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◆ 文化と社会の交点から見えてくる歴史 ◇

2018-01-11

世界史 こんな「考える授業」をしてみました ─擲┣茵航海日誌・音楽で考える大西洋奴隷貿易】

★今回は、「考える授業」のための「教材の工夫」がメインになっています。

★教科書と図表を使うことで精一杯の場合もあるかと思いますが、少し「教材の工夫」をすることで、生徒たちの取り組みが違ってきます。

★今回の授業は、絵画史料と世界史上の出来事を結びつけ、文字史料と音楽で考えを深めるというかたちをとっています。

★使用した絵画・航海日誌・音楽は、次の通りです。

 〇絵画:ターナー「奴隷船」(1840)
 〇奴隷船船長ジョン・ニュートンの「航海日誌」(1751)
 〇音楽:「アメイジング・グレイス」(歌詞、楽譜、CD)

 ※申し訳ありません。本ブログでは、画像は使用していません。

★「19世紀イギリス自由主義的改革」の最初の授業で行いました。

 ※学習したばかりの大西洋三角貿易を確認しながら、奴隷貿易の禁止(1807)と奴隷制廃止(1833)に重点をおいて理解するためです。

★今回の授業は、50分は必要です。考える時間のとり方、説明のし方によっては、60分以上かかるかも知れません。その場合は、【まとめ】を次時の最初に行います。

★授業の流れを、やや詳しく紹介してみます。


【導入】

◆「19世紀のイギリスの自由主義的改革」に入ることを話してから、ターナーの絵を提示します(タイトルは伏せています)。

 ※パワーポイントなどで提示するほか、各自に配布するプリントもあればいいと思います。

教師「これは、イギリスのターナーという画家が1840年に描いた絵です。(少し見てもらってから)なかなか印象的な絵なのですが、これはどんな様子を描いた絵だと思いますか? よく見て、考えてみてください。」

 ※生徒各自が考える、周りの生徒と話し合う、グループ単位で話し合うなど、方法はいくつかあります。

 ※10分ぐらい考えてもらった後、何人かに発表してもらいます。


【展開1】

◆教師「いろんな意見が出ましたね。なかなか鋭い見方もありました。もう少し考えを深めてもらうために、ヒントを出します。まず、この船は、漁船ではありません。もう少し考えてみてください。」

 ※数分後、二つ目のヒントを出します。
 
◆教師「じゃあ、二つ目のヒントです。これは、決定的なヒントですよ。この海は、バルト海とか北海とか地中海ではなくて、大西洋です。」

 ※、再び話し合いと発表をしてもらった後、絵のタイトルを教え、ターナーが『奴隷貿易廃止史』という本を読んで衝撃受け、描いたことを説明します。

 ※既習の大西洋三角貿易の概略を確認します。

◆教師「もう一度絵に戻ります。さっき発表にもありましたが、ここに描かれているのは、人間の足ですね。魚が集まってきています。それから、こっちも見てください、ちょっとわかりにくいんですが、海面に手が出ていますね。これはどういうことなんでしょう? (間をおいて)これは、嵐のため間違って船から落ちた人ではないんです。どういう状態の人だと思いますか? 奴隷貿易ですからね。」

 ※意見を出してもらった後、航海の途中(約40日間)、死んだ奴隷は海に捨てられたこと、船長によっては弱った奴隷も捨てたことを話します。


【展開2】

◆史料(ジョン・ニュートンの航海日誌)を配布します。解説を加え、奴隷船の実態を知ってもらいます。

 ※次のような資料です。実際に配布するのは、もう少し詳しいものです。

  「5月23日木曜日 男の奴隷死す(第34番)
   5月29日水曜日 少年の奴隷、赤痢で死す(第86番)」

 ※ジョン・ニュートンの航海日誌は、『世界の教科書シリーズ34 イギリスの歴史(イギリス中学校歴史教科書)』[明石書店]から使わせていただいています。


【まとめ】

◆教師『最後に、ある歌を紹介します。みなさん、聞いたことがあると思います。とても有名な曲ですから。聞いてもらう前に、ちょっと説明しますね。歌詞を書いたのは、ジョン・ニュートンという人です。そうです。さっきの航海日誌を書いた奴隷船船長です。彼は、若い頃、奴隷を運ぶという仕事をしていました。そのことを後悔して書いた詩です。自分の今までの人生を悔いて、牧師になる修行をしていた時に書いたそうです。18世紀の後半のことです。メロディーの由来は、はっきりわかっていません。イングランド民謡か、スコットランド民謡かも知れません。その曲とは……、誰かわかりますか? ……その曲とは、「アメイジング・グレイス」です。』

