学校という空間のゆらぎと「多様なるもの」へのまなざし 学校とは、本来、学びのための協働の場であるはずです。異なる背景を持つ生徒たちが集い、互いに関わり合いながら、何かをともに築いていく場所。けれど、現実の学校は、その理想と少し違う方向に揺れ動いているように感じます。 一つのゆらぎは、均質性の追求です。誰もが「同じように振る舞う」ことが求められすぎると、そこには個性や違いが入り込む余地がなくなり、教室は「公共空間」らしさを失ってしまいます。もう一方で、過度な「差異の崇拝」によって、文化や価値観があまりにも細かく分けられ、私的な空間が無数にできあがってしまう。この両極のあいだで、学校は揺れ、疲弊し…