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◆ 文化と社会の交点から見えてくる歴史 ◇

2018-10-14

世界史 こんな「考える授業」をしてみました 【アレクサンドリアと『聖書』翻訳】

◆「アレクサンドリアと『聖書』翻訳」というタイトルには、多くの方が違和感を感じるかも知れません。

◆世界史では、アレクサンドリアは、アレクサンドロス大王プトレマイオス朝とだけ結びついていると言っていいでしょう。しかも、一般に、ヘレニズム時代は軽い扱いです。

◆そのため、プトレマイオス朝の滅亡(前30)[=ヘレニズム時代の終了]とともに、アレクサンドリアは視界から消えてしまいます。

◆しかし、前30年に「ヘレニズム時代」が終了しても(ローマの時代になっても)、「ギリシア語文化の時代」は続いていました。王朝や国の興亡だけで、歴史全体を区切ることはできないのです。

◆このことを理解できないと、『新約聖書』がなぜギリシア語で書かれたのかも、わからなくなります。

◆また、専門的な宗教史は別ですが、通常の世界史では、アレクサンドリアとユダヤ教キリスト教とを結びつけて理解するのは、かなり難しいと思います。

◆「アレクサンドリアとユダヤ教・キリスト教とを結びつけて」という表現自体が、奇異な印象を与えるかも知れません。「ヘレニズムとヘブライズムとを結びつけて」という、一見あり得ないようなことを述べているからです。

◆しかし、実際の歴史は違います。いろいろな原因があるのでしょうが、歴史の本当のすがたが、見えにくくなっているのです。「アレクサンドリアとユダヤ教・キリスト教」というテーマは、言わば、「世界史のエア・ポケット」のようなものかも知れません。

◆今回は、かなり「探究」的な授業です。いくつかの歴史的事実を関連させながら、歴史の見方を更新することを目指しています。

◆新科目「世界史探究」のことも考えながら書いているのですが、このテーマに多くの時間を割くことは難しいかも知れません。その場合は、生徒たちが興味を持てる事項を一つか二つ拾い上げて、授業に生かしていただければと思います。

◆また「倫理」の授業にも役立てていただければ、うれしいです。


【授業での取り上げ方】

 質問の後は、少し時間をとって、生徒たちに考えてもらいます。もちろん、話し合う時間をとるのがベストです。


<前おき・問1>

 今日は、アレクサンドリアを手がかりに、ギリシア語文化の広がりとキリスト教の成立を考えます。

 プトレマイオス朝が滅びても(ローマ支配下にあっても)、アレクサンドリアは国際都市としてギリシア的な文化の中心であり続けました(だいたい4世紀までです)。

 このアレクサンドリアで、紀元後1世紀に完成した、重要な文化的事業があります。それは、次の 銑い里Δ繊△匹譴任靴腓Δ?

  ホメロスの『オデュッセイア
 ◆ 愎渓鸚蚕顱拱埆
  ムセイオン(王立研究所)建設
 ぁ 悄糞賁鵝棒蚕顱戮離リシア語訳

<正解・解説>

★正解はい任后

★,倭娃言さで、アレクサンドリアとは関係がありません。△塙佑┐真佑多いかも知れませんが、『新約聖書』の完成は4世紀です。は前3世紀初めです。

★い蓮◆七十人訳ギリシア語聖書』と呼ばれているものです。初めて聞いたと思います。ヘブライ語からの翻訳が前3世紀に始まり、後1世紀に完成しました。400年にわたる、大変な作業でした。


<問2>

 ところで、い如◆屐糞賁鵝法廚肇ッコで書いてあるのはどうしてか、わかりますか?

<正解・解説>

★前3世紀から後1世紀という時期ですから、『新約聖書』はまだ成立していません。つまり、この頃は、『聖書』と言えば一つしかありません。ユダヤ教の『聖書』です。そのため()をつけました。

★2〜3世紀から、キリスト教徒が『旧約聖書』と呼ぶようになっていきます。自分たちの宗教を、明確に「新しい契約」と考えるようになったからです。このため、キリスト教徒にならって、現在も一般的には『旧約聖書』と呼んでいます。しかし、現在のユダヤ教徒にとっても、あくまで『聖書』です。「旧約」ではありません。


<問3>

 今の説明でわかると思いますが、アレクサンドリアのどういう人たちが『(旧約)聖書』をヘブライ語からギリシア語に翻訳したのでしょう?

