズム軍国主義となって第二次世界大戦へとつながっていった。
 今回の危機では社会主義は選択肢にはならないというコンセンサスがある。ベルリン
 の壁と、ソ連邦の解体で、自由の抑圧が我われに何をもたらしたかを、多くの人は
 共通認識にしてしまった。人は自由を知ってしまったわけだから、もう資本主義しかない。
いかにボロでも、継をあてて守っていかなければいかない。
 資本主義は、自由の必然的な代償として、本質的な不安定を抱え込んでしまう。
 理想状態などありえずに、常にセカンドべストを目指すしかない。
  ーー
 以上だが、アメリカは「公共財ー橋や道路」が多く痛んでおり、内部投資をする余地がある。
 しかし日本はもう充分すぎる位に 公共投資に投入、財政破綻の状態で無理。その点では、
 中国もアメリカも早期の回復の可能性がある。これからは地方であり、それは第一次産業
 に入れると同義ということである。特に農業に対して衰退産業というレッテルを外すべき
 というのは、納得できる。
・・・・・・・・・
2548, 一神教vs多神教 ー2
2008年03月26日(水)
                (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って
見えるような気がするから不思議。この本は、一神教の批判本であり、多神教については、
あまり語られてはいない。そもそも、一神教は奴隷の宗教、迫害された人々の宗教である。
だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。
「なぜ多神教一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。
 ーまずは、その部分からー
多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられている
から、それが一神教を打破することはない。戦わないということはないが、自分の範囲
以上には自分の神々を広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、両方が
普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。共産主義一神教です。 ユダヤ教
キリスト教の改訂版です。一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教
出来てよいはずですが、発生しませんでした。ということは、一神教は、自らの普遍性を
主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、中近東の風土病ですね。
一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、
絶対にこうでなくてはならないと信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああ
でも、いいと思っている奴と喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。その結果、
一神教が世界を植民地化していったのである。
 ーー
一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということです。
世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。
 ーー
一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が
形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしているということです。
自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、
その場合の最大の難関は、その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうという
ことです。つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況におかれて
いるということなんです。人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、
クロマニョン人の世の中になってしまったという時点で、間違ってしまったじゃないか。
クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。
それ以前に、地球に人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。
人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。
 ーー
好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という
表現は言いえて妙。一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。
人類は癌というのは聞いてはいたが。また明治政府以降の天皇制について、
擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。
・・・・・・・・
2007年03月26日(月)
2183, --つれづれなるままに--
                   (~Q~;)  おはよう??ファ?
 ー大相撲についてー
大相撲は、初日と千秋楽が特に面白い!と随想日記で何度も書いてきた。
十両以下の優勝決定戦が千秋楽にあるのも楽しみの一つである。今場所は白鵬が優勝
をしたが、朝青龍との決勝決定戦で立ちあいで、飛んで叩いて勝ったためか、
後味の良くない終わり方をした。この数年は朝青龍時代である。白鵬横綱になって
「両横綱」という存在があってこそ面白くなる。相撲の日本での成り立ちは、神社への
奉納のための力自慢の演芸?である。朝鮮系ーモンゴル相撲が原点の可能性があるから、
神社は朝鮮系であるから、原点回帰になってきた。
 ー春がきたー
この時期は多くのスポーツが重なる時期で、何ともいえない熱気がある。
プロ野球のオープン戦と開幕、春の高校野球甲子園、大相撲の春場所
世界フィギア・スケート大会、サッカーの公式戦など連日おこなわれている。
これに卒業式、入社式と、進級、進学、そして桜の開花と初々しい光の日々となる。
昨日は庭の梅が一輪咲きだした。鴬は半月前から土手で幼い声で鳴いて梅の咲くのを
待っていた。いつ、庭で声を聴けるのだろうか。 春はやはり一年で一番良い時である。
 ー夢ー
数日前の夜半、うなされて呻き声を上げていたと、その翌日聞いた。
大した悩みは無いが、憶えている夢の内容は朝のモーニング・ページに克明に書いている。
そんな深刻な夢はみていないが!月に一度は魘されているという。ところで、昨夜半の夢
は、学生時代にいた寮の部屋にいて、そこに二人の知人が訪ねてきた。当時の知りあいでは
ない。他の人を訪ねてきたが、いないので私の部屋に上がる…という物語の夢がつづく…
 ー携帯電話ー
日本と外国との携帯電話では、利用目的が決定的に違うという。外国の携帯電話の目的は、
電話というコミ二ケーション手段であり、メールなどはあまり使わないという。現在、
携帯電話では外国製で圧倒されているが、数年もしないうちに日本の携帯電話が世界中を
圧倒する可能性があるという。日本の各社メーカーの狙いは、「携帯電話の小型パソコン化
で、それとユビキタス(電化製品に組み込まれたコンピュータ化)と、ネットで結ぶこと」
という。携帯電話関連で十八兆円に市場規模があり、そのシステム構築のプロジェクトが
多く進んでいるという。携帯電話を超小型パソコン化するのは日本の得意とするところ。
デジタル化は止まることはないから、日進月歩の進化は続くだろう。
人類20万年らいの大革命の時代!というが、決してオーバーな表現ではないようだ。
                   ☆~~ヾ・ェ・)oバイバイ!  
・・・・・・・
2006年03月26日(日)
1818, あちら側の世界-1
                   (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?        
