大正時代、円本の普及と共に、大衆受けは良いが、世俗的で品性の低い、文学的価値の乏しいテキストが大量に出回った。既存の作家達や、円本のような作品を卑しむ人々により、今までの文学はそういう大衆文学とは一線をかくしたジャンルであるとされ、それは純文学と名付けられた。もっとも、そうは言え、既得権益を守るために作った組合みたいな側面も多分にあった。 (こっちのほうがまとまってていいと思います)
大好きな小川洋子先生の本を、改めて読み返してみようと思い、まずはデビュー作である『完璧な病室』から再読しました。 完璧な病室 (中公文庫) 作者:小川洋子 中央公論新社 Amazon 収録されているのは、「完璧な病室」「揚羽蝶が壊れる時」「冷めない紅茶」「ダイヴィング・プール」の4編。それぞれ全く異なるテーマを持ちながらも、小川先生ならではの静謐で美しい文章に貫かれていて、心がじんわりと癒されるような読書体験でした。 一つひとつの言葉がとても丁寧に紡がれており、「一語も読み落としたくない」と思わせてくれるような文章ばかり。読み進めながら、「あ、この表現、素敵」と思うたびに付箋を貼っていたら、気…
今回紹介するのは、芥川賞を受賞した、まったく新しい山岳小説。 ピークを目指さず、山を彷徨うことを目的とした山行をする男の純文学です。 道なき道を行くことは人生にも似て、 「今、仕事で悩んでるんだよな~」って人に、勇気を与える作品です。 もくじ 📖 作者の松永K三蔵ってどんな人? ⛰️ あらすじ|「バリ山行」とは、道なき道を行く登山 🧗 バリる妻鹿さんの哲学|生きることは藪漕ぎに等しい ☕ まとめ|バリって人生そのもの 🔗 『バリ山行』の関連記事 📖 作者の松永K三蔵ってどんな人? 2021年に作家デビューされ、本作は2作目のほやっほやの新人さん。 なのにこの筆力。 実体験を書いた?ってくらい、…
「こんな話を書いてほしいんですけど…これはエンタメになりますか?それとも純文学?」 お問い合わせの初期段階で、こうしたご質問をいただくことがあります。ジャンルの呼び名にこだわる必要はないのですが、依頼者の方にとっては、自分の構想がどの系統に属するかを知っておくことで、完成後のイメージを掴みやすくなるのも事実です。 では、「エンタメ小説」と「純文学」の違いとは何でしょうか。実は、出版業界でも明確な線引きがあるわけではありません。しかし、読者層や目的、読後感の傾向には明らかな違いが見えてきます。 エンタメ小説は、読者の没入感を重視した物語です。展開のテンポが早く、主人公が困難を乗り越えていく「起承…
読書も To Doリストに入れる しばらく読書してないから 波に乗るまでは読書を課する 昔の純文学面白い 何てことない日常の暗鬱とした気持ちの変遷 好きやで
いつのまにやら本数が増えすぎて自分でも把握できなくなってきたので、とりあえずリストを作ってみました。上のほうが新しく、下にいくほど古いものになります。電子書籍にしか掲載していないものもありますが、そちらも一番下のリンクから無料でダウンロードできるので、この機会にぜひ。短篇小説「とはとは」 - 泣きながら一気に書きました 短篇小説「空跡」 - 泣きながら一気に書きました 短篇小説「第一村人刑事」〈非戦力系刑事シリーズ〉 - 泣きながら一気に書きました 短篇小説「つもり刑事」〈非戦力系刑事シリーズ〉 - 泣きながら一気に書きました 短篇小説「風が吹けば桶屋が儲かるチャレンジ route 2」 - …
純文学も書けるようになりたいものだ。 あわせてよみたい 純文学も書けるようになりたいものだ。 今日は、ちょっと会社を休んだ。 理由は簡単で、朝起きたらどうにも体調がよろしくなかったから。頭も少し痛かったし、鼻も出るし、喉もガラガラしてる。熱はないけど、いわゆる“風邪の初期症状”ってやつかもしれない。今、うちの会社で地味に風邪が流行っていて、それにあてられた可能性もあるなと思って、大事を取ってお休み。今週末には伊勢に旅行する予定もあるし、ここで体調を崩して「行けませんでした」なんてことになったら、それこそ目も当てられない。病院行っても様子見だろうから葛根湯を飲んで静かにしてる。 幸いなことに、今…
みなさん、こんにちは!今回は、古市憲寿さんの小説『平成くん、さようなら』を紹介したいと思います。 この小説は「安楽死」というすごくシリアスで難しいテーマを扱っているんだけど、それだけじゃないんです。現代社会の空気感とか、今どきのちょっと変わった人間関係とか、「生きるって何だろう?」「死ぬってどういうこと?」っていう深い問いかけが、古市憲寿さんならではのクールで、でもどこか優しい視点で描かれています。 読み終わった後には、なんだか心がザワザワして、色々なことを考えさせられる…。そんな、忘れられない読書体験ができる一冊です。
その朝、私は学校へは行かなかった。だがそれは、私が学生ではないからではなかった。だからといって会社へ行ったわけでもない。 もちろんそれは、その日出かけなかったという意味でもなかった。とはいえ私は海にも行かなかったし、スキー場にも行かなかった。それは季節がそれぞれふさわしくなかったから、というわけではないし、私は水泳部でもスキー部でもなかった。 だからといって私は、恋人と二人で野球場へ行ったりもしなかった。朝からやっているとしたらプロ野球ということはなく、高校野球や草野球、少年野球ということになるが、私は野球部員ではないし、もちろん監督でもない。そもそも野球をする趣味はないし、子供が少年野球チー…
みなさんご存知「夏目漱石」の「吾輩は猫である」ですが、冒頭が「吾輩は猫である。名前はまだない」で始まるのは周知の事実なのに、意外とこの「猫」に「最後まで名前がない」ということをお気づきではない方が多いのでは?と思うのです。 他にも重要登場人物に「名前がない」作品は意外と多くみられます。 列挙してみると ・こころ(夏目漱石:先生・私) ・伊豆の踊り子(川端康成:踊り子) ・老人と海(ヘミングウェイ:老人) ・フランケンシュタイン(メアリー・シェリー:怪物) ・ヴェニスに死す(トーマス・マン:少年) ざっとこれくらいは軽く思い浮かびます。 🟢 🟢 🟢 🟢 🟢 いい名前が思いつかなかった? 名前をつ…
純文学とは何か 純文学とは、商業的な成功や娯楽性よりも、文学そのものの芸術的価値や深いテーマの探求を重視する文学のことです。主に、人間の内面や存在の本質、哲学的な問いを扱い、言語表現の美しさや独自性を追求します。たとえば、夏目漱石や芥川龍之介といった作家たちの作品が、日本における純文学の代表例です。簡潔に言えば、純文学は「人間や世界を深く見つめ直すための文学」といえるでしょう。 ○純文学の定義の複雑さ 純文学の定義は、時代や文化、作家や読者の視点によって異なるため、単一の定義に収まらない複雑さを持っています。歴史的に見ると、純文学は言語表現の美しさや深いテーマの探求を重視する文学とされています…