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February 21(Tue), 2012

橋下徹論・・・「大衆への反逆」論。(オルテガ・イ・ガセット) 21:50 橋下徹論・・・「大衆への反逆」論。(オルテガ・イ・ガセット)を含むブックマーク



オルテガ「大衆の反逆」・西部邁・国家とは?

考え事 | 16:52

我善坊さん、さわやかNさん有難うございます。

今回もしつこく、オルテガ西部邁について補足します。

1. 西部氏を知る人は若い世代には少ないでしょう。

60年安保のときの全学連委員長、もと東大助教授

(社会経済学)、いわゆる東大駒場事件で辞職、以後保守主義

標榜する評論家。



2. 同氏は戦後の日本でオルテガを高く評価した最初の1人ではないか。

少なくとも私は、1981年のエッセイ「“高度大衆社会”批判

オルテガとの対話」(『大衆への反逆』所収)で知り、読み始めた。

例えば西部は以下のように紹介する。

・・・オルテガ的な精神は大衆によって扼殺(やくさつ)された。半ば無自覚

にではあったがオルテガ殺しの儀式があったにちがいなく、それ以後、大衆を

批判するのがタブーとなった(同書75頁)

・・・少し皮肉なことに、オルテガ知識人のための知識というものを

軽蔑し、大衆の真ん中にいようと努力した人である・・・“一緒に独りで”

いることの緊張に堪えぬく精神、それがオルテガのいう貴族・・・たることの

条件である・・



3.西部氏については最近は全くフォローしていませんが、

1980年代半ばの著作(例えば『幻像の保守へ』所収の「相対主義の陥穽」

進歩主義の末路」「福田恒存論、保守の神髄をもとめて」など)が

いちばん活躍した時期でしょう。

・・・たとえば、保守主義を特徴づける中庸もしくは節度の態度に

ついていえば・・・・「節度の逆説」というものが発生する。・・・

つまり節度を守り抜くには常軌を逸した熱意がならなければならない。

熱狂は保守主義のいみきらう態度であるが、熱狂を回避することにおいて

保守主義は熱狂的でなければならないのである・・・(同書39頁)



4.オルテガについても補足しておく必要があります。

『大衆の反逆』では“大衆社会批判”ばかりがよく知られていますが、

実は同書は、第1部:大衆の反逆と

第2部:世界を支配しているのは誰か

の2部構成になっている。

そして第2部は、真正のヨーロッパ主義者であるオルテガヨーロッパこそ

彼の用語による「貴族」として復権する必要がありそのための未来は

ヨーロッパの統合にあるという主張が中心となる。

即ち、前回のAとBの区分けに沿えば、ヨーロッパこそBであり

その他の世界はAである。

再び、ヨーロッパが世界を指導していかねばならない、それは19世紀の

自由主義を守ることから始まる、ファシズムとボルシェビズム

マルクス・レーニン主義)は徹底的に否定されねばならない。

(ここで、彼は、社会や個人についてのA対Bという認識と図式を

第2部で国家にあてはめることになる)



5.まあ、こういう言説ですが、ここで重要なのが、

彼の「国民国家」観です。そこから「統合」の意義と可能性

が説かれる訳ですが、以下に(かなり多いですが)引用しましょう。

・・・国家というものは、人間に対して贈り物のように与えられる1つの

社会形態ではなく、人間が額に汗して造り上げてゆかなければならないものだ

(P.220)・・・



・・・本源的に国家は、多種の血と多種の言語の統合にある。つまり国家は

あらゆる自然的な社会の超克であり、混血的で多言語的なものである・・・



・・・国家とは何よりもまず1つの行為の計画であり、協同作業の

プログラムなのである。人々が呼び集められるのは、一緒に何かを

なさんがためである。国家とは、血縁関係でもなければ、言語的統一体でも

領土的統一体でもなく、住居の隣接関係でもない。

それはダイナミズムそのもの――共同で何かをなそうとする意志――

であり、ゆえに国家という観念は、いかなる物理的条件の制約ももっていない

のである(P.233)

・・・国民国家(ナショナル・ステート)を形成したのは愛国心ではない

のである・・・(大事なのは)共通の未来である。その本質は、第1に

共通の事業による総体的な生の計画であり、第2はかかる督励的な計画に

対する人々の支持でである(P.231)

・・・国民国家はけっして完結することはない。国民国家はつねに形成の

途上にあるか、あるいは崩壊の途上にあるかのいずれかであり、

第3の可能性は与えられていない・・・



・・・世界は今日、重大な道徳的頽廃(たいはい)

におちいっている。そしてこの頽廃はもろもろの兆候の中でも特に

どはずれた大衆の反逆によって明瞭に示されており、その起源は

ヨーロッパの道徳的頽廃にある。



・・・最後の炎はもっとも長く、最後のためいきはもっとも深いものだ。

消滅寸前にあって国境――軍事的国境と経済的国境――は極端に

敏感になっている。しかし、これらナショナリズムはすべて袋小路なの

だ・・・その道はどこにも通じていない(P.262)





・・・ヨーロッパ大陸の諸民族の集団による一大国民国家(ネーション)を

建設する決断のみが、ヨーロッパの脈動をふたたび強化しうるであろう。

そのとき、ヨーロッパはふたたび自信をとり戻し、真正な態度で自己に

大いなる要求を課し、自己に規律を課すにいたるであろう。



6.以上、まことに長々と引用しましたが、その理由は、以下にあります。

(1) どうも、オルテガ『大衆の反逆』の前半ばかりが喧伝されて

後半への言及が少ないのではないかとかねて考えている

(私の勉強不足で知らないだけかもしれないが、西部でさえ

まったく触れていない)



(2) ご紹介した、オルテガの国家観が、肯定するか否定するかは別にして

きわめて重要な意味をもっている

という2点です。

さらにそれは、

・日本の戦後の国家観はおそらく以上と対極にあるのではないか

(少なくとも、日本の国籍法の思想とは根本的に違う)

・戦後徹底的に否定された「大東亜共栄圏」という思想

をふたたび考察することに意味があるか無意味なのか

中国覇権主義ナショナリズムとが

警戒されているが、実はナショナリズムというより

(少なくとも一部の)リーダーはオルテガ的国家観を信奉しているのでは

ないか?

・これからの日本は、中国に対抗するためにも東アジア太平洋

諸国との協調をいっそう進めていかねばならないと言われるが、

それはこのような国家観とどう関係するのか、しないのか?

たいへん長くなりましたが、こんな妄想を追いかけております。


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我善坊 2011/02/22 11:31

これ以上コメントを書き込むのは話題を横取りし、まるで「ブログ・ジャック」しているようで気が咎めますがー。

1)慥かにひと頃西部がオルテガを話題にしていましたね。(「キツーイ皮肉」ではなかったようで、失礼しました)

我々より上の世代からオルテガの名前を聞くことがなかったとすれば、戦後の雰囲気の中で彼を正面から採り上げるのに躊躇いがあったのではないか?恰も彼らは旧制高校の教養から育ってきたのにも関わらず、旧制高校の復活を云うのに恥じらいを見せていたように。偶々『丸山眞男集」(全集、計17巻)を調べたら、オルテガの名前が出てくるのは僅か二箇所にすぎませんでした。

しかし彼らがオルテガを読んでいなかったかというと、そんなことはない。戦後の民主主義についてのあの世代の発言には、オルテガの影響がはっきりと見て取れるように思います。

2)私は、あらゆる思想家はその時代状況の中で読むべきではないかと考えています。

オルテガの議論のほとんどは(幸か不幸か)現代にもそのまま警告として生きていますが、なかには現代では文字通りには受け取れないものもあります。『大衆の反逆』の後半部があまり引用されていないとしたら、彼の欧州中心主義や国民国家論にあるのかもしれません。(川本さんの引用された箇所―5の後段―は、今日のEUを予言しているようで興味深いところですね。ただし彼が此処で言う「ネーション」は「欧州人」や「中国民族」などのように、従来のネーションを止揚する概念で、今日ではこれは警戒の対象になっています。チベットフランコ時代のバスクに見るように、本来のネーション(民族)の文化的統合を脅かしかねない、という警戒です)

『大衆の反逆』が書かれた1930年は、第一次大戦後で国民国家の価値が最高度に高められた時代。しかもスペインは、外見こそ15世紀末以来統一国家を成していましたが、各地方の割拠性が強く、英仏独のような国民国家とは少し違った様相を見せていた(これは今に至るもスペインの特色の一つです)。オルテガはその中で、ことに英国をモデルとした国民国家(当然その背後の国民市場)の形成を目指して論陣を張っていました。

その国民国家論(ナショナリズム)が、第二次大戦の災禍を知った後では戦間期のように手放しでは礼賛されなくなり、ことに、既に20世紀半ばまでに国民国家を形成しえた先進国では、ナショナリズムは自制の対象とされるに至っています。従って、本書の後半部分は文字通りに読むのではなく、時代状況を超えたオルテガ普遍性は何か、という読み方が必要になると考えます。

3)「大東亜共栄圏」という(「思想」ではなく)「理想」は、十分に再検討に値すると思います。もちろん一方で、それが実は「遅れてきた植民地主義」の理論武装にすぎなかったという歴史も、冷静に見ておく必要があります。しかし明治国家の指導者たちがどういうつもりで言ったとしても、それをまともに信じて戦場に赴き、死んでいった人々がたくさんいたことも事実です。(日本の敗戦後、中国インドネシアに残って毛沢東スカルノを助けて独立運動に従事した元兵士も少なくなかった)

彼らの死を犬死にさせないためにも、「大東亜共栄圏」の理想に照らして満州事変以来の歴史を冷静に見、理想を理想として再現してみる必要があるのではないか?

EU中国、あるいはアメリカロシア(いずれもNation Stateではなく、「帝国」=超民族国家)などとの比較という観点も、必要と思います。

さわやkN 2011/02/22 14:32

私がヤバイと思っているのは「政治家の大衆化」ですね。複雑化している現代社会では、大量の情報に基づいて、高度な判断と合意形成をスピーディーにしなければいけないのに、最近やっていることは、多数決という民主主義の武器を暴力的に議会で振り回して自分の議席を守ろうとするだけのチャンバラ劇に見えます。危険な状態ですね。制度的な宿命をどう克服するか・・・。それよりヤバイのは「・・・国民国家(ナショナル・ステート)を形成したのは愛国心ではないのである・・・(大事なのは)共通の未来である。その本質は、第1に共通の事業による総体的な生の計画であり、第2はかかる督励的な計画に対する人々の支持である」今、この国で異なった世代は共通の未来を見ているのでしょうか?この定義において日本はすでに国家として分裂してしまっていると危惧します。それとは対照的に、国民国家を超える、資本主義市場という新しい帝国の描く夢を世界の多くの人は共通の夢として夢見ている。圧政のもとに実現できなかった自由と富へのアクセスの舞台へ躍り出ようとしている。このギャップはでかいですね。

さわやかN 2011/02/24 12:23

前回は、世代という時間的な断絶に関し、少し言及しましたんで、今度は空間的に。バスク語カタルーニャ語をいまだに国内に抱え、内戦の歴史を持つスペインと我が国を比較してみるに、今に見る日本の地方の疲弊は労働力を都会(中央)に奪われた以前に、言葉と誇りを中央に奪われたからであるのかなと、ふと思いました。奪った尖兵はマスコミですね。アイデンティティの1つの源泉であり、生活言語である方言を奪われ、抽象言語(支配言語)としての共通語で会話をせざるを得なくなった語族の集合体としての「国民国家日本」であったのかも。こう考えると韓国南洋諸島の言語を啓蒙の名のもとに奪っても無頓着なのも理解できますし、代議士が、日本という国の公共的な性格では無く「オラが国さの代表」として中央への抵抗と媚の2面性を持つ性格が強いのも腑に落ちます。西洋(の知識人)が数千年来悩んでいた身体性と精神の分離の葛藤を、ここ百年あまりで生活言語を捨て支配言語へという経験を出発点(※)に、全国民が経験し、葛藤しつつあるのが現在の日本とベルリンの壁崩壊後の旧共産圏(いずれも非ヨーロッパ)であると妄想しました。「逝きし世」第2巻は進行中かもしれません。※これに加え農民(家業)から賃金労働者へ、父系長子相続から核家族へ・・・。エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ・・・。




(読者の声3)(追伸)橋下・大阪維新船中八策」の骨格にツッコミを入れる。

 橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会が次期衆院選公約として策定する「船中八策維新八策)」骨格の全文が、漸く報じられた。

(「橋下維新 これが『維新八策』だ! 骨子全文」 産経新聞 2月21日(火)16時8分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120221-00000546-san-soci

維新地方議員や3月に設立する維新政治塾での議論も踏まえ、最終決定する模様だ。

 読んでみると、「骨格」だけあって、項目だけが踊っていて何やら情報整理術のKJ法の作業中といった感じだが、一言で総括すれば 「ナショナル・ミニマムを伴う自立社会の建設」という理念が感じ取れ、筆者は全体の方向性としては賛成の立場である。

大阪維新の会は、13日の全体会議での発表に合わせ、ペーパーを非公式扱いで流したため、当日報じられた内容は各紙ともバラつきがあった上に、「骨格」のそのまた要約というものだった。

今回、明らかになった「小骨」の部分について、その時に書いた拙文(「橋下・大阪維新船中八策』の骨格に現時点でツッコミを入れる。」

http://www.pjnews.net/news/819/20120215_2

等)を補足する形で、各論についての不明点、懸念点及び異論等が在る項目のみにつき、以下にそれを記す。

◆リバースモーケージ(所有不動産を担保に年金のような融資を受ける仕組み)の制度化

 通常この仕組みは、契約期限が来ると全額融資を返済しなくてはならないものだが、無期限とか年齢150才期限等を想定しているのか?

◆新エネルギー、環境、医療介護などの特定分野に補助金を入れて伸ばそうとするこれまでの成長戦略と一線を画する「既得権と闘う」成長戦略〜成長を阻害する要因を徹底して取り除く

 ここでイメージされている成長戦略の実行手段は、規制緩和地方分権であろう。

主軸に据えるのはそれでよいが、弊害は多い補助金税制措置についてもサンセット方式で透明・時限的なものであれば選択肢として排除すべきではない。

また、有望だが民間だけでは参入に躊躇するものは、「新重商主義」の観点から民間と折半した国の直接投資リスクビジネスライクに完全に折半する)により国家プロジェクトとして進めるべきである。

労働市場の流動化、自由化→衰退産業から成長産業へ、外国人人材の活用

 外国人人材の活用は、日本人の雇用と重なる分野に於いては、一方で競争を促進し付加価値を高めるというメリットがあるが、一方では日本人の雇用を食って失業者を増やすデメリットもあるので、精緻に設計する必要がある。概ね、ハイレベル分野に外国人を入れるならばメリットの方が大きいであろうが、ミドルレベル分野に入れるとデメリットの方が大きいであろう。

 また、日本人がやりたがらない、いわゆる3K分野に入れると「ゲットー」の出現等の別の問題が生まれる。

◆一生涯使い切り型人生モデル

これを文字通り徹底すれば、相続は一切出来なくなり共産主義に近付くが、労働意欲減退、海外資産逃避を防ぐため、少なくとも一定財産の留保は必要だろう。

脱原発依存、新しいエネルギー供給革命

「新しいエネルギー供給革命、脱原発依存」の順に、在るべき時系列に合わせ順番を入れ替えて表現すべきだろう。

代替エネルギーの現実的な目処が、脱原発の前提条件として必須である。

 なお、原発政策については、福島原発事故の解明、責任者の追及・処罰、再発防止へ向けての体制一新が必要なのは言うまでもない。

◆自主独立の軍事力を持たない限り日米同盟を基軸

 ある週刊誌が指摘していたが、内外から同盟破棄が最終目的のように捉えられてしまう。

「自主独立の軍事力を持つ事と、日米同盟の深化を同時に進める」等のように表現を変えるべきだ。

日本が覇権国家にならない限り、否なってもなお、安全保障上、大国と同盟をしない事は有り得ない。即ち、少なくとも安全保障の上では、予見し得る未来に於いて米国を取るか中国を取るかの二者択一である。

 イラク戦争等を起こした米国は、決して正義の国ではない。

しかし、外交・防衛とは相対的なものであり、大国との関係では、比較して国際的大義と国益に適う方、よりマシな方を同盟相手に選ばなければならない。

 なお外交には理念・原則がなくてはならない。それが無ければブレる。ブレれば必ず負ける。例えば、「国際的大義を伴う長期的国益の追求」のようなものを確たる外交の基本理念として掲げるべきである。

 以上、引き続き「船中八策維新八策)」の具体化・明確化と読者の「橋下ウォッチ」に役立てば幸いである。

 (KS生、千葉)


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December 13(Tue), 2011

山崎行太郎の「月刊・文藝時評」 06:07 山崎行太郎の「月刊・文藝時評」を含むブックマーク

去れ、想像力なき思想家よ。

村上春樹をベタ褒めする批評精神を喪失した批評家たち…。

 「中央公論」11月号が、突然、どういう思いつきかしれないが、「文学なんて要らない!?」という特集を組んでいるので、ちょっと立ち読みしてみたら、内田樹河野多恵子野崎歓等がそれぞれの立場から「文学の停滞」について書いているのだが、その中身があまりも馬鹿馬鹿しいというか、愚劣というか、おそらく論壇誌「中央公論」で、こういう低レベルのお粗末な「文学特集」が組まれるところに、むしろ、文学の停滞というよりも現在の日本の論壇やジャーナリズム貧困と衰弱が露呈していると言わざるを得ない、と思った。私は、かねがね、「政治や経済を語るには文学哲学の知識や教養が欠かせない」と主張し続けているが、この程度の「文学理解」だからこそ、日本の論壇やジャーナリズム

の言説が思想的に劣化していくのは当然だろうと思う。文学も不振かもしれないが、論壇やジャーナリズムの思想的劣化はもっと深刻だと思われる。さて、この特集で、内田樹が、「文学音痴ぶり」を発揮して、「批評家が文学を殺した…」などと大口をたたいている。内田樹については、以前にも取り上げたが、その時と今回とは、言っていることが180度、異なる。前回は、「文学的思考」を、経済学社会学などの社会科学的思考と対比した上で高く評価していたはずである。しかし、「中央公論」11月号では、こんなことを言っている。

 ≪出版関係者と話していると、みんな一様に「文学作品が売れなくなった」と言う。ベストセラーリストを見ても、ダイエット本や『○○ができるようになるための100の方法』といった本ばかりである。(中略)文学が売れないのは、けっして読者のリテラシーが劣化したからではない。作品のクオリティーが劣化しているからである。なぜそう言い切れるかと言えば、村上春樹という国内外で圧倒的なセールスを誇っている作家が現に存在しているからである。≫(「中央公論」11月号、「地球最後の日に読んでも面白いのが文学」)

 私は、内田樹の粗製濫造に近い「新書」などの本も、ダイエット本とたいして変わらないと思っているが、本人にはそういう自覚はないらしい。「文学作品は売れていない。」「村上春樹は売れている。」「売れないのは読者のリテラシーに原因はなく、書き手の側のクォリティーが落ちたからだ。」…。この、誰がどう読んでも粗雑すぎる、お粗末なエッセイを読みながら、私は「笑い」を抑えきれなかった。文学の停滞や不振を語る言葉が「売れる」「売れない」であり、その具体的証拠が国際的ベストセラー作家・村上春樹である。何故、現代日本文学の停滞や不振、地盤沈下を語るのに、その思想や文体、想像力・・・と言うような文学の思想性のレベルで語ろうとしないのか。ちなみに、東浩紀は、文学

作品が「売れなくなった理由」を、むしろ積極的に評価して、ポストモダン論、オタク論、ライトノベル論とのつながりから、ネット世代やゲーム世代の読書環境や想像力の変化に求めている。「売れない」という一点にこだわる内田樹文学停滞論が、いかに単純素朴かがわかるというものだ。ちなみに、先月号で、私は、「村上春樹をベタ褒めする批評精神を喪失した批評家たち」だけが優遇されている最近の文芸誌の悲惨な状況について書いたが、つまり文学不振の根本原因の一つが「文壇文芸誌の世界にホンモノの批評家がいなくなった」「村上春樹を批判する批評家が排除された・・・」ことにあると書いたが、実は、内田樹も、「村上春樹をベタ褒めする批評精神を喪失した批評家たち」の一人である

。そもそも、専門の文芸評論家でもない内田樹の「最終講義」(「文学界」)なるものが文芸誌に掲載されたのは、何故か。内田樹が「村上春樹をベタ褒めする批評精神を喪失した批評家」だったからだ。たとえば、文藝評論家の井口時男も、今年3月、東工大教授を退官したが、「最終講義」なるものが文芸誌に掲載されたのかどうか、私は知らない。内田樹は、専門は「仏文専攻」「フランス現代思想」だそうだが、現代日本文学にも批評にも「盲目」である。しかし、そういう文学や小説に盲目な人が歓迎されるのが最近の文芸誌である。文壇業界の最後のドル箱としての村上春樹をベタ褒めしてくれさえすれば、内田樹がいかに「文学音痴」「小説音痴」であろうとも歓迎してくれるのだ。この「中央公論」の特

集に登場している野崎歓も、「村上春樹をベタ褒めする批評精神を喪失した批評家たち」の一人である。最近の文芸誌の誌面を飾っていする批評家の大部分は、若干の例外もないわけではないが、「村上春樹をベタ褒めする批評精神を喪失した批評家たち」であると思って間違いない。

■批評家の不在が文学や思想を堕落させた…。

 さて、問題が何処にあるかは明らかである。内田樹が言うような、「批評家が文学を殺した」のではない。「マトモな批評家の追放・排除が文学を殺した」のである。驚くべきことに、内田樹は、「時代小説」を評価しつつ、こんなことまで言っている。

 ≪さきほど「例外的に売れているものもある」と書いたけれど、例外的に売れているものの一つは「時代小説」である。(中略)そして時代小説(に限らず中間小説大衆小説)が純文学をしりめに隆盛を極めている理由は、そこには批評家がいないからである。純文学をここまで委縮させてしまった最大の理由は批評にあると私は思う。≫

 内田樹の「批評家が文学を殺した」という「批評家犯人説」がまったく無意味だとは思わないが、それにしてもお粗末な論理であると言うほかはない。こういう思想的レベルの劣化そのものというしかない文学論、小説論が、論壇誌で、堂々と展開されるところに、論壇やジャーナリズムの劣化がある。そもそも昔から大衆文学中間小説は「売れる」ことを第一の目標にしているのであり、純文学は「売れる」ことを最大の目標にしないからこそ、つまり「売れ行き」という資本主義的商品交換の論理とは別の、もう一つの文学的な価値基準を持っていたからこそ、存在意義を有していたはずである。とすれば、純文学の復活は、「売れる」ことではなく、資本主義的な出版資本からの「奴隷解放」から始まると

言わなければなるまい。

 ところで、河野多恵子ぐらいは、もっと文学的な問題を指摘しているかと思ったら、彼女も、こんなことを言っている。

 ≪ところで、小説とは純文学であれ大衆文学であれ、楽しむものだとしか、私には思えない。ところが、そのどちらの場合でも、とかく〈いかに生きるべきか〉が求められているようである。日本で〈いかに生きるべきか〉が小説のテーマの中心になった始まりは、もちろん自然主義私小説である。数も少なくて互いの私生活にも通じ合っている当時の狭い文壇のなかでの作家としての生き方をテーマにすることで、〈いかに生きるべきか〉が始まったのだった。(中略)そういうわけで、今日でも純文学であれ大衆文学であれ、〈生き方の指針〉的な要素を思わせる性質のものが、実は多い。推理小説にしてさえ、そうなのである。≫(河野多恵子「小説は楽しむもの/生き方の指針ではない」)

 むろん、私は、河野多恵子のこの「小説論」「文学論」に反対である。おそらく、河野は、谷崎潤一郎三島由紀夫等の小説を念頭に置いていると思われるが、私は、谷崎や三島の小説にも「生き方の指針」のようなものを感得する。そこには、人間存在の「深い真実」、言い換えれば「存在の深淵」とでも呼ぶべきものが描かれている。むしろ現在の小説や文学の停滞は、「生き方の指針」となるような人間存在の「深い真実」、言い換えれば「存在の深淵」とでも呼ぶべきものが描かれなくなったところにあるのではないのか。先月の六万人の「脱原発デモ」で、作家の大江健三郎と批評家の柄谷行人が先頭に立っていたらしいが、作家や批評家が政治運動や市民運動、あるいは革命運動などの先頭に立つとい

うことの意義を、私は否定しない。むしろ文学が恐ろしいのは、そこに理由がある。たとえば、私はつい最近、某雑誌の企画で、「赤軍派議長」だった塩見孝也と対談したが、彼は、私が小林秀雄江藤淳に影響を受けていると話したところ、「私も彼らと感性は似ている。江藤淳の『夏目漱石』論は熱心に読んだ」と言った。私は、「やはり、そうだったのか」と思った。文学が停滞し、地盤沈下しているとすれば、原因は、むしろ「小説は楽しむもの」としか考えなくなった作家や批評家にある。「去れ、想像力なき思想家よ」(ベンヤミン)である。

dokuhebinikidokuhebiniki 2012/01/16 07:06 小沢裁判でハッキリした やっぱり検察審は「解散」が必要
日刊ゲンダイ2011/12/19
 「検察の証拠隠しがあった。検察審はすべての証拠を見ていない。証拠が全部出れば、小沢氏は無罪だ」――“はぐれ検事”の爆弾証言でハッキリしたのは検察審査会制度の致命的な欠陥だ。「市民目線」と称する検察審を悪用すれば検察の意のままに誰もが犯罪者に仕立て上げられる恐怖のシステム。検察審は即刻解散が必要だ。
*検察の追認機関にすぎない正体不明の組織
 「ゼネコン献金は夢物語。検察幹部の妄想だ」
 16日の小沢裁判に証人として出廷した前田恒彦・元検事(44)は冗舌だった。赤裸々な捜査批判や暴露話の連続に、法廷の小沢一郎も思わず身を乗り出したほどだ。
 前田が証拠隠しの例に挙げたのは、検察幹部の「夢物語」に関する現場検事の「捜査メモ」だ。
 例の土地購入費4億円について、「妄想」を抱いていたのは当時の佐久間達哉特捜部長と大鶴基成次席検事、木村匡良主任検事のみ。佐久間部長が現場の陣中見舞いに訪れ、「4億のうち、水谷建設から5000万、○○社から1億、××社から2億」と持論を展開するのを聞き、前田は「何だそれ、夢を語っているのか」と思ったという。
なぜなら、当時は地方から20人近くの検事が東京地検へ応援に駆り出され、小沢の地元・岩手の胆沢ダムム工事を受注したスーパーゼネコンや下請け業者を総がかりで聴取した。ところが、水谷建設以外から全く供述は得られず、「小沢側に現金を渡していない」と語る業者ばかりだった。
 「特捜部は想定と違う話は調書にせず、(証拠にならない)取り調べメモとしてワープロでまとめ、捜査班内で配って共有する。当時は『金を渡していない』という建設業者の供述メモが大量に出回っていた」(前田)
 5000万円を受け取ったとされる元秘書の石川議員もかたくなに否定。石川を調べた吉田正喜副部長(当時)でさえ、「アイツ、受け取っていないんじゃないか」と前田に漏らし、前田は「妄想ばかりで、現場は厭戦(えんせん)ムードが漂っていた」と証言した。
 小沢の裏金捜査は、現場レベルでは「シロ」という判断だったのだ。
*はぐれ検事 前田の告発がなければ闇から闇の世の中…
 しかし、一般人11人が集まった検察審査会の議決書には「小沢氏の4億円の出どころの説明は著しく不合理だ」とある。検察幹部の妄想に引きずられた結果だ。実は取り調べメモは保管義務の対象外で捜査後に廃棄されてしまう。建設業者の「裏金を渡していない」という大量のメモは、従って検察審の目に触れられない。
 前田は「審査員がメモを見ていれば、水谷の話の信用性は低くなって違った判断が出ていたはず」と、力説した。
強制起訴の最大の根拠となった石川調書も同じだ。検察は検察審査会に石川議員の取り調べを巡る弁護人からの抗議文を提供していない。審査員が抗議文を見れば、「小沢氏に虚偽記載を報告し、了承を得た」という調書の信用性は低下していた。
 しかも、再捜査時に石川議員を取り調べた田代政弘検事はウソの捜査報告書を上司に提出。調書なら、調べられた当人の石川議員の署名が必要だが、報告書は検事が署名するだけ。検察審はウソの報告書を踏まえ、「再捜査で、石川自身が有権者から選ばれた議員であることなどを理由に合理的に説明している」と判断、石川調書を信用したのだ。
 前田は自分の公判でフロッピーディスク改ざん事件の動機について、「失敗が許されない捜査で強いプレッシャーを感じた」と語った。この日は田代検事について、「相当プレッシャーがあったと思う」と証言し、故意の捏造をにじませたが、さらに問題なのは検察審の隠蔽体質だ。
 小沢弁護団が再三、検察審に渡った検察証拠の情報開示を求めても、一切応じないという。100%密室の中、検察のさじ加減ひとつで、いとも簡単に検察審の判断がコントロールできるなんて、恐ろしい。ジャーナリストの魚住昭氏は「致命的な欠陥が明るみに出た以上、検察審査会制度は即刻やめるべきだ」とこう言う。
 「検察側が、素人である検察審にどんな証拠を出し、どんな証拠を隠すのか。極めて恣意的な判断で、証拠が足りなくて起訴できなかった人物でも、検察審を経由することで、裁判にかけられてしまう。しかも、捜査現場で『見立てが、どうも違うぞ』と判断した事件ですら、一部の検察幹部が“妄想”に執着すれば検察審で起訴できてしまうのです。本当に恐ろしい制度です」
 検察組織を追われた、はぐれ検事の“告発”がなければ、闇から闇の世が続いていた。小沢を強制起訴した平均年齢34・55歳の審査員も「検察にだまされた」と不明を恥じるなら、「私たちが間違っていました」と、名乗り出て小沢に土下座すべきだ。
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◆小沢一郎氏裁判 第10回公判〈前〉/前田恒彦元検事「上司から『特捜部と小沢の全面戦争だ』と言われた」2011-12-16 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 証人「話すと5、6時間かかりますが、端的に言うと、検察の体面を保つことと、自身の保身のためです」
 指定弁護士「主任検事として大きなプレッシャーを感じていたのですか」
 証人「はい」
 指定弁護士「本件でもそうですか」
 証人「それは全然違います」「厚生労働省の事件では、大阪高検検事長が積極的で、単独犯ではあり得ないという雰囲気があった。一方で、本件では(ゼネコンからの)裏献金で小沢先生を立件しようと積極的なのは、東京地検特捜部特捜部長や■■主任検事(法廷では実名)など一部で、現場は厭戦(えんせん)ムードでした。東京高検検事長も立件に消極的と聞いていましたし、厚労省の事件とは比較になりませんでした」「大久保さんを取り調べましたが、『とても無理ですよね』と感じました。小沢先生を土曜日に取り調べて、当時の特捜部長だった佐久間(達哉)さんらが東京拘置所に陣中見舞いに来ました。そのとき、私と○○検事(法廷では実名)、△△検事(同)が向かい合って座っていました。佐久間さんは『雰囲気を教えてくれ』ということを言われました」「(前田元検事の上司だった)大阪地検の特捜部長であれば、怒鳴られて言えないけど、佐久間さんはそんなことはなかった。『大久保はどう?』と聞かれたので、『頑張ってみますけど難しいです』と暗に立件は無理と伝えました。他の検事も同じようなことを言っていたと思います。一部積極的な人もいたが、小沢先生まで行くことはないと思いました」
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◆小沢一郎氏裁判 第10回公判〈後〉前田恒彦元検事「私が裁判官なら小沢さん無罪」「検察、証拠隠しあった」2011-12-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 弁護人「証拠隠しって何ですか」
 証人「要は、私が裁判官なら、『無罪』と判決を書く。証拠がすべて出されたとしても…」
 弁護人「いや、『隠された証拠』ってなんなんですか」
 証人「私が思っているだけですけどね。判決では検察審査会の起訴議決が妥当だったかどうかも審理されるわけですよね。そこで検察が不起訴と判断した資料として検審に提出されるもので、証拠になっていないものがあるわけですよ。例えば、(自分が取り調べを担当した)大久保さんの調書には全くクレームがないけど、石川さんの調書にはあるんです。弁護士からのクレーム申入書が。でも(指定弁護士との)打ち合わせのときに、指定弁護士は知らなかった。検審に提出された不起訴記録に入っていないから」「私はクレームが来ていないから胸を張って任意性がある、と言えるんですけど。石川さんの調書に問題があったんじゃないですかね。(石川議員の取り調べに対する)クレームはバンバンあったくらいの印象がある。指定弁護士も調査したら1、2通見つかったと言っていたが、私の印象ではもっとあると思いました。それが証拠に含まれていれば、審査会が見て、調書の信用性は減殺されるわけですよね」「それに、この事件では捜査態勢が、途中でものすごく拡充されたんですよ。(元秘書ら逮捕者の取り調べを行う『身柄班』に対して)『業者班』。ゼネコンや下請けの捜査員を増やした。でも、(作成された)調書が、まー、ないでしょ? 大久保さん、小沢さんに裏金を渡しているという検察の想定と違う取り調べ内容は、証拠化しないんです。どうするかといえば、メモにしている。手書きのその場のメモということでなく、ワープロで供述要旨を整理していた」「水谷(建設)で言えば、4億円の原資として5千万円は水谷かもね、となっても、残りの3億5千万円については分からない。何十人の検察官が調べて、出てこない。検審にそれが示されれば、水谷建設の裏献金の信用性も、減殺されていたはず。想定に合わなければ証拠にならないというのがこれまでの検察で、私も感覚がずれていて、厚労省の(証拠改竄)事件を起こすことにもなった」
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◆小沢氏起訴議決検察審査会=11人の愚か者が下衆(げす)の感覚によって国民生活の足を引っ張る判断をした2010-10-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 11人の愚か者が1億3千万人の国民生活の足を引っ張る判断をした。政治を裁く事の重みを知らない下衆(げす)の感覚によって、この国の政治は混乱させられ、世界に類例のない「痴呆国家」になろうとしている。
 検察審査会の議決を「市民目線」と評価したり、「小沢氏は議員辞職すべきか」と質問したり、小沢氏を国会に証人喚問すべきだなどと主張する馬鹿がこの国にはいる。今回の容疑事実を知り、検察審査会の仕組みを知ったら、恐らく世界はその馬鹿馬鹿しさに驚くに違いない。しかしその愚かさに気付こうとしないのだから「痴呆」と言うしかない。
 やはりこの国は驚くべき未熟政治国家である。何故そうなるのか。私は国民が全く「政治教育」を施されていないからではないかと考える。子供の頃から教えられるのは、日本は民主主義で、三権分立であり、国会が国権の最高機関であるという建前の話だけである。現実の政治がどのように動いていて、建前と現実との間にどのような乖離があるかなど絶対に教えてもらえない。
 建前しか教えられていないから、日本人は民主主義を「素晴らしい制度」だと思い込み、その上で「反権力であることが民主主義」だとか、「庶民感覚を大事にする事が民主主義」だとか、とんでもない嘘を吹き込まれている。国民が投票で選び出した政治権力は国民と一体の筈であり、諸外国の謀略に打ち勝たなければならない政治家に庶民感覚を求めても意味がない事を知ろうとはしない。
 その庶民は、政治にとって最も大事な権力闘争を「汚れた行為」と捉え、物事を実現するために権力を集中させれば「反民主主義」と叫び、民主主義のかけらもない官主主義の国を民主主義国だと信じ込む。政治家を口を極めてののしるかと思えば、まるで芸能人を見るかのようにあがめ奉る。民主主義は衆愚政治と紙一重だが、この国では官主主義が国民を愚かにしている。
 英国のチャーチル元首相に言わせれば民主主義は「最悪の政治制度」であり、政治は人間の欲望がむき出しになる世界である。そういう事をこの国では決して教えない。学校は政治教育を忌避し、教える教師もいない。国民に主権を発揮されては困る官僚にとって、政治教育がない事は何よりである。国民が目覚めて本当の民主主義をうち立てられては困るからだ。
 かつて私が提携したアメリカの議会中継専門放送局C−SPANは、国民に対する政治教育を目的に設立された。議会の審議を放送する一方で、選挙権のない若者に対する政治教育に力を入れていた。議会審議のビデオテープを学校教育に使うように全米の大学と高校に働きかけている。
 私は実際に議会審議のテープを授業に使用しているイリノイ州の大学を取材したことがある。教授が選んだ審議の映像を学生達に見せ、それを巡って学生が討論を行うという形の授業だった。現実の政治家の議論が教材になっていた。そしてC−SPANは中継車で全米の大学と高校を回り、学生達の政治討論番組を生中継している。
 ある時、テレビを見ていたレーガン大統領が高校生の討論に電話で飛び入り参加した。それが全米で話題となり、私は素直に「素敵な話だ」と思った。日本にもC−SPANのようなテレビ局を作りたいと思った。勤務していたテレビ局を辞め、開局の準備を進めながら、まずは文部省に協力を求めに行った。
 アメリカの例を説明しながら、日本で「国会テレビ」を開局したら、高校と大学だけでなく義務教育の中学校にも普及させたいと言った。すると役人から「社会党と共産党の発言しか見せない先生がいるから」とすげなく協力を断られた。
 アメリカの大学の卒業式では決まって政治家が卒業生へのはなむけのスピーチをする。その時に党派が問題になることなどない。しかし日本では大学が政治家にスピーチを頼む事は滅多にない。そもそも政治家は国民の投票で選ばれた国民の代表である。にもかかわらず政治家は反教育的存在と見なされる。こうした事に私は長い官僚主導国家の岩盤の存在を感ずる。
 そういう国の国民だから、検察審査会の議決で政治を裁く事の重みなど感じない。愚かな11人は極めて非論理的で情緒的な判断を下した。公開の場の裁判で白黒をはっきりさせて欲しいなどという「願望」で政治を混乱させている。裁判で白になっても時間は戻らない。政治を混乱させた罪はどうなるのか、国家的損失をどう償う事が出来るのか。これは日本の司法の一大汚点となるのではないか。
 検察審査会制度はGHQの占領政策の一環である。特捜部と相前後して生まれた。独立したにもかかわらず、日本はいつまでアメリカの占領政策を引きずるのか。いつになったら自前の国造りが出来るのか。とても不思議で仕方がない。
 しかもその検察審査会が強制起訴まで出来るようになったのは、政権交代の総選挙を前に、それを阻止しようと思ったのか、東京地検特捜部が西松建設事件を、大阪地検特捜部が郵便不正事件の捜査に着手して民主党の代表と副代表をターゲットにした「でっち上げ」捜査を行っていた矢先である。「でっち上げ」が上手くいかなくなっても、素人の国民をちょっと洗脳すれば強制起訴に持ち込めると考えたとしても不思議でない。
 目的は以前から何度も書いてきたように小沢氏を有罪にする事ではない。民主党を分断することである。だから鳩山由紀夫氏は白で小沢氏は黒の流れになる。私の知る法曹関係者はみな「鳩山が白なら小沢はもっと白だ」と言う。一連の捜査は刑事目的ではなく政治目的なのである。小沢氏が無罪になっても十分に目的は達せられる。しかしこんな馬鹿をやっている暇は今の日本政治にはない筈だ。まさに「痴呆」と言うしかない。
<筆者プロフィール>
田中良紹 ジャーナリスト
 1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。 1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。
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◆小沢一郎氏裁判/国民の代表である政治家と「全面戦争する」と言う特捜=国民主権を認めない組織〈検察〉2011-12-19 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

   
検察崩壊
田中良紹の「国会探検」
 検察審査会によって強制起訴された小沢一郎氏の裁判で、陸山会事件を担当した二人の検事が重大な証言を行なった。その証言を聞いて、検察組織をいったん解体して作り直さなければならないと痛感した。
 この裁判が終ったら、結論が有罪だろうが無罪だろうが、立法府は国政調査権に基いて検察組織を徹底調査し、民主主義国家にふさわしい捜査機関に作り変える必要がある。日本が民主主義国家たらんとすれば、それは立法府の当然の使命である。
 一昨年の3月に私は『予言が現実になった』というブログを書いた。小沢氏の大久保隆規公設第一秘書が西松建設事件で突然東京地検に逮捕されたからである。07年の参議院選挙に自民党が惨敗した時、私は「自民党は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露するだろう」と予言した。それが私の知る自民党のやり方であり、それ以外に政権交代を阻止する手立てはないからである。その予言が現実になったのである。
 しかし大久保秘書の容疑は政治資金規正法の虚偽記載という形式犯で、しかも西松建設からの献金を実体のない政治団体からの献金と偽ったというものである。ところが政治団体には実体があり、検察の言いがかりに過ぎない。普通なら逮捕も考えられないし、起訴しても無罪の可能性がある。狙いは他にあると私は思った。
 それは小沢氏に代表を退くか、もしくは政界引退を促す検察の脅しである。大人しく言う事を聞けば秘書は起訴しない。しかし言う事を聞かなければ捜査を拡大し、必ず犯罪の証拠を握って見せるという脅しである。政権交代が確実な情勢なのにあなた一人が頑張ると民主党全体に迷惑をかけますよと検察は言っているのである。これに小沢氏がどう対応するかを私は注目した。すると小沢氏は痛烈に検察を批判し戦いを宣言した。
 恐らく検察は怒り心頭に達したに違いない。しかし追い込まれたのは検察である。いかにバカなメディアを煽り、バカな国会議員を煽っても、西松建設事件だけで小沢氏を政界から葬り去る事は出来ない。検察は有罪に出来る保証のない形式的な事件で大久保秘書を起訴せざるを得なくなった。
 その起訴を見届けてから小沢氏は鳩山由紀夫氏と代表を交代し、幹事長として選挙の采配を振るった。西松建設事件の影響は最小化され、日本で初の政権交代が実現した。これで検察はますます窮地に追い込まれた。何とか小沢氏と企業との関係を洗い出し、裏金を見つけ出さなければならない。必死の捜査が始まったのは政権交代の後である。
 ところが何も出てこない。出てきたのは嘘を言って前の福島県知事を逮捕させた水谷建設だけである。小沢氏側に1億円の裏金を渡したとの証言を得た。水谷建設は札付きの企業で、金を貰った政治家は政界にも地方自治体にもごろごろいる。水谷建設は叩けばいくらでもホコリが出る。だから検察がお目こぼしをすると言えば嘘八百を言ってでも検察に協力する。そんな企業しか見つからなかった時点で検察の負けなのだが、それでも叩けば何か出ると検察は考えた。
 そこで無理をして陸山会事件に着手する。これも容疑は政治資金規正法の虚偽記載である。小沢氏から一時立て替えてもらった4億円が記載されていないのを「裏金だからだ」と踏んで、「期ズレ」を虚偽記載として秘書3人を逮捕した。私にはこれも言いがかりに見えるが、秘書3人を叩けば何か出るだろうという「思い込み」捜査が始まった。
 それにしても検察は政権交代がかかる選挙直前に西松建設事件を摘発し、陸山会事件では現職の国会議員を通常国会の直前に逮捕した。かつて検察や警察を取材した経験のある私には信じられないやり方である。民主主義国家で最も尊重されなければならないのは国民の民意を問う選挙であり、国民の税金の使い道を議論する国会の審議である。捜査機関がそれに影響を与えるような事は決してやってはならない。それが民主主義国家の民主主義国家たる由縁である。その原理原則がいつの間にかこの国から消え失せていた。
 そこで『国民の敵』というブログを書いた。「思い込み」によって現職の国会議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、国民生活に関わる予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」だと書いた。また起訴された石川知裕衆議院議員の辞職勧告決議案を提出した自民党、公明党、みんなの党は国民主権が何かを知らない哀れな政党だと書いた。
 結局、検察は裏金の存在を立証する事が出来ず、また政治資金規正法の虚偽記載についても小沢氏を起訴する事が出来なかった。完全敗北である。すると政治的に小沢氏を葬り去ろうとする連中が動き出した。検察審査会が小沢氏を強制起訴に持ち込んだのである。理由は検察が「シロ」としただけでは納得ができず、裁判所の判断も聞いてみたいというのだから呆れた。
 「11人の愚か者が1億3千万人の国民生活の足を引っ張る判断をした」とブログに書いた。政治を裁くという事の重さを知らない凡俗が日本を世界に類例のない『痴呆国家』にしようとしたのである。しかしこれは小沢氏を追い詰めるどころか検察を追い詰める事になる。検察は唯一起訴する権限を有するから権力を持っている。それが起訴できず、一般市民に起訴してもらうのでは自らの存立基盤を壊す。それに気づかず強制起訴に協力した検事がいたら相当におめでたい。「検察審査会の強制起訴は逆に検察を追い詰める事になる」と『オザワの罠』というブログに書いた。
 その時がやってきた。石川知裕衆議院議員を取り調べた田代政弘検事と大久保隆規氏を取り調べた前田恒彦元検事が証人として小沢裁判に出廷した。人間はどんなに本当の事を喋ろうとしても本能的に自分を守るものである。法廷の証言でも証拠がなければ嘘をつく可能性がある。だから二人とも自分の取り調べに間違いはないと証言したが、それを私は信用しない。
 その部分を除くとしかし二人は実に興味深い証言を行なった。田代検事は「合理的であれば調書に取り入れるが、合理的でない供述は入れない」と証言した。「合理的」とは検察のストーリーに合致した事を言う。つまり取調べとは真相を究明する事ではなく、検察のストーリーに都合の良い言質をつまむ事だと言ったのである。それなら取調べの意味はない。
 そして田代検事は昨年5月に石川議員の取調べを行った際、実際のやり取りとは異なる架空の話を捜査報告書に書き入れた事を認めた。その嘘の捜査報告書が検察審査会の強制起訴の議決に影響を与えた可能性がある。大阪地検の前田元検事による証拠改竄は事件になったが、同じような証拠改竄が東京地検でも行なわれていたのである。田代検事は「記憶が混同した」と弁解したが、前田元検事も当初は「意図的でなく誤ってやった」と弁解した。
 その前田元検事は、検察に忠実であろうとして検察から切り捨てられた立場だけに、陸山会事件の捜査に批判的だった。応援要請を受けて大阪地検から東京地検に来た時「これは特捜部と小沢との全面戦争だ」と言われたと言った。そして捜査は「虚偽記載」ではなく「裏献金」に主眼が置かれていたと言い、しかし現場は厭戦ムードで捜査に積極的だったのは特捜部長と主任検事だけだったと明かしている。
 小沢氏の4億円を企業からの献金とするのを「妄想」と言い、事件の見立て、つまり検察が描いたストーリーが間違っていたと言った。だから「私なら小沢氏に無罪の判決を下す」と言うのである。水谷建設から石川議員への裏金も検察内部では「石川は受け取っていない」と言われていた事を明かした。
 ところが前田氏も「検察の想定と違う内容は証拠にしない」と言うのである。つまり検察に都合の悪い証拠は検察によって「隠滅」されるのがこの組織では常識なのである。これは立派な犯罪ではないか。
 国民の代表である政治家と「全面戦争する」と言うのは、国民主権を認めない組織がこの国に存在する事を意味している。その組織に都合の悪い証拠は隠滅される。これほどの感覚のズレを正すのに自己改革など到底無理な話である。行政権力を監視し、それを変える力は立法府にしかない。立法府がこの問題に真剣に取り組まなければ、日本は民主主義の名に値しない国の烙印を押される。
投稿者:田中良紹 日時:2011年12月18日23:48
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◆小沢一郎氏茶番裁判 特捜検察の恐るべきデタラメ/検察、警察はデッチ上げで犯罪、犯人を捏造している2011-12-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆小沢一郎氏裁判 第10回公判〈後〉前田恒彦元検事「私が裁判官なら小沢さん無罪」「検察、証拠隠しあった」2011-12-17
◆小沢一郎氏裁判 第10回公判〈前〉/前田恒彦元検事「上司から『特捜部と小沢の全面戦争だ』と言われた」2011-12-16
◆小沢一郎氏裁判 第9回公判〈後〉/証人 石川知裕議員女性秘書が語った深夜に及ぶ違法な取調べの実態2011-12-16
◆小沢一郎氏裁判 第9回公判〈前〉/証人 田代政弘検事「特捜部は恐ろしいところだ」=報告書に虚偽の記事2011-12-15

dokuhebinikidokuhebiniki 2012/01/31 16:15 1月8日 一市民T作の手嶋第一検審事務課長懺悔「年齢クルクル審査怪の本当の話」
手嶋東京第一検審事務課長とは何度も会って話をした。検察審査会の情報は集めるだけ集めた。お陰で年齢クルクル審査怪の謎がやっと解けてきた。
一番真実を語ってもらわなければならないのは手嶋課長だ。ところが、彼は逃げまくっている。
そこで、手嶋課長に成り代わって、一市民Tが手嶋課長の懺悔話を創作してみた。事実に近い線だと確信している。


