簡単に例えると、1が静止画であるのに対し、2・3が動画ともみなせる。時は連続するからである。
「時間」に対する捉え方は、自然的時間、哲学的時間、物理的時間などそれぞれ異なる。科学が未発達な文明においては、自然的時間、宗教的時間が支配的であったが、産業革命以降、鉄道ダイヤの普及により、ひとつの基準として物理的時刻が普及した。近年は高速旅客機や録画保存機器などの発明により、人間の体内時計が揺らいでいる。
たとえば移動手段により移動時間は異なり、飛行機は日付を越え時差をうむ。ビデオカメラにより過去の記録や記憶を新鮮に振り返ることができる。つまり過去の記憶は、自然と色褪せることが無くなりつつある。
宗教的時間とは、宗教や文明ごとに暦の読み方が異なり、祭りを行う周期が異なることによる。
物理的時刻(狭義の時間)には、何時何分(何秒)と示される規則的なスケジュール等がある。例えば、出発時刻、起床時刻、始業時刻、消灯時刻のほか、死亡推定時刻など検証記録としての時刻もある。
道元「時とは自己に他ならない」
カント「主観の外では時間は無だ」
たとえば、大人と子供では時間を感じる早さが異なる。楽しい時と退屈な時でも異なる。自動車を運転する者は、高速道路を走っている時と、一般道に降りた時でも早さの感覚が異なる。
つまり物理的時刻と主観的時間は、主体によって捉え方が異なる。
江戸時代における時間(一刻)は、日の出〜日没までの間隔を6等分しており、時間(一刻)は季節により伸縮した。自然現象の時間は、砂時計と違い等間隔では無い。