使徒パウロは、神の前に誰が正しい人なのかという問いについて語りました。異邦人は信仰によって義とされました。しかしイスラエルの民は、律法を守ることによって神の前に正しい者になろうとしましたが失敗したと語ります。それはイスラエルの民がつまずきの石につまずいたからだと指摘します。 つまずきとは何か。人間は、自分の理解を超えるものは受け入れられないし、受け入れない、それがつまずいているということだとパウロが語っているように見えます。 そこでキリスト者も、実はつまずいているということがあるのではないか、と考えました。確かにキリスト者は、イエス・キリストの十字架の死が罪を贖うための死であると信じることによ…