阿弥陀仏の他力本願(阿弥陀如来の力によってなされた約束)を信じることで成仏できるとする。鎌倉初期、法然の弟子親鸞によって法然の教えを継承発展させ、浄土宗から出て一派をなした。日本独自の宗派。宗派の成り立ちの経緯から、真宗とする宗派もある。別名一向宗。経典は浄土三部経(仏説無量壽経・仏説観無量壽経・仏説阿弥陀経)。
2024年4月21日(日)本證寺(愛知県安城市)・やさしく仏教を学ぶ会で話をさせて頂きます。詳しくは、以下をご覧下さい。shinshuhouwa.info
本尊 阿弥陀如来 宗祖 親鸞聖人 毫攝寺 桜の雲海 4月10日午後3時過ぎに一人で、真宗出雲路派(しんしゅういずもじは)本山・毫攝寺(ごうしょうじ)の境内で桜の写真を撮っていたら、一人の男性が近づいてきました。 「写真を撮るならもっとよい場所がありますよ」といわれ、今回特別に太鼓堂のなかに案内してくださいました。 狭い階段を太鼓堂の3階まで登ったのですが、この場所は望楼も兼ねているようでした。普段は公開していないということです。 見晴らしのよい太鼓堂の3階から見た桜は、雲海のように広がっていました。雲海から頭をだした御堂の屋根はまるで山のようでまさに絶景でした。 男性は詳しく桜の景観について話…
本尊というのは、根本に尊ぶべきもの、ということです。お仏壇の中に何が安置されているかということですね。蓮如上人という方は、親鸞聖人の教えを絶対正確に、迅速に、多くの方に伝えた方で右に出るものがないという方です。一器の水を一器に移すがごとく。そういうことが分かるお言葉があります。________________________________ 蓮如上人へある人申され候、開山の御時のこと申され候、「これはいかようの子細にて候」と申されければ、仰せられ候、「我も知らぬことなり、何事も何事も知らぬことをも、開山のめされ候ように御沙汰候」と仰せられ候。(御一代記聞書159)_______________…
久しぶりにこのお寺の前を通ったが、このお寺にしては初めて見る横書きの法語に新鮮さを感じた分、内容が入ってこなかった。
生まれながらにして尊いいのち(片上地区花祭り際の誕生仏) 4月8日は花祭り、お釈迦さまの誕生された日です。今回は誕生についての説話を紹介します。 お釈迦さまがお生まれになったのは、紀元前463年~383年(中村元説)だといわれています。誕生されたのはルンビニーというところでカピラヴァストゥを居城とする、釈迦族の王家に誕生されました。 お名前はゴータマ・シッダッタといい、悟りを開いた後には、釈迦族出身の聖者という意味で「釈迦牟尼世尊」と呼ばれ、釈尊ともいいます。父は浄飯王(スッドーダナ)で母は摩耶(マーヤー)夫人です。 生まれてすぐに七歩、歩かれたといいます。これは仏教説話ですから、事実を詮索す…
阿弥陀さまとお釈迦さまの関係は?正信念仏偈如来所以興出世 唯説弥陀本願海如来、世に興出したまふゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。 意訳お釈迦さまをはじめとする諸々の仏が、この迷いの世に出現された目的は、ひとえに阿弥陀さまの願いを説くためなのです。 浄土和讃 諸経讃久遠実成(くおんじつじょう)阿弥陀仏五濁の凡愚(ぼんぐ)をあはれみて釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)としめしてぞ迦耶城(がやじょう)には応現(おうげん)する浄土真宗聖典(註釈版)572頁 意訳永遠の昔よりまことに仏と成られている阿弥陀仏が、煩悩で濁った世に迷う愚かな私たち凡夫を憐(あわ)れんで、釈迦牟尼仏の姿となって迷いの世界に出現…
桜がきれいに咲き、先日はりくと一緒に近くの山のふもとの公園に散歩と花見に出かけました。ちょうど天気も良く、気持ちの良い一日でした。それからわずか数日、桜はまだ咲いていますが、葉桜となりつつあり、小川には桜の花びらが無数に漂っています。喜びもつかの間。全て移り変わる。儚いこの世であることを周り中が教えてくれていると感じます。 「人間はただ、夢・幻の間のことなり。後生こそまことに永生の楽果なり」と蓮如上人が仰る通りと感じます。 それで私も、浄土真宗の教えを聞き始めたのですが、ではどうすれば永生の落果が得られるのか、求めても求まらず、悩んでいました。詳しくは、このブログに書いていますので、興味があっ…
なぜ、「諸行無常」だと「努力すれば向上する」のか、凡愚の身には理解できない。
正覚寺前住職 -信は人なり- 信心に生きることが 本当の人として生きることなのです 正覚寺前住職(私の父)は実父(私の祖父)のことを心から敬愛していました この小冊子『父を想う歌』は昭和53年実父(私の祖父)3回忌のときに作成し有縁の方に配ったものです 前住職はその年の8月57歳のとき クモ膜下出血で倒れ右半身不随となり以後16年間病床の身となりました 前住職は生真面目で不器用な人でしたが私はとても大事にされ敬愛しています 叱責されたことはありません もちろん凡夫ですから 間違いをおかすこともあります それでも人としての生き方を16年間の病床生活を通じ老病死を受け入れることで身をもってしめしま…
卒園式を意識して書かれたのだろうか?
