羽田空港→伊丹空港(447.4km)

羽田空港に到着したのは18:37頃。出発ロビーはさほど込み合っておらず、手荷物検査場を通過してラウンジに入る。ビールを飲みながら、メールチェックなど。

羽田19:20発の大阪伊丹行きNH41便に乗る。ほぼ定刻にドアクローズするが、なかなかプッシュバックしない。19:29になって、やっとプッシュバックを開始するが、エプロンを南に向かってどんどん下がっていく。離着陸機で混雑しているため、離陸まで時間がかかる旨が放送される。

結局離陸したのは19:55頃。8割を切るぐらいの搭乗率なので、上昇は早い。満席の767といい勝負である。

伊丹空港には20:33に着陸。20時を回っているのでアイドルリバースとディスクブレーキのみで減速していくので、着陸滑走距離が長い。w9から離脱する。10番スポット到着は20:36。

穂高→松本(16.2km)

今日は昨日の代休である。6:40頃に目が覚める。起床したのは7:10頃。シャワーを浴びて、ネットで副都心線の下調べなどをするが、ATOの不調以外にもいろいろと問題があるようである。なんだかんだやっているうちに遅くなり、7:55にチェックアウトする。駅近くの穂高神社に寄ろうかと思っていたが、時間が間に合わないので今回はパスにする。今年の夏、常念岳に登ろうと思っているので、その時に寄ろうと思う。

穂高8:12発の松本行きに乗る。115系3両編成であるが、結構な乗り具合である。信濃大町以北のローカルムードとかなり雰囲気が異なる。車端部のロングシートを確保する。各駅から通勤・通学客が乗り込んでくる。豊科である程度の乗客の入れ替わりがある。南豊科で大量の下車があるのだが、近くにあるのは高校なのか大学なのかそれとも動物園なのか、よくわからない客層である。一日市場で行き違い待ちだが、対向列車が4分ほど遅れているとかで、しばらく停車する。終点の松本には3分遅れで到着する。

松本駅へ来るのは久々である。神奈川に住んでいた頃は、上高地へ行くのに八王子からスーパーあずさに乗り、松本で松本電鉄に乗り換えていた。その時以来のような気がする。関西に戻ってきてからは、車で松本駅前まできたことが1回ある。橋上駅舎化工事が完成して、だいぶきれいになった。これぐらいのものができるなら、橋上駅舎も悪くないかな、と思う。松本駅で一旦途中下車し、みどりの窓口横にあるMV端末で、えきねっとで予約した切符を受け取る。

松本→長野(62.7km)

松本9:07発のしなの1号長野行きに乗る。JR倒壊の373系である。到着が若干遅れ、9:09に発車する。進行方向右側に席を確保する。長野支社管内の幹線で、篠ノ井線だけが未乗のまま残っていたのだが、これでやっと乗り潰すことができる。

明科を出て長いトンネルを抜ける。西条で速度が大幅低下するので、行き違い待ちか、と思うが出発側のポイントが制限45km/hの模様。常念岳等は見えなくなったが、変わって後立山連峰が見えてくる。相当標高の高い所を走っているようだ。次の坂北は12番両開きポイントを亘って到着する。ここで名古屋行きしなのと行き違いをする。

聖高原の横には長野自動車道が平行している。長野道も線形が悪い。聖高原を出ると速度が下がる。てっきり踏切のしゃ断かん折損かと思っていたが、どうも閉塞信号機が注意信号だったようだ。冠着駅には対向の115系が停車していた。冠着を過ぎると、すぐに峠越えのトンネルになる。

峠を越えると、姥捨となる。姥捨付近からは、善光寺平が一望できる。

稲荷山でも対向列車と行き違いをする。特急運転線区だというのもあるのだが、部分複線区間が欲しくなるところである。稲荷山を出ると、善光寺平の田園地帯が広がる。

篠ノ井から先は、長野新幹線開通前に特急白山(上野→長野→金沢)で乗ったことがある。篠ノ井は機関区なども併設され、大きな駅である。この駅を手放したくないという意向が、しなの鉄道設立時にあったのではないかと思う。篠ノ井には9:52に到着する。篠ノ井を出て、やっと速度が上がる。線路保守はそれなりに力が入れられているように思う。あまり揺れない。同じ信越本線直江津犀潟間とえらい違いである。長野駅には、1分遅れの10:01に到着する。あまり乗り換え時間が無いので、改札口へと急ぐ。

長野→大宮→池袋→新宿(220.4km)

長野10:08発のあさま518号に乗る。この列車は途中停車駅が大宮だけの速達形である。JR東日本の新幹線は、パターンが一定しないので非常に乗りにくい。東北系統はさすがに整理されたが、上越・長野系統はあいかわらず列車によって所用時間が違いすぎる。

E2系に乗るが、車両のできの悪さはさすがJR東日本だな、と思う。JR東日本の通勤電車は、いろいろな意図があってこうしているんだろうな、というのが感じられる部分があるのだが、特急列車はすべて出来が悪い。

10:30頃、軽井沢駅を通過。通過線に柵が無いので、70信号を受けてゆっくり通過する。将来の北陸方面延伸を考えると、2面6線ぐらいの線形は必要だったと思われる。

大宮11:15発の湘南新宿ライン逗子行きに乗る。池袋で下車して、副都心線に乗り換える。JRから副都心線への乗り換えはあまり近くない。

副都心線、ネットでも報告されているようにATOにいろいろと問題が多い。停止位置制御がうまくいかず、停止位置修正が多発しているとか。確かに、このATOの制御は馬鹿である。東新宿を出た後、ガッと加速してあれあれーと思っていると、ブレーキを少しだけかけて分岐器を亘る。オーバーシュートが出ているような、変な制御である。閑散時間帯でこんなアホな制御なのだから、ラッシュ時はどんな酷いことになっているのだろうか。