まずは、年齢クルクルの経緯を簡単に。

<手嶋課長は、審査員平均年齢を3度も言い直した>

10月4日、手嶋東京第一検審事務課長は平均年齢を「30.9歳」と公表
このとき、各方面から「検察審査員は選挙人名簿から選ばれるにしては、審査員の平均年齢が若すぎないか?」との疑問が噴出
10月12日、手嶋課長は、「37歳の人を足し忘れていたので33.91歳」と訂正
「足し忘れ37歳を入れて計算しなおすと34.27歳になり計算が合わない」との指摘が続出
10月13日夕方、「二回目平均年齢は34.55歳」と再度訂正
「一回目議決の平均年齢も、34.27歳ではなく34.55歳だった」と訂正


<一市民Tが創作した「手嶋課長の懺悔話」>

『 巷では、東京第五検察審査会事務局が審査員選定等でインチキをやったように言われていますが、そうではありません。
"審査員にしたい人"を審査員として東京第五検審事務局に送り込み、起訴議決させ、議決した審査員平均年齢を計算し、三度も言い直しをしたのは、この私(手嶋東京第一検審事務課長)なのです。

これから、本当のことを、時間を追ってお話します。
ちょっと長いですが、大事な話なのでしっかり聞いて下さいね。

1.09年4月 これまで第一と第二の二つであった東京の検察審査会が、第一から第六の6つの事務局に分けられました。この時期に、最高裁事務総局から、東京第一検察審査会事務課長への赴任の命が下りました。
おりしも、政局は、09年3月西松事件で大久保秘書が起訴され、緊迫した時期を迎えておりました。

2.09年5月、審査員選定を担当する第一検審事務局に、従前からのガラガラポン抽選機に換えて、事務総局が開発した審査員ソフトを使うようにと、事務総局から通達がありました。

3.09年9月、事務総局のある方から、「来春、第五審査会で小沢起訴案件を審査してもらうことになると思う。別途名簿を届けるのでその名簿のメンバーを審査員にして待機してほしい」との極秘の依頼がありました。大変なことを仰せつかったのです。

4.09年9月、12月、10年3月、6月の計4回、以下の審査員選定を行いました。
磁気デスクに入った審査員候補者100人のデータを審査員選定ソフトに移し、これに極秘に頂いた名簿の人達をハンドで入力。さらに審査員候補者100人の欠格事由の項にレ点を入れ100人全てを消除。クリックして選定。
こうして、インチキソフトから、極秘に頂いた名簿の人達だけを審査員・補充員としてアウトプットし、それを傳田第五検察審査会事務局長に届けました。
傳田事務局長は私がこのようなインチキ操作をしたことを知らないと思います。
依頼者や名簿提供者の名前は口が裂けても言えません。墓場まで持っていくしかないでしょう。
(審査員選定ソフトの内容はhttp://my-dream.air-nifty.com/siryou/files/444.pdf)

5.一回目も二回目も起訴議決となりました。
二回目は、9月14日の代表選投票日に急遽議決をとることになりましたが、全員が起訴議決に賛成したようですね。
恣意的に選んだ審査員で構成していたからこそ、急遽の起訴議決も可能だったと思います。事務総局の思惑通りにことが進んだということです。

6.傳田事務局長から議決したメンバーの名簿をもらい、その人達の生年月日から議決時の年齢を出し、平均年齢を計算し公表しました。
それが、一回目34.27歳、二回目30.9歳です。

7.ところが、二回目30.9歳と公表したところ「若すぎる。確率的にもありえない」と指摘されたのです。
確かに若すぎます。これは名簿を提供した者が悪いんです。年寄りも混ぜてくれればよかったのに。

8.このままではインチキがばれてしまうのではと思い焦りました。
1人足し忘れがあったとして平均年齢のかさ上げを考えました。

9.もちろん、足し忘れなどしていません。
本当に37歳を足し忘れたのなら、誰だって平均年齢を(30.9×11+37)÷11=34.27歳と計算しますからね。
足し忘れをしていないので、以下のようにして平均年齢33.91歳を計算しました。
平均年齢を30.9×11÷10=33.99辺りにしようとしました。ところが、33.99歳にすると、11人の年齢合計が33.99×11=373.89となり整数になりません。そこで年齢合計を0.89歳の端数を切って373とし、平均年齢を 373÷11=33.91歳と計算しました。

10.次に、足し忘れ年齢を逆算して出そうとしたのですが、ここで私は致命的な失策をしてしまいました。
平均年齢に33.91歳を使えばよいのに、勘違いをして、第一回議決平均年齢34.27歳を使って、足し忘れを(34.27−30.9)×11 ≒37歳としてしまったのです。
(33.91−30.9)×11≒33歳とすればよいのに。本当に迂闊でした。
一市民Tさんはこれに気づいてしまったようですね。あの人は本当にしつこい人ですね。

11.33.91歳と訂正した途端に「37歳足し忘れだと33.91歳にはならず、34.27歳になる。しかも、34.27歳は第一回目の平均年齢だ。ミステリーだ。」と言われちゃいました。
平均年齢に34.27歳を使って足し忘れ37歳と出したのですから、逆算すれば34.27歳になるのは当たり前で、ミステリーなんかじゃないのですが。

12.足し忘れがないのに足し忘れがあったと嘘を付き、さらに間違った計算したのですから、もう観念して白状しなければいけないと思いました。
しかし、ここで、白状したら、事務総局の裏工作が明るみに出てしまいます。私達の昇給や昇進など人事権を握っている事務総局ですので、何をされるかわかりません。やむをえず、もう一度誤魔化す算段をしました。

13.疑われるのを承知で、今度は全く違ったグループの平均年齢を出すことにしました。
選管から提出された審査員候補者名簿の200人から若そうな人を選んで、それを呈示したのです。
本人に黙って名簿から年齢だけ拝借したのです。その平均年齢が34.55歳です。
こうしておけば、議決審査員名簿と審査員候補者名簿の生年月日をつき合わされても大丈夫ですからね。

14.一市民Tさんや畠山さん等から、「34.55歳になった筋道を教えろ」「生年月日を教えろ」なんて言われ困ってしまいました。最初呈示したグループと最終的に呈示したそれと全く関係ありませんから、説明できっこありません。
「(これまでに計上した)数字自体に誤りがあって」とか「議決時の年齢のところを就任時の年齢で計算した」など嘘をついてはぐらかすしかなかったのです。
生年月日なんかもちろん教えられませんよ。また、嘘吐くことになるのですから。

15.一回目議決の審査員平均年齢についても同じ操作をし、34.27歳から34.55歳に訂正しました。
審査員候補者200人の名簿の中から、年齢合計が377歳(=34.27×11)になるグループを探しました。ところがぴったりの人達を選ぶことはできず、377歳に一番近い人達を選びました。そうすると、年齢合計が380歳で、平均年齢が二回目と同じ34.55歳になってしまいました。まずいとは思いましたが、名簿同士の辻褄を合わせることを優先して、この数字を呈示することにしました。訂正の理由は「就任時の年齢で算出していたものを、議決時の年齢に直したため」としました。もちろんこれも作り話です。

16.平均年齢が二回とも34.55歳になる確率は100万回に1回など言われましたが、その当時、私は確率のことなど考えていませんでした。
後から異動してきた長瀬第一事務局長は「それ(100万回に1回)が有ったんですよ」など言って嘘を吐いて頑張ってくれましたが、クジで二回とも34.55歳を一発で引くなんて確かに不可能ですね。
二回とも34.55歳になったということは、インチキをしたと言われて当然ですね。

大変なことをしてしまって、そして嘘ばかりついてごめんなさい。
それにしても、事務総局も検察も、私一人に押し付けて知らん顔。酷いですね。』


2012年1月 8日

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November 01(Tue), 2011 西部邁 このエントリーを含むブックマーク

西部 邁(にしべ すすむ、1939年3月15日 - )は日本の評論家、思想家、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。

目次

1 経歴

2 思想

3 受賞

4 雑誌の刊行

5 テレビ出演

6 映画出演

7 エピソード

8 作品

8.1 単著

8.2 共著

8.2.1 一部執筆/インタビュー書籍

8.3 翻訳

8.4 音声・動画作品

9 脚注

10 関連項目

10.1 門下生

10.2 雑誌

10.3 その他

11 外部リンク

経歴 [編集]1939年3月、北海道山越郡の漁師町・長万部町に生まれる[1]。父は浄土真宗派の末寺の末男で農協職員。札幌郡厚別の信濃小学校(この頃、吃りであったと明かしている[2])、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校に進学。高校卒業まではマルクスレーニンスターリンも毛沢東も知らぬノンポリであった。1957年、東京大学の受験に落ち、その後一年間浪人生活を送る。

1958年4月、東京大学に入学、三鷹寮に入る。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に加盟する。在学中の1959年から教養学部で自治会委員長を務める。同委員長の選挙の際、西部はブントのメンバーたちとともに投票用紙を偽造してすり替え、共産党員の候補を落選させる[3]。また全学連の中央執行委員も務め、60年安保闘争に参加する[4]。

1961年3月、左翼過激派と訣別する。1964年3月、東京大学経済学部卒業。このころブントの活動家であった青木昌彦の勧めで東京大学大学院に進み、経済学を専攻する。指導教官は嘉治元郎。1971年3月、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。1972年連合赤軍による群馬県の榛名山での集団リンチ殺人事件の報道を目にして、そのときまで多少とも左翼に共感していたことへの道徳的反省をせざるをえなくなる。[5]横浜国立大学経済学部助教授、次いで東京大学教養学部助教授に就任する。経済学をはじめとする社会科学の細分化を一貫して批判する。1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では社会学などの方法論を導入して旧来の経済学を批判する。経済行為の象徴的意味の解釈を志向する社会経済学の構築をめざし注目される。その後渡米しカリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英しケンブリッジ大学に在籍。『蜃気楼の中へ』という英米滞在記を発表した。帰国後80年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍をはじめ、各方面で発言を続ける。高度大衆社会アメリカニズム批判と西欧流保守思想の擁護とを基軸にした評論活動を活発に行う。みずからも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱される。1986年、東京大学教養学部教授(社会経済学専攻)に就任する。

1988年、中沢新一東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所助手)を東京大学教養学部助教授に推薦。委員会は通ったが教授会の採決のとき一部の教官たちの妨害により否決される。同年3月、西部はこれに抗議して東京大学を辞任する(東大駒場騒動)。その後は評論活動を続けるとともに鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学教授・学頭を歴任。新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており理事会などへは出席しなかった。西尾幹二が台湾や金美齢を批判したことを巡って西尾との間で論争に発展した。台湾独立派の金美齢は「つくる会」に協力的だった。アメリカニズム、グローバリズム近代主義への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、アメリカ同時多発テロ事件以降の日本の親米知識人たちのアメリカ追従姿勢に対する批判は西尾や田久保忠衛らとの対立を招く。

2002年、小林よしのりとともに「つくる会」を脱退。以後「産経新聞」、「正論」、「諸君!」などを中心とする日本の親米保守の知識人たちと一線を画し彼らを批判。アメリカイラク侵攻に大義はないと主張し彼らと対立した。また女系天皇を容認する皇室典範改正を是としたことから「左に回帰した」との批判を受ける。だが、現在も日本の核武装、徴兵制の導入、防衛費の倍増、尖閣諸島実効支配強化などを主張している。

思想 [編集]西部は『発言者』塾[6]の心得十箇条として、以下のように自らの思想の方向を要約している。

人間を「言葉の動物」と理解する。

言葉の産物としての個人および集団における意味的現象を総合的に解釈する。

意味的解釈という矛盾をはらんだ作業において平衡をとる。

人工言語に傾くものとしての概念・理論と自然言語に傾くものとしての思想・実践とを両立させる。

人生経験、認識活動および政治行動の融合をはかる。

言葉の基礎としての歴史の英知を保守する。

戦後日本を歴史破壊的時代として懐疑する。

異世代および異国人にたいする接近と離反において中庸を守る。

大衆教育(大学)と大衆伝達(マスコミ)が、言葉・解釈・経験・実践・歴史の一切を平板化させていることにたいして、批判を差し向ける。

哲学(真)、宗教(善)、および芸術(美)への関心を絶やさないことによって、虚無主義にたいする防波堤を築く。

受賞 [編集]1983年 『経済倫理学序説』で吉野作造賞を受賞

1984年 『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞を受賞

1992年 評論活動により第八回・正論大賞を受賞

2010年 『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞

雑誌の刊行 [編集]1994年4月、真正保守思想を標榜する月刊オピニオン誌「発言者」(西部邁事務所、秀明出版会)を創刊し主幹を務めていたが2005年3月、財政上の理由により廃刊。

1997年の創刊から1998年の休刊まで英文雑誌「JAPAN CURRENTS」(日本国民文化研究所)の総合監修を務める。

2003年7月、「北の発言」を創刊するがその後財政上の理由により廃刊。

2005年より「発言者」の後継誌「表現者」(ジョルダン)が刊行されており西部はその顧問を務めている。

テレビ出演 [編集]東大辞職後はテレビ出演が多くなる。テレビ朝日系列の討論番組『朝まで生テレビ!』の準レギュラーでもあった。

2004年12月から東京MXテレビの『談志・陳平の言いたい放だい』に出演。2005年4月、立川談志野末陳平吉村作治毒蝮三太夫と「談シング5(ファイブ)」を結成。

2008年10月、「談志・陳平の言いたい放だい」の後番組として、西部が司会を務める『続・言いたい放だい』の放送が始まる(2009年1月より番組名を「西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜」と改題)。富岡幸一郎や東谷暁がゲストとして何度も出演している。

2008年以降、フジテレビの番組『報道2001』に頻繁に出演し持論を展開した。

2009年4月4日、『西部邁・佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。近現代史上の著名人についての持論を展開。2010年4月2日に終了。その後好評につきアンコール放送される。

2010年4月3日、「本」をテーマにした対談番組『西部邁・佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。

2011年、「映画」をテーマにした対談番組『西部邁・佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。

映画出演 [編集]公開年 タイトル 監督

2005年 LEFT ALONE 井土紀州

2009年 ベオグラード1999 金子遊

エピソード [編集]法哲学の井上達夫は駒場時代に助手であったころ西部から大きな影響を受けた。千葉大学助教授となった井上が論壇に押し上げられたのは、西部がサントリー学芸賞選考で井上を高く評価したことによる[要出典]。

西部は自分の好き嫌いについて次のように述べている[7]。

好き 嫌い

人物 自分 自分

言葉 保守 革新

食べ物 うどん 幕の内弁当

学問 ある種の哲学 あらゆる種類の経済学

芸術 ある種の絵画 最近の文学

スポーツ なし なし

動物 猫 人間と言いたいところだが、なし

宗教 すべての旧宗教と言いたいところだが、なし すべての新興宗教と言いたいところだが、なし

国(人種) まずイタリア、次にイギリスと言いたいが、やはり日本 まずアメリカ、次に韓国と言いたいが、やはり日本

1992年、東京都東村山市憲法記念日の行事として市主催の講演会を開催することになり西部に講演を依頼した。西部が快諾し講演会の開催が決まったところ、一部市民団体などが「改憲を主張する西部氏を市主催行事の講師に招くということは東村山市が改憲を支持しているに等しい」等と抗議した。これに対し市は「西部氏は東村山市民なので依頼したのであり市が改憲を主張しようということではない」と説明したが市民団体などはごね続けた。そこで市は護憲派も講師に招こうと考えたが市内には護憲派の著名人がいなかったため南隣の東京都国分寺市に所在する東京経済大学の教授(当時)で護憲派の色川大吉に依頼した。色川は「西部さんとは旧知で何度も議論しているので是非参加したい」と快諾。市民団体もごねるのを止め講演会は無事開催されるに至った。

2001年8月、船橋市立西図書館のある司書が同館所蔵の西部の多数の著書などを廃棄基準に該当しないにもかかわらず除籍・廃棄した(船橋市西図書館蔵書破棄事件)。西部はこの件を引き合いに出して次のように言っている。

つい先だって、船橋の市立図書館で、私の書物が一冊を除いてすべてひそかに廃棄されるという扱いを受けたが、次の焚書(ふんしょ)に当たっては、本書(『知性の構造』ハルキ文庫版)がその一冊の例外になるという名誉にあずかれればと切望する。坑儒されてみたいくらいに思っている私がなぜこんなことをいうのか。それは、本書がどこかに残っていれば、その作成に携わってくれた皆様に――単行本を物にしてくれた小山晃一氏を含めて――ささやかな返礼ができると思うからである。

西部邁『知性の構造』ハルキ文庫、2002年、270頁。

2002年、西部は東京西麻布の裏通りにあるイタリアン・レストラン「ゼフィーロ」の地主となった[8]。長男の一明が同レストランのオーナー兼支配人(建て物所有者兼店舗経営者)を務めた。同レストランは2007年4月に閉店。

西部が高く評価している日本人は山本常朝、福澤諭吉夏目漱石坂口安吾、田中美知太郎、福田恆存三島由紀夫などである[9]。

親米派論壇人たちがみずからの輪の中で閉塞してゆく状況にあって姜尚中と対談したり「週刊金曜日」の取材に応じたりと立場の違うものとも積極的に対話しようとする姿勢は際立っている。

西部は自分が念じることおよび自分の生死の意味について次のように述べている。

私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。

つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

— 『寓喩としての人生』徳間書店、238頁。

「WiLL」2011年4月号で大相撲の八百長を擁護した[10]。

作品 [編集] 単著 [編集]『ソシオ・エコノミックス 集団の経済行動』 中央公論社、1975年。

『ソシオ・エコノミックス』 イプシロン出版企画、2006年4月。ISBN 4-903145-03-4。

『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 日本評論社、1979年6月。

『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 中央公論社中公文庫〉、1985年8月。ISBN 4-12-201246-5。

『経済倫理学序説』 中央公論社、1983年3月。

『経済倫理学序説』 中央公論社中公文庫〉、1991年11月。ISBN 4-12-201854-4。

ケインズ岩波書店〈20世紀思想家文庫 7〉、1983年4月。

『大衆への反逆』 文藝春秋、1983年7月。

『大衆への反逆』 PHP研究所PHP文庫〉、1991年4月。ISBN 4-569-56349-X。

『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房、1984年7月。

『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房ちくま文庫〉、1992年1月。ISBN 4-480-02594-4。

『論士歴問 大衆社会をこえていく綱渡り』 プレジデント社、1984年10月。ISBN 4-8334-1238-1。

『幻像の保守へ』 文藝春秋、1985年7月。

大衆社会のゆくえ』 日本放送協会編、日本放送出版協会〈NHK市民大学〉、1986年7月。

『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文藝春秋、1986年10月。ISBN 4-16-340990-4。

『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー洋泉社〈MC新書 17〉、2007年6月。ISBN 978-4-86248-149-8。

『大衆の病理 袋小路にたちすくむ戦後日本』 日本放送出版協会NHKブックス 518〉、1987年1月。ISBN 4-14-001518-7。

『批評する精神』 PHP研究所、1987年6月。ISBN 4-569-22038-X。

『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 日本経済新聞社、1987年9月。ISBN 4-532-09450-X。

『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 PHP研究所PHP文庫〉、1991年12月。ISBN 4-569-56435-6。

『大錯覚時代』 新潮社、1987年10月。ISBN 4-10-367501-2。

『剥がされた仮面 東大駒場騒動記』 文藝春秋、1988年7月。ISBN 4-16-342480-6。

『大衆民主主義を疑う』 自由民主党調査局政治資料研究会議〈情報資料 368号〉、1988年11月。

『新・学問論』 講談社講談社現代新書〉、1989年2月。ISBN 4-06-148936-4。

『学者この喜劇的なるもの』 草思社、1989年6月。ISBN 4-7942-0345-4。

『サンチョ・キホーテの眼』 文藝春秋、1989年6月。ISBN 4-16-343340-6。

『批評する精神』続、PHP研究所、1989年8月。ISBN 4-569-52542-3。

ニヒリズムを超えて』 日本文芸社、1989年10月。ISBN 4-537-04986-3。

ニヒリズムを超えて』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、1997年11月。ISBN 4-89456-362-2。

マスコミ亡国論 日本はなぜ“卑しい国”になったのか』 光文社カッパ・ブックス〉、1990年4月。ISBN 4-334-00494-6。

『白昼への意志 現代民主政治論』 中央公論社、1991年1月。ISBN 4-12-001988-8。

マスメディアを撃て』 PHP研究所、1991年2月。ISBN 4-569-52976-3。

『戦争論 絶対平和主義批判』 日本文芸社、1991年6月。ISBN 4-537-05003-9。

『戦争論 暴力と道徳のあいだ』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2002年2月。ISBN 4-89456-957-4。

『思想史の相貌 近代日本の思想家たち』 世界文化社、1991年6月。ISBN 4-418-91511-7。

『思想史の相貌』 徳間書店徳間文庫〉、1997年12月。ISBN 4-19-890809-5。

『私の憲法論 日本国憲法改正試案』 徳間書店、1991年6月。ISBN 4-19-554590-0。

『私の憲法論 真正保守による改正試案』 徳間書店徳間文庫〉、1999年5月。ISBN 4-19-891110-X。

『批評する精神』3、PHP研究所、1992年1月。ISBN 4-569-53524-0。

『人間論』 日本文芸社、1992年4月。ISBN 4-537-05012-8。

『人間論』 PHP研究所PHP文庫〉、1996年3月。ISBN 4-569-56837-8。

『批評する精神』4、PHP研究所、1993年2月。ISBN 4-569-53894-0。

『「成熟」とは何か 新政経学のすすめ』 講談社、1993年4月。ISBN 4-06-206429-4。

リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想』 学習研究社、1993年7月。ISBN 4-05-105638-4。

『日本人の嘘 政治改革からマスコミ世論まで』 光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0669-8。

『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』 PHP研究所、1994年6月。ISBN 4-569-54318-9。

『歴史の復権 「文明」と「成熟」の構図』 東洋経済新報社〈日本を考える〉、1994年7月。ISBN 4-492-08554-8。

『死生論』 日本文芸社、1994年11月。ISBN 4-537-05035-7。

『死生論』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、1997年5月。ISBN 4-89456-311-8。

『日本とは何か日本人とは何か 正統知識人の驚くべき先見力』第1巻、広済堂出版〈みんなに聞いて欲しい心の物語〉、1995年7月。ISBN 4-331-50490-5。

『世人に言上したきことあり』 新潮社、1996年1月。ISBN 4-10-367502-0。

『現在への証言 平成の世と切り結ぶ』 広済堂出版、1996年2月。ISBN 4-331-50519-7。

『破壊主義者の群れ その蛮行から日本をいかに守るか』 PHP研究所、1996年3月。ISBN 4-569-54969-1。

『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』 文藝春秋、1996年4月。ISBN 4-16-350900-3。

『知性の構造』 角川春樹事務所、1996年7月。ISBN 4-89456-025-9。

『知性の構造』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2002年11月。ISBN 4-7584-3014-4。

『知識人の生態』 PHP研究所PHP新書〉、1996年11月。ISBN 4-569-55365-6。

『「国柄」の思想』 徳間書店、1997年1月。ISBN 4-19-860634-X。

開発経済学研究派遣制度研究報告書. 平成7年度-平成8年度』 大蔵省財政金融研究所研究部、1997年。

『恐慌前夜の独り言』 新潮社、1998年2月。ISBN 4-10-367503-9。

『なぜ「日本売り」は起きたのか 愚かなるかな、改革論者よ』 PHP研究所、1998年3月。ISBN 4-569-55977-8。

『国家と歴史 状況の中で』 秀明出版会〈発言者双書 1〉、1998年4月。ISBN 4-915855-11-2。

『寓喩としての人生』 徳間書店、1998年6月。ISBN 4-19-860864-4。

西部邁の論争の手引き』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1998年9月。ISBN 4-526-04242-0。

『虚無の構造』 飛鳥新社、1999年4月。ISBN 4-87031-366-9。

西部邁の論争ふたたび 対米属国からぬけでる方法』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1999年11月。ISBN 4-526-04470-9。

福澤諭吉 その武士道と愛国心文藝春秋、1999年12月。ISBN 4-16-355800-4。

国民の道徳新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞ニュースサービス、2000年10月。ISBN 978-4-594-02937-1。

ナショナリズムの仁・義』 PHP研究所、2000年12月。ISBN 4-569-61428-0。

エコノミストの犯罪 「失われた10年」を招いたのは誰か』 PHP研究所、2002年4月。ISBN 4-569-62063-9。

『保守思想のための39章』 筑摩書房ちくま新書〉、2002年9月。ISBN 4-480-05966-0。

『人生の作法』 飛鳥新社、2002年10月。ISBN 4-87031-521-1。

『獅子たりえぬ超大国 なぜアメリカは強迫的に世界覇権を求めるのか』 日本実業出版社、2003年4月。ISBN 4-534-03569-1。

アメリカの大罪』 小学館小学館文庫〉、2003年7月。ISBN 4-09-405711-0。 - 西部邁の論争ふたたび』(日刊工業新聞社、1999)から再編集。

『わが憲法改正案 「大切な心」を忘れた日本人』 ビジネス社、2004年4月。ISBN 4-8284-1115-1。

『学問』 講談社、2004年4月。ISBN 4-06-212369-X。

『人生読本』 ダイヤモンド社、2004年7月。ISBN 4-478-70311-6。

『友情 ある半チョッパリとの四十五年』 新潮社、2005年4月。ISBN 4-10-367504-7。

『無念の戦後史』 講談社、2005年8月。ISBN 4-06-213057-2。

『核武装論 当たり前の話をしようではないか』 講談社講談社現代新書〉、2007年3月。ISBN 978-4-06-149884-6。

『教育 不可能なれども』 ダイヤモンド社、2007年7月。ISBN 978-4-478-00200-1。

『「日本国憲法」を読む』上、イプシロン出版企画、2007年8月。ISBN 978-4-903145-20-4。

『妻と僕 寓話と化す我らの死』 飛鳥新社、2008年7月。ISBN 978-4-87031-851-9。

『「日本国憲法」を読む』下、イプシロン出版企画、2008年9月。ISBN 978-4-903145-21-1。

『サンチョ・キホーテの旅』 新潮社、2009年3月。ISBN 978-4-10-367505-1。

『陥没する世界のなかでの「しあわせ」論』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年1月。ISBN 978-4-915933-07-3。

『だからキミの悩みは黄金に輝く 西部邁の人生相談』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年4月。ISBN 978-4-915933-20-2。

『14歳からの戦争論』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年10月。ISBN 978-4-915933-25-7。

『昔、言葉は思想であった 語源からみた現代』 時事通信出版局、2009年11月。ISBN 978-4-7887-0974-4。

焚書坑儒のすすめ エコノミストの恣意を思惟して』 ミネルヴァ書房、2009年11月。ISBN 978-4-623-05621-7。

小沢一郎は背広を着たゴロツキである。 私の政治家見験録』 飛鳥新社、2010年7月。ISBN 978-4-86410-029-8。

共著 [編集]富岡多恵子 『大衆論 対談』 草思社、1984年7月。

笠井潔・川村湊・小阪修平竹田青嗣・長崎浩 『西部邁ビジネス文明批判 尾根道をたどりながら』 作品社〈<現在>との対話 6〉、1986年4月。ISBN 4-87893-606-1。

加藤尚武 『烈々豪々(Let's go!)人生学』 理想社、1988年11月。

石川好 『覚悟! 朝まで討論=<日本>』 弓立社、1989年5月。ISBN 4-89667-122-8。

栗本慎一郎 『立ち腐れる日本 その病毒は、どこから来たのか』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1991年9月。ISBN 4-334-06062-5。

新野哲也 『正気の保ち方 「繁栄の空虚」からいかに脱するか』 光文社〈カッパ・ビジネス〉、1992年5月。ISBN 4-334-01266-3。

三田誠広 『息子の教育 闘論』 プレジデント社、1994年11月。ISBN 4-8334-1545-3。

秋山祐徳 『ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き替える』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1995年5月。ISBN 4-334-06096-X。

『日本の自画像』vol.3、うら梅の郷会編、葦書房、1995年6月。ISBN 4-7512-0600-1。

小林よしのり福田和也佐伯啓思 『国家と戦争 徹底討議』 飛鳥新社、1999年6月。ISBN 4-87031-371-5。

榊原英資・飯田経夫 『大いなる説得 われらの子と孫への提言』 西部邁責任編集、日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、2000年11月。ISBN 4-526-04674-4。

福田和也佐伯啓思絓秀実 『テロルと国家 徹底討議』 飛鳥新社、2002年4月。ISBN 4-87031-499-1。

中曾根康弘松井孝典 『論争教育とは何か』 文藝春秋文春新書〉、2002年5月。ISBN 4-16-660249-7。

小林よしのり 『反米という作法』 小学館、2002年9月。ISBN 4-09-389053-6。

田原総一朗姜尚中愛国心講談社、2003年6月。ISBN 4-06-211911-0。

田原総一朗姜尚中愛国心講談社講談社+α文庫〉、2005年7月。ISBN 4-06-256952-3。

小林よしのり 『アホ腰抜けビョーキの親米保守飛鳥新社、2003年7月。ISBN 4-87031-564-5。

小林よしのり 『本日の雑談』1、飛鳥新社、2004年5月。ISBN 4-87031-608-0。

小林よしのり 『本日の雑談』2、飛鳥新社、2004年7月。ISBN 4-87031-623-4。

中曽根康弘松本健一憲法改正大闘論 「国民憲法」はこうして創る』 ビジネス社、2004年9月。ISBN 4-8284-1144-5。

小林よしのり 『本日の雑談』3、飛鳥新社、2004年10月。ISBN 4-87031-640-4。

小林よしのり 『本日の雑談』4、飛鳥新社、2004年12月。ISBN 4-87031-648-X。

金子勝・姜尚中・金美齢・小林よしのり・高野孟・西部邁樋口恵子・森本敏 『「愛国心」「国益」とはなにか。 朝まで生テレビ!』 田原総一朗責任編集、アスコム、2004年2月。ISBN 4-7762-0133-X。

小林よしのり 『本日の雑談』5、飛鳥新社、2005年3月。ISBN 4-87031-659-5。

小林よしのり 『本日の雑談』6、飛鳥新社、2005年6月。ISBN 4-87031-675-7。

ケインズイプシロン出版企画 (発売)、2005年7月。ISBN 4-903145-02-6。

小林よしのり 『本日の雑談』7、飛鳥新社、2005年8月。ISBN 4-87031-689-7。

中曾根康弘松井孝典松本健一 『「昭和80年」戦後の読み方』 文藝春秋文春新書〉、2005年8月。ISBN 4-16-660458-9。

小林よしのり 『本日の雑談』8、飛鳥新社、2005年11月。ISBN 4-87031-697-8。

弘兼憲史 『本日の雑談』9(第2期 1)、飛鳥新社、2006年6月。ISBN 4-87031-707-9。

鈴木宗男・宮崎学 『日本と戦う』 講談社、2006年8月。ISBN 4-06-213506-X。

弘兼憲史 『本日の雑談』10(第2期 2)、飛鳥新社、2006年10月。ISBN 4-87031-723-0。

辻惠 『道義あふれる国へ 「美しい国へ」の欺瞞を撃つ』 イプシロン出版企画、2007年2月。ISBN 978-4-903145-23-5。

中島岳志 『保守問答』 講談社、2008年1月。ISBN 978-4-06-214505-3。

中島岳志 『パール判決を問い直す 「日本無罪論」の真相』 講談社講談社現代新書〉、2008年7月。ISBN 978-4-06-287954-5。

佐高信 『思想放談』 朝日新聞出版、2009年10月。ISBN 978-4-02-250639-9。

宮崎正弘日米安保50年』 海竜社、2010年1月。ISBN 978-4-7593-1109-9。

波頭亮 『知識人の裏切り どこまで続く、平成日本の漂流』 筑摩書房ちくま文庫 に3-2〉、2010年3月。ISBN 978-4-480-42698-7。

西田昌司佐伯啓思 『保守誕生 日本を陥没から救え』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2010年3月。ISBN 978-4-915933-32-5。

一部執筆/インタビュー書籍 [編集]「技術進歩の諸問題」、『現代経済学の展開』 嘉治元郎・村上泰亮編、勁草書房、1971年。

社会学的基礎 経済体制の原型を求めて」、『経済体制論』第2巻、東洋経済新報社、1978年3月。

「異端の経済学――ケインズハイエク」、『1990年代の日本経済』 経済展望談話会編、経済展望談話会〈経済展望談話会セミナー 第11集〉、1985年3月。ISBN 4-13-043026-2。

「知識人と大衆」、『NHK文化講演会』13、NHK編、日本放送出版協会、1986年2月。ISBN 4-14-008471-5。

『日本教育会叢書』第14集、日本教育会編、日本教育会、1987年。

ヘーゲル読本』 加藤尚武編、法政大学出版局、1987年3月。

筑紫哲也井上ひさしほか 『若者たちの大神 筑紫哲也対論集』 朝日新聞社、1987年8月。ISBN 4-02-255738-9。

赤瀬川原平市川右近ほか 『百人力新発売 新しい「知」を担う百人一論 ネオ・インテリジェンス宣言』 文春ネスコ、1988年11月。ISBN 4-89036-752-7。

『時代を仕掛ける 田原総一郎と10人の男たち』 田原総一朗編、フジテレビ出版、1989年9月。ISBN 4-594-00460-1。

岡崎久彦 『情報・戦略論ノートpart2 歴史と戦略について』 PHP研究所、1990年2月。ISBN 4-569-52678-0。

西部邁ほか 『天下国家の語り方 日本と世界、政治と経済をめぐる「神話」の検証!』 JICC出版局別冊宝島115〉、1990年。

『知の位相空間 現代の知性13人へのインタビュー集』 井尻千男編著、HBJ出版局、1991年3月。ISBN 4-8337-5063-5。

村上泰亮 『村上さんを偲んで』 出版社不明、1993年8月。

秦野章・平山郁夫 『秦野章の辛口モーニング 話題の対談番組再録』 テレビ東京編、東急エージェンシー出版部、1994年2月。ISBN 4-88497-024-1。

田中美知太郎・山崎正和ほか 『プラトンに学ぶ 田中美知太郎対話集』 日本文芸社、1994年7月。ISBN 4-537-05034-9。

メディアの迷走 誇りなき報道が国を亡ぼす』 粕谷一希編著、PHP研究所、1994年11月。ISBN 4-569-54504-1。

勝田吉太郎著作集』第8巻、ミネルヴァ書房、1995年1月。ISBN 4-623-02475-X。

佐々木毅吉本隆明ほか 『日本の境位を探る』 四谷ラウンド、1995年10月。ISBN 4-946515-01-1。

小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』1、小学館、1996年8月。ISBN 4-09-389001-3。

小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』1、小学館小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405141-4。

中上健次柄谷行人中上健次発言集成』2、第三文明社、1995年12月。ISBN 4-476-03196-X。

草柳文恵・若杉敬明ほか 『21世紀の郵便局サービスを考える 郵便局ビジョン2010』 アール・エフ・ラジオ日本編、透土社、1997年9月。ISBN 4-924828-52-1。

小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』2、小学館、1997年3月。ISBN 4-09-389002-1。

小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』2、小学館小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405142-2。

谷沢永一松下幸之助 『Voice主要論文集』 PHP研究所編、PHP研究所、1997年12月。ISBN 4-569-55915-8。

大月隆寛岡田斗司夫 『もの書きがTVに出るということ NHK「ナイト・ジャーナル」をくぐりぬけて』 新紀元社、1998年2月。ISBN 4-88317-688-6。

谷沢永一 『人さわがせ』 バンガード社〈本音を語る 2〉、1998年6月。ISBN 4-915599-13-2。

爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎、1998年6月。ISBN 978-4-87728-233-2。

爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎幻冬舎文庫〉、2001年8月。ISBN 4-344-40150-6。

岸本裕紀子 『日本の母』 廣済堂出版、1998年8月。ISBN 4-331-50646-0。

矢内裕幸・森毅ほか 『怖いもんなし23人の喋るぞ! 闘う文化人のガクモンのすすめ』 旺文社、1999年4月。ISBN 4-01-055007-4。

加地伸行小浜逸郎 『この思想家のどこを読むのか 福沢諭吉から丸山真男まで』 洋泉社〈新書y〉、2001年2月。ISBN 4-89691-518-6。

『新しい公民教科書 市販本』 扶桑社、2001年6月。ISBN 4-594-03156-0。

『JC発「教育改革」待ったなし』 日本青年会議所編、ぱるす出版、2001年10月。ISBN 4-8276-0187-9。

『鬼畜米英 がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ!!』 木村三浩責任編集、鹿砦社、2003年4月。ISBN 4-8463-0506-6。

合意形成論 総論賛成・各論反対のジレンマ』 土木学会編集委員会編、土木学会土木学会誌叢書 2〉、2004年3月。ISBN 4-8106-0469-1。

浜田卓二郎松本健一ほか 『ネバー・ギブ・アップ』 アートデイズ、2004年5月。ISBN 4-86119-028-2。

西部邁述「世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです」、『本の本音』 高橋誠・森恵子編著、生活情報センター、2004年9月。ISBN 4-86126-139-2。

『憲法の論点 『正論』傑作選』 『正論』編集部編、産経新聞ニュースサービス、2004年10月。ISBN 4-594-04810-2。

絓秀実井土紀州松田政男西部邁柄谷行人・津村喬・花咲政之輔上野昂志丹生谷貴志Left alone 持続するニューレフトの「68年革命」』 明石書店、2005年2月。ISBN 4-7503-2045-5。

阿川弘之森達也男たちの大和 YAMATO』 イプシロン出版企画、2005年。 - 雑誌扱い。

関岡英之・佐藤優ほか 『アメリカ日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』 関岡英之イースト・プレス特別取材班編、イースト・プレス〈East Press nonfiction 6〉、2006年12月。ISBN 4-87257-744-2。

平沼赳夫正しい日本を創る会 『日本の正道 真の保守政治を確立するための政策提言』 PHP研究所、2007年7月。ISBN 978-4-569-69291-3。

「列島人の愚行、錯誤そして自殺」、『「日米安保」とは何か』 藤原書店編集部編、藤原書店、2010年8月。ISBN 978-4-89434-754-0。

翻訳 [編集]ミルトン・フリードマン 『価格理論』 内田忠夫・西部邁・深谷昌弘訳、好学社、1972年

シュムペーターのヴィジョン 『資本主義社会主義民主主義』の現代的評価』 A・ヒアチェ編、西部邁ほか訳、HBJ出版局、1983年8月。ISBN 4-8337-5002-3。

スティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所、1997年12月。ISBN 4-89456-045-3。

スティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2004年5月。ISBN 4-7584-3104-3。

音声・動画作品 [編集]『真正保守思想を求めて』2、エピック・ソニー、1989年。

西部邁の「反論を待つ」』2、エピック・ソニー、1990年。

西部邁の「反論を待つ」』3、エピック・ソニー、1990年。

メディアが世界を変える』第16巻、中京テレビ編、丸善。

脚注 [編集]^ 『妻と僕』(飛鳥新社)の巻末に西部の詳細な経歴が掲載されている。

^ http://www.youtube.com/watch?v=Qrt4ZvJ-rmg

^ 西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文芸春秋、1986年、36-37頁。

^ 田原総一朗のコラムによると、西部は安保条約の中身も読まずに反対していた、としている。http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110810/280586/

^ 『寓喩としての人生』175 - 177頁。『妻と僕』61 - 63頁。

^ のちに『表現者』塾に改名。

^ 西部邁栗本慎一郎『立ち腐れる日本』光文社、1991年、225頁。

^ 西部邁「レストランの地主となって」『文藝春秋平成14年6月号

^ 『思想史の相貌』(徳間文庫)などを参照。

^ 西部邁「大新聞、テレビは統合失調症だ」、『WiLL』、ワック、2011年4月。

関連項目 [編集] 門下生 [編集]佐伯啓思

間宮陽介

宮本光晴

坂井素思

佐藤光

雑誌 [編集]発言者

表現者

北の発言

京の発言

その他 [編集]知性の構造

東大駒場騒動

表現者塾

船橋市西図書館蔵書破棄事件

保守思想

反米保守

外部リンク [編集]表現者塾

西部邁FAQ―西部邁のまこも部屋―

西部邁 - Yahoo!百科事典

西部邁: イラク戦争憲法改正、教育、天皇制 - 日本財団図書館

第150回 国会 第1号、参考人 西部邁君 - 参議院憲法調査会、平成12年11月15日

西部邁・佐高信の学問のすゝめ: I、II、アンコール、III - 朝日ニュースター

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October 30(Sun), 2011


柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - )は、日本の文芸評論家、思想家。本名は、柄谷 善男(よしお)。兵庫県尼崎市出身。