特攻隊を「散華」と記述する「教科書」が出現 「散華」とは 戦時レトリックとしての「散華」 「玉砕」と表現された「全滅」 「散華」と表現された「自爆」~「自爆散華」 米兵のみた「特攻の死」の現場 日本で今も見て見ぬふりをされる特攻の現実 特攻隊を「散華」と記述する「教科書」が出現 2024年、特攻隊員が「散華した」と記述する歴史教科書が文部科学省に認定された。 文部科学省は22日までに、来春から中学校で使用される教科書の検定で合否を保留していた「令和書籍」の歴史教科書2点を追加合格にしたと発表した。同社の教科書は沖縄戦で「沖縄を守るために、… 2,800以上の特攻隊員が散華しました」と記載したほ…
出会いと思い出 愛することは理解すること 理解することは愛すること 認める心 信じる心 支える心 育てよう 健全育成 愛のスコール ようこそ完全愛情物語へ 安寧愛情物語より 愉快愛情物語と共に 貫く愛心愛情物語 愛好愛情物語を込めて 寄り添う愛嬌愛情物語 ときめく恋愛愛情物語 励まし合う愛 崇高な童心愛情物語 満ちる愛想愛情物語 愛の塊=自然笑顔=笑顔満開 夢体系 水産学磨きをする=農芸化学磨きをする=生命科学磨きをする=児童学磨きをする 経済学磨きをする=音楽磨きをする=商学磨きをする=幼稚園課程磨きをする 教育学磨きをする=地理学磨きをする=国際関係学磨きをする=小学校課程磨きをする 業界…
hiruandon-desu.hatenablog.com 西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』は晩年、特に「絶対矛盾的」部分を強調した『逆対応』、及び「自己同一」部分を強調した『平常底』に分節化される形で表現されるようになります。『逆対応』というのは絶対(神仏=弁証法的一般者)と相対(人間=個物)が相互に自己否定的に対応(作用)し合っていることを示します。西田が強い共感を示したセーレン・キルケゴールの思想も参考になっていると思われ、浄土仏教(特に浄土真宗)の信仰を理論的にしたと言われています。もう一方の『平常底』とは禅仏教の思想に由来しているとされ、最終的に我々の自己が、逆対応的に接している神…
前回に続いて、「カルト」について述べたいとおもいます。 親鸞会を退会した方が、同じような集まりに移ってしまっている、という話を最近耳にします。 それらの中には、私も参詣したことがある集まりがいくつかあります。 ただ、それらの集まりが親鸞会と同様かというとあまりそうは思えませんでした。 親鸞会のような、大学でのダミーサークル活動や、ネットでの正体を隠した組織的な勧誘活動というのはほかには見られません。 また統一教会さながらの過度の献金、「命がけの報恩」、反対する家族や友人を群賊悪獣と呼び捨て、他のすべての宗教を攻撃する、などは親鸞会の独特の組織文化で、過去から今に至るまで基本的に変わることがあり…
我が宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます南無阿弥陀 南無阿弥陀法然先生ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀親鸞先生ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀 大河ドラマ光る源氏は面白いでしょうか?南無阿弥陀 光る源氏は藤原道長卿なのでございます南無阿弥陀 詰まりは絶対空間なのでございます南無阿弥陀 女性👩の絶対空間でございます南無阿弥陀 今日は常陸國からこんにちは😃でございます南無阿弥陀 今日は土浦神社でございます南無阿弥陀 しかしながら肩が凝るのでございます南無阿弥陀 詰まりは絶対空間で必至アイテムで有り必至状態なのでございます南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
栗山元WBC監督と岡藤正広さんの対談を見て、興味を持って読みました。 絶対他力の話や、人材登用のポイントなど、印象に残りました。 P40 持ち下りを始めた忠兵衛はのちに数多くの従業員を雇うようになるが、当初の従業員はむろん地元の人間だ。近江出身の彼らはいずれも文字の読み書きと算術ができたからだった。 忠兵衛は当然のこととして受け止めていたが、それは地元の湖東地区には武士階級以外で識字能力のある人材が豊富にいた結果なのである。 交通の要路、産物、商業ノウハウの蓄積、識字能力は近江商人が生まれる背景だ。 さらに、もう一つの理由がある。 それは、近江人の特質を形作る要素でもある浄土真宗の信仰だ。 作…
実家が浄土真宗であり、通った幼稚園も浄土真宗の境内の中にあったから、収宗教といえば浄土真宗が自然と身についている。浄土真宗の他力本願的な思想は、天地に従順であり、一切を南無阿弥陀仏の名号の中に委ねる。 これに対して密教というのは、何やら念の力をもって天地や自らの運命を動かすような、非常に躍動感あふれるものを感じる。これはやはり、密教の開祖の空海という人が、エネルギッシュで卓越した個性の人だったことにもよるのだろう。 浄土宗の法然さんや、その弟子である浄土真宗の親鸞さんの教えは、われわれのような凡人にとっては親しみやすく優しいものだ。 ご本尊の阿弥陀仏は、衆生の一人も余すことなく、それがどんな悪…