渋谷駅に到着すると、ホームに東急の社員がいてあれ、っと思った。半蔵門線渋谷駅は東急管理に変更になったのだが、副都心線も東急管理のようだ。東横線直通用の線路が中央に2線用意されており、その上を渡れるようにホームが続いている。上下線分離直後の御堂筋線梅田駅を思い出す。

半蔵門線渋谷へ行くと、こちらは相変わらずせまっ苦しくて人であふれている。半蔵門線中ほどの階段を降りると、短い距離で副都心線へ乗り換えられる。この乗り換え経路の新設によって、東急田園都市線最大の難所である渋谷の混雑は若干緩和されるのではないかと思う。が、東横線副都心線に乗り入れると、どうだろうか。東横から表参道・麹町方面へ行く旅客が半蔵門線ホームになだれ込んでくると、それはそれで困った事態になりそうだ。

写真撮影などをした後、新宿へ向かう。当初は山手線に乗り換えて行こうと思っていたが、副都心線で新宿3丁目へ行き、そこで丸の内線に乗り換えて見る。新宿3丁目の乗り換え距離は短く、ホーム同士が直結しているので便利。田都沿線から新宿へ向かう場合などは、山手にがんばって乗り換えるより、副都心線→丸の内線or大江戸線の方が便利かもしれない。まあ、ダイヤどおりに走ればの話だが。

丸の内線新宿駅の改札を出て、あるでん亭へ向かう。到着したのは12:35頃。店の外に2人が待っている。店先には、小麦価格高騰により7/1から値上げする旨が掲示されている。ここに来るのは久しぶりである。前回は3/14で、その前は昨年12/30である。何をたべるか悩むが、きのことベーコンの大盛りにする。混雑していたので料理が出てきた時には13時を回っており、13:15に食べ終わると大急ぎで会計を済ませて、目的地へと向かう。

13:30からセミナーなど。知っている人も何人か来ている。直接今の仕事には影響しないが、将来のために情報は収集しておくべきだろう。質問のタイミングを逃すが、まあ、来年あたりにもうちょっと詳しく突っ込んで聞いて見ることにする。終了したのは17:00。

新宿→秋葉原→羽田空港

新宿駅へ急ぎ足で戻り、秋葉原へと向かう。中央快速線はこの時間、もう混雑し始めている。御茶ノ水総武線各駅停車に乗り、秋葉原で下車する。秋葉原駅の改札口には、「歩行者天国は当分の間中止します 万世橋警察署」という看板が出ているが、駅前はいたって平静である。駅前ではメイドさんがビラを配っていたりするし、騒がしい、いつもの駅前である。

私が秋葉原へ初めてきたのは、平成元年の4月2日である。小学校を卒業して、春休みにどこか遠くへ行くか、ということで、一人で大垣夜行に乗って東京へやってきた。杉並区の親戚や交通博物館や東京タワーなどへ行った。当時の秋葉原は、無線ブームなどが終わって主役がマイコン→パソコンに移り変わるころであった。その後、Windows95のブームがあり、PC-AT互換機による自作PCブームがあってPCパーツ屋が乱立し、昨今は「萌え」が流行なのか。いずれにせよ、秋葉原は戦後ずっと、オタクの街であった。学生時代に東京へ来た時には必ず立ち寄っていたし、神奈川に住んでいた時には休日出勤を早めに切り上げてよくやってきた。東京で一番なじみのある場所、と言ってもいいだろう。

それだけに、7人もの人が殺される凶行の舞台となったことの衝撃と悲しみは、大きいものがある。当日の日記にも書いたが、私が被害者になっていた可能性も十分あったと思う。

神田明神通りとの交差点まで行く。ここが犯行現場なわけであるが、街の風景は以前と何も変わらない。通りを渡って、しばし交差点などを眺める。傍ではソフマップの店員が呼び込みをしながらビラを配っている。この位置から10mも離れていない場所で、多くの人が亡くなった痕跡は、都会の喧騒にかきけされてしまっている。手を合わせて祈る。公的にやるなら、無宗教な黙祷がいいだろうが、私は敬虔な仏教徒である。極めて私的に、祈りをささげさせて頂く。都会の騒音が聞こえなくなる。死者との深い断絶と、無念を感じる。

通りを渡ると、日通秋葉原支店跡の前の歩道に献花台が設けてあった。千代田区が設置したもののようだ。花や千羽鶴、多くの飲み物が捧げられている。花は用意してきていなかったので、近くの自販機でジョージアMAXコーヒーを買い、哀悼の意を表する。誰かが置いたであろう、ノートが設置されている。ちゃんと、表紙には転載・引用を禁ずる旨が書いてある。中には多くの人の思いがかかれている。4行ほど、書いて見る。

あまり今日は買い物をする気がなかったのだが、ここに来るまでは秋月には寄ろうと思っていた。だが、実際にここへきてみると、とても買い物をする気にはなれない。まっすぐに帰ることにする。途中に、犯人が取り押さえられた廣瀬ビル北側の路地がある。交差点からここまで、走れば10秒ほどであろうか。交差点で人を跳ねてから取り押さえられるまで2分ぐらいしかなかったらしい。こんなテロ行為は、防ぐのは不可能だ。ダガーナイフを規制してみても、歩行者天国を廃止しても、気休めにもならない。いまそこに、そういう危険がある事実を直視し続けなければならないのだろう。


山手線に乗り、浜松町で東京モノレールに乗り換えて羽田空港へ向かう。