筆名は夏目漱石の小説『行人』にちなむ、と一般に言われるが、本人は、否定。トイレで「kojin」という語感と響きから偶然に思いついたという[1]。

「国家」「資本」「ネーション」とは区別されるものとして、「アソシエーション」という言葉を、近年では強調している。それにもとづき、2000年6月にはNAM(New Associationist Movement)を立ち上げる(2003年1月解散)。

2003年にMIT出版から『Transcritique on Kant and Marx』[9]を刊行。

2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)[10]を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。

2006年に岩波新書から『世界共和国へ』[11]を出版。なお「世界共和国」という言葉はカントの『永遠平和のために』(1795)からとられている。

2007年10月アメリカスタンフォード大学での講演をYouTube[12]で見ることができる。

2010年6月岩波書店から『世界史の構造』を出版した。

目次

1 経歴

1.1 1960 - 70年代

1.2 1980 - 90年代

1.3 2000 - 04年

1.4 2005年 -

2 人物

3 批判

4 略歴

5 受賞歴

6 著書

6.1 文学

6.2 哲学

6.3 共著

6.4 編著

6.5 共編著

6.6 選集

7 脚注

8 参考文献

9 外部リンク

10 関連項目・人物

経歴 [編集] 1960 - 70年代 [編集]1969年、夏目漱石を主題とした「意識と自然」で第12回群像新人文学賞評論部門を受賞[2]。文芸批評家としてのキャリアをスタートさせる。当時20歳で無名のすが秀実はデビュー前から柄谷のことを知っており(60年安保全学連のアクティビスト〔当時最年少〕としてであろう・柄谷は西部邁とよく全共闘を見物に行ったという)、文芸評論家としてデビューするなんて、変な人だな、と思ったという。[要出典]20代の柄谷は、吉本隆明の影響を強く受け[3]、学生のころはわざわざ吉本の家の近くにすんでいたこともある。また、評論に夏目漱石を選んだのは、『漱石とその時代』等の漱石論・保守派的な論客で知られる江藤淳に読んでもらいたかったからだという。柄谷は若い頃には江藤淳の文章を筆写して文章の練習をしていた。1975年にアメリカイェール大学で日本文学の講義を受け持ったのは江藤淳の推挙である。

文芸批評家としては「内向の世代」(古井由吉・後藤明生)を擁護。また中上健次とは、デビュー前から友人であり、その作品の終生における同伴者となる。中上の死の時には弔辞も読んでいる[4]。また、デビュー以来の漱石論は断続的に執筆し続け、作品論としては『草枕』『門』『三四郎』『明暗』『道草』『それから』『虞美人草』を新潮文庫版のそれぞれの解説に執筆している[5]。

1973年新左翼運動衰退のメルクマールとなる連合赤軍事件を暗に主題とした「マクベス論」を発表。以降「内面への道が外界への道である」[6]として、文芸批評の枠を超え、理論的(再)吟味を中心とした仕事を数多く行うこととなる。その中心にすえられたのが、価値形態論を中心としたマルクス『資本論』の読み直し・再解釈である。それは目論見的には、いままでのマルクス・レーニン主義の視点からでないマルクスを発見する、そして新たな連帯・コミュニケーションの形を見つけ出す、ということであった。

1973年「マルクスその可能性の中心」連載を『群像』で開始(1978年出版)。また1975年には、アメリカイェール大学で、ポール・ド・マンと出会う。1980年代に有名となった、文芸理論としてのディコンストラクション、イェール学派のド・マンを通して、1978年には哲学の脱構築のジャック・デリダにも出会った。

その理論的仕事は、メディアとしては三浦雅士編集長下の『現代思想』(1973 - )(青土社)に発表されることも多く[7]、蓮實重彦とともに1983年浅田彰『構造と力』で始まる「現代思想ブーム」「ニューアカデミズム」の一端を70年代において準備した。三浦は柄谷の『心理を越えたものの影ー小林秀雄と吉本隆明』[8]で、「同時代人を発見した」と思ったという。『現代思想』では70年代、柄谷が、その当時注目の言論人と、対談を多く務め[9]、三浦は柄谷を雑誌の方向性の中心に据えたという[10]。

1980 - 90年代 [編集]80年代、立て続けに『隠喩としての建築』『言語・数・貨幣』『探究?』『探究?』と発表。いわゆる「構造主義」「ポスト構造主義」の理論的再吟味とマルクス『資本論』の価値形態論の再吟味を同時に行う仕事を行った。その仕事は1995年『Architecture as Metaphor』としてまとめられ、英語版が出版された(2003年の岩波版『隠喩としての建築』はその和訳である)。日本における80年代消費社会とポストモダニズムの安易な結合を批判した『批評とポストモダン』(1984)と合わせ、その仕事は80年代、一世を風靡した。例えばこの時期、大岡昇平は、『批評とポストモダン』に小林秀雄のデビュー作「様々なる意匠」の再来を見出し[11]、東浩紀は、これを柄谷の作品で最も優れたものと、2000年代になって評した[12]。

1986年にはフランスポンピドゥー・センターで「前衛の日本」という大展覧会に付随したシンポジウムに、蓮實重彦・浅田彰とともに出席した。

『探求?』連載終了後の1988年から、数回の中断をはさみながらも、雑誌『思潮』『批評空間』を浅田彰とともに主宰(2002年まで)。スラヴォイ・ジジェクを日本ではじめて本格的に紹介し特集をくむなど、浅田彰の国際的な編集能力に助けられて、88年 - 91年の冷戦構造の崩壊という歴史的事件に耐えうる、高度な理論誌を実現した。この雑誌でしか読めない貴重な論文・インタビューも多い[13]。アドバイザリー・ボードには、エドワード・サイード、岩井克人、鈴木忠志らが名を連ねた。また若手批評家として東浩紀を生み出した。柄谷本人は、この雑誌を中心に、これまでの、構造と実存、あるいは個別性と単独性、一般性と普遍性の区別、についての議論を、カント再吟味という形に移行させて、90年代は継続させた。

また1990年代は、ポストモダン建築・脱構築主義建築の代表的作家である、磯崎新、ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスが主宰した、建築と多領域の対話の場としての国際会議Any conference[13](1991 - 2000)に参加。デザインや建築といった分野でも、脱領域的に読まれることとなる。ロサンジェルスで行われたANYの第1回目の会議の最初のパネルでは、デリダと一緒に壇上に並んだ。

1995年には、カリフォルニア大学アーバイン校で、「エクリチュールナショナリズム」[14]という論文を「人文科学の言説に関する国際会議」で発表。デリダがコメンテーターを務めた[14]。

1991年には、日本の湾岸戦争関与に反対してアピールする文学者たち[15]の中心人物として、運動を主導した。

1994年、法政大学の国際文化学部新設の取り下げに反対して、教員によるロックアウトを行う。なお、法政大学では第一教養部に所属し、英語を担当しており、文学部の所属ではなかった。

2000 - 04年 [編集]2001年、『トランスクリティーク カントとマルクス』を、その前年に自らも関わって立ち上げた生産者協同組合である、批評空間社[15][16]から出版、その内容をもとに、2000年6月、アソシエーション=「国家と資本への対抗運動」の活動、NAM(New Associationist Movement)[17][18]を立ち上げる。『NAM原理』(2000・太田出版)は、WEB上で、その内容が公開されながらも、当時1万7千部以上売れた。著名な複数のエコロジー活動家など、多数のものが参加し、最大700人の会員数を数えた[19]。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件発生した際、NAMのサイトに「テロにも報復戦争にも反対する」という旨の声明が出た。なお、『批評空間』のWEBサイト上で、9.11同時多発テロに対する柄谷行人のコメントとして「これは予言ではない」と題する文章が掲載された[16]。

2001年12月にはWEB上でのヴァーチャルな取引を、制度設計として組み込んだことを目玉とする地域通貨Q[20]を、NAMとは独立した任意団体として、西部忠を中心に立ち上げた。当初の予定では、批評空間社も、このQに参入し、そのproductsを部分的にQ支払い可能にさせ、出版・メディア、そして最終的には流通一般そのもの、の既成の成り立ちを、徐々に変革していくことが目指されていた。第3期批評空間創刊記念シンポジウムでは、建築や芸術のジャンルから磯崎新や岡崎乾二郎らがパネリストとして並び、地域通貨Qによる流通の変革への期待が述べられた。しかし、人間関係の軋轢、未知の問題点の噴出、ネット上でのコミュニケーションからおこる通信上の混乱などで、NAMは2003年1月に早々と解散。あるいは柄谷が「身も蓋もなく潰」した[17]。批評空間社も社長兼『批評空間』の編集者の内藤祐治の死(2002年春)を契機に解散した[21]。

トランスクリティーク』自体は2003年NAM解散後、MIT(マサチューセッツ工科大学出版)から英語版が出版された。ジジェクはこれを、「必読の書」と評した[18]。ジジェクは、その中で、しかしながら、柄谷のカント読解がヘーゲルによるカント批判を軽視しているのではないか?商人資本の強調が労働価値説の位置を不確かなものにしているのではないか?地域通貨という解決策にも疑念が残るのではないか?と最後に、羅列的かつ疑問符の形ではあるが指摘している[19][20]。また日本語版としては、岩波書店から柄谷行人集第三巻『トランスクリティーク』(2004)と言う形で第2版が出された。なお柄谷のカント読解は、初版出版時、岩波新カント全集監訳者の坂部恵から高い評価を受けている[21]。

また、柄谷は自身の「トランスクリティーク」という言葉を、ガヤトリ・C・スピヴァクの「プラネタリー」という言葉と親和性が高い、としている[22]。プラネタリー(惑星的)とはスピヴァクによると グローバリゼーション(地球全域化)という言葉への「重ね書き」」[23]として提案された。実際、短い期間であった近大人文研所長時代の、研究所のキャッチフレーズは「プラネタリー(惑星的)な思考と実践」「芸術とは何かを発見する術であり、認識を新たにする術であり、社会の生産のあり方をも変革する力、すでに存在する事物の再生産ではなく、まだ認識もされなかった事物を新たに見出し生み出す力、さらにその新たな事物を交換、流通させていくメディアの創設、社会関係の構築」であった。

2004年5月には近畿大学人文研での講義をもとにした『近代文学の終わり』[24]を早稲田文学[25]に発表。「若い人は「文学」をもうやらなくて結構です。かつての「近代文学」と持っている意義は同じだけど、何か、違うことを実現してください」という意のことを述べた。柄谷は、事実上この前後から、文芸批評を行っておらず、このジャンルから撤退同然である。別の場所では「これまでのスタンスのままで「文学」をいうことはできない。文学を続けたかったら、むしろそれを否定しなければならない」[26]とも述べている。

2004年11月には、京都大学で、この年の10月9日に亡くなったデリダの追悼シンポジウムに参加[27]。その中で「トランスクリティークとはディコンストラクションの否定ではなくその徹底化であると考えてもらってもいい」と述べた。

また同じく2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)[22]を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。

2005年 - [編集]2005年4月から朝日新聞の書評委員[23]。

2006年3月に[近畿大学国際人文科学研究所][24]所長を、副所長で、坂口安吾研究者の関井光男(柄谷とともに新坂口安吾全集を編集)とともに辞任。2006年1月19日の公開最終講義以降、外国を含め、大学においてゼミは行っていない。現在は自宅近くで、半年に一度、長池講義[25]という無料の公開講義を行っている(2007年11月より)。

2006年4月には「21世紀の教養新書」として再出発[28]することになった岩波新書赤版から刊行数1001点目・装丁リニューアル第1弾として『世界共和国へ』を出版。なお「世界共和国」という言葉はカントの『永遠平和のために』(1795)からとられている。

近年は佐藤優(『獄中記』)[26]や宮崎学(『法と掟と』)[27]への評価が高い[29]。柄谷のアソシエーション=「国家への対抗」が必然的に国家の法・実定法と緊張関係に入る、あるいは、それとは一定程度独立した自治的空間の創出を目指すことになる、ことから、さまざまな具体的な模索をしていることの一環(宮崎学「掟」への高評価・中間団体(丸山真男)の評価)[28]だと思われる[30]。またヴィトゲンシュタインやオースティン、ハーバート・ハートの流れを汲む英米法哲学の主流派の一人、ジョン・ロールズ(『正義論』『万民の法』)をカント的理念を法に持ち込むものとして、高く評価している。

なお、ネグリ=ハートのマルチチュード(有象無象)論に関しては、「二元性(帝国(グローバルな資本主義)対マルチチュード)は、諸国家の自立性を捨象する時にのみ想定される」[29]、つまり国家を軽視している、と懐疑的である。とはいえ、90年代終わり「『トランスクリティーク』を書いた時点では、(…)ネグリらの観点と似たものを持っていた」「グローバルな資本主義の深化が、ネーション=ステートというものを希薄にすると考え」ていた、とも認めている[31]。

新自由主義リバタリアニズムに関しても、その思潮は、リベラルな外観のもとに、実質的に、国家と資本、政治と経済の結合を強め、国家的統治を強化することにしかならず、しかもそのことを隠蔽する、と批判的である[30]。

現在はフェアトレード事業を行っているオルタートレード[31]の機関誌・季刊『at[32]』(太田出版)において『「世界共和国へ」に関するノート』を連載中。国家論や互酬制・相互扶助論についての原理的な論究を行っている。

2008年1月には『新現実』Vol.5[33](太田出版)で、大塚英志と対談。その中で柄谷は「批評空間の立ち上げはもう無理」「NAMも同じで、違う形ではやるかもしれないが、俺がもう二度とやるとは思うなよ」と述べている。

地球温暖化などの環境問題に関しては、物理学者槌田敦の地球温暖化二酸化炭素原因説=原子力発電奨励批判[32]に注目している[33]。同様な趣旨で、2008年4月7日朝日新聞紙上に「科学者の課題は何ですか」という分子生物学者福岡伸一氏とのクロストークが掲載された。

早稲田大学2008年4月1日入学式での不当逮捕抗議声明[34](すが秀実の項を参照)に賛同署名している[34]。

2010年6月岩波書店から『世界史の構造』を出版。

人物 [編集]実父は建設会社「柄谷工務店」社長で、善男は次男で、長男が後を継いでいる。

Wikipediaを評価している[35]。

1960年の安保闘争[36]のときには全学連主流派かつ安保ブント[35]の学生活動家であった経歴もあり、一貫して日本共産党とは違った立場の「左翼」を自認している。アナーキストとも自認する。

が、同時に、国家を直接に否定することで、結局、強い国家を呼び起こす、国家やネーションは簡単に超えられない、としてアナーキズムに関して批判的でもある。「実際的には漸進主義」で「現実的には、妥協の人」[36]とも自分を規定する。「資本=ネーション=国家を揚棄するという理念がありさえすれば、実際の立場や方法にはこだわらない」[37]とも自分では述べる。

作家の冥王まさ子は元妻で、彼女の小説にモデルとして登場している[38]。柄谷は彼女の死後、再婚している。

筒井康隆、中上健次とともに日本文芸家協会を1990年に退会しているが、その際「入会してから一度も会費を払ったことがない自分に退会の資格はあるのか」と最初は退会を逡巡していた。しかし中上に「名簿に名前が載っている以上、退会は可能である」と促され、最終的には二人に同調することとなった。[39]

阪神タイガースのファン。野球をプレイするのも好きで、80年代、蓮實重彦、中上健次らと「カレキナダ」という草野球チームを作っていたことがある[40]。

批判 [編集] この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。このタグは2010年9月に貼り付けられました。

1980年の『日本近代文学の起源』における「『文学』という概念は歴史的にもともとあったものではなく、近代になって『源氏物語』や井原西鶴などが、『文学史』として再発見され、作りだされた」といった議論は、大きな影響力をもった。その後、「○○は近代になって、人工的に産み出された概念である」というように、様々な論者によって流用されてきた。[41]しかし1978年に『日本近代文学の起源』が『季刊藝術』に連載されていた時点で、亀井秀雄が『群像』での連載「感性の変革」において、「起源」の同定作業が不徹底であるなど厳しく批判した。が、柄谷は応答しなかった。さらにアリエス『<子供>の誕生』の剽窃だとする批判もあるが、本人は読んだことがない、と否定している[42]。

また柄谷は『新潮』1993年11月号掲載の「柄谷行人氏と日本の批評」と題された文章で、文芸評論家福田和也から批判を浴びた。福田は(柄谷の)「文意に異議と反発を覚えながらも、私は、文の力に圧倒されてしまう事を認めざるを得ない」という言葉ではじめ、「にもかかわらず、最終的に柄谷氏の仕事は批評とはいえない」で終える。福田は徹底的に抽象化されつつもそこに柄谷の主張が刷り込まれたタームを「柄谷語」と表現する[43]。またたとえば「外部」「交通」という柄谷が重視する「柄谷語」についても、柄谷はまったく「外部」にも「交通」の場にも身をおいていないと批判する。それは柄谷がしばしば援用する小林秀雄の態度とはまったく違うものだという[44]。福田によればそれは、柄谷が過激さを装いつつ、中上健次も読者も批判したことがないことに端的に現れている[45]。さらには「論理の展開はアクロバティックであるのに」、そこから導き出されているのは「月並な守旧的主張にすぎない」とする[46]。福田和也による批判は次の言葉で締めくくられている[47]。

“ これまでと同様に柄谷氏は、文芸批評者の大勢を追って右にも左にも大胆に立場を変えるだろう。その時々の読者の前で、華麗な思考を上演して見せ、常に文芸の正しい水先案内人であり続けるだろう。だが肝心の読者たちは、いつまでも氏の子守歌を求め、耳を傾けるのだろうか。 ”

略歴 [編集]1960年 - 甲陽学院高等学校卒業。

1965年 - 東京大学経済学部卒業、同大学院英文科進学、英文科の同級生だった原真佐子(後の作家・冥王まさ子)と結婚。

1967年 - 修士課程修了

1968年 - 日本医科大学専任講師。

1970年 - 法政大学第一教養部専任講師。

1971年 - 助教授。

1975年 - 教授( - 1994年)。イェール大学東アジア学科客員教授 ( - 1977年)。ポール・ド・マンと知り合う。また、やはりイェール大学にいた、岩井克人、水村美苗夫妻とも知合う。

1980年 - イェール大学比較文学科客員研究員( - 1981年)。

1983年 - コロンビア大学東アジア言語文化学科客員研究員( - 1984年)。

1990年 - カリフォルニア大学アーバイン校客員教授。コロンビア大学比較文学科客員教授。永山則夫の入会申請を日本文芸家協会が拒否したため、これを批判して、筒井康隆、中上健次とともに協会を脱退。

1991年 - コーネル大学客員教授( - 1992年)。日本の「湾岸戦争関与」に反対して、中上健次・川村湊・田中康夫・高橋源一郎いとうせいこうらと、「『「文学者」の討論集会』アッピール」を発表。

1994年 - 近畿大学文芸学部特任教授。

1995年4月21日 - 元妻の冥王がカリフォルニア州サクラメントの病院で動脈瘤破裂のため急逝。

2000年 - NAMを創設。

2002年 - 近畿大学教授・国際人文科学研究所所長( - 2006年)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。

2003年 - NAMを解散。

2006年 - 近畿大学国際人文科学研究所所長・教授を辞任。

受賞歴 [編集]1969年 - 「〈意識〉と〈自然〉 漱石試論」で第12回群像新人文学賞

1978年 - 「マルクスその可能性の中心」で第10回亀井勝一郎賞。

1996年 - 「坂口安吾と中上健次」で第7回伊藤整文学賞。

著書 [編集] 文学 [編集]『畏怖する人間』(トレヴィル、1972年 / 講談社[講談社文芸文庫]、1990年)

夏目漱石、小林秀雄、吉本隆明、古井由吉、江藤淳、芥川龍之介、高橋和巳、マルコ伝、大江健三郎、安部公房、鮎川信夫らを論じる。

『意味という病』(河出書房新社、1975年 / 講談社[講談社文芸文庫]、1989年)

島尾敏雄、庄野潤三、志賀直哉、森鴎外らを論じる。

マルクスその可能性の中心』(講談社、1978年 / 講談社学術文庫、1990年)

表題のマルクス論の他、夏目漱石武田泰淳らを論じる。

『隠喩としての建築』(冬樹社、1979年 / 講談社[講談社学術文庫]、1989年)

表題の理論的仕事の他に、 サイバネティックスや、中上健次らを論じる。

日本近代文学の起源』(講談社、1980年 / 講談社文芸文庫、1988年 / 岩波現代文庫、2008年)

国木田独歩の作品を通じて、明治20年代におこった、言文一致運動を「風景の発見」として論じる。

『批評とポストモダン』(福武書店、1985年 / 福武文庫、1989年)

中上健次、梶井基次郎、『資本論』、森敦、唐十郎らや、エイズを論じる。

『終焉をめぐって』(福武書店、1990年 / 講談社[講談社学術文庫]、1995年)

村上春樹、中上健次、大江健三郎三島由紀夫らを89年から91年の冷戦構造の崩壊に絡めて論じる。

『反文学論』(講談社[講談社学術文庫]、1991年)

1977年から78年にかけて『東京新聞』夕刊に連載された、唯一の文芸時評をまとめたもの。

『漱石論集成』(第三文明社、1992年 / 平凡社[平凡社ライブラリー]、2001年)

断続的に書き続けた夏目漱石に関する論考を一冊にまとめる。

Origins of Modern Japanese Literature, trans. and ed. by Brett de Bary, Duke University Press, 1993 (英語)

坂口安吾と中上健次』(太田出版、1996年 / 講談社文芸文庫、2006年)

『差異としての場所』(講談社[講談社学術文庫]、1996年)

『日本精神分析』(文藝春秋、2002年 / 講談社学術文庫、2007年)

表題の論考のほか、芥川龍之介谷崎潤一郎、菊池寛らを論じる。

『近代文学の終わり・柄谷行人の現在』(インスクリプト 2005年)

「近代文学の終わり」に関する講演のほか、二葉亭四迷の翻訳の問題について論じる。

哲学 [編集]『ダイアローグ』?〜?(冬樹社、1979年 / 第三文明社、1987年 - 1991年)

『内省と遡行』(講談社、1985年 / 講談社学術文庫、1988年)

『探究I』(講談社、1986年 / 講談社学術文庫、1992年)

『探究II』(講談社、1989年 / 講談社学術文庫、1992年)

『言葉と悲劇』(講談社[講談社学術文庫]、1993年) 講演集。

ヒューモアとしての唯物論』(筑摩書房、1993年 / 講談社[講談社学術文庫]、1999年)

『〈戦前〉の思考』(文藝春秋、1994年 / 講談社[講談社学術文庫]、2001年)

憲法、湾岸戦争、国家、民族、議会制民主主義などを論じた講演集。

Architecture as Metaphor, The MIT Press, 1995 (英語)

日本語版の『隠喩としての建築』『内省と遡行』『探究?、?』を一冊にまとめる。定本柄谷行人集の『隠喩としての建築』はこれの翻訳。

『倫理21』(平凡社、2000年 / 平凡社ライブラリー、2003年)

天皇制、東京裁判、丸山眞男、昭和天皇の戦争責任、教育、宗教、酒鬼薔薇事件などを論じた、初の書き下ろし

トランスクリティーク――カントとマルクス』(批評空間、2001年)

柄谷行人初期論文集』(批評空間、2002年インスクリプトから2005年に再版)

文芸批評家としてデビュー以前に、発表された論考を収める。

Transcritique : On Kant and Marx, The MIT Press, 2003 (英語)

『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(岩波書店[岩波新書]、2006年)

柄谷行人 政治を語る』聞き手 小嵐九八郎(図書新聞、2009年)

『世界史の構造』(岩波書店、2010年)

共著 [編集](中上健次)『小林秀雄をこえて』(河出書房新社、1979年)

(笠井潔)『<現在>との対話(1)ポスト・モダニズム批判――拠点から虚点へ』(作品社、1985年)

(蓮實重彦)『闘争のエチカ』(河出書房新社、1988年)

(岩井克人)『終わりなき世界――90年代の論理』(太田出版、1990年)

(小池清治・小森陽一・芳賀徹・亀井俊介)『漱石をよむ』(岩波書店、1994年)

絓秀実福田和也富岡幸一郎・大杉重男・清水良典)『皆殺し文芸批評――かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル』(四谷ラウンド、1998年)

(浅田彰・市田良彦・小倉利丸・崎山正毅)『マルクスの現在』(とっても便利出版部、1999年)

(浅田彰・岡崎乾二郎・奥泉光・島田雅彦絓秀実・渡部直己)『必読書150』(太田出版、2002年)

編著 [編集]『シンポジウム』(思潮社、1989年 / 太田出版、1994年)

『近代日本の批評』(福武書店、1990年 / 講談社[講談社文芸文庫]、1997年)

『可能なるコミュニズム』(太田出版、2000年)

共編著 [編集](蟻二郎・森常治)『現代批評の構造――通時批評から共時批評へ』(思潮社、1971年)

(渡部直己)『中上健次と熊野』(太田出版、2000年)

選集 [編集]『定本柄谷行人集』(岩波書店、2004年)

日本近代文学の起源

「隠喩としての建築」

トランスクリティーク――カントとマルクス

「ネーションと美学」

「歴史と反復」

脚注 [編集][ヘルプ]

^ 「文学と運動−2000年と1960年の間で」(インタビュー)2001年『文学界』1月号

^ 選考者は江藤淳・大江健三郎・野間宏・安岡章太郎

^ 吉本隆明は、1980年代〜90年代、自分を批判した浅田彰、柄谷行人や蓮實重彦に対して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(親鸞でいうところの「還相」の過程がない)「知の密教主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」と激烈に応答した(『情況への発言全集成3(洋泉社2008)』p200p278p338)柄谷行人に関しては、1989年時点で、「せっかくブント体験をもってるのに」「最低のブント崩れ」とも評している(『情況への発言全集成3(洋泉社2008)』p226参照)。ただし2005年になって、吉本は「今は、どう動くかを考える段階、考えて具体的なものをだすべき段階」「いつまでもつまらない世代論を論じている場合じゃない。そんなことにはあまり意味がない」として、まだ「若くて政治運動家としての素質もやる気がある」人間として、柄谷行人を唯一、例として名前を出し、「やってほしいこと、やるべきこと」の注文をつけている(『時代病』( ウェイツ, 2005)あとがきp204参照。なお親鸞の「還相」を、吉本隆明は2002年『超戦争論』においては、「視線の問題」である、としている。吉本は、「親鸞が還相ということでいっているのは、物事を現実の側、現在の側から見る視線に加えて、反対の方向からー未来の側からといいましょう、向こうのほうから、こちらを見る視線を併せ持つってことだというふうに僕は考えています。こちらからの視線と、向うからの視線、その両方の視線を行使して初めて、物事が全面的に見えてくるというわけです。」と述べている(『超・戦争論』(2002アスキーコミュニケーションズ)下巻pp230参照)

^ 「朋輩中上健次」『文学界』1992年10月

^ これら漱石に関する論考は、2001年平凡社ライブラリー版『漱石論集成』に ほぼ全て収められている)

^ 「内面への道と外界への道」:『畏怖する人間』収録

^ 『内省と遡行』(1980連載)『形式化の諸問題』(1981)等。三浦雅士が『現代思想』編集から離れたときには『「現代思想」と私』(1981.12)という短いエッセイを捧げている

^ 1973『畏怖する人間』収録

^ 多くは『ダイアローグ』の?・?に収録されている

^ 「意識と自然」からの思考― 三浦雅士との対談『ダイアローグ?』

^ 「政治化した私」をめぐって― 大岡昇平との対談『ダイアローグ?』

^ 「誤状況論」『文学環境論集 東浩紀コレクションL』2007

^ 『批評空間』については、公式サイト内のページで全目次を閲覧できる。“編集雑誌”. 柄谷行人. 2011年6月23日閲覧。

^ 『ヒューモアとしての唯物論』収録

^ 署名したものにはいとうせいこう、川村湊、島田雅彦高橋源一郎、田中康夫、津島佑子、中上健次、吉田司らがいる。

^ 「どうか、皆さん、国家と資本が煽動する愚かな興奮の中に呑み込まれたり、右顧左眄・右往左往することはやめてもらいたい。そうすれば、三、四年後に確実に後悔するだろうから。その逆に、「戦後」に向けて、着々と準備をすることを勧めたい」(出典:批評空間WEBサイト)。なおこれには、大塚英志による批判がある。大塚は『小説トリッパー』2001年冬季号に掲載された「それはただの予言ではないか──「戦時下」の「文学」について──」(のちに角川文庫・『サブカルチャー反戦論』に再録)という文章において、柄谷の「今は右往左往せず、戦後に備えた方がいい」という主旨の呼びかけに対し、「戦時下の今こそ、言葉を発するのが文学者としての責務ではないか」と述べている(角川書店の『同時多発テロ以後のガイドブック』でも大塚は同様の発言をしている)。

^ 「「努力目標」としての近代を語る」『新現実05』2008での大塚英志の表現。p39参照。なお大塚は、柄谷のNAM解散断行を肯定している。一方、批評空間社の共同出資者であり、『批評空間』の執筆者であった、鎌田哲哉らが、NAM・柄谷行人に批判的・総括的な視点・運動の再生という視点(鎌田は2003年4月発行の『重力02』において、「運動が崩壊したときに本当は運動が始まる。「重力」出版会議が始動して、年に何冊か本が出て、Qで流通するようになったらかっこいい」と述べている(P41)。)から『重力03 Q-NAM問題』を出版しようと2003年秋から試みるが、2009年現在、実現されていない。鎌田のNAM・柄谷批判としては、WEB上で『京都オフライン議事録・西部柄谷論争の公開[1]』(2003.11)を、結論が未完と言う形ではあるが、読むことができる。そのなかで議事録が一部公開されている。なお、解散直前のNAMに関しての柄谷の詳細な言及は、2002年11月韓国嶺南(ヨンナン)大学での講演記録[2]雑誌『緑色評論』のwebで読むことができる。

^ 『『The Parallax View』(MIT)2006 『思想』2004年8月号に『視差的視点』として翻訳あり

^ この点に関しては、柄谷自身による朝日新聞におけるジジェクの『パララックス・ビュー』の書評で簡潔な反論を試みており、自身のサイトにおいて再録している。http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-49.html 【初出】:2010.3.7 朝日新聞書評欄

^ また、トルコ人批評家アフメット・オズによる柄谷行人インタビュー(『at プラス02』(2009、p101)に詳しくこのジジェクの指摘に関する実情が掲載されている。

^ 柄谷・板部の対談「カントとマルクス―『トランスクリティーク』以後へ」『群像』2001.12

^ 2004年10月27日朝日新聞『プラネタリーな抵抗』

^ 『ある学問の死−惑星思考の比較文学へ』みすず書房2004

^ 『近代文学の終わり・柄谷行人の現在』2005インスクリプト収録

^ 「早稲田文学」(第9次)は柄谷論文の掲載号(2004.5)から2005年5月の第9次休刊まで、「近代文学の終わり」という特集のもとに、刊行を続けた。

^ 「Re-membering Jacques Derrida」2005年2月『新潮』

^ 他に鵜飼哲・浅田彰がシンポジウム出席者/ 京都大学現代思想自主ゼミ主催:2005年2月『新潮』に「Re-membering Jacques Derrida」として採録

^ そのキャッチコピーは「変わりますが変わりません」だった

^ 2006・2007年度書評委員「お勧めの三点」[3][4]:朝日新聞

^ 『丸山真男とアソシエーショニズム』「思想」2006.8

^ 座談会「『世界共和国へ』をめぐって」『at』4号[5]:2006

^ 『エコロジー神話の功罪』ほたる出版、「エントロピー論から見た農業」『at』6号[6]「温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理」『at』11号2008[7]

^ 『at』6号2006「『世界共和国へ』に関するノート」(2)p137脚注の部分に柄谷による槌田敦の提言の詳しい要約がある

^ 2008年8月、現行の大学改革に関して、書評に絡み、「アメリカでは、大学教育をより効率的にするために、ムダと見える学問、特に、人文学を切り捨ててきた。日本でもその真似(まね)をしている。(…) 本書の原題は「暗黒時代が近づいている」という意味であるが、暗黒時代とは、ローマ帝国が滅んだあとのゲルマン社会で、ローマの文化がすぐに忘却されてしまったことを指している。そのような事態が現在おこりつつある、という著者の予感に、私は同意する。それをひきおこしているのは、いうまでもなく、グローバルな資本主義である。」[8]と述べている。

^ 全学連主流派を牽引していたのが安保ブント・世界初の共産党からの独立左翼と言われる。

^ 山口二郎、中島岳志との対談「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」p30参照『論座』2008.10

^ 山口二郎、中島岳志との対談「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」p29参照『論座』2008.10

^  『天馬空を行く』(1985)は1976年夏アメリカ・ニューヘイブン(エール大学所在地)出発のヨーロッパ旅行を小説化したものである。ポール・ド・マンも実名で登場している。文庫版は柄谷が解説を書いている。

^ 筒井康隆『笑犬樓よりの眺望』(新潮社1994)「中上健次が死んだ」

^ ちなみに過去在籍メンバーは、渡部直己、絓秀実、松本健一、立松和平高橋源一郎平石貴樹尾辻克彦、赤瀬川隼、ねじめ正一島田雅彦、など)。東京堂書店セミナーで顔を合わせた時に結成。

^ 李孝徳『表象空間の近代』、ハルオ・シラネ・鈴木登美編『創造された古典』など。石原千秋はこれを「つくられた系」の議論と呼んでいる。

^ 『ダイアローグ』参照

^ (福田 1993) pp.201-202

^ (福田 1993) pp.217-218

^ (福田 1993) p.219

^ (福田 1993) p.218

^ もっとも柄谷と福田の仲は険悪というわけではない。たとえば柄谷は福田の著書である『奇妙な廃墟』(ちくま学芸文庫)に解説を寄稿している他、今日に至るまで雑誌上や『批評空間』で対談するなど、むしろ良好といえるほどである。

参考文献 [編集]福田和也柄谷行人氏と日本の批評」新潮1993年11月号 pp.198-219

外部リンク [編集]公式サイト

karataniweb ~KojinKarataniOfficalWebsite~

関連サイト

近畿大学国際人文科学研究所

定本柄谷行人

研究サイト

柄谷行人書誌情報 ■KARATANI-B■

哲学の劇場

定本柄谷行人集総合索引

関連項目・人物 [編集]ポストモダン

フランス現代思想

現代文学

現代思想

文芸理論

中上健次

蓮實重彦 

浅田彰

NAM

イソノミア

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カテゴリ: 日本の哲学者日本の文芸評論家日本の無政府主義者20世紀の哲学者21世紀の哲学者ポストモダン文学脱構築近畿大学の教員法政大学の教員日本医科大学の教員兵庫県出身の人物1941年生存命人物





西部 邁(にしべ すすむ、1939年3月15日 - )は日本の評論家、思想家、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。

目次

1 経歴

2 思想

3 受賞

4 雑誌の刊行

5 テレビ出演

6 映画出演

7 エピソード

8 作品

8.1 単著

8.2 共著

8.2.1 一部執筆/インタビュー書籍

8.3 翻訳

8.4 音声・動画作品

9 脚注

10 関連項目

10.1 門下生

10.2 雑誌

10.3 その他

11 外部リンク

経歴 [編集]1939年3月、北海道山越郡の漁師町・長万部町に生まれる[1]。父は浄土真宗派の末寺の末男で農協職員。札幌郡厚別の信濃小学校(この頃、吃りであったと明かしている[2])、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校に進学。高校卒業まではマルクスもレーニンもスターリンも毛沢東も知らぬノンポリであった。1957年、東京大学の受験に落ち、その後一年間浪人生活を送る。

1958年4月、東京大学に入学、三鷹寮に入る。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に加盟する。在学中の1959年から教養学部で自治会委員長を務める。同委員長の選挙の際、西部はブントのメンバーたちとともに投票用紙を偽造してすり替え、共産党員の候補を落選させる[3]。また全学連の中央執行委員も務め、60年安保闘争に参加する[4]。

1961年3月、左翼過激派と訣別する。1964年3月、東京大学経済学部卒業。このころブントの活動家であった青木昌彦の勧めで東京大学大学院に進み、経済学を専攻する。指導教官は嘉治元郎。1971年3月、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。1972年、連合赤軍による群馬県の榛名山での集団リンチ殺人事件の報道を目にして、そのときまで多少とも左翼に共感していたことへの道徳的反省をせざるをえなくなる。[5]横浜国立大学経済学部助教授、次いで東京大学教養学部助教授に就任する。経済学をはじめとする社会科学の細分化を一貫して批判する。1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では社会学などの方法論を導入して旧来の経済学を批判する。経済行為の象徴的意味の解釈を志向する社会経済学の構築をめざし注目される。その後渡米しカリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英しケンブリッジ大学に在籍。『蜃気楼の中へ』という英米滞在記を発表した。帰国後80年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍をはじめ、各方面で発言を続ける。高度大衆社会・アメリカニズム批判と西欧流保守思想の擁護とを基軸にした評論活動を活発に行う。みずからも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱される。1986年、東京大学教養学部教授(社会経済学専攻)に就任する。

1988年、中沢新一(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手)を東京大学教養学部助教授に推薦。委員会は通ったが教授会の採決のとき一部の教官たちの妨害により否決される。同年3月、西部はこれに抗議して東京大学を辞任する(東大駒場騒動)。その後は評論活動を続けるとともに鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学教授・学頭を歴任。新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており理事会などへは出席しなかった。西尾幹二が台湾や金美齢を批判したことを巡って西尾との間で論争に発展した。台湾独立派の金美齢は「つくる会」に協力的だった。アメリカニズム、グローバリズム、近代主義への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、アメリカ同時多発テロ事件以降の日本の親米知識人たちのアメリカ追従姿勢に対する批判は西尾や田久保忠衛らとの対立を招く。

2002年、小林よしのりとともに「つくる会」を脱退。以後「産経新聞」、「正論」、「諸君!」などを中心とする日本の親米保守の知識人たちと一線を画し彼らを批判。アメリカのイラク侵攻に大義はないと主張し彼らと対立した。また女系天皇を容認する皇室典範改正を是としたことから「左に回帰した」との批判を受ける。だが、現在も日本の核武装、徴兵制の導入、防衛費の倍増、尖閣諸島の実効支配強化などを主張している。

思想 [編集]西部は『発言者』塾[6]の心得十箇条として、以下のように自らの思想の方向を要約している。

人間を「言葉の動物」と理解する。

言葉の産物としての個人および集団における意味的現象を総合的に解釈する。

意味的解釈という矛盾をはらんだ作業において平衡をとる。

人工言語に傾くものとしての概念・理論と自然言語に傾くものとしての思想・実践とを両立させる。

人生経験、認識活動および政治行動の融合をはかる。

言葉の基礎としての歴史の英知を保守する。

戦後日本を歴史破壊的時代として懐疑する。

異世代および異国人にたいする接近と離反において中庸を守る。

大衆教育(大学)と大衆伝達(マスコミ)が、言葉・解釈・経験・実践・歴史の一切を平板化させていることにたいして、批判を差し向ける。

哲学(真)、宗教(善)、および芸術(美)への関心を絶やさないことによって、虚無主義にたいする防波堤を築く。

受賞 [編集]1983年 『経済倫理学序説』で吉野作造賞を受賞

1984年 『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞を受賞

1992年 評論活動により第八回・正論大賞を受賞

2010年 『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞

雑誌の刊行 [編集]1994年4月、真正保守思想を標榜する月刊オピニオン誌「発言者」(西部邁事務所、秀明出版会)を創刊し主幹を務めていたが2005年3月、財政上の理由により廃刊。

1997年の創刊から1998年の休刊まで英文雑誌「JAPAN CURRENTS」(日本国民文化研究所)の総合監修を務める。

2003年7月、「北の発言」を創刊するがその後財政上の理由により廃刊。

2005年より「発言者」の後継誌「表現者」(ジョルダン)が刊行されており西部はその顧問を務めている。

テレビ出演 [編集]東大辞職後はテレビ出演が多くなる。テレビ朝日系列の討論番組『朝まで生テレビ!』の準レギュラーでもあった。

2004年12月から東京MXテレビの『談志・陳平の言いたい放だい』に出演。2005年4月、立川談志、野末陳平、吉村作治、毒蝮三太夫と「談シング5(ファイブ)」を結成。

2008年10月、「談志・陳平の言いたい放だい」の後番組として、西部が司会を務める『続・言いたい放だい』の放送が始まる(2009年1月より番組名を「西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜」と改題)。富岡幸一郎や東谷暁がゲストとして何度も出演している。

2008年以降、フジテレビの番組『報道2001』に頻繁に出演し持論を展開した。

2009年4月4日、『西部邁・佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。近現代史上の著名人についての持論を展開。2010年4月2日に終了。その後好評につきアンコール放送される。

2010年4月3日、「本」をテーマにした対談番組『西部邁・佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。

2011年、「映画」をテーマにした対談番組『西部邁・佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。

映画出演 [編集]公開年 タイトル 監督

2005年 LEFT ALONE 井土紀州

2009年 ベオグラード1999 金子遊

エピソード [編集]法哲学の井上達夫は駒場時代に助手であったころ西部から大きな影響を受けた。千葉大学助教授となった井上が論壇に押し上げられたのは、西部がサントリー学芸賞選考で井上を高く評価したことによる[要出典]。

西部は自分の好き嫌いについて次のように述べている[7]。

好き 嫌い

人物 自分 自分

言葉 保守 革新

食べ物 うどん 幕の内弁当

学問 ある種の哲学 あらゆる種類の経済学

芸術 ある種の絵画 最近の文学

スポーツ なし なし

動物 猫 人間と言いたいところだが、なし

宗教 すべての旧宗教と言いたいところだが、なし すべての新興宗教と言いたいところだが、なし

国(人種) まずイタリア、次にイギリスと言いたいが、やはり日本 まずアメリカ、次に韓国と言いたいが、やはり日本

1992年、東京都東村山市が憲法記念日の行事として市主催の講演会を開催することになり西部に講演を依頼した。西部が快諾し講演会の開催が決まったところ、一部市民団体などが「改憲を主張する西部氏を市主催行事の講師に招くということは東村山市が改憲を支持しているに等しい」等と抗議した。これに対し市は「西部氏は東村山市民なので依頼したのであり市が改憲を主張しようということではない」と説明したが市民団体などはごね続けた。そこで市は護憲派も講師に招こうと考えたが市内には護憲派の著名人がいなかったため南隣の東京都国分寺市に所在する東京経済大学の教授(当時)で護憲派の色川大吉に依頼した。色川は「西部さんとは旧知で何度も議論しているので是非参加したい」と快諾。市民団体もごねるのを止め講演会は無事開催されるに至った。

2001年8月、船橋市立西図書館のある司書が同館所蔵の西部の多数の著書などを廃棄基準に該当しないにもかかわらず除籍・廃棄した(船橋市西図書館蔵書破棄事件)。西部はこの件を引き合いに出して次のように言っている。

つい先だって、船橋の市立図書館で、私の書物が一冊を除いてすべてひそかに廃棄されるという扱いを受けたが、次の焚書(ふんしょ)に当たっては、本書(『知性の構造』ハルキ文庫版)がその一冊の例外になるという名誉にあずかれればと切望する。坑儒されてみたいくらいに思っている私がなぜこんなことをいうのか。それは、本書がどこかに残っていれば、その作成に携わってくれた皆様に――単行本を物にしてくれた小山晃一氏を含めて――ささやかな返礼ができると思うからである。

— 西部邁『知性の構造』ハルキ文庫、2002年、270頁。

2002年、西部は東京西麻布の裏通りにあるイタリアン・レストラン「ゼフィーロ」の地主となった[8]。長男の一明が同レストランのオーナー兼支配人(建て物所有者兼店舗経営者)を務めた。同レストランは2007年4月に閉店。

西部が高く評価している日本人は山本常朝、福澤諭吉、夏目漱石坂口安吾、田中美知太郎、福田恆存、三島由紀夫などである[9]。

親米派論壇人たちがみずからの輪の中で閉塞してゆく状況にあって姜尚中と対談したり「週刊金曜日」の取材に応じたりと立場の違うものとも積極的に対話しようとする姿勢は際立っている。