「カルト」ということについて、少し述べてみたいとおもいます。 「カルト」という用語は、メディアなどでしばしば用いられますが、学術的にはいまだ確かな定義はないようです。 統一教会の問題がクローズアップされ、堰を切ったように「カルト」問題が報道されています。 統一教会は、もう過去のものになったのかと思っていましたが、より深く広く日本社会に浸透していたことに驚きます。 SNSでの幸せそうな笑顔や、インスタ映えする綺麗な写真が氾濫する世の中のでも、人生の苦相は変わらないのでしょう。 人間はそもそもが深い迷いと心の闇を抱えている存在なのだとおもいます。 なので法律を改正したところで、「カルト」問題はそう…
我が宗派浄土真宗本願寺派でございます南無阿弥陀 南無阿弥陀法然上人ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀親鸞聖人ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
昨年から始まった『ゼロからはじめる正信偈講座』を今年も開講します。 真宗大谷派(浄土真宗)で読まれることの多い正信偈の内容と読み方を、初心者でもわかりやすく解説します。 月1回のペースで行っていますのでお気軽にご参加ください。 ■日程 ※いずれの日程も10:00〜11:30の予定です。 4月12日(金) 5月10日(金) 6月7日(金) 7月5日(金) 8月9日(金) 9月6日(金) 10月4日(金) 11月2日(土) 12月6日(金)
我が宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます南無阿弥陀 南無阿弥陀法然先生ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀親鸞先生ありがとうございます南無阿弥陀 我が宗派浄土真宗本願寺派は一向宗派でございます南無阿弥陀 しかしながら一向宗派は、何と織田上総丞信長に刃向かう宗派だったのでございます南無阿弥陀 そして最終的には、織田上総丞信長に打ち克つのでございます南無阿弥陀 詰まりは絶対空間でございます南無阿弥陀 絶対空間は絶対空間でございます南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
父が死んでからそれなりに月日が経ち、先日四十九日の法要を終えた。 四十九日というのは故人が極楽浄土に行けるかどうかが決まる最後の日にあたるらしく、故人が極楽浄土に行けるよう遺族が供養する儀式にあたるらしい。 でも浄土真宗の場合は往生即成仏といって、亡くなったらすぐ極楽浄土に行けるという考え方なので、故人に感謝の気持ちを伝えるという意味合いに変わるらしい。 ググるとこんなことが書いてある。母は「四十九日までは現世に魂が残っていて、その魂をあの世に無事送り届ける儀式なの」と言っていた。 まあ概ね似たような感じで、四十九日が終わった今は父の魂は極楽浄土に行けたということなのだろう。 これなんぞ? と…
鎌倉新仏教は宗派でわけますが、 順番も出るので注意しましょう。 法然(浄土宗) 栄西(臨済宗) 親鸞(浄土真宗) 道元(曹洞宗) 日蓮(日蓮宗) 一遍(時宗) 法然→栄西→親鸞→道元→日蓮→一遍 ほえしどにい と覚えることになっています。 意味はわかりません。 ただの呪文です。 あと、道元は北条時頼の頃です。 北条時宗の元寇の前から日蓮が活躍しています。 この映画↓ 『禅 ZEN』 では、宝治合戦(1247)で北条時頼がおかしくなってしまっって、そこを道元が「禅をやってみませんか」みたいなフォローをするというシーンがあります。 禅 ZEN 中村勘太郎 Amazon
我が宗派浄土真宗本願寺派のお勤めでございます南無阿弥陀 南無阿弥陀法然先生ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀親鸞先生ありがとうございます南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀 九州男児でございます南無阿弥陀 しかしながら現在は坂東地区の住人なのでございます南無阿弥陀 詰まりは絶対空間でございます南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
境川の北側にある茜部の長森縣神社から、境川を越えて南側、その昔は尾張葉栗だった柳津の地へ。そこで聖徳太子にまつわる伝承地を辿る。 光澤寺は、6世紀に聖徳太子が創建した太子寺。その鎮守として、境内に穴太部(あなほべ)神社を創建したと。つまり、穴太部天神を祀る式内社の尾張国葉栗郡の穴太部神社のことだ。 ここがその有力な論社として、祭神として古天神の天穂日を祀ってること、聖徳太子が由来となってることから極めて説得力がある。式内論社のもうひとつは、木曽川の下流へ南下した一宮の玉ノ井にある賀茂神社だ。地名に穴太部があるくらいで、こちらの由来は薄っぺらく祭神からも消えている。強いていえば、先に述べたように…