西武池袋線をまたぐ山手通りの陸橋のちょうど中央、つまりてっぺんに立つ。駅舎が眼の前だ。通りすがりにいつも詣る不動堂はすぐ足元だ。 図工の先生に引率された生徒たちは、このあたりで一列になっていっせいに画板をひろげ、遠くに見える富士山のスケッチをした。六十五年以上も前だ。車の数は少なく、生徒らがわいわいがやがやしていても、はた迷惑にはならなかった。 道は「改正道路」と称ばれていた。アジア競技大会のときはマラソンコースとなり、貞永選手が走って過ぎるのを、生徒たちは沿道に整列して応援した。 やがて「環状六号線」「カンロク」と称ばれるようになり、しばらくしてから「山手通り」と称ばれるようになった。 今は…