西部は自分が念じることおよび自分の生死の意味について次のように述べている。

私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。

つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

— 『寓喩としての人生』徳間書店、238頁。

「WiLL」2011年4月号で大相撲の八百長を擁護した[10]。

作品 [編集] 単著 [編集]『ソシオ・エコノミックス 集団の経済行動』 中央公論社、1975年。

『ソシオ・エコノミックス』 イプシロン出版企画、2006年4月。ISBN 4-903145-03-4。

『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 日本評論社、1979年6月。

『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 中央公論社〈中公文庫〉、1985年8月。ISBN 4-12-201246-5。

『経済倫理学序説』 中央公論社、1983年3月。

『経済倫理学序説』 中央公論社〈中公文庫〉、1991年11月。ISBN 4-12-201854-4。

『ケインズ』 岩波書店〈20世紀思想家文庫 7〉、1983年4月。

『大衆への反逆』 文藝春秋、1983年7月。

『大衆への反逆』 PHP研究所〈PHP文庫〉、1991年4月。ISBN 4-569-56349-X。

『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房、1984年7月。

『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房〈ちくま文庫〉、1992年1月。ISBN 4-480-02594-4。

『論士歴問 大衆社会をこえていく綱渡り』 プレジデント社、1984年10月。ISBN 4-8334-1238-1。

『幻像の保守へ』 文藝春秋、1985年7月。

『大衆社会のゆくえ』 日本放送協会編、日本放送出版協会〈NHK市民大学〉、1986年7月。

『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文藝春秋、1986年10月。ISBN 4-16-340990-4。

『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』 洋泉社〈MC新書 17〉、2007年6月。ISBN 978-4-86248-149-8。

『大衆の病理 袋小路にたちすくむ戦後日本』 日本放送出版協会NHKブックス 518〉、1987年1月。ISBN 4-14-001518-7。

『批評する精神』 PHP研究所、1987年6月。ISBN 4-569-22038-X。

『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 日本経済新聞社、1987年9月。ISBN 4-532-09450-X。

『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 PHP研究所〈PHP文庫〉、1991年12月。ISBN 4-569-56435-6。

『大錯覚時代』 新潮社、1987年10月。ISBN 4-10-367501-2。

『剥がされた仮面 東大駒場騒動記』 文藝春秋、1988年7月。ISBN 4-16-342480-6。

『大衆民主主義を疑う』 自由民主党調査局政治資料研究会議〈情報資料 368号〉、1988年11月。

『新・学問論』 講談社〈講談社現代新書〉、1989年2月。ISBN 4-06-148936-4。

『学者この喜劇的なるもの』 草思社、1989年6月。ISBN 4-7942-0345-4。

『サンチョ・キホーテの眼』 文藝春秋、1989年6月。ISBN 4-16-343340-6。

『批評する精神』続、PHP研究所、1989年8月。ISBN 4-569-52542-3。

ニヒリズムを超えて』 日本文芸社、1989年10月。ISBN 4-537-04986-3。

ニヒリズムを超えて』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、1997年11月。ISBN 4-89456-362-2。

『マスコミ亡国論 日本はなぜ“卑しい国”になったのか』 光文社〈カッパ・ブックス〉、1990年4月。ISBN 4-334-00494-6。

『白昼への意志 現代民主政治論』 中央公論社、1991年1月。ISBN 4-12-001988-8。

マスメディアを撃て』 PHP研究所、1991年2月。ISBN 4-569-52976-3。

『戦争論 絶対平和主義批判』 日本文芸社、1991年6月。ISBN 4-537-05003-9。

『戦争論 暴力と道徳のあいだ』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2002年2月。ISBN 4-89456-957-4。

『思想史の相貌 近代日本の思想家たち』 世界文化社、1991年6月。ISBN 4-418-91511-7。

『思想史の相貌』 徳間書店〈徳間文庫〉、1997年12月。ISBN 4-19-890809-5。

『私の憲法論 日本国憲法改正試案』 徳間書店、1991年6月。ISBN 4-19-554590-0。

『私の憲法論 真正保守による改正試案』 徳間書店〈徳間文庫〉、1999年5月。ISBN 4-19-891110-X。

『批評する精神』3、PHP研究所、1992年1月。ISBN 4-569-53524-0。

『人間論』 日本文芸社、1992年4月。ISBN 4-537-05012-8。

『人間論』 PHP研究所〈PHP文庫〉、1996年3月。ISBN 4-569-56837-8。

『批評する精神』4、PHP研究所、1993年2月。ISBN 4-569-53894-0。

『「成熟」とは何か 新政経学のすすめ』 講談社、1993年4月。ISBN 4-06-206429-4。

『リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想』 学習研究社、1993年7月。ISBN 4-05-105638-4。

『日本人の嘘 政治改革からマスコミ世論まで』 光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0669-8。

『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』 PHP研究所、1994年6月。ISBN 4-569-54318-9。

『歴史の復権 「文明」と「成熟」の構図』 東洋経済新報社〈日本を考える〉、1994年7月。ISBN 4-492-08554-8。

『死生論』 日本文芸社、1994年11月。ISBN 4-537-05035-7。

『死生論』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、1997年5月。ISBN 4-89456-311-8。

『日本とは何か日本人とは何か 正統知識人の驚くべき先見力』第1巻、広済堂出版〈みんなに聞いて欲しい心の物語〉、1995年7月。ISBN 4-331-50490-5。

『世人に言上したきことあり』 新潮社、1996年1月。ISBN 4-10-367502-0。

『現在への証言 平成の世と切り結ぶ』 広済堂出版、1996年2月。ISBN 4-331-50519-7。

『破壊主義者の群れ その蛮行から日本をいかに守るか』 PHP研究所、1996年3月。ISBN 4-569-54969-1。

『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』 文藝春秋、1996年4月。ISBN 4-16-350900-3。

『知性の構造』 角川春樹事務所、1996年7月。ISBN 4-89456-025-9。

『知性の構造』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2002年11月。ISBN 4-7584-3014-4。

『知識人の生態』 PHP研究所〈PHP新書〉、1996年11月。ISBN 4-569-55365-6。

『「国柄」の思想』 徳間書店、1997年1月。ISBN 4-19-860634-X。

開発経済学研究派遣制度研究報告書. 平成7年度-平成8年度』 大蔵省財政金融研究所研究部、1997年。

『恐慌前夜の独り言』 新潮社、1998年2月。ISBN 4-10-367503-9。

『なぜ「日本売り」は起きたのか 愚かなるかな、改革論者よ』 PHP研究所、1998年3月。ISBN 4-569-55977-8。

『国家と歴史 状況の中で』 秀明出版会〈発言者双書 1〉、1998年4月。ISBN 4-915855-11-2。

『寓喩としての人生』 徳間書店、1998年6月。ISBN 4-19-860864-4。

『西部邁の論争の手引き』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1998年9月。ISBN 4-526-04242-0。

『虚無の構造』 飛鳥新社、1999年4月。ISBN 4-87031-366-9。

『西部邁の論争ふたたび 対米属国からぬけでる方法』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1999年11月。ISBN 4-526-04470-9。

『福澤諭吉 その武士道と愛国心』 文藝春秋、1999年12月。ISBN 4-16-355800-4。

国民の道徳新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞ニュースサービス、2000年10月。ISBN 978-4-594-02937-1。

ナショナリズムの仁・義』 PHP研究所、2000年12月。ISBN 4-569-61428-0。

エコノミストの犯罪 「失われた10年」を招いたのは誰か』 PHP研究所、2002年4月。ISBN 4-569-62063-9。

『保守思想のための39章』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2002年9月。ISBN 4-480-05966-0。

『人生の作法』 飛鳥新社、2002年10月。ISBN 4-87031-521-1。

『獅子たりえぬ超大国 なぜアメリカは強迫的に世界覇権を求めるのか』 日本実業出版社、2003年4月。ISBN 4-534-03569-1。

アメリカの大罪』 小学館〈小学館文庫〉、2003年7月。ISBN 4-09-405711-0。 - 西部邁の論争ふたたび』(日刊工業新聞社、1999)から再編集。

『わが憲法改正案 「大切な心」を忘れた日本人』 ビジネス社、2004年4月。ISBN 4-8284-1115-1。

『学問』 講談社、2004年4月。ISBN 4-06-212369-X。

『人生読本』 ダイヤモンド社、2004年7月。ISBN 4-478-70311-6。

『友情 ある半チョッパリとの四十五年』 新潮社、2005年4月。ISBN 4-10-367504-7。

『無念の戦後史』 講談社、2005年8月。ISBN 4-06-213057-2。

『核武装論 当たり前の話をしようではないか』 講談社〈講談社現代新書〉、2007年3月。ISBN 978-4-06-149884-6。

『教育 不可能なれども』 ダイヤモンド社、2007年7月。ISBN 978-4-478-00200-1。

『「日本国憲法」を読む』上、イプシロン出版企画、2007年8月。ISBN 978-4-903145-20-4。

『妻と僕 寓話と化す我らの死』 飛鳥新社、2008年7月。ISBN 978-4-87031-851-9。

『「日本国憲法」を読む』下、イプシロン出版企画、2008年9月。ISBN 978-4-903145-21-1。

『サンチョ・キホーテの旅』 新潮社、2009年3月。ISBN 978-4-10-367505-1。

『陥没する世界のなかでの「しあわせ」論』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年1月。ISBN 978-4-915933-07-3。

『だからキミの悩みは黄金に輝く 西部邁の人生相談』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年4月。ISBN 978-4-915933-20-2。

『14歳からの戦争論』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年10月。ISBN 978-4-915933-25-7。

『昔、言葉は思想であった 語源からみた現代』 時事通信出版局、2009年11月。ISBN 978-4-7887-0974-4。

『焚書坑儒のすすめ エコノミストの恣意を思惟して』 ミネルヴァ書房、2009年11月。ISBN 978-4-623-05621-7。

『小沢一郎は背広を着たゴロツキである。 私の政治家見験録』 飛鳥新社、2010年7月。ISBN 978-4-86410-029-8。

共著 [編集]富岡多恵子 『大衆論 対談』 草思社、1984年7月。

笠井潔・川村湊・小阪修平・竹田青嗣・長崎浩 『西部邁ビジネス文明批判 尾根道をたどりながら』 作品社〈<現在>との対話 6〉、1986年4月。ISBN 4-87893-606-1。

加藤尚武 『烈々豪々(Let's go!)人生学』 理想社、1988年11月。

石川好 『覚悟! 朝まで討論=<日本>』 弓立社、1989年5月。ISBN 4-89667-122-8。

栗本慎一郎 『立ち腐れる日本 その病毒は、どこから来たのか』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1991年9月。ISBN 4-334-06062-5。

新野哲也 『正気の保ち方 「繁栄の空虚」からいかに脱するか』 光文社〈カッパ・ビジネス〉、1992年5月。ISBN 4-334-01266-3。

三田誠広 『息子の教育 闘論』 プレジデント社、1994年11月。ISBN 4-8334-1545-3。

秋山祐徳 『ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き替える』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1995年5月。ISBN 4-334-06096-X。

『日本の自画像』vol.3、うら梅の郷会編、葦書房、1995年6月。ISBN 4-7512-0600-1。

小林よしのり福田和也・佐伯啓思 『国家と戦争 徹底討議』 飛鳥新社、1999年6月。ISBN 4-87031-371-5。

榊原英資・飯田経夫 『大いなる説得 われらの子と孫への提言』 西部邁責任編集、日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、2000年11月。ISBN 4-526-04674-4。

福田和也・佐伯啓思・絓秀実 『テロルと国家 徹底討議』 飛鳥新社、2002年4月。ISBN 4-87031-499-1。

中曾根康弘・松井孝典 『論争教育とは何か』 文藝春秋〈文春新書〉、2002年5月。ISBN 4-16-660249-7。

小林よしのり 『反米という作法』 小学館、2002年9月。ISBN 4-09-389053-6。

田原総一朗・姜尚中 『愛国心』 講談社、2003年6月。ISBN 4-06-211911-0。

田原総一朗・姜尚中 『愛国心』 講談社〈講談社+α文庫〉、2005年7月。ISBN 4-06-256952-3。

小林よしのり 『アホ腰抜けビョーキの親米保守』 飛鳥新社、2003年7月。ISBN 4-87031-564-5。

小林よしのり 『本日の雑談』1、飛鳥新社、2004年5月。ISBN 4-87031-608-0。

小林よしのり 『本日の雑談』2、飛鳥新社、2004年7月。ISBN 4-87031-623-4。

中曽根康弘・松本健一 『憲法改正大闘論 「国民憲法」はこうして創る』 ビジネス社、2004年9月。ISBN 4-8284-1144-5。

小林よしのり 『本日の雑談』3、飛鳥新社、2004年10月。ISBN 4-87031-640-4。

小林よしのり 『本日の雑談』4、飛鳥新社、2004年12月。ISBN 4-87031-648-X。

金子勝・姜尚中・金美齢・小林よしのり・高野孟・西部邁・樋口恵子・森本敏 『「愛国心」「国益」とはなにか。 朝まで生テレビ!』 田原総一朗責任編集、アスコム、2004年2月。ISBN 4-7762-0133-X。

小林よしのり 『本日の雑談』5、飛鳥新社、2005年3月。ISBN 4-87031-659-5。

小林よしのり 『本日の雑談』6、飛鳥新社、2005年6月。ISBN 4-87031-675-7。

『ケインズ』 イプシロン出版企画 (発売)、2005年7月。ISBN 4-903145-02-6。

小林よしのり 『本日の雑談』7、飛鳥新社、2005年8月。ISBN 4-87031-689-7。

中曾根康弘・松井孝典・松本健一 『「昭和80年」戦後の読み方』 文藝春秋〈文春新書〉、2005年8月。ISBN 4-16-660458-9。

小林よしのり 『本日の雑談』8、飛鳥新社、2005年11月。ISBN 4-87031-697-8。

弘兼憲史 『本日の雑談』9(第2期 1)、飛鳥新社、2006年6月。ISBN 4-87031-707-9。

鈴木宗男・宮崎学 『日本と戦う』 講談社、2006年8月。ISBN 4-06-213506-X。

弘兼憲史 『本日の雑談』10(第2期 2)、飛鳥新社、2006年10月。ISBN 4-87031-723-0。

辻惠 『道義あふれる国へ 「美しい国へ」の欺瞞を撃つ』 イプシロン出版企画、2007年2月。ISBN 978-4-903145-23-5。

中島岳志 『保守問答』 講談社、2008年1月。ISBN 978-4-06-214505-3。

中島岳志 『パール判決を問い直す 「日本無罪論」の真相』 講談社〈講談社現代新書〉、2008年7月。ISBN 978-4-06-287954-5。

佐高信 『思想放談』 朝日新聞出版、2009年10月。ISBN 978-4-02-250639-9。

宮崎正弘 『日米安保50年』 海竜社、2010年1月。ISBN 978-4-7593-1109-9。

波頭亮 『知識人の裏切り どこまで続く、平成日本の漂流』 筑摩書房〈ちくま文庫 に3-2〉、2010年3月。ISBN 978-4-480-42698-7。

西田昌司・佐伯啓思 『保守誕生 日本を陥没から救え』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2010年3月。ISBN 978-4-915933-32-5。

一部執筆/インタビュー書籍 [編集]「技術進歩の諸問題」、『現代経済学の展開』 嘉治元郎・村上泰亮編、勁草書房、1971年。

「社会学的基礎 経済体制の原型を求めて」、『経済体制論』第2巻、東洋経済新報社、1978年3月。

「異端の経済学――ケインズとハイエク」、『1990年代の日本経済』 経済展望談話会編、経済展望談話会〈経済展望談話会セミナー 第11集〉、1985年3月。ISBN 4-13-043026-2。

「知識人と大衆」、『NHK文化講演会』13、NHK編、日本放送出版協会、1986年2月。ISBN 4-14-008471-5。

『日本教育会叢書』第14集、日本教育会編、日本教育会、1987年。

『ヘーゲル読本』 加藤尚武編、法政大学出版局、1987年3月。

筑紫哲也・井上ひさしほか 『若者たちの大神 筑紫哲也対論集』 朝日新聞社、1987年8月。ISBN 4-02-255738-9。

赤瀬川原平・市川右近ほか 『百人力新発売 新しい「知」を担う百人一論 ネオ・インテリジェンス宣言』 文春ネスコ、1988年11月。ISBN 4-89036-752-7。

『時代を仕掛ける 田原総一郎と10人の男たち』 田原総一朗編、フジテレビ出版、1989年9月。ISBN 4-594-00460-1。

岡崎久彦 『情報・戦略論ノートpart2 歴史と戦略について』 PHP研究所、1990年2月。ISBN 4-569-52678-0。

西部邁ほか 『天下国家の語り方 日本と世界、政治と経済をめぐる「神話」の検証!』 JICC出版局〈別冊宝島115〉、1990年。

『知の位相空間 現代の知性13人へのインタビュー集』 井尻千男編著、HBJ出版局、1991年3月。ISBN 4-8337-5063-5。

村上泰亮 『村上さんを偲んで』 出版社不明、1993年8月。

秦野章・平山郁夫 『秦野章の辛口モーニング 話題の対談番組再録』 テレビ東京編、東急エージェンシー出版部、1994年2月。ISBN 4-88497-024-1。

田中美知太郎・山崎正和ほか 『プラトンに学ぶ 田中美知太郎対話集』 日本文芸社、1994年7月。ISBN 4-537-05034-9。

『メディアの迷走 誇りなき報道が国を亡ぼす』 粕谷一希編著、PHP研究所、1994年11月。ISBN 4-569-54504-1。

勝田吉太郎著作集』第8巻、ミネルヴァ書房、1995年1月。ISBN 4-623-02475-X。

佐々木毅・吉本隆明ほか 『日本の境位を探る』 四谷ラウンド、1995年10月。ISBN 4-946515-01-1。

小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』1、小学館、1996年8月。ISBN 4-09-389001-3。

小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』1、小学館〈小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405141-4。

中上健次・柄谷行人 『中上健次発言集成』2、第三文明社、1995年12月。ISBN 4-476-03196-X。

草柳文恵・若杉敬明ほか 『21世紀の郵便局サービスを考える 郵便局ビジョン2010』 アール・エフ・ラジオ日本編、透土社、1997年9月。ISBN 4-924828-52-1。

小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』2、小学館、1997年3月。ISBN 4-09-389002-1。

小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』2、小学館〈小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405142-2。

谷沢永一・松下幸之助 『Voice主要論文集』 PHP研究所編、PHP研究所、1997年12月。ISBN 4-569-55915-8。

大月隆寛・岡田斗司夫 『もの書きがTVに出るということ NHK「ナイト・ジャーナル」をくぐりぬけて』 新紀元社、1998年2月。ISBN 4-88317-688-6。

谷沢永一 『人さわがせ』 バンガード社〈本音を語る 2〉、1998年6月。ISBN 4-915599-13-2。

爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎、1998年6月。ISBN 978-4-87728-233-2。

爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎〈幻冬舎文庫〉、2001年8月。ISBN 4-344-40150-6。

岸本裕紀子 『日本の母』 廣済堂出版、1998年8月。ISBN 4-331-50646-0。

矢内裕幸・森毅ほか 『怖いもんなし23人の喋るぞ! 闘う文化人のガクモンのすすめ』 旺文社、1999年4月。ISBN 4-01-055007-4。

加地伸行・小浜逸郎 『この思想家のどこを読むのか 福沢諭吉から丸山真男まで』 洋泉社〈新書y〉、2001年2月。ISBN 4-89691-518-6。

『新しい公民教科書 市販本』 扶桑社、2001年6月。ISBN 4-594-03156-0。

『JC発「教育改革」待ったなし』 日本青年会議所編、ぱるす出版、2001年10月。ISBN 4-8276-0187-9。

『鬼畜米英 がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ!!』 木村三浩責任編集、鹿砦社、2003年4月。ISBN 4-8463-0506-6。

『合意形成論 総論賛成・各論反対のジレンマ』 土木学会誌編集委員会編、土木学会〈土木学会誌叢書 2〉、2004年3月。ISBN 4-8106-0469-1。

浜田卓二郎・松本健一ほか 『ネバー・ギブ・アップ』 アートデイズ、2004年5月。ISBN 4-86119-028-2。

西部邁述「世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです」、『本の本音』 高橋誠・森恵子編著、生活情報センター、2004年9月。ISBN 4-86126-139-2。

『憲法の論点 『正論』傑作選』 『正論』編集部編、産経新聞ニュースサービス、2004年10月。ISBN 4-594-04810-2。

絓秀実・井土紀州・松田政男・西部邁・柄谷行人・津村喬・花咲政之輔・上野昂志・丹生谷貴志Left alone 持続するニューレフトの「68年革命」』 明石書店、2005年2月。ISBN 4-7503-2045-5。

阿川弘之・森達也 『男たちの大和 YAMATO』 イプシロン出版企画、2005年。 - 雑誌扱い。

関岡英之・佐藤優ほか 『アメリカ日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』 関岡英之・イースト・プレス特別取材班編、イースト・プレス〈East Press nonfiction 6〉、2006年12月。ISBN 4-87257-744-2。

平沼赳夫・正しい日本を創る会 『日本の正道 真の保守政治を確立するための政策提言』 PHP研究所、2007年7月。ISBN 978-4-569-69291-3。

「列島人の愚行、錯誤そして自殺」、『「日米安保」とは何か』 藤原書店編集部編、藤原書店、2010年8月。ISBN 978-4-89434-754-0。

翻訳 [編集]ミルトン・フリードマン 『価格理論』 内田忠夫・西部邁・深谷昌弘訳、好学社、1972年。

シュムペーターのヴィジョン 『資本主義・社会主義・民主主義』の現代的評価』 A・ヒアチェ編、西部邁ほか訳、HBJ出版局、1983年8月。ISBN 4-8337-5002-3。

スティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所、1997年12月。ISBN 4-89456-045-3。

スティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2004年5月。ISBN 4-7584-3104-3。

音声・動画作品 [編集]『真正保守思想を求めて』2、エピック・ソニー、1989年。

『西部邁の「反論を待つ」』2、エピック・ソニー、1990年。

『西部邁の「反論を待つ」』3、エピック・ソニー、1990年。

『メディアが世界を変える』第16巻、中京テレビ編、丸善。

脚注 [編集]^ 『妻と僕』(飛鳥新社)の巻末に西部の詳細な経歴が掲載されている。

^ http://www.youtube.com/watch?v=Qrt4ZvJ-rmg

^ 西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』文芸春秋、1986年、36-37頁。

^ 田原総一朗のコラムによると、西部は安保条約の中身も読まずに反対していた、としている。http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110810/280586/

^ 『寓喩としての人生』175 - 177頁。『妻と僕』61 - 63頁。

^ のちに『表現者』塾に改名。

^ 西部邁、栗本慎一郎『立ち腐れる日本』光文社、1991年、225頁。

^ 西部邁「レストランの地主となって」『文藝春秋』平成14年6月号

^ 『思想史の相貌』(徳間文庫)などを参照。

^ 西部邁「大新聞、テレビは統合失調症だ」、『WiLL』、ワック、2011年4月。

関連項目 [編集] 門下生 [編集]佐伯啓思

間宮陽介

宮本光晴

坂井素思

佐藤光

雑誌 [編集]発言者

表現者

北の発言

京の発言

その他 [編集]知性の構造

東大駒場騒動

表現者塾

船橋市西図書館蔵書破棄事件

保守思想

反米保守

外部リンク [編集]表現者塾

西部邁FAQ―西部邁のまこも部屋―

西部邁 - Yahoo!百科事典

西部邁: イラク戦争、憲法改正、教育、天皇制 - 日本財団図書館

第150回 国会 第1号、参考人 西部邁君 - 参議院憲法調査会、平成12年11月15日

西部邁・佐高信の学問のすゝめ: I、II、アンコール、III - 朝日ニュースター

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西部邁 04:02 西部邁を含むブックマーク

浅田彰 03:13 浅田彰を含むブックマーク

浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は日本の批評家、京都造形芸術大学大学院長。兵庫県神戸市出身。

目次

1 来歴

2 思想

2.1 経済学

2.2 天皇

2.3 教育問題

2.4 官僚制

2.5 人文知

3 エピソード

4 略歴

4.1 学歴

4.2 職歴

4.2.1 兼職

5 著作

5.1 単著

5.2 共著

5.3 共編著

5.4 訳書

5.5 連載

6 受賞歴

7 関連項目

8 註

9 外部リンク

来歴 [編集]1983年、京都大学人文科学研究所の助手時代に、26歳で『構造と力』を出版。その扱う対象の難解さにも関わらず、15万部を超すベストセラーとなり、「浅田彰現象(AA現象)」を巻き起こした。

84年から87年まで、雑誌『GS』を出し、90年代は柄谷行人とともに『批評空間』を編集し[1] 、『InterCommunication』を創刊した。浅田が紹介・評価したことがきっかけとなって広まったものも多い[2]。日本に止まらず、国外にも積極的に出かけ、数多くの対話を残している[3]。

2008年から京都大学経済研究所准教授を退職し京都造形芸術大学大学院長に就任[1][2]

思想 [編集] 経済学 [編集]修士論文のテーマはゲーム理論で、初期には数理経済学者を名乗っていた。ほかに経済思想史に関する論文を執筆したこともある。しかし80年代後半以降は経済学関係の著作は皆無で、現在は経済学者は「廃業」したと述べているが、2008年まで20年に渡り、京大経済研究所に助教授(准教授)のまま勤務していた。結局、経済学に限らず体系的著作は一つも残しておらず、この点を吉本隆明が厳しく批判している。

天皇 [編集]「構造と力」以来、天皇制の問題について、思考し発言している。

教育問題 [編集]学力低下を嘆いており、必要最小限の知識を、中学高校の間に叩き込まねばならないと考えている。 国語教科書でいえば、現代のレベルの低い作品をやめ、漱石・鴎外を載せるべきと考えている。数学でいえば、中途半端な集合論をやめ、二次方程式を誰でも解けるようにすることが必要だと考えている。さらに、かつて丸山真男や遠山啓が岩波新書からスタンダードな教養を提示したように、現代でもそれに代わる新たな教養の提示が必要だと考えている。

官僚制 [編集]教育問題とも関連しており、レベルを上げる必要があると考えている。たとえば、財務省のエリートは、数学か経済学の博士号くらいは持っていて、5時にはサッと仕事を切り上げて小説を執筆するなりオペラを鑑賞するというスタイルを持つレベルであってほしいと述べている。

人文知 [編集]人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」

しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。

また、「深くアカデミックでありながら、アクチュアルな活動を展開している人が決していないわけではない。結局、人文知というのは、どうやってそういう人を見つけ、相互に結び付けていくかということにかかっている」とも述べている。

情報環境、メディア環境の急激な変化に関しては、「簡単に検索し操作できるというのは、すばらしいことに違いない。けれども、それとは別の次元で、モノとしての知に直接かつ偶然に遭遇できる場が絶対必要。そのような場、そのような遭遇をどうやって可能にしていくかというのが大きな問題だ」と述べている。

また「創造の現場とつながる」ことが「大変重要」、「人文知が理論的に洗練されていく」のはいいが、「人文知はそれと全然関係ない人たちと接触したときに本当に試される」「まず批評の実践があっていいんだけれど、同時に、自分がつくる、つくるということに参与するということがあっていい。そういうことがないと人文知というものが本当の意味で機能することはない」と述べている。

浅田が、過去さまざまなメディアに露出し、執筆したテキストは、浅田彰書誌[3]に詳しい。 また、はてなダイアリーを含むWeb上でのコミュニケーションに関しては次のように言及している[4]。

エピソード [編集]ソーカル事件などで示されたフランス現代思想潮流の衒学性の問題に対して、フランスで『知の欺瞞』が出版された1997年当時から少なくとも2001年8月1日にいたるまで一貫する彼の答えは「明晰にできることはできるだけ明晰に」すべきというものである。ソーカルらによる論証は対象となるそれぞれの論者を本質的に批判してはおらず、また批判の根拠たる科学主義も絶対とはいえないと応じながらも、「ソーカル事件」の教訓を強調し、不必要な衒学は戒めなければならないとしている。これについては雑誌『批評空間』の公式ウェブサイト内の記事に詳しい。[4]。

略歴 [編集] 学歴 [編集]1975年、洛星高等学校卒業

1979年、京都大学経済学部経済学科卒業

1981年、京都大学大学院経済学研究科博士課程中退

職歴 [編集]1981年、京都大学人文科学研究所助手

1983年、『構造と力 記号論を超えて』を出版。ベストセラーとなる。

1989年、京都大学経済研究所助教授

2007年、京都大学経済研究所准教授

2008年、京都造形芸術大学大学院長

兼職 [編集]近畿大学国際人文学研究所客員教授

放送大学大学院客員教授

著作 [編集] 単著 [編集]『構造と力 記号論を超えて』(勁草書房, 1983年)

『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年)

『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年)

ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年)

(対談集)『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年)

フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年)

(対談集)『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫, 1999年)

『映画の世紀末』(新潮社, 2000年)

(対談集)『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年)

共著 [編集](黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉)『科学的方法とは何か』(中央公論社[中公新書], 1986年)

島田雅彦)『天使が通る』(新潮社, 1988年)

(松浦寿輝)『ゴダールの肖像』(とっても便利出版部, 1997年)

(田中康夫)『憂国呆談』(幻冬舎, 1999年)

柄谷行人)『マルクスの現在』(とっても便利出版部, 1999年)

(田中康夫)『新・憂国呆談 神戸から長野へ』(小学館, 2000年):1999年東京都知事選挙について言及している。加藤紘一からの金が栗本慎一郎経由で舛添要一に渡っていた疑惑について言及している。

(佐和隆光)『富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか』(ダイヤモンド社, 2001年)

四方田犬彦・大野裕之)『パゾリーニルネサンス』(とっても便利出版部, 2001年)

(田中康夫)『憂国呆談リターンズ 長野が動く、日本が動く』(ダイヤモンド社, 2002年)

柄谷行人岡崎乾二郎・奥泉光・島田雅彦絓秀実・渡部直己)『必読書150』(太田出版,2002年)

(田中康夫)『「ニッポン解散」 続・憂国呆談』(ダイヤモンド社, 2005年)

共編著 [編集](岡崎乾二郎・松浦寿夫)『モダニズムのハード・コア 現代美術批評の地平』(太田出版, 1995年)

(渡邊守章・渡辺保)『表象文化研究 文化と芸術表象』(放送大学教育振興会, 2002年)

訳書 [編集]メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年)

連載 [編集]憂国呆談 ソトコト(2008年1月号-)

受賞歴 [編集]1984年、『逃走論 スキゾキッズの冒険』の「スキゾ・パラノ」と言うキーワードで、第一回新語・流行語大賞新語部門銅賞を受賞する。

関連項目 [編集]ニューアカデミズム

記号論

ポストモダン

構造主義

ポスト構造主義

フランス現代思想

ソーカル事件

柄谷行人

蓮實重彦

東浩紀

毛利嘉孝

福原伸治

市田良彦

坂本龍一

京都大学

京都造形芸術大学

ダムタイプ

大野裕之

註 [編集]1.^ その総目次はhttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/2.html

2.^ たとえばスラヴォイ・ジジェクは、「批評空間」で日本ではじめて特集記事が組まれ、青山真治の映画「EUREKA」も浅田の評価がきっかけとなった。

3.^ その対話は多く『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)や、磯崎新との共同編集「ANY」シリーズ(NTT出版)に収められている。

4.^ 浅田彰 「『山形道場』の迷妄に渇!」

外部リンク [編集]関連サイト(公式)

京都造形芸術大学大学院

京都大学経済研究所

近畿大学国際人文科学研究所

田中康夫と浅田彰の続・憂国呆談「週刊ダイヤモンド」連載の対談

浅田彰のドタバタ日記「REALTOKYO

批評空間【浅田彰アーカイヴ

関連サイト(その他)

ICC HIVE NTT InterCommunication Centerでのシンポジウム記録(2006.6.10)

浅田彰の言説を追う Following the discourses of Mr.ASADA Akira

哲学の劇場

浅田彰書誌

読売新聞インタビュー

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三島由紀夫 02:54 三島由紀夫を含むブックマーク

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家。戦後の日本文学を代表する作家の一人である。晩年

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October 29(Sat), 2011 塩見孝也 このエントリーを含むブックマーク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E8%A6%8B%E5%AD%9D%E4%B9%9F

塩見孝也出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

移動: 案内, 検索

塩見 孝也

生年: 1941年5月22日(70歳)

生地: 日本広島県尾道市

思想: マルクス主義

活動: 新宿騒擾事件ほか

所属: 関西ブント

第二次共産主義者同盟

関西派

共産主義者同盟赤軍派

赤軍派プロ革派

日本社研

ぱとり・自主日本の会

投獄: 府中刑務所(懲役18年)

現職: 駐車場管理員

塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - )は、日本の新左翼活動家。元赤軍派議長、最高指導者。自称「真民族派」「左翼民族派」[1]。「日本のレーニン」と呼ばれた。

目次

1 来歴

2 活動

3 現在

4 エピソード

5 著書

6 脚注

7 外部リンク

来歴 [編集]1941年、広島県尾道市で出生。1962年、京大文学部入学。

活動 [編集]京大在学中から「ブント」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部となる。

しかし1969年、それまでのブントの活動に飽きたらず、「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。受動的な階級闘争論では展望が開けず、能動的な攻撃型の階級闘争こそが必要である」と武装闘争を主張する。 さらぎ徳二らの関東派と対立の結果、決別し、いわゆる関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成し、その議長に就任した。

メンバーは京大、同志社大立命館大を中心に400人で、軍事委員長大阪市大の田宮高麿である。

同年秋には具体的な実行として、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮する。

しかし11月に「大菩薩峠事件」の失敗で主要幹部を含む53人が逮捕され、大きな打撃を受ける。

その後、「一国内の闘争には限界がある。労働者国家(キューバ)を根拠地とし、そこで軍事訓練を行った革命軍を各地に送って、武装蜂起を図り「世界共産主義革命」を実現すべき」という「国際根拠地理論」を提唱した。

1970年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画。下見を重ね具体的な計画を作成。実行部隊のメンバーを決定し同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月15日警察に逮捕された。しかし塩見の逮捕を知った実行部隊は、善後策を協議し既定方針どおりハイジャックを決行。3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空機・よど号をハイジャック北朝鮮に亡命した(よど号ハイジャック事件)。

塩見は爆発物取締法、よど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴される。法廷闘争の中、1972年連合赤軍事件以来分裂状態にあった赤軍派に対し1974年に赤軍派プロレタリア革命派)を結成。その後プロ革派は分裂し、塩見派は1979年に日本社会科学研究所(マルクス・レーニン主義毛沢東思想)を結成。1980年、懲役18年の判決が出され、1982年刑が確定。府中刑務所に収監され、結局19年9ヶ月の獄中生活を送り、1989年12月出所。

現在 [編集]ぱとり・自主日本の会を主宰し、定期的に都内で集会を開くなどの活動を行っている。出所後は何度も渡朝し田宮(1995年死亡)らと再会。また近年、民族主義を唱え一水会らと共に「国の日集会」(毎年9月2日開催)を開いたり、よど号事件実行犯が日本人拉致に関与しているかのような発言を行い、物議を醸している。

だが先に挙げた民族主義に関しては彼なりの過去の内ゲバに対する反省点と愛郷心から来ており同じ革命を目指す者同士なら左右問う事無く解決すべきであるという理念が伺える。

ちなみに塩見自身は、新宿騒擾事件については刑事責任を問われうる範囲内であるも、ハイジャックについては無罪であるとの主張を、現在においても唱えている。

赤軍派日本赤軍については、反省すべき点はあるとしつつも基本的に肯定的に評価している。一方で連合赤軍(特に山岳ベース事件)については全否定しており、自身や赤軍派とは何の関係も無いと主張している。一方で、山岳ベースでの同志殺害をもたらした連合赤軍の暴力的体質や「共産主義化」の理論は赤軍派や塩見のものに他ならない、との批判が関係者からなされることもある[2]。

エピソード [編集]PANTAは「塩見さんもちょっと露出のしすぎかなと思う。赤軍の頃は本当にすごくて、私らにとっては雲の上の人だったんですから」と話している[3]。

最近では自身の高齢に伴う身体の衰えを実感し、地元の東京都清瀬市シルバー人材センターの紹介により清瀬市所有の駐車場管理員(隣は西友の駐車場)の仕事を時給950円にて紹介してもらい、本人も「66歳にして労働の意義を知る」と自身のHP内や週刊新潮(2008年5月1・8日号)等でその充実ぶりを語り、それ以前の生活費は仲間からの援助や労組からのカンパ(たかり)だったと語った。だが経緯が経緯なだけに形式的には現在も反権力を唱える革命家が、現権力体制の保護を受けているという現状批判の声もある[要出典]。

mixiにて、HN「預言者」として活動中[4]。なおそのネームバリューゆえにコメント欄にて議論となる事も多いが、見解の相違する相手とは話し合う必要すらないと言う姿勢のもと、抽象化された単語で飾った文章で本質に一切答えず一方的に対話を打ち切るスタンスが良く見られる(mixiにおいて批判派の言い分より)。

誠のサイキック青年団」(ABCラジオ)にゲスト出演、番組内で闘争による革命の必要性を説くが、収録後の打ち上げで「少し言い過ぎたかな」と肩を落とす。

彼自身、こう云った運動する為にはインターネットが必須と考えて折、65歳を過ぎても自身でネットを使い政治活動をしている。

飲み会の席では必ず割勘を貫き通し、殆ど他人には奢らない

著書 [編集]過渡期社会論 酒井隆樹共著 共産主義者同盟赤軍派(プロ革)編 査証出版 1975

一向過渡期世界論の防衛と発展のために 査証出版 1975

封建社会主義と現代—塩見孝也獄中論文集 塩見孝也救援会,高沢皓司編 新泉社1988

いま語っておくべきこと 現代資本主義論と社会主義論 革命的左翼運動の総括 川島豪対談 新泉社 1990

「リハビリ」終了宣言—元赤軍派議長の獄中二十年とその後の六年半 紫翠会出版 1996

さらば赤軍派 私の幸福論 オークラ出版 2002

赤軍派始末記 元議長が語る40年 彩流社 2003 

監獄記—厳正独房から日本を変えようとした、獄中20年。 オークラ出版 2004 

その他

サイキック10年ファイル 1988 - 1998 (座談会)青心社 1998年8月、ISBN 4878921528)

参考文献

よど号と拉致 /NHK報道局 NHK出版 2004

脚注 [編集]1.^ 見沢知廉ファンサイト白血球』より「見沢について記録しておくべきこと」

2.^ 『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社

3.^ 『この人に聞きたい青春時代2』鹿砦社 2001年 132頁

4.^ 本人のプロフィール

外部リンク [編集]ぱとり・自主日本の会







【元赤軍派議長】塩見孝也【誠実・本気】

1 :革命的名無しさん:2009/09/21(月) 20:43:21

25才です。

赤軍派とか最近まで全然知らなかったけど、塩見さんの赤軍派始末記や監獄記を読んで、

こんなにまっすぐに活動をしている人がいるのかと驚きました。誠実な自己批判もされたようです。

塩見さんについて語りましょう。

僕が今考えているのは塩見さんが今25才だったらどう生きるのだろうか、

あるいは、塩見さんはレヴィ・ストロースの「野生の思考」やフーコーの「人間の死」のような現代哲学の問題に対してどういう立場をとっているのだろうか、ということです。

2 :革命的名無しさん:2009/09/21(月) 21:24:02

何人の若者が塩見のせいで人生を壊されてきたか。命をなくしてきたか。

関わらん方がいいぞ。

3 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 08:57:13

全共闘運動で何人もの若者が命を落としたからね。

4 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 11:00:30

塩見の臆面なき北朝鮮礼賛や赤軍派敗北の責任回避は到底度し難いものがあるぞ。

5 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 12:27:41

塩見の北朝鮮礼賛って、そんなの見たことも聞いたこともないが。

6 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/22(火) 12:49:45

今は責任とって、スーバー駐車場の警備員やってるなあ

7 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 12:58:08

>6

責任じゃないよ。

女房から煙草銭くらい自分で稼げといわれただけ。

8 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 13:00:13

塩見は誠実な自己批判だけはしてないだろう。

批判的なことはすべて他者に転嫁して、俺は無関係と逃げ回っている。

新左翼でもまともな奴は塩見など相手にしておらず、馬鹿にしてる。

9 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 18:53:10

塩見がレヴィ・ストロースやら読んでるわけねえじゃん。

フーコーなら獄中で読んだかもしれんけど。

とにかく当時の赤軍派ヨーロッパの思潮(フランクフルト学派以降のマルクス主義構造主義ほか、流行の)は相容れんと思うよ。

どっちがいいとか悪いとか正しかったとかは措いといて。たとえばアルチュセール(「甦るマルクス」が68年に邦訳されている)を

読んでいた赤軍派学生がいただろうか。あの忙しさと弾圧のなかで。

思想とか思考とか以前に、60年代後半の(少しだけブントの、主に分裂に伴う)勢いと弾みの表現なんだから、赤軍派は。

その勢いと弾みだけで北朝鮮や中東、たどり着けなかったけど大好きだったキューバへも行って革命やろうとしたわけだから、

やっぱり思想的には支離滅裂でしょ。

その音頭取り、お調子者の大将がたまたま塩見のオッサンだったというわけ。

俺はだから「塩見に問うならば、自らにも問え」という立場です。こんなこと、匿名=2ちゃんねるでうだうだと

能書きたれてもしようがないんだけども。

でもね、

赤軍派にしか闘えなかったことだって、きっとあるんですよ。

赤軍派が提起した闘いは、あの時代の、階級情勢が突出させた一表現(それを人は小ブル急進主義と呼ぶ)に違いないし、

あれほどの決意に満ちた若者の集団を、今に至るまで俺は他に知らない。

だから、もういちど、自分のこととして戦後革命運動−全共闘運動−赤軍派(−連赤)の総括を課題としましょうよ、

同志諸君。

10 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 19:22:53

>>9のような文章を読むと正直ホッとするし、嬉しくなる。

でも、若い奴らが情熱と信念を持って大きな問題に立ち向かったんだからまあいいじゃないという考え方は、非常に残念だけど通用させてはいけないとも思う。

ただ、現代哲学なんかを見ると理論武装なんてことは、どうあがいてもできないんだなと思わざるを得ず、私が塩見を超えるなにかをなし得るのかと言えば明らかに不可。

日和るか発狂かの二者択一。

11 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 20:21:39

副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)

宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、

もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。

東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。

はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。

大正デモクラシー」のころの(ロシアボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、

とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。

これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。

室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、

何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。

これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。

じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、

フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは

アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。

 日本人のような、東アジアモンゴリアンインディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、

考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。

(引用おわり)

12 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/23(水) 00:12:05

塩見の自己批判には大きく二つの正確があると思う

ゲヴァルトについての自己批判

 →ブント内部の内ゲバ死者(望月氏)への坊主懺悔

 →党派闘争における暴力使用の総括(今は非暴力主義を標榜)

赤軍派指導者としての自己批判

 →事態が連赤にまでいきついたのは、獄中指導者としての己が至らなかった

  ※要するに前衛主義・官僚体質はそのまま

ただし、これは塩見のサイト(パトリ)の情報だけからのまとめ

13 :革命的名無しさん:2009/09/27(日) 09:00:04

塩見はまったく反省してないね。

ミクシィーで兵隊集めのまねごとをしてる。

14 :革命的名無しさん:2009/09/28(月) 16:07:37

塩見はネトウヨと馴れ合ってるから、もう末期だな

15 :革命的名無しさん:2009/09/28(月) 18:22:38

亡くなった同志たちの墓標をお遍路して余生をすごせよ

16 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/29(火) 06:20:45

塩見は当時を知る仲間や現役の極左、元過激派思想家たちからはまったく相手にされてない。

何よりもその社民的な日和見主義が批判されてる。

17 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/30(水) 18:25:53

塩見の反省していないところは、

まだ自分が指導者たりうると思い込んでるところ。

兵隊集めのまねごとはその結果かな?

18 :革命的名無しさん:2009/09/30(水) 21:18:16

塩見を批判している人に聞きたいんだが、今の日本で「人民の社会」を具現化したり、「革命」を起こすことは可能だと思うのですか?

そういう方向性で現実的に有効な活動をしている団体や人は、今いますか?

単に前向きに活動しているとかではなく、現実性のある活動をしている団体や人はいるんですか?