 ※楽譜と歌詞(対訳)を配布します。歌詞を読んでもらった後、CDを聞きます。今回は、イギリスの歌手サラ・ブライトマンの歌で聞いてもらいました。

◆奴隷貿易の禁止(1807)を取り上げ、ウィルバーフォースが尽力したこと、「アメイジング・グレイス」も間接的に影響したことを説明します。また、奴隷制そのものの廃止はやや遅れたこと(1833)を話します。このような改革の後に、ターナーの絵が描かれたことを付け加え、授業を終了します。

◆私は行いませんでしたが、生徒たちに感想をまとめてもらうことも必要かも知れません。


☆「イギリスの自由主義的改革」の授業では、審査法廃止から入ることが多いと思います。奴隷貿易の禁止を取り上げる方は、少ないかも知れません。しかし、これはきわめて重要な改革です。また、この歴史をきちんと踏まえないと、アメリカ合衆国の19世紀も理解が不十分になります。

 

2018-01-03

★ロシア革命とは何だったか<4つ見方と池田嘉郎『ロシア革命』>

◆昨年(2017年)は、ロシア革命からちょうど100年という年でした。

◆日本では(世界でも?)、それほど大きくは取り上げられなかったと思います。新聞紙上では、10月に若干の特集記事が見られました。雑誌では「現代思想」が、力の入った特集を10月号で組んでいました。

◆いま、ロシア革命をどう見たらいいのでしょうか?

◆ロシア革命の見方について、私なりに整理してみました(素人の覚え書き程度のものですが)。

◆ロシア革命に対する見方は、現在まで大きく4つあったのではないかと考えています。


ロシア革命への4つの見方

 A 平等な社会を目指した、史上初の社会主義革命として、高く評価する。

 B 自由な経済活動を前提とする資本主義の擁護の立場から、否定的にとらえる。

 C 十月革命を高く評価しながら、スターリンなどによって社会主義が変質させられたとする。

 D レーニンをも相対化しつつ、自由や民主主義観点から、批判的にとらえ返す。

   ―酬邀很拭狙鏤共産主義の時期から専制が始まったとする。

  ◆二月革命から臨時政府の時期を詳しく検討し、現代的な課題を明らかにする。


4つの見方を検討してみると

◆ロシア革命の評価は、戦間期冷戦期を中心に、大きくAとBに分かれました。

◆ただ冷戦期から、Cの見方もしだいに広がっていきました。きっかけは、1956年の、フルシチョフによるスターリン批判でした。トロツキーも、当然ですが、典型的なCの見方です。

◆スターリンによる大粛清が明らかになり、ハンガリー事件(1956)、チェコ事件(1968)などを目の当たりにした人々から、D,慮方が出てきたと思います。たとえば、松田道雄編『ドキュメント現代史1 ロシア革命』(平凡社、1972)は、そのような見方で編集されていました。今となっては、貴重な資料集です。

◆D△蓮∈鯒出版された、池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』(岩波新書)に代表される見方です。

◆C・Dの見方には、「全体主義」論も影響を与えたと思われます。ファシズムとスターリン体制を同質とする見方で、ハンナ・アーレントがこの見方を代表しています。

東欧社会主義圏の崩壊(1989)、ソ連の解体(1991)という歴史的な出来事の後、AやCの見方は後景に退きました。それに伴い、Bも特に主張されなくなりました。

◆現在は、さまざまのヴァリエーションを持ちながらも、Dの見方が一般的なのだと思います。


池田嘉郎『ロシア革命』について

◆池田嘉郎の『ロシア革命』は、とても参考になりました。ただ、釈然としないものが、読後に残りました。

◆従来の本とは違い、二月革命後の臨時政府に焦点を当てています。ボリシェヴィキ中心のロシア革命史からは完全に脱しています。しかし、レーニンの位置づけは、あの程度でいいのでしょうか? 揶揄的な人物評も、気になりました。