 ウェブ進化論 ?1 ー読書日記
  ー概略編ー 
新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、買って読んでみてショックであった。
(ウェブの世界の深遠をみてしまった!ということで)私のような門外漢でも理解できる
内容がよい。読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。という
よりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索
を使っているから、なおのこと理解できたのだろう。そして、5年間このHPを維持してから。
そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。キーワードが現代のお金で、検索の
向こうが現金引き出し機か、何でもでてくる自販機、という譬えの世界である。ウェブの
とてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。ー資料をGooglの検索で集め、
まとめてみた。ほぼ、この本の概要の7?8割は把握できるだろう。(このプロセスで、
この本を2?3回読んだ効果はあったが。本そのものの読み方もキーワードを検索を
しながら読むと、理解が早く深くなる。それより、やはり買って読んだほうがよいが。)
ー私の感想文というカタチにしたー
   ーー                  (。・・)_且~~ お茶       
                 
ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないがその利用者として、
驚きの毎日を過ごしている此方側の自分が、著者としての当事者のアチラを含めたウェブ
の世界を鳥瞰している内容である。ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな
視点で、Webの進化がもたらす影響を論じている。
(字数の関係でカット2008年03月25日)      ー つづく
  ーーーー
ウェブ進化論 」?本当の大変化はこれから始まる
   ちくま新書 ?梅田 望夫 (著)   サラバジャ?  ゝ(-_- )
・・・・・・
2005年03月26日(土)
1453, おどろき、そして感動
「考えるにはどうしたらよいですか?」という純朴な問いかけがある。この問いかけに
対して、いずれの哲学書にも「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。何でも
ないことの中にも新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。驚きは、そのまま感動
につながる。その感動が人生を動かす。仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。歳を重ねると、多くのことを経験
しすぎて驚きが少なくなる。しかし、歳をとって解ったことは「驚きが桁違いに多くなった」
ことである。知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。驚くということは、
未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに衝撃を覚えるということだ。それと未知なる
が故の不意打ちが驚きになる。 そして、それが考えにつながっていく。無能の人は、
何を見ても聞いても驚かない。驚く素養がないのだ。いや思い込みというバカの壁が取り
囲んでいる。破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。隣の太鼓の音にもよい太鼓
は響くが破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。驚きには、その皮の張りが必要である。
世界を旅をすると、驚きに満ちている。そして、その深い世界に感動をする。こんな世界が
あったのかと、内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。そして対象にのめり
こんでいく。人間は感情の動物といわれる。たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。
人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。感情は
・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから成り立っている。
他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。希望はー>喜び+欲求 ねたみ
ー>愛+悲しみこの感情の中で「おどろき」は一番の根本にある。未知なものに不意に直面
した時に、こころは変容する。その変容の状態そのものが「おどろき」である。おどろいて
呆然と立ちすくむ状態である。おどろきは、最も原始的な感動である。おどろきは未知な
ものが現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。正も反(喜びに対して悲しみ)
の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、説明できる必要性が出てくる。
おどろきは未知に対する無知に気づき、知的探求を刺激する。あるイベントの会場で
BOSEのコンポを聴いた時に思わず立ちすくんでしまった。聴いたことのないような音響
におどろき、何回か足を運んで聴きなおした。こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえて
くるのか不思議でたまらなかった。そこで係り員から説明を聞いた。パンフレットを見て、
その原理を知って、知人から情報を得て、インターネットで検索をして、購入に至った。
会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。そして、なぜ、どうして?
そこで、その理由を探していった。昨日も早速、音楽に対する本を二冊買ってきた。
三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシクの名盤」である。一流なものに接して
感動と驚きをシャワーのように浴びなくてはならないのだ。以前にも書いたが、親は
子供に感動とおどろきをシャワーのように与えなくてはならない。躾と、最高のものを
知らしめることが家庭教育の基本である。おどろきを得るためには、3C-チェンジ、
チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。挑戦しろ、変化しろ、戦えである。
・・・・・・・・
2004年03月26日(金)
1088, 商売人
「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。
ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。
・東京商人は大阪商人に比べたら子供  ・大阪商人は中国商人に比べたら赤子
・中国商人はインパキ(インド・パキスタン)に掛かったら、それ以下
・そのインパキもレバシリ(レバノン・シリア)に掛かったら、問題外という。
もしそうなら、世界一金持ちのはずだが、ここで言う商売人は小商人を言うのだろう。
そのレバシリもユダヤ人に掛かったら、馬鹿なアラブ人でしかないのだ。
ツアーで一番多く現地人と接しる場面といえば、市場などの商売人である。
そして、そこで安物の高値つかみをさせられる。まあ、それが面白いのだが。
商売人といえば、日本でも士農工商というほど一番下に位置づけられていた。
安く買ってきて高く売るのだから、胡散臭さや怪しさがつきまとう。
男はつらいよ」の寅さんもテキヤという路上商売人である。瞬間芸でお客を
騙してお金を稼ぐ仕事である。第三次産業といえば流通・サービス業である。
人の集まるところに、その機能が必要とされる。初めは、自然発生のハエみたいなもの。
しかし、その時代にそったニーズを一番敏感に感じ取るのが彼ら。現在、日本が変になって
いるのは、商売人の強さを失っているいるためだ。これも他人事ではない自戒のことである。