19 :革命的名無しさん:2009/09/30(水) 21:31:55

なあなあではなく本気の左翼的な活動というものは、成功する可能性を持っているのでしょうか?

これまでいくつもの活動が失敗に終わり、その度に、〇〇が悪い、〇〇がバカだから失敗した、という総括が行われてきましたが、

本気左翼的な活動自体の非現実性を諸個人に転嫁しているだけではないのでしょうか?

これは、煽りや批判ではなく左翼初心者の素朴な質問です。

20 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :2009/09/30(水) 22:53:59

>>19

つ「権力を取らずに世界を変える」の第七章あたり、どうぞ。

ヒントがある。

21 :革命的名無しさん:2009/09/30(水) 23:45:39

塩見孝也ね。

数年前にある居酒屋で見たことあるよ。

あのおじさん、タイで高級娼婦買ってたみたいよ。

22 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/01(木) 13:08:13

塩見は「日本のレーニン」とか言われて喜んでる馬鹿。

極左でもまともな奴は塩見なんて相手にしてない。

23 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/01(木) 13:09:13

>21

塩見は女癖は悪いらしい。

24 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 16:07:06

世が世なら、日本人民共和国の、初代大統領だったかも知れないのに…。

25 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 16:18:44

コピーライターになっていれば糸魚重里並に成功していたかもね。

抜刀隊とか w


26 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/01(木) 17:44:41

>24

なってないよ。赤軍派の実権は塩見にはなかったのだから。

塩見は赤軍派では無能力な足利将軍みたいなものだったらしいよ。

27 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 18:56:58

そんな事はないよ。連合赤軍の森の遺書を読んでみれば

塩見尊師に深く帰依していたことがわかるよ。

28 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:03:14

攻撃型階級闘争論とか前段階武装蜂起とかね。

結局はゲバラのパクリなんだけどね。

植垣氏ら田舎紳士には魅力的で衝撃的な言葉だったらしい。

29 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:12:55

>>23植○さんの知り合いらしくていきなり居酒屋に登場。

背が高いけど猫背でなんか怪しいオーラはあったww

あのおじさんエッチだよね〜(^ε^)

噂真かサイゾーでも高須基二と一緒にエッチなのが載ってたよ〜

プギャー!


30 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:26:59

ジャーナリスト(本○信○)が風俗店へ連れて行った時のこと。

そこの店長が「あれ?ギチョー(刑務所で知り合いだったらしい)」

女の子は「あら、ギチョーさん(都議会の議長と勘違いしたらしい」とサービスしたとか。

「性に関して無視する新左翼が多い中、立派だ?」と褒めていたな。

31 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:34:42

その高須氏も元々は極左です。

逃亡中は大学の女子寮なんかでお世話になっていたとか。

32 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 21:51:41

>>31

高須さんもエッチですねえ〜。

でも隠さないからおK。

塩見さんは左翼には多いムッツリどスケベですね。

あとあの度が超ぶ厚い眼鏡が時代送れですね。

ちょい悪オヤジを目指すならまずお洒落な眼鏡にすることをおすすめします。

あとあまり理屈っぽいこと話さないで呉智英さんみたくなるの…

無理か…

33 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/02(金) 10:04:38

塩見は本人を少しは知ってるが

最悪というより最低の男だよ。

金銭感覚はいいかげんで、若い女には鼻の下を伸ばし

猛烈なメール攻勢。

完全なストーカータイプだな。

34 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/02(金) 14:18:22

メール攻勢kwsk

35 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 21:40:53

元気がいいですね。

塩見さんの収入源はどこから出てるのでしょうか…。

今日不動産屋事務職を社長に辞めろ宣告された私には不思議です。

36 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 21:51:18

>>25

「三千人の抜刀隊がいれば」という言葉の出所は、ブントの第4回大会での島成郎の演説

37 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 21:58:13

変質者なんだな

38 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 22:58:33

ああ…辞めろ宣告されて明日から給料の締めまで仕事に行くのが苦痛だあ〜。

新しい仕事も探さなきゃ…

塩見さん、底辺の労働者は毎日こんな感じですよ。

私は貴方みたいにいつまでもお元気でエッチでいれるのが羨ましいです。

39 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/03(土) 01:28:44

塩見は連れ合いに収入がある

当人は小遣い稼ぎでスーパーの駐車場管理人やってる

なんかの週刊誌の取材記事でそう出てた

40 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 10:15:08

奥さんが学校の教師で家計を支えたんだよね。

映画の“母べえ”みたい。

41 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 15:03:03

>>40そうそう!奥さんが高校の先生だって

植○さんが言ってた!だから収入源あるって今思い出した!

さてと…×1子持ちの『辞めろ宣告』された最底辺の私はどうしようかしら…。

42 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 15:35:07

奥さんが公立学校の教員(=公務員)で、旦那が赤軍派というのはアリなのか?

よど号の時に、日航は半官半民の国策会社だから、

日航の乗員・添乗員は敵であると主張したと自ら本に書いていたような気がするが・・・・・・。

それにフーコーとかが主張するように、学校って体制が作った監獄だと思うが。

既成の社会にとって(体制側にとって)良いことと悪いことを子供に教えて、

精神的に子供を監獄に入れていく、あるいは精神の中に権力側の看守を送り込むわけだろ。

矛盾に苦しんだりはしないのかな。

43 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 19:25:32

こーいうのって『アジテーター』でしたっけ?

あ、ヤバス…。給料締めまで仕事探さなきゃ…

44 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 22:19:10

>>36

へぇ。ありがとうございました。

元は三千人だったんだ。

塩見の時は百人でしたっけ?

45 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 23:24:36

そいえば赤軍でパレスチナに飛んで逝っちゃった人、名前なんだったっけ?

46 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 09:33:41

>>43

「トロ(ッキスト)がタテカン(立て看板)の前でアジっとる(演説してる)」と

先輩の言われた時に寿司屋みたい..と思ったな。

>>44

1000人の抜刀隊で占拠です。

47 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 09:43:17

>>42

奥さんが国交省の副大臣で、旦那が元日本赤軍テロリストっていうのもいるから

ありでしょう。

大学時代に“大学解体”を叫び、予備校講師になった奴

成田空港粉砕を叫んで、その成田空港から海外旅行に行った奴など

もっといる、俺もだけど。

48 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/04(日) 12:55:23

予備校の先生って、30過ぎたらクビらしいけど?

区内だけど下町路上で、『東大早慶卒の講師が・・云々。二割も安くなっております。云々。』

予備校を離れた先生らしいのが、

キャッチセールスよろしく、ちょっともどかしい営業してたね。

49 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 16:52:53

>>47

福島みずほの旦那は(も)弁護士で、塩見が府刑に居るときに塩見と面会したりして監獄闘争の世話してたらしいですね。塩見の著書に書いてあったらしい。

武装闘争ではない革命を志向して政治家やってるってのは筋の通らない話ではないが、

自分の中で筋通さないで自己矛盾のまま公務員や大企業社員やってるやつも相当数いるだろ。

50 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 16:54:00

書いてあったらしい

ではなく、

書いてあったと思う

ね。

51 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 17:20:32

>>49

元じゃなく今でも弁護士

52 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 18:53:42

あれ?みずほの旦那って元中核派じゃなかったっけ?

53 :革命的名無しさん:2009/10/05(月) 00:08:12

星野の救援やってたってだけで、今じゃ角田なんかとのつきあいが深くて中核からは煙たがられてるんじゃないの。

スレの趣旨からはずれてスマン。

54 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:48:03

>>53

「河内のおっちゃん」なる共産党コテハンにちゃんと教えたげてくれ。

社民党はほぼ全部中核らしい。

55 :10:07-11:05 ログ(オミンス発作編)[sage]:2009/10/06(火) 12:00:30

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1254628680/l50

33 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:07:24

>>31 おsageさんは赤旗読まないけどちゃんと共産党を支持してますよ。少々お行儀が悪いかもしれませんけども。

35 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:12:31

>>34 〉 赤旗を読まない人

これに反応しちゃったんだ。自意識過剰ですねえ。

「党員で読まない」ならまだしも、党員に限定しなければ読まない人が多数だと思いますけども。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1249308332/l50

362 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:18:52

>>340 タイトルに「マルチ」が入ってるから良いのでは

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1251697323/l50

336 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:28:26

>>333 頑張っても限界があるのが哀しいですね、おsageさんは。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1253533401/l50

54 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 10:48:03

>>53 「河内のおっちゃん」なる共産党コテハンにちゃんと教えたげてくれ。社民党はほぼ全部中核らしい。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1197605492/l50

575 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 10:52:39

完全スルー(笑)

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1249565508/l50

204 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 11:01:06

>>200- おsageさんは右翼だけど共産党板で一目置かれてますね。どういうニュアンスかは別として。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1250166618/l50

26 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 11:05:47

>>25 自衛隊活用論の共産党に言ってくれよ。北朝鮮と戦争したくてうずうずしてる気違いどもだから。

56 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 19:22:03

>※要するに前衛主義・官僚体質はそのまま

完全に同意。塩見は、結局、セクトの人。素人がかかわるのは危ない。

>今は非暴力主義を標榜

ご都合主義に過ぎない。

塩見は、26人もの無辜の民間人を殺したテルアビブ空港乱射事件を今でも肯定してるんだぜ。

一方で内ゲバ批判だの連赤の同志殺害批判(森恒夫の責任だと)って、おかしいと思わないか?

連赤の連中なんて、非合法のやばい活動と知って参加したんだし、自己責任だよ。

57 :希流[sage]:2009/10/06(火) 19:53:18

赤軍派の初期の闘争は完全に肯定でしたよ。

非暴力主義だとはとても思われない。

mixiで東京戦争、大阪戦争について揶揄したら

その点をなじられた記憶があります。

58 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 20:10:49

>>57

でしょ。

M作戦(銀行強盗)、明治公園爆弾投擲も肯定。浅間山荘銃撃戦(女性を人質に篭城、警官2名と民間人1名を殺害

)は「理解できるし、高く評価する」。

ただ山岳ベース(リンチ)だけは良くなかったが、それは森の責任だと。

赤軍派の輝かしい歴史を森が汚したという認識でしかないんだから。

59 :希流[sage]:2009/10/06(火) 20:22:00

>>58

時期によっては塩見さんの場合、発言にかなりぶれがあるようだけど、

最近の結論はまさにそれです。で、それがやはり塩見さんの本音でしょう。

かつては付き合う相手によって発言を変化させていたようだけど、

結局はそういう自画自賛に帰着するわけで。

共産主義者協議会の面々が、塩見さんだけは絶対排除だ、と

言っていたのはやむをえないことだと思います。

60 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/07(水) 14:28:06

結局、塩見は過去のの恣意的な解釈で自画自賛してるだけ。

61 :オミンスさんはチンカス以下w:2009/10/08(木) 02:04:36

58:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 20:10:49

>>57

でしょ。

M作戦(銀行強盗)、明治公園爆弾投擲も肯定。浅間山荘銃撃戦(女性を人質に篭城、警官2名と民間人1名を殺害

)は「理解できるし、高く評価する」。

ただ山岳ベース(リンチ)だけは良くなかったが、それは森の責任だと。

赤軍派の輝かしい歴史を森が汚したという認識でしかないんだから。

53:革命的名無しさん :2009/10/05(月) 00:08:12

星野の救援やってたってだけで、今じゃ角田なんかとのつきあいが深くて中核からは煙たがられてるんじゃないの。

スレの趣旨からはずれてスマン。

59:希流 :2009/10/06(火) 20:22:00 [sage]

>>58

時期によっては塩見さんの場合、発言にかなりぶれがあるようだけど、

最近の結論はまさにそれです。で、それがやはり塩見さんの本音でしょう。

かつては付き合う相手によって発言を変化させていたようだけど、

結局はそういう自画自賛に帰着するわけで。

共産主義者協議会の面々が、塩見さんだけは絶対排除だ、と

言っていたのはやむをえないことだと思います。

62 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/08(木) 11:21:40

塩見は人間的に信頼出来ない。

63 :革命的名無しさん:2009/10/08(木) 20:55:46

内ゲバ以外、先頭にたったことないしね。



64 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/08(木) 22:05:36

タイの一件もありましたね。

65 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 09:35:19

まあまあ。塩見氏は「2ちゃんのコテハン」みたいなもんでしょ。

叩かれるのは日常茶飯事だし、ちょっかいをかけて来るのも同じく。

「極左という古典芸能」と」刑務所生活」しか体験せず

“おひねり”と“お布施”で生活していた方が、自分で稼ぐようになったのだから

進歩でしょ。

66 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 09:40:38

かっての片腕である高原氏は「二度と塩見の顔をみたくもない!」と言ってるし

ゲバルト狂時代』の著者もボロクソだね。

連合赤軍の「バロン植垣氏」に至っては

「塩見には犠牲心も献身性もない。彼自身の経験もないし、頭の中で考えている」

最も塩見氏も彼には言われたくないだろうがね。

ただ俺の経験ではだね。「塩見氏のHPへ行って数回掲示板でやりとりしたが

そんなに悪い人じゃない」って感じがした。

67 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 10:46:48

>>57

俺もHPで「森を復帰させた経過」を聞いたら

ムキになってなじられましたです。はい。

68 :革命的名無しさん:2009/10/10(土) 11:08:33

塩見さんって、動画見たり著書読んだりする限りでは人柄はものすごく良さそう

69 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 11:09:30

意義なし!!いや異議なし!!

70 :革命的名無しさん:2009/10/10(土) 12:10:08

ブル新で「足跡をつけた人とマイミクになった」と逝ってた塩見ちゃん、

アクセスしたのに、マイミクになってくれないよう(泣

71 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 02:13:48

>>68

思想的な部分はおいといて人間性が最悪なんじゃないの?

会ったことないけどこの人の文章を読んでる限り、

都合の悪いことはスルーして自己弁護ばっかりじゃん

自分のことは棚に上げて他人を罵ってばっかりだし

72 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 06:03:54

人柄は悪くないよ。

ただ、人間性とか思想の問題は別。

73 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 08:55:14

塩見への絶縁状

http://miyazakimanabu.com/zorro-me/miyazaki4/tanaka_kodama/zetuen.html

74 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 13:55:36

「ウチの組の若い衆の不始末は、組長のワシが取る」

こんな感じではありませんんから任侠系には不人気ですね。

75 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 16:38:22

いや、口ではそれに近いことを言うんだ。

本人の意識としては親分なんだが…

76 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 17:44:34

よど号について、自分は2週間前に逮捕されていたから指導者たりえなかった、と主張するのは下記のうちどの精神からなんだろうな。

1、自分に責任が回ってくることだけは、なりふり構わず避けたい。

2、自分は本当によど号には関わってない。

3、権力に対する裁判闘争を完遂するために、どのような事柄であっても無実を主張する。誰かに責任をなすりつけるとかではなく、闘争として当然に無実を主張する。

77 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 18:14:14

…誰も子分と思っていないところが問題だな

78 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 19:21:50

>>76

そりゃあ3だろうけど、おれはパクられた時、手帖をもっていて、決行日に「HJ」と書いてあったエピソードが一番イヤ。

指導者を名乗る資格なし。

本気で革命戦争をする気があったのか疑う。

79 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 12:52:05

塩見は責任転嫁と自己弁護ばかり。

おまけに思想は古臭い。

80 :希流:2009/10/12(月) 14:33:56

mixiで見る限り、人柄は悪くないと思います。

しかしブントの面々からあれだけ嫌われているのを見ると、

あるいはmixiの日記での赤軍派の議論を見ると、

自己弁護、責任転嫁しかできない人物か、と思ってしまいますよね。

生来そういう人物だったとしか言いようがないのでは。

マイミクになって日記を見てみると面白いかと思います。

本人は思想のぶれについても一切否定して、戦術的な側面から

表現を変えていた、みたいなことばかり話しているしね。

81 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 16:48:43

塩見の人柄はあまり良くないよ。会えば分かる。意外とかなりの差別主義者。

それに間抜けなエリート主義。

82 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 18:23:30

あ、間抜けなエリート主義というのはよく分かるw

83 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 19:11:27

塩見か、キモすぎるな。

少しは悪い女癖くらいは直せ。

84 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/13(火) 17:12:18

「間抜けなエリート主義」というより、「エリート主義な間抜け」

85 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/14(水) 14:06:33

最低のカス人間。ほかに言うことはないよ。

86 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/14(水) 16:21:54

この御仁に対しては吐き気しかない。

人間として疑問を覚える。

87 :革命的名無しさん:2009/10/17(土) 09:29:06

でも「若頭の田宮氏」や「舎弟の森」は心酔してるよね。

ここらへんとのギャップが大きい。

俺は名古屋で中○新聞の読者なんだが、

塩見氏が出所した時にこの新聞の記事は同情的だったよ。

「塩見の名前を恐れた権力が不当に長く拘留した」とかあった。

88 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/17(土) 11:56:35

それは、早く死ぬか、北朝鮮に行くかしたからだろう。

生きているかつての仲間で塩見の友達って誰かいるか?

89 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/18(日) 13:31:39

塩見が本気だの誠実だのと言う人は、奴が金正日体制の熱烈な礼賛者であることを

知って言っているのか?「北朝鮮では言論の自由が保障されている」って言ったんだよ。

拉致を否定できなくなってからは少し言うことが変わったようだが、それこそ厚顔無恥

御都合主義で、誠実のセの字もない男であることが分かる。

90 :革命的名無しさん:2009/10/18(日) 17:10:49

しかし、塩見氏の出所祝いには「直系若衆」や京都大学の元総長も出席したそうだよ。

そんな最低の男のために、人が集まるかい。

91 :革命的名無しさん:2009/10/18(日) 17:13:22

塩見氏は京都大学の自治会の委員長もやっているが

高瀬泰司氏(親分肌で人望があったと田原総一郎が評価してる人物)も

委員長として支えていたんだろう。

最悪の男が委員長になれるだろうか。

92 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/19(月) 00:26:39

>>91

実際になってるじゃん。

93 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/19(月) 02:04:55

塩見を身近で知っている者は塩見を嫌悪したり軽蔑する者が多いね。

やはり塩見本人にそれなりの問題もあるのだろうな。

94 :革命的名無しさん:2009/10/20(火) 19:03:49

>>92

違うんだなぁ、そうじゃないんだなぁ。

問題なのは「何でそんな最低の男が自治会や府学連や生協運動やブントなどの

リーダーになっていったか」って事です。

95 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 08:59:08

一時的に人を欺くことはできても、永続的にはできない

96 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 09:18:49

>>94

麻生太郎がなぜ総理大臣になれたのか、と同じ愚問。


97 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 10:30:28

>>96

愚問か?

自分は愚かだから知りたい。

98 :チェ・ゲリバラ[age]:2009/10/22(木) 10:39:16

そろそろ本気汁が見たいものだな

99 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 18:07:15

>>89

MIXIの日記では昔礼賛してたことを棚にあげて北を批判してたな

こんなスイーツみたいなやつウヨからもサヨからも相手にされないよ

100 :希流[sage]:2009/10/23(金) 01:17:26

>>99

昔の礼賛は戦術的な配慮で本音ではなかったとか。

そんなことを書いていたように思います。

ちなみに他の人から僕が聞いた礼賛の理由は、北朝鮮

国賓待遇を受けて完全に舞い上がってしまったから、というもの。

101 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/23(金) 08:15:24

ありそうなことだね。

彼の頭の中に「人民」はないのさ。

102 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/23(金) 21:06:44

そんで日本に帰ってきて笛吹けど踊るようなやつは誰もいないと

自主日本の会は痛かったね

103 :中堅:2009/10/23(金) 23:59:27

重信裁判で何度か話させてもらったけど、人あたりはいい。ただ言う事は一方的。

やっぱり頭でっかちという印象だった。

104 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/24(土) 09:04:52

典型的な、あの時代の活動家だな。

自分の思い通りに局面が動いている時は“いい人”

ところが思い通りにならないとキレる。

典型的な“団塊の世代”。

105 :革命的名無しさん:2009/10/24(土) 09:11:47

>自分の思い通りに局面が動いている時は“いい人”

>ところが思い通りにならないとキレる。

最近の若い世代の方がそんなのばっかだと思うが(特に一人っ子)。

106 :革命的名無しさん:2009/10/24(土) 09:24:07

久しぶりにここに来てみました。

当然落ちてると思ってたのですが、逆にもう105ですか。

あいかわらず人気者なんですね。本人も読んで喜んでるかもよ。

107 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/24(土) 10:01:26

今思えば、そんなに悪い人じゃなかったと........

108 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/24(土) 10:02:46

>>105

団塊クレーマーに多いタイプ。

109 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/25(日) 14:11:50

山本義隆さんや秋田明大さんの悪口を言う人はいないのに...

何故、この人は....言われるの。

110 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 17:17:13

塩見さん、ここ読んでるなら>>1君に答えてあげてくださいよ。

111 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 17:53:44

糞だいこが相手にして欲しいって言ってるんだけど?いらないよね、あんな臭いカルト淫獣?

112 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 17:59:09

相手にして欲しいって、ケツの相手だろう!(笑)

そんなやつおらんわ

113 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 18:19:26

>>106

違うんだなぁ、そうじゃないんだなぁ。

ネットでの注目度と人気は違う。

林真須美スレとか永田洋子スレとかもあったが、本人に人気があるのではない。

114 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 21:44:43

塩見さんが書いた『監獄記』って本の帯に「責任はすべて俺がとる!」って書いてあるんだけど、

出版社の人が書いたのかな。なんであんなこと書いたんだろ。

本人は一度もそんな発言してないんじゃないかと思うけど。

本の中身読まないで適当に書いたか、嫌味かどっちかだよね。

115 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 23:06:24

>>109

いまだにOB面というか現役面してちらちら顔出してくるから

こまっちゃうんだよね。

結局こっちも負けないサービス精神でお相手してしまうというか。

ポンタとかクロカンとか中原ピンとか亡くなった人たちとくらべたら悪いけどさ、

塩見という人物が最高指導者だったというところに

赤軍派の光と影が象徴されているような気がする。

116 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 23:25:21

菩薩も連赤の闘いも後の世では、

(ちょうど現代のわれわれが幕末期の倒幕派志士や新撰組の若者たちへ

熱い眼差しを注ぐように)史実としてあらたな光が与えられるに違いない。

なんてこと、そういや塩見がどっかで書いてましたっけ。

117 :椎茸農家 ◆DlyW/s8ibQ :2009/10/25(日) 23:31:43

左翼にしては正直者と言うのが人物評だね。おれも昔メルトモしていた。

きっかけは諏訪の赤報隊の碑を参拝したことから。彼も魁塚を参拝していた。

118 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/27(火) 20:15:30

>116

barker barker sea

119 :革命的名無しさん:2009/10/31(土) 14:14:24

>>116

それって鈴木邦男さんも言っていたよ。

まあ、大河ドラマ小栗旬あたりが演じればイメージが変わるかもね。

120 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 09:27:02

老働者諸君!もう言う事はないのか?

121 :低賃金劣悪労働者:2009/11/07(土) 10:19:55

>>120

ライオンズクラブを全国一斉家宅捜索し幹部を検挙しライオンズクラブわ潰滅に老い込むべし!(笑)!

しかして人間のイデアは達成成就されんや(笑)(笑)!

122 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 10:24:30

ライオンズクラブと元赤軍派の塩見はんと、何の関係があるんや?

ライ○ンズマンションの側の駐車場で働いているかもしんが。

123 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 10:37:16

ライオンズクラブこそ日本人の犯罪行為を財務省からの闇金略取と交換に、数十年間

逐次詳細窮まる支持を出し日本人各自に実行せしめ日本を犯罪国家犯罪社会にせしめた

張本人かつ犯罪遂行のシナリオライターである!

ライオンズクラブ如きは人類の歴史から速やかに除去すべき忌むべき非人間的かつ反人間的犯罪組織である!??

124 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 10:42:48

ライオンズクラブこそ日本人の犯罪行為を財務省からの闇金略取と交換に、数十年間

逐次詳細窮まる支持を出し日本人各自に実行せしめ日本を犯罪国家犯罪社会にせしめた

張本人かつ犯罪遂行のシナリオライターである!

ライオンズクラブ如きは人類の歴史から速やかに除去すべき忌むべき非人間的かつ反人間的犯罪組織である!�

125 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/07(土) 11:02:13

わかったよ。塩見氏にライオ○ズマンションの駐車場の管理人を

やってもらえばいいんだな。

126 :全日本地下抵抗運動評議会:2009/11/07(土) 11:48:37

>>125

金玉ついて無い馬鹿臆病卑怯犯罪者は惚けろ!

127 :低賃金劣悪労働者:2009/11/07(土) 12:07:33

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!

128 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 14:22:49

黙して語らずは、現在ではファシストの代名詞になっているのだ(笑)!

129 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 14:28:44

前理事長奥田某菊地澤ケン奈穂美夫婦吉村ありさどもは無職ゴロツキ泥棒のライオンズクラブの走狗で

藤井財務大臣どもから既に10億円以上のブラックマネーを受け取り朝と無く夜と無く24時間

盗聴盗撮生体制御している朝鮮人の馬鹿野郎だ!

菊澤ケン奈穂美夫婦と吉村ありさは日本共産党員だ!共産党なんぞとんでも無い犯罪集団だ!序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|

130 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 15:03:31

日本共産党員で殺人犯窃盗犯空き巣盗聴盗撮生体制御のプロの菊澤ケン奈穂美夫婦の

電話番号0726269385

十数年間無職で極道して10億円も藤井財務大臣どもから頂戴している大馬鹿野郎の共産党員である!

日本共産党どもは憲法の上に自らをおき、もし九条改悪反対闘争に勝利した暁には

反対派に便乗して政権を奪取する事は明白です!

共産党が政権与党になれば北朝鮮顔負けの粛清独裁政治を行うのは自明です!

自民党の悪政補完部隊だった馬鹿野郎ファシスト日本共産党どもの化けの皮を徹底的に

剥ぎ取り騙されないようにしましょう!

131 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 09:10:45

はい、はい。

132 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 12:58:56

ライオンズクラブの狗だった日本勤労国民大衆!アーメンラーメンタベル!

133 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 13:06:53

悪魔に懺悔し味方を売り捌いている日本人!ああ、無情!

134 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 13:29:13

ライオンズクラブの狗だった日本勤労国民大衆!アーメンラーメンタベル!

135 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 14:11:17

ライオンズクラブは現代の傀儡師であり、勤労国民大衆は奴らの思うがままに操られている、という茶番劇(笑)!

136 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 14:44:22

>>135

茶番と言う勿れ。人間の尊厳と生死がかかった極めてリアルな舞台上で皆、演技しているのだぞ。

137 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 15:26:08

>>136

舞台俳優のギャラは幾らなんですか?

138 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/08(日) 17:11:09

学友諸君!議論が本質と離れている。

139 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 18:29:02

>>137

なことはどの舞台俳優も知っている!定年までに一億円溜め込む俳優もいる!

140 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 19:34:19

糞っ垂れの乞食の溜め込んだ闇金が一億円か!

余程の極道を何十年も続けて来たんだな!

乞食帝国が社会主義だなんて誰が言ったんだ?

141 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 19:47:52

>>140

不破哲三と砂糖英作です

142 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/14(土) 09:34:09

日本のレーニンと言えば「東の川島 西の塩見」

民度と言えば「東の千葉 西の愛知・大阪」

革命組織と言えば「東のマル青同 西の赤軍派

マスコミと言えば「東のバンキシャ 西の中京スポーツ

革命家と言えば「東の牧田吉明 西の菊田良治」

監督と言えば「東のタブチ 西の星野」 だよ。      

143 :革命的名無しさん:2009/11/14(土) 15:00:01

乞食帝国がファシズムではなく社会主義だなどと強弁してきた修正主義者ども。

144 :革命的名無しさん:2009/11/21(土) 09:01:06

塩見批判はもう出尽くしたのか

145 :希流[sage]:2009/11/21(土) 11:27:56

今は資本論研究会で頑張っているらしいからいいんじゃないの。

146 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/22(日) 09:51:14

んだね。塩見さん、「アサヒ芸能」だけでなく頑張ってください。

147 :革命的名無しさん:2009/11/22(日) 18:58:38

>>144

批判するほどの価値もない

148 :革命的名無しさん:2009/11/28(土) 09:13:53

>>147

本人にそんな事言ったら照れるでしょう。

149 :革命的名無しさん:2009/12/08(火) 07:32:49

早くもネタ切れか

150 :革命的名無しさん:2009/12/12(土) 10:17:43

要するに「頑固で粘着だから嫌いだよ」これでOK

151 :革命的名無しさん:2009/12/15(火) 19:14:30

マイミクになりゃいいじゃん。いきなり向こうから申請してきたりして断るのに苦労したよ。

152 :革命的名無しさん:2009/12/16(水) 12:10:42

>>151 漏れのところにも申請きた。華麗にスルーしたけど(笑)。

153 :革命的名無しさん[age]:2009/12/16(水) 12:47:29

永田はどうしているのかね?

154 :革命的名無しさん:2009/12/19(土) 12:10:50

なんだよ、みんな塩見さんが好きなんだ

155 :革命的名無しさん:2009/12/22(火) 12:36:30

田母神の方が好き

156 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/12/27(日) 09:49:04

大道芸が上手な点では似てますからね。

157 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/12/31(木) 10:06:06

責任は全て、俺が取る!

158 :革命的名無しさん:2010/02/01(月) 21:10:46

マイミクの一人が塩見に紹介文書かれてたんだけど、その内容が自分のとこへの勧誘で「変な紹介文書くな!」って呆れてた

159 :革命的名無しさん:2010/02/07(日) 12:40:58

??

160 :革命的名無しさん:2010/02/13(土) 16:14:59

1月27日に、重信房子さんに会いに行きました。

2010年 1月30日

塩見孝也


 1月27日に、“フ―ちゃん(重信房子さん)”に会いに行きました。

http://homepage2.nifty.com/patri/column/2010-01-30_fuu-san.htm

161 :革命的名無しさん:2010/02/14(日) 12:05:11

もうすぐ田宮同志にも山田同志や遠山同志にも会えるだろう。

162 :革命的名無しさん[sage]:2010/02/21(日) 11:01:54

今日のアカピに載ってたお

163 :革命的名無しさん:2010/02/27(土) 10:44:31

アサヒ芸能週刊実話か。

164 :革命的名無しさん:2010/02/28(日) 21:51:45

 よど号グループ、日本赤軍連合赤軍…。現代史に残る数々の事件の源流にあるとされる新左翼セクト赤軍派

に所属したメンバーらが2月上旬、京都市内で集会を開いた。

ゲストとして登場したのは、なぜか元検察幹部。

会場では、公安捜査について語る元検察幹部のスピーチを熱心にメモする元赤軍派たち、

という意外な場面も見られた。

内部抗争や分裂を繰り返した彼らが、

再び集まった狙いは一体、何だったのか。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100227/crm1002271801014-n1.htm

165 :椎茸農家 ◆DlyW/s8ibQ :2010/02/28(日) 23:27:43

 もう昔話です、はい^^

166 :革命的名無しさん:2010/03/04(木) 18:07:32

氏のmixiに、山本義隆のこと書かれてない? 見たいなーそれ

167 :革命的名無しさん:2010/03/04(木) 20:45:00

>>166

コピペよろ。(それ、問題ありかな?)

168 :革命的名無しさん:2010/03/06(土) 00:15:34

書いてあったよ。おもろー

169 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/03/06(土) 09:23:48

>>再び集まった狙いは一体、何だったのか。

茶のみ話のためじゃろう。

170 :革命的名無しさん:2010/03/06(土) 21:20:22

>>168

1行だけでいいから、ここにコピペしてくれ。

171 :希流[sage]:2010/03/09(火) 12:09:23

山本さんの件も生前葬の話でしょう。

参加するのかねえ。

172 :革命的名無しさん:2010/03/20(土) 14:18:38

塩見ってまだ生き恥さらしてんの

173 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/03/21(日) 13:33:21

はい、それが何か。

174 :革命的名無しさん:2010/03/25(木) 09:35:34

塩見さんて若いときは格好良かったの? 愛するサチ子より

175 :革命的名無しさん:2010/03/27(土) 10:10:36

塩見とマイミクになった。

日記が塩見だらけになった。

176 :革命的名無しさん:2010/03/27(土) 10:12:16

若いときは「舘ひろし」みたいでしたよ。猫ひろしではありません。

177 :革命的名無しさん:2010/03/27(土) 11:35:56

●(元赤軍派議長)塩見尊師の生前葬が開催されます。

高原正大師やバロン正小師もいらっしゃるのでしょうか。

今度は(普天間闘争に絡んで)沖縄からの上京隊1000名を組織されるそうです。

かっての1000名の抜刀隊はできませんでしたが・・・ その費用のカンパのためにも・・・

1.日時 4月24日(土)午後6時15分

2、会場 総評会館

3、会費 無料(ご厚志を歓迎します)

なお

?この催事は、しめやかなることを望みません。参加者各位のユーモアあるひらめきが輝くことを望みます

?「弔辞」を募集します(締め切り4月5日)。希望する内容は「塩見・沖縄・笑い」の3点セットです。

178 :革命的名無しさん:2010/03/30(火) 16:33:13

生前葬の関連メールより

『「塩見君生前葬」の発想を活かし、その成功裡な貫徹が出来るか否かは、マルキストの僕が、この問題に下山提案を受けて、塩見思想主義者として、この問題解決に挑戦したものと僕自身は考えております。』

塩見思想主義者って何?

179 :革命的名無しさん:2010/03/31(水) 10:32:17

既出? mixiに塩見コミュありますね。 

180 :革命的名無しさん:2010/04/02(金) 16:53:21

塩見自身が創った0721コミュだろ

181 :革命的名無しさん:2010/04/04(日) 09:13:24

>>塩見思想主義者って何?

倖田來未の「恋愛至上主義者」と同じようなもんだと思うよ。

182 :革命的名無しさん:2010/04/04(日) 18:51:50

議会制民主主義の国家でゲバラごっこ、革命ごっこ。

何が世が世なら日本人民巨和国の初代大統領か?

ただの犯罪者だろ。

66歳で生まれて初めて働いて、「労働の意義を知る」だって。

馬鹿じゃねえの、こいつ

183 :革命的名無しさん:2010/04/05(月) 23:38:01

塩見からマイミク申請がきた。

承認したら日記が塩見だらけになった。

184 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 11:23:50

俺も塩見からマイミク申請がきた。

承認したら日記が塩見だらけになった。

185 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 11:28:23

貴方も塩見理想主義者になったのですね。

186 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 13:22:38

塩見とか活動家ってなんで「アッピール」って言うの?

アピールじゃ駄目なの? 地味にうざいんだけど。

187 :革命的名無しさん[sage]:2010/04/24(土) 16:38:19

生前葬。塩見もつまらないことやるね。

まともな元活動家やかつての塩見の仲間は相手にしてないね。

塩見を祭り上げてるほんの一部の馬鹿と左翼有名人好きの若いアホばかり。

188 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 23:52:07

元サヨの馬鹿レス? 笑

189 :革命的名無しさん:2010/04/25(日) 13:50:14

若松さんはまともそうなのに塩見の取り巻きにいるのが残念

190 :革命的名無しさん:2010/04/25(日) 13:54:42

雨宮かりんさんは「初めて塩見さんを尊敬した」らしいぞ。

って事は「今まで馬鹿にしていた」って事か。

191 :革命的名無しさん:2010/04/25(日) 17:32:57

そおいうこと

192 :RF:2010/04/25(日) 17:34:13

ひどいよ。

193 :RF:2010/05/01(土) 10:38:57

「よど号の同志」が炎の行者に連れられて帰国するらしいが。

194 :革命的名無しさん:2010/05/01(土) 22:55:18

塩見孝也北朝鮮に追放するべき。

195 :革命的名無しさん::2010/05/01(土) 23:22:30

塩見さんは最低限、よど号の犯人らの帰国に責任を持って対処すべき立場

にあるのじゃないか?

だって、自分も加わっていたかもしれない仲間のことだろ。もうイヤだ、

生前葬をやって、これからは駐車場の管理人やって老後を過ごすんだよ、

なんて言ってられる立場なのかよ。

196 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 09:18:30

大丈夫だ。小西らは炎の行者を信頼している。塩見氏には期待してないべ。

年内にも帰国する。

197 :革命的名無しさん::2010/05/02(日) 10:56:34

炎の行者? 何だそりゃ?

ところで疑問なんだが、小西らは金正日の承認なしに帰国できるの?

日本みたいに個人が勝手に旅行会社とフライト契約できるところじゃなかんべよ。

まして金日成の頃から生活の面倒をさんざん見てもらっているのだから、

「じゃあ、勝手に帰れ」というわけにはいかないでしょうよ。

日本政府拉致被害者なら積極的に交渉の土俵に載せるだろうけど、よど号の犯人

なんか「知らんよ。朝鮮の土地で果てろ」ぐらいに思っているのでは?なにしろ、

祖国日本に後ろ足で泥を引っ掛けて北に行った連中だからな。

それから、気になるのが吉田金太郎の行方。ひょっとして、政治犯収容所に送られ、

そこで死んでいるのでは?

198 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 11:10:06

コニタンに聞いてください。今週の週刊朝日に載ってます。

金ちゃんももてあましてるみたいよ。

それから吉田の金ちゃんなら「出自」が問題になって粛清されたらしいよ。

199 :革命的名無しさん::2010/05/02(日) 11:11:45

いずれにせよ、塩見さんは小説のモデルとしては面白い人生を送ったな。

女のヒモになりながら荒唐無稽な革命を夢想して破れ、逮捕投獄までされるが、

出所しても誰も歓呼の声で迎えようとせず、バイトをしながら路傍の隅で果てる

なんて、誰もが送れる人生じゃあない。小説家が脚色したら現代版の「人間失格

が書けそうだ。(笑)

200 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 11:27:50

>>誰も歓呼の声で迎えようとせず

それは誤解。京都大学の元総長も出獄パーティに参加したなも。

201 :革命的名無しさん::2010/05/02(日) 14:44:48

>198

情報サンクス

早速、週間朝日を買ってきて該当部分を読んだよ。

「炎の行者」とは、鹿児島の最福寺法主・池口恵観のことね。「日朝文化交流団」の団長ということで、

よど号犯の日本帰国について、1)北朝鮮外務省から許可を得ている、2)日本政府との交渉の一切を

「よど号」のグループから委任されている、とある。

これなら帰れそうだね。金正日がOKしない限り、北朝鮮外務省が許可を出すことはありえないからだ。

確かに、塩見さんが間に入るとまた変な要求や「闘争」をしてメチャクチャになりそうなところを、こう

いう常識人の坊さんが間に入ってくれれば安心だろう。

先に日本に潜伏して逮捕された柴田泰弘の例からすると、航空機略取・不法監禁の罪が適用されて刑期は

5年ぐらいかな。タダ飯食らって回想録の執筆もできると考えれば、いいんでねえの?

俺としては、連中は北朝鮮の崩壊まで平壌に留まり、北朝鮮国内から情勢のレポートをして貰いたいと思う

が、連中が帰国したいというなら、仕方なかんべ。

202 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 18:26:13

ほうだね。塩見氏が入るとややこしくなる。

コニタンもそこらを見てるんだろうだっぺ。

203 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 18:34:12

小西さんねえ。東大医学部としては相当割りを食った人生だったねえ。

204 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 19:18:09

ほんまでんな。世が世なら小西病院の院長先生なのにね。

205 :革命的名無しさん::2010/05/03(月) 11:36:39

「要するに、僕のこれまでの生涯は、民衆に奉仕するというより、民衆に寄生してきたのです。奉仕されるばかりで、自前の職業的労働すらしてこなかった。これは情けないことで、

よく生きてこられたなとも思う。だからこそ、自己労働を幾ばくかでもやり、本物の革命家になりたいと思うわけです」。

http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/080703/trd0807032211019-p1.htm

66歳でこんなことを言っているなんて相当にアホだな。

社会との協調性を著しく欠くと、それはもう病気と診断されることもあるのではないか。


206 :革命的名無しさん::2010/05/03(月) 18:00:22

社会学者宮台真司さんは「塩見さんは壮大な勘違いの生き仏みたいなものだ。

勘違いが壮大すぎるととんでもないことになる」とステージの塩見氏に呼び掛けた。

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20100424-622075.html

ワロタ。

207 :党一京会=2ちゃんウン営=清和会=サッ長連合[sage]:2010/05/05(水) 00:42:57

新2ちゃんねる

http://megalodon.jp/2010-0505-0028-11/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/school/1381/1248878879/746

2ちゃんねるは党一京会の世▲論工作所として作られてる。あとI▲P集めが目的。

今年の7月から東京にあるネ▲ットカフェはすべて会員制になります。匿名書き込みできなくなりました。

警▲察が、ユダヤ(統一京会)やサッ長連合のために警察がインターネ▲ットカフェ規制をする。

第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。

アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。

GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、

農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。

上九一色村オウム強制捜査前に、警察幹部が池田に「最初の機動隊員が50名から150名が死ぬかも」といった。

──裏の支配者グループが「資本主義」と「共産主義」を作り出した──

東のアジアで、太平洋を越えて大陸共産圏と直接「対峙」でき、かつ強大な軍の「拠点」となり得るのは、

日本列島しかなかった。このための具体的な占領施策が、次の四つだった。

1.一方的なやらせ裁判である極東軍事裁判(東京裁判) 2.GHQ作成の日本憲法の押しつけ

3.約7000冊にものぼる歴史・戦略等図書の焚書  4.完璧な検閲体制

江藤淳氏はこれを「戦争犯罪情報プログラム(戦争犯罪周知宣伝計画)に基づいた占領政策」と指摘している。

【池田整治 (著)  マインドコントロール

http://megalodon.jp/2010-0402-0207-39/jb▲bs.li▲vedoor.jp/b▲bs/read.cgi/study/368/1▲074780696/156-163

■いま日本の支配者はサッ長連合(鹿児島県山口県)の田舎侍たちです。日本はいまだに武家社会です■

総理大臣大蔵大臣外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県山口県高知県

佐賀県長崎県出身者ばかりです。国策捜査はサッ長連合やアメリカのための捜査です。

詳細 http://megalodon.jp/2010-0406-1616-37/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1270526809/2-4

閨 閥http://www.kyudan.com/column/keibatu.htm

208 :nobo[heiseimaru2003@gmail.com ]:2010/05/06(木) 10:19:49

生前葬の話

209 :革命的名無しさん:2010/05/22(土) 10:02:33

あげ

210 :革命的名無しさん:2010/05/24(月) 11:00:59

塩見なんぞとっくの昔に思想的に破産して

活動家としちゃぁ、既に死を迎えてるじゃん。


211 :革命的名無しさん:2010/05/24(月) 20:11:35

>>210

思想的破産を言うのであれば

塩見どころか、マルクス主義そのものが

とっくに思想的に破産してると思うがな。

今やマルクス主義は一宗派として、

未練を断ち切れない赤い老耄どもへ

アヘンの機能を提供してる。

212 :革命的名無しさん:2010/05/27(木) 18:31:33

>>211

まぁ、そう一刀両断風な切り方をせんと。

誰しも、信ずるモノは必要というか、不可避に背負ってしまう

もんだわな。

それがお金の人のあれば、有名な世界宗派の人もあるんよ。

だからして、マルクス主義を現在でも信ずる人がおってもしゃーないわな。

ただ、マルクス主義こそが唯一の真理だなどと無知蒙昧を振りかざした時、

そんな時にこそボコボコと鉄槌を下せばいいんよ。

213 :革命的名無しさん:2010/05/27(木) 18:51:32

塩爺が改めて革命家目指すんだってさ。

すぐに痴呆症になって養老院にぶちこまれて

革命政権樹立の幻覚やインターナショナルの幻聴で体験するんだろう。

脳内で日本人民共和国の初代議長になってね。


214 :革命的名無しさん::2010/06/01(火) 09:17:42

>塩爺

オモロ。もう、この人はどっちに転んでも人畜無害。

「これからは一般の市井人として生きる」ぐらい言ったほうがカッコよかったのに、

「革命家」などと言ってしまうところがイタイけど、もうどうでもいいやん。

215 :革命的名無しさん::2010/06/01(火) 09:43:04

>信ずるモノは必要

それがとんでもない間違い・勘違い・誤りと分かった時点で

態度を改める柔軟さも必要。塩爺の場合は遅すぎる。

216 :革命的名無しさん:2010/06/01(火) 16:28:41

「われわれは明日のジョーである」

と絶叫し、金大元帥閣下の御胸へとびこんでいった痛いお友達も呼んであげて。

217 :革命的名無しさん:2010/06/29(火) 19:19:17

>>216

田宮さんの死因って、心臓麻痺だっけ?