カデットとその周辺の人たち、ケレンスキーなどはよく描かれています。この点が新しいのですが、それが弱点にもなっていると思います。ロシア革命の全体像を描くというよりも、臨時政府に関わった人々を哀悼する本になってしまったような気がするのです。

◆残念ながら、叙述の中から、当時の労働者農民のすがたが浮かび上がってくることはありませんでした。このことは、ロシア革命史としては、致命的なように思われます。

◆意外なことに、日本では、一般向けのしっかりしたロシア革命本がほとんどありません。池田嘉郎とは別の視点からの、良質なロシア革命概説書が出版されることを望んだいます。

2017-12-17

世界史 こんな「考える授業」をしてみました А據屮ぅ鵐鼻瓮茵璽蹈奪儻譟廚肇ぅリスのインド進出】

■毎年、オリエントの授業で、予備校の生徒たち(浪人生)に尋ねています。

 「インド=ヨーロッパ語系っていう語が出てきた時、なんか変な感じしなかった?」

 年度によって多少違いますが、3分の2の生徒は「変な感じがした」ということでした。

 「何が変だと思ったの?」ときいてみます。

 ある生徒は、「インドとヨーロッパが結びついてるのが……」と答えました。

 何も感じなかったという生徒たちも、「そういえば、そうだな」という顔をしていました。

■授業のスピードが速いためもあるのでしょう、率直な「変な感じ」は忘れられていきます。

■しかし、この「変な感じ」は大切です。授業では、高校の時の「変な感じ」を思い出してもらいながら、「なぜインド=ヨーロッパ語という言葉が生まれたのか」を考えています。


【問】

 「どうして、インドという語とヨーロッパという語が結びついて、一つの語になったのでしょう?」

 ◆こういう問いに慣れていない生徒たちは、戸惑います。

 ◆そこで、ヒントを出します。

 「じゃ、ヒントを出します。そこには、イギリスが関係しています。イギリスが、イギリス人が関係して、この語が生まれました。」

 ◆考える時間をとります。年度によって答えが出ない時もありますが、おおむね生徒たちは今までの知識を動員しながら答えを出そうとします。

 ◆「イギリスによるインド支配と関係があるみたい」というところまで考えられれば、解説に入っています。


【解答例と解説】

 ◆解答例の提示と解説は、上記の問いに続けて行った年と、疑問を大切に残したまま「イギリスによるインドの植民地化」で行った年があります。どちらがいいかは難しいのですが、後者のほうがベターかなと思っています。

 ◇解答例◇

 ≪プラッシーの戦い(1757)以降、イギリス(東インド会社)による植民地化が本格的に始まり、多くのイギリス人がインドへ赴いた。その中で、裁判所判事として赴任したウィリアム=ジョーンズが、サンスクリット語とヨーロッパ諸語との共通性を発見した。18世紀末のことである。そこから、インド=ヨーロッパ語という概念が成立していった。≫

 ◆以上のことを理解してもらうために、サンスクリット語とヨーロッパ諸語の共通性がわかるプリントを用意しています。

 ◆プリントは、山崎利夫『悠久のインド』[ビジュアル版世界の歴史4、講談社]の41ページをもとに作らせていただいています。少し古い本ですが、インド=ヨーロッパ語という語をつくり出したウィリアム=ジョーンズについて、適切な説明が載っています。(図書館にはありますので、ぜひご覧ください。)

 ◆ウィリアム=ジョーンズがカルカッタでサンスクリット語を学び始めたのは、1783年のことでした。授業では、マイソール戦争やマラーター戦争の頃であったことを知らせています。それにしても、イギリス人の知的関心の旺盛さには、驚かされます。

 ◆「植民地化の中での比較言語学の誕生」でこのテーマをまとめています。植民地化を肯定しないように気を付けながら、歴史の多面性を知ってもらうように努めています。

 ◆なお、カーリダーサの『シャクンタラー』を初めて英訳したのも、ウィリアム=ジョーンズです。