<正解・解説>

ユダヤ人です。

★ユダヤ人という語からは、パレスチナイェルサレムを思い出すでしょう。ただ、もう少し広がりを持って、考えておきたいと思います。

★ヘレニズム時代には(ヘレニズム時代は300年もありました)、東地中海世界一帯に、ユダヤ人が住むようになっていたのです。当時の国際都市アレクサンドリアにも、ユダヤ人がたくさん住んでいました。

★そして、ユダヤ人にも、ギリシア語が広まっていました。ギリシア語を話し、読み書きするユダヤ人が多数いたのです。アレクサンドリアに移住し、何代も経過すれば、そうなるでしょう。その人たちのために、翻訳したのです。また、支配層のギリシア人に、ユダヤの文化的伝統のすばらしさを知らせる目的もあったと思います。

★ギリシア語についても、確認しましょう。ヘレニズム時代には、シリア・パレスチナ・エジプトまで、ギリシア語が広まっていたのでした。この事実は、とても重要です。

★このことは、初期のキリスト教にとっても、たいへん重要な意味を持つことになります。



<問4>

 そこで、『新約聖書』のことも確認しておきます。『新約聖書』は何語で書かれたのですか?

<正解・まとめ>

★ギリシア語でした。四福音書パウロの手紙は、1世紀にギリシア語で書かれました。(最終的にまとめられたのは4世紀です。)

★このことは、何を意味するでしょう? 「キリスト教はギリシア語文化圏で成立した」ということです。

★では、まとめに入ります。

★1世紀には、ギリシア語に翻訳された『(旧約)聖書』がありました。このことは、とても重要です。初期のキリスト教徒は、ギリシア語で書かれた福音書・パウロの手紙などとともに、ギリシア語に翻訳された『(旧約)聖書』を読んでいたのです。

★ユダヤの文化的伝統は、ギリシア語に翻訳されたかたちで広まりました。つまり、初めて、非ユダヤ世界にも開かれたものとなりました。

★このことが、『新約聖書』とともに『旧約聖書』をも聖典とすることにつながったのだと思います。『七十人訳ギリシア語聖書』は、キリスト教の成立過程で大きな役割を果たしたのです。

★なお、アレクサンドリアの教会は五大教会の一つだったことを、思い出しておきましょう。アレクサンドリアは、ヘレニズム都市の要素を残しながら、キリスト教公認(313)の時期から、キリスト教都市になっていきました。



◆やや難しく感じられたかも知れませんが、『七十人訳ギリシア語聖書』以外は、高校世界史の知識の範囲内で理解できるよう構成したつもりです。

◆今回のような授業のかたちをとらなくても、「初期キリスト教が、ヘブライ語(ユダヤ教)文化圏から生まれながら、ギリシア語文化圏で成立したこと」は、明確に教える必要があります。

◆キリスト教は、限定されたヘブライ語文化圏でなく、広範なギリシア語文化圏で成立・発展したのです。その際に、『七十人訳ギリシア語聖書』が大きな役割を果たしました。

◆なお、初期キリスト教史の重要な出来事に、ニケーア公会議(325)があります。激論を交わしたアタナシウスとアリウスですが、2人ともアレクサンドリア教会の聖職者でした。アレクサンドリアは、初期キリスト教の中で重きをなしたのです。

◆アレクサンドリアが最終的にギリシア的文化の中心でなくなったのは、5世紀初めのことです。多神教の文化の中心と見なされたムセイオンが、キリスト教徒によって襲撃されたのでした。数学者で新プラトン主義者でもあった女性、ヒュパティアは虐殺されました。


【参考文献】

 秦剛平『七十人訳ギリシア語聖書入門』(講談社選書メチエ、2018)

 E.M.フォースター『アレクサンドリア』(晶文社、1988、現在はちくま学芸文庫


次の記事もご覧ください。➡【イエスのことば・聖書の言語】

2018-09-25

世界史 こんな「考える授業」をしてみました【ルネサンスからバロックへ】

◇ルネサンスからバロックへの変化は、それほどわかりやすいものではありません。世界史の教科書でも、ルネサンスからバロックへの移り行きは、明確には述べられてこなかったと思います。

◇教科書では「17世紀にはバロック美術が盛んになった」と述べられているだけです。また、王権との関わりで述べられることが多いため、ルネサンスからの変化は等閑視されてしまいます。

◇なぜこのような状態が続いてきたのでしょうか? 分担執筆のためもあるでしょう。ただ根本的には、別の問題があるように思われます。

◇長らく世界史は、政治史、社会経済史、国際関係史、文化史などの「接着」で成り立ってきました。特に、<政治史、社会経済史、国際関係史>と<文化史>が分断傾向にあるため、美術史・思想史などの成果が、教科書記述にあまり取り入れられていないのです。

◇新課程の「世界史探究」は、このような状況を改善する科目となるでしょうか?