やっぱり吉田金太郎さんと同じく、偉大なる首領様に逆らって粛清されたのかな?

218 :革命的名無しさん:2010/06/30(水) 12:22:02

「私を待っている人が日本にいるなら帰国する」

こう決意した翌日に死にました。

219 :革命的名無しさん:2010/07/03(土) 09:27:23

連合赤軍の森恒夫は塩見氏宛てに「もう一度、なんとしても頑張る」と書いた

翌日に自殺?した。

220 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 10:59:38

この人も選挙に行くのかな?暴力革命で倒そうとしたシステムのはずだが。

221 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 11:06:07

今は更生してます。

222 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 11:31:34

彼にくっついていった連中も、ついでに生前葬をするなりザンゲをするなり

して、一人の日本国民として更生したほうがいいな。もう二度と「革命」など

と口にすべきではないのだ。誰も支持していないことは明らかなのだから。

親分が刀を捨てたというのに、それでもどこか暴力沙汰のニオイのするところに

出かけていって「我が青春よみがえり」とばかり平和的運動を先鋭化させ暴力の道

に扇動するなら、これはもう救いようがないというしかない。

223 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 11:39:13

一度、脚光を浴びた一発屋はね。

あのスポットライトの味が永久に忘れられないの。

ちゃんと伝統芸能として保護してあげて。

224 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 12:05:56

塩見氏を座長とするチンドン屋の一座は、どうしても衆人注視の味が

一生忘れられないってか。まあ、勝手にすればいい。江頭2時50分も

「ワンクールの仕事より一つの伝説」をモットーとしているようだから、

カメラの前でチンコ出しするなり、素っ裸になってストリーキングする

なり、みっともないマネを続けられるのも日本ならではの自由が保障

された社会があってのことだからな。法律さえ犯さなければ誰も文句は

言わないだろうよ。

225 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:14:53

それは困る。批判(文句)を受けてこそ党の存在価値があるのだ。

226 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 21:12:51

愛の反対は憎しみではなくて無関心ってね。

227 :革命的名無しさん:2010/07/14(水) 09:16:41

僕を相手にして そう君に言った このスレ主は塩見尊師。

228 :革命的名無しさん:2010/08/01(日) 09:55:26

ところで生前葬で「お布施」は集まったのかい。

229 :革命的名無しさん:2010/08/01(日) 19:51:34

死ぬまで人にたかる人生だったよな。一度くらい人に与えよ

230 :希流[sage]:2010/08/03(火) 10:23:20

生前葬ではほとんど金が集まらなかったはず。

集会参加費無料、ただで飲食まで提供してしまったのは失敗でしょう。

せっかく集めた香典も経費で吹き飛び、結局沖縄へのカンパは

ごく少額にて終了。ちょっと常識的な金銭感覚に欠いていたようで。

231 :革命的名無しさん:2010/08/03(火) 12:29:13

なんとね!!お布施も浪費してしまったのですか?

M作戦の埋蔵金はどっかにないですか?榛名山あたりに。

232 :革命的名無しさん:2010/08/03(火) 12:31:05

>>ただで飲食まで提供してしまったのは

赤軍ラーメンでもふるまったとですか。

233 :革命的名無しさん:2010/08/11(水) 12:34:44

あげ

234 :革命的名無しさん:2010/08/12(木) 10:00:28

>>230

まあ、葬式というのはそういうもんなのにな……w

それなりの葬祭費を香典でカバーする。トントンで収めるのが一般的。

235 :革命的名無しさん:2010/08/14(土) 15:18:11

という事は・・・・

千名の抜刀隊ならぬ上京隊も・・また・・ホラに・・・・

236 :革命的名無しさん:2010/08/29(日) 10:09:35

赤軍派の幹部には女性秘書がつき

強姦事件があっても不問であったそうだが本当か。

237 :革命的名無しさん:2010/09/04(土) 20:04:30

>>231

各党派が分裂あるいは消滅する祭には、闘争資金(組織維持資金も含め)

や事務所の備品はどこかへ消えてしまうものです。

叛旗派解体時のコピー機騒動は有名ですよね。

かくいう私も、事務所の機関誌や雑誌類を古本屋に叩き売って

飲み代にしてしまった過去がある。

238 :革命的名無しさん[sage]:2010/09/04(土) 20:22:59

>>237

詮索するようで恐縮ですが、どこの党派ですか?

239 :237:2010/09/04(土) 20:57:57

>>238

流れから言えばブント系です。

70年代後半から80年代前半にかけて分裂、合流の

繰り返しの中で、少数派によくある先細りの自然消滅でした。

古本屋に叩き売った金で、新宿の小便横丁で焼酎を飲んだ。

何故か美味かった記憶がある。

240 :革命的名無しさん:2010/09/05(日) 19:59:28

ブントの離合・集散模様については一時期、2ちゃんのブント関連スレで

賑やかに展開されていたが、この頃はさっぱりだなあ。

「80年代ブント」スレは初期の内容からは逸脱した全く違う展開になって久しい。

誰か本来の正当(?)ブントスレを改めて立ち上げてくれんか。

241 :椎茸農家 ◆DlyW/s8ibQ :2010/09/05(日) 20:11:03

おこちゃまの革命ごっこだから消滅したの^^;

242 :希流[sage]:2010/09/06(月) 00:59:42

>>235

当初の目標だった生前葬でウン百万集めるなんてのはまったく馬鹿話。

実際のところは数十万程度がやっとだったとか。

ただしその金額も結局カンパされたのかどうか分からない。

発案者だった下山さんはずいぶんと非難されたらしい。

まあ当然ですが。

243 :革命的名無しさん:2010/09/14(火) 07:23:46

ただの苦労知らずのバカ左翼のスレはここですね

244 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/09/14(火) 12:22:20

>>242

大阪戦争・東京戦争のころからまったく進歩してないわけね。

245 :革命的名無しさん:2010/09/14(火) 12:27:07

それで最後は仏派あたりに頼って生活保護だろう。


246 :新快促便者:2010/09/17(金) 11:18:11

赤軍

戦後の教育の失敗でしょうか?

247 :革命的名無しさん:2010/09/18(土) 09:03:21

赤軍派に結集したのは「地方田舎大学の跳ね返り」と「扇動に乗りやすい無学無教養のルンプロ」ですからね。

どんな教育体制を取ろうと「イカレタ奴」は必ず存在しますよ。

248 :革命的名無しさん:2010/09/18(土) 13:45:48

もっとも、教育なんぞ鋳型に嵌め込むことの別名でしかない、という

シモーヌ・ヴェイユの観点からすれば、「イカレタ奴」にも意味はある、と。

249 :革命的名無しさん:2010/09/18(土) 19:46:48

>>248

>「イカレタ奴」にも意味はある、と。

反面教師としてかな?

250 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 00:56:23

>>237

三上が持ってた云々?

251 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 00:57:38

>>236

ホントのわけがねえだろw

252 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 10:06:51

>>249

なるほど!間違ってもあんな人間だけにはなっていけない!!と。

253 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 10:23:01

>>251

だったら貴方は小熊英二さんの『1968』に抗議しないと

そう書いてあるんだからさ。

254 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:02:06

>>253

> 小熊英二

あれをそのまま額面どおりに受けとるな。すが本も一緒だ。

255 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:07:11

>>253

おまいみたいに本に書いてあることを何でも信じるヤシが幸福の科学あたりにコロっとやられるんだぜ。

誰が著者だって検証するのは個々でやること。本来そうあらねばならないところ。

それからそれらに由来する抗議先ならヤマほどある。

もちろん早急にせねばならないところはやるだろうけどな。

256 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:18:09

その前に「みんなの党」にやられた。そりゃ冗談だけどさ。

あのね。個人でそんな調査能力あるわけじゃないしさ。

赤軍派なら、そのレベルだろう  こう思われるような事をやってきたのが問題でしょ。

257 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:39:03

>>256

最低限は図書館で読める程度の証言本を読んだほうがいいんじゃないかな。

258 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/09/22(水) 12:26:00

なるほど!『宿命』とか『赤い雪』ですね。

259 :革命的名無しさん:2010/10/03(日) 10:41:21

『赤い雪』に証言が書いてありました。

女性兵士は何度も流産させられて、お腹が痛い・・って。

260 :革命的名無しさん:2010/10/23(土) 09:09:31

261 :革命的名無しさん:2010/10/24(日) 07:54:49

過疎スレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


262 :革命的名無しさん:2010/10/24(日) 08:48:58

>女性兵士は何度も流産させられて、お腹が痛い・・って。

朝から嫌な話を読んじまった・・・

酒飲みたくなってきたな・・・

263 :革命的名無しさん:2010/10/24(日) 09:06:03

>>262

ほな、わかめ酒なんぞがお薦めでっせ。

264 :革命的名無しさん:2010/10/31(日) 15:05:27

洒落にもならん

265 :革命的名無しさん:2010/11/11(木) 17:55:56

過疎スレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume

266 :革命的名無しさん:2010/11/17(水) 21:43:39

過疎スレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume

267 :革命的名無しさん:2010/12/11(土) 18:38:04

植垣さんと和解せよ!

268 :革命的名無しさん:2010/12/12(日) 16:37:10

ムリよ

269 :革命的名無しさん:2010/12/12(日) 19:33:47

俺らみたいに、団塊よりちょい下の世代は

団塊の女癖の悪さを見せつけられてるよ。

270 :革命的名無しさん:2010/12/12(日) 19:42:42

女癖だけか。転向癖。日和見癖もだろう。

271 :革命的名無しさん:2010/12/16(木) 19:28:50

アラビア語で報道する日本赤軍リーダーの娘

http://s1.shard.jp/rabbit1/02/7/80_4.html

流暢にアラビア語で伝えていた。

272 :革命的名無しさん:2010/12/16(木) 20:54:26

>>271

サンクス あはは

273 :革命的名無しさん:2010/12/18(土) 10:20:14

電波は不要です。

274 :革命的名無しさん[sage]:2010/12/19(日) 16:17:28

この人の過渡期世界論って書籍に収録されたりしてますか?

総括として振り返っているものはあるけど、当時のものそのままのが読みたいです。

275 :革命的名無しさん:2010/12/25(土) 13:39:16

大阪都とか、名古屋市とかは、連合赤軍のように、自分等が決起して行動を起こすと、みんなも決起して革命が起きると思っているのだろうか?

276 :革命的名無しさん:2010/12/25(土) 16:47:46

いくら非武装、戦争放棄平和主義ときれいなことをいっても

それを現実化しているのは米軍なのであって、米軍によって支え

られた平和主義という欺瞞が戦後日本の姿だ。

つまり憲法九条日米安保はワンセットになっている。


277 :革命的名無しさん:2010/12/26(日) 09:15:34

>>275

はああい。

278 :革命的名無しさん:2010/12/27(月) 10:17:17

三島由紀夫も似たような時代に決起を起こしているな。

赤軍に感化されたのかな

279 :革命的名無しさん:2010/12/28(火) 18:43:57

警備員をして暮らしていると書いてあったけど、今もそうなの?

280 :革命的名無しさん:2010/12/30(木) 19:31:38

この人、もう何の力も持ってないの?

書き込みもないけど。

281 :革命的名無しさん:2011/01/02(日) 13:50:02

>>279

今は駐車場の管理人です。

>>280

いや、生前葬をやる力の持ち主です。

282 :革命的名無しさん:2011/01/02(日) 18:36:45

要は、塩見はもう過去形でしか物事を語れないってことよ。

283 :革命的名無しさん:2011/01/29(土) 11:21:43

そろそろ・・だね

284 :革命的名無しさん:2011/01/29(土) 12:31:36

共産党員が何を言うか!?序|序|序|序|序|】

おまいら、財務官僚に買収された共産党員=権力の犬が一体、何を寝言言うのか?

文句あれば一年に幾らで買収されているか正直に白状しろ!

おまいらが何で身奇麗なんだ?序|序|序|序|アホンダラ!序|序|序|序|

285 :革命的名無しさん:2011/01/30(日) 11:15:03

はて?何のことやら・・・

革命運動を決定的に壊滅させたトロッキスト暴力集団にそんな事言われてもね。

286 :革命的名無しさん:2011/01/30(日) 14:00:15

>>285

革命運動って、そげなもん一体何処に存在したん?

敗戦後、唯一革命って幻想を多くの日本人が共有しかけたゼネスト

GHQの"お言葉"だけで圧殺したんは、日本共産党じゃろがいな。

287 :希流[sage]:2011/01/31(月) 15:08:38

いやいや、ルネ研の資本論の部会のトップになりそうですよ。

288 :革命的名無しさん:2011/02/08(火) 11:58:33

塩爺、永田の死について何か感想を言っているかや?

289 :革命的名無しさん:2011/02/08(火) 16:27:18

>>286

知りへんなあ。愛知の市長選と県知事選で、またまた供託金を

没収されたんは、知ってまんがな。

290 :革命的名無しさん:2011/02/08(火) 17:04:52

もうすぐ、永田と森からお迎えがくるよ。

291 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 05:12:51

他のマイミクは躊躇なく切り捨てる事が出来るが、塩見先生だけは永遠にマイミクだぜ!

292 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:02:02

日本共産党に徹底的にコケにされた悲惨な人生!エイズでもいいから、早く、あの世へ

イキたい!

もう、何も残っていない!共産党は、早く消えて無くなってくれ!

これ以上ホラ吹いて活動(笑)するようなモノなんか獣以下だ!

293 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:21:16

>>292

その通り、同感です。共産党員どもは畜生、獣以下ですな。

あれだけ見事な罪状があるにも拘わらず、頭のてっぺんから爪先まで、

未だに見え見えの真っ赤な嘘をついて活動し赤旗を読んでいる姿には

全身凍りつくような悪寒を覚えますな。

294 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:33:34

共産党員はサタンの使い、死に神だ。

マインドコントロールにかかっている党員には、同じ党員が殺人しようが、

泥棒しようが、思考盗聴盗撮しようが、常識のない共産党至上というキチガイ電波により、

次々に違憲違法行為、反革命行為、ファッショ破壊活動を遂行し顧みることは

決してしないのです!奴らのキチガイ共産党意識は、マインドコントロールにより

操作されている、とすると、現在の落ち目の三大夫でさえ活動する理由が良く説明出来るのです!

295 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:36:17

共産党員どもに対するキチガイ電波コントロールの主は、財界とアメリカ軍です。

296 :革命的名無しさん:2011/02/10(木) 07:50:14

ダッカとかで塩見が釈放要求されなかったのはなんでなの?

297 :革命的名無しさん[SAGE]:2011/02/12(土) 11:32:49

痔と意地が悪かったから。

298 :革命的名無しさん:2011/02/12(土) 11:48:08

>>296

そうなんだよな。


299 :革命的名無しさん[sage]:2011/02/13(日) 22:46:00

>>296

坂東、植垣以下の評価だってことw

300 :革命的名無しさん:2011/02/20(日) 18:58:45.27

塩見損師は松浦以下の評価かよ。

301 :革命的名無しさん[sage]:2011/02/21(月) 19:45:43.84

社民に堕落した塩見は、赤軍派の裏切り者だよ。

302 :革命的名無しさん:2011/04/02(土) 11:22:16.67

除名しましょう。

303 :革命的名無しさん:2011/04/02(土) 11:30:55.81

tes

304 :革命的名無しさん:2011/04/15(金) 22:36:25.38

@NakagawaFumito: かつて災害を起こす側にいた塩見孝也赤軍派議長と協議。

「東北の悲劇は明治以降の資本主義がもたらした悲劇である。このことを

あいまいにしてはいけない」との認識で一致。

305 :革命的名無しさん:2011/04/16(土) 16:48:36.91

進歩のない連中だなあ

306 :革命的名無しさん[sage]:2011/05/02(月) 16:35:49.35

 だからそれは永田の責任じゃなくて、やっぱりマルクス主義が抱えていた限界なのです。マルクス

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July 29(Fri), 2011

武田について。 19:00 武田について。を含むブックマーク


広瀬

http://www.nsc.go.jp/senmon/soki/genkishi/genkishi_so002.pdf

この原子力安全委員会の議事録を見れば武田邦彦が事故前から原発の安全化を訴えていた分かりますよ。

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/10/18 11:17 小沢一郎の「戦い」 自ら進んで挙証責任を負え/山口二郎(北海道大教授)
2010-01-19 11:42:20 | 社会小沢氏の「戦い」
自ら進んで挙証責任を負え

山口二郎 北海道大教授(政治学)

石川知裕衆院議員が逮捕された翌日、鳩山由紀夫首相が小沢一郎幹事長に「戦ってください」と述べた。
もし、小沢に何のやましいこともないならば、民主政治を守るために戦うことこそ必要である。
しかし、この戦いの意味づけを誤れば、最初から勝ち目のない戦いに突入し、玉砕するという悲惨な結末が見えている。
小沢が転べば民主党政権が倒れ、民主党政権が瓦解すれば日本の政党政治が再び混迷に陥る。
小沢および民主党の首脳は、十分な戦略を練った上で戦いに臨んでほしい。
小沢が検察と裁判闘争を戦うと考えているとすれば、それは最悪の錯誤である。
仮に最終的に無罪を勝ち取ることができるとしても、それまでの長い戦いの中で民心は民主党を離れ、政党政治はあてどのない漂流を
つづけるに違いない。
それは、政権交代に希望を託した国民にとって、迷惑千万な話である。
今回の戦いは、あくまで政治闘争である。
裁判闘争では、挙証責任は検察が負う。
検察が犯罪事実を証明できない限り、小沢側は潔白である。
しかし、政治闘争とは、リングに上がって相手と殴り合う戦いではなく、国民環視のもとでどちらが説得力、訴求力のあるパフォーマンスを
するかという戦いである。
したがって、政治闘争ではむしろ小沢が挙証責任を負うことを覚悟すべきである。
その点は、小沢と民主党が今まで何と戦ってきたのかという点とも重なり合う。
民主党は、政治家が公共事業の上前をはねる、疑惑があっても多数党の力で国会における真相解明に蓋をするなどといった古い政治の
手法や体質を破壊するために、今まで戦ってきたのではないか。
その努力が昨年夏、ようやく実を結んだばかりである。
政治変革の大業が緒に就いたばかりなのに、検察が横槍を入れたという小沢の憤りは、小沢の指導力に政権交代の希望を託した私には、
よく分かる。
しかし、小沢は今回の戦いを裁判闘争に矮小化してはならない。
国民生活や景気対策を盾に野党の追及を封じるというのは、民主党が否定してきたはずの古臭い手法である。
小沢および民主党が政治変革を実践したいならば、自ら進んで国会や公開の場に出て、あらゆる質問に対して自らの言葉で答えることで、
検察に対して先手を取るべきである。
そうした捨て身の戦いをしなければ、今回の危機を乗り越えることはできない。
小沢個人にそうした決断ができないならば、民主党という政党の政治的能力が問われることとなる。
繰り返す。
政権交代が鳥有に帰すならば、国民は民主政治に絶望するしかない。
日本の政党政治が瀬戸際にあることを、小沢および民主党の指導部に銘記してもらいたい。

*2010.1.19朝日新聞

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June 20(Mon), 2011 このエントリーを含むブックマーク

森裕子を応援する有志の会」ご案内

東日本大震災からもう直ぐ4ヶ月を迎えます。

この節目を迎えるにあたり、日頃「検察審査会の疑惑追及」や「福島第一原発20ミリシーベルト問題」などで、

政府を厳しく追及している森裕子参議院議員をお招きして、下記の通り

講演会・懇親パーティー」を企画致しました。

皆様におきましてはご多忙のことと存じますが、奮ってご参加戴けますようお願い申し上げます。

森裕子を応援する有志の会事務局

日時; 7月11日 (月) 17:30開場 18:00開演

場所; 都市センターホテル 6階 606会議室 (第1部講演会) & 601宴会場 (第2部懇親パーティー)

会費; 8000円 (懇親パーティー参加費を含む)

第1部「森裕子の・・ここだけのハナシ」

(6階 606会議室 18:00〜19:00)

第2部懇親パーティー

(6階 601宴会場 19:00〜20:45)

2次会 21:00〜

パセラリゾーツ赤坂店201号室

東京都港区赤坂3−13−3 赤坂セントラルビル

Tel:0120-759-926

森裕子を応援する有志の会」で予約済

会費;女性3000円 男性 4000円

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キリトリ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

入場券兼領収証

森裕子を応援する有志の会」会費として、本日上記金員を受領しました

2011年7月11日

森裕子を応援する有志の会

事務

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/07/13 12:04 林芙美子と桜島、あるいは林芙美子と私。

  林芙美子ほど「古里・故郷」にこだわった文学者はいない。『放浪記』は古里への「思い」に溢れている。しかも、愛情と憎悪の入り混じった複雑な思いとしてである。林芙美子は門司で生まれたとか下関で生まれたとか言われている。しかももっとも多感な青春時代を尾道で過ごしている。林芙美子も、それらの古里について楽しげに懐想している。しかしながら、本籍地、鹿児島と桜島への「思い」は複雑で、格別である。林芙美子が泣いたり怒り狂ったりする対象としての古里は桜島であると言って間違いない。林芙美子の存在の原点に触れている古里は、おそらく桜島しかない。『放浪記』の冒頭の有名な一節……。
 ≪母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処であった。≫
 さらに、こんな一節も……。
 ≪「貴女のお国は、いったいどこが本当なのですか?」と、人に訊かれると、私はぐっと詰まってしまうのだ。(中略)思わず年を重ね、色々な事に旅愁を感じて来ると、ふとまた、本当の古里と云うものを考えてみるのだ。私の原籍地は、鹿児島県、東桜島、古里温泉場となっています。全く遠く流れ来つるものかなと思わざるを得ません。……≫
 林芙美子は、あなたの古里はどこですかと訊かれて「ぐっ詰まる」と言う。何故か、この言葉に、私も「ぐっ」と詰まる。この「ぐっ」という言葉の中に、林芙美子の複雑な「思い」が込められている。林芙美子は、母親キクとともに古里から追放され、古里から
拒絶された人である。そうであるが故に、古里へのルサンチマン、一種の近親憎悪の根っこも深い。したがって林芙美子もまた、古里を拒絶し、古里を憎悪するのだ。「私には古里がない」といい、「旅が古里だ」と言うしかないのである。
 林芙美子には、兄や姉が数人いるらしいが詳しいことはわからない。一人の姉については、かなり複雑な接触があったらしく『放浪記』の中でもかなり深刻に書いている。
 ≪肉親とはかくもつれなきものかな!≫
 ≪私は昔姉に借金の手紙を出した事がある。すると姉からの返事は、私はお前を妹だと思ってやしない。(中略)故郷や、子供を捨てて行く親の事を思うと、私は鬼だと思っているくらいです。以後、頼ってはくれぬようにーー。≫
≪だが私は今でもあの姉の手紙を憎んでいる。どんなにか憎まずにはいられないのだ。本当に憎んでいるのだ。いまだかつて温かい言葉一つ≫

 ≪≫
 私は鹿児島県の薩摩半島の中央部の片田舎に生まれ、育ち、高校時代は鹿児島市内にいたから、林芙美子という名前はかなり早くから知っていた。少し文学に関心があったらしい父から、林芙美子の話をよく聞かされていたからだ。しかも、私には、高校生の頃、文学や哲学というようなものに急速に深入りしていったという体験があるから、林芙美子を知らないわけはないのだ。しかしながら、私には、林芙美子とその文学があまり好きになれなかった。『放浪記』も『浮雲』も、つい最近まで読むことも手に取ることもなかった。当時、私が夢中になって読みはじめていたのは、大江健三郎、サルトル、ドストエフスキーなど、いわゆる実存主義系の文学や哲学だった。したがって、自分が求めている文学や哲学とは異なると考えたのかもしれないが、それよりも、林芙美子とその文学に対して、何か「自己嫌悪」や「近親憎悪」のようなものを感じ取り、敢えて避けてきたような感覚もある。林芙美子の『放浪記』を元にした「うず潮」というテレビドラマが放映されたのも、その頃だったように思うが、何故か知らないが、私は、その連続のテレビドラマを見るのが厭だった。私の存在の原点と神経を逆撫でする何かがあった。つまり私は、「林芙美子的なもの」から顔をそむけ、ひたすら逃げてきたと言っていい。それが決定的だったと思う。敢えて言うなら、林芙美子もその文学も私には無縁だった。むしろ嫌悪すべきものだった。
 ところが、私は、偶然の出会いから、最近、「林芙美子研究取材旅行」をするようなめぐり合わせになった。私が、日大芸術学部で教えるようになったのも偶然だが、私を日芸に呼んでくれた清水正教授や、清水教授の指導の元に宮沢賢治研究で学位(文学博士)を取得し、現在、准教授を勤める山下聖美氏らが、いつのまにか林芙美子研究に夢中になり、各地への取材旅行を繰り返しはじめたのも、私にとっては予想外の、偶然のことであった。清水先生たちとは、ロシア旅行を一緒にしたということがきっかけで、休みになると一緒に旅行をするようになったわけだが、その旅行が、いつのまにか「林芙美子研究取材旅行」になっていたのだ。清水さんたちを、私の実家や鹿児島旅行に誘ったのが最初だったかもしれない。その時、山下先生の希望で、桜島に渡り、林芙美子の本籍地であり、林芙美子の母親キクと実父・宮田麻太郎が出会ったという東桜島の「古里温泉」にまで足を延ばしたのだが、それが、私にとっての「林芙美子研究取材旅行」の始まりだったように記憶している。以後、伊香保、尾道、因島、門司、下関、屋久島、角間温泉、上林温泉……と旅を続けるうちに、無意識のうちに林芙美子とその文学が、私の存在の原点に触れるような、身近な存在になってきたのだった。
 これも偶然だが、私は、林芙美子の足跡と私の父の足跡とが、何箇所かで重なっていることを発見し、今、不思議な感動を味わっているところだ。私の父は、桜島にも、屋久島にも、そして門司にも足跡を残している。とりわけ桜島の思い出は深い。私の両親は、現在、NHKで放送中の『おひさま』と同じように戦時中に結婚し、父は桜島で中学の教師をしていた。父は、新婚の妻と生まれたばかりの子供(私の長兄)とともに、桜島の中学で教師をしながら、戦時下であるにもかかわらず、のどかな、幸福な生活を送っていたのだ。しかし、その桜島時代に、突然、ある晩、山の中腹にある教員住宅に向かって靴音が迫ってきた。その靴音の響きに不吉なものを感じ、胸騒ぎがしたと母は後に語っていた。それは「赤紙」だった。父の人生は、そして我が家の歴史も一変する。父は、ただちに桜島を引き上げ、帰郷し、あわただしく敗戦の色濃くなった沖縄の南大東島に向けて出征したのだという。この話は、よく我が家で幾度なく語られた思い出話だった。
 もちろん、私はまだ生まれていないが、後に父の桜島時代の話によく林芙美子が出てきたものだった。私は、極度に内向的で、人見知りの烈しい神経質な子供だったが、しかしまだ文学にも哲学にも無関心だった。本や小説を読む習慣すらなかった。それにもかかわらず、父は、よく林芙美子の話を語って聞かせてくれたものだった。父が、何故、林芙美子の話を繰り返して話してくれたのか謎だが、おそらくそれは、桜島での、のどかで幸福な教員生活が懐かしかったのかもしれないし、また父が私の将来を予感していたからかもしれない。
 父は、戦後、教員を辞め、今で言う「実業家」のような道に転進する。屋久島や九州一円が父の仕事場だったらしい。一時は、屋久島に半永住していたし、また朝鮮戦争の頃は、戦火が見える五島列島にいたと父は語っていたが、何処までが真実で、何処からが自慢話かわからない。いずれにしろ、父は戦後の闇市・成金を目指し、野望に燃えていたのかもしれない。今から思うと、私の父の生き方にも、林芙美子の実父・宮田麻太郎や養父・『浮雲』の「」に通じるものがあったように思われる。

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/07/13 14:47 林芙美子と桜島―――何故、「故郷」ではなく「古里」なのか?


  林芙美子ほど「古里(故郷)」にこだわった文学者はいない。『放浪記』は古里への「思い」に溢れている。しかも、愛情と憎悪(ルサンチマン)の入り混じった複雑な思いとしてである。林芙美子は門司で生まれたとか下関で生まれたとか言われている。しかももっとも多感な青春時代を尾道で過ごしている。林芙美子も、それらの「もう一つの古里」については、しばしば楽しげに懐想している。しかしながら、本籍地、鹿児島と桜島への「思い」は複雑で、林芙美子も制御できないぐらいに狂おしいものであるらしい。林芙美子が泣いたり怒り狂ったりする対象としての古里は桜島であると言って間違いない。愛するが故に憎む。あるいは憎むが故に愛する。そんな古里がある。室生犀星が、「ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うもの」「異土のかたいとなるとても、帰るところにあるまじや……」と歌った故郷である。言うまでもなく、林芙美子の存在の原点に触れている古里は、おそらく桜島しかない。林芙美子は「古里」と「故郷」を使い分けているように思われる。林芙美子が多用する「ふるさと」は「古里」であって「故郷」ではない。この「ふるさと」の使い分けは、何を意味するのだろうか。むろん、単なる言葉の遊びではない。彼女の「ふるさと」が文字通り「古里」であると言っているのだ。『放浪記』の冒頭の有名な一節……。
 ≪私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処であった。≫
 ここでも、「故郷」ではなく「古里」が使われている。何故、古里なのか。
 さらに、こんな一節も……。
 ≪「貴女のお国は、いったいどこが本当なのですか?」と、人に訊かれると、私はぐっと詰まってしまうのだ。(中略)思わず年を重ね、色々な事に旅愁を感じて来ると、ふとまた、本当の古里と云うものを考えてみるのだ。私の原籍地は、鹿児島県、東桜島、古里温泉場となっています。全く遠く流れ来つるものかなと思わざるを得ません。……≫
 林芙美子の「本当の古里」は、東桜島の「古里温泉」なのだ。だから、「ふるさと」は「古里」でなければならなかったのである。それにもかかわらず、「私には古里がない」「旅が古里であった」と書かざるを得ないほどまでに、古里への愛情と憎悪は激しい。
 林芙美子は、あなたの古里はどこですかと訊かれて「ぐっ詰まる」と言う。何故か、この言葉に、私も「ぐっ」と詰まる。この「ぐっ」という言葉の中に、林芙美子の複雑な「思い」が込められている。林芙美子は、母親キクとともに古里から追放され、古里の肉親縁者、そして故郷の風景から拒絶された人である。そうであるが故に、古里へのルサンチマン、一種の近親憎悪の根っこも深い。したがって林芙美子もまた、古里を拒絶し、古里を憎悪するのだ。「私には古里がない」といい、「旅が古里だ」と言うしかないのである。
 林芙美子には、兄や姉が数人いるらしいが詳しいことはわからない。一人の姉については、かなり複雑な接触があったらしく『放浪記』の中でもかなり深刻に書いている。
 ≪肉親とはかくもつれなきものかな!≫≪私は昔姉に借金の手紙を出した事がある。すると姉からの返事は、私はお前を妹だと思ってやしない。(中略)故郷や、子供を捨てて行く親の事を思うと、私は鬼だと思っているくらいです。以後、頼ってはくれぬようにーー。≫≪だが私は今でもあの姉の手紙を憎んでいる。どんなにか憎まずにはいられないのだ。本当に憎んでいるのだ。いまだかつて温かい言葉一つかけられなかった古里の人たちに、そうして姉に、いまの母は何かすばらしい贈物をして愕かせたいと思っているらしい。「お母さん! この世の中で何かしてみせたい、何か義理を済ませたいなんて、必要ではないではありませんか。」と私はおこつているのであった。(中略)ああだけど、母のこの小さな願いをかなえてやりたいとも思う。私は何と云うひねくれ者であろうか、長い間のニンタイが、私を何も信じさせなくしてしまいました。肉親なんて犬にでも喰われろと云った激しい気持ちになっている。≫
 林芙美子の古里への思いは深く、根源的である。それゆえに林芙美子の言葉は存在の奥深くにまで届いている。


 私は鹿児島県の薩摩半島の中央部の片田舎に生まれ、育ち、高校時代は鹿児島市内にいたから、林芙美子という名前はかなり早くから知っていた。少し文学に関心があったらしい父から、林芙美子の話をよく聞かされていたからだ。しかも、私には、高校生の頃、文学や哲学というようなものに急速に深入りしていったという体験があるから、林芙美子を知らないわけはないのだ。しかしながら、私には、林芙美子とその文学があまり好きになれなかった。『放浪記』も『浮雲』も、つい最近まで読むことも手に取ることもなかった。当時、私が夢中になって読みはじめていたのは、大江健三郎、サルトル、ドストエフスキーなど、いわゆる実存主義系の文学や哲学だった。したがって、自分が求めている文学や哲学とは異なると考えたのかもしれないが、それよりも、林芙美子とその文学に対して、何か「自己嫌悪」や「近親憎悪」のようなものを感じ取り、敢えて避けてきたような感覚もある。林芙美子の『放浪記』を元にした「うず潮」というテレビドラマが放映されたのも、その頃だったように思うが、何故か知らないが、私は、その連続のテレビドラマを見るのが厭だった。私の存在の原点と神経を逆撫でする何かがあった。つまり私は、「林芙美子的なもの」から顔をそむけ、ひたすら逃げてきたと言っていい。それが決定的だったと思う。敢えて言うなら、林芙美子もその文学も私には無縁だった。むしろ嫌悪すべきものだった。
 ところが、私は、偶然の出会いから、最近、「林芙美子研究取材旅行」をするようなめぐり合わせになった。私が、日大芸術学部で教えるようになったのも偶然だが、私を日芸に呼んでくれた清水正教授や、清水教授の指導の元に宮沢賢治研究で学位(文学博士)を取得し、現在、准教授を勤める山下聖美氏らが、いつのまにか林芙美子研究に夢中になり、各地への取材旅行を繰り返しはじめたのも、私にとっては予想外の、偶然のことであった。清水先生たちとは、ロシア旅行を一緒にしたということがきっかけで、休みになると一緒に旅行をするようになったわけだが、その旅行が、いつのまにか「林芙美子研究取材旅行」になっていたのだ。清水さんたちを、私の実家や鹿児島旅行に誘ったのが最初だったかもしれない。その時、山下先生の希望で、桜島に渡り、林芙美子の本籍地であり、林芙美子の母親キクと実父・宮田麻太郎が出会ったという東桜島の「古里温泉」にまで足を延ばしたのだが、それが、私にとっての「林芙美子研究取材旅行」の始まりだったように記憶している。以後、伊香保、尾道、因島、門司、下関、屋久島、角間温泉、上林温泉……と旅を続けるうちに、無意識のうちに林芙美子とその文学が、私の存在の原点に触れるような、身近な存在になってきたのだった。
 これも偶然だが、私は、林芙美子の足跡と私の父の足跡とが、何箇所かで重なっていることを発見し、今、不思議な感動を味わっているところだ。私の父は、桜島にも、屋久島にも、そして門司にも足跡を残している。とりわけ桜島の思い出は深い。私の両親は、現在、NHKで放送中の『おひさま』と同じように戦時中に結婚し、父は桜島で中学の教師をしていた。父は、新婚の妻と生まれたばかりの子供(私の長兄)とともに、桜島の中学で教師をしながら、戦時下であるにもかかわらず、のどかな、幸福な生活を送っていたのだ。しかし、その桜島時代に、突然、ある晩、山の中腹にある教員住宅に向かって靴音が迫ってきた。その靴音の響きに不吉なものを感じ、胸騒ぎがしたと母は後に語っていた。それは「赤紙」だった。父の人生は、そして我が家の歴史も一変する。父は、ただちに桜島を引き上げ、帰郷し、あわただしく敗戦の色濃くなった沖縄の南大東島に向けて出征したのだった。この話は、我が家で幾度なく語られた「家族の物語」だった。
 むろん、私はまだ生まれていないが、後に父の桜島時代の話によく林芙美子が出てきたものだった。私は、極度に内向的で、人見知りの烈しい神経質な子供だったが、しかしまだ文学にも哲学にも無関心だった。本や小説を読む習慣すらなかった。それにもかかわらず、父は、よく林芙美子の話を語って聞かせてくれたものだった。父が、何故、林芙美子の話を繰り返して話してくれたのか謎だったが、おそらくそれは、桜島での、のどかで幸福な教員生活が懐かしかったのかもしれないし、また父が、私の将来を予感していたからかもしれない。
 父は、戦後、教員を辞め、今で言う「実業家」か「ブローカー」のような道に転進する。屋久島や九州一円が父の仕事場だったらしい。一時は、屋久島に半永住していたし、また朝鮮戦争の頃は、戦火が見える五島列島にいたと父は語っていたが、何処までが真実で、何処からが自慢話かわからない。いずれにしろ、父は戦後の闇市・成金を目指し、野望に燃えていたのだろう。今から思うと、私の父の生き方にも、林芙美子の実父・宮田麻太郎や『浮雲』の「富岡」に、そして林芙美子の人生そのものに通じるものがあったように思われる。つまり、林芙美子とその文学は、私の古里でもあるのだ。

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/07/14 14:58 人間存在論としての政治哲学

■岩田温君の『逆説の政治哲学』を読む。
 人間は複雑である。複雑な人間の営みである政治もまた複雑でないはずはない。したがって、単純に「合理主義」で割り切ることはできない。言いえれば、世の中には逆説かイロニーというような反合理主義、あるいは非合理主義とでも呼ぶべき表現方法でしか言えない真実というものがある。主としてそれは文学や宗教の担う分野だったが、しかし、あくまでも人間的現象の探求に携わる政治学や経済学が、それを無視していいいいわけはない。『歎異抄』に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な一句がある。「善人が往生できるとすれば、悪人が往生できるのは当然だろう」というほどの意味だが、これを合理的に解釈して、「分かりやすい」と思う人はいない。ただ、謎と矛盾に満ちているが、どこか人間の真実を突いている言葉だとは思う。親鸞には、「人千人殺してみよ、極楽往生は間違いない」という言葉もある。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には、「自由」を与えられた人間たちが、自由の重荷に耐えかねて、自由から逃げ出す「大審問官」の話もある。「自由を求めるのが人間で、自由から逃げ出す人間などいるはずがない」と言うのが、合理的解釈だろう。いずれも、これらの言葉は、単純明快な合理主義的読解力では歯が立たない。そこで、宗教や文学が登場する。作家や文芸評論家が、「政治的なもの」に口出し、批評するのを不可解に思う人も少なくない。文学者は文学をやっていればいい、と。しかし、現実にはわが国の政治評論は、文学者たちの発言を中心に展開してきた。何故か。政治の奥に隠された人間的真実の追究という点において、文学者が、政治学者や政治評論家、政治ジャーナリストと称する、いわゆる政治の「専門家」たちよりも、はるかに優れているからだ。
 複雑な問題を回避し、つまり文学的問題や宗教的問題を排除して、政治学や経済学が、誰にでも分かりやすい「科学」を名乗るようになった時、つまり「人間存在論」を捨てた時、政治学も経済学も終わったと言うべきかもしれない。とりわけ政治は、極めて人間的現象である。政治学こそ人間存在論である必要がある。前回、サンデルの「政治哲学」について触れたが、今回も「政治哲学」について触れたい。サンデルには「人間存在論」がない。人間存在という不可解な、謎に満ちた、怪しい危険な存在への驚きや畏怖がない。
 さて、私の友人に、岩田温というまだ27歳の若い政治学、政治哲学の研究者がいるが、そして一緒に読書会や勉強会などを続けているのだが、その彼が一冊の書物を刊行したので、紹介したい。『逆説の政治哲学』(ベスト新書、KKベストセラーズ)。これがなかなか面白い。何故、『逆説の政治学』なのか。それは、岩田温が、政治的行為における人間存在を、合理主義では分析不可能な「非合理的存在」、あるいは「逆説的存在」として把握しているからだ。したがって、彼は、政治学専攻の研究者でありながら、文学者や文学作品を重視する。
 ≪私は文学に対して優れた眼差しを有する文学者は、政治に関して優れた批評家、観察者になりうると考えます。日本では多くの文学者たちが、政治について論評してきました。進歩派と称される人々の中では、加藤周一や井上ひさし、大江健三郎、灰谷健次郎といった人々が挙げられるでしょうし、保守派と称される人々の中では福田恒存、三島由紀夫、江藤淳、西尾幹二などの人々が挙げられます。彼らの一つひとの政治的立場、主張の是非はさておき、なぜこれほどまでに、文学者である彼らが、全く畑違いに思える政治について論じるようになるのでしょうか。≫
 私は、以前から「文学や哲学を知らずに政治や経済を語るなかれ」をモットーにしてきたが、岩田温の主張と無縁ではない。したがつて、私は、この本の本質は、ここにあると考える。つまり政治学と文学は密接な関係にあるというわけである。
 ≪だからこそ先に挙げた文学者たちは、政治に対し真摯に向き合ってきました。政治学者の中には、「政治学に関しては無知な文学者が床屋談義をしているにすぎない」と、文学者の政治評論、政治観察を軽蔑的に見る向きがあります。しかし政治という現象と文学とは相互に切断不可能な関係にあるのです。政治が人間の全ての事象を包括しうる現象であるのにと同様に、文学もまた人間の全ての事象を理解しようとする試みだからです。≫
 



■そしてみんな「脱原発」になった、という喜劇。
 菅直人首相まで脱原発宣言!!!というわけで、「そしてみんな「脱原発」になった」とでも言うほかはないが、私は、皮肉を込めて、「何処かに原発推進論者はいないのか?」と叫びたくなる。しかし、現実には「脱原発」は選挙用の飾り付けでしかない。今こそ原子力エネルギーに注目せよ、と言いたい。20世紀、最大の発明。人類はこれとうまく付き合っていくしかない。後には戻れない。

実は作家の村上春樹が、スペインで、カタルーニヤ国際賞の受賞式のスピーチの中で、フクシマ原発事故を受けて「脱原発」を宣言し、「核」に対してももっと早くから「ノー」と言うべきだったと反省する演説をしたらしい。「効率」主義がよくなかった、と。村上春樹のスピーチは、明らかにノーベル賞を意識したもので、営業的匂いがするが、それはさておき、問題はこの村上演説の日本国内の受け止め方である。東京新聞の「文芸時評」で、沼野充義が、「分かりやすさ」という観点から、この村上演説を絶賛している。それに対して「文学界」8月号の匿名コラム(相馬悠々)「鳥の眼・虫の眼」が噛みついている。なかなか面白い噛みつき方である。このわずか1ページの巻末コラムを僕は愛読しているが、ここにだけ、古き良き批評精神というものが生き残っていると思うからだ。さてそのコラムは、こう書いている

「分かりやすさ」が胸を打つ」という見出しで、沼野充義が、東京新聞の文芸時評(6/23)を書いている。本当にそうなのか?村上春樹が六月九日、スペインのカタルーニャ賞授賞式でのスピーチで、「日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった」と訴え、「原子力発電に代わる有効なエネルギー開発」を追求すべきだったと主張したことに対して、沼野さんは、「当然の主張」「まっとうな言葉」と賞賛、「いま「わかりやすい」言葉で語るのをおそれるべきではない。私は人気作家の勇気に対して「よくやった」と声援を送る。」と記している。

欧州で脱原発の動きのある中、「よくやった!」は、大げさでしょう。

なかなか鋭い批評である。「寸鉄人を刺す」とは、こういうことを言うのだろ う。「脱原発」も「反原発」も決して少数意見でも、危険な意見でもない。フクシマ原発事故以前ならともかく、フクシマ原発以後、もっとも安全な、人畜無害な意見が「脱原発」「反原発」である。それが一種の流行語となっていること、あるいは大衆的な世論になっていること、このことを自覚していないとすれば、かなりの鈍感か、あるいは自己欺瞞なのである。少なくとも作家や批評家が、そのことの自覚なしに、無条件に「脱原発」や「反原発」を主張するのには疑問を感じる。大江健三郎のように、四、五十年も前から「反核」を叫んできたものの言うことは傾聴に値すると思うが、「311」以後、「脱原発」や「反原発」を主張することは、逆の意味で相当の勇気がいることだろう。言い換えれば、今、「脱原発」宣言をするやつは、かなりの「恥知らず」ということである。と、ここまで書いているところで、吉本隆明が、「脱原発」批判を展開しているということを、読者からのコメントで知った。吉本が、今、何歳になるか知らないが、相当の高齢のはずである。それにもかかわらず、「脱原発批判」とは恐れ入る。吉本は、科学技術の進歩は自然過程であり、止められるものではない。それよりも科学技術のさらなる進歩によって、「原発の暴走」という危険も克服していくべきだというようなことを言っているらしい。「月刊ビッグトゥモロウ 2011年8月号」をお読みください。次のような記事が掲載されているらしい。

