我が家には、「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と描かれた、京都・**龍安寺の蹲踞(つくばい)**を模した湯呑茶碗がある。それは陶器でありながら、まるでガラスのように薄く、わずかな衝撃で割れてしまいそうな、繊細で美しい器だ。 この湯呑は、私よりもずっと長く生きている“先輩”で、20客揃いの堂々とした存在。そして、これまでに1客も欠けることなく、今もすべてが揃っている。 それは、私がこの器をとても好きで、大切に扱ってきたから。 見るたびに、心がすっと落ち着く湯呑です。 中央に描かれた「吾唯足知」。欲を追い求めるより、足りていることに目を向けることの尊さを、この湯呑はそっと教えてくれた。 独身…