◆以上のような問題意識から、今回は、「1枚の絵を手がかりに、ルネサンスからバロックへの移り行きを考える授業」を紹介してみます。


【授業での取り上げ方】

◆資料として、1枚の絵を提示します。

  〇絵は、カラヴァッジョの「ロレートの聖母」です。

   [申し訳ありませんが、画像は他でご覧ください。]

  〇最初は、画家名とタイトル以外は伝えません。生徒たちによく見てもらい、感想を述べてもらいます。

◆次に、絵のサイズ、制作年(1606頃)を伝え、「ロレートはイタリア巡礼地で、巡礼者の前に聖母が顕現した場面が描かれていること」を説明します。

◆また、カトリックプロテスタントのどちらの立場で描かれたか、考えてもらいます。この時、トリエント公会議(1545〜63)で聖画像の宗教的役割が確認されたことを復習します。カラヴァッジョの「ロレートの聖母」は、カトリック改革(対抗宗教改革)のうねりの中で制作されたのでした。(したがって、制作年も重要になります。)

◆さらに、ルネサンスのラファエロの聖母子像と比較し、「ロレートの聖母」の特徴を考えてもらいます。ドラマチックで感情に訴える表現、光と闇の強いコントラストに着目させます。

◆まとめとして、「カラヴァッジョのこのような表現が、17世紀ヨーロッパの画家たちに影響を与え、バロックという新しい美術様式につながっていったこと」を説明します。

◆大きく見れば、「プロテスタントの形成とカトリック改革の中でルネサンスは終わり、カトリック圏から新しい絵画表現が生まれていった」という流れになります。


◇私の場合、この授業は、カトリック改革の最後に位置付けています。

◇今回の授業では触れていませんが、次のことも重要です。

 ・ルネサンス後、宗教画から風景や静物が独立して、風景画や静物画が生まれていったこと。

 ・この流れは、産業社会の成立・進展とも関連しながら、19世紀印象派、ポスト印象派までつながっていくこと。

◇「文化史の学習が作者と作品名の暗記になってしまう」という現状を改めなければなりません。文化を当時の歴史全体の中に位置づけて教える必要があります。今回の授業は、そのような試みの一つです。


【参考文献】

 高階秀嗣『誰も知らない「名画の見方」』(小学館101ビジュアル新書、2010)

 宮下規久朗『聖と俗』(岩波書店、2018)

 宮下規久朗『もっと知りたいカラヴァッジョ』(東京美術、2009)

2018-08-30

世界史 こんな「考える授業」をしてみました【ヘンリ8世の首長「法」】

◆16世紀イングランドの首長法をどのような歴史的文脈で教えるかは、大変重要です。

◆「エピソード紹介型授業」に傾斜すると、次のような内容になりがちです。

 <ルターやカルヴァンと違い、イギリス宗教改革は国王の私的な離婚問題から始まった。>

◆一見、問題はなさそうです。ヘンリ8世の6度の結婚なども話すと、宗教改革としてはかなり軽い扱いになります。

◆このような説明では、本質に触れることはできないでしょう。私の授業では、まず、この時期はイングランドという国名を使っています。次に、キャサリン妃との離婚問題は、むしろ公的な問題として扱っています。(そうでなければ、トマス・モアの処刑は単なる私怨になってしまうでしょう。)

◆教科書では分けて叙述されることが多いのですが、宗教改革と主権国家形成を統合的にとらえることが大切です。言い換えれば、首長法をイングランドの主権国家宣言として位置付けることが必要です。

◆以下に紹介するのは、そのような観点からの「考える授業」です。


【授業での取り上げ方】

 ◇ヘンリ8世の首長法で、イングランドはローマ・カトリック教会からの離脱を決めました。この「法」に注目してください。王令や勅令ではありませんね。

 ◇この後出てくるフランスでは、(教科書や図表で確認させながら)ナントの「王令(勅令)」となっていますね。イングランドでは首長法です。エリザベス1世の時も統一法です。

 ◇なぜ、イングランドでは「法」なのでしょうか?


■このような問いかけを通して、世界史の勉強が決して「暗記」ではないことを、生徒たちに伝えることができると思います。

■この問いかけの後の授業展開はいろいろな形が考えられますが、ポイントは、イングランドの宗教改革が議会での立法を通じて行われたことに気づけるかどうかです。

■まとめとして、次のことを伝えています。

 イングランドでは、国王・側近・議会が連携して、ローマ・カトリック教会からの分離を決定したこと、それはとりもなおさずイングランドの主権国家宣言であったこと。

■主権国家としての経済的基盤にも触れておかなければなりません。また、イングランドにおける議会の歴史を確認することも大切です。


◇高校世界史の枠を越えることになるかも知れませんが、発展的な問いもあります。

◇<17世紀の内戦(いわゆる「ピューリタン革命」)〜名誉革命(国教会体制立憲君主政の確立)>の時期を理解するためにも、欠かせない問いになります。統一法以後、なぜピューリタンが増えていったのか、という問いとも重なっています。

◇今回は、問いを提示するだけにとどめておきたいと思います。

 <イングランドの人々の間には、どのような宗教的心性が形成されていたのか?>



【参考文献】

 近藤和彦『イギリス史10講』(岩波新書、2013)

 川北稔・木畑洋一編『イギリスの歴史』(有斐閣、2000)