月刊ビッグトゥモロウ 2011年8月号」 青春出版社   

 *考え続ける87歳インタビュー 吉本隆明 思想家



  「思い描いていた大人に僕はなりきれていない」/「誰かが示した安易で簡単な答えに飛びつかないことが大切です」/「大震災後をどう生きるか。僕は考え続けて生きたいと思う」今回の大震災で「原発はもうダメだ」と口々にいう社会。そんな言葉にすぐ引っ張られてしまう日本人に対し、“思想界の巨人”は、静かに「待った」をかけた。

まったく同感である。「脱原発」や「反原発」をいくら声高に叫んでみたところで、大衆の人気は得られるかもしれないが、それが有効な意見として採用されることはありえない。「脱原発」も「反原発」も、個人の思想信条としては無駄ではないだろうが、現実的にはほぼ有効性はない。原子力工学をはじめとする科学技術の発展と進歩は、誰にも止められない。文字通り自然過程だからだ。

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June 13(Mon), 2011 このエントリーを含むブックマーク

存在論的政治家論――解散・総選挙を恐れる政治家政治家の資格なし。

山崎行太郎インタビュー


―― 政治の劣化に対し、国民の間にはもはや諦めの感情すら流れているようだ。なぜこのような政治空白状況が生み出されたのか。

山崎 まず私は、政治家という存在をそれなりに高く評価しているという前提で話をしたい。だから「政治家に物申す」とか「政治家を叱る」とかいう類の、上から目線政治家批判のスタイルが嫌いだ。政治家「選挙」という、生きるか死ぬかの命がけの実存的選択と洗礼を受けている。衆議院の場合、少なくとも四年目には次の選挙がある。現役有利とはいえ、そこで落選、失職するものは少なくない。政治家は落選すればタダの人になる。つまり生き残るのはそんなに多くない。政治家は職業としてみれば、決して楽な職業ではない。それなりに安定した職業であるサラリーマン公務員、あるいはジャーナリストや評論家とは異なる。

さて、最近の日本の政治家について言うならば、政治家そのものの質が低下しているために、必然的に政治も劣化したということだ。その原因はいろいろあるだろうが、政治家選挙を恐れて、解散総選挙から逃げ回るようになったことが大きい。つまり国会議員の質が低下したのは、代表する者(政治家)と代表される者(国民)との間に乖離が生じたためだ。すなわち、現在の国会議員は、有権者・国民の声を吸い上げ、代弁・代行するということが不可能になっている。議員たちは漠然と「国民の代表」ということになっているが、実のところ、誰の代表でもなくなっている。

 この現象は、実は民主党政権下において初めて生じたものではなく、小泉政権下の郵政解散にその根源がある。政治家はそれぞれの地域、利益団体の利害を代表して選挙に臨むというのが代表民主制の基本だ。ところが、郵政解散においては郵政民営化というただ一つの争点で衆議院選挙を行った。たいした選挙運動もしないままに当選してしまったという政治家も少なくなかった。つまり郵政民営化に賛成というだけで当選したのが小泉チルドレンだった。小泉チルドレンというのは、本会議郵政民営化に賛成票を投じるためだけに選ばれた国会議員であり、有権者の様々な思いや要求を代表してはいなかった。誰の代表でもなかったのだ。彼らが解散総選挙を恐れるのは当然だろう。

 国会議員というのは、その身分を維持しているだけで年間約一億円の収入がある。郵政民営化を達成してしまえば、チルドレンの役目は終わり、あとは「余生」を過ごすだけだ。バッジを胸につけてごろごろしていれば黙っていても年一億の収入がある。現代の生涯平均年収が二億円強だというから、四年間任期を全うできれば、一生分以上の蓄えができる。これほど楽でおいしい仕事はない。彼らの全精力は、いかに任期ギリギリまで議員でいられるか、すなわち、いかにして解散総選挙を回避するかということに集中する。このため、党執行部の命ずるままに党の政策に賛成票を投じるだけの、政治家としての意志のない賛成票投票マシーンと化した。

 地盤もなく、確固とした後援会も持たないのに政治家になってしまった議員は、次の選挙では負けることが分かっている。だから、いかに衆参でねじれが生じようが、全力で解散総選挙を遅らせようとする。自民党末期、麻生政権下ですぐに行われるはずだった解散がずるずると引き伸ばされたのは、こうしたチルドレンたちが一日でも長く議席にとどまり、一銭でも多く稼ごうとあがいた結果だ。

 有権者にしてみれば、郵政については信任を与えたとはいえ、そのほかの政策について全権委任したという意識はない。ところが自民党は、衆議院の優越を濫用して、次々に国民の理解を得られていない政策を押し通していった。こうして、政治不信というよりも、政治への諦めが生まれたのだ。

 民主党への政権交代も、郵政解散とまったく同じ構造だった。「政権交代」だけが問題であり、「政権交代」への賛成反対投票が行われ、その結果、小泉チルドレンの代わりに小沢チルドレンが生まれ、やはり彼らもまた、誰の代表でもない、からっぽの政治家だ。しかも政権交代を実現した時点で、彼らはその目的を達成した。いわば、衆議院議員として誕生したと同時にその存在意義を失ったのだ。この後、自民党時代とまったく同じことが繰り返されている。すなわち、次の選挙で落選が確実であると身にしみて理解している議員たちは、一日でも長く議席にとどまり、蓄財に励もうとしているわけだ。そしてそのためには党執行部に刃向かうなどとんでもない、唯々諾々と党の決定に従うだけなのだ。党内で権力闘争が起きれば、不安気にどちらにつけば自分の命が助かるか様子を伺い、優勢な陣営に雪崩を打って馳せ参じて門前市をなすがごとき有様だ。職業政治家といえば聞こえはいいが、正確に言えばアルバイト政治家だ。本会議場で起立するだけの簡単なお仕事で、しかもその報酬は日給30万円というわけだ。

 念の為に言っておくが、国会議員の報酬が高い、という問題を話しているのではない。むしろ、真面目に政治活動をしていれば年一億でも足りないぐらいだろう。「井戸塀」という言葉があるように、真剣に政治を志せば財産などあっというまになくなり、井戸と塀ぐらいしか残らないものなのだ。問題は、次の選挙で落選することを受け入れている、政治家としての目標を持たない、ニヒリズム政治家というものが生まれたことにある。

―― 政治家選挙を恐れるようになった。

山崎 菅総理の不信任案をめぐって、最後の最後までオセロゲームのような状況が続いていたが、結局、民主党執行部が解散風を吹かしたところ、一年生議員たちが震え上がり、日本の将来や自らの政治理念などかなぐり捨てて、お命大事とばかりに執行部に屈したわけだ。

 こうしたアルバイト政治家たちも、なにか語れと言われればそれなりに、天下国家や国際情勢等について喋るかもしれない。だが結局、それは根無し草の空理空論たらざるをえない。誰の代表でもない人間が何かを語ったところで、それはただのお喋りであり、空談なのだ。

 だが、こうした地に足が着いていない根無し草のアルバイト政治家が登場したのは、ある意味時代の要請であったと言える。

 地に足が着いているというのは、自分の選挙区に密着して、自分の後援者の意見を吸い上げ、利害調整に奔走するということだが、これがいわゆる自民党的、党人派の政治家というものだった。党人派政治家が駆逐されてきたのがこの6年ほどの政治状況なのだ。そして、党人派的政治家が駆逐されてきたのも歴史の必然だった。地に根を張るのは大事だが、その木が立ち枯れてしまったときには、根こそぎ引っこ抜かなければならない。古き党人派的・自民党政治家は、時代の変化に対応できず、自らが立ち枯れていくのをくい止めることができなかった。すなわち、冷戦の終結という新しい時代の到来の中で自らを刷新することができなかった。そのために、反・党人派的な郵政選挙民主党への政権交代という二回の打撃でほとんど絶滅してしまった。

 問題は、党人派的政治への拒否が、そのまま根無し草の、誰の代表でもないような政治家を生み出したことだ。極端から極端へ振れてしまった。あまりにも地元への利益誘導しか考えない政治家も駄目だが、国民の声を吸い上げる回路を全く持たない政治家も同じくらい駄目なのだ。

 菅直人という総理大臣は、現代日本の象徴だ。党首として衆議院選挙で勝利してもいないのに総理大臣の座に居座り続け、辞任を求める声に対しては「責務を果たせというのが国民の声だ」と開き直る。しかし、全国民が知っているが、菅総理には「国民の声」を吸い上げる回路など存在しない。ただ存在し続けること、それだけが目的の総理大臣で、ニヒリストが一国の宰相を務めているのだ。

 この危険をよく理解していたのが小沢一郎氏だろう。小沢氏はいわば「最後の党人派」であり、地に根を下ろしていない政治家の危うさ、脆さに気づいていた。だから、政権交代直後、まだ小沢氏が幹事長だった頃、いわゆる「小沢チルドレン」に対して「とにかく毎朝駅前で辻立ちしろ、地元を足で歩いて回れ」と命じたのだ。

 党人派的政治家の姿を思い浮かべてみればよくわかる。小沢一郎亀井静香鈴木宗男といった人々の姿と、チルドレンと呼ばれる政治家達とでは、好悪は別にして、存在感が圧倒的に違う。それは、党人派政治家には背負っている一票一票の重みがあり、その票を投じた人々の顔が透けて見えるからだ。郵政選挙や二年前の選挙で当選した新人議員達もなるほど、票を得て議員になったわけだが、その一票一票は「とにかく政権交代してくれれば何でもいい」というだけの票で、顔のない、のっぺらぼうの票なのだ。

 小林秀雄の議論を援用しよう。本居宣長に「姿は似せ難く意は似せやすし」と言う言葉がある。意には形というものがない。だから、言葉の意味はわからなくても、言葉の口真似は子供でもできる。だが、その言葉を発する人間が相手に与える作用、感動というものを似せるのは難しい。大層な天下国家論を語るのは、子供の口真似のようなものだ。そこには、相手を心服させる姿というものがない。もちろん、姿というものがすべて見目麗しいとは限らない。だが、どんな姿であろうが、「人目を捕えて離さぬようなものなら、人生の生ま生ましい味わいを湛えているはずであり、その味わいは、比較や分析の適わぬ、個性とか生命感とかいうものに関する経験であろう」(小林秀雄本居宣長』第二十五章)ということだ。

 党人派の時代が終焉を迎えたとはいえ、根無し草の時代においては、民衆の政治への絶望はいよいよ深まり、その絶望は、国民の声を代弁すると標榜するような、強権的な独裁者を待望するようになるだろう。国民の声が国会に届くという回路を回復しない限り、時代はますます暗鬱にならざるをえない。それを避けるためには、何度でも選挙を行うことだ。選挙を恐れる政治家を駆逐することだ。

―― 一時、石原慎太郎氏(現東京都知事)への待望論が起こった。石原氏を軸にした政界再編によって政治状況が打破されるのではないかという動きがあったが、結局尻すぼみに終わった。

山崎 人間には、持って生まれた星の運がある。いわば役回りがあり、宿命がある。太陽には太陽の役目があり、月には月の役目がある。石原慎太郎という政治家は、太陽ではなく月なのだ。すなわち、先頭に立ってぐいぐいとグループを引っ張っていくリーダーの役回りではない。それよりも、主流から外れたところで、ズバズバと物を言うことで輝く役回りの人間なのだ。かつて、中川一郎亡き後、青嵐会・中川派を石原氏が引き継いだことがあった。しかし、石原氏はこの派閥を維持することができなかった。この時に、石原慎太郎という政治家の姿というものは明らかになっていたのだ。おそらく、本人もそのことをわかっているから、チャンスは何回もあったにもかかわらず、国政に戻ることはためらったのだろう。

 分をわきまえるというのは大事で、特に政治家が分をわきまえないようになると、国家は果てしなく混乱していく。国家が混乱しているということは逆に、現代は分をわきまえない人々の時代だということだ。総理大臣の器ではない人物が総理大臣になり、あまりのプレッシャーに押しつぶされて、病気になったり、右往左往している。

―― それは国民もまた分をわきまえていないということか。

山崎 乱暴な言い方をすれば、そういうことになる。たとえば、政治評論家という人種が、テレビに出てきては「あいつはケシカラン、こいつはもっとケシカラン」とご高説を垂れている。問題は、そこに政治家への最低限の敬意が欠けていることだ。評論家という人々は、アルバイト政治家以下の存在で、選挙の洗礼も受けていない、ただの無責任な個人だ。まがりなりにも、のっぺらぼうの票であっても、有権者の票を背負った政治家を罵倒する評論家は一体何様なのか、ということだ。岡目八目で、勝負をしている人間に外野から茶々を入れるような無責任な発言は、政治をますます劣化させるだけだ。無責任が主流となれば、もはや政治など成り立たないのだ。

 現在、日本は震災復興原発問題という難題を抱えている。街のあちこちで、「みんなで力を合わせて乗り越えよう」といった標語が貼られ、あるいは放送されている。ある百貨店では「東日本大震災被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。お客様にご案内いたします。当店地下一階、お惣菜コーナーでは五時から特別セールを……」といった具合だ。ここには何か異常なものがないだろうか。「震災」をすべての枕詞にすることには、何かきわめて卑劣で、醜いものが隠されてはいないだろうか。

 あるいは、多くの人々が被災地ボランティアで駆けつけているが、それは無条件に正しいことだろうか。もちろん、自分にできることは駆けつけて瓦礫を運ぶことだけだ、と思い定めた人が現地に行くのは大変良いことだ。だが、瓦礫を運ぶ以外の優れた能力を持っている人までもが、現地で瓦礫運びをしているとしたら、それは最善な行為と言えるだろうか。

 原発を考えてもいい。今や、反原発論者は飛ぶ鳥を落とす勢いでジャーナリズムを席巻している。福島の有様を目の前にして、原発の可能性など語ってはいけないという空気が充満しているのだ。そこにおいては、人類の歴史、科学的知への挑戦と失敗、そして失敗にもめげない飽くなき探求への意志といった視座が欠けている。歴史観においては私は進歩史観は取らないが、進歩への意志を失った民族は必ず滅びる。日本人がこのまま空気に流されて原子力に背を向けてしまえば、日本は遠からず滅びるだろう。

 ここでは三つの例を挙げたが、いずれも、問題の根源は同一なのだ。それは、現象を正確に捉え、そこからその現象の本質に迫るという思考が欠如しているということだ。

 我々は「震災復興」と言うが、その言葉は繰り返し使用されるたびに陳腐化していき、形骸化していき、その内実は忘れ去られていく。それが言葉の宿命なのだが、その言葉が生み出された現象そのものを常に想起することが我々の責務だ。3月11日に、全日本国民が、二万人の死という戦慄すべき破滅に立ち会った。我々は常に二万人の死が何を意味しているのか、自問自答し続けなければならない。忘却は第二の死であり、二万の死者をもう一度殺すわけにはいかないからである。

 確かに常に死者を思い、3月11日の恐怖の記憶を生々しく思い続けることは苦しいことだ。だから我々はそこから卑劣にも目を背けようとする。それが言葉の陳腐化、枕詞化ということなのだ。

 もちろん、我々は日常生活を送らなければならないのだし、常に死を想うわけにもいかない。そこに役回りというものがある。現象から本質へ、存在そのものを問う思考が為されるべきで、その役目を担っているのが知識人だ。そして、こうした思考をしている知識人は、ごくわずかしかいない。デパートの放送と同じレベルで、「震災復興に向けて一丸となってがんばりましょう」程度の言論しか流通していない有様なのだ。

 「がんばろう、日本」の掛け声に異議申し立てをするには、大きな非難と罵倒を覚悟しなければならない。だが、にもかかわらず思考し続け、発言するということこそが、知識人の責務なのだ。

 菅総理が「震災復興のため」を枕詞に権力を維持しようとしているのを批判するのであれば、この「震災復興」という言葉に対峙するのが知識人の役回りなのだ。

―― それぞれの役回りに徹することが大事だということか。

山崎 危機の時代における知識人のあり方については、1930年代ドイツが参考になる。ここに1934年ナチスが台頭していく最中に、フライブルク大学総長を辞任した哲学者ハイデガーのラジオ演説『なぜわれらは田舎にとどまるのか?』がある。ハイデガーはあの危機の時代にあって、黒い森の中にひきこもり政治家哲学者仲間と語るよりも、農民たちと共に過ごすことを重視した。農民の生活の中にこそ、いや、そこにしか思索は存在しないからだ。

「われわれは如才ない諂いやまがいものの民族的なるものなど放っておこう――われわれはそして、あの上の単純で強固な現存を、まじめに学びとろう。その時はじめて現存は、再びわれわれに語りかけてくるのだ」

 この一節は、本質的には何も生産しない都会人の気の利いたおしゃべりは、所詮は頽落し、忘却へ落ち込んでいくようなおしゃべりにすぎず、単純素朴で、確実な現実と向きあう農夫の生活、その姿が持つ誠実さには到底比較にならないことを指摘している。

 自民党はかつて、農夫の生活に基盤をおいた政党であり、それが党人派ということなのだが、それが、いつのまにか都市住民の政党になってしまった。そのため、自民党は自壊してしまった。政治も思想も、今一度、農村に帰る必要がある。すなわち、大地から物を生み出すという、生産の思想に立ち戻る必要がある。

それぞれの人間には、それぞれ与えられた役回りがある。今必要なのは、ありのままの現実と向き合い、自らの役回りを誠実につとめることだ。

かつて、藤原定家は乱れる政治の最中、「紅旗征戎我が事にあらず」と記した。世間での出来事、政治闘争などとは私は関係がないという意味だが、これは権力を失った貴族の負け惜しみではない。定家の役回りは歌にあったのであり、そのことを定家自身も理解していたのだ。だから、後鳥羽上皇鎌倉幕府が対立する中でも、一心に定家は歌の道を極めた。結局、定家が政治に奔走したりせず、歌に専念したため、今、われわれは『新古今和歌集』という日本人の偉大な遺産を受け取ることが出来ているのだ。

何をなすべきか。それは自らの存在とは何かを問いかけることで、自ずと明らかになってくるものなのだ。

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/06/14 08:08 存在論的政治家論――解散・総選挙を恐れる政治家に政治家の資格なし。

山崎行太郎インタビュー


―― 政治の劣化に対し、国民の間にはもはや諦めの感情すら流れているようだ。なぜこのような政治空白状況が生み出されたのか。
山崎 まず私は、政治家という存在をそれなりに高く評価しているという前提で話をしたい。だから「政治家に物申す」とか「政治家を叱る」とかいう類の、上から目線の政治家批判のスタイルが嫌いだ。政治家は「選挙」という、生きるか死ぬかの命がけの実存的選択と洗礼を受けている。衆議院の場合、少なくとも四年目には次の選挙がある。現役有利とはいえ、そこで落選、失職するものは少なくない。政治家は落選すればタダの人になる。つまり生き残るのはそんなに多くない。政治家は職業としてみれば、決して楽な職業ではない。それなりに安定した職業であるサラリーマンや公務員、あるいはジャーナリストや評論家とは異なる。
さて、最近の日本の政治家について言うならば、政治家そのものの質が低下しているために、必然的に政治も劣化したということだ。その原因はいろいろあるだろうが、政治家が選挙を恐れて、解散総選挙から逃げ回るようになったことが大きい。つまり国会議員の質が低下したのは、代表する者(政治家)と代表される者(国民)との間に乖離が生じたためだ。すなわち、現在の国会議員は、有権者・国民の声を吸い上げ、代弁・代行するということが不可能になっている。議員たちは漠然と「国民の代表」ということになっているが、実のところ、誰の代表でもなくなっている。
 この現象は、実は民主党政権下において初めて生じたものではなく、小泉政権下の郵政解散にその根源がある。政治家はそれぞれの地域、利益団体の利害を代表して選挙に臨むというのが代表民主制の基本だ。ところが、郵政解散においては郵政民営化というただ一つの争点で衆議院選挙を行った。たいした選挙運動もしないままに当選してしまったという政治家も少なくなかった。つまり郵政民営化に賛成というだけで当選したのが小泉チルドレンだった。小泉チルドレンというのは、本会議で郵政民営化に賛成票を投じるためだけに選ばれた国会議員であり、有権者の様々な思いや要求を代表してはいなかった。誰の代表でもなかったのだ。彼らが解散総選挙を恐れるのは当然だろう。
 国会議員というのは、その身分を維持しているだけで年間約一億円の収入がある。郵政民営化を達成してしまえば、チルドレンの役目は終わり、あとは「余生」を過ごすだけだ。バッジを胸につけてごろごろしていれば黙っていても年一億の収入がある。現代の生涯平均年収が二億円強だというから、四年間任期を全うできれば、一生分以上の蓄えができる。これほど楽でおいしい仕事はない。彼らの全精力は、いかに任期ギリギリまで議員でいられるか、すなわち、いかにして解散総選挙を回避するかということに集中する。このため、党執行部の命ずるままに党の政策に賛成票を投じるだけの、政治家としての意志のない賛成票投票マシーンと化した。
 地盤もなく、確固とした後援会も持たないのに政治家になってしまった議員は、次の選挙では負けることが分かっている。だから、いかに衆参でねじれが生じようが、全力で解散総選挙を遅らせようとする。自民党末期、麻生政権下ですぐに行われるはずだった解散がずるずると引き伸ばされたのは、こうしたチルドレンたちが一日でも長く議席にとどまり、一銭でも多く稼ごうとあがいた結果だ。
 有権者にしてみれば、郵政については信任を与えたとはいえ、そのほかの政策について全権委任したという意識はない。ところが自民党は、衆議院の優越を濫用して、次々に国民の理解を得られていない政策を押し通していった。こうして、政治不信というよりも、政治への諦めが生まれたのだ。
 民主党への政権交代も、郵政解散とまったく同じ構造だった。「政権交代」だけが問題であり、「政権交代」への賛成反対投票が行われ、その結果、小泉チルドレンの代わりに小沢チルドレンが生まれ、やはり彼らもまた、誰の代表でもない、からっぽの政治家だ。しかも政権交代を実現した時点で、彼らはその目的を達成した。いわば、衆議院議員として誕生したと同時にその存在意義を失ったのだ。この後、自民党時代とまったく同じことが繰り返されている。すなわち、次の選挙で落選が確実であると身にしみて理解している議員たちは、一日でも長く議席にとどまり、蓄財に励もうとしているわけだ。そしてそのためには党執行部に刃向かうなどとんでもない、唯々諾々と党の決定に従うだけなのだ。党内で権力闘争が起きれば、不安気にどちらにつけば自分の命が助かるか様子を伺い、優勢な陣営に雪崩を打って馳せ参じて門前市をなすがごとき有様だ。職業政治家といえば聞こえはいいが、正確に言えばアルバイト政治家だ。本会議場で起立するだけの簡単なお仕事で、しかもその報酬は日給30万円というわけだ。
 念の為に言っておくが、国会議員の報酬が高い、という問題を話しているのではない。むしろ、真面目に政治活動をしていれば年一億でも足りないぐらいだろう。「井戸塀」という言葉があるように、真剣に政治を志せば財産などあっというまになくなり、井戸と塀ぐらいしか残らないものなのだ。問題は、次の選挙で落選することを受け入れている、政治家としての目標を持たない、ニヒリズムの政治家というものが生まれたことにある。
―― 政治家が選挙を恐れるようになった。
山崎 菅総理の不信任案をめぐって、最後の最後までオセロゲームのような状況が続いていたが、結局、民主党執行部が解散風を吹かしたところ、一年生議員たちが震え上がり、日本の将来や自らの政治理念などかなぐり捨てて、お命大事とばかりに執行部に屈したわけだ。
 こうしたアルバイト政治家たちも、なにか語れと言われればそれなりに、天下国家や国際情勢等について喋るかもしれない。だが結局、それは根無し草の空理空論たらざるをえない。誰の代表でもない人間が何かを語ったところで、それはただのお喋りであり、空談なのだ。
 だが、こうした地に足が着いていない根無し草のアルバイト政治家が登場したのは、ある意味時代の要請であったと言える。
 地に足が着いているというのは、自分の選挙区に密着して、自分の後援者の意見を吸い上げ、利害調整に奔走するということだが、これがいわゆる自民党的、党人派の政治家というものだった。党人派政治家が駆逐されてきたのがこの6年ほどの政治状況なのだ。そして、党人派的政治家が駆逐されてきたのも歴史の必然だった。地に根を張るのは大事だが、その木が立ち枯れてしまったときには、根こそぎ引っこ抜かなければならない。古き党人派的・自民党的政治家は、時代の変化に対応できず、自らが立ち枯れていくのをくい止めることができなかった。すなわち、冷戦の終結という新しい時代の到来の中で自らを刷新することができなかった。そのために、反・党人派的な郵政選挙、民主党への政権交代という二回の打撃でほとんど絶滅してしまった。
 問題は、党人派的政治への拒否が、そのまま根無し草の、誰の代表でもないような政治家を生み出したことだ。極端から極端へ振れてしまった。あまりにも地元への利益誘導しか考えない政治家も駄目だが、国民の声を吸い上げる回路を全く持たない政治家も同じくらい駄目なのだ。
 菅直人という総理大臣は、現代日本の象徴だ。党首として衆議院選挙で勝利してもいないのに総理大臣の座に居座り続け、辞任を求める声に対しては「責務を果たせというのが国民の声だ」と開き直る。しかし、全国民が知っているが、菅総理には「国民の声」を吸い上げる回路など存在しない。ただ存在し続けること、それだけが目的の総理大臣で、ニヒリストが一国の宰相を務めているのだ。
 この危険をよく理解していたのが小沢一郎氏だろう。小沢氏はいわば「最後の党人派」であり、地に根を下ろしていない政治家の危うさ、脆さに気づいていた。だから、政権交代直後、まだ小沢氏が幹事長だった頃、いわゆる「小沢チルドレン」に対して「とにかく毎朝駅前で辻立ちしろ、地元を足で歩いて回れ」と命じたのだ。
 党人派的政治家の姿を思い浮かべてみればよくわかる。小沢一郎、亀井静香、鈴木宗男といった人々の姿と、チルドレンと呼ばれる政治家達とでは、好悪は別にして、存在感が圧倒的に違う。それは、党人派政治家には背負っている一票一票の重みがあり、その票を投じた人々の顔が透けて見えるからだ。郵政選挙や二年前の選挙で当選した新人議員達もなるほど、票を得て議員になったわけだが、その一票一票は「とにかく政権交代してくれれば何でもいい」というだけの票で、顔のない、のっぺらぼうの票なのだ。
 小林秀雄の議論を援用しよう。本居宣長に「姿は似せ難く意は似せやすし」と言う言葉がある。意には形というものがない。だから、言葉の意味はわからなくても、言葉の口真似は子供でもできる。だが、その言葉を発する人間が相手に与える作用、感動というものを似せるのは難しい。大層な天下国家論を語るのは、子供の口真似のようなものだ。そこには、相手を心服させる姿というものがない。もちろん、姿というものがすべて見目麗しいとは限らない。だが、どんな姿であろうが、「人目を捕えて離さぬようなものなら、人生の生ま生ましい味わいを湛えているはずであり、その味わいは、比較や分析の適わぬ、個性とか生命感とかいうものに関する経験であろう」(小林秀雄『本居宣長』第二十五章)ということだ。
 党人派の時代が終焉を迎えたとはいえ、根無し草の時代においては、民衆の政治への絶望はいよいよ深まり、その絶望は、国民の声を代弁すると標榜するような、強権的な独裁者を待望するようになるだろう。国民の声が国会に届くという回路を回復しない限り、時代はますます暗鬱にならざるをえない。それを避けるためには、何度でも選挙を行うことだ。選挙を恐れる政治家を駆逐することだ。
―― 一時、石原慎太郎氏(現東京都知事)への待望論が起こった。石原氏を軸にした政界再編によって政治状況が打破されるのではないかという動きがあったが、結局尻すぼみに終わった。
山崎 人間には、持って生まれた星の運がある。いわば役回りがあり、宿命がある。太陽には太陽の役目があり、月には月の役目がある。石原慎太郎という政治家は、太陽ではなく月なのだ。すなわち、先頭に立ってぐいぐいとグループを引っ張っていくリーダーの役回りではない。それよりも、主流から外れたところで、ズバズバと物を言うことで輝く役回りの人間なのだ。かつて、中川一郎亡き後、青嵐会・中川派を石原氏が引き継いだことがあった。しかし、石原氏はこの派閥を維持することができなかった。この時に、石原慎太郎という政治家の姿というものは明らかになっていたのだ。おそらく、本人もそのことをわかっているから、チャンスは何回もあったにもかかわらず、国政に戻ることはためらったのだろう。
 分をわきまえるというのは大事で、特に政治家が分をわきまえないようになると、国家は果てしなく混乱していく。国家が混乱しているということは逆に、現代は分をわきまえない人々の時代だということだ。総理大臣の器ではない人物が総理大臣になり、あまりのプレッシャーに押しつぶされて、病気になったり、右往左往している。
―― それは国民もまた分をわきまえていないということか。
山崎 乱暴な言い方をすれば、そういうことになる。たとえば、政治評論家という人種が、テレビに出てきては「あいつはケシカラン、こいつはもっとケシカラン」とご高説を垂れている。問題は、そこに政治家への最低限の敬意が欠けていることだ。評論家という人々は、アルバイト政治家以下の存在で、選挙の洗礼も受けていない、ただの無責任な個人だ。まがりなりにも、のっぺらぼうの票であっても、有権者の票を背負った政治家を罵倒する評論家は一体何様なのか、ということだ。岡目八目で、勝負をしている人間に外野から茶々を入れるような無責任な発言は、政治をますます劣化させるだけだ。無責任が主流となれば、もはや政治など成り立たないのだ。
 現在、日本は震災復興と原発問題という難題を抱えている。街のあちこちで、「みんなで力を合わせて乗り越えよう」といった標語が貼られ、あるいは放送されている。ある百貨店では「東日本大震災の被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。お客様にご案内いたします。当店地下一階、お惣菜コーナーでは五時から特別セールを……」といった具合だ。ここには何か異常なものがないだろうか。「震災」をすべての枕詞にすることには、何かきわめて卑劣で、醜いものが隠されてはいないだろうか。
 あるいは、多くの人々が被災地にボランティアで駆けつけているが、それは無条件に正しいことだろうか。もちろん、自分にできることは駆けつけて瓦礫を運ぶことだけだ、と思い定めた人が現地に行くのは大変良いことだ。だが、瓦礫を運ぶ以外の優れた能力を持っている人までもが、現地で瓦礫運びをしているとしたら、それは最善な行為と言えるだろうか。
 原発を考えてもいい。今や、反原発論者は飛ぶ鳥を落とす勢いでジャーナリズムを席巻している。福島の有様を目の前にして、原発の可能性など語ってはいけないという空気が充満しているのだ。そこにおいては、人類の歴史、科学的知への挑戦と失敗、そして失敗にもめげない飽くなき探求への意志といった視座が欠けている。歴史観においては私は進歩史観は取らないが、進歩への意志を失った民族は必ず滅びる。日本人がこのまま空気に流されて原子力に背を向けてしまえば、日本は遠からず滅びるだろう。
 ここでは三つの例を挙げたが、いずれも、問題の根源は同一なのだ。それは、現象を正確に捉え、そこからその現象の本質に迫るという思考が欠如しているということだ。
 我々は「震災復興」と言うが、その言葉は繰り返し使用されるたびに陳腐化していき、形骸化していき、その内実は忘れ去られていく。それが言葉の宿命なのだが、その言葉が生み出された現象そのものを常に想起することが我々の責務だ。3月11日に、全日本国民が、二万人の死という戦慄すべき破滅に立ち会った。我々は常に二万人の死が何を意味しているのか、自問自答し続けなければならない。忘却は第二の死であり、二万の死者をもう一度殺すわけにはいかないからである。
 確かに常に死者を思い、3月11日の恐怖の記憶を生々しく思い続けることは苦しいことだ。だから我々はそこから卑劣にも目を背けようとする。それが言葉の陳腐化、枕詞化ということなのだ。
 もちろん、我々は日常生活を送らなければならないのだし、常に死を想うわけにもいかない。そこに役回りというものがある。現象から本質へ、存在そのものを問う思考が為されるべきで、その役目を担っているのが知識人だ。そして、こうした思考をしている知識人は、ごくわずかしかいない。デパートの放送と同じレベルで、「震災復興に向けて一丸となってがんばりましょう」程度の言論しか流通していない有様なのだ。
 「がんばろう、日本」の掛け声に異議申し立てをするには、大きな非難と罵倒を覚悟しなければならない。だが、にもかかわらず思考し続け、発言するということこそが、知識人の責務なのだ。
 菅総理が「震災復興のため」を枕詞に権力を維持しようとしているのを批判するのであれば、この「震災復興」という言葉に対峙するのが知識人の役回りなのだ。
―― それぞれの役回りに徹することが大事だということか。
山崎 危機の時代における知識人のあり方については、1930年代のドイツが参考になる。ここに1934年、ナチスが台頭していく最中に、フライブルク大学総長を辞任した哲学者ハイデガーのラジオ演説『なぜわれらは田舎にとどまるのか?』がある。ハイデガーはあの危機の時代にあって、黒い森の中にひきこもり、政治家や哲学者仲間と語るよりも、農民たちと共に過ごすことを重視した。農民の生活の中にこそ、いや、そこにしか思索は存在しないからだ。
「われわれは如才ない諂いやまがいものの民族的なるものなど放っておこう――われわれはそして、あの上の単純で強固な現存を、まじめに学びとろう。その時はじめて現存は、再びわれわれに語りかけてくるのだ」
 この一節は、本質的には何も生産しない都会人の気の利いたおしゃべりは、所詮は頽落し、忘却へ落ち込んでいくようなおしゃべりにすぎず、単純素朴で、確実な現実と向きあう農夫の生活、その姿が持つ誠実さには到底比較にならないことを指摘している。
 自民党はかつて、農夫の生活に基盤をおいた政党であり、それが党人派ということなのだが、それが、いつのまにか都市住民の政党になってしまった。そのため、自民党は自壊してしまった。政治も思想も、今一度、農村に帰る必要がある。すなわち、大地から物を生み出すという、生産の思想に立ち戻る必要がある。
それぞれの人間には、それぞれ与えられた役回りがある。今必要なのは、ありのままの現実と向き合い、自らの役回りを誠実につとめることだ。
かつて、藤原定家は乱れる政治の最中、「紅旗征戎我が事にあらず」と記した。世間での出来事、政治闘争などとは私は関係がないという意味だが、これは権力を失った貴族の負け惜しみではない。定家の役回りは歌にあったのであり、そのことを定家自身も理解していたのだ。だから、後鳥羽上皇と鎌倉幕府が対立する中でも、一心に定家は歌の道を極めた。結局、定家が政治に奔走したりせず、歌に専念したため、今、われわれは『新古今和歌集』という日本人の偉大な遺産を受け取ることが出来ているのだ。
何をなすべきか。それは自らの存在とは何かを問いかけることで、自ずと明らかになってくるものなのだ。

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/06/15 08:04 山崎行太郎の「月刊・文藝時評」
サンデル政治哲学に哲学的思考なし。
■何故、サンデルの政治哲学を持て囃すのか?
最近、政治哲学というものが流行っているらしいが、その流行に貢献しているものの一人が、テレビでもお馴染みのマイケル・サンデルというハーバード大学教授であることは、誰も否定しないであろう。書店の店頭には、『これからの「正義」の話をしよう』を始めとして「サンデル本」とも言うべき類書が無数に並んでいるし、テレビでもしばしば、ハーバード大学や東大における講義風景などが取り上げられている。ところが、私は、政治哲学というものには興味があるが、サンデルにはまったく興味がない。先ずその顔や表情、そしてソクラテスの「産婆術」やプラトンの「対話編」にヒントを得たらしい講義スタイルも、またヘーゲル的と言われるが、ヘーゲルに比べれば比較しようもない通俗的な「コミュニタリズム(共同体主義)」なる政治思想も嫌いである。サンデルの講義スタイルはソクラテスやプラトンとは似てはいるが、まったく似て非なるものである。柄谷行人的に言えば、「モノローグ」であって「ダイアローグ」ではない。仲間内のお喋りに過ぎない。つまりそこには「他者」がいない。というわけで、何故、アメリカや日本で持て囃されているのか、私には理解できない。そのサンデルが、今度は、新聞や週刊誌、あるいは論壇雑誌ならともかく、こともあろうに、文芸誌(「文学界」七月号)に登場しているから驚きである。何故、文芸誌が、この程度の人物を取り上げるのか。これは、換言すれば、現在の文芸誌の思想的レベルが、どういうレベルにあるかを象徴している。つまり、僕が、サンデルの政治哲学に興味がないのは、サンデルの思考が根源的でも、過激でもないからである。サンデルの思考に哲学的思考が欠如しているからである。たとえばサンデルは、「文学界」のインタビュー「正義は常に美徳であるか」(聞き手、小林正弥)で、ビンラディン殺害について、同じ「殺す」にしても「裁判」をして、その罪状を明らかにしてから、「殺す」べきだったというようなことを言っている。ということは、サンデルの論理によれば、アメリカ政府によるビンラディン殺害それ自体は、正当であり、正義だということになる。ただ「殺し方」が悪かったと言うわけである。無論、僕は、ビンラディン殺害が悪い事だとか、いかなる理由があろうとも殺人自体が悪だとか言いたいわけではない。アメリカ政府が、つまりオバマがビンラディン殺害を決行したことを批判したいわけではない。問題はそこにはない。問題は、ビンラディン殺害を正当化するために、無理矢理に構築された「正義」の論理にある。おそらくサンデルは、この世界には、「正義」や「悪」が、それ自体として、存在すると考えているのだろう。僕が、サンデルの論理に違和感を禁じ得ない理由は、そこにある。サンデルの思想的立場は、個人の自由に重きを置くジョン・ロールズ的「正義論」派に対して、個人よりも共同体や国家を重視する「コミュニタリズム(共同体主義)」と言うものらしい。そしてアフガン戦争やイラク戦争には批判的と言いながらも、アメリカ政府ともかなり親しい関係にあるらしい。つまり、サンデル政治哲学は、本質的には、アメリカ政府を擁護する哲学らしい。僕は、思想家や言論人が政府を擁護しようと批判しようと構わないと思うが、サンデルの論理は思想的に浅すぎると言わざるを得ない。誤解を恐れずに言うならば、おそらく、日本のマスコミに棲息する「政治評論家」や「政治ジャーナリスト」の言説のレベルと変わらない。とても政治哲学などと呼べるものではない。
■柄谷行人の『哲学の起源』を読む。
柄谷行人が、今月号から「新潮」に『哲学の起源』の連載を開始している。昨年、話題になった『世界史の構造』の続編らしいが、こちらの方は、おおいに興味をそそられる。これも政治哲学にテーマをしぼったもので、サンデルの政治哲学と無縁ではないが、むろん、サンデルの政治哲学とは雲泥の差がある。その内容に賛成するにせよ、批判的であるにせよ、われわれは柄谷行人という本質的な思想家を持っているということを誇りにすべきである。柄谷行人の思考は、サンデルとは異なり、原理的であり、根源的である。これこそを哲学的思考というものだろう。少なくとも、この『哲学の起源』が、文芸誌に連載されていることに注目すべきだ。私は、このような論文が文芸誌に連載されていることに、わが国特有の思想的状況を感じる。柄谷行人は、かつて、日本では、西洋における哲学の役割、あるいは哲学者という存在の役割が、文学や文学者によって担われてきたと言ったが、まさしくこの『哲学の起源』がそうであると言うべきだろう。柄谷行人は、『世界史の構造』で、世界史を、経済的下部構造として、マルクス主義的な生産様式や生産関係ではなく、交換様式に着目し、交換様式を、「贈与と返礼という互酬交換(A)」「略取と再分配(B)」「商品交換(C)」、そしてまだ実現していないが、やがて実現するかもしれない「交換様式D」(互酬交換の再現)とに分類した上で、その交換様式の変遷の歴史として描こうとしていた。『哲学の起源』では、その「交換様式D」(互酬交換の再現)の根拠を探ろうとしている。そこで、「交換様式D」(互酬交換の再現)の根拠を、宗教的思考や哲学的思考の始まりに求め、ギリシャ哲学にまでさかのぼる。しかもアテネの哲学者たち、つまりソクラテス、プラトン、アリストテレスに始まると言われているギリシャ哲学の起源が、実はアテネではなく、その前のイオニアの自然哲学者たちにあったと論じている。つまりイオニアの哲学とアテネの哲学の差異の中に、「交換様式D」(互酬交換の再現)の存在根拠を探ろうとしている。たとえばイオニアの哲学者といえばタレスを思い出すが、柄谷行人は、タレスに注目して、こう書いている。
≪しかし、宗教というかたちをとらずに、交換様式Dが実現されたケースはないだろうか。私の考えでは、それは古代のイオニア諸都市に起こったのである。一般に、イオニアというと、商業や技術の発展が指摘され、また、その結果として、タレス以下の自然哲学者が出現したことが論じられる。その場合、そこに近代の自然科学の先駆的な形態が見出されるが、それ以外のことは無視される。まるでイオニアの思想家が自然のみを対象として、その他の問題について(今日の大半の自然科学者と同様)何も考えなかったかのように。このような見方は、アテネの哲学者(プラトンやアリストテレス)によって形成された偏見にすぎない。≫(「新潮」七月号)
 柄谷行人の思考が、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの名前を出しながら、教科書的理解のレベルでしか語りえないサンデルの思考と異質なものであることは明らかである。ソクラテスやプラトンだけではなく、カントやヘーゲルなどについてもサンデルは言及しているが、具体的にテキストを読むという実践的行為が欠如している。柄谷行人は、ギリシャ哲学の起源はイオニアにあり、イオニアの「イソノミア」の中に、「交換様式D」の存在根拠を見出そうとする。つまりアテネの「デモクラシー」ではなく、イオニアの「イソノミア」に注目する。柄谷行人が、サンデルとは異なり「哲学的」であることは明らかである。
■山内令南という作家がいたことを忘れるな。
先月、『癌だましい』で「文学界新人賞」を受賞したばかりの山内令南という作家が、受賞直後に亡くなったらしいという話を聞いて、私は愕然とした。私は、山内令南についてまったく何も知らないが、食道癌を患い、闘病中だったらしく、受賞作『癌だましい』は、闘病中の病床で、死を覚悟した上で書いたもののようである。私は、最後の遺書を書くように書き上げた、そういう作品が文芸誌の新人賞の予選を通過し、そして選考委員の作家たちによって受賞作に選ばれたということに、文芸誌と文学の根源的な思考力を感じる。文学や文芸誌の地盤沈下は著しいと言われる昨今だが、しかしまだまだかすかにではあれ、文学や文芸誌が底深い思考力を保持していると言わざるをえないと思った。『癌だましい』という作品は、食道癌で、食べ物を飲み下すことが困難になった中年女性が、ひたすら食べ物を食べ続けるという話である。
≪最後に食べたのがいつだったか、記憶はおぼろげになっている。食べたといってもその時すでに、狭窄より先へ食べ物は降りていかなかった。まだ唾液は飲み込むことができ、口中へ食べ物を入れると噛むことができ、ごくりと飲み下すこともできた。飲み込んだ物はじきに狭窄部から戻ってはきたが、少なくとも口腔の満足だけは得ることができた。その直後、口に入れる前よりなお激しい飢餓感に苛まれはしたが。≫
見るべきものを見ているというべきか。ここには、病気の美化も病気への甘えも、そして病気への絶望もない。ひたすら生き続けようとする根源的生命力とそれを凝視する作者の冷徹な眼がある。私は、かつて、小林秀雄や川端康成が絶賛した北条民雄の『いのちの初夜』というライ病(ハンセン病)患者を描いた小説を連想した。選考委員の松浦理英子は、「選評」で、「新人賞受賞作に値するだけではなく、もしこれから病気を主題とした小説のアンソロジーを編むとしたら、『癌だましい』は収録される資格が充分にあると考える」と絶賛している。
しかも作者の山内令南は、「受賞のことば」で、こう書いている。
≪東日本大震災は原発事故とも相俟って国家的危機を引き起こした。極限状況を生き延びるには原初的エネルギー、根源的生命力の発動が必須である。正にサバイバルそのものといえる。こういった状況下において文学の可能性を言うなら、逞しく生き抜く力の提示しかないであろう。「癌だましい」はこのような生命力に通じ、遺伝子の無明性を呼び起こさずにはいられない。時に制御不能なほどのエネルギーのコアとも通底する。≫
新聞、テレビ、雑誌、週刊誌には大震災や原発の情報や、それを野次馬的に大げさに騒ぐ、無責任な「絶望」や「美化」的言説があふれているが、私は、この山内令南の「ことば」に、一番、自然なものを感じた。山内は、岐阜県生まれで、52歳だった。

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March 19(Sat), 2011

東北関東大震災について 13:57 ■東北関東大震災についてを含むブックマーク

yama31517yama31517 2011/03/20 13:52 2011年03月18日11:15 東浩紀氏、東北関東大震災についてNew York Times紙に寄稿カテゴリニュー・ヨーク・タイムズニュース55拍手 共通テーマ:
地震 テーマに参加中!
小説家・大学教授・評論家の東浩紀氏が、東北関東大震災と日本人の反応についてニューヨーク・タイムズ紙に寄稿している。真摯に、しかし冷静に、この地震に対する日本人の振る舞いに見出した希望について論じている。
(原文はこちら)

ニューヨーク・タイムズ紙のブック・レビューに掲載された村上龍「昭和歌謡大全集」のレビューはこちら


珍しく日本人であることを誇りに思う
東浩紀

For a Change, Proud to Be Japanese
By HIROKI AZUMA
Published: March 16, 2011

日本人は地震に慣れている。僕自身も子供の頃から何回も経験している。だから、東京都心部の古い雑居ビルの6階で揺れが始まったときも、僕は慌てることは無かった。「普段より大きいな」ぐらいに思っただけだった。しかし揺れは収まるどころか、ますます大きくなっていった。埃が舞う中、狭い階段を駆け下りた。出口で振り返ると、ビル全体が傾いていた—あまりの揺れの激しさに隣のビルにあたってしまうところだった。路上に集まった人々は声にならない悲鳴を上げた。

ツイッターのメッセージによって震源地は北の方だと分かった。顔も名前も知らないツイッター・ユーザーたちの行方が次々と判明するが、僕は自分の妻にさえ連絡が取れないでいた。

地震から津波、原子力発電所の事故に至るまで、今や私たちは一連の出来事について知っている。具体的な予測や評価についてはまだ時期尚早だが、地震から6日目の時点で言えることが一つある:日本人は自らの国を、少なくとも過去20~30年よりは肯定的に捉え始めている。

第二次世界大戦の敗戦以来、日本人は自分たちの国や政府を誇りに思うことが滅多に無かった不幸な民族だ。特にこの20年、バブルが弾けて以来の長引く不況下ではそれが顕著だった。総理大臣は何回も替わり、政策は行き詰り、政治的シニシズムが蔓延する。実際に1995年の阪神淡路大震災時の政府の対応はあまりに無能であり、国民からの非難が集中した。

だけど今回は違った。もちろんマスメディアは飽きることなく、原発事故と停電に対する政府・電力会社の対応に疑問を投げかけ続けている。その一方で、彼らへの支持の声もきわめて強い。枝野幸男内閣官房長官はネットのヒーローとなり、自衛隊の救助活動は賞賛の的だ。

日本人の間で「公共」についてこれほど取り沙汰されているのを、僕は見たことが無かった。つい最近まで日本人と政府は、愚痴と口論にまみれた、優柔不断で自己中心的な存在かのように見えていた。しかし、今彼らは別人になったかのように、一丸となって国を守ろうとしている。若い世代の言葉で言うと、日本人は完全に「キャラ」を変えたかのようだ。

そして、奇妙なことだが、日本人は日本人であることに誇りを持ち始めた。もちろん、ナショナリズムと容易につながってしまうであろうこのキャラを不快に思うことにも議論の余地はある。すでにウェブ上ではそのような懸念も見かける。しかしそうであっても、僕はこの現象に一縷の希望の光を見出している。

震災前の日本は来るべき衰退に怯える臆病な国だった。人々は国に何も期待せず、世代間の助け合いや地域共同体内の信頼も崩壊し始めていた。

しかし、日本人はこの大災害の経験を、新たな信頼によって強固に結ばれた社会を建て直す、そのきっかけにできるかもしれない。多くは優柔不断な自分へと戻っていくだろうが、有害なシニシズムの中で麻痺していた、自分の中の公共精神や愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。

この災害に直面した日本人の落ち着きと道徳的な振る舞いに、外国メディアが驚きと共に報じているのを聞いた。しかし実際には、日本人自身にとってもこれは驚きだったのだ。「本気になればできるんだ」「国全体を見てみればそんなに悪くないじゃないか」過去数日、多くの日本人が少々戸惑いながらも、このように感じている。

この気持ちを、時間的・社会的にどの程度まで持続させることができるだろうか。この質問に対する答えが、この災難からだけでは無くこの20年にわたる緩やかな停滞と失望からの復興の鍵を握っている。


東浩紀は早稲田大学の教授であり、「Otaku: Japan’s Database Animals.(原題:動物化するポストモダン)」の著者である。この文章は Shion KonoとJonathan E. Abelによって日本語から翻訳された。

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海外からも内部からも総スカン!「20ミリシーベルト問題」に透けて見える菅政権の非人間的非情性
2011⁄05⁄23(月) 17:01
本日20ミリシーベルトに抗議し、見直しを求めて福島県から駆け付けた被災者の方々に対して、文科省の政務三役はだれ一人として会うことなく、出てきていたのは渡辺格・科学技術・学術政策局次長、原子力安全監ただ一人だった。

岩上WEBのUSTを見ていたが、ハウリングが酷くて、かなり聞き辛かった。

この20ミリ問題については、国が決めたことだからと諦めの心境で、現地ではあまり言い出せない父兄もいると聞いたことがあるが、子供のことを考えればリスクを最小限にしたいというのはどの親も同じであるはずだ。

文科省の役人は、終始質問にストレートに答えることなくはぐらかして、ノラリクラリと官僚答弁を繰り返していた。

その中で福島瑞穂議員、川内博史議員、森ゆうこ議員、川田龍平議員がきてスピーチし、住民を代表して役人にも詰め寄っていた。

森ゆうこ議員が、ただちに住民をホールボディカウンターで検診すべきだと語っていたのが印象的だった。

以前、枝野官房長が会見で、「年間20ミリシーベルトを政府として許容しているのではないし、実際にそういう数字に達することはない」と、いつもの言い訳プラス詭弁を言っていた。
じゃあ、訂正すればいいものを、あまりおおごとにならないように、最初から莫大な予算をつぎ込まないように移動させる学校を少なくするために3.8という数字を持ってきたと思われてもしょうがない。

この年間20ミリ・シーベルトというのは、原発事故収束時の一般人の被曝限度(年間1ミリ・シーベルト〜20ミリ・シーベルト)を参考にしているということで、そもそも子供の目安ではなく、通常時でいうところの原発作業員と同じ被曝量だということだ。

確かに非常時であるが、子供にそんな基準を設けること自体が問題であり、原発作業員と同じ基準で安心する親はいないだろう。

先日、この基準で辞任をした小佐古参与が、次のように辞意表明を書いているので動画と一緒に転載させていただく。


■小佐古内閣官房参与辞任・20ミリシーベルト問題



(FNN:http://bit.ly/jFMNnL)

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内閣官房参与の辞任にあたって(辞意表明) 平成23年4月29日

内閣官房参与 小佐古敏荘

 平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。

 私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。
 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から直命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。

 この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。
 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。


1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい

 この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
 
 とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。

 また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40−50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。


2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい

 緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。

 今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。

 小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。

 また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強く求めるものである。

以上 (NHK「かぶん」ブログ)

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20ミリシーベルト問題で世界中から抗議が寄せられているという。

■1,074団体および53,193人からの撤回を求める声を提出

NGO6団体が呼びかけた「子どもに“年20ミリシーベルト”」撤回を求めるオンライン署名に、1,074団体および53,193人(61カ国以上)の連名をいただきました。ご協力ありがとうございます。
本日、撤回を求める緊急要請を、菅首相、郄木文部科学大臣等宛に提出しました。


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【プレスリリース】
「子どもに“年20ミリシーベルト”」に世界中から抗議
1,074団体および53,193人(61カ国以上)からの撤回を求める声を提出
グリーン・アクション
グリーンピース・ジャパン
原子力資料情報室
福島老朽原発を考える会(フクロウの会)
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)
国際環境NGO FoE Japan

本日、グリーン・アクション、グリーンピース・ジャパン、原子力資料情報室、福島老朽原発を考える会(フクロウの会)、美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)、国際環境NGO FoE Japanの6団体は、文部科学省が、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の暫定的目安として示した年20ミリシーベルトという基準を撤回するように求める緊急要請を、菅首相、郄木文部科学大臣等宛に提出した。本要請には、61カ国から、1,074団体および53,193人の電子署名が寄せられた。

要請は、本基準設定に当たって政府が示した「屋外で3.8マイクロシーベルト/時」とは、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線量であること、年20ミリシーベルトは、ドイツの原発労働者に適用される最大線量に相当することを指摘したうえで、これに強く抗議、?子どもに対する「年20ミリシーベルト」という基準を撤回すること、?子どもに対する「20ミリシーベルト」という基準で安全とした専門家の氏名を公表すること――を要請。市民団体グループは、政府に対し「この2項目の可否とともに、その理由を明らかにすること」を求めた。

この「20ミリシーベルト」に関しては、国際的にも強い懸念の声が上がっている。ノーベル賞も受賞した国際的な医師の団体Physicians for Social Responsibility(本部:ワシントン)は会見を開き、20ミリシーベルトという基準を日本政府が採用したことに憂慮を表明、許容される被曝量の基準を引き下げるように要請した(>別紙)。

また、ドイツのオットーハーグ放射線研究所のエドムント・レンクフェルダー氏は「明らかにがん発症の確率が高まる。基準設定により政府は法的には責任を逃れるが、道徳的には全くそうではない」とコメントしている(4月21日付ドイツシュピーゲル誌)。さらに、豪メルボルン大准教授 ティルマン・ラフ氏は、広く認められた科学的知見として健康への放射線のリスクは線量に比例することを指摘した上で、「親として、また医師として、福島の子供たちに、このような有害なレベルの放射線被ばくをさせることを許す決定は、われわれの子供と将来の世代を守る責任の放棄であり、受け入れられない」としている(共同通信4月26日付 ‘OPINION: Children of Fukushima need our protection’、>別紙)。

文部科学省によれば、「20ミリシーベルト」の根拠は、国際放射線防護委員会(ICRP)の「事故収束後の基準」としての1〜20mSvを採用したもの。

今回要請をおこなった市民団体グループは、4月21日に文部科学省および原子力安全委員会、5月2日にはこれに加え厚生労働省と会合を持ったが、政府側からは、基準設定にあたり、子どもの感受性や内部被曝が考慮されなかった理由は示されなかったばかりか、原子力安全委員会におけるきわめてずさんな検討手続きも浮き彫りになった。


緊急声明と要請 本文はこちら
>送付状[PDF]
>子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求する[PDF]

連絡先:
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)
大阪市北区西天満4−3−3星光ビル3階 Tel: 06-6367-6580 Fax:06-6367-6581

グリーン・アクション
京都市左京区田中関田町22-75-103. Tel: 075-701-7223 Fax: 075-702-1952

福島老朽原発を考える会(フクロウの会)
新宿区神楽坂2-19銀鈴会館405号 同事務所AIR気付 el:03-5225-7213 FAX.03-5225-7214

原子力資料情報室
東京都新宿区住吉町8−5曙橋コーポ2階B Tel: 03-3357-3800 Fax: 03-3357-3801

グリーンピース・ジャパン
東京都新宿区西新宿 8-13-11 NFビル2F) Tel: 03-5338-9813 Fax: 03-5338-9817

FoE Japan
東京都豊島区池袋3-30-8 みらい館大明1F  Tel 03-6907-7217 Fax: 03-6907-7219


国際環境NGO FoE Japan

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これだけ声が上がっているにも関わらず、福島から多くの被災者が来ているのにもかかわらず、副大臣や政務官すら会わないというのは誠意の欠片もない。

もともとこの菅政権の面々は赤い血が通ってないような人物が多い。

抗議の電話も受話器をとってあるかのようにつながらなかった。

念のため書いておく。


郄木義明文部科学大臣 秘書官室 電話 03-6734−2101
副大臣  笹木竜三 秘書官室 電話03-6734−3301
副大臣 鈴木寛 電話03-6734−2103
政務官 笠浩史 電話03-6734−3501
政務官 林久美子 電話03-6734−3503

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/05/26 19:11 海水注入中断問題 東京電力「発電所長の判断で海水注入は継続していた」と新たな発表

東日本大震災の翌日、福島第1原子力発電所1号機への海水注入が一時中断したとされる問題で、東京電力は26日、「海水の注入は中断されていなかった」と新たな発表を行った。
渦中の人となった原子力安全委員会の班目委員長は、「わたしは何だったのか」と心境を語った。
東京電力は26日午後3時から、本店で緊急の記者会見を行った。
武藤副社長は「注水の停止ですけど、テレビ会議のあと、(吉田)発電所長の判断で、海水の注入は継続していたということであります」と発表した。
震災翌日、福島第1原発の1号機で、菅首相の言動を受け、海水の注入が55分間にわたって中断したと野党が批判している問題。
しかし、現場の吉田所長の判断で、注水は中断することなく継続されていたと東京電力が訂正した。
武藤副社長は「海水注入の停止について、(吉田)発電所長が事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何よりも重要だと判断したことにより、実際には、停止が行われずに注水が継続していたということが判明しました」と語った。
海水注入をめぐって、先週から、政府・東京電力の説明は迷走した。
これを受け、渦中の人となっていた原子力安全委員会の班目委員長は「いったいわたしは何だったんでしょう。教えてください」と語った。
この問題が明らかになったきっかけは、20日の自民・安倍元首相の発言。
安倍元首相は「(海水注入の)事実を官邸に報告したところ、菅さんは『おれは聞いていない、ふざけるな』と言ってですね。『それ(海水注入)は止めろ』と」と述べていた。
これに対し、東京電力側は翌日の会見で、官邸の意向に沿って、いったん注水を停止したと発表した。
東京電力は、会見で「止めなさいという指示があったわけではないが、私どもの方が、官邸側から、再臨界の可能性があるという認識を伝えられたもので。19時25分にいったん停止したということでございます」と発表した。
その一方で、統合対策室の細野首相補佐官は「班目原子力安全委員長の、海水を入れると再臨界の危険性があるとした発言が、注水中止の背景にあった」と明らかにした。
しかし、今度は22日、班目委員長が「わたしが言うはずがない。わたしが、まったくの原子力の素人であるという発言になりますので」と猛反発した。
しかし翌日、班目委員長は、衆院復興特別委で「わたしは、『再臨界の可能性はゼロではない』と申し上げた。これは確かです」と述べた。
当の菅首相は「海水注入については、当時、私なり、官房長官、副長官のところに、報告は上がっていませんでしたので、当然ながら、報告が上がっていないものをですね、やめろとか、やめるなとか言うはずもありません」と述べた。
さらに、国民新党の亀井代表は23日、「デタラメ(班目)委員長が、可能性があるなんてことを言う言葉じゃありません」と話していた。
26日の会見で、東京電力の武藤副社長は、注水中止の判断をしたきっかけについて、「官邸では、海水の注入について、首相の了解が得られていない。そういう趣旨の連絡が、(東京電力)本店本部、発電所にありました」と述べた。
そして、結果的に官邸を無視して注水を続けたことについては、「所長の吉田が無視したというより、注水を継続した方がより安全であるという判断を優先したと考えています」と発表した。
一連の対応に、自民・谷垣総裁は「あまりの事実説明の迷走に、開いた口もふさがらない」と批判した。
また、枝野官房長官は26日午後4時すぎ、「事実関係を正確に把握して、報告・伝達をしていただかないと、われわれも対応に苦慮いたしますし、何よりも、国民の皆さんが、疑問・不信に思われる」と述べた。
(05/26 17:33)

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/06/13 15:32 山崎行太郎インタビュー

―― 政治の劣化に対し、国民の間にはもはや諦めの感情すら流れているようだ。なぜこのような政治空白状況が生み出されたのか。
山崎 政治家そのものの質が低下しているために、必然的に政治も劣化したということだ。国会議員の質が低下したのは、代表する者と代表される者との間に乖離が生じたためだ。すなわち、現在の国会議員は、有権者の声を吸い上げ、代弁するということが不可能になっている。議員たちは漠然とした「国民の代表」ということになっているが、実のところ、誰の代表でもなくなっている。
 この現象は、実は民主党政権下において初めて生じたものではなく、小泉政権下の郵政解散にその根源がある。政治家はそれぞれの地域、利益団体の利害を代表して選挙に臨むというのが代表民主制の基本だ。ところが、郵政解散においては郵政民営化というただ一つの争点で衆議院選挙を行った。郵政民営化に賛成というだけで当選したのが小泉チルドレンだった。小泉チルドレンというのは、本会議で郵政民営化に賛成票を投じるためだけに選ばれた国会議員であり、有権者の様々な思いや要求を代表してはいなかった。誰の代表でもなかったのだ。
 国会議員というのは、その身分を維持しているだけで年間約一億円の収入がある。郵政民営化を達成してしまえば、チルドレンの役目は終わり、あとは「余生」を過ごすだけだ。バッジを胸につけてごろごろしていれば黙っていても年一億の収入がある。現代の生涯平均年収が二億円強だというから、四年間任期を全うできれば、一生分以上の蓄えができる。これほど楽でおいしい仕事はない。彼らの全精力は、いかに任期ギリギリまで議員でいられるか、すなわち、いかにして解散総選挙を回避するかということに集中する。このため、党執行部の命ずるままに党の政策に賛成票を投じるだけの、政治家としての意志のない賛成票投票マシーンと化した。
 地盤もなく、確固とした後援会も持たないのに政治家になってしまった議員は、次の選挙では負けることが分かっている。だから、いかに衆参でねじれが生じようが、全力で解散総選挙を遅らせようとする。自民党末期、麻生政権下ですぐに行われるはずだった解散がずるずると引き伸ばされたのは、こうしたチルドレンたちが一日でも長く議席にとどまり、一銭でも多く稼ごうとあがいた結果だ。
 有権者にしてみれば、郵政については信任を与えたとはいえ、そのほかの政策について全権委任したという意識はない。ところが自民党は、衆議院の優越を濫用して、次々に国民の理解を得られていない政策を押し通していった。こうして、政治不信というよりも、政治への諦めが生まれたのだ。
 民主党への政権交代も、郵政解散とまったく同じ構造だった。「政権交代」だけが問題であり、「政権交代」への賛成反対投票が行われ、その結果、小泉チルドレンの代わりに小沢チルドレンが生まれ、やはり彼らもまた、誰の代表でもない、からっぽの政治家だ。しかも政権交代を実現した時点で、彼らはその目的を達成した。いわば、衆議院議員として誕生したと同時にその存在意義を失ったのだ。この後、自民党時代とまったく同じことが繰り返されている。すなわち、次の選挙で落選が確実であると身にしみて理解している議員たちは、一日でも長く議席にとどまり、蓄財に励もうとしているわけだ。そしてそのためには党執行部に刃向かうなどとんでもない、唯々諾々と党の決定に従うだけなのだ。党内で権力闘争が起きれば、不安気にどちらにつけば自分の命が助かるか様子を伺い、優勢な陣営に雪崩を打って馳せ参じて門前市をなすがごとき有様だ。職業政治家といえば聞こえはいいが、正確に言えばアルバイト政治家だ。本会議場で起立するだけの簡単なお仕事で、しかもその報酬は日給30万円というわけだ。
 念の為に言っておくが、国会議員の報酬が高い、という問題を話しているのではない。むしろ、真面目に政治活動をしていれば年一億でも足りないぐらいだろう。「井戸塀」という言葉があるように、真剣に政治を志せば財産などあっというまになくなり、井戸と塀ぐらいしか残らないものなのだ。問題は、次の選挙で落選することを受け入れている、政治家としての目標を持たない、ニヒリズムの政治家というものが生まれたことにある。
―― 政治家が選挙を恐れるようになった。
山崎 菅総理の不信任案をめぐって、最後の最後までオセロゲームのような状況が続いていたが、結局、民主党執行部が解散風を吹かしたところ、一年生議員たちが震え上がり、日本の将来や自らの政治理念などかなぐり捨てて、お命大事とばかりに執行部に屈したわけだ。
 こうしたアルバイト政治家たちも、なにか語れと言われればそれなりに、天下国家について喋るかもしれない。だが結局、それは根無し草の空理空論たらざるをえない。誰の代表でもない人間が何かを語ったところで、それはただのお喋りであり、空談なのだ。
 だが、こうした地に足が着いていない根無し草のアルバイト政治家が登場したのは、ある意味時代の要請であったと言える。
 地に足が着いているというのは、自分の選挙区に密着して、自分の後援者の意見を吸い上げ、利害調整に奔走するということだが、これがいわゆる自民党的、党人派の政治家というものだった。党人派政治家が駆逐されてきたのがこの6年ほどの政治状況なのだ。そして、党人派的政治家が駆逐されてきたのも歴史の必然だった。地に根を張るのは大事だが、その木が立ち枯れてしまったときには、根こそぎ引っこ抜かなければならない。古き党人派的・自民党的政治家は、時代の変化に対応できず、自らが立ち枯れていくのをくい止めることができなかった。すなわち、冷戦の終結という新しい時代の到来の中で自らを刷新することができなかった。そのために、反・党人派的な郵政選挙、民主党への政権交代という二回の打撃でほとんど絶滅してしまった。
 問題は、党人派的政治への拒否が、そのまま根無し草の、誰の代表でもないような政治家を生み出したことだ。極端から極端へ振れてしまった。あまりにも地元への利益誘導しか考えない政治家も駄目だが、国民の声を吸い上げる回路を全く持たない政治家も同じくらい駄目なのだ。
 菅直人という総理大臣は、現代日本の象徴だ。党首として衆議院選挙で勝利してもいないのに総理大臣の座に居座り続け、辞任を求める声に対しては「責務を果たせというのが国民の声だ」と開き直る。しかし、全国民が知っているが、菅総理には「国民の声」を吸い上げる回路など存在しない。ただ存在し続けること、それだけが目的の総理大臣で、ニヒリストが一国の宰相を務めているのだ。
 この危険をよく理解していたのが小沢一郎氏だろう。小沢氏はいわば「最後の党人派」であり、地に根を下ろしていない政治家の危うさ、脆さに気づいていた。だから、政権交代直後、まだ小沢氏が幹事長だった頃、いわゆる「小沢チルドレン」に対して「とにかく毎朝駅前で辻立ちしろ、地元を足で歩いて回れ」と命じたのだ。
 党人派的政治家の姿を思い浮かべてみればよくわかる。小沢一郎、亀井静香、鈴木宗男といった人々の姿と、チルドレンと呼ばれる政治家達とでは、好悪は別にして、存在感が圧倒的に違う。それは、党人派政治家には背負っている一票一票の重みがあり、その票を投じた人々の顔が透けて見えるからだ。郵政選挙や二年前の選挙で当選した新人議員達もなるほど、票を得て議員になったわけだが、その一票一票は「とにかく政権交代してくれれば何でもいい」というだけの票で、顔のない、のっぺらぼうの票なのだ。
 小林秀雄の議論を援用しよう。姿は似せ難く意は似せやすしと言う。意には形というものがない。だから、言葉の意味はわからなくても、言葉の口真似は子供でもできる。だが、その言葉を発する人間が相手に与える作用、感動というものを似せるのは難しい。大層な天下国家論を語るのは、子供の口真似のようなものだ。そこには、相手を心服させる姿というものがない。もちろん、姿というものがすべて見目麗しいとは限らない。だが、どんな姿であろうが、「人目を捕えて離さぬようなものなら、人生の生ま生ましい味わいを湛えているはずであり、その味わいは、比較や分析の適わぬ、個性とか生命感とかいうものに関する経験であろう」(小林秀雄『本居宣長』第二十五章)ということだ。
 党人派の時代が終焉を迎えたとはいえ、根無し草の時代においては、民衆の政治への絶望はいよいよ深まり、その絶望は、国民の声を代弁すると標榜するような、強権的な独裁者を待望するようになるだろう。国民の声が国会に届くという回路を回復しない限り、時代はますます暗鬱にならざるをえない。それを避けるためには、何度でも選挙を行うことだ。選挙を恐れる政治家を駆逐することだ。
―― 一時、石原慎太郎氏(現東京都知事)への待望論が起こった。石原氏を軸にした政界再編によって政治状況が打破されるのではないかという動きがあったが、結局尻すぼみに終わった。
山崎 人間には、持って生まれた星の運がある。いわば役回りがあり、宿命がある。太陽には太陽の役目があり、月には月の役目がある。石原慎太郎という政治家は、太陽ではなく月なのだ。すなわち、先頭に立ってぐいぐいとグループを引っ張っていくリーダーの役回りではない。それよりも、主流から外れたところで、ズバズバと物を言うことで輝く役回りの人間なのだ。かつて、故・中川一郎は青嵐会を石原氏に引き継がせようとしたが、石原氏はこの派閥を維持することができなかった。この時に、石原慎太郎という政治家の姿というものは明らかになっていたのだ。おそらく、本人もそのことをわかっているから国政に戻ることはためらったのだろう。
 分をわきまえるというのは大事で、特に政治家が分をわきまえないようになると、国家は果てしなく混乱していく。国家が混乱しているということは逆に、現代は分をわきまえない人々の時代だということだ。
―― それは国民もまた分をわきまえていないということか。
山崎 乱暴な言い方をすれば、そういうことになる。たとえば、政治評論家という人種が、テレビに出てきては「あいつはケシカラン、こいつはもっとケシカラン」とご高説を垂れている。問題は、そこに政治家への最低限の敬意が欠けていることだ。評論家という人々は、アルバイト政治家以下の存在で、選挙の洗礼も受けていない、ただの個人だ。まがりなりにも、のっぺらぼうの票であっても、有権者の票を背負った政治家を罵倒する評論家は一体何様なのか、ということだ。岡目八目で、勝負をしている人間に外野から茶々を入れるような無責任な発言は、政治をますます劣化させるだけだ。無責任が主流となれば、もはや政治など成り立たないのだ。
 現在、日本は震災復興と原発問題という難題を抱えている。街のあちこちで、「みんなで力を合わせて乗り越えよう」といった標語が貼られ、あるいは放送されている。ある百貨店では「東日本大震災の被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。お客様にご案内いたします。当店地下一階、お惣菜コーナーでは五時から特別セールを……」といった具合だ。ここには何か異常なものがないだろうか。「震災」をすべての枕詞にすることには、何かきわめて卑劣で、醜いものが隠されてはいないだろうか。
 あるいは、多くの人々が被災地にボランティアで駆けつけているが、それは無条件に正しいことだろうか。もちろん、自分にできることは駆けつけて瓦礫を運ぶことだけだ、と思い定めた人が現地に行くのは大変良いことだ。だが、瓦礫を運ぶ以外の優れた能力を持っている人までもが、現地で瓦礫運びをしているとしたら、それは最善な行為と言えるだろうか。
 原発を考えてもいい。今や、反原発論者は飛ぶ鳥を落とす勢いでジャーナリズムを席巻している。福島の有様を目の前にして、原発の可能性など語ってはいけないという空気が充満しているのだ。そこにおいては、人類の歴史、科学的知への挑戦と失敗、そして失敗にもめげない飽くなき探求への意志といった視座が欠けている。歴史観においては私は進歩史観は取らないが、進歩への意志を失った民族は必ず滅びる。日本人がこのまま空気に流されて原子力に背を向けてしまえば、日本は遠からず滅びるだろう。
 ここでは三つの例を挙げたが、いずれも、問題の根源は同一なのだ。それは、現象を正確に捉え、そこからその現象の本質に迫るという思考が欠如しているということだ。
 我々は「震災復興」と言うが、その言葉は繰り返し使用されるたびに陳腐化していき、形骸化していき、その内実は忘れ去られていく。それが言葉の宿命なのだが、その言葉が生み出された現象そのものを常に想起することが我々の責務だ。3月11日に、全日本国民が、二万人の死という戦慄すべき破滅に立ち会った。我々は常に二万人の死が何を意味しているのか、自問自答し続けなければならない。忘却は第二の死であり、二万の死者をもう一度殺すわけにはいかないからである。
 確かに常に死者を思い、3月11日の恐怖の記憶を生々しく思い続けることは苦しいことだ。だから我々はそこから卑劣にも目を背けようとする。それが言葉の陳腐化、枕詞化ということなのだ。
 もちろん、我々は日常生活を送らなければならないのだし、常に死を想うわけにもいかない。そこに役回りというものがある。現象から本質へ、存在そのものを問う思考が為されるべきで、その役目を担っているのが知識人だ。そして、こうした思考をしている知識人は、ごくわずかしかいない。デパートの放送と同じレベルで、「震災復興に向けて一丸となってがんばりましょう」程度の言論しか流通していない有様なのだ。
 「がんばろう、日本」の掛け声に異議申し立てをするには、大きな非難と罵倒を覚悟しなければならない。だが、にもかかわらず思考し続け、発言するということこそが、知識人の責務なのだ。
 菅総理が「震災復興のため」を枕詞に権力を維持しようとしているのを批判するのであれば、この「震災復興」という言葉に対峙するのが知識人の役回りなのだ。
―― それぞれの役回りに徹することが大事だということか。
山崎 危機の時代における知識人のあり方については、1930年代のドイツが参考になる。ここに1934年、ナチスが台頭していく最中に、フライブルク大学総長を辞任した哲学者ハイデガーのラジオ演説『なぜわれらは田舎にとどまるのか?』がある。ハイデガーはあの危機の時代にあって、黒い森の中にひきこもり、政治家や哲学者仲間と語るよりも、農民たちと共に過ごすことを重視した。農民の生活の中にこそ、いや、そこにしか思索は存在しないからだ。
「われわれは如才ない諂いやまがいものの民族的なるものなど放っておこう――われわれはそして、あの上の単純で強固な現存を、まじめに学びとろう。その時はじめて現存は、再びわれわれに語りかけてくるのだ」
 この一節は、本質的には何も生産しない都会人の気の利いたおしゃべりは、所詮は頽落し、忘却へ落ち込んでいくようなおしゃべりにすぎず、単純素朴で、確実な現実と向きあう農夫の生活、その姿が持つ誠実さには到底比較にならないことを指摘している。
 自民党はかつて、農夫の生活に基盤をおいた政党であり、それが党人派ということなのだが、それが、いつのまにか都市住民の政党になってしまった。そのため、自民党は自壊してしまった。政治も思想も、今一度、農村に帰る必要がある。すなわち、大地から物を生み出すという、生産の思想に立ち戻る必要がある。
それぞれの人間には、それぞれ与えられた役回りがある。今必要なのは、ありのままの現実と向き合い、自らの役回りを誠実につとめることだ。
かつて、藤原定家は乱れる政治の最中、「紅旗征戎我が事にあらず」と記した。世間での出来事、政治闘争などとは私は関係がないという意味だが、これは権力を失った貴族の負け惜しみではない。定家の役回りは歌にあったのであり、そのことを定家自信も理解していたのだ。だから、後鳥羽上皇と鎌倉幕府が対立する中でも、一心に定家は歌の道を極めた。結局、定家が政治に奔走したりせず、歌に専念したため、今、われわれは『新古今和歌集』という日本人の偉大な遺産を受け取ることが出来ているのだ。
何をなすべきか。それは自らの存在とは何かを問いかけることで、自ずと明らかになってくるものなのだ。

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March 03(Thu), 2011 ■リビア問題の政治学 このエントリーを含むブックマーク

藤原帰一リビア民主化論について。

藤原帰一は欧米の軍事介入に賛成なのか?



独裁者追放の後には厳しい選択ばかりが残されます。それでも、少なくともリビアに関していえば、いま目の前で広がっている暴力に対して、過大な期待を煽ることなく、少しでも犠牲者を減らす選択が必要だと思います。長いお答えになってしまい、申し訳ありません。@esnoguchi

9分前 webから

返信 リツイート . エジプトでも、現在はイスラム勢力が主導権を握るという状況ではありませんが、今年中に予定されている選挙の準備が始まれば、イスラム政党が力を持つと思います。ムスリム同胞団になるかどうかはわかりません・・・ムスリム同胞団が穏健路線をとれば急進政党が出現するでしょう。@esnoguchi

10分前 webから

返信 リツイート . その後の政府をどのように作るのかはリビアの人々が決める問題ですが、いま反カダフィという立場を世界の多くの人々から支持されている勢力がムスリムとしての立場を高く掲げるなら、少なくとも欧米諸国は態度を一変するでしょう。@esnoguchi

12分前 webから

返信 リツイート . なお、今回のリビア問題では、国連安保理でも珍しいほどの一致があり、中露が決議を阻むという状況ではありません。飛行禁止区域の設定となれば反対する可能性はありますが、国連がそれを命じるのではなく、その措置を執っても国連が反対しないという形となるでしょう。@esnoguchi

15分前 webから

返信 リツイート . ただ、政府を作るのはその土地の人々です。それに代わって国連が統治主体となることを暫定的領域管理といいますが、アラブ地域においてそれを行うことは、コストが高いばかりでなく、支配の正統性もない。とるべき選択ではないと私は考えます。@esnoguchi

17分前 webから

返信 リツイート . ご指摘のように、難民保護に目的を限定した場合でも批判が相次ぐことは避けられないでしょう。それでも、黙視できない暴力がリビアで広がっていることは否定できません。厳しい選択ですが、軍事介入は避けられないし、避けるべきでもないと考えます。@esnoguchi

19分前 webから

返信 リツイート . 同時に、内乱によって国家が解体し、カダフィ政権が倒れた後でも破綻国家状況が生まれる危険にも備えなければいけない。モブツの独裁が倒された後のコンゴに訪れたのは、まさにそのような破綻国家の出現でした。@esnoguchi

21分前 webから

返信 リツイート . 現在のリビア政府は、国民の無視できない数が政府の退陣を求めているのに対し、剥き出しの暴力で対処しました。権力の正統性は明白に失われています。和平を考える余地はありません。@esnoguchi

23分前 webから

返信 リツイート . こうして、統治についての問いは、社会の不安定を招くとしても民主化を進めるべきか、逆に安定を実現しているのなら独裁政権でも受け入れるべきかという難問に帰着します。ただ、このような両極端を取り出す議論そのものに錯誤がつきまとうことにも注意しなければなりません。RT@esnoguchi

25分前 webから

返信 リツイート . ここで、実効的支配が存在すれば独裁権力でも擁護されるべきか、という問題が発生します。露骨にいえば、フセイン政権がどれほど非道でも、社会を統制する力を持っている限りでは受け入れるべきではないかという問題です。RT@esnoguchi

27分前 webから

返信 リツイート . ただ、その前に、国家権力がその社会を統制する力を持つかどうかという問題があります。その力が失われた状態では、万人の万人に対する闘争になってしまう。コンゴを見ればわかるように、ホッブズ問題は机上の空論ではありません。RT@esnoguchi

29分前 webから

返信 リツイート . 統治形態は紛争終息と予防にとって重大であると私は思います。インタビューされたアマルティア・センも、インドほど格差の大きい国においても民主政治の存在が飢餓を左右したことを述べています。法の支配と政治的自由は、決して西欧社会の贅沢でも偏見でもありません。RT@esnoguchi

31分前 webから

返信 リツイート . ルワンダで、大量虐殺の可能性を訴えながら、座視を強いられた人ですね。スレブレニッツァと並んで国連の汚点となりました。リビアでも、国連の動きは鈍い、遅いと思います。目的を限定した軍事介入が必要だと私は考えます。RT@esnoguchiロメオ・ダレール元PKO司令官も取材しました。

34分前 webから

返信 リツイート . まったくです。また、カダフィ側の攻撃の規模が拡大しないことを望むばかりです。もっとも、攻撃がひどくなれば世界各国の非難も高まり、私のような意見は微温的に見えるくらい強硬な議論が増えるでしょうが。RT @Gerge0725 スピードが勝負ですね。他のアラブ諸国の対応も気になります。

約2時間前 webから

返信 リツイート . その通りですね。カダフィが狼で反カダフィが羊だと決めつければ誤ります。そのためにも戦闘を早く終結させなければいけない。戦闘が継続するほど、反カダフィ陣営も変容します。RT@Gerge0725保護すべき難民反政府組織というものがどこまで分離できるのかという問題はあるかと思います。

約2時間前 webから

返信 リツイート . 『ツーリスト』、乗れなかったんですよ・・『泥棒成金』の舞台で『北北西に進路』とっちゃったみたいな映画ですけど、ううん、おおらかに乗れたら楽しい、という作品ですね。@potuo1)アンジーの美ボディラインorジョニデプのオドオド顔が見たい!(2)冷やかし程度の気持ちで……

約3時間前 webから

返信 リツイート . @mayuqixさんのお勧めで、Twilog始めました。ほんとをいうと、なんだかわかってないのですが・・・ 始めましたなんていうと、「冷やし中華始めました」みたいだけど、「終わりました」という掲示は見たことあります?http://twilog.org/kiichifujiwara

約3時間前 webから

返信 リツイート . 人間の安全保障は重要な視点ですが、統治の仕組みについて不明確です。そして、統治に注目するとき、デモクラシーを重視するか、実効的支配の有無に注目するかという難問が残ります。RT@puala_人道的介入を論ずるにあたり、人間の安全保障の視点は切っても切り離せないものなのでしょうか。

約3時間前 webから

返信 リツイート . 戦争で注意しなければならないのは、どれほど人道的な目的から軍事力が行使されたとしても、その行使によって守るべき人命や財産を上回る破壊を生み出す可能性があることです。飛行禁止区域の設定を無条件で排除はしませんが、最初にとるべき選択はやはり難民通行のための安全確保でしょう。

約4時間前 webから

返信 リツイート . 私がいま、ツィッターで書いている理由も、まさに虐殺を前にして何もしていない状況があるからです。ですが、仮に国際人道法の視点から戦闘によってカダフィ政権を倒すことが認められるとした場合でも(それも危ないと思いますが)、それを実施するためのハードルは極めて高いでしょう。@snezu

約4時間前 webから

返信 リツイート .

dokuhebinikidokuhebiniki 2011/03/14 08:07 ■売れない「純文学」が存在する理由。
阿刀田高が、文学の活性化のために、「純文学」という言葉を廃止せよ、と某週刊誌のコラムで書いている。この阿刀田高の発言は、70、80年代以後、繰り返されてきた「純文学批判発言」の一種であって、別に今更、問題にすべきことではないかもしれない。しかしながら、私としては、ここに無視出来ない根本的な問題が隠されていると考えるが故に、この問題を軽視するわけにはいかない。これは純文学の存在意義を理解しない荒唐無稽な文学論である。つまり文学を、大衆文学を中心とした「趣味」や「娯楽」としての文学で「よし」とするものだ。おそらく、こういう「純文学の大衆文学化」に過ぎないような文学論が、それまで純文学を中心に成立してきた文藝雑誌にまで蔓延してきたことに、現在の文学の停滞、文学の沈滞の根本原因がある。つまり、阿刀田高の言うようなことが、つまり純文学否定論が、文学の沈滞、そしてひいては政治や経済の沈滞、つまり日本人の思想的劣化をもたらしたということである。これは、「面白ければいい」「売れればいい」という商品交換の論理が、文壇や論壇の価値基準として大きな比重を占めるようになったことと無縁ではない。要するに、私は、「純文学」と「大衆文学」との間には厳然とした差異があるという立場である。むろんその境界は曖昧である。しかし曖昧だからといって、そこに差異がまったくないということにはならない。少なくとも、純文学は大衆文学ではない。むろん、大衆文学系の作家たちが、不当に高い評価を受けている純文学を批判し、否定したくなる気持ちは理解できるが、しかし、それだからといって大衆文学こそ文学だとか、純文学と大衆文学という言葉を廃止せよ、というのは暴論以外の何物でもない。
さて阿刀田高は、大衆文学の作家である。大衆文学という言い方には、無意識のうちに差別的意味が込められている。阿刀田高がその差別構造に抗議して、「『純文学』と『大衆文学』の差別なくし、『文学』の下に統一せよ」というのは、分からないわけではないが、しかしその主張は、文学(純文学)が持つ大事な問題を軽視するもので、いわば、文学を、「娯楽」「趣味」としての文学のレベルへおとしめること意味している。たとえば、物理学や工学などのような応用科学に対して数学という基礎学とも言うべき、まったく実用的でない学問が存在するように、純文学や哲学が存在する。純文学と大衆文学の差異や境界を曖昧化・相対化することは、数学や哲学の存在意義を否定することに他ならない。
 たとえば、今回の芥川賞が、「売れること」「面白いこと」など眼中にないような、つまり「売れること」など念頭にない、世捨て人のような中卒の貧乏作家・西村賢太に与えられたこと、そして逆に芥川賞を契機に西村賢太への注目が集まり、西村賢太の小説が売れはじめたことは、何を意味するか。われわれが、純文学なるものをひそかに期待し、待っていたということである。こういう「売れない」「儲からない」……作家や作品が、資本主義社会の商品交換の原理が貫徹した社会では存在しにくいことは明らかである。しかし、それでもなお存続し続けているのが「文学」や「文壇」である。われわれは、今こそ文学や文壇を再構築すべきである。純文学は純粋数学と同様に、「生活」や「功利性」を度外視しつつ、ただひたすら思考の過激化を目指す文学である。ところが、阿刀田高の発言にみられるように、純文学と大衆文学を曖昧化・相対化し、純文学が大衆文学化しつつあるのが現在の純文学である。しかし皮肉なことに、それが現在の文学の沈滞化をもたらした根本原因なのである。純文学はもう一度原点に立ち戻るべきである。
■「存在しないもの」について考える。
内田樹(神戸女学院大学教授)という文学(思想)研究者が、「最終講義」(「文学界」四月号)の中で、「文学研究は意味があるのか」という問いに答える形で、「存在しないもの」について考えるのが文学研究だと言っている。それと対照的に、たとえば経済学や政治学という学問は、「存在するもの」について考えると、普通は思われているのではないだろうか。経済学や政治学も「存在しないもの」について考えるだとは誰も思わない。しかし文学研究のような学問はそうではない。内田は、こう言っている。
≪先日、京都大学で「日本の人文科学に未来はあるか」というテーマで講演する機会がありました。講演の後の質疑応答で、経済学部の学生が立ち上がって、「大学で文学研究をすることに意味があるんですか」という質問をしました。前の方に座っていた仏文科の先生方が顔をひきつらせておりましたが(笑)、僕はこれはいい質問だと思いました。というのは、文学研究者である限り、「文学研究は何のためにあるのか」ということを常に自ら問うべきだと思うからです。大学にそういう学部があり、現に便覧に科目名が存在するという事実に安住してはならない。研究者は自分の研究の意味について、つねに自分自身に問い続けなければならない。学生に「文学研究に意味があるんですか」と問いかけられたときに、制度に安住して、その問いを自分自身の必至の問いとして引き受けたことのない学者は絶句してしまいます。自分自身の研究の存在意義を基礎づけるために自分自身の手持ちのリソースを惜しまず投じる人間のことを、「学者」と言うんではないでしょうか。≫(「最終講義」「文学界」四月号)
 ここで内田は「文学研究者」や「文学研究」の存在意義について語っているが、同じことが「純文学」や「純文学作家」についても言えるはずである。換言すれば、この問題に無自覚になったとき、「純文学」や「純文学作家」も、大衆文学との差異や関係が曖昧になり、現在の純文学作家たちのように、「売れる」方へ、つまり「純文学の大衆文学化」の方へ流されて行くことになるのではないか。
さて、内田は、経済学部の学生の問いに、どう答えたのだろうか。
≪僕はこう答えました。今の大学で「存在しないもの」とかかわることを主務としているのは文学部ばかりです。世界内部的に存在しないものとかかわるもっとも有効な方法の一つが「文学研究」です。(中略)あなたは経済学部は「存在するもの」を扱っていて、文学部は「存在しないもの」を扱っていていると思っているかもしれないけれど、経済学も文学も結局は人間の紡ぎ出す幻想という「存在しないもの」を研究対象にしているという点では一緒なんですよ。≫
 私は、


私は、ここに、「純文学」と「大衆文学」との差異、あるいは関係性を考える上で、重要な問題提起があると考える。つまり、大衆文学は「売れる」から存在意義があるのに対し、「純文学」は「売れない」から存在意義がないという批判に対し、「存在しないもの」を問う文学が純文学だということになる。したがって純文学を大衆文学と同一視することは、原理的にできない。
さて、長谷川三千子埼玉大学教授も、今年が定年ということで、「最終講義」をおこなっているが、そこで長谷川は、「混沌」としての哲学と他の科学との差異について語っている。「混沌」とは何か。




■ら

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